第捌話【THOR & ROGUE】
【rogue】〈名〉
①(憎めない)悪漢;いたずらっ子、悪がき。
②悪党、ごろつき;ならず者。
(『ジーニアス英和辞典 第5版』より抜粋)
キラリと光る額の汗は、ひとりでに輝いているのではない。光源までは1億4960万km。昇り途中のお天道様は、鏡に映る自分の光に酔いしれるばかり。浮世に蔓延る影など眼中に無い。そんなモノ、首をちょいと傾げれば見えるのに。でもやらない。きっとそれは僕も同じ。
「離さないんだったら……撃ちますっ!」
装導者の前に無策で飛び出したこの馬鹿は、僕だ。鼓膜には、拳銃がカタカタ震える音と心臓がドクドク言う音だけがこだましている。そこにドスの効いた低い声も加わった。
「何?今なんつった、ん?」
橙色の装甲を筋肉のように纏い、鬼瓦と獅子を融合させたような顔を持つ、図体の大きい装導者。あくまで鎧であるから、決してグロテスクな見た目ではない。しかし禍々しさと蒸気を全身から発する様は、僕と少年を萎縮させた。
「『離さないんだったら撃ちます』、今そう言ったか?そうかー、なら離してやるよ」
「ぎゃっ……!」
発光する岩石のような腕から力が抜かれていき、少年はドサッと地面に落ちた。尻から落ちるや否や、今逃げるしかないと分かったようで、彼は一目散に階段へと駆けて行った。視界の隅にフェードアウトするその時、僕は敵意を感じとった。
(『導』が左手に集まって……これは!?)
「この人、マトモじゃないっ!」
僕は全神経を脚に集中させ、飛び込むように少年を押し飛ばした。僕と彼が地面に伏せるカタチになった時、背中の方に衝撃を感じた。直後、後方で地響きが轟く。
「お前……なぜ避けられる?」
間一髪、攻撃が飛んでくる前に少年を突き飛ばすことができた。何かしらの飛び道具を使ったのだろうか。少しでも遅れたら消し炭になっていたに違いない。
「お、おにいさんだいじょうぶ!?」
「僕のことはいいから!早く逃げて!」
「う、うん……」
少年は今度こそ導乱から離脱できた。それを見届けて頭の砂を払おうとした時、肩が上がらないことに気づいた。
「いっ……た……」
左肩が抉れて流血している。傷口が浅いか深いかの判別は僕にはできないが、砂が多量付着していることは分かった。肩のケガというのはヤバいイメージがあるけど、案外大丈夫かもしれないと、そう思い込むことにした。そうでもしなきゃ、やってられない。僕は肩で息をしながら装導者に向き直り、再度片手で銃口を向け、睨みつけた。
「オマエッ!今あの子を殺そうとしただろう!」
「ああ、そうだ」
悪びれることもせず、きっぱりと言い切る彼に、気持ちで負けるところだった。けど、足の裏に力を入れて何とか堪えた。
「ゆ、許されると、思っているんですか!?」
「これは導乱だ。許してくれるヤツも許さないヤツもいないさ」
一言一句が、こめかみのやらかい部分を突っついてくる。顎に力が入って、声が出づらくなってきた。だけど、この思いを口にせずに、いったい何を言えば良いというのか。
「許さないヤツがいない、だと……?いないはずが無いだろう……!少なくとも……僕がオマエを許すことは有り得ないぞ!」
カラカラになった口で、何とか言い切った。これに対し、装導者は暫し動きを止めた後、肩を震わせて笑いを堪え始めた。
「俺を許さない?お前如きがか?ククク……クックックックッ……そうかそうか。じゃあその震える手で撃ってみるか?え?どうすんだよおい」
身体の震えは未だ収まらない。こうなると、いよいよ拳銃は脅しにも使えない、タダの玩具に成り下がる。
「それとも、アレか?まさかお前が……」
そう言ってから、装導者は何かに気づいたように首をこちらに傾けた。
「まさか……お前が『ROGUE』か。なら、死ね!」
口調がさらにドスの効いたモノになった後、彼は明滅する拳を振りかぶった。
(攻撃が……来る!)
こうなれば生存本能に任せて回避するのみ。拳から振るわれたのは、先ほどと同じ攻撃。真正面から発動を見たことで、それが砂の塊であることが分かった。恐らく、砂を操り、飛び道具として使う能力。今度は低い軌道で、地面を抉りながら飛んでくる。到底避けられる攻撃範囲と速度ではなかったけれども、流石は僕の『ROGUE』、軌道が鮮明に見える。首に掠るギリギリで、完全に回避することに成功した。軌道の先にあった後ろのコンクリートが、代わりに粉微塵に砕けた。
(能力の詳細は分からないけど、1度でも当たれば……終わりだっていうのは分かる)
『導』が示す方向を見ると、装導者が既に2発目を発射していた。どうすれば良いか考えている暇は無い。とにかく逃げる、それしか頭に無い。ただ、逃げるということに関しては有り得ないほど冷静だったのは良かった。射程が短い代わりに、高威力で攻撃範囲が横に広いモノが来ると分かる。鎌のように鋭く差し込んできたそれに対し、
(後ろに走って致命傷を避ける他無い)
と考えられるほどには落ち着いている。振り返って全速力で走った。きっとフォームはめちゃくちゃで遅かった。けど、前転2回をした後に、ひねりを加えて反転したことで、これも何とか避けられた。ただ、衝撃の範囲は見えていた分より広く、多少のダメージは覚悟しなければならなかった。
「その派手な避け方は何だ?漫画の見すぎか知らねえが、無駄に洗練されている」
「クロガネさんの真似をしているだけです!」
本当にその通りなんだからしょうがないだろう。
「ああそうだったなぁ……お前の保護者は『STEEL』……いや今は『STEELファング』か」
装導者は、ふふんっと鼻で笑ってから続けた。
「だったらなぜ一緒にいない?」
「……ッ!」
「答えは簡単だ。アイツはお前を邪魔に思っているからだ。『悪党』で弱くて、生まれながらの負け犬だからだ」
彼は冷ややかな口調で挑発してくる。怒りを抑えろ。強がれ。
「ち、違う!僕1人でも戦えるって……クロガネさんに、信じられてるから1人なんだ!」
「へえそうかい。だったら証明してみろよなぁぁ!!」
うねるように追尾してくる砂の塊が連続で撃ち込まれたけど、これも尻餅をつきながら避けられた。
(『導』の感知……なんとなくだけど分かった。そういうことなんだ)
僕の『導』感知能力が、なぜうまく働くことと働かないことがあるのかがこの時点でようやく分かった。何の根拠も無いけど、この予測が合っている自信がある。
僕が感知できるのは、僕に敵意を持っている相手だけ。逆にクロガネさんやキラさん、詩恩さんは僕に敵意を持っていないから感知できない。おまけに、精度にはまだまだ自信が無いし、あらゆる能力を無効化する『教義』装導には依然として効力は無いから、戦力になるかというと微妙なラインだと思う。とはいえ、僕にとってのハンデになるこの力、使わない理由が無い。うまく使えば……次に繋がるはずだ。
(もしかしたら……掻い潜って至近距離で銃を撃てれば……)
砂の塊は絶え間無く襲ってくる。『導』をよく見て。かわしながら、ジグザグに動いて……。
――無理だ。これが現実。身体も心も避けるのに精一杯。次弾を発射するまでが速すぎる。そして、砂の塊を撃っているだけなのに、攻撃バリエーションがあまりにも多い。集中力が続かない。体力ももたない。まるで『STEELファング』を相手にしているみたいだ。
「うあっ!」
しまった。疲労が限界なのか、何も無いところで転んでしまった。いや違うな、砂がある。砕けて窪みになっていた部分が、砂で隠されていた。多分、彼は“砂の有様”を導く能力を持っている。僕が転ぶように砂を設置していたんだ。それに今まで気づかなかったのは、砂を置いておくだけなら『導』を使わないからだ。感知能力に頼りすぎていたせいで何も見えていなかった。激流の川のような形状をとった砂が僕を目掛けてザアッと飛んで来ていた。命中率を重視した、局所的な攻撃だ。近すぎて避けようが無い。死ぬって分かる。
(くそっ、僕も装導者みたいに、攻撃を殴り飛ばしたり蹴り飛ばせたりできれば良いのに!)
……蹴り……?いや……蹴りなんかより優秀なモノが無かったか?
――特に拳銃の弾丸は、そこら辺の装導の攻撃より断然威力が高い。お前なんかのなまっちょろい蹴りなんかよりもよっぽど役に立つんだよ!
(そうだ!この攻撃に向かって銃を撃てば、威力を相殺できるんじゃないか……!?)
……いやいや、銃を構えてる時間すら無い。でも銃、銃だ、手元の銃しかない。……あ〜〜〜もう、どうにでもなれ!僕は押し寄せる砂に向けて、拳銃を投げつけた。
拳銃自体はすぐに炸裂し、盾にすらならなかった。けれど、装填された6発の弾丸は四散すると共に、砂の塊とぶつかり合い、壁のようにガードしてくれた。拳銃の弾丸という定義に当てはまれば、発射せずとも効力があったのだ。ただ、やはり無理のあるやり方だったようで、
「がっ……!」
ガードしきれなかった分の砂が左太腿と右腕に命中した。卵の殻に入るような傷が広範囲に入る。少し動くだけで、傷口は膝や股関節まで裂けていってしまいそうだ。
「このガキ……変に機転が効く……。ま……どちらにせよ、お前は終わった。まさか、楽に死ぬ道を自ら放棄する大バカ野郎だとはな」
本当にその通りだと思う。もう逃げる手段は失われた。傷口は深く、どんどん血が噴き出る。痛い。楽になるべきだ。観念するべきだ。だけど。
ここで負けたらくやしいじゃないか。
「ぐっ……!うぅっ……ぐあぁっ……!」
僕はノロノロと、生まれたばかりの小鹿のように立ち上がっていた。
「……なぜまだ立つ?」
「人は、『なりたいモノにしかなれない』らしいです……僕は、『諦めなかった方』になりたい……!」
クロガネさんが言っていた『勝つのはいつも、諦めなかった方だ』という言葉。誰が言っていたのか思い出した。思い出せて良かった。クロガネさんの芯にあるモノと僕がなりたいモノはきっと近い。僕が大好きだったヒーロー番組、『銀幕戦士シルバイン』で彼と僕は繋がっている。理解は勇気に変わる。痛いのと怖いのとで、涙は止まらないし、息もうまく吸えない。けど、漏らしてはいない。僕はまだやれるみたいだ。
「何を……何言ってんだお前?“HERO”にでも……なったつもりか?」
装導者が少し狼狽えている。まさか僕が“HERO”に見えたのだろうか。それとも他の誰かにでも見えたのだろうか。
「あんなのが何人もいてたまるかっ!お前はここで死ぬ運命なんだよ。この『ROGUE』が!」
僕が『ROGUE』ならオマエは……
「だったら、弱者を自分の損得だけで弄ぶオマエは、もっと下劣な『小悪党』だ!」
「黙れ。弱者に想いを口にする権利は無い。生まれた時点で負け組のお前には特に」
『導』が集まる。動揺しているからか、先ほどよりも『導』の流れが乱れている。これなら躱せる。使える方の片足で跳んで――
「なっ!?」
踏み込んだその時、突如として足元の地面が底無し沼のように沈んだ。強い力で引っ張られて足が抜けない。
「また砂!?なんで……!?」
さっきまでただの砂だったモノは『導』が作用していて、生き物のように蠢き、足首に絡みついている。
「我が『S&RO』の前に、沈み失せろっ!“HERO”!!」
竜巻のように渦巻く砂が、彼の右腕と共に迫ってくる。僕の敗因はこの装導者が操る超常を理解できていなかったこと。砂を遠隔操作できるとは予想だにしていなかった。あれ程の強さを持つクロガネさんの『STEELファング』でさえ、予め手元に集めていた分しか操作できない。この装導者はそこら辺にあった砂を自由に操作できる、より強力な能力を持つ装導者ということなのか。くやしい。畢竟、僕に待つのは死。それ以外があるとするのならば――
唐突に割って入ったのは、耳を劈く悲鳴のような音と閃く火花。
「誰と間違えてんだ?こんなガキが“HERO”なワケねえだろ」
後方から現れて、僕の前に盾として立ちはだかる、間違えようのないその姿。あらゆる光が吸い込まれてしまいそうなほどの、深い漆黒のボディ。身体の随所に埋め込まれた宝石と同じ色をした、縦に長い赤い三つ目。そして縫合された凶悪な顎。この人の名は――
「貴様は……『STEEL』」
「違うな。お前の敵、『STEELファング』だ」
装導を纏ったクロガネさんが、自分よりも大柄な敵の首元に砂鉄刀を向けていた。どうやら到着と同時に相手の腕を打ち払い、主導権を握っていたらしい。敵装導者は後退りしながら後ろをチラリと見た。その先にはあの剣豪が立ち塞がっていた。
「ぐっ……『般若の面のバケモノ』……!」
「よく知っておるのう。遂に私も有名人か」
その仮面と似つかわしくないキンキン声、地味な装束と対照的に映える紅蓮の手甲と脚絆は、まさしく彩芭さんのモノだった。僕は呼んでいないのに2人が来てくれたことに驚きを隠せなかった。
「ガキのクセによくここまでやった……とでも言ってやる。後は任せろ」
「どうして来てくれたんですか……?」
クロガネさんは微動だにせず、少しの間を空けてから答えた。
「……散歩のついでだ」
「御前なぁ……徹を助けに来たのだと素直に言え。ダサいぞ」
「うっ……」
『STEELファング』の肩がビクッと跳ねる。彩芭さんの言ったことが本当の理由らしい。
「まあ、そういうことにしといてやる……」
そして改めて敵装導者に向き直った。
「さて、どうする『S&RO』。お前の考えている通り、俺には勝てないぜ」
青天の下、南中する太陽に煌めく『STEELファング』の余裕に押され、『S&RO』と呼ばれる装導者はさらに後退りした。彼は何とか言葉を絞り出す。
「……落ちぶれたな『STEEL』。こんなクソガキを護ることにいったい何の意味がある?」
『STEELファング』は『S&RO』を真っ直ぐに見据えて、顎の隙間から蒸気を排出しながら返した。
「意味はあるさ。少なくとも、コイツはお前にクソガキと言われるほどのヤツじゃない。徹は赤の他人を護るために命を賭けた。前を向き、覚悟を決めて自分に勝った。いったい誰がコイツを馬鹿にできる?それに比べ、他人の幸福を蹂躙し、未だに過去の“HERO”と煌黒装導に取り憑かれたお前の方が、余程クソガキだ」
僕が目標とすべき男の鎧からは、お日様よりも寛容で暖かな熱を感じられた。
「……なるほど、な……ああよく分かったよお前の弱さが。装導者の強さは想いの強さ。『ROGUE』に籠絡され、自ら煌黒装導から遠ざかろうとする貴様では俺に勝てん。俺に導かれるのは『STEEL』!お前の方だ!」
『S&RO』は鎧の隙間から蒸気を漏らしながら、橙色に光る右腕を引いて構えた。『STEELファング』はやれやれと溜息を吐いて、首を横に曲げた。
「お前は変わらねえ……その頑固なところがお前の長所なのかもしれない……だがな、だからいつまでも『ブライトファング』に勝てねえんだよ」
相対する装導者はその言葉に激昂したようだった。
「貴様ぁ……その“HERO”の名を出すなぁぁぁぁっっ!!」
ドスの利いた声は心身に轟く。身体が沸騰したお湯のようにボコボコと波打った後、前進すると共に腕部から砂の塊を発射しようとする。
「気をつけてください!」
「分かっている」
クロガネさんは分厚い砂鉄の壁を、しかも3枚も並べた。いくら何でも大袈裟なんじゃないのか。しかし、砂が壁に接触した時、大袈裟でないことが分かった。
(当たった瞬間、砂が針みたいに鋭くなって……)
そう気づいた時には既に3枚目まで貫通している。その威力は『STEELファング』本体をも吹き飛ばし、壊れかけたモニュメントに身体を叩きつけた。
「大丈夫ですか!?」
「ああ。やはり突破力だけなら俺を超えているな」
砂埃から現れた竜人は、左手に円形の盾を持っていた。クロガネさんが立ち上がろうとしている間にも、盾は崩れ落ち続けて原型を失いつつある。
「砂に直接触れなくても遠隔操作できるみたいなんです」
「ほう」
「貴様らに余所見してるヒマがあるのかよなあっ」
ゆっくり話をしている場合ではない。攻撃を意味する『導』がハッキリ見える。
「来ます!真っ直ぐ僕の方に来る!」
「チッ、助けろってか?」
動けない僕の代わりに、クロガネさんが砂鉄の鎖を僕の身体に巻き付け、グイッと引き上げてくれた。攻撃対象を取り除かれた砂の塊は、コンクリートの壁を破砕した。それは上部に植わっていた木々と共に、雪崩のように崩れ落ちた。
「敵を近寄らせないことに随分と長けている。彩芭、一旦お前は下がっておけ」
「ふむ……よかろう」
一連の流れを見守っていた彩芭さんは、自分は適任でないと判断したのか、公園のエリアから素直に離脱した。それを確認し、クロガネさんは1歩進んで構えた。
「さて……生憎『導』の流れは見えないが――」
「つまり、僕を抱えて走るんですね」
こう話している最中にも、マシンガンのように砂が飛んでくる。クロガネさんは僕を鎖で引っ張りながら後方に駆けて、ギリギリで避けた。
「そんな余裕は無い!話を最後まで聞け、ガキが」
「すいません……」
「『S&RO』の売りは攻撃バリエーションの豊富さと突破力。真っ向勝負を仕掛けても良いが、押し切られる可能性を拭えない」
連射された砂のカッターに対しては、同じ数の砂鉄の刃を形成して迎撃する。
「だから短期決戦だ。選択肢が多すぎるヤツほど逆に読みやすい。お前は1発目がどこから来るかだけ教えれば良い。後は俺の仕事だ」
「……?」
「まあ見ておけ。ベテランの動きってヤツを」
大きな背中は『S&RO』に向かってどんどん遠ざかって行く。ならば僕は言われたことをやるだけだ。
敵に接近していくクロガネさんにまず仕掛けられたのは……
「左肩に槍が飛んできます!」
「了解」
『STEELファング』は相手の砂の槍を回避する寸前、砂鉄の槍を投げつけた。『S&RO』は砂鉄の槍の対処に気を取られ、自身の槍の軌道修正ができなかったようだ。クロガネさんは持ち前の身体能力で、受け身を取った状態から素早く立ち上がり、獣のように距離を詰めていく。
「それでも近づくのならばっ」
後が無い『S&RO』は、両掌を構えて砂を引き寄せ始めた。装導の瞳が黄色く光る。空気がさらに張り詰めた。強力な攻撃が来る予兆というモノか。僕は『導』の動きを凝視した。
(さっき投げた槍、まだ浮遊してる……『導』の向き的にも、次の攻撃は後ろからか……?)
とも思ったけど、そんな単純なはずが無い。一見、彼の掌に集まる『導』はクロガネさんの背後を示しているように見えるが、砂の射出方向は全てバラバラ。僕は大声で伝えた。
「ぜ、全方位からです!」
地面からも、空中からも螺旋状の砂が襲う。クロガネさんは砂鉄を展開しようとしたようだったが、爆発力と速度は『S&RO』が上だった。『STEELファング』は、バンッという空気を断つような音と共に粉塵に覆い隠された。火山の噴火のように爆裂し、その衝撃波は少し離れた僕のところにまで伝わったため、吹き飛ばされないように頭を庇いながら屈んだ。勝利を確信したのか、『S&RO』は高笑いしている。
「手応えがある!このまま捩じ切って……」
攻撃の方向を教えるのが遅れたことに、後悔するべきなのかもしれない。けれどもその必要はない。僕はなんとなく気づいていた。クロガネさんの方が一枚上手だって。
「導乱よりもお人形遊びの方が向いていそうだな」
「何……?」
砂埃の中から聞こえるクロガネさんの声。砂のカーテンが晴れた時、その声の主の姿が露わになった。それは、『STEELファング』の代わりに刺し貫かれた、彼を模した砂鉄のオブジェだった。
「いや、お前にはそんな高尚な遊戯は似合わねえな」
オブジェは相変わらず挑発文句を語っている。砂鉄だけでできているのにも関わらず、発声器官まで備えている。僕はその精巧すぎるつくりに驚愕していたが、『S&RO』はそんなことに動揺するほどの素人ではないようだ。レプリカの足首から地面に伸びる砂鉄の糸の元を辿って、瞬時に『STEELファング』の位置を補足し、振り返った。
「後ろかっ!!」
前進しながら拳を振るおうとしたが、時すでに遅し。懐に入った『STEELファング』は、相手の装甲の継ぎ目を掴んでいた。
「っ……いい気になるな……お前程度では“HERO”にも及ばない」
「どうだかなあ」
刹那、『S&RO』を掴む『STEELファング』の腕に大量の砂鉄が、まるでシンク内の水が排水口に流れていくように吸い寄せられた。男は敗北者に、低い声でゆっくり告げた。
「既に運命は導かれた」
その渦の中に、『S&RO』の断末魔は掻き消えた。凄まじい勢いで振動、回転する砂鉄は火花と悲鳴のような轟音を狂ったように撒き散らしながら、スプラッター映画のように対象を惨たらしく寸寸に抉り裂く。掴む手は未だ離れず。ここから逃げる術は元から存在していなかった。目を赤白く光らせて顎の隙間から白い蒸気を噴出させる様は悪魔にも見えるかもしれない。
敵装導が塵となるまで削り切った後、『STEELファング』は、人間に戻った『S&RO』の首根っこを掴んで宙に掲げた。全身の痛々しい切り傷からダラダラと血を流している。これではどっちが悪者か分からない。悪か正義かなんて、どうでもいいことだろうけど。
「かはっ……勝負は、ついただろう……?」
「二度と顔を見せるなと言ったはずだ。忘れたとは言わせねえ」
「そ、それ、は……」
「失せろ」
竜人はぐるりと腰を捻り、生身の彼に後ろ回し蹴りを決め、木々の方へ吹き飛ばした。蹴りが入る時に、メリッという音がしたから、タダでは済んでいないだろう。
彼を蹴っ飛ばした後、クロガネさんは装導を解除した。その時何か呟いていたと思う。
「安心しな。“HERO”はもう来ない」
僕にはそのように聞こえた。
「馬鹿者!」
「本当にすいませんでした……」
「もっと私達を宛にしろ!自分がやれるヤツなのではないかとでも思ったか?経験を積み重ねておらんクセに!」
帰り道、クロガネさんにおぶってもらっていた僕は、面を外した彩芭さんにポカポカ殴られながら怒られていた。つい感情に任せて動いてしまった。やらかした感がすごい。せめて僕自身は僕を肯定してくれるんじゃないかと思って、自問してみると、「徹が悪いと思う」という答えが返ってくるので、やはりここに味方はいない。少年を助けられたのは良かったし、クロガネさんが来るまで頑張って逃げられたっていうのは良かったけど、そもそも最初から2人に頼っていればそんな問題も起きなかったかもしれない。唆してきた詩恩さんのせいかというと、そうではなくて、自分で決めたことだから僕の責任だ。
『心の導きに従え』
これは自由に行動しろという意味だけではなく、自分が選んだ選択には責任を持てという意味もあるのだと、今回僕は学んだ。胸に刻み込んでおくべきことだ。そういう意味では、悪い経験とは言えない……と思いたい。
「人の命を救えたからといって思い上がるなよ!自分の命も大切にできないようなヤツが、他人を護り続けられるはずが無かろう!」
「いやもう……返す言葉がないです……」
「まったくもう……私達が間に合ったからよいものを!なあクロガネ、御前も黙っていないで何か言ったらどうだ!」
「おめえがずっと喋ってっから話す隙がねえんだよ」
「え……すまなかった」
彼女はきまりが悪そうに後ろへ引っ込んだ。クロガネさんはゴミ箱を蹴飛ばすように話し始めた。
「いいか、お前は装導者じゃない、ただのガキだ。『ROGUE』だなんだと特別扱いされているからって勘違いするな。それに、お前の命はお前だけのモノじゃない。自分の行動がどれだけ重要なモノなのか考えろ。次は無い」
彼は堰を切ったように、いつものテンションで話し始め、僕に釘を刺した。
「ごめんなさい……これからはちゃんとします」
「これからじゃねえ、今ちゃんとしろ」
「はい……」
けれども彼は俯いて、自分の影が事務所を出た直後とは逆の向きに伸びていることを横目に見た後、ハッキリとこう言った。
「……でもな、俺はそういう、何かを護るために、泥臭く命懸けで立ち向かおうとするヤツは嫌いじゃない」
「え?」
僕はそんなことを言われるなんて思ってもみなかった。
「『心の導きに従え』っつーのはお前の心に責任を持てっつーことでもある。だが、ガキが何でもかんでも背負う必要は無い。責任は大人に取らせれば良い。自分がやりたいように、自分が正しいと思ったことをしろ。ただし、何か気がかりなことがあれば、どれだけくだらないと思ったことでも言え。それだけは約束しろ」
「は……はいっ……!」
他に言葉が出なかった。僕は大切に思われていたんだ。僕が間違えても、クロガネさんが正しい方向に導いてくれるという確信が芽生えた。安心があった。だからこそ、決して間違えないように、常に考えて生きていきたいと思った。
「お前……泣いてんのか」
「は、はあ?泣いてないですよ!と、ところで僕が『S&RO』さんに襲われてたのってどうやって分かったんですか?」
僕は何だかどうしようもなく恥ずかしくて、すぐに当たり障りがなさそうな話題に変えた。何だかクロガネさんの様子がおかしい。顔は無表情のままだけど何か隠している感じがする。
「どうしたんですか?」
「いや……」
「此奴はな、『待て…人間はな…追い詰められた時にこそ…本性を見せる…』とか言いおってな……」
彩芭さんによると、僕が逃げ回っている時、警察から『朝風徹と装導者の交戦を目撃』との連絡が事務所に入り、2人は急行したのだという。そしてちょうど僕が拳銃を投げて肩と太腿をケガした時に、現場に到着したらしい。物陰から見ていた彩芭さんは突っ込んで行こうとしたけど、クロガネさんが「徹の本質を見たい」と言うから、僕が死にかけるまで動かなかった……という話だった。
(なんて呑気な人達……)
と呆れたが、助けてもらった側だ。あまり文句は言えない。それはさておき。
「彩芭さん、クロガネさんのモノマネめっちゃ似てますね」
「そうか?練習した甲斐があったな、ガハハハ」
「俺そんな三点リーダーみてえなブレスしているのか?」
「してますよ~。クロガネさん、基本カッコつけじゃないですか」
「あ?お前が言うな!『僕がオマエを許すことは有り得ないぞ』じゃねえんだよ回りくどい、ストレートに『許さない』と言え。一周回って死ぬほどダサい」
「なっ!?さっきまでの、と、盗聴してたんですかぁ!?」
「はっ、残念ながら、事務所から出なきゃ使えねえけどな」
僕はすぐにホルスターを覗き、底に貼られたマイクのような機械を見つけた。マジか。怒りと恥ずかしさで顔が熟してきそうだ。僕は握っていた弱みをここで使うことにした。
「大人ってのは……最低なんですね!そんなだから友達がいないんだ!」
「は!?何の話だ!」
「それくらい分かりますよ!僕に電話使わせてくれないのだって、電波を使う装導者がいるからじゃない、電話帳がペラッペラなのをバレたくないからでしょう!?」
「……このガキが」
「ひぎゃっ!?ほっぺビヨーンてするのは反則ですよ!伸びちゃう伸びちゃう!」
クロガネさんが憤慨して僕の両頬を引っ張っていると、彩芭さんが横からひょこっと顔から出し て、
「仲が良さそうではないか。手段は歪であるけれども、実際は互いがうまくやる努力をしているのだな。私がそれぞれの背中を押す必要は無かったか」
と安堵していた。僕は不自由な口角を動かして懸命に尋ねる。
「彩芭さんが、裏工作してたってことですか?」
「そこまでのことはしておらんよ。”心配した”、それだけのことよ。悪い言い方をすれば裏工作かもしれぬが」
「まあ、僕は心配してくれて良かったと思ってますよ」
「そうか?クロガネもそうか?」
「いや……まあ、必要ないなんてことは……なかったぜ」
僕の頬を握ったままブツブツそう言った。
「俺はその……彩芭がいて……助かった。背中を押されたっつうか……」
そこまで言って、「あー、忘れろ、なんでもねえ」とプイッとそっぽを向いた。彩芭さんは狐につままれたような顔をしていたが、最後には満足気にニッコリして、
「ふふっ。2人とも、本当に不器用な奴よのう」
と天を仰いで言った。
この時の僕は、『ROGUE』の運命も『教義』の脅威も、クロガネさんとフレンさんの因縁も、本当の意味では何も分かっていなかった。けれども、明日が今日よりも気持ちの良い日になるということは、分かっていた。なんとなくだけど。
「茶番はもういい……さっさと帰るぞ」
「ん?徹、歩けないのではなかったのか?」
「あれ?歩けちゃいました」
僕の肩と腿の傷はもう塞がりかけていた。傷を覆っていたのはカサブタではなく、獣の牙のような血なまぐさいギザギザ模様だった。
第捌話【THOR & ROGUE】-END-