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第玖話【純情原理】

【純情】

自然のままでかざりけのない人情。邪心のないいちずな情愛。

(岩波書店『広辞苑』第七版より)



 クロガネはデスクで1人、どっさり積み重なったファイルをひとつずつ漁っては閉じて、漁ってら閉じて、という作業を朝から繰り返していた。窓外を走るセダンに瞬いた陽光にも、子供が奇声を上げてはしゃぐ様子にも気づかないくらい集中していた。しかし、左方にある床の隠し扉が開いた時はすぐに視線をそちらに向けた。扉の先は単なる物置スペースではない。装導『導関連対策所』が持つ秘密の地下室に繋がっている。上がってきたのは、竹刀を担ぐ小柄な女――彩芭。徹の戦闘指導のために、一時間は動きっぱなしで剣を振るっていたはずだが、全然余裕そうだ。短い前髪を整えながら、涼しい顔で首元を扇いでいる。ショートの髪も和服っぽい灰色の装束もほとんど乱れていない。彼女は男がこちらを見たことに気づくと、視線を逸らしながら恐る恐る近づいて行った。

「どうだ、その〜、『教義(DOGMA)』の調査は順調か?」

「あー……あまり順調ではない。1人でやっているからな。もっとも、お前らに手伝わせたところで戦力にはならないが。文句を垂れ流すラジオと足を引っ張る助手は要らないね」

彩芭はドキッとして、一歩後退りした。

(やはり機嫌を損ねていたか……無表情だから分からん)

「うっ……すまぬ。些かデスクワークは向いていないというかぁ……」

「まあ、いいさ。得意なことは得意なヤツがやれば良い。その分家事に注力してもらう」

男は溜め息を吐いて、コーヒーを1杯飲んだ。思っていたよりクロガネが怒っていなさそうなので、彩芭はホッと胸を撫で下ろしていた(正直、家事の方が苦手だったが)。

「関係がありそうな戦闘記録は片っ端から目を通して、俺の記憶と照らし合わせているが、これといった進展は無い。

①能力を無効化する能力を持つ(弱点不明)

②光の刃を使用できる(詳細不明)

③『起導』を使用できる(全貌不明)

ぐらいしか分からねえ。これが全てなのかもしれないが」

ぶっきらぼうにそう言った男は、隣のデスクに置かれた幾つかのファイルを取り、付箋が貼られたページを開いて見せていく。

「警察に内通者がいるのか、それとも交戦したヤツを全員抹殺しているからかは知らんが、情報があまりにも少ない。一方で『光心倶楽部』についても、これまた活動記録が異常に少ない。布教活動を全くしない、外で目立った活動を行わない、拳銃の搬入や短時間の集会程度でしか人の出入りがない、そんな武力組織があるのか?これじゃあまるでタダのごっこ遊びだぜ……気に食わない。引っかかる」

「そう言われても私は探偵ではないから分からないな……それより、『教義(DOGMA)』の中身の女のことは調べなくてよいのか?彼らのバックグラウンドを知る上で一番必要だと思うのだが」

「その辺のデータベースよりも俺の方が詳しい。必要ない」

含蓄のある言い方だったが、彩芭は詮索しなかった。かと言って納得もせず、小指で生え際を擦るように前髪を直してみた。暫しの沈黙の後、クロガネも何かしら思うところがあったのか、人差し指でファイルの背を叩いて話題を変えた。

「それより……徹の調子はどうだ」

「寧ろケガをする前より元気そうだ。先ほどもよく足が動いておったよ。今は疲れ切って伸びておるがな」

「……」

 徹のケガの回復速度は馬鹿げていた。『S&RO』との戦闘時にはあれほど血液を垂れ流していた傷も、事務所に帰った時にはほぼ完全に塞がっていた。折れかかっていた肩、脚の骨も今は完全に修復されている。目立った症状としては貧血と肩のかさぶた程度であり、それも日を跨げば全快。ケガの治りが人より早いであろう彩芭もこれには驚愕していた。徹の回復力は導乱前の時点では人並みだったらしく、本人ですら自身の肉体の変容に困惑していた。だがクロガネだけは、さして驚きもせずに受け入れていた。常軌を逸した回復能力が『ROGUE』の特徴の1つであることを知っていたからだった。理解できない、知らないということは恐怖に繋がる。もし男が恐怖を感じたのならば、それは徹の傷が生々しい『牙』のように変化したことへのモノだろう。

 「引き続き、頼めるか?」

「そうしたいのは山々なのだが、個人的な用ができて時間を取りづらくなった」

クロガネは彩芭の唇の色が一瞬薄くなったのと、視線がチラッと腰の『月下楓葉』に行ったのを見逃さなかった。

「御前が教えてやればよいではないか」

「俺は……無理だ」

変な間があったので、彩芭はすかさず詰め寄る。

「何故だ」

男は思わず仰け反る。クロガネは自身の財布の紐くらい唇を固く閉ざしていたが、眉を逆八文字にして睨んでくる彼女の圧に負けた。

「……器用じゃない」

「は?」

「不器用だから教えられねえっつってんだよ」

「ふぅ~ん……そんな理由か……?めんどくせえからとは言わぬのだな」

彩芭は目を細め、納得がいったような、いっていないような難しい顔をした。

「うん、確かに御前は覚えが悪すぎる。変なクセがついておるのか知らんが、私が剣を教えた内でこんなに要領の悪いヤツは見たことが無い」

「……」

「ハッキリ言って徹の方が飲み込みが倍早い」

「そりゃ個人差があるだろ」

「にしても御前は不思議なくらい不器用だ」

「……」

彩芭にはなんとなく、男の顔が微かに曇ったように見えた。クロガネに自身の推測を正直に話すかどうか迷った末、おどけてみせた。

「ガハハハッ!杞憂、杞憂!落ち込むな!フレンと逢うまでには間に合わせてみせるとも」

フンッと鼻を鳴らして両手を腰に当てる彩芭。自信に満ちた彼女の薄い唇を一瞥して、クロガネは椅子をデスク側にキィと回した。顔を逸らしながら、

「本来……お前がそこまでする義理は無い。ああは言ったが、徹のことも気にするな。嫌々協力されるのも迷惑だ、勝手にしろ」

とクロガネは怠さを演出するように言った。

「なんだ?新手のツンデレか……?」

これ以上絡んでもクロガネを困らせるだけだろうと思い、彩芭はくるりと地下室に戻るつもりでいた。しかし、クロガネが貧乏ゆすりをしながら虚空をぼんやりと眺めて頭を掻く様子を見て、何だか放っておけなくなってしまった。

(此奴も此奴で余裕が無いのだろう)

と察して彼に向き直って声をかけることにした。

「そう気張りすぎるなよ」

「気張ってなんかねえよ」

「私は留守番だったからよく知らんのだが、昨日は装導者と2連戦だったと哲也から聞いたぞ」

「別に、どうってことないさ」

「どうってことないことはないだろう。クマがいつもより酷い。昨日、一昨日と一晩中窓辺で黄昏ておったのもあると思うが」

クロガネの肩がビクッと動いた。口を尖らせてキンキン喋る彩芭を、濃いクマで一層悪くなった目つきで見返す。

「お前……見ていたなら声をかけろ」

「クロガネの本質を見たくてのう」

「……からかうな」

若干怪訝そうな声色のクロガネに対し、彩芭がガハハ、と笑うと、

「どうせ『S&RO』戦で自分が来るのが遅かったことについて反省しておる……とかだろう?」

と続けた。するとクロガネは黙り込んでしまった。

「図星か」

「……」

「本質を見るためとか大層なことを言って……カッコつけるなら最後までカッコつけたらどうだ」

「うるせえ……勘が良いヤツは徹だけでたくさんだ」

「私の勘がよいのではない。御前が分かりやすすぎる」

「そうかい」

得物を持ちながら話すのは些か気が引けたか、彩芭は紅色の竹刀袋と木製の竹刀置きをどこからともなく出現させ、そこに竹刀を丁寧に置いた。男が

「おい、今どこから出した」

と尋ねると、

「『月下楓葉』から取り出した」

という禅問答のような答えが返ってきた。

 彩芭曰く、『月下楓葉』の鞘には自分の所持品を重量や体積に関係なく保管しておけるのだという。それによる鞘の重さの増減などはないそうで、まるで青い二頭身のアイツが標準装備している四次元収納のそれである。ただし『月下楓葉』の鞘の場合、「これは自分のモノである」という彩芭の確固たる深層意識がなければ収納できない。例えば、自腹で購入した洋服ダンスはしまっておけるが、かなり前に師匠から貰った簪は未だにしまっておけない、など。これがなかなかに不便なのだ、と彼女は言った。そんな説明をした後、彼女はクロガネのすぐ横のデスクに腰を下ろした。

「ほら、話してみよ」

「何をだ」

「御前が話したいことだ」

 彼女は肘をついた腕に頭を預け、クロガネの方を朗らかに見つめる。時間が止まったかのように、鬱陶しいくらい暖かい。じんわり照りつける陽光は彼女の襟元や袖口に光と影のコントラストを与える。腕に刻まれた幾つもの古傷も微かに浮かぶ。深い湖のように凛とした瞳には、ようやくデスクワークが様になってきた男が映っている。これらは、導乱という曖昧な争いにおける、久寿米木彩芭とクロガネという人間が確かにいることの存在証明にも思われた。男は自分がこのような包容力のある視線を受けたのはいつぞやだったろうかと、少し懐古的な気分に浸りかけ、気が変わらないうちに我に返った。

「そう易々と……」

「ハッキリ言ってみろ、楽になるぞ」

クロガネは黙っている。

「徹には決して言わぬよ」

「……」

「なあ、私と御前の仲ではないか」

「どんな仲だ」

「友だ」

相も変わらずグイグイ来る。「いいや、お前は友人ではなく一時の協力者でしかない」と、普段のクロガネならそう言ったかもしれない。だが、言えなかった。別に彩芭という人間を信じてみたくなったワケでは無かった。この時の彼は、彼女の圧のせいか、自分のポケットの中身を見せることが有益であるような気がした。たとえ彼女が敵だったとしても。

(気遣いは無関心の裏返しだと切り捨てるのは、損だ……)

と自分に言い聞かせた。

「……良いだろう。これからの作戦にも関わるかもしれない……今回の、俺の過信を話そう」

彩芭に利用されているような気がしなくもなかったが、ともかく、男は気が変わって話し始めるのだった。

「クロガネ。その前にコーヒーを頼む。砂糖マシマシで」


 装導者が現れた場合、警察から目撃情報及び被害状況の連絡が『導関連対策所』に入り、現場へ3人で向かい制圧……というプロセスがクロガネの理想だった。『ROGUE』である徹が莫大な引き寄せ効果を発揮して“避導針”の役割を行うため、装導者の出現地はある程度絞れる。また、フレン・ダーカーが『導関連対策所』で装導を無効化されて返り討ちに遭った、という事実を哲也や情報屋諸々を使って流すことで、事務所近辺での活動を抑制できている。そのため、出現地をかなり予測しやすくなっており、迅速な掃討を行いやすい。

 とはいえ、メンバーに『ROGUE』がいるのだから良いこと尽くしというワケでもない。交戦時は徹のおかげで敵の行動予測がしやすいが、彼を最優先に防衛しながら戦わなくてはならないという欠点がある。ただ、装導者は戦闘狂じみているために、直接徹を狙うより名が知られている『STEEL』と優先的に戦う傾向が強く、大きな問題とはなり得ていない。さらに、彩芭という規格外の戦力がデメリットをカバーし、マイナスをプラスにまで引き上げている。総じて、事象がうまくかみ合った強固なシステムとなっており、余程のイレギュラーが襲来してこない限り、懸念事項はほとんど無いと思われた。

 1つ些細な問題があるとするならば、“事態が起きてから警察からの連絡が来るまで”と“連絡が来てから現場への到着まで”にラグがあるという点だった。日々ト市の『導』の動きをリアルタイムで“捕まえる”ことができる【キャッチ装置】が使えた頃は有り得なかった。が、事態が起きた後に出動するのだから当然といえば当然のことである。

「ほう。監視カメラなどをうまく用いれば、事前に動くこともできそうなものだがな」

「警察からの圧力もあって難しい」

「……本当にそれだけが理由か?」

「事が起きる前に行動を起こすことを俺が好まない」

「何故だ」

「色々めんどくせえからだ」

だるそうに頭を掻く。

「御前な……」

「いつも事態は向こうからやって来る。こちらから動く必要はねえんだよ」

「……まあよかろう。続けろ」

彩芭は静かにコーヒーを口に運んだ。

 些事と思われていたラグが、実際は徹の単独行動、そして『S&RO』との交戦に繋がった。こうなった原因は2つあると、クロガネは考えている。

 「1つ目は、“徹が俺を頼ると思っていたという過信”だ。俺の後ろでガタガタ震えているだけのヤツだと思っていたが……」

「やる時はやるヤツだったな」

「ああ。俺の考えが甘かった。『あの男』と似て……理屈を語る割に本能で動き、正義感の強い……」

少し間を空けてから、クロガネは何かを思い出したかのように、

「本当にそんなヤツなのか……?」

とこぼした。

「おい!なんだハッキリ言え!」

顎に手を置いてそれきり黙ってしまったので、彩芭は渋い顔で肩を小突いた。

「いや……アイツが……徹がマッチポンプを狙って単独行動をした可能性はあるか?」

「あるか?と聞かれても困る。有り得ん。あのガキにそんなことができるワケが無いし、する意味も無かろう」

「……そうだな。すまない。魔が差した。2つ目について話す」

彩芭はクロガネの言動の意図が全く分からず、ただ困惑するしかなかった。一先ず、話を進めるのが先決と思った。

「2つ目はアレか?あの謎の女のことか?」

「ああ。『詩恩』だ。イレギュラーとは滅多に出くわさないだろうという過信があった」

 詩恩の干渉という想定外の出来事。いくら『導関連対策所』の能力にムラがあると言っても、緻密な防御であるから『導』を用いた簡単な干渉は100%カットできる。しかも詩恩が用いたのは、たかがテレパシー能力。戦闘において直接的な妨害、攻撃として働かない能力は、かなり微弱で簡易的な『導』で行われ、『導』の防御を突破する手段を持たない。とすると、詩恩にはその防御を搔い潜れる極めて高度で特殊な力を持っていたことになる。それが“能力の本質”か“技術”かはハッキリしないが、いずれにせよ、何らかの想いを持って徹に接触したのは確実。彩芭は欠伸をしながら身体を仰け反らせて、

「女に唆されてホイホイ行ってしまうとは……全く、徹はチョロいヤツよのう。私も今度、色目を使って何か買ってもらうとするかな……!」

「徹はコイツの『導』が見えなかったと言っていたな」

「無視か……まあ、すると、詩恩は徹に敵意が無いということか?」

「所詮ガキの憶測だ、真に受けるな。それに……以前よりよく見えるようになったとも言っていた」

クロガネはデスクから緑青色の手帳を取り出し、一昨昨日の日付である“7月29日”の欄に殴り書きした内、

【深層心理を読める可能性→低い?】

というメモを見ながら、

「あるいは、コイツが持つ『導』が余りにも弱かった場合、感知もできねえだろうよ」

とだるそうに言った。

「さあ、俺は全て言ったぜ。見返りに何を求める」

「は?何も要らぬよ。今貰ったからな」

「何か意図が無きゃあ、俺の悩みなんてわざわざ聞かねえだろうが。で、何の情報が欲しいんだ。さっさと言え」

「本当に全然他人と関わってこなかったのだな……」

「今関係ねえだろ!」

「じゃあ御前とフレンの過去について教えろと言ったら?」

「断る」

 まあそうだろうな、と彩芭が口角を上げて頷くと、地下室への扉がギィと開いた。

「暑すぎ……し、死ぬ……」

四つん這いでゆっくり出て来たのは、汗をダラダラかいてゾンビのように這いずる徹だった。

「彩芭さんなかなか帰ってこないから……っていうか、なんで全然平気そうなんですか……」

「これくらい“至極”当然朝飯前。御前が運動不足なだけだ。“しごき”ですらない」

「にしてもキツすぎですよ……」

「今回のようにとまでいかなくとも、導乱が激化すれば、御前が装導者を迎え撃たねばならぬ時が来る。ましてや生身だ、キツいなどと言ってはおられぬぞ!のう、クロガネ?」

「あ?ああ」

「いや、まあそうですけど限度ってモノが……あ、そうだ!これからはクロガネさんが教えてくださいよ!」

彩芭は男の方をチラッと見た後、

「いや、クロガネは『導』のことを理解している分、私のよりもさらに実戦的だ。この程度で音を上げているようでは、足手纏いのレッテルを貼られても仕方あるまい」

「ぐぬぬ……血も涙もない……」

徹が力を振り絞って浄水器からグラスに水を注いでいる時、クロガネが

【ロストテクノロジーを用いる未確認勢力アリ?】

のメモを見て、

「あー、確認だが、『S&RO』以外にも装導者がいたっつってたよな?」

とオフィスチェアに座ったまま徹に尋ねた。

「あ、はい。本当に装導者なのかも分かんないですけど」

「洒落た名であったな。何といったか」

彩芭はコーヒーを飲み干したのか、口を親指で拭いながら言った。徹は名前の内、数字の部分が何だったかを思い出そうとしていた。

「ええっと、確か――」




 「『JOKER』……。陳腐な思想を持つ人間が生み出した、旧時代のジャンクです。前回、装導者に取って代わるであろう存在として登場したと記憶しています」

フレン・ダーカーは、防護服に身を包んだ集団に回収されていく『JOKER-1.5』の残骸を映した連続写真を見て、流暢にそう説明した。彼女は鴉の意匠があちこちに象られている玉座に座していた。舞台衣装で使うミモレ丈スカート付きの軍服のような、優雅な純白の服を着こなし、威厳を佇まいだけで示している。

「どういったモノなのでしょうか?」

そう尋ねるのは彼女の側近、翼。軍服とスーツの間のような白い服を着用する彼は、タイルに片膝をついて跪いている。

 この施設が元は教会だったことが最もよく分かるのが、今2人がいる大広間である。ステンドグラスや椅子の配置、滑らかな柱の造形などから、聖堂を改造して造ったものであることが窺える。フレンの後方、祭壇背後には祭壇画の代わりに、彼女の何十倍もの大きさの壁画が飾られている。逆光でシルエットとなっている神らしき者から、飛翔する烏が知恵もしくは力を授かる様が描かれている。

「大したモノではありません。単なる着ぐるみです。無限に溢れる想いを纏う装導者達には、手も足も出ませんでした」

「では何故今になって……」

「さあ……?」

室内に響く艶っぽい声で即座の返答を避けた彼女は、微笑んでいた。悩み事ですらないという、それどころか、例えば片手間に余暇の予定を決められるような余裕さえありそうだった。

「『ブライトファング』が研究施設ごと残機を全て破壊したと聞いています。バックアップが無いそれにもはや価値があるとは思えませんが……目下の脅威にはならないでしょう。今は『ROGUE』を手に入れることだけを考えた方が良いかと」

「そうですね」

翼が頷くのを見ると、フレンは肩の凝りをほぐすように首を回した。ステンドグラスから入る光と目が合い、眩しそうにした後、

「体調はかなり良くなりましたし、準備も整ってきました。翼さんはもう戻っていただいて大丈夫です」

と穏やかに命じた。


 例えそれが友人であろうが家族であろうが、幸福を乱す者であれば滅ぼすのみ。善良な、光る心を持つ者が生きられれば良い。そうすれば世界は昨日より平和になるから――前回の導乱に参加し、『ブライトファング』と『ROGUE』の脅威を知った彼女は、前述のような理想を掲げて仲間を集めることにした。導乱終了後も少しずつ力を付けていったその組織は、現在では『光心倶楽部』という名が付けられている。メンバーは全員装導者で、『教義(DOGMA)』でオーバーライドされた装導、『神託(ORACLE)』を用いて正義を執行する。所属している者のうち約3分の2は、リーダーに深く共感している者で構成されている。残り3分の1は浅い共感、つまり憧憬でしかない。そんな彼らを繋ぎ止めているモノは、彼女のカリスマ性と圧倒的な強さである。硬く、脆い関係なのだと、皆分かっている。そして、それで十分であるとトップたるフレン・ダーカーは思っている。目的は信仰ではない。結果的に煌黒装導が視界に入れば、過程などどうでも良いのだから。


「翼さん。フレン様のご容態はいかがでしょうか」

大広間から廊下に出た翼の前に現れたのは、フレンのもう1人の側近だった。

静美(しずみ)か。全快まではもう直ぐだろう」

焦茶の髪を後ろで結んだその女も男と同じ服を着ていた。生まれつきのモノか、眼差しはどこか焦燥や不安を感じさせる。唇の色は紫に近く、「幸薄そう」と思われやすい。男の方はオールバックの髪型とどこかふてぶてしい垂れ目が特徴的だった。また、痩せた頬の印象のせいか、年齢は上に見える。

「なぜ待ち伏せをしている」

「言い方に悪意があります。今回の件に限り、私は特に力になれると思い、広間に入ろうと扉に近づくと、」

「私がいた、と?」

「はい」

翼は後ろに手を組んで、静美の顔を疑り深く覗き込む。

「何に貢献できる?」

男は

「私は『STEELファング』のことをよく知っています」

「ほう。具体的には?」

「はい。彼は中高大時代の先輩で、同じ団体に所属していました。昔のことは何でも……」

「違う違う。()()()『STEELファング』のことを知っているのかと聞いている」

「それは……いえ……」

「過去などどうでもいい、フレン様が欲しい情報は今の『STEELファング』だ」

「ご本人がそう仰っしゃったのですか」

「あの方は『STEELファング』の昔馴染みだった。これ以上過去の情報など必要ないと私が判断した。私は『光心倶楽部』で仕えている期間で言えばお前より長い。お前よりフレン様のことを理解している。それを忘れるな」

「……はい」

彼女の無愛想な返事を翼は特に気にしなかった。彼は書庫の方へ立ち去った。すれ違う時、コロンの強い香りが静美の鼻腔に侵入した。思わず鼻を押さえそうになる。

「……そういうところよ。何も分かってないじゃない」

彼女は聞こえないくらいの声でそう言った。

 (2連続で部下と話すのは、フレン様が嫌だろう……)

と、Uターンして翼と逆方向に歩き出した時、端末にコールがかかったため、早足で広間へと向かった。


 広間へ入ると、フレンがにこやかな笑みを浮かべて玉座に座っていた。

「『正義の子』の仕上がりはどうですか」

静美は素早く片膝をついて忠誠を誓う姿勢をとった。

「精度自体は極めて高いです。しかし……」

「精神力が追い付いていませんか」

「はい」

「でしたら静美さん、引き続き彼のサポートをお願いします」

「ご指示とあらば」

頭を垂れ、そのままの姿勢を保ち続ける静美を見て、フレンは優しく尋ねた。

「何か不安なことでもありますか」

「いえ」

「嘘は身を滅ぼします」

「……」

「言ってご覧なさい。静美」

懐かしい呼び方に、彼女は思わず顔を上げた。フレンの視線はふんわりと暖かく、人を惹きつける特別な透明感があった。その視線が自分に向けられると、今でも静美はプレゼントを貰った時のような高揚を覚える。

 けれども、分かっていた。彼女の視線は誰にも向けられていないということが分かっていた。心の中を見透かしているように見えて、その実、彼女の目は遥か遠くあるいは有り得ないほど近くの虚空に焦点が合っている。献身も慈悲も仮初めでしかない。彼女は誰にも等しく優しさを与えているのと同時に、誰にも本当の優しさを与える気が無い。強いて言い換えるなら、その全てはクロガネに優先的に与えられている。彼女を導乱に間接的に導いたのは彼だから。これらが分かっていても、彼女は縋りたかった。

「あの……私は……」

「ゆっくりで構いませんよ」

透き通るような瞳が釘付けにする。

「私は、フレン様という人間が好きです。ですから……でも……いくらなんでも、フレン様がクロガネ先輩と戦わないといけない理由なんて――」

 その時、侵入者を知らせる警報音が鳴り響いた。何回かの衝撃音と呻き声の後、低い爆裂音が轟くとともに大広間の扉が勢いよく弾け、粉塵が立ちのぼった。

「何者だ!」

静美は手のひらサイズになった装導を取り出し、顔の横で構えた。振り返り、入口を見つめる。彼女の視線の先にいたのは、3人の装導者だった。

「悪いなー、入口がやけに柔いもんで」

ややエコーがかかった声でそう話すのは、全身トゲだらけの緑色の装導者だった。彼の隣には四つん這いになった黒いピクトグラムのような装導者と、ガタイがいい力士のような真っ赤な装導者が待機していた。

「『スティンガー』、『(うつつ)』、『カイザン』……皆さんには『ROGUE』の破壊を依頼したはずですが」

フレンは玉座に座ったままゆっくりと尋ねた。

「アンタ、俺達に『ROGUE』の殺害を依頼しておいて横から失礼奪っていくつもりだったろう、え?」

緑色の装導者、『スティンガー』が怒鳴ると、当然のことを説明するように、

「ええ。それが何か」

「それが何か……だと?」

「はい。悪党の貴方がたを用いて敵戦力を削れば一石二鳥、最も()()ですから」

「てめえ……」

静美が

(この人達、知らない……フレン様が殺し屋を雇っていること……私は知らない)

と困惑していると、侵入者の後ろから翼が現れ、手のひら形態の装導を構えた。

「フレン様が手を下す必要はありません。私が――」

しかし翼が言い終わる前に、フレンが右手を前に出して制止した。

「自分の手を汚さない指導者は、本物とは言えません。私自身が執行することで『教義(DOGMA)』は初めて『教義(DOGMA)』となり得る。それに、この場で裏切り者を始末しておけば……」

ゆっくりと視線を『スティンガー』の方に移していく。

「良き戒めになるでしょう?」

先程まで静かで朗らかな視線だったモノは、ドス黒い眼光に変わっていた。

「……会話になってねえな……裏切り者は、お前だろうが!」

「非常に残念ですが、貴方達にはここで死んでもらいます。我が半身、『教義(DOGMA)』によって」

待ち望んでいた戦闘の始まりを察知したか、『カイザン』と呼ばれる赤い装導者だけが単身突っ込んで行く。

「ドグラだかマグラだか知らねーが、死ぬのはお前だ!フレン・ダーカー!」

「我が正義の前に平伏(ひれふ)せ」

手に現れた光剣をフレンが地面に突き立てると、閃光とともに、首から上が簡素な骨組みでできた歪な天使像、『教義(DOGMA)』に変貌した。

「待て『カイザン』!ヤツの能力が分からない!協力すべきた!」

『スティンガー』が忠告したが、聞き入れずに突進し続ける。

「俺のは1対1じゃなきゃ意味ないんでなあ!」

目の部分を覆うように巻かれた縄から緑色の瞳が覗く。同様の縄が巻かれた手を叩くと、縄は炎上し、彼と『教義(DOGMA)』を囲むように炎でできた土俵が出現した。さらに土俵の縄は捕縛する。

「ここからさらに確かに強力な能力です。もしうまく立ち回れたら、後世に名を残せていたかもしれません」

教義(DOGMA)』の眼を形づくる白い炎が勢いを増し、光剣はさらに強く光り輝いた。襲撃者の内、『スティンガー』のみがそのことに気づいた。

「何かがヤバいぞ!気をつけろ『カイザン』!」

『カイザン』は既に勝利を確信していた。構わず張り手の構えで突っ込んでいく。凄まじい爆炎に加え、瘴気と呼ぶべきか、能力由来のモノと思われる“『教義(DOGMA)』のような嫌な何か”が彼を包んでいる。全貌の見えない超常だが、フレンは当然意に介さなかった。

「しかし、墓石にすら貴方の名は刻まれない。『教義(DOGMA)』の前ではどのような栄光も奇跡も、全て沈黙へと立ち返る」

「ゴチャゴチャうるせえっ!」

彼の腕が顔面に届くという時、『教義(DOGMA)』が淡く光った。その瞬間、『カイザン』の能力で創られたモノは、全て炭酸のような泡に変わった。土俵も炎も彼を包む瘴気も、全て夢だったかのように消え失せた。『カイザン』が「あっ」と思った時には『教義(DOGMA)』の光剣で膝を切られ、転んでいる途中であった。勝者は明確だった。が、フレンはそのまま地面に寝かせてやるようなヤツではない。彼が膝を付く直前、『教義(DOGMA)』は首を掴み、持ち上げ、離した。

「『起導』・『Parabellum Slash』」

発声とともにその場で跳んだ『教義(DOGMA)』は、振り向くように回転し、燦然と輝く一太刀を浴びせた。放たれた光の粒子と『カイザン』の頸が宙を舞った。地に落ちた彼だったモノはもう二度と動かない。

 『現』は『スティンガー』に、

「確かに、ここは一旦協力すべきだ」

と言ったが、返事は返ってこなかった。ぐったりと倒れている彼の身体は斜めに両断されていた。装導は解除されていないが、既に息絶えていた。断面からは装導の“エッセンス”だか血液だかよく分からないモノが未だ溢れ、気化し続けていた。『現』は起きたことを受け入れられず、四つん這いのままその死体を見続けていた。いつの間にか集まっていた構成員が『教義(DOGMA)』を見て驚嘆していたことなど、気づきもしなかった。フレンが光剣を血振りして、揺らめく瞳をこちらに向けていることなど、気にもしていなかった。

「私の『起導』の射程は120m。特段長いワケではありませんが、貴方がたの排除には充分過ぎる」

「そうか。生憎俺も退く気は無いよ」

嗄れた声でそう言った『現』は、能力で自分の影だけをどんどん大きく、濃くさせていった。しかし、それもたちまち泡となって元の大きさに戻った。

「……なるほど。能力の無効化か。お前にピッタリのいじらしい魔法だな」

「私の何を知っているのですか」

教義(DOGMA)』は自動拳銃を片手で構えた。目の前10数センチ先に拳銃を突き付けられても、『現』は動じない。

「何も知らないさ。でもお前が寂しいことはよく分かる」

「言い残したいことはそれだけですか」

「教えてやる。お前は決して勝ち残れない。孤独は人を強くさせるが、強いだけでは勝てない」

「……今の私には仲間がいます」

「解釈の違いだ。以上だよ。さあ、煮るなり焼くなり好きに――」

乾いた音が3回木霊した。しばらく残響が空気を揺らした後、大広間は何事も無かったかのように静けさを取り戻した。襲撃者3人が装導ごと斬殺もしくは銃殺されて血液等をぶち撒ける様は地獄絵図だった。が、これもまた、この世界のどこかで起こる導乱の1つでしかない。



 「遺体の処理は皆さんに任せます」

「……はい」

静美の顔色は大層悪かった。横の翼はそれを咎めるような視線を送り、彼女は頷いた。こういったことは何回か経験しているものの、いつまでも慣れなかった。納得していなかった。

「あの……フレン様……」

「すみません。後で良いでしょうか。3日後の予定でしたが、あまりのんびりしていられないようです」

いったいいつから平気で人を殺せる人間になってしまったのか。静美はフレン・ダーカーの何を信じてきたのか分からなくなった。分からなくなったのに、なぜ未だ彼女を信じ続けるのか。静美はもう、何も分からなかった。

 闘争本能の増大と思考の表出は、確かに装導と導乱が影響している。しかし、装導者の本質を変える力までは無い。元よりフレンが他人の考えを強く拒絶する人間だったということに、静美は気づくべきだった。静美側が良いように解釈しすぎただけ。目的のためなら手段を選ばない。それが彼女の本質にして装導者となれる由縁なのだ。

「翼さん。総員に連絡を。明日(みょうにち)正午、『ROGUE』の奪取を決行します」




 「……俺の知る『JOKER』の情報はそんなもんだ」

事務所の2階。ちょうど出来上がった素麺が食卓に置かれた時、クロガネは疑似装導『JOKER』の説明を終えた。彼はいつものシワシワのスーツを着ていた。彩芭は紅色のジャージに、徹は紫のTシャツとグレーのズボンに着替えて、うんうんと頷いている。

「うむ。成る程な……つまり、『JOKER』と情報過多で韻を踏めるというワケか」 

「今まで何を聞いていた?」

「専門用語が多くて……それに『導』が関わるとさっぱり……」

気まずそうに小さくなる彩芭の横で、徹が小鉢に取った素麺をジュジュジュと啜り終えた。

「要するに、『JOKER』はあんまし強くないし、これからも強くなることは無いってことだと思いますよ」

「大体そんなところだ。さあ、俺が作ったんだからよ、伸びない内に食え」

2人が頷いたのを確認すると、クロガネは食卓の中央に鎮座する素麺を手元の麺鉢に取った。

「ふむ。よく此奴の言うことが分かったな」

「なんとなくですよ。まあ、確かに僕も、クロガネさんの言い方が悪かったのかな、ってちょっと思いますけど」

「そうだよな!やはりそう思うだろう!この男は説明不足なのだ」

「んー、でも……あ、いや、やっぱいいです」

徹は生姜チューブに手を伸ばして誤魔化す。

「言いたいことがあるならハッキリ言えって言ってんだろうが」

徹がチューブに触れる前に、向かいのクロガネがパッと手中に収めた。

「あっ!もう……僕が言いたかったのは……だから……伝えたいことがあるなら、伝わるように言った方が良いんじゃないかな、って……僕も同じだから……分かるんだ……」

徹はクロガネの本棚の方に目を逸らしてモゴモゴと、

「クロガネさんは僕にハッキリ言えって言う割に、いつも説明不足じゃないですか……だから……フレンさんにも考えが伝わってないかもと思って……素直に気持ちを話したら、戦わなくても良くなるかもしれないじゃないですか」

と続けた。彩芭は

「食事中に暗い話はやめろ」

と言いたげだったが、目を閉じて黙っていた。

 しばらく黙って箸を置いていたクロガネだったが、また素麵を麺鉢に取り始めて、

「それで解決するなら……導乱は起きねえよ」

と低い声でボソッと言った。



 話はそれで終わらなかった。徹が自分の予測を話したのだ。

「多分、フレンさんもクロガネさんと同じで、きっと……不器用なんですよ。だからあの人も自分の考えをちゃんと言わないんだ」

「……急に何の話だ?」

クロガネは徹が言ったことを理解できなかった。フレンが不器用な人間だなんて、今まで考えたことが無かった。

「装導って、その人の想いそのものなんですよね?」

「ああ、そうだが……おい、何の話をしている?」

「なんとなくですけど、『教義(DOGMA)』の能力がああなのって、フレンさんは寂しいと思っていて、それを伝えられないからだと思うんです」

「何故……そう思う?」

「なんとなく、です……」

徹の見当外れの妄想か、『ROGUE』由来の勘の良さか。前者だったら問題はない。しかしもし後者ならば、クロガネはフレン・ダーカーの人間性を、全く理解していなかったことになる。



第玖話【純情原理】-END-

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