第5話 元剣聖のメイドのおっさん、奴隷として競りに賭けられる。
『さ、流石は噂に聞く剣聖様、ね。このジェネディクトがここまで追い詰められるなんて、思いもしなかったわぁ』
地面に膝を付けて息を荒げる、蠍の入れ墨を首元に入れた長髪の男。
俺はそんな彼の姿を挑発的な笑みで見下ろすと、片手剣の背面でポンポンと、自身の肩を軽く叩いた。
『ハッ、カマ野郎が。てめぇこそ、ガキ攫って売りさばくクズみたいな仕事してる割には、中々腕が立つじゃねぇか。その俊敏さだけは褒めてやっても良いぜ?? 元聖騎士団団長、蠍の奴隷商団首魁、【迅雷剣】さんよぉ』
『あらやだ。まさかあの高名な【覇王剣】に褒められるとは思いもしなかったわぁ。ねぇ、どうかしら。私たち、良いお友達になれるとは思わない? どうせ王国側についたところで、腐った貴族社会に搾取されて使い捨てられるのがオチよ? こちら側に付かないかしら、世界最強の剣士、アーノイック・ブルシュトロームさん?』
『ほざけ。てめぇは絶対に今ここで殺す。今まで地獄に突き落としてきた数多のガキどもに詫びを入れながら、後悔しながら死んでいけ』
『んふっ、交渉決裂ね。残念だわぁ』
俺はジェネディクトに態勢を整えさせる隙も与えずに、足を踏み込み、外套の下に装備している奴のプラチナメイルの鎧ごと両断する勢いで、剣を横薙ぎに振り放つ。
大抵の敵であれば、俺のこの一太刀で勝敗は決することだろう。
何故なら、最上位ランクの冒険者フレイダイヤ級であっても、聖騎士団の精鋭であっても、俺のこの本気の一太刀には今まで誰一人として対応できたことが無かったからだ。
俺の剣速についてこれる者は、今まで生きてきた中で、自身の師である先代剣聖くらいしか見たことがなかった。
つまり、上級冒険者だろうと、聖騎士団団長であろうと、剣聖と同等の力ー---つまりは真に頂点に立つ実力を持つ者以外に、俺の剣を止めることはできはしない。
だから、俺は、ほぼ確信していた。
数秒後には、奴の胴体は真っ二つに斬り裂かれるであろうことが。
だがー---目の前で起こったその光景は、俺の想像とは些か異なっていた。
雷魔法を得意とする魔法剣士、【迅雷剣】のジェネディクト・バルトシュタイン。
雷属性魔法の宿った魔法石で造られた双剣のシミターから放たれるその剣閃は、俺の剣速を僅かながらに凌駕し、青白い火花を散らせながら、俺の剣をいとも簡単に受け止めきっていた。
(だが、甘めぇー-----!!!!!!!!!)
しかし。
その剣は、ただ速いだけの代物にすぎない。
俺の放った剣の威力までは、殺すことは叶っていなかった。
『ぐはっー---!?』
横薙ぎの剣の威力を殺しきれなかったジェネディクトは、顔面に大きな斬り傷を作り、後方へと派手に転がっていく。
ほぼ、勝敗は決まったと見て良いだろう。
何故なら先ほどの攻防が、奴の全身全霊を込めた、最後の守りだということが理解できたからだ。
『終いだな、カマ野郎』
倒れ伏す奴の顔に向けて、剣の切っ先を向ける。
すると、ジェネディクトは顔を上げ瞳孔を開き、半狂乱になって笑い出した。
『あはッ、あははははははははははははははははははッッッッ!!!!! よ、よくも、この私の美しい顔に傷を付けてくれたわねぇッ!!!! こんのッッッッ化け物め!!!!!! 何で魔法で加速している私に、何の魔法も武装もしていないただの剣士が、ついてこれてんのよぉぉぉぉぉ!! こんなこと絶対に在り得ない!! 在り得ないわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!』
『ギャーギャーうるせぇな、オイ。自業自得だろうが。まぁ、いいや。さっさと死ねや、クズ野郎』
奴の首を切断しようと、剣を振り降ろす。
だが、ー---その時。
ジェネディクトは懐からネックレス型の魔道具を取り出すと、大きな声で呪文を唱え始めた。
『【転移】!!!!!』
そして、俺が剣を振り降ろすよりも早くー---奴の身体は霧のように霧散して消えていったのだった。
魔法の力によって、何処かに転移して。
俺は今まで必ず、国から殺すよう命令された標的は確実に仕留めてきた。
人も、魔物も、どんな者であろうと総じて全て。
だがー---俺よりも速く動けるこの奴隷商だけが、唯一、俺が生涯で殺し損ねたたったひとりの敵だった。
当時まだ20歳の若造だったことなど、言い訳にできるわけがない。
『剣聖』は、必ず、王国の人々の安寧を害す存在を消し去らなければならないのが責務だからだ。
俺はこの時、『剣聖』として、生涯唯一のミスを侵してしまったのだった。
「う、うぅぅぅ・・・・・」
「!! アネット!! 良かった、目が覚めたのね!!」
「ロザレナ、お嬢様・・・・・? ここは、いったい・・・・・?」
耳の中に入ってくる、何処かでピチョンピチョンと滴っている水の音。
そして、こちらを心の底から心配そうに見つめてくる、視界いっぱいに広がるロザレナの顔。
その状況に困惑しながらも、俺はロザレナの手を借りて、横たわっている上体を何とか起こしてみる。
そしてその後、キョロキョロと頭を動かして周囲を確認してみると、どうやらそこは薄暗い牢獄の中のようだった。
牢の中には幾人もの幼い子供が捕らえられており、皆、歳は10歳前後くらいの幼い身なりをしている様子が伺える。
全員、鉄で造られた首輪を嵌めており、その首輪には何故か貨幣の枚数が書かれた札が何枚も括り付けられているのが見て取れた。
「い、いったい、どうなって・・・・痛ッ!!!!」
理解し難い現状に混乱していると、突如、ズキッと後頭部に激痛が走る。
咄嗟に痛む場所を手で触ってみると、どうやら、頭頂部辺りに大きなたんこぶができているようだった。
そのたんこぶをペタペタと触ることでようやく俺は、こうなるに至る前の状況を思い出すことが叶った。
「そう、か」
俺とロザレナは突如路地裏で黒いマントの男二人に襲われ、薬品か何かを嗅がされて今まで眠らされていたのか。
クソッ、まさか俺たちの背後を付け狙い、こちらの隙を伺っていた賊がいたなんてな・・・・。
間違いなく、俺が近道のつもりで人気のない路地裏の小道に向かったのが、この状況に陥ってしまった最大の要因と言えるだろう。
冒険者ギルドでの揉め事と言い、今回と言い、自分の失敗でロザレナを危機に陥らせてしまうなんて、剣聖としては勿論のこと、使用人としてもかなりの大失敗だと言えるだろうな。
この失態がマグレットのババアに知られたら、ゲンコツじゃ済まなそうだ。
「ええい、思考を切り替えろ。失態を反省するのは後だ。まずは、この窮地を脱する方法を考えなければならねぇ」
幸運なことに、手足に枷は付けられていない。
当然の如く、荷物は没収されてしまっているが・・・・まぁ、手持ちにあったのは果物ナイフと小銭入れくらいのもの。
今ここにあったところで、この牢を抜け出す手段にはなりはしなかっただろう。
次に、俺は立ち上がり、直に触って格子の材質を確認してみる。
「見たところこの牢の格子は・・・・普通に鉄製か」
生前の俺であれば、握力だけでも鉄格子など飴細工のようにグニャグニャに曲げることはできたのだが・・・・。
まぁ、今の不意打ちすら避けることのできないか弱い少女の身体じゃ、こんな鉄を曲げることなど叶わないのは分かりきってはいるからな。
現状、この格子を破壊する手段を持ち合わせてはいないと、言えるだろう。
「とはいっても、牢を破壊したところで、こいつがある時点で割と詰んでそうではあるんだがな」
そっと、鉄製の首輪を手で触れてみる。
他の捕まっている連中と同様、俺とロザレナの首元には、謎の鉄の首輪が嵌められていた。
恐らくこの首輪には、追跡機能のある魔法石が内部に組み込まれていると見て良さそうだ。
いや・・・・どこかの場所に逃げ出したら、即電撃魔法が発動する仕組みも備わっていそうだな。
まぁ、あのクズどものやりそうなことだからな。
どうせガキ相手にも、容赦なくエゲつないことをするのだろうよ。
「ア、アネット、あ、あたしたち、これからどうなっちゃうの??」
ロザレナが怯えた顔を見せながら、俺の背中に抱き着いてくる。
そんな震える彼女を正面から抱きしめて、宥めるようにして頭を撫で、不安にならないように穏やかな口調で話しかける。
「お嬢様。大丈夫です。私がついています」
「うぅ、ひっく、あたし、怖いよぉうアネット。お父様とお母様のところに早く帰りたいよぉぉ・・・」
泣きじゃくりながら抱き着いてくるロザレナの背中を、子供をあやすようにポンポンと、優しく撫でる。
すると、その時。
カツカツと、何者かが廊下を歩く音が聴こえてきた。
その音に、牢内の子供たちは皆一斉に顔を恐怖で青ざめさせ、ガチガチと歯を鳴らしながら震え始める。
その光景に俺は思わず警戒心を露わにしていると、突如、牢の前に二人の男が現れた。
ひとりは、俺たちを捕らえた者と同じような様相の、黒いフードマントを被った蠍の入れ墨を首元に入れた男。
もう一人は、でっぷりと腹部が太った、ジグザグの髭を真横にピンッと伸ばした、身なりの良い貴族のような出で立ちの男だった。
その貴族のような様相の男は、牢内の俺たちを一人一人見て確認すると、下卑た笑みを浮かべ、鼻息を荒くし始める。
「ダースウェリン卿、今期の入荷はこちらで全部となっております」
「ふひっ、先月は少し忙しくてここに来れなかったからねぇ。どんな新しい子が入荷しているのか今から楽しみで仕方がないよ」
「では、鍵を開けます。一応、首輪には鎮圧用の魔法石を忍ばせてありますが、十分、ご注意を」
「ひひっ、これでも一応、騎士公の分家の血を引いているんだ。子供相手に後れを取ることはしないさ」
そう口にし、入れ墨の男が牢を開けると、太った男は目を血走らさせながら、牢内にいる子供たちの顔を端から順番に確認していく。
「ふむふむ、見たところ今期の入荷には異種族はいないようだねぇ。森妖精や獣人族がいたら即決で入札するところなんだが・・・・」
「申し訳ありません。異種族を捕らえるには国外へ人狩りに遠征しに行かなければならないのですが・・・・何分、過去にあった闇市一掃作戦の影響が未だ続いており、圧倒的に人手が足りないのですよ。昨今は聖騎士団の監視の目も厳しいですし」
「闇市一掃作戦、か。ふん。あの当時の剣聖は本当に余計なことしかしなかったな。まったく、スラム出身の下郎が。当時にこのワシが現存していたら、圧力掛けて剣聖の座から引き下ろしていたものを・・・・・む?」
貴族の男は俺の背中に隠れるようにして座るロザレナの顔を確認すると、突如ニマッと、気色の悪い笑みをその顔に浮かべ始めた。
「なぁ、君、アレはどう見ても貴族のご令嬢じゃないのかね??」
「これはお目が高い。あの娘は昨日の昼間に捕えたばかりの、新規入荷物、レティキュラータス家のご令嬢でございますよ」
「ほほう、あの没落寸前の・・・・なるほど、権威がほぼ失墜したレティキュラータスの娘ならば、例え娘が失踪しても、聖騎士団を牛耳るバルトシュタイン家が捜索に動くことはまずない、と。ひひひっ、考えたものだな」
「ええ。王国の貴族たちからしてみれば、レティキュラータスは目障りな一族でしかありませんからね。当然、跡取りであるあの娘がどこぞの貴族に嫁いで権力回復を試みるのは、非常に厄介と考えることでしょう。ですからごく自然な流れで、聖騎士団もといバルトシュタイン家が、あの娘の捜索に手を貸すことは絶対にないと推察することができます。ですので、後々のことに関してはご安心を」
その言葉を聞き終えると、貴族の男はロザレナの顔を覗き込むようにして、こちらに近づいて来る。
その状況に益々震え始めるロザレナ。
俺はそんな彼女を守るようにして庇い、男の前に立ちはだかった。
「チッ、邪魔な小娘だな・・・・レティキュラータスの娘の顔が見えぬではないか!」
顔面を平手打ちで殴られ、簡単に地面に倒れ伏してしまう。
そんな俺の姿に、ロザレナは掠れた声で悲鳴を上げ、こちらに駆け寄ろうとした。
「アネットッ!!!!!!」
「こらこら待て待て。お前の顔をよく見せるんだ」
「ひうっ!?」
「ほほう・・・・美しい紅い瞳だ。釣り目で生意気そうな顔が実にそそられるな。流石は歴史ある貴族の末裔だ。そこらの小娘とは比べられもないほど、顔が整っておる」
顎を乱暴に捕まれたロザレナは、無理やり男の顔へ視線を向かせられてしまっていた。
俺は痛む身体を無理やり立ち上がせ、男とロザレナの間に割って入り、再び彼女を守るようにして奴の前に立ちはだかる。
「また邪魔を、このクソガキが。しかし・・・・・ふむ。よくよく見ればお前も整った顔立ちをしておるな。今にも襲い掛かってきそうな、その私を睨みつける、敵意のこもった目・・・・・気に入ったぞ。私はな、生意気そうなガキを犯すのが大好きなんだ。おい奴隷商! この二人に私は入札をするぞ!!」
「畏まりました。初回入札額はおいくらに??」
「そうだな・・・・最初は一人当たり金貨500枚程度にしておくとするかな。一週間後の最終競売の際に、また確認しに来るとしよう。その時、金額が上回っていれば、倍の値段で入札してやる」
「畏まりました。では、こちらの札を商品に取り付けておきましょう」
そう言って、黒装束の男は俺とロザレナの首輪に、500と書かれた札を取り付けていった。
なるほど、ここにいるガキどもの首輪に貨幣の枚数が書かれていた札が掛けられていたのは、こういったワケだったのか。
つまり、俺たち含め、この場にいる子供は全て競売に懸けられた商品。
この牢自体が、奴隷市場のオークション会場、だったということだ。
「アネット、怖い、怖いよ・・・・あたしたち、どうなっちゃうの・・・・・?」
牢の鍵を閉め、男たちが去った後、俺は震えるロザレナの身体を優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫ですよ。私が必ず貴方様をお守り致しますからね」
このままでは、俺たち二人とも、奴隷としてあの変態貴族に身売りされてしまうことだろう。
非力な少女である俺たちにこの先待ち受けるのは、正真正銘の地獄だ。
現状を何も変えられない弱者の俺たちの行き着く先。その底には、絶対に、光はない。
(また・・・・こうなるんだな。今度は争いのない生活が送れると思っていたのに)
弱者は、強者に搾取される運命しかないと、俺の師はそう言っていた。
弱者は、理不尽な現実を前にただただ嘆き、自死という選択を選ぶまで、絶望の中もがき苦しむ未来しかないと、俺の兄弟子はそう言っていた。
・・・・・・結局、この世界はどこにいっても、何年経とうとも、以前と何も変わらないということだ。
どこまでいっても『力』無き者には厳しい、剣を持たない者は喰われるだけの、最低最悪のクソみてぇな世界。
俺の敵は、世界にある。
世界そのものが・・・・上で踏ん反り返っている強者どもが、俺の殺すべき敵。
そいつらが、俺の忌むべき敵であると。
そうー----以前、亡くなった姉は、俺に、教えてくれたっけな。
瞼を閉じる。
暗闇に浮かぶのは、遥か昔の、過去の記憶。
多くの男たちの亡骸の中に佇む、少年の姿。
そして、ドス黒い絶望した瞳を見せ、俺に死を懇願する裸の姉の姿。
多分、この時だったんだろう。
俺が・・・・アーノイック・ブルシュトロームという人間が、誕生した瞬間は。
「ふぅ。気合入れるしかない、な」
立ち上がる。
もう、か弱い少女だからという現状に甘えてはいられない。
早急に、以前の勘を取り戻さなければ。
以前の勘と言っても、全盛期の、二十代から四十代の、あの時代を過ごした時の俺のものではない。
今の俺の身体は小柄な肉体だ。
だから、今思い出すのはー----あの、スラム街で人を殺しまくっていた、少年時代の俺の力だ。
鬼子と呼ばれ、誰彼構わずに短剣を振り回し、師に出会うまで、姉を失った悲しみを他者にぶちまけていた・・・・あの時代の幼き日の過去の自分。
「・・・・アネット?」
突如立ち上がった俺を訝しみ、背中に声を掛けてくるロザレナ。
だが今俺は、そんな彼女に構ってはいられない。
深く息を吸って吐き出すと、鉄格子を睨みつけ、そのまま大きく飛び上がりー----俺は格子に向かって思いっきり飛び蹴りを繰り出した。