第11章 二学期 第360話 こうして道化師は生まれた
「……エステルが……王族たちを、次々と謀殺していった……ですか」
マイスの話を聞いた俺は、ゴクリと唾を飲み込む。
そんな俺の反応を見て、マイスは微笑を浮かべた。
「驚いたかね?」
「いえ。彼女自身から、離宮から出た後、周囲の人間を味方に付けて、自分と折り合いの悪い王妃と戦った話は聞いていたので。ですが……改めて、彼女の行動を聞くと、私が知っているエステルと乖離していて……驚きが大きいです」
「俺が12歳のエステルを逃し、メイドの姫君とレティキュラータスの姫君が奴隷商団で彼女と出会ったのが、5年前。そして、王宮に戻り、母親が餓死して王族への復讐を誓ったのが、その半年後。そして、4年前に、エステルは王族の夕食会に姿を現し、復讐を宣言した。それが、先ほど話した出来事だ」
「それで、1年後……3年前に、王妃や親戚、弟や妹を暗殺していった。その中に出てきた幼い第四王女というのが、今のミレーナ王女のことですね」
「あぁ。周囲は、騙されているようだが……無論、俺は彼女が偽の王女であることは分かっていた。エステルが暗殺のミスをするはずがないからな。エステルも、初めからそのことに気付いているのだろう」
「はい。それは間違いないかと。ミレーナ王女は、私やお嬢様、そしてエステルの幼馴染ですから。彼女は幼い頃、私たちと一緒に蠍の奴隷商団に捕まっていた子供です」
「なるほど、そうだったのか。フフッ、面白い偶然だな。王宮晩餐会でエステルが唖然としていたのは、そういった理由からか……あいつがあんなに驚いた表情は珍しいから、少し気になっていたんだ」
そう口にして笑みを溢した後。マイスは首を横に振る。
「さて……話を戻すか。まだ、俺が王位継承権を捨て、マイス・フレグガルトを名乗るようになった経緯を話していないからな」
そうして、マイスは過去の話を再開させた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今から3年前。14歳の頃。
俺は、弟であるジークと一緒に、王宮の廊下を歩いていた。
『……兄さん! エステリアルの奴は、どんどん王宮で力を付けてきているよ……! このままじゃ、兄さんの派閥についてくれた貴族たちも、いつ、エステリアルの派閥に寝返るか……! 僕は不安だよ!』
『ジーク。慌てるな。例え親友である彼女相手でも……私は、お前と話したあの夢を、諦める気はない。剣のない世界を創る。それが私たちの夢なのだからな』
廊下を歩きながらそう背後にいるジークに言葉を掛けると、彼は俯き、足を止めた。
『親友……何で兄さんは、あんな女を友達なんて言うんだよ? あんな奴……ただの人殺しじゃないか……』
『良いか、ジーク。エステルがああなったのは……私たち王族のせいだ。王族が寄ってたかって、彼女を追い詰めたから……今、私たちは復讐されているんだ』
『そんなこと言っても、僕と兄さんは、あいつに何もしていないじゃないか!』
『何もしていなくとも……その血を継いでいるだけで、彼女にとっては罪なんだ。良いか、ジークハルト。エステルが何故あそこまで強いのか。それは、彼女が、目的のためならば自我を殺すことができるからだ。きっとあの王女はこれから先、自分の野望を叶えるまで進み続けるだろう。その覚悟が、彼女にはある。残念ながら、そこまでの覚悟を持つ王族はこの王宮にはいない。ジュリアンなど、足元にも及ばない。このまま行けば……勝つのは間違いなくエステルだ』
『そ、そんな……!! 僕、嫌だよ!! あいつは暴力で人を支配しようとしている!! そんな奴が創る国なんて、希望はどこにもないよ……!!』
俺はしゃがみ込むと、そう涙目で訴えてくるジークの頭をポンと撫でた。
『そうだな。お前の言うとおりだ。安心しろ。私が聖王になり、この国を剣のいらない平和な世界にしよう。……いや、違うな。私たちで、必ずこの国を変えてやるんだ。お前には兄が付いているんだ。不可能など、どこにもない。そして私には、お前が付いている。私たちは無敵の兄弟だ。二人でこの国を獲るぞ、ジーク』
『僕は……兄さんと違って、聖王の器じゃないよ。頭も良くないし、剣の才能もないもん。臆病だし。聖王になるのは、兄さんさ。僕は補佐を務めるよ』
『はっはー! 何を言っているんだ、お前は! お前が、私に、教えてくれたんじゃないか。剣のいらない世界があったら良いのにな、と。私はな、ジーク。誰よりもお前という男を認めているんだ。お前は、私などよりもすごい男だ。私はお前の夢に乗っかっているだけにすぎないよ』
『僕には……兄さんがそんなに僕を褒めてくれる理由が分からないよ……。ジュリアンには馬鹿にされるし、末の妹のフレーチェルにさえ座学の成績が追いつかない。兄さんみたいに、神童と呼ばれるような才能は僕にはないよ』
『馬鹿を言うな。この私がお前を認めているんだ。お前はもっと自信を持て、ジーク』
ジークにそう言った、その時だった。
突如、背後から、声を聞こえてきた。
『では……そのように』
『はい。お願い致します』
俺は振り返り、コソコソと廊下の最奥で会話をしている二人の男に目を向ける。
その二人は、小領貴族の男とフードを被った怪しい男だった。
二人は俺と目が合うと、バツが悪そうに、その場から離れて行った。
『あれは……確か、エステルの陣営に付いた、リテュエル家の当主……』
『兄さん?』
『あぁ、いや、何でもないさ。さぁ、ジーク。今日も一緒に剣の稽古に励むぞ!』
『僕が兄さんと訓練しても、ついていけないよ』
そうして俺は訓練場へと向かい、朝の日課である剣の稽古を、ジークと共に行うのだった。
―――――――深夜。
俺はジークの部屋で、部屋の隅に立ち、ベッドの上で静かに寝息を立てているジークの顔を見つめていた。
そして、腕を組みながら短く息を吐き、静かに口を開く。
『思い過ごしであれば良いのだが……』
そう呟くのと同時に、キィと、扉が静かに開いた。
俺は闇に身を潜ませ、腰の剣に手を当てる。
すると、扉を開けて―――――――今朝見たフードを被った男が、部屋の中に入って来た。
男は迷いなくベッドで眠っているジークの側まで近寄ると……ナイフを抜き、それを振りかざした。
「ふっ!」
俺は闇の中から飛び出すと、腰の鞘から剣を抜き放ち、男の手からナイフを叩き落とした。
そして男の首元に剣を突きつけ、窓から月光が照らす中、口を開いた。
『そこまでにしてもらおう。我が弟の命を狙うのならば、容赦はしない』
『……っ!!』
硬直する暗殺者。そして俺は続いて、扉の隙間からこちらを覗いている何者かにも、声を放った。
『リテュエル子爵。何故、貴方は、私の弟を暗殺しようとしたのですか?』
俺のその言葉に、扉を開いて、今朝見た貴族の男が姿を現した。
『気付いていたのか……! やはり、今朝、見られていたのが原因……!』
『いいえ。私は最初から気付いていましたよ。これでも、情報を把握する術には長けていますので。王宮内の殆どがエステルの陣営に付いたといえども、私の味方をする者も少なからずいます。なので……王宮内で不審な動きをしている貴族を事前に察知するくらいは、容易いものです』
『……流石は、神童といったところか……!!』
『リテュエル子爵。貴方は蝙蝠政治が得意な八方美人貴族として有名ですが……王族殺しに加担するような、危うい選択をする貴族ではなかったはず。慎重な貴方が、何故、このようなことを?』
『それ、は……』
『―――――――――やはり、君は一筋縄じゃいかないね、マイス』
そう言って、リテュエル子爵の背後から現れたのは、エステルだった。
エステルは俺に笑みを浮かべると、続けて口を開く。
『簡単な話だよ、マイス。人を動かすには、その人の大切なものを人質に取れば良い』
『まさか、リテュエル子爵の娘を……人質に取ったのか?』
『正解だ。僕は子爵の一人娘、アリス・キェス・リテュエルを人質に取った。リテュエル家の屋敷にいる騎士たちは、全て僕の息がかかった者たちで構成されている。故に僕は指先一つで、彼の娘を殺すことができるんだ。だからこそ彼は必死になって、僕の命令に従っているのさ』
『……エステル。もうこんなことはやめるんだ。王族を殺し回ったところで、君は――――――――――』
『救われないとでも言いたいつもりかな? それは君が光の中にいるから言えることだよ、マイス。地獄で生まれた者に、その言葉は届かない』
そう言ってエステルは目を細めると、闇の中から、月光の下にいるこちらに向けて、妖しい微笑を浮かべた。
『きっと、僕がいなかったら、次の聖王は君になっていたのだろうね、マイス。君の存在は、はっきり言って僕にとってはとても恐ろしいものだ。ジュリアンやフレーチェル、ジークハルトなど驚異にすら感じられないが……君は違う。君は、この僕と同じ力を持っている。神など信じはしないが、まさか、王族の中でこれほどまでの才覚を持っている人間がいるとはね。数奇な運命だよ。本当に……ふざけた話だ』
『エステル。何故、君はあの塔から出て以来、そんなに変わってしまったんだ? 私たちは友人だったはずだろう? 何故、私の弟までも殺そうとするんだ? 君の母親とジークは、無関係のはずだろう?』
『変わった? 友人? ふざけたことを言ってくれるね。僕は変わってなどいないさ。それと……君、僕に惚れていたんだろう? 何となく分かったさ、君の視線でね。まったく、塔の中で閉じ込められていた女に惚れるなんて、おかしな話だね。いや、おかしくもないのか。君の父親は、僕の母親……メイドに手を出した。見境がないのは、父親譲りかな? マイス?』
『違う! 私は、純粋に、闇の中でも賢明に生きる君が美しいと―――――』
『気持ちが悪い。以前も言ったはずだ。僕は、男だと。僕には好きな人がいる。僕が好きなのは、僕を助けてくれた、あの人だけだ。断じて、君など好きになりはしない』
『……』
俺がただ黙っているのを見ると、エステルは踵を返し、背中を見せた。
『マイス。僕は、巡礼の儀が始まる前に、ジークハルトを必ず殺すよ。後は、セレーネ教と聖騎士団の庇護下にあってまだ手を出すことができない、ジュリアンとフレーチェルを殺し、勝利を確実とする。マイス、一番手強い君を殺すのは最後だ。弟を殺され、復讐鬼となった君は、巡礼の儀で僕と一騎討ちをするというわけだ。フフフフフフ……楽しみにしているよ、マイス』
そう言って、エステルはリテュエル子爵と暗殺者を連れて、部屋から出て行った。
俺は、この時、悟ってしまった。
エステルを――――――説得することはできない、と。
このまま彼女は、全ての王族を殺すまで、止まらないのだろう。
それほどまでに、目の前で母親を失った彼女の絶望は計り知れないものだったのだ。
(いや……当然の話か。産まれてからずっと塔に幽閉され、彼女にとって話し相手は、同じく塔に幽閉されていた母親しかいなかったのだからな)
闇の中で生きてきた彼女は、唯一の自分の世界を失った。
飢えて、日に日に痩せ細る母親の姿を、エステルは、いったいどんな気持ちで看取ったのだろうか。
恐らく……彼女を止める方法は、ただひとつ。それは……。
『ジークを守るためには……エステルを殺すしか……道がないのか……?』
四六時中、自分が弟を見守ることはできない。
確実にエステルは、自分の隙を突いて、ジークを狙ってくる。
ならば、こちらからやり返さなければ―――――――――。
『無理だ……私は、エステルを……殺したくはない……』
地面に膝を突いた後。俺は、呆然と、窓の外にある月を見つめた。
『エステルを殺せば、きっと私は、ジークが教えてくれた……剣のいらない世界なんて創ることはできなくなるだろう。人殺しが剣が不要な世界を、人々に説けるはずがない。人の命を奪えば、その闇の連鎖は永遠に続いていく。……しかし、私は、エステルを殺したくはない。彼女は友達だ。だけど、エステルを殺さなければ、きっとジークは殺されてしまう。俺が一番大事な、弟が……!! 友の手によって……!!』
俺がポロポロと瞳から涙を流していると、ベッドの上で静かに寝息を立てている弟の姿が目に入った。
この腐った王族たちの中で、唯一、平和な理想を掲げてみせた……愛すべき弟。
自分にとって、家族とは、ジークハルトだけ。
俺はこの時―――――――――――――――決意を抱いた。
そして同時に、友と弟を救う、ある策を思いついた。
ただ、その策を遂行すれば、弟が自分に怒ることだけは理解できた。
だけど……ジークが……弟が生きていてくれるなら……俺には、この手を使う他に、道はなかった。
『ジーク。私ではなく、お前が……夢を叶えるんだ。お前ならできる。だって、お前は……私の弟なのだから』
俺はそう言って、ベッドの上で眠っているジークの額を、優しく撫でた。
『エステル。こんなところに呼び出してしまい、すまないな』
翌日。王族一同の昼食会を終えた後。
俺はこっそりとエステルを呼び出し、人気のない、王宮の裏手にやってきていた。
俺の前に現れたエステルは、背後に、騎士を引き連れていた。
『彼は……?』
『万が一のための保険さ。僕は武芸には秀でていないからね。君に剣で挑まれては、太刀打ちできない。だからここには、護衛を連れてきたんだ。それで? 話って何かな、マイス。残念だけど、説得する気なら無駄だよ。僕は、絶対に聖王になる。君が聖王を目指し続ける限り、僕は君の敵―――――』
『あぁ。だから、今日は、王位継承権を捨てることを告げに来た』
『は……?』
パチパチと目を瞬かせ、唖然とした様子を見せるエステル。
俺はそんな彼女に、続けて言葉を投げる。
『取引だ、エステル。私はこれから先、王位継承権を捨てる。その代わり、ジークのことは見逃して欲しい』
『は……ハハハハハハハハハハハハハ! しょ、正気かい? マイス? 君が王位継承権を捨てたら、僕の勝利は確実となるよ? 弟の命を守るためだけに、戦わずして敗北を認めるのかい? 君だったら、僕に勝てるかもしれないのに!』
『……』
『本気、なんだね? そうか。一番の敵が去ってくれるなら、僕にとっても願ってもない話だ。それなら、ジークハルト一人くらい見逃してやっても良いよ。だけど……当然だけど、君が絶対に王位継承戦に関わらないのが条件だ。ジュリアンやフレーチェルに接触するのは、僕が許さない。そして、今まで君が築いたものを全て壊して貰う。徹底的にね』
『……わざと間抜けな真似をして、馬鹿王子にでもなれ……ということか?』
『話が早いね。そういうことだよ。君の派閥に付いている人間には、君への信頼を無くして貰う。君が王位継承権を自分で捨てても、君を崇拝している臣下がいては、また僕に立ち向かってくる可能性があるからね。だからこそ……君の持つ全てを、没収させてもらう。君が完全に戦意を無くして初めて、僕は君の取引に応じよう』
『それで構わない。だが私も、馬鹿ではない。私が全てを捨てた瞬間、君がジークを殺す可能性があるだろう?』
『そうだね。じゃあ―――――――《強制契約の魔法紙》で、契約を結ぼう。君が他の王子に接触したり、巡礼の儀に参加しない限り、僕は、ジークハルトには手を出さない。契約を無視すれば、僕の心臓は破裂する。これでどうかな?』
『異論はない』
『勿論、君が他の王子に接触して僕に敵意を見せた時や、王位継承者として巡礼の儀に参加する意思を見せた、その時は……君の心臓も破裂する。それと同時に契約破棄とみなし、僕の契約は解除されると、契約書には書き記す。構わないね?』
『あぁ……分かった』
そうして、この日。俺は―――――――マイスウェル・フラム・グレクシアから、女好きの駄目王子、マイス・フレグガルトへと、変わったのだった。
『……聞きました? マイスウェル王子が、また王宮を抜け出して、王都で飲み歩いていたって話』
『俺は、貴族の娘に手を出した挙句、10股していたって話を聞いたぞ? それで、貴族たちがこぞって陛下に王子をどうにかしてくれと文句を言いに行ったとか……』
『神童と呼ばれた、王族始まって以来の天才児だったというのに……子供の頃から大人に混じって政治の話をしていた彼は、どこに行ったの……?』
『やはり、ジュリアン王子しかこの国を任せられる王子はいないな……』
王宮の廊下を歩いていると、使用人たちのそんな噂話が耳に入って来る。
彼らは向かい側から歩いて来る俺の姿を見て、頭を下げると、ばつが悪そうにそそくさと去って行った。
俺はフフッと笑みを浮かべた後。
王宮晩餐会が行われている会場の扉の前に立つと、バーンと、勢いよく扉を開いた。
『やぁ、諸君! 楽しくやっているかね!!』
俺の登場に、シーンと、静まり返る会場の貴族、王族たち。
俺はそんな彼らを無視して、ずかずかと会場の中に入り、テーブルの上に置かれていたワイングラスを手に取り、それを一気に口に煽った。
すると、その時。顔を青ざめさせたジークが、俺の側へと走って来た。
『何を……何をやっているんだ、兄さん!!』
『ハッハー! やぁ、ジーク! 元気にしているか?』
『にい、さん……?』
ジークの視線が、俺の腫れた頰、そして、崩れた衣服に向けられる。
その視線を受けて、俺は、ポリポリと頰を掻いた。
『あぁ、これか? 昨晩、貴族の娘に手を出したら、その親友と付き合っていることがバレて修羅場になってしまってな。いやはや、俺は皆を幸せにしたいだけだというのに、難儀なものだ。ジーク、お前も浮気をする時は気を付けるんだぞ? ハッハー!』
俺のその言葉に、周囲の貴族たちがザワザワと騒ぎ始める。
以前まで、俺のことを畏敬の念で見つめていた連中が、今では嘲笑するように俺のことを見つめていた。
『に、兄さん……ど、どうしたんだよ? 今までの兄さんだったら、女性を傷付ける人間に対して、嫌悪感を示していただろ!? なのに、なんで、そんなことを……』
『ジーク。俺はもう、好きに生きることに決めたのだ。聖王も、巡礼の儀も、知ったことではない。俺は、愛に生き愛に死ぬと、そう決めた!! せっかく金と地位があるんだ!! 好きに使わないともったいないだろう? 人生、楽しんだ者勝ちさ!! ハッハー!!』
『ふざ……ふざけるなよッッッッ!!!!!!』
俺の胸倉を掴み、声を張り上げるジーク。
周囲は唖然となり、俺たち兄弟から離れて行った。
『僕との約束を忘れたと言うのか、兄さん!! 僕は、兄さんと一緒にこの国を変えようと、必死に努力してきたんだ!! なのに……何だよ、それは!!!! ふざけるのも大概にしろ!! ここは、貴族一同が集まる王宮晩餐会なんだぞ!? お前が今まで培ってきたものを、台無しにするな!! お前を支持していた奴らを失望させるな!!!!』
『残念だが、俺はもう、聖王になる気はない。悪いな、ジーク』
『き……貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
ジークによって、俺は思いっきり頰を殴られる。
そして俺は吹き飛ばされ―――テーブルの上へとダイブした。
情けない笑みを浮かべ、頬を撫でる俺の姿を見て……ジークは涙を瞳に溜めて、歯を食いしばっていた。
(すまないな、ジーク。だけど、俺にはこうすることしか、できないんだ)
『プッ……今、聖王を目指す気は無くなったと、そう言っていたようだが……それは本気なのかい? マイスウェル』
『本当に、王族の恥ですわ、マイスウェルお兄様は』
そう言って、ジュリアンとフレーチェルがやってきた。
俺はテーブルの上に大の字になりながら上体を起こし、手を挙げ、口を開く。
『あぁ。俺は一抜け、だ。後はジュリアン、お前の好きにすると良いさ』
『フ……ハハハハハ! 神童も成長すればただの人、か。残念だよ、マイスウェル。僕と聖王の座を巡って争うのは、君だと思っていたのだけれどね』
『ハッハー! 聖王の座など、興味無いさ! 俺には、まだ見ぬ可愛い女の子たちが待っているのでね!』
俺は前髪を靡き、爽やかなスマイルを見せる。
すると、その姿を見て、フレーチェルが大笑いした。
『アハハハハハハハ! 聖王よりも女の子、ですって? 私は端から、ジュリアンお兄様の方が聖王に相応しいと思っていましたわ! やっぱり、私のお兄様こそが最強なのです!』
フレーチェルのその言葉を皮切りに、周囲に居た貴族たちも、失笑し始める。
その光景を見て、ジークは声を震わせた。
『やめろ……笑うな……兄さんは、誰よりも、聖王に相応しい人なんだ……お前たちに何が分かる? 兄さんは、本気で、この国のことを憂いていて……影でずっと努力していて……』
『ハッハー! みんな、笑顔なのは素晴らしいことだな! もっと笑いたまえ! 笑う門には福来る、だ!』
そう、道化のように笑い声を上げる俺に対して、ジークは再び俺の顔面を殴ってきた。
何度も、何度も、殴りつけてくるジーク。
涙を流しながら殴りつけてくるジークは、その後、他の貴族たちに羽交い締めにされて、会場の外へと連れて行かれるのだった。
俺は口から流れる血を拳で拭うと、上体を起こし、泣き喚くジークに小声で声を掛ける。
『ごめんな、ジーク』
そうして、俺はその後、度重なる不祥事に耐えかねた聖王によって、王位継承権と王族の名を剥奪された。
今後は、先代宰相であった、フレグガルトの性を名乗るように命じられた。
15歳の頃。荷物の入った鞄一つで王宮の外へと追い出された俺は、父親からの命令(再教育)でもあった、聖騎士養成学校に入学して身を隠すことに決めた。
あの地はバルトシュタイン家の管轄であり、無闇に王族が立ち入るのが難しい。故に、エステルも他の王子たちも、俺の命を狙うことは難しい。
当時はジュリアンの派閥にゴーヴェンが付いていなかったこともあって、学園に入学する以外に、道は無かったんだ。
『――――――――ここが、これから俺が暮らす、学生寮……満月亭、か』
目の前に聳え立つ、古いお屋敷を見て、俺はそう呟く。
特に、期待などは無かった。剣術も座学も、とっくの昔に、騎士学校で教わるレベルのものは超えていると、自負していたからだ。
俺は扉を開けて、中へと入る。
すると、その瞬間、異臭が鼻の奥を突いてきた。
『なっ……なんだ、この臭いは……!!』
そう口にして、俺は鞄を手に持ちながら廊下を進み、異臭の大元と思しき食堂へと足を踏み入れる。
食堂の中へと入ると、バタバタとスリッパの音を立てて、台所からエプロンを付けた少女が姿を現した。
『あれ……?』
黒髪ショートヘアーに、眼帯を付けた、少し陰が漂う少女。
その少女は俺の前までやってくると、緑色の液体が付着しているレードルを片手に、首を傾げた。
『どなたですかぁ〜?』
『え? あ、あぁ。俺は今日からこの満月亭に入寮することになった、新入生のマイス・フレグガルトだ。というか、ここ、男女共有の寮なのか? そんな学生寮があって良いのかね? いったい学園長は何を考えて――――』
『新しくここに来てくださる方なんですか!! わーい!! 嬉しいです〜!! 私も一週間前にこの寮に入ったんですけど、ずっと一人で〜!! もう、古いおうちだから幽霊とか出そうで怖くて怖くて仕方なかったんですよ〜!!』
俺の手を掴み、喜び、跳ねる眼帯少女。
そんな無邪気な少女に笑みを返した、その時。
バキリと俺の手が、砕ける音が聞こえてきた。
少女は俺の手を離すと、慌てて自己紹介をし始める。
……俺の手の骨が折れていることは……見なかったことにしておこう。きっと、何かの間違いだ。
『あ、すみません! 私はこの満月亭の監督生、オリヴィア・アイスクラウンです! これからよろしくお願いしますね! ええと……』
『マ、マイス・フレグガルトだ』
『マイスくん、ですね! そうだ! お腹、空いていませんか〜? 今、私、お料理の勉強をしてまして! ちょうど、シチューを作っていたところなんです!』
『りょ、料理……? こ、この臭い、が……?』
『はい〜! 今、お持ちしますね〜!』
『い、いや、待て! 誰も食べるとは言ってな―――』
俺の言葉を無視して、厨房に去って行くオリヴィア。
そんな彼女の様子に困惑していると、背後から、声が聞こえてくる。
『……お前、ここの寮生か?』
背後を振り返ると、そこには、短髪で首にマフラーを巻いている青年の姿があった。
彼は、俺の腕にある腕章を見て、口を開く。
『フン。お前、オレと同じ一期生……新入生か。牛頭魔神クラスか』
『君は、確か、鷲獅子クラスの級長……グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロス……だったか?』
『一週間前に入学式を終えたばかりだというのに、耳が早いな。というか……何だ、この臭いは。毒薬でも作っているのか?』
『そうだった! 君、すぐにここから離れた方が良い! 今からここは戦場に―――――――』
『おまたせしました〜! って、あら?』
トレーにグツグツと煮立つ緑色の液体が入った皿を乗せて、オリヴィアが食堂に姿を現す。
そして彼女はグレイレウスを視界に捉えると、キランと目を輝かせた。
『もしかして……マイスくんに続いて、新しいお仲間さんですか!! シチュー、食べますか!!』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《アネット 視点》
「そうして、その後、俺とグレイは共にオリヴィアの洗礼を受けた、というわけだ。いや〜あの時は笑ったよ。あのクールなグレイが、一口で死にかけたのだからな。オリヴィアの料理を食べるのは、まさに、満月亭に入寮するための最初の難関だな。君たちもそうであったように、俺たちもまた、被害者だったんだ」
「……」
「本当に……満月亭に入寮してから、楽しいことばかりだった。エステルと戦うことも、ジークからも逃げてきた俺にとって、あの場所は、楽園だったんだ。オリヴィアとグレイは、俺に居場所をくれた大事な友人だ。だからこそ、学園の敷地内に入って来る者には、用心した。エステルがまた、ジークの時のように、俺の周囲の人間を脅かす可能性があったからな」
「夏休み前に、実習棟に肝試ししに行ったのは……見回りをするためだったんですね?」
「その通りだ。エステルの配下……ギルフォードの奴が、学園内を嗅ぎ回っていることには気付いていたんだ。だから俺は肝試しと称して、奴の痕跡を調べるために、皆であの場所に向かったんだ。一人で校舎を散策するよりも、全員で行った方が、見つかった時の言い訳がしやすいからな。だが……まさか、あそこにギルフォード本人がいるとは思わなかったんだ。あれは完全に悪手だった。間が悪い……いや、俺のミスだった。満月亭の皆を危険に晒してしまうところだった。今でも深く反省している」
「では、貴方が多くの女性と関係を持って、情報を得ていたのも……」
「あぁ。それは以前言った通り、満月亭を守るためだ」
その言葉に、俺はふぅと、大きくため息を吐く。
「何というか……結構、大変な人生を歩まれておられるのですね、マイスも」
「同情、してくれるのかね? 弟を守るためとは言ったものの、俺はただの臆病者さ。エステルを殺す覚悟も無ければ、ジークと共に戦う覚悟もない。半端者なのさ。だから……メイドの姫君が他の王子と関わりがあっても、俺は、彼らと不用意に接触することはできない。協力関係も結べない。エステルとの契約があるからな」
「なるほど……私にその話をしたいがために、自分の過去を打ち明けたのですね?」
「そうだ。それに、残念ながら、今現在……君が懇意にしているフレーチェル王女と剣神ヴィンセントは、ゴーヴェンの手に落ちたと聞いている。最早、戦えるのは、俺たちしかいない」
二人とも、捕まってしまった……というわけ、か……。
奈落を包囲されていた以上、仕方ないことではあるな……。
無事であると良いんだが……。
「……」
俺は頷いた後。マイスに向けて開口した。
「……分かりました。ジークハルト陣営を結成して、ゴーヴェンとエステルと戦いましょう。お嬢様をお救いする道は……どうやら、ここにしかないようです」
「ありがとう、メイドの姫君。必ずや、レティキュラータスの姫君を救おう!」
「ですが、マイス。契約内容を聞く限り、貴方がジークハルト陣営に加わり、エステルと戦うのは……」
「平気さ、メイドの姫君。俺はとうに……死ぬ覚悟はできている」
そう言って立ち上がると、マイスは俺に、手を差し伸べてきた。
「みんなを守るんだ。そして、みんな一緒に満月亭へ帰ろう。俺たちの帰るべき場所へ! そして……剣のいらない、平和な世界を目指そう! メイドの姫君!」
俺は、眉間に皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべた後……顔を上げ、立ち上がり、マイスの手を握った。
「……はい。みんなで帰りましょう。満月亭へ……!」
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