エイプリールフール IF外伝 ルナティエルート
轟々と燃え盛るフィアレンスの森の中。
アリサ・イークウェスは、赤子のアネット・イークウェスを抱き、幼いメイドのソフィーリアの手を引いて、森の中を疾走していた。
そんなアリサに向かって、ソフィーリアは声を張り上げる。
『もう、もう良いんです、奥様ッ! 私はアネット様の盾になれて死ねるのなら本望です! ですから、ですからっ……えっ?』
――――――――その時だった。
二人の背後から弧を描くように飛んできた矢が、雨のように何本も降り注ぐ。
ソフィーリアはその光景に思わず「ヒッ」とか細い悲鳴を上げてしまい、足を竦めさせてしまった。
アリサはそんなソフィーリアを抱き上げると、藪へと飛び込み、アネットとソフィーリアを守るようにして自身の身体を覆い被せた。
『ア、アリサ様⁉』
『ッ! ……大丈夫、大丈夫よ』
痛みに顔を苦痛で歪めた後、アリサはニコリとソフィーリアに笑みを浮かべる。
『ソフィー。もし、私に何かあったら……この子のこと、お願いできる?』
『え……? ア、アリサ様……?』
『私は絶対にこの子を死なせないわ。だけど……だけどアネットを守り切るには、多分、私の命を懸ける必要が出てくる。そして、ソフィー、貴方を救うのにも、ね』
『な、何を……いったい何を、仰っているのですか⁉』
『この子は絶対に、レティキュラータス家に―――』
『――――見つけたぞ。アリサ・オフィアーヌ』
その時。二人の背後に、一人の女騎士が姿を現した。
アリサは立ち上がると、ソフィーリアを庇い、前に立つ。
『貴方が……聖騎士団、副団長のリーゼロッテ・クラッシュベルね』
『オフィアーヌ家当主、ジェスターは王家の宝物庫を覗くという大罪を起こした。よって、聖王陛下は現オフィアーヌ一族の抹殺を命じた。悪いが、貴様にはここで死んで貰うぞ。それがこの国の選択だ』
『私は、自分の夫が間違ったことをしたとは思っていないわ。聖王家は長年、あることを隠し――』
『黙れ。犯罪者の利く耳など持たん。私はゴーヴェン様の御言葉通りに、正義を執行するまでだ』
そう口にして、女騎士は腰から鞭のような剣を取り出した。
その光景を見て、アリサはソフィーリアに向けて声を張り上げた。
『行きなさい‼』
『……で、ですが……っ!』
『聖騎士団の目的は、オフィアーヌ一族の抹殺! 私が囮になれば、貴方には深入りしないはずだわ! だから……生きなさい! 生きて、主人に尽くしなさい! ソフィー!』
『……っ‼』
アリサ様のその言葉に、ソフィーリアは地面を蹴り上げ、森の中を逃げていった。
この日、作戦に参加するはずだった、猫耳獣人族の聖騎士の姿はフィアレンスの森にはなかった。
彼女の存在の有無。それが……アネットという少女の、運命の分かれ道だった。
IF外伝 ルナティエルート
12月25日 深夜。
王都では盛大に、女神誕生を祝して生誕祭が行われていた。
華やかな祭りの裏で、四大騎士公フランシア伯、ルーベンス・エリオット・フランシアは、配下の聖騎士と共に人気の無い路地を走って行く。
彼の顔には、焦りの色が見て取れた。
「聖騎士団が、オフィアーヌ家を襲撃しただと!? それは誠の話か!!」
「は、はい。まだ民には伝えられていませんが、聖王陛下の使者からの報せなので、間違いないかと……」
「ゴーヴェンめ……! 何を考えているか分からぬ男だったが、ついに、動き出したというわけか……! 急いでフランシア領に戻るぞ! こうなっては、のんきに王都の祭りに顔を出してなどいられぬ! 騎士を集めて、我が民と領土を守らなければ! 次はバルトシュタイン家がフランシアに攻めてくる可能性もあるのだからな!」
そう言ってルーベンスは薄暗い路地を進んで行く。
しかし、その時。おぎゃあおぎゃあと、赤子の声が聴こえてきた。
ルーベンスは声の出どころを探り……路傍に止めてあった馬車を見つける。
「何故、馬車から、赤子の声が……?」
恐る恐ると馬車へと近付いていくルーベンス。
そこにあったのは……御者台で赤子を抱いてうなだれる、血だらけの女性の姿だった。
その光景を見た瞬間、ルーベンスは即座に女性へと駆け寄り、声を掛ける。
「お主、大丈夫か!? 何故、こんな大怪我を!? 今すぐに修道院か医院に……!」
ルーベンスが彼女を抱き起そうとした瞬間、ポニーテールの女性はゼェゼェと荒く息を吐きながら、ルーベンスの腕を力強く掴んだ。
そして、苦痛に顔を歪ませながら、ルーベンスに声を掛ける。
「おね、がい、します……どうか、この子を……っ!」
「!? その顔……お主、もしや……オフィアーヌの第二夫人か!?」
「おねがい、します……この子を、 アネットを、レテ……ケホケホッ!」
「喋るな! 寿命を縮めるだけだぞ!」
「わた、しは、もう、だめ……です。もうたすかりま……せ……ん」
ルーベンスが女性の背中を見ると、そこには、大きな斬撃の痕があった。
その切り傷はあばら骨を貫通しており、この女性の命がもう僅かしかないことが察せられた。
いや……本来であれば、もう既に死んでいてもおかしくない傷だった。
それでも彼女が生きているのは、その腕にある赤子を守りたいという、覚悟のおかげだろう。
その光景を見て目を細めると、ルーベンスは、自身の腕を掴んでいたアリサの手を握りしめる。
そして彼はアリサの目をまっすぐと見つめ、真剣に言葉を紡いだ。
「……分かった。フランシア家の当主として、この赤子、命に換えても守り抜いてみせよう。かよわき民を守るのが私の運命だ。だから……お主はもう、休むが良い。後は私に任せろ」
「ありが……ござ……」
最後までお礼を言い終える前に、女性……アリサ・オフィアーヌは目を閉じ、息絶える。
彼女の抱いていた赤子を受け取ると、ルーベンスは背後にいる騎士に向けて口を開いた。
「良いか。今見たことは、全て、忘れるのだ。この赤子はオフィアーヌの遺子ではない。道すがら拾った出生の分からぬただの孤児だ」
「……聖王家とバルトシュタイン家にオフィアーヌの嫡子を助けたことを知られたら、ただでは済まないと思いますよ? それでも助けるのですか?」
「無論だ。私は彼女に託されたのだ。高潔なる貴族として、私には、この赤子を助ける義務がある」
その言葉に、配下である聖騎士はやれやれと肩を竦めた。
「分かりましたよ。見なかったことにします。自分はルーベンス様のそういった人情に篤いところを尊敬して、フランシアの騎士になったところがありますからね」
「……すまないな。母上と違って、私は感情を優先し、規律を守ることができぬ。これからもどうかよろしく頼むぞ」
そう言って、ルーベンスはアリサの亡骸に祈りを捧げると、赤子を抱いて、その場を立ち去る。
「お主の母を丁重に葬ることができず、すまない。だが、人目を避けてお主を助ける
ためにも、こうするしか方法がないのだ。……そうだ。お主、アネットと呼ばれていたな?」
ルーベンスは優しい笑みを浮かべて、赤子の顔を見つめる。
「私にも、お主と同じく、今年の夏に産まれたばかりの娘がおる。お主にはどうか、私の娘―――ルナティエと良き友になって欲しいものだ。アネットよ」
そうして……アネット・イークウェスは、レティキュラータス家ではなく、フランシア家に引き取られたのだった。
――――――――――――10年後。
「どうして……こんなことに……」
俺は姿見の前に立ち、そこに映る、幼いメイドの姿にため息を吐く。
俺の名前は、アーノイック・ブルシュトローム。
生前は【剣聖】としてそれなりに名を馳せた存在だったんだが……48歳の時に臓器が石化する病を発症して、弟子に介錯して貰い死んだら―――何故か、メイドになって復活を遂げてしまっていた。
いや、確かに死ぬ前に、酒池肉林のハーレムを望んだが、誰も俺自身が女になりてぇとは言ってねぇんだが!? ただでさえ童貞だったのに、来世でも一生童貞であることが決定してしまったんだが何してくれちゃってんだ神様ゴルァ!?
そう、姿見の前に映る十歳の少女に向かってキレていたら、部屋の扉をコンコンとノックされる。
「アネット? 準備はできましたか?」
「あ、はい! エルシャンテお姉さま! ただいま!」
急いで自室の扉を開ける。すると、そこに立っていたのは先輩メイド兼、俺の世話係のメイド、エルシャンテが立っていた。
エルシャンテは優しい微笑みを浮かべて、俺の恰好をチェックする。
そして、メイド服に乱れがないことを確認し終えると、コクリと頷いた。
「うんうん、ちゃんとお洋服着れるようになったね。えらいねー、アネットー」
そう言って、エルシャンテはわしゃわしゃと頭を撫でてくる。
俺だってメイド服なんて着たくはなかったさ。女口調だって元男としては嫌だった。
だけど……俺がメイドとしてちゃんとしないと、俺の世話係であるエルシャンテとマイヤーズが、この御屋敷の一番の権力者……キュリエールに罰を与えられてしまうんだ。
赤子の俺を世話してここまで育ててくれたこの屋敷のメイドたちに、苦労はさせたくない。だから、我慢してメイド業に従事しているというわけだ。
「それじゃあ、お仕事に行こうか、アネット」
「はい、エルシャンテお姉さま」
俺はエルシャンテと共に廊下に出て、仕事場へと向かう。
メイドとして転生した俺が仕えるこの御屋敷は……四大騎士公、フランシア家の屋敷だ。
ここが……俺が新たに産まれた、家。
俺、アーノイック改めてアネット10歳は、何ともよくわからぬことに、四大騎士公フランシア家のメイドに転生したのだった。
「……えい! えい! そりゃあ!」
フランシアのお屋敷の窓を拭いていると、中庭で、木剣を持って素振りをしている少女の姿が目に入って来る。
彼女の前には、背筋が伸びている老婆……先代当主であり元剣神であるキュリエールの姿があった。
「……お嬢様……また剣の稽古に励んでいる様子ね」
エルシャンテはそう言って、中庭に立つルナティエを心配そうに見つめる。
俺は洗濯籠を両手いっぱいに抱えながら、そんな彼女に声を掛けた。
「ルナティエお嬢様は……いつもキュリエール様に剣を教えて貰っておりますね。やはり、将来はお父様やお婆様のように、騎士を目指していられるのでしょうか?」
「そういえば、貴方は見習いメイドだから、ルナティエお嬢様と直接接したことは少なかったわね。あの方はね、ルーベンス様やセイアッド様に厚い期待を寄せられていてね、フランシア始まって以来の天才と呼ばれている方なのよ。幼い頃から、いつもお父様のような高潔な聖騎士になりたいと、仰っておられたわ」
「そうなのですか。では、将来有望な方なのですね」
「ルーベンス様やセイアッド様の中では、ね。産まれた頃から尊敬する父と兄に褒められた影響か、あの方の夢は決まっていたわ。でも……それがあの方の幸せだとは限らないけどね」
「? それはどういう―――――――――」
「弱い」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
その時。キュリエールが木剣を高速で振り放ち、ルナティエを吹き飛ばした。
幼い10歳の少女に向けるとは思えないその光の斬撃を受けて、ルナティエは背後に聳え立つ大木に背中を打ちつけた。
「ルナティエお嬢様!」
洗濯籠を放り出して、エルシャンテはルナティエの側へと駆け寄って行く。
そして彼女はボロボロのルナティエを抱き起こすと、懇願するような目をキュリエールに向けた。
「キュリエール様! どうか、このくらいで! ルナティエ様は昨日の晩から眠らずに剣を振り続けていたのです! ですから、どうか!」
「それは、メイドの本分を逸脱した行為ですよ、エルシャンテ。離れなさい」
「ですが……!」
「離れなさい。三度目はありません」
キュリエールに睨まれたエルシャンテは、怯えた顔で肩を震わせる。
そんな彼女の肩を掴んでルナティエは立ち上がると、ゼェゼェと荒く息を吐きながら、キュリエールを睨みつけた。
「そう、ですわ……! 貴方は仕事をしてきなさい、エルシャンテ。わたくしはわたくしのなすべきことをいたします……!」
「で、ですが、お嬢様……!」
「いいから!!」
そうして、ルナティエは立ち上がると、フラフラのまま……キュリエールに挑んで行くのであった。
(言い方は悪いが……平凡な素養だな)
俺はキュリエールに剣を打ち込むルナティエを見て、そう、評価を下す。
剛剣型でもなく、速剣型でもなく、魔法剣型でもない。
恐らくは、オールラウンダーに近い素養を持っている剣士と思われるが……それでも、リトリシアほどの才能は感じられない。
前世で腐るほど見てきたタイプの剣士。
己の才能の限界に気付き、剣を捨てるのが、この世界における彼ら凡人のあり方。運命。
残酷ではあるが……はっきり言って彼女に、剣士は向いていない。
「あぐぁっ!?」
再びキュリエールに吹き飛ばされたルナティエは、地面に膝を付ける。
そんな彼女に、キュリエールはため息を吐いて、口を開いた。
「何度も言ってきましたが……貴方には才能はありません、ルナティエ」
「ゼェゼェ……!!」
「私はリューヌにフランシアの家督を継がせます。貴方は人員が少なくなった分家の当主となりなさい。ルクスよりは……まだ、貴方の方が使えそうですしね」
「わたくしは……わたくしは、お父様の跡を継いで、フランシア家の当主となりたいのです、お婆様!! 立派な指揮官になって、そして――――――」
ルナティエはゴクリと唾を飲み込んで、咆哮を上げた。
「わたくしは――――――――――【剣聖】になりたいのですわ!!」
その言葉を聞いた瞬間、キュリエールは鋭くルナティエを睨みつけた。
「次にその言葉を口にしたら……貴方の首を落としますよ、ルナティエ。【剣聖】とは、貴方のような才能のない弱い人間が、自分を奮い立てるためだけに口にして良いものではありません」
「ひうっ!? す、すみません……だったら、【剣神】に―――――がはっ!?」
キュリエールに腹部を蹴られたルナティエは、ゲホッゲホッと咳をして、地面に座り込む。
「【剣聖】や【剣神】になりたいなどと口にすることは、今後一切、認めはしません!! いくら私に縋ろうとも!! 稽古を所望しようとも!! 貴方はフランシアを導くに足る器ではない!! それをはっきりと理解しなさい!! ルナティエ!!」
「うぅ……ご、ごめんなさい、お婆様……ごめんなさい……弱く生まれてしまって、ごめんなさい……」
キュリエールの言葉は、厳しいようだが、本当のことだ。
あの子がこのまま剣士を志しても、遅かれ早かれ、壁にブチ当たる。
そうなった時のことを考えたら、余計な時間を消費するよりも、早々に諦めさせた方が得策なのは誰が見て分かること。
……俺も冷たい人間だな。まぁ、アーノイック・ブルシュトロームっていうのは、こういう人間だ。俺はアネットなんかじゃねぇからな。
(恐らく……これで彼女も理解したはずだろうな)
俺はそう心の中で呟いて、心配そうにルナティエを見つめるエルシャンテと共に、その場を後にした。
深夜。俺は屋敷にあった安物の剣を拝借して、中庭に出た。
今までは何とはなしにメイドとしてこの屋敷で暮らしてきたが、こんな生活を一生続ける気なんて俺にはない。
フランシア伯は優しい人だが、俺は元は剣聖、剣士だ。
メイドなんかよりも、さっさと以前の勘を取り戻して、剣一本で暮らしていく方が性に合っている。
「まぁ、このアネットとかいうガキの身体を上手く使えていないから、今は随分と弱くなってしまっているけどな」
そりゃあ、あれだけ身長も筋肉もあった身体から、10歳のガキの身体になったらそうなるのも当然のことか。
だけど、まぁ、何となるだろう。自分で言うのもなんだが、戦闘センスだけは並外れたものがあるからな、俺。この身体を使いこなず自信は割とある。
「さて。何処か誰も見ていない場所で素振りでも……ん?」
中庭には、先客がいた。
俺は中庭に聳え立つ大木の背に隠れ、その人物へと視線を向ける。
するとそこにいたのは……涙を流しながら素振りをしている少女、ルナティエだった。
「214! 215!」
泣きそうな顔を必死に堪えて、一生懸命に剣を振るルナティエ。
俺はその姿を、じっと、静かに見つめた。
「あれだけのことを言われて……諦めないのか。あの子は……」
その後。ルナティエは毎晩、眠る時間を削り、一生懸命に剣を振っていった。
昼間はキュルエールに稽古を頼み込んでボロボロになるまでぶっ飛ばされて、夜間は自主トレーニングに励む、泣きながら剣を振る幼い少女。
俺はその光景を、毎日、見つめ続けた。
彼女は、諦めなかった。どんな言葉を浴びせられても、剣を捨てることはしなかった。
俺はその姿を見て……何か、不思議な感覚を覚えた。
ルナティエはどう見ても凡人だ。どれだけ努力を重ねても、彼女の剣には限界がある。
だけど……ルナティエの剣を見ていて、何か、自分が忘れていた熱いものを思い出すような感覚がしたのだ。
俺は、何か大切なものを忘れている。そんな気がしたんだ。
そんな日々を送っていた、ある時。
フランシアの屋敷に、リューヌという少女がやってきた。
彼女はキュリエールが拾ってきたフランシアの遠縁の人間らしく、マリーランドの大聖堂で修道女になるための修行を長年していたらしい。
リューヌが帰宅したその日の晩、食堂でフランシア家一同全員で食事を送っていると……キュリエールがこんなことを言い出した。
「今度、ルナティエとリューヌを決闘させます。その勝敗の有無で、次のフランシアの後継者を決定します」
キュリエールのその言葉に、ルーベンスは声を張り上げる。
「急に何を言っているのだ、母上。まだ二人とも十歳ではないか。これから成長してから、じっくりとどちらが良いのか決めても――――――」
「私も良い歳です。後継者を決めるのならば、今のうちに決めておきたい」
キュリエールの有無を言わせないその言葉に、ルーベンスは黙り込み、ルナティエは緊張した面持ちを浮かべ、リューヌは微笑を浮かべていた。
俺はその光景を見つめながら、全員のコップに水を注いでいった。
「こんにちわ〜」
食堂での仕事を終えて廊下を歩いていると、背後から声を掛けられる。
振り返ると、そこには、小さく手を振って近付いて来るリューヌの姿があった。
俺は頭を下げて、挨拶を返す。
「こんばんわ、リューヌお嬢様」
「ふふ。アネットちゃん、でしたっけ? 確か、ルーベンス様が拾ってきた孤児……でしたよねぇ?」
「はい、そうです。私は幼い頃、ルーベンス様に拾っていただいてから、このお屋敷でご厄介になっているのです」
「貴方の出自に何かあるから……ルーベンス様は貴方を拾ったりしたのかなぁ?」
「え?」
「ううん。何でもない。それよりも、これ、落としていたよ」
そう言ってリューヌは、エルシャンテが作ってくれたお手製のポーチを俺に手渡してくれた。
俺はそれを受け取り、お礼を言う。
「ありがとうございます。助かりました。これには、仕事の道具が入っているので」
「ううん。それよりも、これからよろしくね。アネットちゃん」
握手しようと、俺に手を差し伸べてくるリューヌ。
俺はその手を握り、口を開いた。
「はい。よろしくお願いします」
そう言って手を離そうとしたが……何故かリューヌは手を離そうとしなかった。
彼女はあり得ないものでも見るかのような様子で、俺の顔を覗き込む。
「あ、あの、リューヌ、様……?」
「……」
「えっと……」
「どうして……貴方……【支配の加護】が効かないの……?」
「は……?」
リューヌは目を見開き、首を傾げ、引き攣った笑みを浮かべる。
「貴方、何? もしかして、ルーベンスが私への対策で用意した、用心棒か何か? ただのメイドが……剣の修練を積んでいる私よりも強いってこと……あるの……? 闘気か魔力の数値が私よりも上……? いったい、どういうことなの……?」
その言葉に俺は即座に状況を理解して、乱暴にリューヌの手を離した。
「お前……今、俺に何かしようとしたのか……? 相手のステータスを看破する魔眼が何かの持ち主か? それとも、俺に精神操作の魔法をかけようとしていたのか?」
「あはっ! 一気に雰囲気が変わったねぇ! そっかぁ。君……私と同じで、演技してたんだね……なるほどねぇ。そっかぁ。親近感湧くねぇ」
リューヌは目を見開いて不気味に笑い声を上げると、俺を見つめて、再度、開口する。
「アネットちゃん。私はね、この家を乗っ取るつもりなの。だから、私の邪魔をしないで欲しいんだ。一応、警告はしておくよ。君も大事なものを、失いたくないでしょう?」
「は……? 大事な、もの……?」
「すぐに理解できると思うよ。それじゃあね、アネットちゃん」
そう言って去っていくリューヌ。
俺はその後ろ姿を見つめながら、思わずゴクリと唾を飲み込む。
リューヌが持つ得体の知れない雰囲気に、俺の中にある彼女への警戒度は一気に跳ね上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……キュリエールお婆様。ご報告したいことがございます」
深夜。キュリエールの自室にやってきたリューヌは微笑を浮かべて、彼女に言葉を投げた。
「アネット・イークウェスというメイド……後々、邪魔になる可能性が高いです。私の【支配の加護】が効かなかったことから、ある程度、戦闘能力があると推察できます。申し訳ございませんが……お婆様の御力を借りてもよろしいでしょうか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜中。午前二時過ぎ。
俺は中庭に出て、いつものようにルナティエの自主トレーニングを観察していた。
今日もルナティエは泣きながら剣を振っていた。
しかし彼女は疲れが溜まっていたのか、躓き、地面に倒れ伏してしまう。
泥だらけになったルナティエは、悔しそうに涙を流しながら、何とか立ちあがろうとする。だが、足に力が入らないのか……すぐに彼女は、再び地面へ倒れ伏してしまった。
「どうして! どうしてもう動けないんですの!」
ルナティエは、地面に拳を叩きつける。
「動いて!! 動け!! わたくしは今まで、何回も、あの子に負けてきましたわ!! 今度こそ、勝たなければいけないんですの!! わたくしには、夢があるんですの!! だから!!」
地面を殴るのをやめたルナティエは、瞳にブワッと涙を溜めて、唇を震わせた。
「なんで……なんで、わたくしは、こんなにも弱いんですの……? 才能がない人間は、夢を見てはいけないんですの……?」
ルナティエがそう口にした、その時。
先輩メイドのエルシャンテとマイヤーズが中庭に姿を現した。
俺は二人の様子を見て、思わず驚いてしまう。
俺が知っている彼女たちとは、随分と雰囲気が違っていたからだ。
二人はルナティエの前に立つと、馬鹿にするように口を開いた。
「本当、いくら努力してもリューヌ様に勝てるわけないのにね。無駄な努力ご苦労様」
「何でこの方は、リューヌ様に敵わないと分かっているのに、努力するのでしょうか?」
「プライドが高いから、認められないんでしょう? 自分が無能だってこと」
「早く諦めれば良いのに。自分に才能があるって勘違いして努力している人を見るほど、見苦しいものはないです」
「あれは……誰だ……?」
俺は思わず、驚きの声を溢してしまう。
俺が知る二人とは、別人になっていたからだ。
ルナティエは二人の顔を見つめ、絶望した様子を見せる。
「エ、エルシャンテ……? マイヤーズ……?」
「さっさとその無駄なトレーニング、やめていただけませんか? こっちもうるさくて寝られないので」
「そうそう。使用人のみんな言っていますよ。貴方のそのくだらないトレーニングで、寝不足になっているってね」
「あははははは」と笑い合う二人。
ルナティエは身体を震わせて、二人を見つめるだけ。
その光景を見た俺は……思わず、ルナティエの前へと躍り出た。
「――――――――――なるほど。これが貴方のやり方なのですね、リューヌ様」
「ぇ……?」
俺がルナティエを庇うようにして前に立つと、エルシャンテとマイヤーズはフンと鼻を鳴らして、屋敷の中に入って行った。
リューヌが俺に警告と言っていたことは、このことだったのか。
あいつが精神操作系の力を持っていることは理解できた。
このまま大人しくしていれば、俺に危害は加えないと警告したつもりなのだろう。
だが――――それは逆効果だ。
俺の母親代わりだったエルシャンテを、あんな風に変えたのだ。
許してはおけない。
「ルナティエお嬢様。強くなりたいですか」
俺は振り返り、ルナティエを見つめる。
ルナティエは困惑した様子で俺を見つめた後、コクリと、強く頷いてみせた。
「強く……なりたいですわ……!!」
「この先にあるのが、地獄だとしてもですか? はっきり言いましょう。貴方には、剣の才能がない」
「……っ!!」
「貴方はこれからきっと想像を絶するほど敗北を重ねるでしょう。何度も何度も打ちのめされても尚、諦めずに、前へと進み続ける意思はありますか? 夢を掴み取るために……戦い抜く覚悟はありますか?」
「はい……!! わたくしは……どんなに敗北を重ねても、ひとつの勝利を追い求めますわ……!! けっして誰に馬鹿にされようとも!! けっして無理だと言われても……諦めない!! わたくしは……【剣聖】になります!!」
「分かりました。これより先、私は、貴方の剣を鍛える師となりましょう。貴方を、リューヌに勝たせます。努力で才能を凌駕できるのだということを……貴方と共に、証明してみせます」
これが、俺たち二人が、主従となった瞬間だった。
この日から俺とルナティエは、二人で一つとなった。
俺は泣き虫な主人を勝利させるために彼女を鍛え上げる。
ルナティエは俺という存在に依存し、リューヌの能力で敵だらけとなっていくお屋敷の中で、唯一変わらない俺にだけ心を許すようになる。
これで良いのかはわからない。だけどいつしか俺は、彼女のことを守りたいと、そう思うようになっていった。
そして―――――――決闘の日。
俺たち主従は、それぞれの相手と戦うことになった。
屋敷の中庭では、ルナティエとリューヌが向き合う。
そして、屋敷の外、マリーランドを一望できる丘の上で……俺とキュリエールは向かい合っていた。
キュリエールはため息を吐くと、腰の剣を抜き、俺に敵意を向ける。
「掃除中のところ、呼び出して申し訳ございませんが……リューヌが貴方を邪魔だと言っていましてね。高潔な騎士の家の人間として、自分の屋敷のメイドに手を出すのは心苦しいのですが……これも、御家のため。恐らくはルーベンスの手の者なのでしょうが、ここで貴方を排除致します」
そう言って、レイピアでヒュンと空を切ると、剣を構えるキュリエール。
俺はハッと鼻を鳴らして、掃除用具としてそのまま持ってきていた箒を肩に乗せて……不適な笑みを浮かべた。
「変わらねぇな、キュリエール。テメェは昔から己が正しいと決めたことは曲げねぇ女だった。聖騎士として、正しい行いをする。その信念のせいで、よくゴルドヴァークの奴とはぶつかっていたっけな。懐かしいぜ」
「……? いったい何を言っているのですか、貴方は」
「魔法剣最強の剣神、【黄金剣】キュリエール。俺のウォーミングアップ相手としてはちょうど良い相手だ。相手にとって不足はねぇ」
俺は上段に剣を構える。
そして、再度、開口した。
「俺は、あいつを……ルナティエを【剣聖】にすると決めたぞ、キュリエール。そのためには、お前を斬って前に進む」
「その構え……は……そ、そんな、馬鹿なこと、が……」
「さぁ―――――存分に殺し合おうぜ、【黄金剣】。聖騎士の中の聖騎士さんよ」
そうして――――――俺は戦闘の最中で前世の実力を取り戻し、無事、キュリエール相手に勝利を納めた。
だが、ルナティエはリューヌに敗北してしまった。
でも、彼女は諦める様子は見せなかった。
いつか必ずリューヌに勝利してみせると。
俺と共に剣の修練を積み、努力を重ねることに余念を見せなかった。
そして―――――――五年後。俺とルナティエは、聖騎士養成学校へと通うことになる。
そこで、ルナティエは、自身の生涯の好敵手と巡り会うことになる。
「栄えあるフランシア家の嫡子であるわたくしが……どうして……どうして、級長ではないというのですか? 何故、レティキュラータスなどという格落ちの騎士公の娘がこのわたくしを差し置いて級長になっているんですの? おかしい……こんなのおかしいですわ……」
クラス発表の掲示板を見上げて、ルナティエは、絶望した様子でそう声を上げる。
背後に立つ俺がどうお嬢様に慰めの言葉を掛けようと悩んでいると……ルナティエは、ある方向へと目を向けた。
そこには―――――――他者を威圧するようにこちらに歩いて来る青紫色の髪の少女の姿があった。
彼女は自身の背後にいるおさげのメイドに、声を掛ける。
「クラリス。あたしのクラスはどこ?」
「あちらです。事前に見てきましたが、ロザレナお嬢様のクラスは、黒狼クラスのようです。どうやら、お嬢様は級長というものに拝命されたようです」
「ふぅん? その級長というのはどうでも良いのだけれど。黒狼クラスに強い奴はいるのかしら」
そう言って歩いて来るロザレナの前に、ルナティエは道を塞ぐようにして出る。
「ちょ、ルナティエお嬢様!?」
俺の制止の声を無視して、ルナティエはロザレナと呼ばれた少女の前に立った。
そんなルナティエを見て、ロザレナは無表情で首を傾げる。
「誰? 邪魔」
「わたくしは、ルナティエ・アルトリウス・フランシアですわ!! 級長の座を賭けて、貴方に決闘を申し込みますわ!! ロザレナ・ウェス・レティキュラータス!!!!」
ロザレナは目を細めると、嘲笑するように笑みを溢した。
「あんたが……あたしに? 笑わせないでよ。あんたみたいな雑魚の相手をするほど、あたしは暇じゃないの。あたしは……剣聖にならなければいけないのよ。家族を馬鹿にした連中を見返すために……ってあれ? あんた、フランシアって言ったっけ?」
「そ、そうですけど、それが何か!?」
ロザレナは前に進み出ると、ルナティエを鋭い眼光で見下ろした。
「へぇ……? あんたが、あたしのお父様を散々コケにした、あのフランシアの娘なのね……」
凄まじい殺気を見せるロザレナ。
そんな彼女の背後に、ある少女が現れる。
「ちょっと! 掲示板の前に立たないでくださるかしら! 邪魔―――」
ロザレナは振り返ると、その少女の顔に拳を放った。
鼻が折れた少女はそのまま吹き飛んで行き――――中庭にある樹木に激突する。
彼女のメイドは「アリス様!」と叫び、主人の元へと走って行った。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ」と周囲の生徒が悲鳴を上げる中、ロザレナとルナティエは睨み合う。
「いいわ。あんたの決闘、受け入れてあげる。衆目の前で……あんたをボコボコにしてやるから」
俺はルナティエを守るようにして前に立つ。
するとロザレナは俺を見て、笑みを浮かべる。
「それ、あんたの大事な人?」
「だ、だったら、何ですの!?」
「あははは! だからあんたは―――弱いのよ」
そう言って、ロザレナは背中を見せて、去って行った。
きっと――――――ルナティエはあのロザレナという少女に敗北をする。
分かっている。彼女じゃ、ロザレナには勝てない。あの子は、無意識に闘気を使っていた。恐らくは、天才に分類される剣士だ。
だけど、俺は、ルナティエを支えると決めた。
この道の先は、険しい未来が広がっている。
だけど、俺たち二人なら、乗り越えていけるはず。
「……」
俺は、去っていくロザレナの背中を見つめる。
あの子に、何かを感じた。
何か―――――――運命のようなものを。
いずれ彼女とは、戦う定めにあるのだと……そう、感じてしまった。
読んでくださって、ありがとうございました。
ルナティエルートは、本編ルートよりもハードモードになるイメージで、このルートだとロザレナは弟子になりません。
敗北しまくるルナティエを、アネットが支えるお話となっています。
アネットがルナティエを才能がないと断言しているのは、こっちのアネットはアーノイックの要素が強いからです。本編アネットは、ルナティエには無限の可能性があると言って【色彩剣】と名付けましたが、多分こっちのルナティエは【色彩剣】にはならないと思います。本編のアネットは、ルナティエを才能がないとは言いません。努力の天才だと認めているので(この辺は本編アネットとアーノイックの違いかもしれません)。本編=ベストエンドに向かうルート、ルナティエルート=ルナティエだけを幸せにするルート、な、イメージかな?
エルシャンテが洗脳される時期など本編とは異なる時代設定ですが、そこら辺は世界線が変わったせいだと思っていただけたら幸いです笑
アネットが側にいないロザレナを書いてみたかったので、書けて良かったです。
アネットがいないと、ロザレナは暴君と化します。
気が向いたら、限定記事の方で続きを書いてみても良いの……かも?
勿論、本編を進めるのを優先しますけどね笑
次回からは通常通り、巡礼の儀を書く予定です。
また次回も読んでくださったら嬉しいです。
コミックスや書籍の方もご購入どうかよろしくお願いします。




