8.これが金銭感覚のズレってやつ?
「うそ、でしょ……」
私は自作のバッグを覗きながら、お店の前で呆然と立ち尽くす。
お店の人に迷惑だとか、そんなことは一切考えられなかった。
だって、まさか、そんな……。
「あんなに安い値段で、こんなに買えちゃうの……?」
そうなのだ。私が想像していたよりもずっと、一つ一つの値段が安すぎて。
本当にこの値段でいいの!? と心配になってしまったけれど、間違ってたらお会計の時に訂正されるだろうと思っていたのに……。
結局、本当にその値段のままで購入ができてしまった。
「まさか……これが金銭感覚のズレってやつ?」
確かに教わった。貴族と平民とでは、金銭感覚にかなり差があると。
でも今までそんなこと気にしたことなかったし、そもそも自分でこんな風にお買い物をしたことすらなかったから、全然実感がわかなかった。
それが、今。
ようやく、現実を知って。
私はいわゆる、カルチャーショックの状態に陥っていた。
実際に体験をすることで、ようやくその言葉の意味の本質的な部分を理解し始めたところだから。
「……もしかして、食材も、とか?」
まだ少し疑いつつも、とりあえず先に靴屋さんを探す。
今のお店は結局洋服を売ってるだけで、それに合う靴は取り扱ってなかった。
でもこういう所も、貴族ではなかなか経験しないかもしれない。
貴族の場合は家に商人を呼んで、その人物が持って来た様々な商品の中から、組み合わせだったり気に入ったものを買い取るから。
服だけとか靴だけとか、そういう経験は私はしたことがなかった。
(それだけを専門に扱う人っていうのも、いないわけじゃなかったんだろうけど)
その場合は時間がかかりすぎるから、私みたいに忙しい人間には向いてなかったんだと思う。
でも、今はもう違う。
はじめて見る街並みと、ようやく解放されたのだという気持ちから、自然と気分は高揚し足取りは軽くなる。
私はこれから、自由を謳歌するんだ!
そんな気持ちにもなりながら、見つけた次の目的地へと足を向けて。
そしてまた、お店を出る頃には値段に驚愕して出てくるということを、何度か繰り返しながら。
「つ、ついた……」
本日の最終目的地、食材調達のための市場へとたどり着いたのだった。
その瞬間の気持ちを一言で表すのなら――――感動。
だって!
今まで足を運ぶことすら許されなかった場所に!
私は一人でたどり着いたんだよ!?
しかも今から、自由に見て回れるんだよ!?
こんな幸せなこと、なくない!?
「うわぁ~……」
賑わい方もすごいけど、道の左右に並んでいる露店のようなお店の野菜たちの、キラキラした輝き!
まるで「私を食べて!」と言われているような気分になる。
(トマトにナスにズッキーニ……!)
食材として口にしたことはあっても、実際どんな見た目なのかは本に描かれた形でしか知らなかった。
それが今、目の前に。
(やっぱり最初はリゾット? あぁでも、失敗が少なそうなパスタがいいのかな?)
頭の中にある知識をフル稼働させて、最初に作るべきものはなんなのか、そのためにはどんな食材が必要なのかを考える。
家の中で見つけた調味料たちを思い出しながら、買い足すべき調味料がないかを再確認しつつ、まずは手近なところにあったトマトの値段を見て……。
「え!?」
私は思わず、自分の目を疑った。
というかこれ、今日何回目なんだろうと思わずにはいられないんだけどさ。
でもやっぱり、何度でも同じ感想しか出てこない。
(値段、安すぎない!?)
トマトだけじゃなくナスやズッキーニ、その奥にあるお店のタマネギやジャガイモも、ぜーんぶ想像よりも安くって。
まさにこれが、平民クオリティ……!
(ここは……天国かな!?)
こんなに安く食材が手に入るのなら、毎日別のお料理を作っても問題なさそう!
なにより飽きがこないのがいいよね!
(服も靴もバッグもアクセサリーも、全部が全部お手頃価格!)
それでいて一番大切な食材が、こんなに安いんだもん。確かにこれなら、金貨なんて使う機会は訪れないよね。
布袋の中から金貨を抜いてきて大正解!
むしろ銀貨すら必要ないんじゃないかってぐらい、一軒一軒お安い価格で提供してくれているんだから、もう本当に最高!!
(でも、逆に考えれば……)
これが、普通の生活ということ。
つまり本当に、貴族と平民の間には金銭感覚にかなりズレがあるってこと。
(ちょっと、気をつけないと)
今後のことを考えて、はじめて少しだけ不安になった。
お金を持っていると知られたら、変な人間が寄ってくる。
そう私の中に蓄えてきた知識が、警鐘を鳴らしているから。
(そのために、私が今できることは)
適正価格の把握と、周りの人たちが何をどれだけ買っているかの観察。
正直野菜の目利きとかは、今の私にはまだ到底無理な芸当だから。
それよりも大切なのは、いかに今後この場所で浮かないようにできるか。
「よしっ……!」
グッと両手で小さく握りこぶしを作ってから、露店が立ち並ぶ市場の中に最初の一歩を踏み出したのだった。