第56話 元剣聖のメイドのおっさん、危うく雌になりかける。
「グライスさん、貴方・・・・王女様、だったんですか!?」
俺がそう驚愕の声を上げると、彼女は目を細め、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「あはははっ、うん、まぁ一応はね。肩書上はこの国の第三王女ってことになっているかな」
第三王女、『白銀の乙女』と言えば、この国では最も美しい姫君とされる名高い存在だ。
滅多に表舞台に出ないことから、謎のベールに包まれていた人物だったが・・・・まさか、それが幼少の頃に出会っていたグライスだったなんてな・・・・。
ロザレナも同様に驚いているのか、俺と同じく、驚きすぎて上手く声が出ていない様子だった。
そんな俺たち二人へ交互に視線を向けると、グライス・・・・いや、エステルは、何処か可笑しそうに口を開いた。
「そんなにびっくりすることかな? 僕、王女といっても他の王子たちと違ってあんまり目立つことはしてきていないと思うけれど?」
「い、いえ、あの、その・・・・・」
何と声を発していいか分からず、言葉が詰まった俺を見て、エステルは腕を組んでうーんと唸り出す。
そして何か閃いたのか、指を立て、再度俺たちに声を掛けてきた。
「そうだ! 久しぶりに会えたことだし、ちょっとお茶でもしていかない?」
「お、お茶、でございますか?」
「うん。お茶。・・・・店長ー! ちょっと上借りるよー! あと、このメイドの子の着てるスーツと・・・・これがいいかな。このサラシ、持ってくからね!!」
エステルのその言葉に、カウンター席に座っていた妙齢の女性はコクリと静かに頷いた。
その様子を確認したエステルは俺とロザレナの腕を引っ張ると、カウンターの内側へと入り、上へ続く階段へと登って行く。
「ちょ、ちょっと、エステル様!? いったい何処へ----」
「この上、バルコニーになっているんだ。僕のお気に入りのお茶スポット。良いところだから、そこで久しぶりにお話をしよう」
そう言うと、エステルは強引に俺たちの腕を引っ張り、上階へと登って行くのであった。
「あの・・・・本当にこのスーツとサラシをタダで貰っちゃって、良かったんですか?」
俺がそう声を掛けると、目の前に座るエステルは紅茶の入ったカップを手に持ち、その香りを優雅に楽しみながら口を開いた。
「うん。あの洋服屋は僕の店・・・・というよりも、この建物自体が僕の所有物だからね。だから、遠慮なく貰ってくれて構わないよ」
「ですが、流石に代金を支払ずにこんな高価な衣服を貰うのは、何というか、気が引けると申しますか・・・・」
「僕は幼少の頃、君に命を救われたんだ。むしろこの程度のお礼じゃ足りないくらいだよ」
現在、俺とロザレナは先ほど居た洋服屋の屋上にあるバルコニーで、丸いテーブルを囲みながらお茶の席に座っていた。
どうやらこのバルコニーはエステルの秘密の隠れ家らしく、時折、彼女はここで王都の街並みを眺めながら紅茶を飲んでいるらしい。
この建物の中には彼女専用の執事も常駐しているようで、エステルが俺たちをこの茶会の席に連れてくると、どこからともなく初老の執事が現れ、瞬く間にティーセットの用意をし始めたのだった。
そのような光景を見ていると、彼女は本当に王女様なんだな、ということを改めて実感してしまう。
「ん? 僕の顔をジッと見て・・・・どうしたのかな、アネットさん」
「い、いえ、まだ状況をあまり把握しきれていない、と言いますか・・・・。奴隷商団に攫われた時に一緒に居たあの男の子が、まさか、この国の王女様だったなんて・・・・私、あの時、貴方にとても失礼な態度を取ってしまいましたよね? ほ、本当に、申し訳ございませんでした」
「あはははははっ、そうだね、確かにあの時のアネットさんは男の子のように乱雑な言葉で僕と喋っていたよね。だけど別に今も、ああいう態度を取ってくれても構わないんだよ? その方が僕も距離を感じなくて嬉しいかな」
「お、お戯れを・・・・」
そう言って俺が慌てふためいていると、いつの間にか緊張が解けたのか・・・・・隣に座っているロザレナが、茶菓子として出されたクッキーをボリボリと貪り食べ始めた。
「はむっ、もぐ、もぐっ・・・・ねぇ、それよりも・・・・もぐむぐ、んっ、何で貴方、女の子なのに一人称が『僕』、なの? さっき最初に出会った時は『私』って言ってたわよね?」
「お、お嬢様! ものを食べながら喋らないでくださいっ!! それと、相手はこの国の王女様なんですからね!! 何でもかんでも明け透けに聞いては失礼ですよ!!」
そう俺がロザレナを注意すると、エステルは首を横に振って、笑みを浮かべた。
「別に構わないよ、アネットさん。ロザレナさん、僕はね、身体は女性だけど、心は男性なんだよ」
「え・・・・?」
一瞬、俺と同じように男から女性に転生したのかと、そう思ったが・・・・彼女のその様子からして、どうにもそれは違うように感じられた。
エステルは短く息を吐くと、暗くなり、街灯がポツポツと灯り始めた王都の街並みを眺め、微笑を浮かべる。
「僕は、産まれた当初、この世からいないものとされていたんだ。僕の母親は平民出身の使用人でね。遊び半分で父に手を付けられてしまった結果、王の妾として迎えられたんだ。とても・・・・不運な人だったよ」
「じゃあ・・・・エステルは妾の子、ってこと?」
「そうなるね。だから僕は、誕生した瞬間に本妻である王妃から忌子として煙たがられてしまっていたんだ。赤子の頃から離宮に閉じ込められ、勝手に外を出ることを禁じられ、13歳となるまでこの世界にいないものとして扱われてきた。勿論、僕の母親ともども、ね」
そう言ってテーブルにカップを置くと、彼女は、ほぉっと熱っぽいため息を溢す。
「あの頃・・・・君たちと出会う前、僕はいつも自分は何のために産まれてきたのだろうって、そう思って日々を過ごしていた。ただ、王が戯れでメイドに手を付けただけで、僕はこの世に誕生してしまったわけだからね。心の底から自分の運命を呪ったさ。・・・・・心は男なのに、身体が女の子に産まれてしまったことも含めて、ね」
そう言って一呼吸挟むと、彼女は俺へとニコリと微笑みを向けてくる。
「そんな鬱屈とした日々が続いていたある日、いっそ男の子の格好をして、別人として生きてみようって、そう思ったんだ。城を抜け出して、街に出た。でも結局、そこにも僕の求める自由は無かった。僕は何の力も無いただの子供だったから・・・・奴隷商団に攫われて、あの牢に入れられてしまったんだ。もう本当、あの時はどこに行っても僕は閉じ込められる運命にあるんだって、憔悴しきっていたよ。・・・・本当、死にたくてたまらくなっていた程に。でも・・・・・」
瞳の端に涙を浮かべ、エステルは目を細めると、豪快に笑い出した。
「でも、ふふふっ、あはははははははははっ!! そんな絶望しきっていた僕の前に現れたのは、どんな絶望的な状況にも果敢に立ち向かっていく、男の子のようなメイドの女の子だったんだ。僕はもう、君に出逢った瞬間、今までの自分が馬鹿のように思えたもんだよ。だって君は僕が絶対に無理だと思っていた、閉じ込められた空間から、いとも簡単に出て行ってしまったのだからね。しかも、それだけじゃない。剣士の頂点に立つあのジェネディクト・バルトシュタインを倒し、たった一太刀で地下牢を崩落させたんだ。ただのメイドの女の子が、だよ? もうめちゃくちゃすぎて笑いが止まらなかったよ」
そう言って腹を抱えて笑うと、涙を拭い、エステルは髪を耳にかきあげ、俺に熱い視線を向けてくる。
「覚えているかな。君は、僕にこう言ったんだ。『人の在り様に男も女も関係ねぇんだよ。勇敢なのが、強いのが、それが男だけって誰が決めたんだよ』って。そして続けて、『人間、諦めずに歯を食いしばればどんな人間にだってなれるさ。俺はそう、信じている』って、ね」
「お、お恥ずかしい話です。え、偉そうに語ってしまって、申し訳ございません・・・・」
「そんなに畏まらないでくれて良いよ。僕は君にお礼を言いたいだけなんだ。あの時のあの言葉のおかげで・・・・僕は今こうして、外を自由に出歩けるようになったのだからね。僕は君たちと別れたあの後、城の中で多くの味方を付けて、権力を手に入れた。それこそ、王妃にも負けないくらいの、ね。だから全部、君のおかげなんだよ。あの言葉があったからこそ僕は前へと進み、戦うことができたんだ。本当にありがとう、アネットさん」
そして、エステルは俺へと深く頭を下げて来た。
王族が平民に、それも他家の使用人に頭を下げるなど、他の人間が見たらどう思うかも分かったものではない。
下手したら、聖騎士にその場で取り押さえられても良いレベルのことだ。
俺は思わず辺りをキョロキョロと見回すが・・・・当然ながらこの場には俺とロザレナ、エステル、そして彼女の執事の四人しかいない。
不快に思っていないかと執事の男の顔を伺ってみるが、彼は穏やかそうな表情でただ微笑を浮かべているだけだった。
とりあえず、不敬罪とかでしょっぴかれる心配はないと見て良いだろう。
俺はホッと一息を吐く。
そんな俺を見て、エステルはクスリと笑みを溢した。
「アネットさんは昔と比べて随分と変わったね。僕と出逢った頃は、そんな体面を気にするような性格じゃなかったと記憶しているけれど?」
「そ、そりゃ、あの時はただのガキだと・・・・い、いえ! ただの少年だと思っていましたから!! まさかグレクシア王家に名を連ねる方だとは流石に思いませんでしたよ!! ね、ね!! お嬢様!!」
「まぁ、確かに、王族だとは思わなかったけれど。でも、別に今も昔と変わらず、エステルからはそんなに高貴な雰囲気は感じないわね。髪は銀色で肌は真っ白で、最初はその姿がお人形みたいでびっくりしたけれど・・・・会話してみると、見た目に反して意外に親しみやすいわ。・・・・・・ただ、アネットに対して何かしらの想いがありそうなのが不安要素ではあるけれど、ね」
その発言に真っ白な長い睫毛で数回驚いたように目を瞬かせると、エステルは不敵な笑みを浮かべる。
「何かしらの想い・・・・そうだね。僕は見た目はこんなだけれど、心は男だからね。正直に言えば、僕の初恋はアネットさんだったよ。フフッ、いや、彼女とは今もこうして会話しているだけでも心が躍るものがあるから、初恋だったと、そう過去形にするのは間違いかもしれないかな」
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!? ま、まさか、あ、あああああんたも、アネット争奪戦に参戦する気なのぉっ!? 本当、何なのこのメイドッ!? 男にも女にも手当たり次第にモテすぎじゃないかしら--ッ!?!?!?」
そう言ってロザレナは俺をキッと睨みつけてくる。
いや、多分、エステル様はご冗談を言っただけだと思われますよ、お嬢様・・・・。
「おや? アネットさんはまさか、僕の発言を冗談だと、そう思っているのかい?」
そう言ってエステルはスッと席を立つと、俺の元へと近付いてくる。
そして椅子に座る俺の顎をクイッと上げると、キスでもしそうな至近距離に顔を近づけ、怪しげな微笑みを見せて来た。
「僕はいずれこの国の玉座を取ろうと思っている。その時、隣の王妃の座に、君が座ってはくれないかな、アネットさん。どうかな? 伴侶になると誓ってくれるのなら・・・・僕は一生君を愛し、幸せにすると、必ず約束するよ」
「ッ!?・・・・ッ!? は、はぅぁ!?」
その絵画のような中性的で美しい顔立ちに、俺は思わず赤面し、口をパクパクとさせてしまっていた。
な、何なんだ、この感情は・・・・!! 胸の辺りがこう、キュンってなったぞ、キュンって!!!!
何かもう全てを委ねて『はい・・・・♡』って、語尾にハート付けて言いたくなってしまったぞ!?!?
こ、これはヤバイ・・・・!! こいつといると俺は強制的に、女の部分をさらけ出されてしまう気がする!! この王女、マジで危険人物だ・・・・!!
オッサンが思わず雌化してしまう!!!!!!
「ア、アネットは絶対に渡さないから!!」
ロザレナはエステルから俺を引き離すと、俺の頭を胸に抱いて、ガルルルと唸り声を上げ始める。
そんな彼女に目を伏せて微笑を浮かべると、エステルは残念そうに肩を竦めた。
「そうか。ロザレナさんがそう言うのならここは一旦、身を引こうかな。赤面するアネットさんの顔を見ているのも悪くは無かったけど、ね」
「ガルルルル・・・・こいつ、今まで出会ってきたどの連中よりも危険な感じがするわね。あたしの中の危険センサーが最大で反応しているわ!!!!」
「フフフッ、ロザレナさん、確か昔僕が気絶したアネットさんを運ぼうとしたら、凄い勢いで睨みつけて来たよね。今、君に睨みつけられてあの時のことを思い出してしまったよ」
「・・・・・・どうやら、幼少の頃のあたしのカンは間違っていなかったみたいね。この男こそが、アネット争奪戦の最大の敵だわ」
バチバチと見えない火花を散らしながら見つめ合う、エステルとロザレナ。
あの・・・・何で俺の知らないところで勝手に争奪戦が始まってるんですか、お嬢様・・・・。
それと、何度も言いますが、俺の中身は50手前のオッサンなんですから、お嬢様も王女様もこんな偽物メイド女よりも、相応しい御方を探してください。本当、切実に。
「・・・・・・エステル、ここにいたのか」
ロザレナとエステルがにらみ合いを続けていたその時、突如、バルコニーに一人の男が現れた。
フードを被り、目元と鼻を覆った仮面、ヴェネチアンマスクを付けたその男は、漆黒のコートを翻しながらカツカツと革靴を鳴らしてこちらのテーブルへと近寄ってくる。
そして、エステルの前に立つと、若干の怒りを込めながら言葉を放った。
「またここで茶を飲んでいたのか? まったく、今が大事な時だということを理解していないのか貴様は。巡礼の儀までもう時間は僅かしかないのだぞ?」
「すまない、ノワール。偶然、旧友に会ってしまってね。少しばかり休憩の時間を大幅に消費してしまったよ」
「旧友、だと? 貴様に友人がいたとは、驚い--------」
その時、仮面の男は突如身体を硬直させると、俺を見て目を見開いた。
その瞳の色を見て、俺も同じように目を見開いて驚愕する。
何故なら彼は、俺とシュゼットと同じ・・・・空のように澄んだ青い色の、シアンブルーの瞳をしていたからだ。
数十秒の間、ノワールと呼ばれた仮面の男は俺と見つめ合うと、ふいに視線を逸らし、エステルへと顔を向け、キッと鋭く彼女を睨みつける。
「貴様・・・・これはいったいどういうつもりだ? まさか、私との協力関係を破棄するつもりなのではないだろうな?」
「まさか。そんなつもりは毛頭ないよ。これは単なる偶然だ。君が考えるような邪な狙いはありはしないさ」
「・・・・・・・・店の外で待っている。手早く挨拶を済ませておけ」
そう言って仮面の男はエステルから離れ、その場を後にする。
そして俺とのすれ違い様、彼はポソリと呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・バルトシュタイン家には気を付けろ」
そう一言だけ呟くと、彼は屋内へと通じる扉を開け、バルコニーから去って行くのであった。
俺は去って行った男の背中を見送った後、エステルへと声を掛ける。
「・・・・あの、先ほどの彼は、いったい?」
「あぁ、彼は僕の従者なんだ。名前はノワール。王宮でも屈指の実力を持つ剣士なんだよ」
「聖騎士ではないのですか? 通常、従士として王族に仕えるのは騎士だけだと思われますが・・・・」
「そうだね。彼は騎士ではない。でも、今の僕には必要な男なんだ」
そう言ってエステルは席を立つと、手を上げ、俺たちに別れの挨拶をしてくる。
「それじゃ、ロザレナさん、アネットさん、久しぶりに君たちと再会できてとっても嬉しかったよ。また何か僕に用があればいつでもここに来て・・・・と言いたいところだけど、本当にたまにしかここにはいないから、何か用事があったら下の階の洋服屋の店主に伝言を残してくれると嬉しいな。お茶の誘いならいつでも大歓迎だよ。じゃあね」
そしてエステルは階段を降り、静かにバルコニーから去って行くのであった。
・・・・・先ほどの言動、どう見ても、彼女が俺に何かを隠していることは間違いようがない。
流石に、ここまで断片的な情報があれば、見えてくるものがあるな。
あの仮面の男・・・・奴は恐らくシュゼットと同じ、オフィアーヌ家に名を連ねる者だろう。
そして・・・・俺を見た直後のあの反応を鑑みるに、彼は間違いなくこの俺、アネット・イークウェスを知っている者だ。
疑惑が少し、確信に近付いて来たかもしれないな。
この俺の・・・・アネット・イークウェスの正体が少しずつ、真相に近付いてきている。
「んー--!!!! クッキー、とっても美味しかったわ!!!! 流石は王女様の用意したお茶菓子ね!! 今まで食べてきたものとレベルが違うわ!!!!」
「お嬢様・・・・お茶菓子、全部食べてしまわれたのですか?」
「え? うん、残すと勿体ないし。それじゃあたしたちも帰りましょうか。エステルの執事さん、美味しいお茶、どうもありがとう!!」
そう言ってロザレナは元気よく執事に頭を下げると、俺の手を掴み、バルコニーからそのまま出て行った。
バルトシュタイン家に気を付けろ・・・・か。
ロザレナと共に階段を降りていく最中、その言葉だけが、俺の頭の中でグルグルと回り続けていた。
第56話を読んでくださってありがとうございました!
昨日に引き続きご報告なんですが・・・・なんと、なんと! 今日、アルファポリス様で男性向けHOTランキング1位を、達成いたしましたー!!
ホームページトップにこの作品の名前があるだけで、涙が出てきそうになりました笑
これも全てはここまで読んでくださり、支えてくださった皆様のおかげです。
本当に本当に、ありがとうございました!
続きは明日投稿したいと思います!
また読んでくださると嬉しいです!!
三日月猫でした! では、また!