第11章 二学期 第358話 死神
《ジャストラム 視点》
12歳の頃――――――あれは、道場にアーノイックが来たばかりの頃だった。
アーノイックは道場の門下生を叩きのめし、全員、道場から追い出して行った。
残ったのは私とハインラインだけ。
ハインラインは何回も倒されたけど、私は……アーノイックには負けなかった。
『……くっそー! 何で俺の攻撃が当たんねぇんだ!! こんな小さいクソガキ相手に!!!!』
『クソガキじゃない。アーノイックよりもジャストラムさんの方が年上。ジャストラムさんの方が強いのは当然のこと』
『テメェの方が背が小さいじゃねぇか!!』
『獣人族は人族よりも老化スピードが遅いんだよ。そんなことも知らないなんて、やっぱりアーノイックはお子ちゃまだね』
そう言って幼い私は、目の前で座り込む二つ年下の少年にプッと嘲笑の笑みを溢す。
すると、年下の少年……アーノイックは激昂し、木剣を手に立ち上がった。
『テメェ……絶対にぶっ殺してやる!!!!』
『ぷぷぷ。何度やっても同じことだよ。アーノイックじゃ絶対にジャストラムさんには敵わない。闘気がいくらあろうとも、攻撃が当たらないんじゃ意味ないもん』
『俺は今まで、この道場にいる奴ら全員ぶっ飛ばしてきたんだ!!!! 奴らは全員……ハインラインの野郎を除いて……俺の力を恐れて、出て行ったぜ!!!! 後はテメェだけだ、ジャストラム!!!! テメェを半殺しにして、アレスの元に晒してやる!! この俺を拾ってきたことを、奴に後悔させてやる!!!!』
『悪趣味。ジャストラムさんは、アーノイックが奈落の掃き溜めでどういう生活を送ってきたのかは知らない。知りたいとも思わない。だけど、そんなに周囲全てに敵意を振り撒いていて、楽しい? 君には、何か守りたいものとか無いの?』
『ねぇな!! 俺の大事なものは、既にこの世にはねぇ!! だから俺は、この世界全ての奴らに復讐を――――――』
『探しなよ』
私のその言葉に、アーノイックはキョトンとした表情を浮かべる。
『……は?』
『また大事なものを、探しなよ。全てを失ったのなら、また一から。アーノイックの大切な物の中に、私を入れても良いよ。特別に、許してあげる』
『何を言ってやがんだ……テメェは……!!!!』
アーノイックは咆哮を上げると、木剣を上段に構え、私に襲いかかってくる。
『【暗歩】』
私は気配を遮断し、アーノイックの剣を避けると、難なく彼の間合いへと入り――――――アーノイックの首元に木剣を突きつけた。
『なっ……!』
『はい、200勝目。アーノイックは、暗殺者タイプの剣士に弱いね。というか……私との戦闘で、どうも、苦手意識が定着したっぽい?』
そう言って私はアーノイックのおでこを指で突く。
そして首を傾げ……彼にニコリと微笑んだ。
『ねぇ、アーノイック。私は、何処にも行かないよ。君が死ぬまで、何処にも行かない。安心して良いよ。君は、私を失わない。これから先、一人になることは絶対にない』
『……』
『ジャストラムさんは、次期剣聖だなんて言われているけれど、正直そんなものは面倒臭い。だから、アーノイックに譲ってあげる。君なら、アレスの想いも受け継ぐことができると思うよ』
『ハッ! 譲る、だぁ? 上から目線で言ってんじゃねぇぞ、犬女!! テメェをぶっ飛ばして、アレスもぶっ飛ばす!! そのことに、変わりはねぇ!!』
そう言ってアーノイックは再び、木剣を上段に構える。
私はそんな彼にニコリと微笑み……木剣を逆手に構えた。
『まったく……君は諦めるということを知らないんだね、アーノイック』
『ったりめぇだ!! 奈落の人間は諦めたらそこに死が待っている!! 俺は勝利するまでは止まらねぇぜ!! 死ぬまで、絶対にな!!』
『その意気や良し、だ!』
その時。私たちの前に、ハインラインが姿を見せた。
そして彼は腕に包帯をグルグル巻きながら、剣を片手に、笑い声を上げる。
『俺も絶対に諦めんぞ、アーノイック!! さぁ!! 1872試合目を始めようか!!』
『テメェは……少しくらい諦めるということを覚えろよ、熱血馬鹿が』
私たちは三人で剣を向け合い、笑みを浮かべる。
チラリと背後に目を向けると、そんな私たちを縁側で優しく見つめている、アレスの姿があった。
16年後。
私は、王都の外れにあるアーノイックの家に行き……そこで、あることを告げられた。
『アレスが……死んだ……って、本当なの? アーノイック』
『すまない、ジャストラム。俺のせいだ……俺のせいなんだ……師匠は、俺を庇って……本当に、すまない……』
そう繰り返して、私に頭を下げてくるアーノイック。
その部屋は荒れ放題になっており、壁には無数の穴が空いていて、床には大量の酒瓶が散乱していた。
アーノイックの髪もボサボサで、彼の目の下には深いクマができていた。
私はしゃがみ込むと、震える手で、アーノイックの背中を撫でた。
『アーノイック。事情は知らないけど、ジャストラムさんは君を責めないよ。だから、顔を上げて――――――』
『俺を殺してくれ、ジャストラム。俺は……また、自分のせいで大事なものを失ってしまった。俺が生きていたら、今度はハインラインやジャストラムを失ってしまうかもしれない。そんなのは、もう、耐えられない……!!』
私は、酷く後悔をした。
私がアーノイックに【剣聖】の役目を押し付けてしまったから、彼は王国の人々に忌み嫌われることになり、その重圧のせいでこんなにもボロボロになってしまったのだから。
『アーノイック。大丈夫。私は……君のことを……』
最後まで自分の本意を隠した卑怯な私は、塞ぎ込むアーノイックを抱きしめた。
その後。私は一週間、彼の家に住み、身の回りの世話をした。
けれど、アーノイックは……ますます自罰的になっていってしまった。
理由は分かっていた。
アレスの娘である私という存在が側にいることは、アーノイックにとっては、死刑にも等しい行為だったからだ。
私という存在は、彼にとっての罪の証。
壁に頭を叩きつけるなどのアーノイックの自傷行為を見ることに耐えかねた私は、後のことをハインラインに託して、彼の元から逃げ出した。
アーノイックが自分でアレスの死を乗り越えなければ、私は、彼の側にいることはできない。
それまで、私は、距離を置くことに決めた。
長年、伝えることができなかった想いを……いいえ。伝えたところで、答えはとうにわかりきっている想いを、胸に抱えながら。
だけど、それが―――――私にとって、彼との最後の別れになってしまった。
『え……? アーノイックが……死んだ……?』
人族の生きる時間を、私は、見誤ってしまった。
私と彼らでは、生きる時間が異なる。人の世界から隔絶された場所に暮らしていたため、私には、時間の間隔が分からなくなっていたんだ。
その後の顛末をハインラインから念話で聞いた私は……リトリシアという少女に、深い感謝を覚えた。
私の代わりに、彼を再起させてくれた、森妖精族の少女。
彼女が側にいてくれたおかげで、アーノイックは一人で逝くことはなかった。
でも、本当のことを言うと……その役目は、私がやりたかったんだけどな。
『アーノイック。ごめんね……来世があるんだったら、私はもう一度、貴方に、伝えられなかった言葉を―――――――』
「俺の剣は誰であろうと折ることはできない。例え、運命を捻じ曲げる「死」であってもな。おら、かかって来いや、死神。相手してやるよ」
目の前にいるのは、肩に箒を乗せ、不適な笑みを浮かべるメイド。
私はナイフを逆手に構えたまま、目を細める。
(どうして、今、あの時のことを――――――――――――――)
私はゴクリと唾を飲み込み、静かに口を開く。
「君……今の、何? 【覇王剣】って言った? それに、何で私の剣を受けて、その箒は壊れないの? 一体、君は……」
「……」
メイドの少女……アネットは、脇に抱えていたロザレナを地面に下ろす。
そして彼女を守るようにして前に立つと、背後に降り立ったマフラーを巻いた青年に、声を掛けた。
「グレイレウス。お嬢様を見守っていろ」
「はっ」
剣王グレイレウスにロザレナを任せた後。
アネットは箒を構えて、こちらに敵意を見せてきた。
「悪いが……俺には、守りたいもんがあるんだ。ここは退いてくれねぇかな、ジャストラム」
「……」
「というか、何故、お前がお嬢様の命を狙うんだ? 元々仕事熱心な奴じゃねぇだろ、てめぇはよ」
「まるで私のことを知ったような口ぶりで話すけど、ジャストラムさんは君とは剣王試験の時しか話していない。君に私のことが分かるはずがない」
「分かるさ。お前は……無闇に人の命を奪う奴じゃない。現に、両手ナイフ使いのお前がナイフ一本で戦っているところからして、迷いが見て取れる」
「それは……」
「そもそも、父アレスから禁術として封印命令を出されたその【死閃】を、お前は過去の失敗から人に向けて放つことを極端に控えるようになったはずだ。父アレスと喧嘩別れした原因でもあるからな、その技は。お前にとって奥義とも言えるその技は、お前にとっては禁術ともされる技だ。そいつを放つってことは……何か、裏に覚悟を決めなければいけない事情があるということだ。違うか?」
「き、君は……何なの、いったい……!?」
何故、そこまで、私のことを知っているの?
考えられる線は……このメイドの子が、アーノイックの娘であるということ。
それしか、彼女が【覇王剣】、【折れぬ剣の祈り】を使用してみせた理由が思い当たらない。
でも、アーノイックは生涯独身だと聞いていた。
もしかして、リトリシアとの子供……? にしては、森妖精族の要素が、彼女にはない……。
「私は……災厄級の因子である彼女を、殺さなければならない」
「何故だ?」
「ベルゼブブが現れた時に理解した。アーノイック亡き今、災厄級が再びこの世界に現れたら……世界は終わる。ハインラインも老化して弱体化し、リトリシアも剣聖としてはまだ頼りない。なら、私がこの手を汚してでも、不安の種は取り除かないといけない。大切なものを……守るために」
「そうか。珍しくやる気を出したってわけか」
「私は……アーノイック、そしてその子供のリトリシアに剣聖という責務を押し付けてしまった。だから、せめて彼女の代わりに辛い仕事を肩代わりしてあげたいだけ。アーノイックの意思を継いだ剣聖リトリシアに、人間の少女を殺すという罪を負わせたくはない。その罪は、私が背負う」
「ゴーヴェンの言葉は、真実じゃねぇかもしれねぇぞ?」
「だとしても―――――リトリシアは必ず、ロザレナを倒すために剣を握る。彼女は、この国の守り手である剣聖なのだから。汚れ仕事は……暗殺者である、私の仕事」
「はぁ。こうなったら仕方ないか。良いか、ジャストラム。信じられないかもしれないが、俺は――――――――」
「悪いけれど、どんな説得にも、私は応じない」
私はそう口にして、【瞬閃脚】を発動させ……アネットに襲いかかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《アネット 視点》
ジャストラムはまっすぐと、俺に向かって突進してくる。
「ちょ、お前、話を聞けよ!!」
「問答無用」
ナイフを器用に動かし、俺に高速で切り掛かってくるジャストラム。
俺はそのナイフに箒丸を当てて、全て防いで行った。
子供の頃のトラウマのせいか、あいつを前にするとどうにも身体が強張るな。
元々暗殺者タイプは苦手な剣士だ。だが、そんな弱音は言ってられない。
(恐らくは……現剣神、最強の実力者。手を抜いてどうこうできる相手じゃねぇな)
高速で五十回ほど斬られ、その全てを箒で防いでみせた後。
接近戦は意味がないと理解したのか、ジャストラムは目の前で姿を掻き消した。
「【瞬閃暗脚】」
【瞬閃脚】と【暗歩】の合わせ技か。
完全に気配を絶ったジャストラムに対して、俺は、直感で顔を横に逸らした。
すると顔の横を、ナイフが通っていく。
俺は振り返ると、箒丸に闘気を纏い、横薙ぎに放った。
ジャストラムはそれを寸前で回避すると、空中で旋回し、地面に足を付けるのと同時にまた【瞬閃暗脚】を発動させ、闇に溶けて消えて行った。
ザーッと雨が激しくなっていき、「ピカッ、ゴロロロロロロ」と、雷が何処かに落ちていく。
俺は箒丸を構えたまま、ただ意識を集中させた。
「【死閃】」
その時。暗闇の中から、青い死の剣閃が飛んでくる。
俺は屋根の上を駆け抜け、その剣閃から逃げて行った。
(【死閃】は、【絶空剣】ほどの大きな斬撃ではなく、スピードも規模も劣るが……対象の死を奪うまで止まらない、殺傷能力に長けた剣閃。一見、無敵の技に見えるが、この技から逃れるには【覇王剣】以外に三つの方法がある)
一つ。あの剣閃を自分以外の者に当て、他の者の命を消費させて、逃れる方法。
二つ。発動者を気絶させ、能力を解除させる方法。
三つ。【死閃】は、対象者を目で視認して放つことで、技として効果を発揮している。故に、ジャストラムの視野の外に出ることさえできれば、【死閃】は行き場を失い、停止する。
俺は足を止めると、深く足を踏み込み、箒丸を……力いっぱいにスイングした。
「【旋風剣】!!」
竜巻が巻き起こり、結果雨風が周囲に吹き荒れ、視界が不鮮明になる。
これで、ジャストラムの視界は塞がれたはず。【死閃】は停止し、俺を追いかけることはもうしない。
「……驚いた。やっぱり君は、私の弱点を知っているんだ。だけど……」
俺の背後に姿を現したジャストラムが、ナイフに青い光を宿して、迫って来る。
再び悪寒を覚える。死の気配。
「これは交わせないよね―――――――――【死突】」
「【心眼】」
俺は即座に【心眼】を発動させる。
すると、周囲がスローモーションになっていき……俺は頭を下げることで、ジャストラムの攻撃を避けてみせた。
そして、屈むのと同時に、ジャストラムが伸ばした腕を掴み、全力で彼女を投げ飛ばした。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
「ッ!!」
遠くの街へと飛んでいくジャストラム。
俺はそれと同時に、腰に箒丸を当てて……抜刀した。
「【絶空剣】!!!!」
「そんな……馬鹿な……その技は……」
空間を切り裂く斬撃が、ジャストラムへと向けて飛んでいく。
ジャストラムは闘気を纏ったナイフを構え、その斬撃を防ごうとするが―――――――――ジャストラムに【絶空剣】が当たった瞬間、王都の上空に巨大な煙が巻き上がり、ドシャァァァァンと、空中に爆発音が鳴り響く。
空中に巻き上がる巨大な煙を見つめた後。俺は即座にお嬢様とグレイの元へと向かい、ロザレナの手を握った。
「行きましょう、お嬢様! この場所に居続けるのは危険です!」
「え? でも今ので、ジャストラムは死んだんじゃないの?」
「死んでいませんよ。あの程度でやられる程……最強の剣神は……彼女は弱くない」
俺はお嬢様にそう言った後、グレイに声を掛ける。
「グレイ、【瞬閃脚】で移動する。ついてこられるな?」
「はっ。よろしければ、この先に、潜伏できる場所があります。ご案内しましょうか?」
「本当か? 頼む」
俺はお嬢様の腕を掴んだ後、先行して走って行くグレイの後をついて行った。
(剣神までもが、お嬢様の命を狙ってくる、か……)
普通に考えたら、当然のことだ。剣聖・剣神は、人類を守ることが責務。
ただでさえ王都は、ベルゼブブの騒動で民たちはトラウマを抱えている状態だ。
そこで新たな災厄級の種がいるとなったら、国民がパニックに陥るのは必然。
一人の少女の命でこの国の不安を取り除くことができるのならば、称号持ちの剣士たちがロザレナを狙うのは当然のことだろう。
いつだったかもロザレナに言ったが……剣聖とは……殺し屋と変わらない。
聖王国を守るためだったら、何であろうとも殺す。それが、剣聖の仕事。
そもそもが国の奴隷なのだ、剣聖というものは。
人々の民意に逆らう英雄など、必要ない。
英雄とは、民のために心を殺す者たちのことだ。
「……」
王宮晩餐会の日。ゴーヴェンと交わした言葉を思い返す。
『正義とは、いわば、一種の呪いだ。剣聖という存在は、民の期待を一心に背負わされ、国を守る要となっている。まさに、弱き人々の贄と呼べる存在だろう。現に愚かな民どもは、いくら我ら聖騎士が身を粉にして働こうとも役立たずだと罵ってくる始末。ベルゼブブの一件が、分かりやすい例と言える。善き行いをする者は、損をする。この世界は、そういった仕組みでできている。本当の正義とは―――贄などいらない、全ての者を救う世界を創りだす者のことだ』
『力を持つ者には、それ相応の責務が問われる……』
『それは、正しさの奴隷となった者の言葉だよ。奴隷は、現状に満足し、ただ与えられる餌を享受し世界の檻に閉じ込められたままを良しとする。良いかね、アネット。私が目指すのは、真に正しき世界だ。私はいつの日か、愚民も、悪も、全て滅し、正しい者だけが生きる世界を創り出そうと思っている。正しき強さを持った人間が、奴隷になることなく、安寧に住むことのできる世界を創り出す。それが、私の夢だ』
ゴーヴェンの言葉など認めない。
だが……もし、リトリシアがロザレナを見逃す判断を取った時……王国の人々は怒り狂うだろう。
災厄級を見逃す剣聖など、必要ではない、と。
「もしかして……ゴーヴェンは、俺にこの状況を見せようと……しているのか? もし奴が俺の正体を把握しているのだとしたら、最悪だ。あいつは俺の主人と娘を……殺し合わせようとしているのだからな。この世界は俺にとって、地獄そのものだ」
「アネット?」
背後からロザレナの声が聞こえてきたが……俺はそれを無視した。
グレイはある民家の前に降り立つと、キョロキョロと辺りを見渡した。
そして、周囲に敵がいない様子を確認すると、屋根の上にいる俺たちに手で合図を送ってくる。
俺は頷くと、屋根の下へと降りて、扉を開けて民家の中へと入るグレイに続いた。
「お邪魔します……って、ここは……?」
「お姉様!!」
その時。俺の身体に、小柄な少女が抱きついてきた。
その少女は、俺の顔を見て、瞳を潤ませた。
「ご無事で良かったです、お姉様!! 私はもう心配で心配で……!!」
「ベアトリックスさん!? ということは、ここは、ベアトリックスさんの……」
部屋の奥に目を向けてみると、そこには、ベッドで横になっている女性の姿があった。ペコリと会釈する彼女に、俺も頭を下げる。
足が木質化しているところを見るに……グレイとベアトリックス、そしてファレンシアの母親、か。
「……ちょっと、ベアトリックスさん。普通、そこはアネットの心配じゃなくて、あたしの心配をするところなんじゃないかしら? というか、いつまで抱きついているのよ。離れなさい!」
「あぁ、ロザレナさん。ご無事でしたか。勿論、ロザレナさんがそう簡単にやられるとは思っていませんでしたよ。貴方みたいな頑丈な女性、他に見たことがありませんから。聖騎士団ごときにやられるようなタマではないでしょう、貴方は」
「相変わらず……口悪いわね、このチビ女は!! グレイレウス!! あんたの妹でしょ!! どうにかしなさいよ!!」
「チッ、能天気な奴らだ。今、そんなことで争っている状況ではないだろう」
「……グレイ。ベアトリックスさん。私たちがここにいて大丈夫なのでしょうか? 病気のお母様もいらっしゃいますし……迷惑になるのではないですか?」
俺のその言葉に、ベアトリックスの母親は、ニコリと微笑みを浮かべた。
「アネットさん……ですよね?」
「え? あ、はい」
「ベアトリックスと、グレイレウスから話は聞いています。貴方は私の子供たちを救ってくださった恩人だと。こうしてお会いするのを、ずっと楽しみにしていました。アネットさん、二人を支えてくださり、本当にありがとうございます」
「い、いえ、そんな……」
「事情は理解しております。好きなだけ、この家に居てくださって大丈夫ですよ。私たちは例え何があったとしても、アネットさんやロザレナさんを売ったりはしませんから」
「お母様……」
二人の母親に頭を下げた後。
俺は、グレイとベアトリックスに声を掛ける。
「とはいえ……ここに潜伏し続けるのは、二人のお母様を危険に晒す行為です。ここにいるのは、次の拠点先が見つかる間までにしたいと思います」
「ですが、お姉様……果たしてこのまま、逃げ続けることはできるのでしょうか?」
「……解決策は、必ず何処かにあるはずです。心配してくださってありがとうございます、ベアトリックスさん」
心配そうな表情を浮かべているベアトリックスにそう声を掛けると、グレイが部屋の奥から2枚のタオルを持ってきて、俺とロザレナに渡してきた。
「まずは雨に濡れた身体を拭いた方がよろしいかと。風邪を引きます」
「ありがとう、グレイ。そうだ……これ」
俺はエプロンのポケットから、貨幣が入った袋を取り出し、彼に手渡す。
「これは?」
「剣王試験の、優勝賞金です。キリシュタットがルクスから奪ったものを、先ほど、預かりました」
「!! ありがとうございます、師匠!!」
俺に深く頭を下げた後、グレイはベアトリックスへと向き直り、その袋を彼女に手渡した。
「受け取れ。約束した金だ」
「……兄さん」
「これであの人を……母さんを救ってやれ。良いな、ベアトリックス」
「質問があります。兄さんはどうして、私たちを助けようと思ったのですか? 兄さんは私たちを恨んでいたんですよね?」
「あぁ。だが、今は、恨みはない。オレと姉さんを捨てた父に対してもだ」
「それは……どうしてですか?」
「いつまでも誰かを恨み続け、困っている家族を見捨てるような小さい男のままでいたら……オレは、我が師と亡くなった姉に顔向けができなくなるからだ。このマフラーは、我が姉、ファレンシアが自身の夢と共にオレに預けてくれたもの。そして、オレの背中は、我が師が見つめ続けていてくれる。この二人に恥じない人間になることが、オレの生き様だ。故に、オレはお前たちを恨まない。オレにとって、母と妹である貴方たちを、恨む必要はない。オレの敵は……貴方たちではない」
「兄さん……!」
ベアトリックスは涙を流すと、袋を抱きしめる。
「ありがとう、兄さん。私……必ず、『死に化粧の根』を治療する薬を作ってみせます……! お母さんだけじゃない……この国に住む、全ての人々を『死に化粧の根』から救うために……!」
「あぁ。オレは剣の頂点を目指し、この国を変えてみせよう。共に夢を追いかけ続けよう、ベアトリックス」
グレイは優しい微笑みを浮かべると、ベアトリックスの頭を優しく撫でた。
二人の母親も、その光景を見て、涙を流していた。
(変わったな、グレイも)
初めて会った時から想像もできない程、大人になった。
かつてあいつは復讐を糧に剣を磨いていたが、今は違う。
人々を守るために、世界を変えるために、剣を持っている。
立派だ。お前は俺の自慢の弟子だよ、グレイレウス。
「ぐすっ、お姉様! このベアトリックスも、お姉様のお力になれることがありましたら、何でもやる気です! 魔術師として活躍できる場がありましたら、いつでもお呼びください!」
「む。何を言っている、ベアトリックス。我が師にはオレがいるから、お前は不要だぞ」
「馬鹿言わないでください! 私が、お姉様のお力になるのです!」
睨み合う兄妹。うん……やっぱりよく似ているな、こいつら。
俺はお嬢様の頭をタオルで拭きながら「あはは」と引き攣った笑い声を上げてしまった。
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午後4時。
満月亭から出てきた寮生たちは、全員、鞄やリュックを背負っていた。
全員の前に立ち、傘を差してその姿を見つめていたオリヴィアは、口を開く。
「皆さん、ちゃんと荷物は持ちましたか?」
「うん! ばっちり!」「持ちましたわよ」「持ったのじゃ」「持ったぞ」
ジェシカ、ルナティエ、フラン、マイスの返事に頷いたオリヴィアは、マイスに目を向けて、声を掛ける。
「マイスくん。本当に……ロザレナちゃんを匿うことのできる場所があるんですよね?」
「当然さ。このマイスに任せておきたまえ! はっはー!」
「情報源がマイスというのが、ちょっと不安なんですけど……まぁ、今のところ、仕方ありませんわね。彼の言葉を信じてみましょうか……」
「じゃあ、皆さん、行きましょう!」
オリヴィアはそう口にすると、前を振り返り、歩いて行く。
そんな彼女の後を、全員、傘を差しながらついて行った。
「ここだ」
マイスが満月亭の寮生たちを連れてきたその場所は、中央市街の路地裏奥にある、寂れた建物だった。
マイスは懐から鍵を取り出すと、扉を開けて……声を張り上げる。
「ジーク! お邪魔するぞー!」
「は? なっ……!?」
暖炉の側にあるソファーで本を読んでいたジークハルトは、ゾロゾロと建物の中に入って来る満月亭の寮生たちを見て、起き上がり、驚きの表情を浮かべる。
「なっ……何だ、お前たち!? 何故、ここが……!?」
「はっはー! ジーク、お前が寮にいない間、隠れ家で書物を読み耽っていることは分かっていたぞ! ふむ。良い部屋ではないか。これからここを、俺たちの拠点にしようか!」
「な、何を言っている、貴様……!?」
ジークハルトは立ち上がると、マイスの側へと詰め寄る。
そんなジークハルトに、マイスは微笑みを浮かべた。
「ジーク。お前は、王になれ」
「……は?」
「王になって、レティキュラータスの姫君を救え。俺が力を貸してやる。一緒に戦うぞ」
「今更……お前は何を言っている……マイスウェル!!!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ベアトリックスとグレイレウスの兄妹喧嘩を微笑ましく見つめていた、その時。
念話の感覚を覚える。
俺は耳に手を当てて、緊張した表情で、念話を受け取った。
「……はい。どなたでしょうか?」
「師匠? わたくしです、ルナティエです。良かった……ご無事なんですわね」
俺はホッと安堵の息を吐き、言葉を返す。
「ルナティエ……良かった。そろそろ連絡を取りたいと思っていました。ロザレナお嬢様は無事です。グレイも一緒です。今、私たちは、ベアトリックスさんの家で潜伏しています」
「奈落にいると聞きましたが、上層に戻って来ていたんですのね! 良かった……。あ、そうですわ! 今、わたくしたち、ジークハルトの隠れ家にいるんですの。そこは安全だからと、マイスが言っていて……今から来ていただけますか?」
「え? ジークハルトの隠れ家?」
「ええ……とにかく、急いで来て欲しいんですの。マイスとジークハルトが喧嘩していて……」
今度はそっちの兄弟か。
俺はため息を吐いて、ルナティエに言葉を返した。
「分かりました……よく分かりませんが、向かいましょう」




