第60話 元剣聖のメイドのおっさん、バルトシュタイン家次期当主に気に入られる。
校門前に停めてあったバルトシュタイン家の手配した馬車に乗り、王都を出て、ゴトゴトと舗道に身体を揺らすこと五時間。
俺とオリヴィアはついに、王国南西にある、帝国の国境線沿いにある巨大な都市----バルトシュタイン領 領都、『要塞都市エルドラド』へと辿り着いた。
この街は荒野が広がる帝国領付近にあるため、風に舞って飛ぶ砂塵の数が凄まじい。
なので、馬車から降りた俺は、一瞬にして黄砂によって全身砂埃塗れになってしまっていた。
「ぶぇくっしょん!! うぅぅ、鼻に砂が大量に入ってむず痒いな・・・・思ったよりすげぇところのようだな、ここは・・・・」
「ま、待ってください、アネットちゃ・・・・、いいえ、アレスくん! この街ではマントとフェイスベール、あとターバンを巻かないとダメなんですよ!!」
「へ?」
急いでマントを羽織って馬車から飛び降りると、オリヴィアは鞄から自分が身に纏っているものと同じマントを取り出し、それを俺の肩へとバサッと掛けてきた。
そして、俺の首にフェイスベールを巻き、その次にターバンをずぼりと頭へと被せてくる。
そしてふうっと安堵の吐息を吐くと、腰に手を当て、オリヴィアはぷくっと頬を膨らませた。
「もうっ、アネッ・・・・アレスくん! エルドラドに着くなりいきなり馬車から飛び降りないでくださいよっ! 私、この街の砂嵐が酷いことを、事前に馬車の中で説明していましたよねっ!」
「あ、あははは・・・・す、すいません、先輩。初めて来た町なので、どんなところなのかちょっと気になって、好奇心が勝って急いで馬車から降りてしまいました・・・・本当にごめんなさい」
まさか、こんなに砂嵐が酷いところだったとは思いもしなかった。
生前の俺は、バルトシュタイン領に来ることなどなかったからな・・・・ちょっとここの環境を舐めていしまっていたかもしれないな。
「それではお嬢様、私は馬を厩舎へと連れて行きます。失礼致します」
「あっ、はい、ご苦労様でした」
そう言って御者は馬車を移動させると、街の外れにある大きな厩舎へと向かって行くのであった。
そんな彼を見送った後、オリヴィアはこちらに顔を向けると、にこりと微笑みを見せてくる。
「では、行きましょうか、アネットちゃ・・・・いいえ、アレスくん」
「は、はい。・・・・それにしても、即興で偽名を考えましたが、アレスという名前はやはりちょっと慣れませんね。アーノイック、という名前に変更した方が良いような気がしてきました」
「アーノイック? それって先代剣聖様のお名前ですか?」
「はい。少し縁あって、アーノイックという名前はアネットと同じくらい、馴染みが深い名前なんですよ。ですから、今からアーノイックに改名しても良さそうな気が・・・・」
「それは駄目ですよ、アレスくん。私の兄は、先代剣聖のアーノイック・ブルシュトローム様の狂信者みたいな人ですから。同じ名前を名乗りなどしたら、不敬だと言って速攻斬りかかってきてもおかしくはありませんよ?」
「え、えぇ・・・・俺・・・・いや、お兄様は彼の信者なんですか・・・・?」
「はい。兄は世界最強の剣士であるアーノイック様を目指して、今まで剣の腕を磨いて来た人ですからね。・・・・彼の御方の名を馬鹿にする人間や、彼の御方についての知識が浅い人間には、容赦なく剣を振って首を飛ばそうと襲い掛かってきます。兄は、そういう人なんです」
ひ、ひぇぇ・・・・リトリシアを含めて、俺のファンって何かそういう奴ばっかだな・・・・。
もっとこう、ロザレナのことを慕っているあのファンの子たちみたいに、平和に俺を推してくれている人間はいないのか? このオッサンの囲い、どいつもこいつも厄介狂信者だらけすぎるだろ、オイ・・・・。
そう、俺が辟易とした表情で引き攣らせた笑みを浮かべていると、オリヴィアは視線を逸らし、突如、悲痛そうな表情を浮かべ始めた。
「・・・・バルトシュタイン家は代々武功を重ねて権威を手に入れて来た家ですからね。強者こそが正しく、強者こそが尊敬に値するべき存在だと、殆どの一族の人間は皆そういった認識を持っているんです。・・・・・あの学園長総帥の演説を聞いたのならば分かるでしょう? みんな、ああいう風に弱肉強食の思想が根付いている人ばかりなんですよ、私の家の人間というのは」
それはなんともまぁ、武家らしい発想の一家であるといえるが・・・・やはり力が全てだというその考えは俺とはけっして相容れない思想ではあるな。
腕力を持った奴だけが正しいなら、この世界全部オーガだらけになってるだろう・・・・脳筋どもめが。
生前、世界最強と呼ばれていたこの俺ですら、幼少のころ、師匠に打ち負かされてボロボロに敗北したことがあるんだ。
一度の敗北を喫したところで、人の成長が終わるなど、そんなことがあるはずがない。
むしろ敗北を知ってからこそが、人の成長の始まりだと、俺はそう考えている。
「・・・・・・クソッたれが。やっぱどうにも好きになれねぇな、あの悪人面の一家の思想はよぉ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
そう俺が言葉を返した後、オリヴィアは領都の真ん中に聳え立つ巨大な城を見つめて、口を開く。
「・・・・・・アネットちゃんは、怖くはないですか? そんな、暴力を善とする私の兄に会うことに・・・・不安はないですか?」
思考し口を噤んでいたこちらの様子を恐怖していると捉えたのか、オリヴィアがそんなことを聞いてきた。
俺は彼女にフフッと笑いかけると、胸に手を当て、頭を下げて----彼女へ向けて優雅に騎士の礼をする。
「いいえ。オリヴィア先輩。私は貴方の恋人、アレスですから。その程度のことで怯えてなどいませんよ」
「まぁ、アネットちゃ・・・・アレスくんったら。でも、安心してくださいね。何があっても、私が貴方を守ってみせますからね。これでも力には自信があるんです。任せてくださいっ」
「フフフッ、それは男性である私が言う言葉ですよ? オリヴィアせんぱ・・・・いえ、オリヴィアさん。さぁ、この手を取ってください。私が御屋敷までエスコート致します」
「ありがとう、アレスくん。・・・・こんな砂が舞う荒れた場所じゃなかったら、もうちょっと良い雰囲気のある絵になったんでしょうけど・・・・何だかちょっと残念ですね」
そう言って苦笑いを浮かべるオリヴィアの手を繋ぎながら・・・・俺たちは領都の真ん中にある大きな城、バルトシュタイン家の屋敷へと向かって行くのだった。
「「「「おかえりなさいませ、お嬢様」」」」
大きな城門を潜り、バルトシュタイン家の屋敷の中に入ると、そこで待ち構えていたのは大勢のメイドたちの姿だった。
メイドたちは皆、入り口から左右に別れ、フロントの中央を通る俺たちに向かって一切の乱れなく頭を下げてくる。
ひいふうみい・・・・見たところ数十人程はいるだろうか?
比較しては悪いのだが・・・・俺とマグレット、そしてコルルシュカしかいないあのレティキュラータスの屋敷とは大きく異なり、こんなに多くの使用人を雇っていることから鑑みて、バルトシュタイン家の財政が潤っていることがこの光景を見ただけでも理解できるな。
上を見上げてみると、吹き抜けになった天窓から太陽光が差し込み、フロントロビー全体を明るく照らしていることが分かる。
壁際には歴代バルトシュタイン家の当主の巨大な肖像画が飾られており、中にはゴーウェンを描いた絵画も飾られていた。
何とも、自己主張の激しい家のようだな。
この光景を見るだけで、当主の自己顕示欲の強さがありありと理解できる。
「帰ったか、我が妹よ」
その時、ロビー中央にある大きな階段から、大柄な黒髪の男が降りて来た。
漆黒の鎧を着込んだそのツーブロックヘアーの男は、階段を降り、俺たち二人の前に立つと----威圧的にオリヴィアを見下ろし、眉のない強面の顔で不気味な笑みを向けてくる。
そんな彼に向かってオリヴィアは、深く頭を下げた。
俺も彼女続いて、同じように頭を下げる。
「ただいま戻りました。お兄様。ご健在そうでなによりです」
「貴様も相も変わらず無駄な生を謳歌しているようで何よりだ、愚妹よ」
そう言って彼は頭を上げた妹から視線を逸らすと、隣に立つ俺へ鋭い目を向けてくる。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ後、彼の目を見つめ返し、口を開いた。
「お初にお目にかかります、お兄様。私の名前はアレス・ブルーウェスと申します」
「ほう? そいつが手紙で言っていた恋人か。いやはや、ヒョロくて弱そうな奴だな。こんな男がバルトシュタイン家の女を妻として迎えるなど、俺は断じて認めは ・・・・いや、待て!」
そう言って突如目を見開いて驚愕の表情を浮かべると、彼は顔を近づけ、こちらを凝視してくる。
「な、何か・・・・?」
そう問いを投げると、彼は俺から顔を離し、邪悪な笑みを浮かべた。
「お前・・・・・クククッ、そうか! なるほど、なるほど。オリヴィア、お前がこの男を選んだ理由が分かったぞ。確かに、この男は・・・・・奴にとても似ているな」
奴? 奴って誰だ?
困惑する俺の横で、オリヴィアは兄に対して敵意を込めた冷たい声色で、言葉を放つ。
「・・・・・お兄様。彼を私の婚約者として、認めてはくださらないでしょうか? お兄様も、あの方は、とても気に入っていらしたでしょう?」
「・・・・・・・・」
「この人は、アレスさんは、あの方とよく似た目をしていらっしゃいます。前を見据え、どんな逆境にも狼狽えずに、ただ前へ前へと進んでいくような、気高き気配を漂わせているこの瞳。アレスさんのこの目は・・・・お兄様の親友である彼とあの同じ目です。ですからどうか、縁談を断り、アレスさんとの関係をお認め頂けないでしょうか?」
「妹よ。本題を急ぎすぎだ。まずは談話室に来い。彼には、こんな辺境の地にまでご足労いただいたのだ。バルトシュタイン家の次期当主としてこの俺が・・・・ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン自らがアレス殿をもてなしてやるとしよう。ついて来ると良い」
そう言うと彼は踵を返し、さっき降りて来た階段をそのままドスドスと登って行った。
ゴクリと唾を飲み込むと、オリヴィアは俺を先導するように手を繋ぎ、ヴィンセントに続いて上階へと登って行く。
その途中、彼女はポソリと小さく、俺だけに聞こえる声量で言葉を放った。
「・・・・・予想と違って、あまり良くない兆候かもしれません、アネットちゃん。いざとなった時は、私の後ろから離れないでくださいね。私の持つ加護の力ならば・・・・兄から貴方を守り切ることはできますので」
「良くない兆候、ですか・・・・?」
「ええ。兄は昔から長い話を好みません。何か決め事がある時はいつも、その場で答えを決めちゃう人なんです。それなのに、そんな人がわざわざ談話室に赴いて話をしようとするということは・・・・・ある意味、その場でNOと言われることよりも面倒ごとといえる事態が待ちかまえている可能性が大です。・・・・これは私の交渉ミス、とも言えるでしょうね。本当にごめんなさい」
なるほどな。
その場で「お前に妹はやれーん! ドンガラガッシャーン!」ってやられるよりも面倒なことが待ち構えている可能性がある、と、そういうことか。
まぁ、女だと見破られるよりは、まだマシな状況とはいえるのだろうが・・・・「俺と決闘して勝てれば妹はやろう」とか言われるような面倒ごとだけは、どうにか勘弁願いたいもんだな。
ここは穏便に話し合いだけでケリを付けて、さっさと満月亭に帰りたいところだ。
「あっ、そういえば、オリヴィア先輩。先ほど、私に似ていると言っていた人は・・・・いったい誰のことだったんでしょうか? 先輩のお兄様も、何やら私の顔を見て反応しておられましたが・・・・?」
「あっ・・・・・そ、その話は・・・・ここを切り抜けた後でも良いでしょうか? 多分、アネットちゃんにとっては衝撃が大きいことだと思いますので・・・・」
「は、はぁ、分かりましたが・・・・衝撃が、大きい・・・・?」
オリヴィアのその言葉に首を傾げていると、いつの間にか階段を登り切り、広い渡り廊下へと躍り出た。
そしてその後、まっすぐと別棟に続く渡り廊下を歩いて行くと、その奥に豪奢な金箔の装飾が施された紅い扉が見えてくる。
その扉を開けると、ヴィンセントはくいっと顎を動かし、先に中へ入れと俺たちに言ってきた。
彼の言う通りに、俺たちは先んじて談話室の中へと入って行く。
部屋の中には様々なトロフィーや賞状、高価そうな鎧が所狭しと飾られていた。
その部屋の様子を見回しながら、俺はオリヴィアの案内で真ん中に置かれているソファーへと腰を掛ける。
そんな俺たちに続いて、ヴィンセントは向かいのソファーにドカッと豪快に腰かけると、足を組み、背もたれに両腕を置いて、ギロリと俺を睨んできた。
「さっそくだが・・・・おい、小僧。貴様、目的はいったい何だ? オリヴィアを妻に迎え、バルトシュタイン家の格を手に入れることが狙いか? それとも金か? 素直に言ってみろ」
「い、いえ! 私はただ純粋に妹君に惚れただけでございます! 決して邪な狙いなどはもっては----」
「純粋に惚れた、だと? この女にか? ク、ククククッ・・・・」
「は、はい。・・・・あの、何か可笑しなことでも言いましたでしょうか?」
「お、可笑しいに決まっているだろう! 片目が潰れ、呪われた加護を持ったこの醜女を、純粋に惚れたなどと言う酔狂な奴がこの世に居てたまるものか!! 何の得もなくこの女を好きになる男など・・・・この世界には誰一人として居はしない!! 絶対にな!!」
「な、何故、妹君に対してそのような酷い御言葉を!? 彼女はとてもお綺麗なお顔していらっしゃるじゃないですか!! 醜くなどはけっしてありません!!」
俺がそう言うと、ヴィンセントは額に手を当て、高笑いを上げた。
「クククッ、クハハハハハハハハハハハハッッッッ!!!!! オリヴィア、お前、この男に眼帯の下を一度も見せたことがないのか!!!!! こ、これは滑稽な話だな!!!! あの悍ましい姿を一度も見せていないとは・・・・何とも笑える話だ!!!!」
「・・・・・悍ましい、姿?」
そう問いを投げると、ヴィンセントは目を細め、嗜虐的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「良いか、小僧。こいつの眼帯の下にはな、過去のある事件で負った凄惨な火傷跡が残っているのだ。その焼け爛れた醜い姿は・・・・まるでの腐り落ちた醜悪なアンデッドのような有様だぞ? クククッ」
「火傷跡、ですか」
隣に座るオリヴィアの方へと視線を向けると、彼女は怯えた様相で俯き、身体をガクガクと震わせていた。
そのことから・・・・彼女がその傷跡に関して、何らかのトラウマを抱えていることが察せられる。
俺はそんな彼女の震える手の上にそっと掌を置き、オリヴィアを安心させるためにニコリと微笑んだ。
「・・・・オリヴィアさん、今ここで私に、その火傷跡を見せて貰っても構わないでしょうか?」
「・・・・・ぇ?」
俺のその言葉に顔を上げると、か細い声を上げ、怯えた表情を見せてくるオリヴィア。
俺はそんな彼女に再度優しく微笑みを向けて、続けて口を開く。
「大丈夫です。以前私は、貴方の背景を知っても嫌悪を示したことは無かったでしょう? 私を信じてください、オリヴィアさん。私はどんな貴方でも受け入れてみせます」
「・・・・・・わかり、ました・・・・・」
震える手でゆっくりと眼帯に手を掛け、それを外し、彼女は長い前髪を掻きあげる。
するとそこにあったのは・・・・目が潰れ、顔半分が焼け焦げて爛れた、痛々しく酷い有様が残る火傷の跡だった。
彼女のその姿を、まるで喜劇でも見るかのように可笑しそうに手を叩いて、ヴィンセントは嘲笑の声を上げ始める。
「どうだ、この醜い姿はッ!!!! さぞ、貴様も幻滅したであろうだろうな!!!! この女はな、この傷のせいで他の姉妹たちに散々とバカにされて今まで生きてきたのだ!! 確か、ゾンビだのグールだのととバカにされて呼ばれていたな、貴様は。どうだね、小僧。こんな女を、お前は本当に欲しいと思-------何?」
俺の様子を見て、ヴィンセントは驚きの声を上げる。
俺はそんな彼を無視し、席を立ってオリヴィアに近付くと、しゃがみ込み、震える彼女の手をギュッと強く握りしめた。
「大丈夫ですよ、オリヴィアさん。私がそんな程度のことで、貴方を嫌いになると思いましたか? ほら、またあの時のように私の目を見て確認してみてください。この目に、貴方に対する嫌悪の感情が宿っていますでしょうか?」
「ア、アネッ・・・・アレスくん・・・・・」
俺の目を見て、オリヴィアは目の端に涙を浮かべ、微笑を浮かべる。
そんな彼女と同じように微笑んだ後、俺は立ち上がり、ヴィンセントへと振り返り顔を向けた。
「お兄様もどうか、私の目を見て、この感情が偽りでないことをお確かめください。私は今、妹君に対して何の嫌悪感も抱いていません。最初に言った通りに、私は彼女を純粋に愛しているのです。この目を見て、それを御分かりいただけますでしょうか?」
「・・・・・・・・・」
数十秒ほど、ジッと俺の目を真顔で見つめた後、ヴィンセントはソファーからスッと立ち上がると、尖った歯を見せて、こちらに対して強烈な闘気を放ってきた。
「----面白い。クククッ、貴様、面白いなッッ!!!!!!!! 気に入ったぞ!!!!!!!」
「え? き、気に入った・・・・?」
「あぁ!!!! この俺を湧き立たせるなど、姿形だけでなく、本当にあの男そっくりだな!!!!! 今度は剣の腕も似ているかどうか確かめてやる!!!! こいつを手に持って、ついて来いッッッ!!!!」
そう言うと彼は、背後に飾ってあったロングソードを手に取り、その柄を俺へと差し向けて来たのだった。
俺はその状況の変化についていけずに、ただただ目を白黒とさせるしかなかった。