2.研究室
「ニコロ! ニコロ聞いたぞ!」
翌日。研究室に入るなり話しかけてきた金髪の鳥の巣頭は、ベッティーノ・グロッソ。
俺より二つ年上のこいつは、正真正銘の貴族。とはいえ本人曰く、子爵家のしかも四男なんて社交界では相手にされないそうだけどな。
貴族でも生まれた順番や家柄で優劣が決まるなんて、本当に面倒な世界だよ。
「君、結婚するそうじゃないか! しかも公爵令嬢と!」
それでも俺とは違って、話し方や仕草にはどこか品がある。
生まれの違いってのは、どうやったって日常に出てくるもんだよな。素でこうなんだから、ある意味尊敬する。
けど、今はそれどころじゃない。
「……どうしてそれを知ってる?」
「筆頭に言われたんだ! 力になってやってくれって!」
「チッ。あのジジイ、余計なことを」
ちなみにこの研究室には、俺とこいつしか所属してない。必要最低人数で運営してる。
魔導士ってのはその特殊性から、研究の際は最低でも二人以上でというのが義務付けられているからだが。
なにかあった時に一人だと、魔術を打ち消すことができなくて大惨事になる可能性があるから、こればっかりは仕方がない。
(むしろこれが大人数の研究室だったら、今頃どうなってたことか……)
そう考えれば、この人数でよかったとも思えるが。
とはいえ、だ。
部屋もそれぞれ研究を盗まれないように、色々な魔術が仕掛けられているからって。こいつは入ってくるなり、遠慮なくその話をし始めたってわけだ。
「そんなことはない! 筆頭は今回のことを、しっかりと考えていらっしゃった!」
「お前、あのジジイの肩持ちすぎだろ」
「当然だろう! 僕が魔導士になれたのも結婚できたのも、筆頭のおかげなんだから!」
「あぁ、そうかよ」
こいつが魔術に興味を持ったきっかけが、今の筆頭であるジジイだってのは何回も聞いたことがある。
結婚に関しては、もはや有名すぎて聞く気も起きない。
「シャーリーは侯爵令嬢だったから、最初は全員に反対されたんだ」
「そうだな」
「そんな僕に筆頭が知恵を貸してくださったんだよ」
「そうだな」
俺の適当な相槌に気づかないくらい、ベッティーノは一生懸命喋ってるが。こんなのに真剣に付き合ってたら、時間がいくらあっても足りなくなる。
適当に流しておくくらいで、ちょうどいいんだよ。こんなもん。
(そもそも有名すぎて、特に魔導士で知らないヤツなんていないだろ)
要は魔導士として最低限の男爵位は持っているものの、身分差があり過ぎるからと諦めようとしていたところに、ジジイが入れ知恵をした、と。そういうことだ。
おかげでこいつは魔導士としてかなり有名になって、国王にも認められたから晴れて恋人と結婚できた、と。
俺としては研究室への援助資金も増えたことだし、まぁありがたかったなくらいなもんだけど。
「というわけで、貴族令嬢との生活について色々僕が伝授してあげるよ!」
「伝授って程でもないだろ。そもそも俺、例の性悪女と一緒に暮らすつもりはないしな」
「そこだ! まずそこなんだよニコロ!」
「耳元でうるせーなぁ」
こっちは魔術式の掛け合わせを計算してるっていうのに、さっきからこいつは……!
「口を動かしてる暇があるなら、手と頭を動かせよ」
「おっと、そうだね。働きながらじゃないと、筆頭に顔向けできない」
筆頭筆頭って、さっきからうるせーな。
そもそも魔導士ってのは、割と個々人の研究に没頭しがちな奴等だ。一応騎士団みたいに魔導士団なんて言われてはいるが、実際には形だけ。
有事の際には、そりゃ団結するだろうけどな。普段は関りもしないことのほうが多い。
なんなら、筆頭の名前すら覚えられないような人間もいるくらいだからな。そのくらい、他人には興味がない集団ってことだ。
俺は普段からジジイって呼んでるが。
「それでね、シャーリーが気になることを口にしていたんだ」
まだ話す気なのかよ、こいつ。
ただ困ったことに、ちゃんと手も頭も動かしながらなんだよな。
俺と同じで優秀だから、二つのことを同時進行できるってのが、まさかこんな時に裏目に出るなんて。
まぁ、相当優秀でない限り二人で研究室を一つ与えられるなんて、そうそうないことだからな。
あとは俺たちの研究が、魔導士の間でもそんなに人気がない部類だっていうのもあるが。
「侯爵令嬢だった頃に、件のアルベルティーニ公爵令嬢と何度か会話したことがあるそうなんだ。ただ、噂のようなことをする人物ではなかった、と」
「そんなの分かんねーだろ。それに貴族同士の付き合いなんて、表面的なもんだって言ったのはお前じゃねーか」
「まぁね。君みたいに思ったことを真っ直ぐ言葉にする人物なんて、基本的には存在していないよ」
「じゃあ本性なんて簡単に見抜けないだろ」
「けどシャーリーが言うには、件の令嬢は自らの意思で孤児院へと赴くような人物だったらしい。国の未来についても、しっかりと見据えていたらしいよ」
「そんなパフォーマンス、貴族は昔からよくやってるだろ」
そしてその実、本気で平民のことなんか考えちゃいない。そういう奴等ばっかりだ。
だから平民の暮らしは、なかなかよくならないんだよ。貴族が平民を利用したり、平民から搾取することしか考えてないから。
「そうかもしれない。ただ、女性の勘は時々鋭いからね。一応、伝えておくべきだと思ったんだ」
それは、俺の仕事がその令嬢の監視になることを知ってるから、ってことだろうな。
「気にしておいたほうが、いいかもしれない。実際僕も社交界にいる間、アルベルティーニ公爵令嬢の悪い噂は一切聞いたことがなかったからね」
「巧妙に隠してたんじゃねーの?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
妙な歯切れの悪さに、どこか引っ掛かりを覚える。
こいつは貴族出身だが、普段はこんな言い方はしない奴だ。
「なにが言いたい? ハッキリ言えよ」
「……正直、僕の憶測でしかない。それでも、いいかい?」
「別に構わねぇよ」
憶測だろうが何だろうが、とりあえずこの気持ちの悪さはどうにかしておきたい。
そうじゃなきゃ、研究に集中できないからな。
「もしかしたら、アルベルティーニ公爵令嬢は……なんらかの陰謀に、巻き込まれてしまったのかもしれない」
普段なら、なにをバカなことをと笑えたところだが。
あんまりにも真剣な表情で、ベッティーノがグレー掛かった青い瞳を向けてくるもんだから。
「……貴族ってのはホント、そういう悪い策を練るのが好きだよな」
「否定はしない。そして僕は、そういうところが好きになれないんだ」
そう二人で口にして、この会話はこれで終わった。
けど。
俺は後に、後悔する。
この時のベッティーノの言葉を、もっとしっかり考えておくべきだった、と。




