20.この手紙が
「それじゃあ、よろしくね」
そう一言残して去っていく後ろ姿は、もう見慣れたもので。後ろに護衛を二人引き連れているのも、いつものこと。
(……いやいやいやいや。おかしいだろ)
そもそもどうして第二王子殿下が、平民出身の魔導士の妻への手紙を、わざわざ手渡ししに来るのか。
扉の向こうへと消えていったプラチド殿下は、時折こうして俺たちの研究室を訪れる。
(まぁ、ここなら一番安全だよな)
会話が盗み聞きされることは、まずもってない。特に今回みたいな、明らかに秘密にしておくべき内容の場合は、都合がいいんだろう。
それは、分かるんだが……。
「やっぱり僕は、聞かないほうがよかった気がするよ」
「俺だって聞きたくなかった」
一時的に部屋を出ておくか、防音の魔術でも使おうかと提案したベッティーノに対して、誰にも口外しないなら問題ないと言ったのはプラチド殿下だった。
そう、だから。別にそんな、重要な内容とかじゃないと思ってたのに。
「口外しないどころじゃないよ、これ。むしろ秘匿すべきことだと思う」
「同感」
第一王子の新しい婚約者が一切の教育を拒否してる上に、そもそもにしてまともな教養一つ身についてない、なんて。なんの冗談かと思うだろ、普通。
というかそもそもこれ、俺が知っていいことなのか?
「……世間話みたいに、サラッと口にしていく内容じゃないだろ」
「そうだね。だけど……」
「だけど?」
どこか言いにくそうなベッティーノは、俺が手に持ってる手紙にその視線を向けて。
「きっと、君に言えば伝わると思ったんだろうね」
少しだけ困ったような顔をして、そんなことを言うから。
察しないわけが、ない。
「……誰に、なんて聞くまでもないよな」
つまり、現状をありのまま伝えろと。
本来その場所に立っていたはずの、ジュリアーナに。
「君の奥方は、ずいぶんと信頼されているみたいだね」
「もうほとんど無関係だろうにな」
つい吐き捨てるような言い方になったのは、仕方がないと思う。
だって考えてみろよ。それを今さら彼女に伝えて、なんになる? どうして欲しいっていうんだ。
(王族のほうから手放したんだから、もう解放してやればいいのに)
今もまだ、ジュリアーナは自由じゃないのかもしれないと思うと。どこか、やり切れなさを感じる。
だったら手放さなければよかっただろ、と。
たとえそれが、彼女自身の計画を狂わせることだったとしても。
(今の状態じゃあ、本当の自由とは言えないよな)
この手紙が、ジュリアーナをまだ縛り付けているようにも見えて、悔しくなった。
俺なんかじゃ、なんの力にもなれないから。
「ニコロ、今日はもう片付けだけして終わりにしないかい?」
「賛成。今から実験とか、手元が狂いそうだし。思考もまとまらないよな」
なんつーことをしてくれたんだよ、ホントに。
とはいえ聞かなかったことになんてできないし、たとえ俺が彼女に伝えなかったとしても、いつかは手紙で伝えるつもりなんだろうし。
(もしかしたら、今回の手紙の内容がそれかもしれない)
それならいっそ、俺の口から伝えたい。
対抗できない相手の思惑に乗るのは不本意だが、ジュリアーナがどんな反応をして何を思うのか。俺は、ちゃんと知っておきたい。
そう、思って。
イヤな話をする決意をしてから、家に帰ったのに。
「ところで、ニコロには気になる女性とかいないの?」
「……はぁ!?」
脈絡もなく、いきなりぶっ放してくるのはなんでだ!?
「私との結婚は、条件付きだったとはいえ強制的なものだったでしょ?」
「そ、れは……まぁ、そう、だが……」
今は違う。が、確かに最初はそうだった。断る選択肢がなかったのも、間違いじゃないだろう。
でもそれは、ジュリアーナの計画にはなかったはずだ。だから謝る必要なんてない。
それに本当に、好きなだけ研究していられることにも感謝してる。
(俺はずっと、今のこの生活を続けていきたいのに……!)
そもそもなんで、好きな女性から「気になる相手はいないか」なんて聞かれないといけないんだ!?
俺に興味がないにもほどがあるだろ!
「魔導士なら、分かるでしょ?」
「……ッ!!」
なのに、その言葉は。
正直、ズルい。
魔導士の結婚が義務なのは、できる限り魔導士の数を増やすため。つまり積極的に子供を産めっていう話だ。
そしてジュリアーナが、俺にそんなことを聞いてくるってことは。
(続ける気が、ないのか)
彼女には、この生活を。
そう思った瞬間、体の奥になにか重たいものが沈み込んできたような、そんな気がした。
「好きなだけ研究ができる生活を続けたいのなら、好きな人は愛人として迎え入れてもいいからね!」
「できるか! そんなこと!」
「え、なんで?」
そんな俺の心情なんて、これっぽっちも気づく気配のないジュリアーナに、つい。
「そもそも俺に、他に好きな女なんていない!!」
なんて、思わず言い切ったわけだが。
「でも覚えておいたほうがいいよ? そういう可能性もあるし、私は受け入れるってこと」
「受け入れるなよ!!」
「第一王子の元婚約者なんで、私」
「くっ……!」
そう言われると、言葉を返しづらい。
っつーか、アレと同一に考えられるのもイヤだな。
「あ。もし相手が男性でどうしようもないとかだったとしても、連れてきて大丈夫だから!」
「お、俺にそんな趣味はない!!」
「あらあら」
あらあら。じゃない!!
女じゃなければ男かもしれないなんて、どこからその発想が出てくるんだ!!
「とにかく! 俺は君以外の人間をこの家に入れるつもりは一切ない!」
このままこの話を続けたくなくて、着替えを理由にその場から逃げ出した。
が。
(あんな言い方して、バレないか……!?)
他に好きな女なんていない、とか。
君以外の人間を、とか。
着替えながら、思考はそのことでいっぱいで気が気じゃなかった。
結果的に、全く気づかれてなかったけど。
俺も、人のことをとやかく言えるとは思えないけど、さ。
ちょっと彼女は、恋愛方面ではかなり鈍いのかもしれないと。そんなことを、思った。




