第7話 元剣聖のメイドのおっさん、生前の仇敵と再会する。
「アネット・・・・足の方は、その、平気なの?? 痛くない??」
俺の手を握りながら、背後を歩くロザレナが心配げにそう声を掛けてくる。
彼女の目線の先にあるのは、ズルズルと引きずるようにして歩く、俺の右足の脛。
その赤黒く変色した脛の内部出血痕から、ポタポタと滴り落ちていく大量の血液の姿に、ロザレナは悲痛な様相で顔を歪めた。
「お嬢様、大丈夫です。まだ歩くことができているのですから、へっちゃらです。このくらいの怪我など、大したことはありません」
「そうは言っても・・・・あたし、心配だわ。だって、こんなにいっぱい血が出ているのよ?? 後で何か、こ、こういしょう? が残ったらと思うと・・・・・気が気じゃないわ」
「クスッ、お嬢様は本当にお優しい方なのですね。私、ロザレナお嬢様のそういうところとっても好きですよ」
「なっ・・・・!! あ、あのねぇ!! あたしは貴方の主人なのよ!? そんな、す、すすす好きだとか、失礼なこと言わないで頂戴っ!!」
「はい。少々、調子に乗ってしまいました。申し訳ございません」
照れるロザレナの姿にフフッ、と、微笑ましく笑みを浮かべつつも、俺は前方に続く深い暗闇を注意深く警戒しながら、慎重に薄暗い廊下を進んで行く。
感覚的に、牢から脱出してから4,5分程度は経過しただろうか。
まだ、背後から追手がやってくる気配は感じられないが・・・・そろそろ、蠍の奴隷商団の連中が、俺たちが逃げ出したことに気付いても良い頃合いといえるだろう。
常に周囲を警戒して、歩みを進めなければならない。
(・・・・・結構、いや、かなり、危機的状況といえるんじゃないか? こいつは)
こちとら、足を負傷してまともに歩くことすらできないか弱き少女の身だ。
そんな俺が、ロザレナを庇いながら、後ろから追いかけてくる大の男たちとの戦闘を試みたところで・・・・待ち受けるのは、確実な敗北だけだろう。
それに、この、魔法石が組み込まれているであろう首輪のこともある。
いつ何時、どういったタイミングで首輪の魔法石が作動するかは、今のところ分かってはいない。
正直言って、今の俺たちはいつ気絶させられ、捕まってもおかしくない、めちゃくちゃピンチな状況下にあると言える。
今の俺がこの窮地を脱することができるか否かを、もしこの状況を見ている誰かさんに聞いたとしたら・・・・間違いなく満場一致、即答で不可能、と答えられることだろうな。
足を負傷したメイドの少女が、時限爆弾を抱えたまま脱走を試みるー---なんて、誰が見ても八方塞がりの絶望的な状況でしかないのは分かりきっていることだからだ。
だけれどー----------。
「だけれど・・・・・無理でも何でも、今ここは押し通すしかねぇ。巨人のような筋骨隆々の大男でも、どんなに悍ましい姿をした化け物だろうと、幼い頃の奴ならば・・・・少年時代のアーノイック・ブルシュトロームならば、恐れずに敵の喉笛に噛みついていっただろうよ。そして、必ず勝利をもぎ取ってきた。なら、この俺にも、できねぇ道理はねぇはずだろ」
兄弟子のハインラインが聞いたら、何だその根拠の無い根性論はとバカにされそうな言葉だな。
だけど、俺は、アーノイック・ブルシュトロームは、いつだってそうして生きてきた。
気が遠くなる程の数、剣を振り続けて、気が遠くなる程の数、勝利を重ねてきた。
だったらまた、一から始めれば良い。
この、アネット・イークウェスという少女の身体から、また、一からー----。
「・・・・・幼い頃? 少年時代の、アーノイック・ブルシュトローム・・・・・??」
俺の独り言を耳ざとく聞いていたのか、ロザレナがキョトンと、不思議そうな表情をその顔に浮かべる。
俺は一度立ち止まると、そんな彼女に首を横に振り、再び前を向いて、歩みを再開させた。
「何でもありません、お嬢様。ただの独り言でございます」
「そう、なの・・・・? でも、今の貴女、何処か・・・・」
「? 何処、か?」
「ま、待ってよ!! 君たち!!」
突如背後から呼び止められ、俺は肩ごしに後方に視線を向ける。
するとそこには、一緒に牢に捕まっていた奴隷の子供たち・・・・4人程の少年少女たちが、俺たちを追い駆けてきている姿があった。
「あ? なんだ、てめぇらも結局俺たちの後を追って脱走したのか??」
こちらの元に辿り着き、ゼェゼェと肩で息をする彼らに、そう言葉を投げる。
すると、彼らの中で1番前を歩いていた、薄い茶髪をした少年は、顔を上げ、俺へと口を開いた。
「うん・・・・・君の鉄格子を蹴り続けていた姿を見て、僕、このまま何も抵抗せずに奴隷として売られてしまうのは、絶対にダメだなって、そう思ったんだ。だ、だからさ、僕たち、君たちと一緒についていっても・・・・良いかな?」
「私も!」「俺も!」「う、うちも!!」
「・・・・・・ハッ、思ったよりも良い根性してるじゃねぇか、てめぇら。良いぜ、一緒にあのクズな大人たちに一泡吹かせてやるとしようや」
「あ、ありがとう!」
「っとまぁ、話は歩きながらにしよう。いつ、奴らが追ってくるかも分からないからな」
「う、うん! あ、僕の名前はグライス! よろしくね! 二人とも!」
「私は、アンナ!」
「俺は、ギーク!!」
「う、うちは、ミレーナ・・・・よ、よろしく」
「おう、俺はアネットだ。後ろにいる・・・・おりますのは、私の主人の、ロザレナお嬢様でございます」
「・・・・・よろしく」
うーむ、やっぱりお嬢様は人見知りの気があるようだなぁ。
ガキどもに挨拶された途端、ビクッと震え、俺の手をギュッって握ると、そのまま俯むいてしまった。
いつかロザレナお嬢様が、俺みたいな中身おっさんの偽物ではなく、ちゃんと同世代の子と仲良くなれる日が来たら良いなぁ・・・・。
この子、とっても良い子だから、おじちゃん、報われて幸せになって欲しいです。
「・・・・っと、そういえば、あの牢にはもっとガキがいたはずだろ?? 残りの連中はどうしたんだ??」
「残りのみんなは・・・・僕たちみたいに反抗する気力はもう、残っていないんじゃないかな。扉が開け放たれているのに、彼らは牢から出ようともしなかったよ」
「そうね・・・・・あの子たちは、私たちよりも長く、あの牢に閉じ込められていたみたいなの。だから・・・・心の傷が、私たちよりも大分深いんじゃないかしら」
「そうか・・・・まぁ、あの様子を見れば、確かに、な」
こいつら四人ー---鉄格子を蹴り上げていた時の俺に話し掛けてきたこのガキどもとは違って、牢の隅でずっと座り込んで俯いていた他の連中は、俺が看守の顔面を破壊しようとも、牢から逃げ出そうとも、どんな行動をしても反応する素振りを見せはしなかった。
その様子から察するに、あのガキどもはもう既に・・・・蠍の奴隷商団によって、抵抗する意志を根こそぎ奪われてしまっていると見てまず間違いないのだろう。
果たしてどんな拷問をされて、あのガキどもが希望を失ってしまったのかは分からないが・・・・背景を察するだけで同情してしまいそうになる、悲惨な奴らなのは間違いようがなさそうだ。
「・・・・・・・み、道、暗い。こ、怖い」
そう、残った連中に俺が同情をしていると、隣を歩いている水色のおさげ髪の気弱そうなガキー---ミレーナと名乗った少女が、おずおずとそう独り言を呟いた。
俺は頷くことで彼女のその言葉に肯定の意を示し、まっすぐと道の先を注意深く警戒していく。
「そうだな。確かに俺も闇は怖い。夜目が効くレンジャー職の冒険者ならば、こういった暗闇に身を隠すのは大の得意分野なのだろうからな。今みたいな状況下だったら、ここは奴らレンジャーの独壇場だ。どんな強者といえども、ファーストアタックは躱せないと伺える」
「・・・・・・・・・・」
「だが・・・・ただの闇商人であるあの連中に、そんな高等なスキルを持っている奴はまず、いないと見て良いだろう。だから・・・・まっ、安心して良いと思うぜ。急な襲撃は絶対にない。この俺が保証してやる」
ニコリと、少女に向けて微笑みかける。
すると何故か少女は「ひぅっ!」と、か細い悲鳴の声を上げ、近くを歩くアンナと名乗った赤髪の少女の背中にピタリと、隠れたのだった。
「ええっと・・・・?」
何で、こいつ、そんなに俺を怖がって・・・・って、あぁ。
俺が看守をボコボコにしたこと、まだ怖がってんのか、この幼子は。
てかよくよく考えてみればそりゃ、当然っちゃ当然のことか。
何たって、こいつらまだ10やそこらのガキだろうからな。
あの、俺が何度も看守の顔面を石畳に叩きつける光景は・・・・当然、子供にとってはかなりショッキングな光景に映ってしまっていたことだろう。
それ故に、この人一倍気弱そうな様子の少女が俺を怖がるのも無理はないというわけか。
「あ、ごめんね、アネットちゃん。この子、かなり臆病でさ。悪気はないと思うの。許してあげてね」
と、保護者のような顔をしてアンナがそう呟く。
そんな彼女に負けじと、俺も後ろにいるロザレナの頭をなでなでと撫でながら、保護者面をした。
「いや、別に構わねぇよ。俺の後ろにいらっしゃるお嬢様も、お前らに対して似たような態度を取ってしまっているからな。これでお相子・・・・って、痛たたたたた、ゆ、指を抓るのはやめてください! お嬢様!!」
俺の発言が気に入らなかったのか、背後にいるロザレナが、俺の手の甲の皮をぎゅっと抓る。
まったく、今はいつ奴隷商に追いかけられるかも分からない危険な状況なのに・・・・このお嬢様は能天気だなぁ・・・・将来大物になりそう。
まぁ、そこが我が主人の可愛らしいところでもあるのだけれどな?? がっはっはっはっは。
「君は・・・・アネットさんは、女の子なのに凄く堂々として、落ち着いているよね。大人の人を倒せるほど、強いし。僕も、君のその勇敢な立ち振る舞いを・・・・ぜひ、見習いたいよ」
「あ? 女の子なのに?、なのにってなんだ。ぶっ飛ばすぞ」
そう乱暴に言葉を放つと、少し前を歩いていた茶髪の少年は、慌てたようにこちらを振り返った。
「ご、ごめんね。気を悪くさせてしまったのなら謝るよ」
「小僧、確かグライスとか言ったか」
「う、うん」
俺の歩幅に合わせると、少年ー--グライスはこちらに目線を合わせ、静かに頷く。
俺はそんな彼に対して呆れたように小さく息を吐くと、前を向き、静かに口を開いた。
「人の在り様に男も女も関係ねぇんだよ。勇敢なのが、強いのが、それが男だけって誰が決めたんだよ」
「それは・・・・・そうだね。ごめん、僕は女の子だからって、そう、君を決めつけてしまっていたね」
「人間、諦めずに歯を食いしばればどんな人間にだってなれるさ。俺はそう、信じている」
そう言うと、グライスは目を大きく見開き、数秒、唖然としたように俺の横顔を見つめていた。
そしてその後、前を向くと、彼は清々しく、憑き物が落ちたかのようなさっぱりとした笑みを浮かべる。
「そうだね。うん、その通りだ。僕も君みたいに勇敢な人になれるよう、諦めずに頑張ってみるよ。ありがとう、アネットさん」
「おう」
この、グライスという名前の少年・・・・身なりこそは庶民の服装をしているが、言葉遣いと言い、立ち振る舞いと言い、所々、どこか高貴な身分の気配を隠しきれていないな。
恐らくは、何処かの貴族の嫡子なのだと推察するが・・・・・まぁ、他人の事情にとやかく突っ込んでるヒマはねぇな。
今は、一刻も早く、この地下牢獄から逃げ出さないとー-----。
「おやおや、まぁまぁ、こんなに鼠ちゃんたちが逃げ出しているなんて・・・・・これはお仕置きしないといけないわねぇ」
前方の闇の中からカツカツと音を立てて、真っ黒な外套を身にまとった、ひとりの男が姿を現す。
自身の腰にまで届きそうな長い幽鬼のような前髪をユラユラとなびかせながら、丸い黒サングラスを掛けた男は闇の中からこちらを確認すると、ニヤリと、不気味な笑みを浮かべた。
「お前、はー-------」
その顔に、見覚えがあった。
唇の端から鼻、そして額にかけて斜めに刻まれている、凄惨な傷跡。
森妖精の血が幾分か入っているのか、少しばかり先端が尖った耳の先。
2メートルはありそうな、巨大な身長。
骸骨のように、やせ細った手足。
あの不気味な様相は、間違いがない。
生前、『剣聖』であった俺が、唯一にして仕留めそこなった人物。
蠍の奴隷商団首魁、元聖騎士団長、【迅雷剣】のジェネディクト・バルトシュタイン。
俺のかつての仇敵の姿が、そこにあった。
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