第11章 二学期 第354話 支配された王国
「……何だか……いつもより、街に聖騎士が多く感じられるな……?」
俺は聖騎士駐屯区を歩きながら、周囲の様子を見て、首を傾げる。
何故だか、いつもより街の様子が物々しかったからだ。
街を巡回する騎士が大勢おり、その姿を見てか、店をやっている人たちも少ない。
これはいったい、どういう状況なのだろう?
「ねぇ、アネット。何か、王都の雰囲気がいつもと違わない?」
隣を歩いていたロザレナも、その空気を察したのか、そう口にする。
俺は頷き、お嬢様に言葉を返した。
「そうですね。剣王試験の時も、奈落の関所に多くの聖騎士が集まっていましたが……最近は、どうにも聖騎士たちの動きが活発化しているように感じます」
ジュリアンとゴーヴェンが、何かをしようとしているのだろうか?
このことは、ヴィンセントとフレーチェルに伝えておいた方が良いだろうな。
いや……ヴィンセントのことだ。街の変化には既に気付いているか。
ゴーヴェンが動き出した以上、あの二人にはどうにか頑張ってもらいたい。
「お嬢様。何があっても良いように、私の側から離れないようにしてください。良いですね」
「分かってるわ」
「本当は、私は、お嬢様が私と一緒に奈落の掃き溜めに行くことには反対なのですが……」
「だーかーら、何度も言っているでしょ。一緒に行くって!」
ギュッと、俺の手を掴み、握りしめて来るお嬢様。
俺はそんな彼女に、微笑みを浮かべた。
「……一人だと、不安、なのですか? 怖い夢を見たから」
「そんなことはないわよ。ただ、暇だっただけ」
そう言って唇を尖らせ、そっぽを向くお嬢様。
俺はクスリと笑みを溢した後、前を向いた。
「先ほどお話した通り、私はオフィアーヌの息女として、ミレーナ陣営とフレーチェル陣営のサポートをさせていただいています。これから向かう奈落の掃き溜めという場所で、両陣営は、物資を届けようとしています。私はそのお手伝いをするために、奈落へと向かっているのです」
「そうなんだ。何か、アネットは次から次へと仕事が降ってきて、大変ね。あたしだったら王族の争いなんて興味ないから無視するわ」
「良いですか、お嬢様。奈落の掃き溜めという場所は、とても危険な場所です。聖騎士養成学校に入学する前に、お話したことは……覚えていますか?」
「うん」
ロザレナがそう返事をするのと同時に、俺たちは、聖騎士駐屯区と市街を繋ぐ石橋の上へと辿り着く。
そこでロザレナは俺の手を離すと、手すりの側に寄り、下を覗き込んだ。
「王都でいない者とされている人が行き着く場所……だったわよね。違法薬物が蔓延していて、日夜略奪が行われ、王家も聖騎士団も、あそこに住んでいる人たちを見て見ぬふりをしている。確か、学園に入学する前にその話を聞いたあたしは、怒って、聖王家とバルトシュタイン家を否定して……聖騎士に捕まりそうになったんだっけ」
「そうですね。懐かしい話です」
「何で、あたし、怒ったんだろう」
「…………え?」
「あ、ううん。そりゃあ、あんな場所を放置して、堀の上で表面的に綺麗な街を取り繕っているこの国は、終わっているわよね。うん。やっぱり王家も聖騎士団もク……おっと。今、たくさん聖騎士がいるから、悪口はいけないわよね。あたしもあの頃から成長したんだから、同じ轍は踏まないわ! ふふん!」
「……」
俺はお嬢様の顔をジッと見つめる。
するとお嬢様は、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? 早く行きましょう、アネット」
「……はい」
俺は言葉を返し、お嬢様と共に、奈落の底に繋がる関所へと歩いて行った。
とりあえず、階段と昇降機が壊れている関所に向かってみたが、何とそこには、ヴィンセントの配下であるコルネリアの姿があった。
コルネリアは俺の姿に気が付くと、笑みを浮かべて、声を掛けてくる。
「アネット様。ようこそ、いらっしゃいました」
「あ、おはようございます、コルネリアさん」
「ちょ、ちょっと、アネット!? この人……聖騎士なんじゃないの!?」
俺の背後に隠れたロザレナが、ガルルルルと、コルネリアに唸り声を上げる。
俺はそんな彼女に、そっと声を掛けた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。コルネリアさんは聖騎士ですが、悪い人ではありません。味方です」
「おや? アネット様、ロザレナ様もお連れになったのですか?」
「あ、はい。すみません、コルネリアさん。お嬢様がどうしても私の側を離れたくなかったみたいで……迷惑はかけませんので、一緒に連れて行っても大丈夫でしょうか?」
「ちょっと、アネット! あたしはご主人様なのよ!! 子供扱いしないでちょうだい!!」
「クスッ。大丈夫ですよ。ただ……奈落の掃き溜めは危険な場所ですので、気をつけてくださいね。まぁ、剣王であるロザレナ様なら、大丈夫だと思いますが」
「あら、分かってるじゃない。ふふん。そうよ。あたしは強いんだから。舐めないでよね」
「それと……」
コルネリアは俺に近寄ると、耳打ちしてきた。
「アネット様は、ロザレナ様を巡礼の儀に関わらせたく無いと、ヴィンセント様から聞いております。ロザレナ様は、レティキュラータスのご息女です。なので……フレーチェル王女が、勧誘してくる恐れもあります。その点は十分に、気をつけていただけたらと」
「はい、分かっています。ですがフレーチェル殿下も、一度断れば、素直に引き下がってくださる人だと思いますよ」
まぁ、ロザレナを配下にしてコントロールできる王族なんて、いないと思うけどな。むしろ仲間に引き入れたら、言うことを聞かずに、暴れ回りそうだ。
「では……奈落の掃き溜めへ参りましょうか」
そう言って、コルネリアは関所の扉を開けた。
俺は首を傾げながら、ロザレナと共に、コルネリアの後に続いて関所の中へと入る。
「奈落の掃き溜めへ繋がる階段は、崩落していたのではないのですか?」
「ヴィンセント様の御力で、修復することができました」
「そんなすぐに、直すことができるのですか?」
「ご覧になられれば、分かると思いますよ」
そうして、コルネリアと共に関所の2階へと登り……屋上へと辿り着く。
屋上にある鉄格子の向こう……そこに続いている、奈落へと続く長い階段の一部が、日の光に当たり、青く輝いていた。
「あれは……」
一目見て分かった。なるほど、崩落した部分を氷で繋いで、簡易的な階段を作り出したのか。あいつもなかなか器用に魔法を使いこなすんだな。
「ヴィンセント様の魔法で、崩落した部分を氷の階段で繋ぎ止めました。ただ、氷でできているので、気をつけて渡ってくださいね」
「滑って落ちたら……」
「この高さなので……ゴミ山の上に落ちない限りは即死しますね」
コルネリアのその言葉に、ロザレナは顔を青ざめ、俺の腕を抱いてくる。
「さぁ、参りましょう。生憎、聖騎士団も奈落の関所が崩落したと考えて、警備を手薄にしていますしね。今のうちです。ヴィンセント様は先に奈落へ向かい、フレーチェル殿下と話し合っておりますので」
そう言ってコルネリアは鉄格子の鍵を開けると、階段を降りて行った。
「お嬢様、落ちないように、私の腕を握っていてください」
「う、うん!」
ギュッと、さらに強く俺の腕を握るお嬢様。
そうして俺たちもコルネリアに続き、階段を降りて行った。
階段を降りながら、堀の下に広がる巨大な奈落の底を見下ろす。
この国はいつから、下層と上層に別れたのだろうか。
明確にあそこが地獄となったのは、大森林から持ち帰った死に化粧の根を蔓延させたゴルドヴァークの代からとされているが……その前からずっと、あそこには地獄が広がっていた。
剣王試験の時に向かった時は、フランエッテを助けるために、落ち着いて見ることができなかったが……あそこが俺が産まれた故郷、か。
不思議な話だ。
あの地獄で産まれて、剣聖となった俺が、今では貴族のメイドをしているなんてな。
いつの間にかすっかり俺も……上層民というわけだ。
「アネット?」
階段を降りながら奈落の街並みを見つめていると、隣で俺の腕を抱いているロザレナが、声を掛けてくる。
心配そうに俺の顔を見つめているロザレナは、続けて口を開いた。
「……大丈夫? 何だか、辛そうな表情を浮かべているけれど?」
「そう見えますか?」
「うん……あの時と、同じ顔をしている」
「あの時?」
「聖騎士養成学校に入学する時、橋の上から堀の下を見ていた時と……同じ顔」
「そう、ですか……」
「あの時、アネットは、何も感じていないような素振りを見せていたけれど……アネットにとって、あの場所は、何か意味がある場所……なんだよね? あの時のアネット、泣きたいのに泣けない顔をしていたから……」
「そうですね……あそこは、第二の故郷とでも呼ぶべき場所でしょうか……」
「故郷? アネットが産まれたのはオフィアーヌ家で、育ったのは、レティキュラータス家なんでしょ?」
「ええ、そうですね」
俺がそれ以上何も答えずにいると、ロザレナは怪訝な様子で首を傾げていた。
そして、大きくため息を吐くと、ロザレナは続けて口を開いた。
「あたしだけじゃなくて、アネットも秘密ばっかりじゃない。まぁ、いいわ。でも、これだけは覚えておいてね。泣きたい時は……いつでもあたしの胸の中で泣いて良いんだから。あたしとアネットは、一心同体なんだから」
「お嬢様……ありがとうございます」
お嬢様にそう礼を言った後。
俺は前を向いて、コルネリアに声を掛けた。
「あの……コルネリアさんって、リーゼロッテの妹……なんですよね?」
「はい、そうですよ」
「リーゼロッテは、あんなにゴーヴェンに心酔していた聖騎士だったのに……コルネリアさんは何故、ヴィンセント様の配下になったのですか?」
「……そうですね。その疑問はもっともです。元々、クラッシュベル家というのは、代々バルトシュタイン家に支えている聖騎士の家系でした。ですが、先々代当主ハルクエルが、災厄級の因子を持っていた闇森妖精族を必要以上に痛めつけ、ベルゼブブを誕生させてしまったことにより……責任追求され、御家は没落。私たち姉妹も産まれた瞬間にひもじい思いをして暮らしていました」
ハルクエル……そうだ。確か、フランの昔話に出てきた、エルルゥを捕らえた聖騎士の名だ。
「そんな時。父親によって、私たち姉妹は、借金の肩代わりに娼館に売られそうになったんです。マフィアの人間に連れて行かれそうになり、私たち姉妹は馬車から逃げました。ですが、あっけなく捕まってしまいます。絶望したその時に、偶然私たちの前に現れたのが……まだ団長になっていなかった頃の、若き日のゴーヴェンでした」
「……」
「ゴーヴェンは、自分の剣を私たち姉妹の前に投げて、こう言いました。『―――――誰かの助けを求めるような弱者は、強者に食い殺されるのが定め。自分の運命を変えたくば、己を縛るもの全てを己が手で殺してみせろ』と」
強者こそが常に正しい。バルトシュタイン家が代々唱える、腐った理論だ。
「私はその剣を取るのに躊躇しました。人を殺すことなど、怖くてできませんでしたから。ですが、姉は、迷いなくその剣を手に取り……マフィアの男を切り殺しました。そして、家に戻り……自分を売った父の首をその手に持って、戻ってきました。その姿を見て、私は、心底恐ろしいと思いました。強者にしか未来を勝ち取れないという、この世界の仕組みが。姉を人殺しに変えた、ゴーヴェンという男の存在が」
「なるほど。コルネリアさんは……ゴーヴェンの考えは間違っていると、そう思っているのですね?」
「はい。確かに、あの時、姉が剣を握らなければ、私たちは売られていたでしょう。力が無ければ、自分の未来を作れないと言う、ゴーヴェンの言いたいことも分かります。ですが……私はそれでも間違っていると思うのです。人を殺すことでしか生きられない世界なんて、間違っている。ゴーヴェンが作る屍の上に作られた世界には、絶望しかありません。この奈落の上にできた、王国という世界のように」
「そうですね……私も、そのお考えには同意いたします」
「でも、私はずっと長い間、そんな想いを口にすることはできませんでした。ずっと、姉と共に、ゴーヴェンの配下として聖騎士をやっていました。ですが……フィアレンス事変でご友人を亡くされた幼いヴィンセント様が、私にこう言ってきたのです。『こんな世界は、間違っている。自分はバルトシュタイン家に産まれて恥ずかしい』と。そのお言葉を聞いた瞬間に、決意いたしました。何としてでもヴィンセント様をバルトシュタイン家の当主に継がせ、この国を変えなければいけないのだと」
コルネリアはそう言って、信念のこもった瞳で、奈落の底を見つめた。
同じ環境、同じ親の元で産まれても、こうまで異なるのか。
ゴーヴェンの配下となったリーゼロッテと、ヴィンセントの配下となったコルネリア。
二人を知る俺からすると、まるで血の繋がらない、他人のようだ。
「……っと、長く話しすぎてしまいましたね。参りましょう、アネット様、ロザレナ様」
そう言って、照れた様子のコルネリアは、階段を降りて行った。
俺とロザレナもそんな彼女に続いて、階段を降りて行った。
長時間かけて階段を降り切り、ようやく、奈落の底にある関所へと辿り着く。
ここに来るのは、アルザードを倒した時以来か。
街は思ったほど崩壊してはいない。
ただ、このスラムのどんよりとした空気、薬物の臭いは、相変わらずだな。
臭いに慣れていないロザレナは、鼻を摘んでいた。
「こちらです」
屋上から、関所の中へと入って行くコルネリア。
俺はそんな彼女の後をついて行く。
関所の一階に降りると、作戦室と思しき広い部屋に、ヴィンセントとフレーチェルの姿があった。
そんな二人の背後を、グリウスと三名の聖騎士たちが、木箱を持って急いで外へと駆けて行く。
「あ……アネット様! よく、おいでくださいました!」
フレーチェルが俺の顔を見て、顔を輝かせる。
その様子を見て、俺の背後にいたロザレナが、不機嫌そうな声を上げた。
「……誰、あれ」
「お嬢様。あの御方は、第四王女殿下、フレーチェル様です」
「え、王女? エステルの妹か何か?」
「母親は異なるようですが、そうみたいですね」
「ふーん? あんまし似てないわね」
じーっとフレーチェルを見つめるロザレナ。
そんなロザレナの様子を見て、フレーチェルは首を傾げた。
「えっと……? どなたでしょうか?」
「申し訳ございません、フレーチェル殿下。こちら、私の主人の、ロザレナ・ウェス・レティキュラータス様でございます」
「あ……新しく剣王になった方ですね! 確か、【覇剣】のロザレナ様! 闘技場を吹き飛ばしたというお話は聞いております!」
「……どうも」
完全に人見知りモードになったロザレナは、小さく会釈をした。
そんなロザレナに笑みを溢した後、フレーチェルは俺に顔を向けて、開口した。
「アネット様。ただいま、ヴィンセント様から食料をいただいて、ちょうど奈落の民に配給しようと騎士たちに運ばせていたところです。これで、彼らも飢えを凌ぐことができるでしょう。ですが……」
フレーチェルに続いて、ヴィンセントが口を開く。
「ここから先が、問題だな。上層へと続く道は私が修復してみせたが……このままでは、下層の人間が上層に傾れ込む危険がある」
ヴィンセントのその言葉に、ロザレナはキョトンとした表情で開口した。
「それの何が危険なのよ? 奈落の人たちも上で暮らすことができれば、幸せなんじゃないの?」
「お嬢様。奈落の人間をいきなり上層に連れて行っても、混乱が巻き起こるだけです。彼らは長年、法律がない、この無法地帯で生きてきた人間です。住む場所もろくになければ、仕事もない。そんな状態で上層に行ったら、略奪をするしか、生きる方法はありません」
「そっか。じゃあ、今までのように、ここの人たちは堀の下に閉じ込めるしかないの?」
ロザレナに対して、フレーチェルは首を横に振る。
「いいえ。上層から切り捨てられたこの状態を放置してしまえば、いくらヴィンセント様から物資をいただいたとしても、彼らは必ず困窮の一途を辿ってしまいます。私は、彼ら奈落の民を見捨てることはしたくない……なので、この場所を、私の名の元に、独立した特区して管理したいと考えています」
「独立した特区……ですか?」
俺のその疑問に、笑みを浮かべて頷くフレーチェル。
「はい。そうすれば、上層の方々も、この場所を無碍にすることはできないでしょう。そして、上層の民の関心も、奈落に向かうこととなる」
フレーチェルの言葉に、ヴィンセントが開口した。
「悪くない作戦ではあるが……独立した特区を作る場合、治安を維持するための戦力が必要となる。貴殿の持つ戦力だけでは、奈落を統括することは……」
「安心してください。その点もちゃんと、考慮しております」
フレーチェルがそう言ってニコリと微笑んだ瞬間、関所の中に、大勢の人間を引き連れた、ある男が姿を現した。
「おい、王女。物資というのは、どれを運べば良い?」
「あーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
その男に対して、ロザレナは指を差し、声を張りあげる。
彼も、ロザレナの姿を見て、「げっ」と嫌そうな声を溢した。
「キリシュタット!!!! 何であんたがここにいるのよ!!!!」
「……こっちの台詞だ。何で、貴族のご令嬢であるお前が、奈落の底になんているんだ?」
睨み合う二人。
そんな険悪な二人の様子を無視して、フレーチェルはキリシュタットを見つめて、口を開いた。
「ご紹介します、ヴィンセント様。私の新しい配下の、キリシュタット様です」
「はぁ? おいおい、何ふざけたことを言ってるんだ、お姫さん? 奈落の復興の手伝いはすると言ったが、俺たち餓狼がお前の下に付くといつ言った? 笑わせんじゃねぇぞ、クソガキ」
キリシュタットはファーの付いた上着の裏から、葉巻を取り出し、口に加える。
そんな彼に対して、背後に立っていた長身で屈強なゴロツキは、マッチに火を付けて、そのマッチを使ってキリシュタットの葉巻に点火した。
キリシュタットは葉巻を吸うと、手で葉巻を抜き、ふぅーっと、室内に煙を巻き上げた。
げほごほと咳をするロザレナは、涙目で、キリシュタットを睨みつける。
「何すんのよ!!」
「うるせぇ。この奈落を支配する王は、この俺だ。俺が何しようと俺の自由だ。良いかい、お姫様。お前が奈落の現状に同情しするのは勝手だ。だけどな、俺はもう、上層のごたごたに関わる気は微塵もねぇのさ。そこの化け物女に俺の計画は全て無駄にされてしまったからな。今更上層に出て、ゴーヴェンの奴にへいこらする気もない。俺は俺の好きにやらせてもらう」
「キリシュタット様。あなたは、奈落が、このままで良いと思っているのですか? 貴方も私に協力してくださったということは、この奈落の未来を心配しているのではないのですか?」
「調子に乗るなよ、ガキ。誰がお前の下なんかに付くか……と、言いたいところだが、条件次第じゃ、お前の要求を飲んでやっても良い」
「条件とは?」
「……てめぇが聖王になった時、この俺を聖騎士団団長に据えろ」
「聖騎士団団長に……?」
「そうだ。この俺を、聖王国の兵力の頂点に据えてくれれば構わない。その後にまたじっくりと剣聖の座は目指せば良いからな」
そう言って笑みを浮かべるキリシュタット。
そんな彼に、ロザレナは咆哮を上げた。
「あんた……まだ、剣聖を目指してんの!? 剣王をやめたのに!?」
「当然だろ。俺は生きている限り、自身の飢えを満たすに奔走する。今は時期が悪いから、奈落に潜んでるだけさ」
「時期……?」
「あぁ。そろそろ、ゴーヴェンの奴が動く頃合いだからな」
キリシュタットのその言葉に、首を傾げるロザレナ。
そんなロザレナを無視して、キリシュタットは再度フレーチェルに顔を向けて、口を開く。
「あともう一点付け加えさせてもらう。もし、お前が聖王になる夢を諦めた、その時は……俺がお前を殺す。これが、俺の提示する条件だ」
「……」
フレーチェルは顎に手を当てて考え込む。
すると、その時。キリシュタットの背後にある扉が開き、そこからグリウスが姿を現した。
「姫さん! 俺は反対です! 相手はマフィアの頭領ですぜ!? ただでさえキールケという爆弾を抱えているのに、さらに爆弾を増やしてどうするんすか!!」
「うるせぇ配下だな。雑魚は引っ込んでろ」
「何だと!? お前……!!」
グリウスが腰の鞘から剣を抜こうとした、その瞬間。
キリシュタットはそれよりも早く一瞬で剣を抜き……グリウスの右腕を切り裂いた。
傷自体は浅いものだったが、剣で切り裂かれた瞬間、グリウスの腕は痩せ細っていき……彼は叫び声を上げて、右腕を押さえて、地面に蹲った。
「ぐっ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!? う、腕が……!! の、喉が……喉が、乾く……!!!!」
「ロザレナのような精神力が化け物みたいな奴ならまだしも、お前程度の雑魚だったら、一撃与えればこんなもんだ。飢えっていうのは恐ろしいもんだぜ? ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
額に手を当てて盛大に笑い声を上げた後。
キリシュタットは目を光らせ、フレーチェルを見下ろした。
「さて、どうする? お姫様? 俺の要求を飲むか? 言っておくが、俺の気分を損ねればお前もこうなるぜ? 飢えたまま死ぬってのは、地獄そのものだぜ?」
「……分かりました。要求を飲みます。グリウスの腕を元に戻してください」
「交渉成立だな」
キリシュタットが腰の鞘に剣を納めた瞬間、グリウスの腕が元通りになり、彼は額に脂汗を浮かばせながら、立ち上がった。
これが……元最強の剣王が持つ力、か。
ロザレナから聞いていたが、恐ろしい加護の力を持っているものだ。
だが、飢えを司るということは、強力な力と引き換えに本人も地獄のような経験を重ねてきているのだろう。
平静を装っているが、きっと、毎日が地獄だったに違いない。
加護の力というのは、完全にオフにできるものではないからだ。
「……あぁ、そうだ。思い出した」
キリシュタットは何かに気づいた素振りを見せると、懐から、袋を取り出す。
そしてそれを、ロザレナへと放り投げた。
ロザレナはそれをキャッチすると、訝しげな表情を見せる。
「なにこれ」
「ルクスから奪った金だ。額は、剣王試験の優勝賞金と同額。グレイレウスに渡しといてやれ」
「はぁ? 何であんたが、そんなことするのよ?」
「あいつはあれでも、剣王だった。剣王としてけじめを付けなければいけないのは道理だ。お前らも剣士として、そこのところは覚えておけ」
「変なところ律儀なのね? というか、よくルクスを見つけられたわね? グレイレウスが血眼になって探してもどこにもいなかったのに」
「そりゃあ、いくら上層を探しても見つかるわけがない。つい先日まで、奴はゴーヴェンの粛清を恐れて、部下と一緒にこの奈落にいたわけだからな。まぁ、今はいないけどな」
「ふーん? ま、あんな男……じゃなくて、あんな女、どうでもいいけど。あたし、あいつ、嫌いだし」
ため息を吐くロザレナを一瞥した後、キリシュタットは踵を返す。
「それじゃあ、お姫さん。予定通り、残りの物資、奈落の奴らに配ってやるよ。……行くぞ、お前ら」
「へい」
そうして、キリシュタットは部下に木箱を持たせると、そのまま関所から去って行った。
その光景を見てヴィンセントは「ククク」と笑みを溢す。
「……奈落の支配者キリシュタットを配下に加えた、か。キールケと言い、面白い人間を引き入れるな、お前は。俺だったら、どちらも御免被る人材だ」
「そうでしょうか? 今のこの現状を考えたら、奈落の掃き溜めを守るためにも、今まで武力でこの場所を統治してきた彼らマフィアと手を組むのは、自然な流れかと思いますが?」
「クククク……制御しきれると良いがな」
そう言って首を横に振った後、ヴィンセントは再度、開口する。
「フレーチェル王女。君がこの奈落を特区として独立させようとしていることは理解した。だが、独立を宣言するには、必然的に表舞台に立たなくてはならないだろう。いつ、宣言するのかね?」
「巡礼の儀が開催される一週間前に、各王子たちは、街宣パレードを行います。そこで登場し、独立を宣言し、私が聖王を目指す理由を国民の皆様にお話します」
「なるほど。確かに、それはインパクトがあるな。巡礼の儀を行うにあたって、民からの支援も強力な力となる。中には、支援物資や祠を巡るための丈夫な馬車を提供してもらえることもある。現状、孤立し、どこからも支援を貰っていない君にとっては、街宣パレードは重要なイベントになるだろうな」
「はい。ヴィンセント様にお助けいただくだけではなく、そちらの陣営の力にもなれるように、力を付けていきたいと考えています」
「頼もしい限りだ。それで……先ほどから気になっていたのだが、今日はキールケの姿が見えないが、どうしたのかね?」
「えっと……キールケさんは、奈落に行くのは嫌がっておられまして……自分の代役として、メイドのフレイヤさんを派遣してきました」
フレーチェルの背後には、首輪を付けたメイドのフレイヤが立っていた。
その姿を見て、ヴィンセントはため息を吐く。
「あの馬鹿妹らしいな。まぁ、良い」
そう口にした後、ヴィンセントは、俺に目を向けてくる。
「俺は、これから奈落の様子を見て回ってくる。諸君らも来るか?」
「あ、はい。私も行きます。お嬢様はどうしますか? あまり気分の良い場所とは言えないため、ここに残っていても……」
「アネットが行くなら、あたしも行くわ」
「……分かりました」
俺はそう言って、ロザレナに頷く。
フレーチェルは、グリウスの容体を見た後、扉の方へと向かって歩いて行った。
「それでは、私がご案内いたします。こちらです」
先導して歩いて行くフレーチェルとグリウスの後に続き、ヴィンセントとコルネリア、俺とロザレナは、ついて行った。
関所の外に出ると、そこは、寂れた街並みが広がっていた。
どんよりとした空気に、饐えた臭い、湿気のある風、道端に座り込む足が木質化した薬物中毒者、死んだ目で通りを歩く人々。
そこには、昔と変わらない……見知った地獄が、広がっていた。
「ここは……相変わらずだな」
ヴィンセントはそう言って、周囲を見つめて、苦悶の表情を浮かべる。
そんなヴィンセントに、前を歩いていたフレーチェルは言葉を返した。
「これでも、まだ、マシな方らしいです。今はバルトシュタイン家が直接この奈落を統治しているわけではないので、死に化粧の根と化した人々を回収する業者もいないとか……」
「我が父ゴーヴェンは、祖父ゴルドヴァークの思想を引き継ぎ、死に化粧の根を戦争に活用できないか奈落の民を使って実験していると聞いている。……同じ一族の人間として、耳の痛い話だ。死に化粧の根は単なる薬物などではない。大森林から持ち出された、魔物そのものだ」
「……」
ヴィンセントとフレーチェルの会話を聞いた後、俺は、何となく隣を歩いているロザレナへと目を向けてみる。
ロザレナは奈落の光景を見ても、特段、表情を変えてはいなかった。
「……いつもあたしたちが渡っていたあの橋の下に、こんな光景が広がっていたなんてね。アネットから聞いてはいたけど、話を聞くよりも実際に目にする方が衝撃度は違うわね」
「普段、私たちが暮らしている王都の下には、こういった人々が暮らしていたのですよ。これが……奈落の掃き溜めという場所です、お嬢様」
「……」
物珍しいのか、ロザレナはキョロキョロと辺りを見回していた。
すると、その時。広場のような場所へと到着した。
そこには聖騎士とキリシュタットの部下が、集まった大勢の奈落の民たちに食糧を配給している姿があった。
この場所は今まで、誰もが見向きしていないスラム街だった。
でも、今は違う。今、この場所を変えようとしている人々が集まりつつある。
(もし、シエルが生きていたら、喜んでくれたのかな)
俺がそう心の中で呟いた、その時。
パンを手に持った二人の少女が、俺たちの元へと近づいてきた。
「フレーチェル! これ、あんたのおかげなんだよね!」
「フレーチェルさん! ありがとうございます! 久しぶりにお腹いっぱいご飯が食べられます!」
「あ、シェリーさん! リーリヤさん!」
二人の少女は、フレーチェルに駆け寄ると、嬉しそうな表情を浮かべた。
あれは……身なりを見るに、奈落の娼婦だろうか。
シエルのことを考えていたら、奈落の娼婦と出くわすなんて、妙な偶然だな。
前に聞いた、フレーチェルを助けたという娼婦は、きっとあの子たちなんだろうな。
三人を微笑ましく見つめていると、突如、リーリヤと呼ばれた少女が、ヴィンセントの顔を見つめて硬直した。
そして、ガタガタと身体を震わせ、赤面する。
「あ……あ……!」
「む? 何だ?」
「……ッ!!」
リーリヤは、踵を返し、何故か逃げて行った。
「あ、ちょっと、リーリヤ!?」
シェリーもそんな彼女の後を追って行った。
その光景を見て、ヴィンセントはため息を吐く。
「毎度のことながら、傷付くものだな。何もしていないのに、怖がられるというのは」
いや……今のは、ヴィンセントを怖がっただけのようには見えなかったが……。
「あ、フレーチェル様だ!」
「フレーチェル殿下ー!」
その時。配給に並んでいた民たちが、フレーチェルに気付き、手を振り出した。
そんな彼らに対して、フレーチェルも手を振り返す。
驚いたな。フレーチェルは随分と奈落の民から人気があるようだ。
奈落の民は長年、自分たちを見捨てている王族を嫌悪していると思っていたのだが……アルザードと戦おうとした彼女の姿を見て、一部の人間は変わったということか。
俺はその光景を見つめて、ロザレナと一緒に、広場を歩いて行く。
すると、その時。広場の中央に、看板が立てかけられているのを発見する。
その看板には、「我らが神フランエッテ様」という文字と共に、下手くそな似顔絵が描かれていた。うん、見なかったことにしておこう。
そのまま辺りを散策していると、広場から離れた倒壊した家屋の瓦礫に背を付けて座り込む、一人の女性を見つける。
褐色の肌に、小さい背……鉱山族と思しきその姿に、俺は、何故だか見覚えがあった。
「あれは……」
俺はその女性の前へと歩みを進める。
するとそこにいたのは――――――――――――。
「……元【剣神】、『旋風剣』ルティカ・オーギュストハイム……?」
俺の言葉に、ルティカは顔を上げる。
そして、どんよりとした瞳で俺を見つめた後、再び頭を下げた。
驚いた……ルティカがまさか、奈落にいたなんて……。
暴食の王に心を砕かれ、戦意喪失したとは聞いていたが、まさかこんなところで出会うとはな……。
しかし、ここにいたということは、アルザードが作ったゾンビの大群の被害に遭わなかったのだろうか?
いや……彼女は元【剣神】だ。ゾンビ程度に、遅れを取ることはない、か。
「誰? この人? 知り合い?」
ロザレナが、そう、背後から俺に声を掛けてくる。
俺はコクリと頷き、ロザレナに言葉を返した。
「はい。お嬢様のご病気を治すために、薬草を取りに大森林に向かった際に出会った……元剣神の、ルティカ様です。グレイが彼女に喧嘩を売ったりと、大変だったんですよ」
「え、元剣神ですって!? 何で元剣神がこんなところにいるのよ!? 誰の先代なの!?」
「ジェネディクトの先代です」
「はぇ〜」と、惚けた声を漏らすロザレナ。
ロザレナは不適な笑みを浮かべると、背中から大剣を取り出し、ルティカに向けて声を張り上げた。
「元剣神ルティカ!! あたしと勝負しなさい!! あたしは、剣王ロザレナよ!! 剣王なんだから、あんたに挑む資格はあるでしょう!!」
「ちょ、お嬢様!?」
俺は慌ててロザレナを止めようとするが、ルティカから言葉が発せられることはなかった。
「……」
「ちょっと、聞こえてんの?」
「……」
俯いたまま、無反応な様子を見せるルティカ。
その姿を見て、ロザレナはため息を吐く。
「無視、ね。良い試合相手が見つかったと思ったのだけれど……仕方ないわね」
そう言って、ロザレナは背中の鞘に大剣を納めた。
それにしても、あの好戦的なルティカが、ここまで無気力になるとはな。
まぁ、あの暴食の王の凄まじい闘気に触れれば、こうなってもおかしくはないか。
俺が今まで見てきた敵の中でも、幻影の自分を除けば……あそこまでの闘気を持った存在はいなかったからな。
「お嬢様、行きましょう。ここにいても、ルティカ様のご迷惑になるかと」
「そうね。行きましょうか」
そう、言葉を交わした、その瞬間。
突如、脳内に、念話が発せられた。
『――――――――――――――王国に住まう民の皆様。我が名は、バルトシュタイン家当主、ゴーヴェン・ウォルツ・バルトシュタインである』
「ゴーヴェン、だと!?」
驚きの声を上げるヴィンセント。
フレーチェルやグリウス、コルネリア、配給を受けている奈落の民も驚いた表情を浮かべていた。
どうやら、この念話は、俺にだけ発動したものではないようだ。
話から察するに、もしや……国民全体に向けて発動されているのだろうか?
そんな大規模な魔法など、聞いたこともないが……。
念話の向こうのゴーヴェンは、続けて開口する。
『残念なお知らせだが――――――――――第一王子ジュリアン殿下は、重い病に伏せられた。誠に悲しい話だが、彼が表だって巡礼の儀に参加することは難しい。よって、王子は私にこう命じられた。自分に変わり、巡礼の儀を勝ち残ってほしい、と』
一呼吸挟むと、ゴーヴェンは、演技がかった口調で再び声を発した。
『これより先は……ジュリアン殿下の意思を引き継ぎ、この私が、ジュリアン陣営を指揮していく。セレーネ教の信徒たちよ! この国を愛する者たちよ! 私について来い!! この私が――――――この聖グレクシア王国を導いていこう!!』
「ゴーヴェン……!!」
その宣言を聞いて、ヴィンセントはギリッと奥歯を噛み締めた。




