第参話【導乱、邂逅】
【邂逅】
思いがけなく出あうこと。めぐりあうこと。
(岩波書店『広辞苑』第七版より)
(朝風呂っつーモノはなんでこうも心地良いのだろうか)
湯けむりの中にいる男の名はクロガネ。1階に外付けされた風呂にどっかり浸かっていた。ここ何日か体調が良い。理由は明白、睡眠時間が長くなったからだ(クマは相変わらず濃いままだったが)。彼の保護する朝風徹という青年が、家事と仕事の両方を想定よりやってのけてしまう。料理は早いしうまい。特にカレーは、親から教わったのだろうか、物凄く、うまい。洗濯、掃除、皿洗い、買い出し、ゴミ出し、etc……全部、ちゃんとやる。当初、徹の分まで倍以上働かなくてはいけなくなるのでは、と憂鬱であったが、実際は働く量が減ったのだった。導関連対策所は、他の公的機関の書類関係の雑務をよく押し付けられる。それも徹はかなり要領良くやってみせる。両親が導乱に巻き込まれることを予見して、相当叩き込んだのに違いない。大したモノだが、しかし、このガキの特徴なのか年齢的なアレなのか、文句ばかり言う。今朝も、「なんで僕ばかり」、「理不尽だ」とか何とか言いながら朝食を作っていたか。「クロガネさんが頑張って戦ってる分、僕が家事をやります!」と言い始めたのはお前じゃないか。しかも今朝の朝食は結局自分の分しか作らなかったじゃないか。どっちが理不尽だ。まあ、文句1つ言わないガキはそれはそれで気持ちが悪い。導乱の間の辛抱だ。導乱が終われば俺とアイツは関係無い。アイツが自分の幸せを自分で掴めるような準備をするだけ。それで良い。それが、良い。
「はー……」
なんとなく、溜息を吐く。そして男は、窓の外を見て呟いた。
「お前もあのガキに似てたよ。怖がりで声がデカいところとか」
そう言い終えた後も男は未だ虚空を見つめて舌打ちをし、
「分かっているさ。必ず俺が導乱を破壊する」
と宣言するようにこたえた。
「今日から……始まるんだ」
1階のコーヒーメーカーをセッティングしながら、青年はそう呟く。『オーロラデザイン』を倒してから4日が経ったが、それきり敵装導者の出現は見られない。散歩や買い出しに行っても敵とエンカウントすることは無かった。装導者を探索できる『キャッチ装置』なるモノもあるらしいが、故障しており復旧の目処が立っていないという。それ以上徹はその機械に関して詳しく教えてもらえていない。この『キャッチ装置』についてもそうだが、導乱について詳しいことを教えてもらっていない。全く信用されていないのだろう。逆も然りかというとそれは少し違う。つい最近初めて会った冴えないオッサンを信用する気にはなれないものの、クロガネの人間的魅力というかカリスマ性というか、そういう部分はなんとなく分からないでも無かった。またそれが、見知らぬ土地で暮らすことになった青年の心が、折れない要因であった。とは言いつつ命を預けられるかといえばそんなことは無く。信頼というモノはお互いが歩み寄れば獲得できるというが、信頼していないから歩み寄らないのだ、と徹は自分の心の中で論を展開した。そういう点で言うと、『キラ』――『音響支配』は、その手助けをしてくれたのだろうか。ただならぬプレッシャーを感じさせる女の考えていることは、徹には分からぬ。
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「君が徹くんだね。私は『音響支配』。『キラ』って呼んでね」
『オーロラデザイン』だった男を踏みつけながら、彼の小型化した装導を持ってタバコをプカプカ吸い、丸眼鏡をクイッと上げて、女はそう言った。
「な……何やってるんですか!?」
徹はただでさえ大きめの目を見開いて驚いた。キラは昨晩のブラウスとジーパンの格好ではなく、青のワンピースを着ていた。普通の恰好だ。しかし、なぜか分からないけどこの人はマジでヤバい、関わっちゃいけない、そう青年に思わせるだけのオーラを女は発していた。
「んー、あ、これ?装導はね、使ってない時は小さくなるんだよ」
キラは微笑を崩さず、太陽を背にしたまま答える。女はその小型化した装導をクルクル投げ回す。徹は暫し見惚れていたが、すぐにハッとして言いたいことを続けた。
「違いますよ!ビルの窓が!アスファルトが!『オーロラデザイン』さんが!もうめちゃくちゃに――」
「キラ。お前の用件は何だ。わざわざ危険を冒して連れてきたんだ。つまらねえことで呼んだワケじゃねえだろうな?」
クロガネが遮る。
「うん、徹くんの顔が見たかったっていうのもあるんだけど、4日後に始まる導乱について、整理しておきたい。ちょっと待ってて」
踏みつけていた男を足で払った後、どこかに電話をかけた。発信中、しきりにスニーカーの裏をアスファルトに擦りつけている。徹はひそひそ声でクロガネに尋ねた。
「『チェイサー』さんを倒した時のクロガネさんもそうでしたけど、誰に電話してるんですか?」
「ポリスマンさんだよ~」
キラがウインクしながら答えて徹が驚く。
「私、耳が良いからこそこそ話しても意味無いよ」
電話が繋がってすぐ、キラが必死になって「そこをなんとか」と頭をペコペコ下げ始めた。その間、クロガネが警察について説明する。
「警察には、装導者との交戦後の処理、もとい隠蔽をする部署がある。『オーロラデザイン』の治療だけでなく、アスファルト、ビルの窓、たまたま近くにいた人の破れた鼓膜の治療、その他諸々……隠蔽には骨が折れるだろう。今回ばかりは全額負担してもらう、というワケにはいかない」
「鼓膜?」
徹が聞き返した時ちょうど、キラがスマホを耳から離してクロガネに訴える。
「ねえ!クロガネくんも修繕費等出してくれるよねぇ!?」
「……どうだかなあ」
クロガネは少し考えたが、
「……まあ、人払いしてもらったしな……分かった。良いぜ、払ってやるよ」
と承諾した。『オーロラデザイン』交戦時に近くの人々がほとんどいなくなり、被害を抑えることができたのは、キラが『音波』を用いて人払いを行ったからであった。
「さすがっすわクロガネ先輩。あ、もしもしー、聞こえていらっしゃったと思うんですけど、じゃあ、そういうことなので、お願い致します。はい、はい。ああ、本当にこの度は……はい、いえ、またよろしくお願いしますー。それでは、はい、申し訳ございませんでした。そうですよね、あ、はーい」
キラは高い声でペコペコしながら電話を切って、
「さて、まずは導乱の勝利条件について整理しておこうね」
と今までの話を全て放り、新しい話を切り出した。
「もう俺もお前も分かってんのにその説明要るか?」
「徹くんに教えた?導乱が何の目的で行われているかさえも言ってないでしょ?」
「……まだ言わなくて良いだろ」
「じゃあいつ言うの」
「……めんどくせえな」
「あ、今舌打ちしたでしょ」
徹は2人の口論を心配そうに首を左右に振って見ていた。ずっと無表情の男とずっと微笑している女の口論する様は非常にシュールだった。徹はとうとう堪えきれずに発言した。
「あ、あの、勝利条件なら僕ちょっと分かりますよ」
「え?知ってるの?」
「いいえ。でも推測するに、僕を獲得することが勝利条件の1つ……ですよね?」
キラとクロガネの顔がピクつき、徹を見る。
「……どうしてそう思うの?」
「分かんないですけど、僕が襲われるのは、僕の運命力が働いて、って話だったと思うんですけど、襲ってきた2人はまるで僕を探しに来ているようでした。それに、まだ導乱が始まっていないのに、しかも2人だけが僕を探しに来るのは――なんていうか、『後で勝利に必要になるから確保しておこう』みたいな?根拠は、無いです。すいません、日本語おかしくて」
クロガネがキラの方を見た後、
「……お前、やけに鋭いよな、偶に」
と言った。
「クロガネくん、やっぱり話しておく必要あるんじゃない?」
「……ああ」
「よし、良い?徹くん。君の推測はね、良い線いってるの」
キラが徹の方に向き直り、人差し指を立てて言った。
「そ、そうなんですか!」
「そうだよ」
キラの方がほんの少しだけ背が高いので徹は圧を感じた。背の高さだけの問題では無さそうだったが。彼女は続ける。
「この導乱の全員の共通勝利条件は、『ROGUE』を獲得、もしくは殺害、あるいは殺害した人の殺害をした状態で導乱を生き抜き、『煌黒装導』を手に入れること。だからみんな君の命を狙う」
「『煌黒装導』?『コクコク様』なら知ってますけど」
徹のそれに対し、クロガネがキラの横へ一歩進んでから答える。
「ああ、『煌黒装導』と『コウコク様』伝説はほとんど同じモノだ」
「あのお話って導乱のことだったんですか!?」
「部分的にはな。知ってんだったら話は早い」
「かなりうろ覚えですけど……そしたら、僕が“ありとあらゆる願いを叶える”『煌黒装導』のカギってことですか?」
「平たく言えばそういうことだ」
「……」
「信じられない?」
新しい煙草を出しながらキラは尋ねた。
「いえ、信じますよ。信じざるを得ないですよ、もう。……ただ……怖いっていうか……いや、その、まあ、ビビリなんで」
徹は右手を後頭部に当てて、無理に笑って俯いた。それを受けてクロガネは、
「加えて『ROGUE』は、莫大な『導』を生成できる都合上、装導者を自分の元へ引き寄せる、装導者誘引器だ。これほど『導関連対策所』に適した存在はいない。お前の命だが、それは保証する。身柄の安全確保がお前をここに連れてくる条件だったからな」
と無機質に返した。徹の顔は曇り、何か言いたげだったが、口を閉じた。クロガネはそれを察したのだろうか。
「ガキの扱いとしてどうなんだろうなあ、“可哀そう”、なんだろうなあ」
「……」
「……『ROGUE』っつー肩書きは、お前のことを何も知らない俺達大人が勝手に決めたモノだ。肩書きほど当てにされて当てにならないモノは無い。せめてお前自身は……自分は『ROGUE』じゃねえ、道具じゃねえ、俺は『朝風徹』なんだ、『自分は世界に導かれ世界を導く1人の人間なんだ』って……思っとけよ……名前は一種の『呪』だからよ」
クロガネは言い終わった後、探偵帽で自分の顔を隠した。後ろでキラがニヤニヤしていた。男がいったいどういう意図でそのセリフを発したのかは分からなかったが、しかし男のそのセリフが、徹の心を揺らし、家事を全部やると言ってしまった要因だった。
いつの間にか、警察車両はすぐそこまで来ていた。キラは
「あっ、マズい」
と言い、2人に背を向け、バイバイと手を振る。
「そしたら私は『ハリケーン』と戦ってくるね。2〜3週間くらいは戻らないから。じゃ」
悲鳴のような効果音が鳴ったのと同時に、音響支配は狂騒の中に消えた。
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正午を回ろうとしていた。昼飯を早めに済ませ、2人は事務所1階、6つ並んだデスクの反対側の角にお互いが座っていた。徹はソワソワしながら夏休みの宿題に手を付けていた。クロガネはどっかり座ってコーヒーを飲んでリラックスしていた。3本の針が丁度12を指した時計を見て、
「始まりましたね。なんか……ドキドキしてきました。何かしとくべき、なのかな……」
と徹が強張った表情で言う。青年は両親に電話したかったが、導乱に巻き込まれる危険性があるために止められている。『電波に乗って攻撃する装導者』なんてのもいるかもしれない。クロガネは、
「事態はいつもあちらからやって来る。落ち着いて構えときゃ良いさ。それにお前は何もできねえだろ」
と言った。徹はムッとした。怒りを抑えるついでにクロガネに気になっていたことを聞いた。
「なんでクロガネさんもキラさんも導乱について詳しいんですか?」
「装導を獲得する時に大まかなことは分かる。それに俺達は前回も参加したからな」
クロガネがコーヒーカップを置くためにシンクへ向かいながら、いいか徹、と前置きを置いて話す。
「『導関連対策所』は、『導』由来の脅威への対処を目的とする。それに関する、もしくはそれ以外の事柄に関してはケースバイケース。『心の導きに従え』ってところだ。結構アバウトだが大事だから覚えとけ」
徹がゆっくり頷き、また宿題に取り掛かろうとした時である。コートを着た中年男性が扉を勢い良く開けて中へ入って来た。肩で息をしながら、デスクの空いている席にどっかり座った。
「お茶!喉乾いた!お茶ちょうだい!頼む!」
「めんどくさくて買ってない。水と牛乳しか無いぜ」
「マジで?」
「ああ」
クロガネが男にグラス1杯の水を出す。一気に飲み干して2杯目を要求した。目を真ん丸にして呆気にとられている徹に、クロガネが紹介する。
「コイツは哲也。警察の『導』に関連する部署――何つったっけな、ダセえ名前なんだよな」
「『高異常事例対策部』な?『導関連対策所』ってネーミングも良い勝負だと思うけどね。あー、徹くん、俺は、窓際の部署だが一応警察官だから。よろしく」
軽く敬礼をする。無精髭を生やした小太りの男。目は小さい。肌艶は良く、窓から日差しが当たって輝いていた。人に圧を与えない朗らかな顔立ちをしているが、そういう顔の方がこの職には向いているのかもしれない。
「は、はい、朝風徹です。こちらこそ、よ、よろしくお願いいたします」
「あ〜、いいよいいよ、そんなにかしこまらなくて」
徹が深々とお辞儀しているのを制して、グイッと2杯目の水を飲み干してから続けた。
「聞いてるよ、君の話は。徹くん、クロガネのことよろしくね」
「よ、よろしくお願いします!」
クロガネは、なぜガキが俺の面倒を見ていることになっているんだと思いつつも、再びデスクに座り、哲也を急かした。
「で、何の用件だ」
「そりゃ決まってんだろ。お前達を襲ったヤツらについてだ」
『チェイサー』と『オーロラデザイン』への聴取と捜査の結果、クロガネと徹を襲撃したのは『光心倶楽部』という組織であることが分かった。『フレン・ダーカー』という人物をトップとする教団のような組織である。構成員は数十名ほどのようで、かなり力がある。駅近くの大きな教会を拠点としており、以前から人の不審な出入りが目撃されていた。しかし犯罪を起こしているワケでもないため、大きな問題にもならなかったという。導乱の開始に合わせて動き出した、ということであった。それ以上は分からない。『チェイサー』と『オーロラデザイン』は即席で雇われた者達のようだった。『光心倶楽部』の関与は、徹はもちろん初耳の情報であったが、クロガネは既に見当が付いていたらしい。哲也は眉毛を上げて驚いていた。
「どうしてフレン・ダーカーの仕業だと分かった?」
「導乱が始まる前に行動を起こせるのはあの人――リーダーのフレン先輩の装導しか無い。そして『STEELファング』の名を聞いて相性が良い『オーロラデザイン』を投入できるのは誰か、となったらもう確定でフレン先輩だ」
「さすがクロガネだな。引き続きこちらでも動向を探っておくが、何か分かったら共有してくれ」
「ああ」
「フレン・ダーカーの目的は何か分かるか?」
「『煌黒装導』と『ROGUE』の“破壊”だろう」
「それってお前も似たような――いや、違うな。全く違う。うん、やめておこう。ともかくだ」
徹が“破壊”というワードに引っ掛かりそうだったが、哲也がうまくはぐらかした。
「ああ、分かっている。そろそろ俺も動くさ。まずは『光心倶楽部』の拠点に行く」
クロガネは立ち上がって探偵帽を取り、埃を払ってから被った。
「珍しい、随分行動的だな」
哲也が団扇を机上のファイルラックに突っ込みながら意外そうに言った。クロガネは頭を掻いて、ブツブツとこう返した。
「導乱が始まったらよ……他に始まるモノもあんだよ。ほら、徹、お前も来い。早く準備しろ」
「い、今ですか!?」
休憩が済んだ哲也はまた仕事に戻り、クロガネと徹は教会へ向かうこととした。
『光心倶楽部』までは、徹は『STEELファング』の能力で作った砂鉄の檻で運搬され、変身したクロガネは建物の上を飛び移ることで移動していた。華麗にビルやコンビニ等の間を跳び移り、素早く受け身を取る姿は、クロガネの普段のかったるそうな態度からは想像できない。クロガネが自分の足で向かうのは、『STEELファング』の能力には、砂鉄に自分を乗せて運ぶことができないという制約があったからだった。装導を使った移動は徒歩や車で向かうより大分早く、すぐ近くで浮遊していた徹が檻酔いするほどだった。
『導』を用いた移動には、装導者に遭いやすくなるリスクがある。しかし、導乱の開戦により、装導者は『導』の使用とは関係無く他の装導者と遭遇しやすくなったので、『STEELファング』になろうがならまいがそのリスクに大差は無かった。また、遭遇前には徹の『導』感知が発動するために対処は容易だということも理由だった。徹の感知能力が高いことは『オーロラデザイン』戦で証明されている。安全に、迅速に目的地まで行けるというワケだ。
但し、世界は限りなく広い。この浮世は想定外で溢れている。彼らにとって脅威となり得る障害は、もしかしたら、もしかすると、装導者だけではないかもしれない。『導』を制する者に勝てる者は、同じく『導』を制する者だけ、という強い導き――『呪』に抗える者。例えば――
「お前は……装導者……なのか?いいや、違う……生身の人間だな?」
右膝を地に付ける『STEELファング』の眼前には、般若の面、紅色の手甲と脚絆を装備した小柄な人間が日本刀を構えていた。クロガネが、それが人間であると分かったのは、装備の隙間から見える肌、ショートカットの髪が理由だった。
「す、すいません!『導』が感知できなくて……」
「いや、コイツの感知は無理だ。ただの人間だからほとんど『導』を放っていない」
先刻、レンタルショップの屋上駐車場から前方の携帯電話販売店に飛び移ろうとした時のことだった。クロガネが跳躍中、突然何者かに下方から襲撃を受けた。それなりの高度を跳んでいたのにも関わらず、その者は高く跳躍してクロガネと同じ高度まで到達、そしてその勢いのまま、装導者並みの速さで、刀を真一文字に振ったのであった。幸い砂鉄の壁でガードしながら身体を捻らせて避けることができた。しかし強固に構築したはずの砂鉄の壁は上下に真っ二つに切り裂かれ、相手は刀身を妖しく輝かせながら、追撃の刺突を入れてくる。クロガネは一瞬面食らったが、落ち着いて、分かれた砂鉄の壁を刀身を挟み込むようにして瞬く間にくっ付けた。火炎のようだった勢いは殺され、切っ先は『STEELファング』の目まであと数センチのところで防がれた。まだ追撃は止まない。相手は刀の柄を握ったまま、その人間離れした身体能力で、空中でヒラリと態勢を変えてクロガネの腹へ蹴り込もうとする。しかし男は、その動きを予見し、身体を引き、その脚に向かって強引に蹴りつける。相手は蹴り込む直前で脚を引き、脚絆で受け止めながら受け身を取って、何事もなかったかのように着地した。竜人の方は無理な態勢で蹴ったために、反動で地面に吹き飛ばされた。そして今に至る。
キンキン響く女の声で、その人間は心の底から感心したように言う。
「やはりこの国は広い……ここまでの体術を持つ者が、この街にいようとは」
刀をクルクルと回している。刀身を受け止めていた砂鉄の壁はただの砂鉄に戻っていた。集中力を切らしたからか、砂鉄の檻も解除されて、徹は後ろで尻餅をついていた。クロガネは立ち上がる。
「こっちのセリフだ。常軌を逸してるよ、お前のその強さ。俺はクロガネという。名前ぐらい聞かせろ」
「私の名は久寿米木彩芭。通りすがりの剣士だ。さあ、次は本気でかかってくるがよい」
小柄なその女は、溢れんばかりの闘気をその面の下に隠しながら、刀の切っ先をクロガネに向けてそう言った。これが、クロガネと徹の、彩芭との出会いだった。
第参話【導乱、邂逅】-END-