第3話 元剣聖のメイドのおっさん、幼女を泣かす。
「うぅぅ・・・・あれ、ベッドの上・・・・??」
「あっ、起きたのねアネットちゃん!! 具合は大丈夫!? どこか痛かったりしない!?」
重い瞼を開け、ぼやけた視界の中、声が聴こえる方向へと視線を向けてみる。
するとそこには、椅子に座ってこちらを心配そうに覗き込むレティキュラータス夫人の姿があった。
俺は眉間を押さえながら、上体を起こし、夫人へと顔を向ける。
すると彼女は俺の身体を気遣うように、優しく背中を摩ってきた。
「起きて大丈夫なの?? まだ眠っていても構わないのよ??」
「大丈夫、です・・・・俺、いや私、お嬢様にノックアウトさせられて今まで気絶していたん・・・・ですね・・・・」
元剣聖ともあろうものが貴族令嬢の、それも幼い少女の拳でダウンしてしまうとは・・・・何とも情けない話だ。
それほど、今のこの身体が弱いということなのだろうが・・・・生前は無敗の剣士だっただけに、かなりショックが大きい。
いや、よくよく考えたら転生してから祖母のマグレットには散々ぶん殴られてきてはいるから、今更な話ではあるんだけどね、うん・・・・。
まぁ、とにかく。
以前の実力を取り戻すためにも、これからはメイド業の合間を縫って、何とか剣の修練を積んだ方が良さそうだな。
「痛たたた・・・・お嬢様、見た目のわりに結構腕力があるんですね」
そう口にし、アッパーを喰らわせられた顎を撫でながら引き攣った笑みを浮かべていると、ふいに夫人の顔が暗くなる。
そして彼女は、突如、こちらに向けて深く頭を下げてきたのであった。
「本当にごめんなさい、アネットちゃん!! うちの娘が、とんでもないことを・・・・」
「へ? い、いいえ!! 頭をお上げになってください、奥様!! 私は気にしていませんからっ」
使用人に対して頭を下げるとは・・・・どうやら俺の知っている貴族とは全く違うようだな、この人は。
俺が生前に出会った貴族なんて、例え自身が間違った行いをしようとも、けっして他人に頭を下げるなんてことをする奴らじゃなかったぞ。
領民を家畜みたいな扱いをするような連中が殆どで、自分より格が下の者を対等に扱うなんてことは、俺が知る限り絶対にしなかった。
だから、・・・・思わず俺は口をポカンと開けて、彼女の行動に少しばかり面食らってしまっていた。
「アネットちゃん・・・・??」
「あ、い、いいえ! 何でもありません」
こちらの唖然とする様子に不思議そうに顔を上げると、夫人は申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
そして、静かに口を開いた。
「こんなことを言える立場じゃないかもしれないけれど・・・・あの子のこと、嫌いにならないであげてね」
「このくらいのことで嫌いになんてなりませんよ。大丈夫です」
「優しいのね、アネットちゃんは」
そう言って一呼吸挟むと、夫人は窓の外に浮かぶ夕陽を眺め、神妙そうな表情を浮かべた。
「あの子・・・・ロザレナはね、今までずっと王立医院の病室で暮らしていたの」
「はい。存じ上げております。重い病気、だったんですよね??」
「そう。だから、あの子は同年代の子と接したことがないのよ。いつも、ベッドの上で本を読むか窓を眺めるかの毎日だったの」
「そう、だったんですか・・・・」
「・・・・だからかしらね、同年代の子・・・・いいえ、ロザレナは他人との接し方が分からないのだと思うわ。だから、あんなひどいことをアネットちゃんにしてしまったのだと思うの」
他人との接し方が分からない、か。
俺も生前、スラム街で過ごした幼少の時は、他人が全て敵だと思えたものだ。
だから、当時の俺は誰かれ構わず襲い掛かり、鬼子と呼ばれ、他人を傷つけ、奪うことに何の躊躇も無かった。
攻撃することが、他者との関わり方なのだと、当時の自分は本気でそう思っていたから。
あの時の俺とは境遇こそ全く違えど、もしかしたら・・・・彼女と俺は似たような立場にいるのかもしれないな。
「奥様、お嬢様は本がお好きなのですよね?? 差し支えなければ、どのような書物をお読みになっていたのかお聞きしてもよろしいでしょうか??」
「確か、伝記ものとか、歴史の本が好きだったと記憶しているわ。でも、どうしてそんなことを聞くのかしら??」
「この不肖アネット、お嬢様のお友達になれればと思いまして。共通の趣味でもあれば、話も弾むかと」
「まぁ!! アネットちゃん、ありがとう!!」
そう言って、俺の両手を握ってブンブンと振ってくるレティキュラータス夫人。
最初、その外見から大人しそうな印象を受けていたが、どうやら結構明るい人っぽいな、この人
そうして一頻り俺の手を振ると、彼女はニコリと柔和な笑みを浮かべ、会話を再開しだした。
「ロザレナはね、過去の英雄の活躍を描いた、冒険譚や伝記が好きみたいなの」
「なるほど。そういった類の本であれば、私も知見があります」
「本当? 良かったわ」
「過去の武人の戦法を研究するため、あらゆる文献を漁ったものです。剣だけでなく、槍、斧、弓・・・・何でもお任せを」
「戦法・・・・?? 槍、斧、弓・・・・??」
「あ、いえ、何でもありません。お気になさらずに」
コホンと咳払いをする。
すると、夫人は口に手を当て、可笑しそうに小さく笑い声を溢した。
「面白い子ね、アネットちゃんは。良かったわ、ロザレナが最初に出会う同年代の子が貴方で。きっと、仲良くなれそうだもの」
「そ、そうでしょうか??」
「ええ。あの子、困った事に伝記にハマった結果、英雄に憧れ初めてしまったの。だから、武器が好きなアネットちゃんとは仲良くなれると思うわ」
何故か武器好きにされてしまっている俺であった・・・・。
いや、そんなどうでもいいことは一先ず置いておくとして。
「英雄、ですか? それって、過去の武人を??」
「うん、そうよ。特に、『剣聖』様の伝記を熱心に読んでいてね・・・・自分もいつか『剣聖』になって、お家を復興させるんだー、って、よく口にするようになってしまったの。最近は大きくなったら騎士の養成学校に通わせろって、しつこいのよ」
「あ、あははは・・・・・『剣聖』に憧れて、ですか。それってレティキュラータス家から出た過去の『剣聖』のことなのでしょうか??」
「ううん。それがね、可笑しいの。ご先祖様じゃなく、歴代最強と謳われる【覇王剣】、先代の剣聖のアーノイック・ブルシュトローム様に強い憧れを持つようになっちゃったのよ、あの子」
「へ? ア、アーノイック・ブルシュトローム・・・・・??」
「そう。お家復興ーって言っているのに、自分のご先祖様じゃなくて30年程前に亡くなられた先代のアーノイック様に憧れるなんて・・・・中々ミーハーよね? あの子も」
え? あの子、俺に憧れてくれてたの??
でも君、もう既に俺を越えてしまってるよ?? さっきワンパンで俺をノシちゃってたよ??
「そ、そうですか、アーノイック・ブルシュトロームを、ね・・・・・はははは・・・・」
何の因果かは分からないが・・・・まさか、転生した先で出会った貴族の令嬢が俺に憧憬の念を持っていたとはな・・・・。
こんなところで生前の自分の名前を聞くことになろうとは、全くもって思いもしなかった。
「お嬢様、お茶をお持ち致しました。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
片手でお茶の入ったティーポットとティーカップを乗せた丸いトレーを持ちながら、もう片方の手でドアをコンコンとノックする。
すると、部屋の中から一言、「入って」と声が聞こえてきた。
俺は静かにドアノブを回し、部屋の中へと足を踏み入れる。
豪奢な造りの部屋の中に入ると、ロザレナは天幕付きベッドの上で何やら本を読んでいる様子だった。
あれは、先ほど夫人から聞いた『剣聖』の伝記、だろうか。
分厚い本を何とか小さな手で支えながら、彼女は一生懸命に書物に目を通している。
「ロザレナお嬢様、お茶をお持ち致しました」
「そう。そこのテーブルにでも置いておいて」
「畏まりました」
俺は手身近にあったテーブルにトレーを乗せると、ティーポットを手に取り、ゆっくりと、カップへ紅茶を注ぎ入れた。
そして無事に入れ終えると、湯立つティーカップをそっと、ベッド付近にある小さなテーブルへと置いておく。
すると、口と鼻を本で隠したロザレナが、本の上からチラリと視線をこちらに向けて、俺へと声を掛けてきた。
「ねぇ」
「はい? 何でしょうか??」
「・・・・あんたはあたしに負けたんだから、これから家来になってもらうけれど・・・良いわよね??」
「家来、ですか??」
「そう。あんたはこれから、あたしの言うこと何でも聞くの。そして、あたしが『剣聖』になるための協力を惜しまずするのよ。分かった??」
「『剣聖』、ですか。お嬢様は何故、『剣聖』になりたいのでしょうか??」
「決まってるじゃない! この家、レティキュラータス家を復興させるのよ!! あたしが、お父様とお母さまをバカにする奴らをギャフンと言わせるの!! この手でね!!」
そう叫び、本を毛布の上に無造作に置き、興奮した様子を見せるロザレナ。
その目には、強い怒りの色がはっきりと見て取れた。
(バカにする奴らを、か)
確か、レティキュラータス家は四大騎士公の家の中では格落ちとされており、王家から決まった役職を任命されていない唯一の四大騎士公だったと、聞き及んだことがある。
元々レティキュラータス家は、『剣聖』の開祖とされており、遥か昔に幾人もの剣聖を輩出していたようだ。
その功績から王家の騎士公に上げられ、爵位を取るに至ったと聞く。
だが・・・・今となってはそれは過去の偉業だ。
他家の貴族からすれば、レティキュラータスという名は、過去の栄光に縋るただの小領主の貴族にすぎないだろう。
それが未だ四大騎士公の座に冠しているのは、他の貴族からすれば当然、面白い話ではないことは容易に推測できる。
そんな立場に在る現レティキュラータス家の彼女と彼女の両親が、今まで他の貴族たちからどういう扱いを受けてきたのかは・・・・まぁ、想像することは難しくないな。
「・・・・・なるほど。お嬢様は権威を取り戻すために剣士の頂点である『剣聖』を志す、と」
「そうよ。あたしはレティキュラータス家の威信を取り戻すの。それがこの私、ロザレナ・ウェス・レティキュラータスの野望なのよ!!」
「そうですか。なら・・・・お嬢様は今、ベッドで本を読んでいる場合ではありませんね」
「え・・・・?」
俺のその言葉に困惑の声を溢しながら、驚いたような表情をしてこちらを見つめてくるロザレナ。
少々、心苦しいが・・・・これだけは、言わないとな。
これも、彼女のためだ。
「お嬢様。『剣聖』は自身の人生を剣だけに捧げた者が到達される領域です。今の『剣聖』、リトリシア・ブルシュトロームは、お嬢様と同い歳の時には既に生物界で最強とされる種族、竜を殺しています。そして、今も尚、彼女は研鑽を続けていることでしょう。その領域に立つには、生半可な覚悟では不可能です」
「だ、だって、あたしはまだ、病気が治ったばかりだし・・・・体力も回復していないし・・・・」
「存じ上げております。ですが、もし本気で『剣聖』を目指すのならば・・・・病状を言い訳にすることはできないのです。どんなに過酷な状況だろうと、剣を振り続けなければならないのです」
俺は死ぬ寸前までー---不治の病に蝕まれながらも、身体中に走る痛みに気絶しかけながらも、剣を振り続けた。
きっと、剣聖を目指している数多の剣士たちは俺と同じ状況になったその時、同様のことを行うのだと思う。
どんな状況であれ、関係ない。
ただ無我夢中に、強さを追い求め続けて、剣を振り続ける。
それが、剣に人生を捧げた者たちの生き方だ。
「・・・・・・・・・・でも、でも・・・・」
「お嬢様、何も今すぐ鍛錬をした方が良いと、私は言っている訳ではありません。ただ単純に時間が足りない、ということを私は言いたいのです。剣を多く振っている者と、本を読んでいる者。どちらがより『剣聖』に近いかは・・・・お分かりですよね??」
「う、うぅぅぅぅぅ~~~~!!!!!!」
顔を真っ赤にさせると、ロザレナは俺に目掛け本を投げ、叫び声を上げた。
「あ、あんたみたいな家来いらないわ!! 出てってよ!! この毒舌メイド!!!!」
そう言って俺は背中に色々なものを投げつけられながら、半ば無理やり、部屋から追い出されたのだった。
「あぁ~・・・・ちょい言い過ぎちまったかなぁ・・・・でも、あのままの状態で本気で『剣聖』目指すようなら、あの子、絶対死ぬだろうからな~~。これくらいキツく言っといて諦めさせた方が彼女のためだよな・・・・うん」
祖母と共に夕飯の支度をしながら、俺はそう、独り言を呟く。
すると、隣で鍋を見ていたマグレットが俺に向けて鋭い視線を向けてきた。
「言葉使い!! それと、野菜を切る手が止まっているよ!!」
「あ、はいっ!! すいません!!」
葉物の野菜を細かくナイフでカットしながら、俺は祖母に怒鳴られないように、黙々と作業を続けていく。
今日の夕食は家主が帰ってきたこともあり、かなり豪勢な代物のようだ。
俺は生前から料理はからっきしだったんだが、この数年、マグレットにしごかれたおかげか簡単なメニューであれば作れるようになっていた。
この技術が生前の俺にあれば、弟子のリトリシアに『師匠の料理は基本、肉を焼いただけのものなのですね』なんて言わせなかったんだけどなぁ。
今思えば娘のように育てていたあの子に碌なものを食べさせられなかったのは、少しばかり、後悔の念があるな。
「料理中に申し訳ない、マグレットさん、アネットくん。ちょっと、良いかな??」
「旦那様? 如何なされたのですか??」
厨房に入ってきたレティキュラータス伯爵に、俺とマグレットは手を止め、料理を中断する。
そして何事かと、神妙な顔で入り口に立つ伯爵へと、近寄って行った。
「いや、急にすまないね。実は、ロザレナのことなのだけれど・・・・・」
「お嬢様のこと、ですか??」
「うん。実はあの子、部屋の扉に鍵を掛けて引きこもったっきり、出てこなくなっちゃってね」
「まぁ・・・・何かあったのでございましょうか??」
「うーん、どうだろう。気難しい子だからね。さっき僕がアネットくんに手をあげたことをこっ酷く怒ったから、拗ねてるのかなぁ」
いや・・・・多分、というか絶対、俺のせいだろうな。
伯爵が彼女を叱ったのは、俺が寝ている時の出来事だろう。
お茶を届けに行った時のその後の彼女はどう見ても、平常な様子だった。
そのことから鑑みて、やはり、うーむ・・・・・いや・・・・これは間違いなく・・・・・やってしまったかな、俺。
「す、すいません、旦那様!! お嬢様の機嫌を損ねてしまったのは、恐らく、私のせいだと思います!!」
「え? どうしてアネットくんが??」
「その・・・・・お嬢様が『剣聖』を目指すことを、少し厳しい言い方で止めてしまったのです。ですから、この責は私のものかと・・・・・申し訳ございません!!」
「アネット!! お前って奴はっ!!」
「いや、構わないよ、マグレットさん。むしろ、僕は嬉しいよ。雇い主の娘に対して、臆せずに意見を言ってくれたことがね。僕も、ロザレナには危ないことはしてほしくないから・・・・アネットくんの行動には大賛成かな」
「ですが、旦那様、お嬢様が・・・・」
「あれは今まで同年代の子と喧嘩もしたことがないだろうからね。これも良い機会だよ。夕食は・・・・フフッ、あの調子じゃ食堂には降りてこないだろうなぁ。しょうがない・・・・ロザレナが後でこっそり食べれるように、何か時間を置いても美味しく食べれるものを作っておいてくれるかな、二人とも」
「畏まりました。ご用意しておきます」
そうして、伯爵が去った後、マグレットにお小言を貰いながらも料理を作り続け・・・・俺は無事に夕食の作業を完遂するに至ったのだった。
ロザレナは案の定、食事の席には姿を見せなかったが・・・・レティキュラータス夫妻は俺たちが作った料理を美味しそうに食べてくれていた。
この優しい雰囲気を持った二人と、傍若無人だけどどこか憎めない令嬢が、これからの俺の主人となる。
最初はもっと偉そうな貴族が雇い主になるのかと思って身構えていたが・・・・そんな心配は杞憂だったようだな。
この人たちとなら、上手くやっていけるだろう。
そう確信を得た、次の日の朝。
ロザレナがー-----屋敷から失踪したのだった。