第36話 元剣聖のメイドのおっさん、お嬢様を見送る。
時計塔に向かって、俺たち満月亭の生徒たちは歩みを進める。
今現在の時刻は午後7時半ー----もうすぐ、騎士たちの夜典が開催される時間帯へと近付いていた。
辺りはすっかり夜の帳が下り、いつの日にか見たような丸い満月が、周囲に優しく月光を放っている。
そんな暗闇の中、俺は、前方で和気藹々と歩く満月亭の面々を見つめつつ、隣を歩くロザレナへと口を開いた。
「お嬢様、緊張しておいでですか?」
「緊張・・・・はしていないと思うわ。でも、何だか変な気分なの」
「変な気分、ですか?」
そう俺が問いかけると、ロザレナは足を止め、空高く聳え立つライトアップされた時計塔を神妙な顔で見つめ始めた。
俺はそんな彼女の様子に足を止め、伺うように肩ごしに声を掛ける。
「お嬢様?」
「・・・・・・何だか、不思議な気分なのよ。これから、あたしは初めて剣を持って人と戦い、自身の進退を決める決闘に挑むというのに・・・・・・何故だか高揚しているの。早く剣を持って戦いたくいて、胸がドクンドクンって、高鳴っているの」
「フフッ、そうですか。・・・・お嬢様、剣士にとって一番重要な要素は何かを、知っていますか?」
「重要な要素? 何かしら?」
「はい。それは・・・・何があってもひたすら前へと、目標へと突き進もうとする、勇往邁進な心です。本当の剣での殺し合いは剣の技術で勝つものではなく、最後に立っていた者が勝利を掴む戦いなのです。ですから、前へと進み、けっして折れない心を持つことこそが真の強き者の証・・・・・私は、そう思っています」
そう口にすると、ロザレナは後ろに手を組んで、こちらに身体を向けて来た。
普段と違って大人びた微笑を浮かべる彼女のその顔は、月明かりによって青白く照らされており、何処か神秘的な雰囲気が漂っているように思える。
「ねぇ、アネット」
「何でしょうか、お嬢様」
「あたし、今から凄く性格の悪いこと言っちゃうけど・・・・良い?」
「性格の悪いこと、ですか。どうぞ」
短くなった髪を耳に掛け、目を細めると、彼女はいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「ルナティエには悪いけれど、あたし、まったく緊張していないの。こんなの・・・・ただの通過点でしかないと、今のあたしは感じてしまっているわ」
これから始めて剣を持って、それも初めての決闘を行うと言うのに・・・・それをただの通過点と、そう言ってのけたロザレナに、俺は思わず破顔してしまった。
「フフッ、フフフフッ! ははははははははははっ! まったく・・・・お嬢様のその自信過剰っぷりは昔から変わりませんね。慢心して、足をすくわれないようにしてくださいよ?」
「分かっているわ。だから、アネット。貴方は・・・・・貴方は貴方の戦いに集中なさい」
「お嬢様・・・・?」
「このあたしが、最近の貴方の様子の変化に気が付かないとでも思った? 貴方が、あたしに内密に何かを企てていることなど、すべてお見通しなのよ」
「そうでしたか。本当、お嬢様には簡単に嘘は吐けなくなりましたね」
「誰よりも長い時間、あたしは貴方のことを見ている自信があるもの。腹黒メイドのことなんて何でもお見通しなんだからね?」
そう言って、前を歩く満月亭の面々に向かって歩みを再開させると、ロザレナは真っすぐと前を見据えながら静かに呟いた。
「・・・・・・思い知らせてやりましょう。あたしたちを舐めてかかったことを、あいつらに」
「はい。そうですね。レティキュラータスの名を再びこの国に轟かせるための、第一歩を・・・・いいえ、違いますね。ロザレナ・ウェス・レティキュラータスという、いずれ『剣聖』になる少女のその名を、この学校に刻み付けてやるとしましょう」
俺のその言葉にロザレナはコクリと小さく頷くと、ギラギラと輝く紅い目で前を見据え、威風堂々とした姿で俺の前を颯爽と歩いて行った。
その姿は、時計塔の上空に浮かぶあの満月に襲い掛かろうとしているー--ーまるで獰猛な狼のように、俺の目には映っていた。
「では、お嬢様、私たちはこれで」
「ええ。行ってくるわね」
ロザレナは俺たち5人にそう言い残し、エントランスにある最上階へと続くエレベーターへと乗り込んでいく。
この魔道炉が組み込まれたエレベーターは、生徒が教室として使用している20階から上の階、21~最上階の67階までのフロアへと行くのみに使用が許可されているものだ。
普段は一般生徒が使用することは禁止されており、教職員しか使うことを許されてはいない。
だが、今日は騎士たちの夜典ということもあり、会場である最上階の『空宙庭園』に向かうために、一般開放されていた。
とは言っても、俺たち観客はまだ空宙庭園には行くことができず、今最上階に行けるのは騎士たちの夜典で決闘を行う聖騎士候補生の二人だけであるのだが。
だから、ここから先は・・・・ロザレナ一人で決闘の場に赴くことになる。
「すぅーはぁー、すぅーはぁー」
ロザレナは胸に手を当て深く深呼吸をした後、エレベーターの中からこちらに笑顔を見せる。
そして大きく口を開くと、ブンブンと豪快に手を振ってきた。
「みんな! あたし、やってくるわ!!」
その言葉と同時にエレベーターの戸は閉まり、ロザレナの姿は見えなくなっていった。
その後、規定時間までエレベーターの前には誰も通さぬように、扉の前に白銀の鎧甲冑を着た聖騎士の二人が扉を守護するように仁王立ちをし始める。
俺たちはその威圧感たっぷりの聖騎士たちから離れ、決闘を見に来た生徒たちがざわめき立つエントランスホールを横目に、外へと向かった。
そして人の気配がまばらになっている中庭に行き、そこで俺たち満月亭の五人はほっと安堵の息を吐く。
「ふぅ~っ、凄い人の数だったねー!!」
「ええ、そうですね、ジェシカさん。騎士たちの夜典というものはあんなに人が集まる催しだったとは、私も驚きました」
俺のその言葉に、オリヴィアは空いているベンチに座りながら、にこやかな笑みを浮かべて口を開いた。
「四大騎士公の末裔のお二人が戦うからか、通常時に開催される騎士たちの夜典よりも、お客さんの数が多いみたいですよ~。こんなに人が集まるのは、級長同士の決闘が行われる時と同規模くらいだと思われます~」
そう言葉を発したオリヴィアの隣にピョンと勢いよくジェシカは座ると、彼女のその言葉に疑問の声を溢す。
「え? いつもはこんなに人が多いわけじゃないのー?」
「ええ、そうなんですよ、ジェシカちゃん。いつも、とは言っても騎士たちの夜典は滅多に起こるものでもないのですが・・・・とにかく、無名の候補生同士の決闘だと、試合を見に集まるのは2,30人くらいのものなんです。それなのに、今回は・・・・ざっと見回しただけでも、エントランスには100人近くいたような気がしましたからね。これはとてもすごいことですよ~」
「フン・・・・大方、賭け試合をする連中が、フランシアの娘に金を賭ければ確実に稼げると思い、大挙して押し寄せているのだろう。くだらん奴らだ」
「賭け試合、ですか?」
そう、俺は隣に立つグレイレウスに質問してみる。
すると彼は、腕を組んだままコクリと頷いた。
「そうだ。この学校は、騎士たちの夜典の試合で賭博を行い、学費とは別の収益を得ている。実際、決闘が行われるこの日は外部からの一般人も客として来ることがあるからな。・・・・あそこを見てみろ」
彼が指を指し示す先に視線を向けてみると、時計塔へと続く通学路に、騎士でも騎士候補生でもない民間人と思しき格好をした集団が歩いている姿が散見できた。
俺はその光景を見て、ふむ、と頷く。
「博打、か・・・・」
なるほど、なるほど・・・・。
もし、もしもの話だが・・・・今、レティキュラータス伯爵から貰った生活費を全額ロザレナに賭ければ・・・・・今のオッズだったらめちゃくちゃ金を稼げそうではあるな。
い、いやいやいや、待て待て待て待てッ!!!! 落ち着け、俺よッ!!!!!!
どこの世界に、主人の金を勝手に賭け事に注ぎ込むメイドがいるというんだ!?!?!?
ギャンブル依存症は前世で捨ててきたはずだろ、アーノイック・ブルシュトローム!!
お前、前世でどれだけ敗けてきたのかを思い返せッ!!!! あの時のようには決してなるんじゃねぇ!!!!!
内なるもうひとりの自分『何を言っているんですか、貴方は。お嬢様が万が一にでも敗けると、そう言いたいのですか?』
内なるもうひとりの自分『そうは言ってねぇだろ!!!! ただ、賭け事は生前から苦い思いしかしてねーってことだよ!!!!! それに今の俺は使用人だろうが!! 立場を考えろってんだ!!』
内なるもうひとりの自分『お嬢様は絶対に勝ちます。彼女を信じるならば、今のレティキュラータス家の財状を支えるためにも、全財産を賭けてみては宜しいのではないですか?』
内なるもうひとりの自分『は? い、いや、確かに・・・・うん、それもそうだな・・・・って、いやいやいやいやいや、危うく自分に言い負かされるところだった!! 今の俺はお嬢様のメイドなんだから、主人の意志を確認せずに金使ったらいけねぇだろ!! ロザレナが真剣に戦おうとている時に、何考えてんだてめぇは!!!!』
「そうだ、落ち着け、落ち着け・・・・・どんなに願ってもスロットで当たりが出ることなんてねぇんだ・・・・もうあの深みにハマってはダメだ、俺よ・・・・・」
「? ど、どうした、突然ブツブツと呟いて・・・・?」
「い、いえ、何でもありません」
コホンと咳払いをし、俺は再びグレイレウスに視線を向けて口を開く。
「なるほど、この学校は生徒の決闘を見世物として活用しているのですね。聖騎士を養成する学校とは思えない、狡猾でアコギな商売をしますね、この学校は」
「バルトシュタイン家は自身の利益に繋がるのなら何でもやる一族だからな。金になるのなら、生徒だって何だって利用するのだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・」
グレイレウスのその発言に、何故かオリヴィアは顔を俯かせ、沈痛な面持ちを浮かべ始めた。
その様子を不思議に思ったのか、マイスが髪に櫛を通しながら声を掛ける。
「どうしたのだ、眼帯の姫君よ。何処か具合でも悪いのか?」
「あっ、いいえ、何でもないんですよ~。気にしないでください~」
マイスのその声にいつものにこやかな笑みを浮かべたオリヴィアは、慌てた様子でベンチから立ち上がる。
そして俺たち四人を見渡すと、手を重ね合わせて、可愛らしく眉根を上げた。
「さて、みなさん、そろそろエレベーターが解放される時間ですよ~! 寮のみんなでロザレナちゃんの応援しに行きましょう! ね!」
「あのエントランスホールの人数で、エレベーターは三つ・・・・となると、開場時は相当混雑することが予期できますね。なら・・・・少し遅れて向かった方が宜しいですかね?」
「あ、確かにそうですね、アネットちゃん。早めに行っても、もうエレベーター前には長蛇の列が出来ているかもしれませんね~」
「だったら、人が捌けるまで時計塔の入り口前で待機しておいた方が良いだろうな。エントランスホールの中をよく見える位置に立っていた方が良いだろう」
「そうだねっ! グレイレウス先輩! じゃあさっそく移動をー----」
「あの、すいません、ちょっと良いですか?」
「え?」
突如、見知らぬ男性が近寄って来て、声を掛けて来た。
見たところ、20代前半くらいのー---若い風貌をした男だ。
彼は距離を詰め、ベンチに座るジェシカへと視線を向けると、朗らかな笑みを浮かべる。
「遠目から見てもしかしてって、思ったけど・・・・やっぱり、ジェシカちゃんだったか! 僕のこと、覚えているかな?」
「あっ! もしかして・・・・・ガルゴくん!?」
「覚えててくれたんだ! いやー、嬉しいなぁ!」
「ジェシカさん、お知り合いですか?」
「うん! この人は、昔、私の実家の道場で、お爺ちゃんに剣を習っていた人なんだ! いやー、6,7年ぶりかなぁ!? 久しぶりだねっ!」
「いやー、本当にね! 昔はジェシカちゃん、こんなに小さかったのに・・・・今じゃこんなに大きくなって!」
「やだなー! 友達の前でやめてよ、ガルゴくん!」
「・・・・・・・・・」
俺は仲睦まじく会話をする二人を眺めながら、少し離れた位置にいるグレイレウスに近付き、そっと彼に耳打ちする。
「・・・・・どう思いますか? グレイレウス先輩」
「フン・・・・話し方がどうにもワザとらしい。十中八九、黒だと思われるな。アネットはどう思う?」
「私も同意見です。今日この日においては、彼女に近付いて来た人間は総じてルナティエの手の者だと見て良いでしょう」
「作戦は・・・・一昨日話した通りで構わないな?」
「はい。お願いします」
俺がそう答えると、グレイレウスは誰にも気付かれないように、そのまま闇の中へと去って行った。
続きは明日、投稿する予定です。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
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今週も張り切って乗り越えて行きましょう!
三日月猫でした! では、また!