第6話 元剣聖のメイドのおっさん、同年代の子供たちにドン引きされる。
「フフッ、それは本当の話なの? 昨日捕らえたばかりのあのレティキュラータスの娘とメイドの娘に、ダースウェリン卿が金貨1000枚を出す、と?」
テーブルに座りながら、大量の貨幣を数えていた男ー---蠍の奴隷商団の長、ジェネディクト・バルトシュタインは、部屋の入り口に立つ部下に対して、機嫌が良さそうにそう口にした。
その言葉に、彼の部下である黒装束の男は、静かに頷く。
「ええ。先ほど競売の契約書にサインし、自領へと戻られていきました」
「そう。あの男は欲しいものは何をしてでも手に入れなきゃ済まない業突く張りな男だからねぇ。こちらでサクラを用意して、競り値をもっと吊り上げさせたら、莫大な金を落としてくれそうだわね」
「はい、仰る通りだと思われます。実際、金額が跳ね上がれば倍は出すと口にしていらっしゃいましたし」
「なら、私のほうで適当な役者を用意して、そいつにサクラをやらせるとするわぁ。フフッ、持つべき者は変態貴族よねぇ。ガキ数匹を渡せば、湯水のように金を流してくれるのだから」
そう言ってジェネディクトは、テーブルの上にある大量の金貨をジャラジャラと袋に入れると、それをドサッと、机の中央に乱暴に投げ捨てる。
そして椅子から立ち上がると、邪悪な笑みを浮かべ、手の甲を口元に当てながらホホホと小さな含み笑い声を溢した。
「もうすぐ、もうすぐよ。私を捨てたあの忌まわしきバルトシュタイン家に報復ができる、その時は。フフフフフ、財力、権力、上級魔道具、すべてを手に入れたこの私に、最早敵などいないわぁ。唯一にして最大の敵だった、アーノイック・ブルシュトロームはとっくの昔に死んでいるし、ね。私を阻む者はもうこの世に誰もいない!!」
「・・・・・ボス。本当に、四大騎士公バルトシュタイン家に襲撃を掛けるおつもりなのですか??」
「あら、ゲラルトちゃん、もしかして怖気ついちゃったのかしら??」
「い、いえ、決して怖がっているわけではありません・・・・ただ、不安なのです」
「不安?」
「はい。あの聖騎士団を掌握する一家に、過去の闇市一掃作戦のせいで未だ人員不足である我らが、果たしてまともに剣を交わせることができるのかどうか・・・・また昔のように仲間を失ってしまったら、私たち闇商人が再起することは、もう・・・・・うぐっ!!」
突如、ジェネディクトが部下である男の首を鷲掴みにし、軽々と頭上へと持ち上げる。
そして瞳を紅く血走らせると、先ほどの陽気な態度とは一変、顔を憤怒の色に変え始めた。
「貴方貴方貴方ッ!! 私が何十年ッ!! 今まで憎悪を堪えながら闇社会で準備を整えて来たと思っているのッ!? 私はね!! 私を捨てたあのバルトシュタイン家を絶対に根絶やしにしないことには、安心してあの世に逝けないの!!!! ねぇ、分かってる!? 貴方、そこのところ分かってるぅ!?」
「うぐぐっ、は、はい、失礼なことを申してしまい・・・・すいま、せん・・・・・っ」
その謝罪の言葉を聞き終えたジェネディクトは、歯茎を見せた満面の笑みを浮かべると、男の首から手を離した。
そして、しゃがみ込み、喉元を押さえながら床に座り込む部下の顔に目線を合わせると、眼を細め、静かに口を開く。
「私はね、過去に一度、何十年も温めていた計画をアーノイック・ブルシュトロームによって台無しにされているの。だからもう、同じ轍は踏みたくないのよ。分かるかしら??」
「げほっ、げほっ、・・・・・は、はい、今の『剣聖』にこのアジトの居場所がバレる前に、早急に行動に移る必要がある、と、そういうことですよね??」
「そうよ、ゲラルトちゃん。貴方が頭の良い部下で助かったわ。後は・・・・貴方のすべきことは、理解したかしら?」
「・・・・・ええ。私はただボスの勝利を信じて、言う通りに事を運びます」
「んふふっ、理解してくれて嬉しいわぁ。でも、安心なさいゲラルトちゃん。貴方が想像するよりも、私ってばずっと強いから」
そう言って、ジェネディクトは自身のやせ細った両手の指にはめてある、10個の指輪を愛おしそうに眺め出す。
「多分、私、今の王国の中だったら誰よりも強いと思うわよ? 何と言っても、この魔道具ちゃんたちがあれば、ほぼ敵無しだからねぇ。だって、炎熱属性、氷結属性、疾風属性、斬撃属性・・・・殆どの攻撃の耐性を、今の私は会得しているのですからね。物理攻撃、魔法攻撃の両方はほぼ、効かないと言って良いわぁ」
そう口にすると、ジェネディクトは立ち上がり、両手を広げ、高らかに笑い声を上げた。
その姿に、よろめきながら何とか立ち上がった黒装束の男は、ゴクリと唾を飲み込む。
「【迅雷剣】のジェネディクト・バルトシュタイン・・・・もしかしたら、ボスなら、本当に聖騎士団長を倒せるのかもしれませんね・・・・」
「ンフッ、当たり前のことを聞かないで頂戴? 意味わからないチート級の性能を持ったアーノイック・ブルシュトロームさえこの世にいなければ、私は誰にも負けるなんてことはないのよ・・・・・例え今の剣聖であっても、ね。私はーーーー」
「ご、ご歓談中、し、失礼致します!! ボス!!」
その時、焦燥した顔の奴隷商の団員が、ノックもせずに団長室の中へと入ってきた。
彼のその不躾な様子に、チッと舌打ちすることでジェネディクトは不快感を露わにする。
「何、どうしたの。私の部屋にノックもせずに入ってくるなんて。私、騒々しいのは苦手なのよ?」
「あっ、も、申し訳ございませんでした。で、ですが、大変なことが起こりまして・・・・」
「何かしら。私まだ金貨の確認に忙しいの。重大なことなら簡潔に言ってくれる??」
「そ、それが、と、捕らえていた奴隷のガキどもが・・・・牢から逃げ出しました!!!!!」
時は、一時間程前に遡る。
「ア、アネット!! もう、もうやめてっ!!!! やめなさいっ!!!!」
背後で何やらロザレナの泣き叫ぶ声が聴こえてくるが、そんなものは関係ない。
ガンガンと、俺はひたすら鉄格子を蹴り続ける。
「チッ・・・・痛ぇな」
数十分間延々と鉄格子にローキックをかましていたせいか、邪魔だと破いたスカートの下から見える俺の脛は、いつの間にか真っ赤に血だらけに染まっていた。
怪我を確認した途端にもうこれ以上はやめろと、ズキズキと強烈な痛みの渦が襲ってくるが・・・・生憎と、今はそんなものに構ってられる余裕はない。
俺は、何としてでもこの牢を抜け出し、この窮地からロザレナを救わねばならないからだ。
過去、俺の失敗で死なせてしまった姉の時のような失敗は二度としてたまるものか。
この幼い少女を変態貴族の慰みものなんかには、絶対にさせない。
「オラッ!! 単なる鉄の棒如きが!! 俺様に楯突こうとは良い度胸してんじゃねぇか、あぁ!?」
「アネット!! い、いきなりどうしたというの!? 落ち着いて!!」
「そ、そうだよ、そこの子の言う通りだよ!! そんなことをしても、無駄だよ、君!!」
「あぁ!? 無駄だと!?」
背後から突如聞こえてきたロザレナではないその声に、一旦蹴りを止めて振り返ると、そこには今まで一言も声を発して来なかった奴隷の少年少女たちの姿があった。
彼らは俺の様子に若干怯えた気配を見せながらも、唾を飲み込み、意を決した顔をして口を開く。
「君がそんなことをしたってその牢は壊れはしないよ!! 意味なく自分を傷付けるのはやめようよ!!」
「そ、そうよ!! 貴方なんかがその鉄の牢を壊せるわけないじゃない!! だ、だって、貴方は私と同じ、ただの女の子なのよ!!」
その言葉に、俺は呆れたようにため息を吐く。
そして再び鉄格子に向き直り、血だらけの足で蹴りを再開させた。
「ど、どうして、また・・・・!!」
「うるせぇんだよクソガキどもがっ!!!! てめぇらはこのまんまで良いとでも思ってんのか!! あぁ!?」
「こ、このままで良いなんて、そんなこと思ってるわけないだろ!! でも、僕たちはまだ子供で・・・・ここから逃げ出す力なんて、どこにも・・・・・」
「んな、子供だとか女だとかくだらねぇ言い訳並べて、現状にもう諦めてしまった奴が、まだ諦めていない俺に指図なんかすんじゃねぇ!! 俺はな、手足の一本や二本が無くなろうが、構わねぇんだよ!! あんなクズみてぇな貴族に性奴隷にされて、飼いならされる一生に比べれば絶対にな!!」
「・・・・・・・・・・・」
「分かったなら黙って見てろ、小僧ども!! 俺はどんな奴が相手だろうがぶっ壊してやる!! どんなに敵わないと言われるような相手でも、その顔面の肉を噛み千切ってやるまで抵抗し続けてやる!!!!」
「・・・・・・・・・・アネット・・・・・」
背後にいるロザレナが、俺の名前を静かに呼ぶ。
すると、次の瞬間、俺が蹴っていた箇所の横でロザレナがえいっと、鉄格子に向かって可愛らしい蹴りをお見舞いし始めたのだった。
「・・・・痛った~い!! もう!! この、いずれ『剣聖』になるロザレナ様の足を弾くなんて、中々厄介な鉄格子ね!! ムカつくわ!!」
「ロザレナ、お嬢様・・・・?」
「アネット。あたしも諦めないわ。だって、あたしは絶対に『剣聖』になる女だもの。こんなくだらないところで止まってはいられない、そうでしょう??」
「・・・・・はい。そうですね。絶対に共にここから逃げ出しましょう。お嬢様」
「うん! ・・・・・あ、あと、そ、それと、ね・・・・さっきは、ありがと」
「え?」
「だ、だから、あの気持ち悪い人から、必死にあたしを守ろうとしてくれたでしょう?? ・・・・あの時の貴女、悔しいけれど、とってもかっこよかったわ。その、アネットが男の子だったら良かったのにな、とか、そう思うくらいには・・・・・・って、な、何でもないわよっっ!! バカッ!!」
顔を真っ赤に染めると、何故かそっぽを向いて牢をガンガンと、足の裏で蹴り出すロザレナ。
そんな彼女の姿が可笑しくなり、思わず俺は笑みを溢してしまっていた。
「・・・・・何よ。バカにしてるの??」
俺のその笑みを、ロザレナは横からジト目で見つめてくる。
その愛くるしい様相に、俺は首を振って、鉄格子に蹴りを放ちながら穏やかな声で口を開く。
「いえ。お嬢様のような可愛らしい御方が私の主人で良かったなと、そう思っただけでございます。あ、けっして、バカにはしておりませんよ??」
「そう・・・・って、か、かかかか可愛らしいぃっ!? あた、あたた、あたしがっ!?」
またもやあたふたし始めるロザレナお嬢様。
いやー、からかい甲斐があって面白いなー、このお嬢様。
比べちゃ悪いんだろうけど、生前の我が愛弟子の幼少時とか、本当もう面白味のないクソ生意気なガキだったからなぁ。
『可愛いでちゅねー、リトリシアちゃんはー』とか言ったら、『・・・・・キッツ』って返されたの、未だに俺は根に持ってるからな、現剣聖さんよぉ。
「おい貴様ら!! ガンガンとうるせぇぞ!! 何やってやがる!!」
その時、牢の中の騒々しさに気が付いたのか、鉄格子の向こう側の廊下からカツカツと足音を立ててこちらに向かってくる人影が俺の視界に映った。
待ちに待ったその時に、俺は邪悪な笑みを浮かべつつ、床に寝そべり、足を両腕で抑え、叫び声を上げる。
「痛い!! 足が痛いよぉぉぉぉぉ!! 誰か、誰かぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「え? え?」
俺の突然の豹変ぶりについていけてないのか、ロザレナは意味が分からないといった表情で、泣き叫ぶこちらの様子をただただ呆然と見つめていた。
そんな、どこか抜けているロザレナも可愛いらしくて今すぐ頭を撫でまわしたくなるが・・・・・今は、我慢だ。
今は何よりも大事な計画を優先しなければならない時である。
無事にことが運ぶように、演技を完遂しなければならない。
「なんだ!? どうしたんだ!?」
首元に蠍の入れ墨を入れた、蠍の奴隷商団の看守らしき男が、発狂している俺の様子に瞠目して驚く。
そして、血だらけになった俺の右足を確認した奴は、慌てた様子で牢の鍵を開け、中へと入ってきた。
「お、お前、何だその怪我は!? 畜生、太客のダースウェリン卿が入札した商品だってのに・・・・キズモノにするのは流石にやべぇな。ボスの治癒魔法で回復させるっきゃねぇ。おーい! 誰かいるかー!? ちょっと手を貸しー---」
「おらよ」
「ぐぎゃあああああっ!?!?!?」
背後を振り向き廊下側に向かって叫び出した男の股間に目掛け、俺は、怪我のしていない方の左足で思いっきり蹴りをお見舞いする。
すると男は股間を押さえ、悶絶しだし、その場に尻を上げる形で前のめりに倒れ始めた。
「ククク、俺様にもその痛みは理解できるぜぇ?? さぞ、苦しいことだろうよ」
いかに非力な少女の蹴りといえども、人間の、いや男の急所に対しては、絶大な効果を発揮するというもの。
幼少時の自分の蹴りのやり方を思い出すために、先ほどから延々と鉄格子に向かってローキックを放ち続けていた甲斐もあったものだ。
見事にクリーンヒットしたその蹴りは、どうやら男が膝を付くのには十分な威力を発揮してくれたようだ。
「さて・・・・・」
だが、これだけじゃまだ、甘い。
俺は倒れ伏す男の髪の毛を掴み、持ち上げる。
「な、なっ、なにを・・・・っ」
痛みに苦しみながら、突如幼い少女に頭掴まれ、困惑げな表情を浮かべる男。
俺はそんな奴に向かって、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「生前の俺、幼少時の俺ならば、即座にお前の眼球を指で潰すところなのだろうが・・・・それは流石にお嬢様の目に映すには少々酷ってもんだ。顔面を潰す程度で許してやるよ」
「顔面を、潰す・・・・・? はっ、ガキが、んなことできるわけが・・・・ぐはっ!?」
俺は、男の髪の毛を掴み、持ち上げた男のその顔面を、硬い石畳の床へと叩き落す。
だが、この少女の身体じゃあまり筋力が無かったせいだからだろうか。
以前の俺とは違い、一撃では、この男の気を失わせるには至ってはいなかった。
「しゃあねぇ、おら、もう一度」
「ぐふっ、や、やめろ、ガキ、今ならまだ許してー---ぐぎゃっ」
「はい、三回目。あー、これでもまだ駄目かー。俺ってばどんだけ力無くなってんだよ・・・・悲しくなるぜ」
「歯が、歯ぎゃ・・・・うぎぃやっ」
「四回目ー。え、まだ気失ってないの?? こりゃメイド業の合間を縫って隠れて修行のし直ししないとダメだなー」
「ま、待って、く、くだひゃい、ゆ、許ひて・・・」
「あ? ガキを地獄に落としてメシ喰ってるクズなんかを、俺が許すわけねぇだろ。気絶だけで済ませようっていう俺の寛容さに感謝しやがれ。おらっ」
「ぐふっ・・・・・・・」
「お? ようやっと眠ったか」
五回目にしてようやく、俺は男の意識を失わせることに成功できたのだった。
俺はふぅっと息を吐き、額の汗を拭い、背後を振り返る。
「さっ、お嬢様! 看守を倒しました!! こいつが無防備に開けてくれたおかげか、ほら、牢も開いています!! ですから、今のうちにー--ー」
「アネット・・・・・・・貴方、可愛い顔しておいて、中々エゲつないことするのね・・・・」
「え?」
振り返ると、そこにあるのは顔を青ざめさせて、俺を見つめるロザレナの姿が。
そして、彼女の後ろには、明らかにこちらに対して恐怖心丸出しで怯えている、ガキどもの姿があったのだった。