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第10章 二学期 第289話 剣王試験編ー⑦ 強面騎士との和解

 満月亭に帰宅し、みんなで夕食を終えた後。午後七時過ぎ。


 俺は自室に戻り、ハンガーに掛けてある男装用のスーツとにらめっこしていた。


「……どういう恰好で、ヴィンセントに会えば良いのか……」


 あの男には、俺が女であることがバレてしまった。


 なら、もう潔く、男装せずにメイド服で会った方が良いのだろうか?


 でも、あいつとは男としての自分で会いたい気持ちもある。


 うーん、どうするべきか……。


 迷った挙句、俺は、男装に着替えることに決めた。


 女であることを未だに明かすことを恐れているらしい。


 俺は軟弱者だ……赦せ、ヴィンセント。




 男装に着替え終えた後。


 俺は机の引き出しから、久しぶりに『転移の指輪』を取り出した。


 こいつを使うのも、久しぶりだ。


 ええと、確かこれに登録されているのは、1、バルトシュタイン家の御屋敷。2、満月亭。3、大森林にあるオフィアーヌ家の別荘だったか。


 父と母の馴れ初めを聞いて思わず別荘を登録してしまったが……こう考えると、暴食の王と戦った時は助かったが、別荘は別に登録する必要はなかったかもしれない。普通に三つ目はオフィアーヌ家の屋敷で良かった気がする。


 というか、オフィアーヌ家の屋敷を転移の指輪に登録していなかったの結構まずくないか? 後でシュゼットに渡して、実家に帰った際に代わりに登録してもらうか? だけど確かこの魔道具って上から順番に上書きされるんだっけ? かなり面倒臭いな、これは……。


「シュゼットが実家に帰る時に代わりにオフィアーヌ家の屋敷を登録してもらって、次はオリヴィアかヴィンセントにバルトシュタイン家の屋敷を登録してもらって、コルルシュカにレティキュラータス家の屋敷を登録してもらう……か? はぁ、面倒なことこの上ない」


 どうせならもう一個、『転移の指輪』が欲しいところだが……って、そういえば俺、情報属性の魔法因子があるんだったな? なら、自分で習得すれば良いのか?


 でも【転移】って、確か、上級魔法だよな? 


 低級しか使えない俺に覚えられるものなのかね……。


「もし【転移】が使えたらいちいち登録数とか気にすることもなくて楽だよな。いつか習得できる日が来ることを祈るとするか」


 バルトシュタイン家に向かおうと、『転移の指輪』を頭上に掲げた、その時。


 突如、コンコンと部屋をノックされた。


 俺は腕を降ろし、扉の向こうに声を掛ける。


「はい、どなたでしょ――――」


 はっ。この格好でジェシカと鉢合わせたらまずいな。


 今、ジェシカに付き合っている余裕はない。


 俺がどうしようかとドアを見つめていると、扉の向こうから声が聴こえてきた。


「アネットちゃん、私です、オリヴィアです」


「あぁ、何だ、オリヴィアでしたか……どうぞ」


「失礼します」


 部屋に入って来たオリヴィアは、俺の恰好を見て、目をパチクリとさせる。


「あれ? その恰好は……」


「あははは。今からバルトシュタイン家の御屋敷に行って、ヴィンセント様に謝罪しに行こうかなと思いまして。私、ずっと女性であることを彼に隠していましたし」


「それは……アネットちゃんが謝りに行くことではないです! アネットちゃんは悪くはないのですから! 全ては、私が、貴方を婚約者にしてしまったせいですから。今にして思えば、兄は、私がはっきりと意見を伝えたら、きっと私の結婚話も取り下げてくれたと思います。私が兄を一方的に勘違いして、アネットちゃんを巻き込んでしまったんです。だから全部、私が悪いんです」


「オリヴィア……そんなことはありませんよ。私も、男装してヴィンセント様と話すことは、楽しかったですから。それを言ったら私にだって責任は―――」


「アネットちゃん! 私も、バルトシュタイン家の御屋敷に行きます!」


「え!?」


「お兄様には私が謝ります! だからアネットちゃんは……!」


「お、落ち着いてください、オリヴィア。だったら、一緒に謝りに行きましょう? 最初は、二人であの屋敷に行ったんです。だったら……この嘘を終わらせる時も、一緒に、二人で行きましょう。ね?」


「アネットちゃん……」


 涙目になり、微笑みを浮かべるオリヴィア。


 俺はそんな彼女の手を左手で掴むと、右手の指輪を頭上に掲げた。


「――――【転移】、バルトシュタイン家」


 詠唱を唱えたその瞬間。


 視界がグニャリと歪み、俺たちの身体がその場から消失した。


 そして、意識が戻ると、俺の目の前には……バルトシュタイン家の御屋敷が聳え立っていた。


 相変わらず来る者を拒む威圧的な門を見つめていると、門がゴゴゴと動き、一人でに開く。


「行きましょう、アネットちゃん」


「はい」


 そうして俺とオリヴィアは、この屋敷に最初に来た時と同じく、緊張した面持ちでバルトシュタイン家の御屋敷の中へと入って行った。





 御屋敷の四階にある、ヴィンセントの執務室の前へと辿り着く。


 俺とオリヴィアはゴクリと唾を呑み込み、意を決して、扉をコンコンとノックした。


 すると扉の向こうから一言「入れ」と声が放たれる。


 俺たち二人は同時に「失礼します」と言って、執務室の中へと足を踏み入れた。


「フッフッフッフッ。よくぞ来たな」


 そこには、椅子に座り背中を見せている、何者かの姿があった。


 その背中に向けて、オリヴィアは勢いよく頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。


「お、お兄様! 今回のことは、アネットちゃんは何も悪くないんです! 怒るのなら、私を―――」


「許さん」


「え……?」


「絶対に許さんぞ」


「えぇぇぇぇぇぇ!?」


 怯えた声を漏らすオリヴィア。


 執務席に座っていた何者かは、続けて口を開く。


「余にパフェでも奢らないことはには、許すわけにはいかん」


「え、パ、パフェ……?」


 ヴィンセントとは思えない発言に、オリヴィアは顔を上げる。


 俺はため息を吐いて、独り言を発した。


「まったく……何だ、この茶番」


「お兄様……?」


 オリヴィアの視線の先にあるのは、背を見せて椅子に座る何者かの影。


 その何者かは、椅子を回してこちらに振り返る。


 すると最奥にある執務席に座っていたのは……ヴィンセントではなく、ミレーナさんだった。


 ミレーナさんは豪奢なマントを羽織り、金の王冠を被り、右手に空のワイングラスを握っていた。


 彼女はユラユラと偉そうにワイングラスを揺らしながら、不敵な笑みを浮かべる。


「偉大な王女ミレーナさんは、甘味に飢えている。パフェを持ってきたまえ!」


「はい……?」


「聞こえなかったのか、侍女よ。ママよ。余はこの国の王女、ミレーナ・ウェンディである。さぁ、余にパフェを馳走せよ! これは王命である!」


 呆れた表情をうかべる俺と、パチパチと目を瞬かせるオリヴィア。


 そんな俺たちの背後から、ある人物の声が聴こえてきた。


「……いったい何をやっている、貴様」


「あ、お兄様!?」


 いつの間にか俺たちの後ろに、ヴィンセントが立っていた。


 ヴィンセントの姿に気付いたミレーナさんは「げっ」と口にして顔を青ざめる。


 ヴィンセントはそのまま俺たちの間を通って進んで行くと、ミレーナの頭を掴み、左右に揺らした。


「貴様……こんなところで何を遊んでいる。俺は言ったはずだぞ、夜が明けるまでに聖王国の全貴族の名を全て頭に叩き込んでおけとな」


「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! アイアンクローはやめてくださいぃぃぃぃぃ!!!!!! いだだだ、うち、王女さまなんですけどぉぉぉ!! こんな仕打ちして良いんですかぁぁぁぁぁ!!!!! 不敬罪で訴えますよぉぉぉぉぉ!!!!」


「クハハハハハハハ!!!! どこに訴えるというのだ!!!! 聖王は崩御し、最早貴様を助ける者など何処にもいない!!!! 他の王子たちに助けを求めてみるか? 皆、貴様をどうやって退場させようか虎視眈々と狙っていると思うがなぁ!! ククククク!!!!!」

 

「うち、王女様なのにぃ~~!! 全然、扱いが変わらないですぅぅぅ~~!!」


 ヴィンセントにシメられているミレーナを横目に、俺は、執務室のテーブルの上に視線を向ける。


 そこには、塔のように積まれている紙の束があった。


「これは……」


 俺はその一枚を手に取り、目を通してみる。


 するとそこには、アヘ顔ダブルピースをしているミレーナの顔と、悪は絶対に許さない、困ったことがあったら第六王女ミレーナ・ウェンディにという言葉が書かれていた。


 どうやら、ミレーナの名を知らしめるための、宣伝ポスターのようなものらしいが……果たしてこの写真で良かったのか。


 よくよく見ると、背後に黒い鎧の影が見える。


 これ……ヴィンセントが背後から剣か何かで脅しながら、魔道具の写影器でミレーナを撮ったんじゃないのだろうか?


 最近街中でエステルやジュリアンの宣伝ポスターを見たことはあったが、これはなかなかに……他の王子たちと異なり、インパクトのあるものだな……。


 俺がミレーナの宣伝ポスターを見て引き攣った笑みを浮かべていると、ヴィンセントがミレーナの頭から手を離し、こちらに声を掛けてくる。


「あぁ、そいつか。この女はなかなか良い笑みを浮かべなくてな。流石にこいつの下卑た笑みを宣伝ポスターに載せるわけにはいくまい? だから、後ろから剣で脅し、無理やり笑みを作らせたのだ。どうだ? 悪くはないだろう? ククク」


「え……あー、まぁ……確かにミレーナさんのいつものゲスいヘラヘラ笑いよりは、まぁ、良いと思います……はい……」


 この表情も良いかと言われると正直微妙だが。


「二人してうちの表情に駄目出しするのやめてくださいですぅ!! まったく、うちの可愛さを理解できない馬鹿どもはこれだから、困るです。オリヴィアママは……うちのいつもの微笑みを、可愛いと思ってくださいますよね?」


「え、あ、えっと、ミレーナちゃんの微笑みって、どんな感じですか?」


「こうですぅ。にへらぁ」


「…………」


「オリヴィアママ! 無表情で真顔にならないで欲しいですぅ!!」


 ギャーギャーと騒ぐミレーナに、ヴィンセントはため息を吐くと、オリヴィアへと視線を向ける。


「まさか、お前までここに来るとはな。俺は、アレスと二人で話がしたかったのだが」


「あ……お兄様……」


 オリヴィアは一瞬動揺した後、意を決して、ヴィンセントへと頭を下げた。


「今まで、嘘を吐いていて、申し訳ございませんでした……! アネットちゃん……いいえ、アレスくんはお兄様に教えた通り、男の子ではなく女の子だったんです! 彼女には、私の婚約者のふりをずっとしてもらっていました……!」


「……」


 無表情のヴィンセント。


 俺はオリヴィアの隣に並ぶと、彼女と共に頭を下げた。


「申し訳ございません、ヴィンセントさん。私も、貴方を騙していたことには変わりありません。ですから、オリヴィアだけを叱るのはやめてくださると……」


「いいえ! アネットちゃんは何も悪くありません!! 怒るのなら、アネットちゃんではなく、私にしてください!! 今回の一件についての責任は、全て私に――――」


「いや、待て。俺は別に、アレス……じゃなく、アネットだったか。彼女を怒るつもりで、ここに呼び出したのではない」


「え?」「へ?」


 俺とオリヴィアは同時に顔を上げ、驚きの声を上げる。


 ヴィンセントはボリボリと頭を掻くと、俺たちの前に立った。


「確かに、最初は受け入れるまで時間が掛かったし、驚きもした。オリヴィアの婚約者として認めていた男が、実は女だったのだからな。少なからずショックはあった」


「も、申し訳ございません……!」


「だが、よくよく考えてみれば、男だの女だのと、性別に関係はないのではないかと思った。アネット、俺にとって貴様は、我が同志であることに変わりはない。嘘を吐いていた愚かな妹には困ったものだが、別段、今では気にしていない。俺が勘違いされやすいというのは、最初から分かっていたことだからな。奴にも嘘を吐かなければいけない理由があったのだろう」


「ヴィンセントさん……」「お兄様……」


「妹共々、これからもよろしく頼むぞ、アネット」


 そう言って俺の肩にポンと手を置くヴィンセント。


 だがすぐに手を挙げて、少し、困った表情を浮かべた。


「あぁ、いや、女性であるお前に無暗に触れるのは良くないか。すまない、以前までのお前との関わり方が抜けていないようだ」


「いえ。以前と変わらずに接していただいて構いません。その方が私も嬉しいです」


 そう言うとヴィンセントは驚いた表情を浮かべる。


 そしてフッと鼻を鳴らすと、「あぁ、分かった」と、笑みを浮かべて答えた。


「これで、ようやく、お前と嘘偽りなくちゃんと友となれた気がするな、アネット。祝いにも酒でも飲むか? 上等なものを用意させよう」


「いえ。今日は遠慮しておきます。以前、お酒で痛い目を見ましたので」


「そうか。では、席に着きたまえ。お前には、話しておきたいことがあるのだ」


 そう言って、ヴィンセントは部屋の中央にある、向かい合わせの四人席へと腰かける。


 俺は彼の言葉に従い、ヴィンセントの向かいの席へと座った。


 その光景を見て、オリヴィアはおろおろとする。


「あ、えっと、私は……」


「お前も座れ」


「は、はい」


 オリヴィアは頷くと、俺の隣へと座った。


 ミレーナさんも、何故かヴィンセントの隣へと座った。こいつはただ雑談に混ざりたいだけのように思える。


「さて……ベルゼブブが王都を襲ったあの日、私はフランシアの令嬢の密告で、大聖堂の地下にある『死に化粧の根』を発見したわけだが……単刀直入に問おう。フランシアの令嬢を動かし、俺に大聖堂に行くように仕向けたのは、お前か? アネット」


 やはり、気付かれていたか。


 嘘を吐いても仕方ないので、俺はコクリと頷いた。


「はい」


「ほう、素直に肯定するか」


「既に、お気付きだったのではないのですか?」


「まぁな。ちなみに、大聖堂に現れ、俺たちのサポートをしたあの仮面のメイドも、お前の手の者だな? 察するに、オフィアーヌ家のメイドといったところか。恐らく、背丈から見るに……王宮晩餐会にも出席していた双子のどちらだろう。当たっているか?」


「はい。当たっています」


「なるほど。協力、感謝するぞ。これで、ミレーナを王女にする手柄を手に入れることができた。アンリエッタを相手取り、大聖堂の不正を暴くとは……流石だな」


「……何故、私が黙って手助けしたのか、理由を聞かなくても良いのですか?」


「俺はお前を誰よりも信用している。まぁ、考えられるとすれば、自分を間に挟まずに、俺にフランシアの令嬢と関わりを持ってほしかった、と言ったところか。お前が関われば、俺は、無条件でお前の作戦に賛成するだろう。お前はそれを嫌い、今後の貴族界のために、信用できる貴族の嫡子同士のコネクションを作ろうとした。もしくは……フランシアの令嬢の成長の機会を作ろうとした、という点もあるか」

 

 そこまで理解していたか。なら、もう、嘘を吐く理由も何もないな。


「はい。フランシア家の令嬢……ルナティエ・アルトリウス・フランシアは、信用に足る四大騎士公の嫡子です。そしていずれ彼女は、フランシア家の当主となることでしょう。そうなった時、私は彼女にヴィンセントさんと協力関係を結んで欲しいと、そう考えていました。お二人が目指す道は、どちらも、同じ方向を向いていると思いますので」


「ククク。なら……ルナティエ・アルトリウス・フランシアも、ミレーナ陣営に勧誘でもしてみるか? お前はどう思う?」


「いえ、それは……彼女が決めることですので。私の口からは何も言うことはできません。勧誘するのなら、ヴィンセント様だけでしていただけると助かります」


「そうか。お前はあくまでも中立という立場を崩したくはないのだな」


「はい。私は一時的にオフィアーヌ伯となりましたが、今後、表立って貴族界に関わる気はありませんので。これからこの国をどう変えていくかは、ヴィンセントさんやルナティエさんの手に掛かっています」


「お前の主人……レティキュラータス家の娘を使わなかったのは何故だ?」


「彼女は……この国をどうこうするというよりも、剣の道にしか興味がありませんので。我が主人の目指す道は、剣聖のみです。なので、ヴィンセントさんとコネクションを持つのは、ルナティエさんが最適だと思いました」


「そうか。よく分かった」


 そう言って満足そうに笑みを浮かべると、ヴィンセントは一息吐く。


 オリヴィアは目をパチパチと瞬かせると、俺に視線を向けてきた。


「ア、アネットちゃん、何だかよく分かりませんが、すごく、頭が良いんですね……?」


 そういえば、オリヴィアの目の前で、ヴィンセントと真剣に話合ったことはなかったからな……彼女が驚くのも当然か。


「ククク。愚かな妹よ、今更そいつの能力に気付いたというのか? その男……じゃなかった、女は、見た目とは裏腹に賢しい男……女だぞ」


 どうも、こんにちわ。名実ともに男女です。


 いや、未だに混乱しているのか、ヴィンセントの奴。


「さて。答え合わせは済んだ。次は、本題に入ろう。アネットよ。俺とオリヴィアは、大聖堂の地下室でギルフォードと再会したのだ。知っていたか?」


「ミレーナさんもいたですよぉう!」


「はい。そのことは、私のメイドから聞いています。ただ、私のメイドは危険を察知して、ギルフォードが現れた後、すぐに地上へと戻ったみたいなので……その後の顛末を私は知りません。最終的に、大聖堂は崩れたんですよね?」


「あぁ。では、ギルフォードとの再会を、順を追ってお前に話してやろう」


「ミレーナさんもいたですよぉう!」


 その後、俺は、ヴィンセントからギルフォードとの一件を説明してもらった。


 ギルフォードが、ひどくバルトシュタイン家を恨んでいたこと。


 ギルフォードはエステルの指示で、ヴィンセントと同じく、大聖堂にある『死に化粧の根』を告発しようとしていたこと。


 仮面が割れ……オリヴィアに、その正体がバレたこと。


 その全てを聞き終えた後、オリヴィアは俯き、小刻みに身体を震わせていた。


 俺はそんな彼女の手を握り、優しく声を掛ける。


「オリヴィア、大丈夫ですよ」


「あ……アネットちゃん」


 俺の言葉に、オリヴィアは震えを止め、笑みを見せる。


 そして俺はヴィンセントへと顔を向けると、口を開いた。


「私がミレーナ陣営を動かして大聖堂の『死に化粧の根(マンドラゴラ)』を告発しようとしていたように、エステルも同じ考えでギルフォードを動かしていたんですね」


「あぁ。だが、どうにもきな臭い話が耳に入ってきた。俺の部下が、エステリアルと金髪の修道女が街の酒場で密会していた現場を見たと言っている」


「金髪の修道女……まさか、リューヌ、ですか!?」


「まだ定かではない。だが、修道女はフードマントを羽織り、エステリアルは変装していたと聞く。可能性は高いと見て良いだろうな」


「もし、エステルとリューヌが会っていたとしたら……」


「自身の功績を作ろうと、マッチポンプを仕組もうとしていた可能性がある。奴は元々、セレーネ教に良い感情を持っていない。リューヌを使って、恐らくはジュリアンに汚名を着せるつもりだったのだろう」


 エステルは王位継承者だ。巡礼の儀に向けて、四大騎士公の血を引くリューヌを配下にしてもおかしくない。


 と、なると……エステル陣営とミレーナ陣営は、いずれ、戦う可能性もなくはない、か。ギルフォードとジェネディクトを置いておくにしても、リューヌの思想とヴィンセントの思想は間違いなく相反する。ぶつかることは避けられない。


「俺としては、ジュリアンとエステリアルは、お互いに潰し合ってくれると助かるのだが……そんな都合の良い話は起きないだろうな」


 そう言って、ヴィンセントは大きくため息を吐いた。






 ヴィンセントとの会談を終え、俺とオリヴィアは、屋敷の外へと出る。


 すると、その時。ヴィンセントがオリヴィアに聴こえないように、小声で話しかけてきた。


「……アネット。ベルゼブブを倒したのは、お前か?」


 俺はその言葉に硬直し、振り返る。


 そこにいるのはいつもと変わらない、強面無表情の大男だった。


 彼は値踏みするかのように、じっとこちらを見つめている。


 俺は何も答えることはせず、ただのその目を見つめ返した。


 すると、ヴィンセントはフッと短く笑みを溢した。


「話したくはない、か。良いだろう。お前が表に出たくないことは分かっている。何も言うな」


「……」


 全てを察して、追及することを止めたか。


 本当にこの男は、顔意外は、善人だな。


「アネットちゃーん! 行きましょうー!」


「……はい、今行きます、オリヴィア」


 俺は振り返り、そうオリヴィアに声を掛ける。


 そしてヴィンセントに、ニコリと微笑みを返した。


「ヴィンセントさん。私が性別を偽っていたことを許してくださり、ありがとうございました」


「気にするな。性別など、些末な問題だ」


「はい。それと……まだ幼いですが、新しいオフィアーヌ家当主も、ルナティエさんと同様、信用できる方です。ただ、当主の保護者たちが貴方のことを勘違いしているので、交流を持てるかは分かりませんが……多分、コレットさんは、貴方の本質を理解してくださると思います。次世代の四大騎士公の芽は、着々と、良いものに変わっていますよ」


「そうか。それは楽しみだ。俺も急いで、バルトシュタイン家当主にならなければならないな」


「はい。頑張ってください」


「ククク……では、さらばだ、我が友よ。また何かあったら、いつでもここへ来い。歓迎してやろう」


 俺はヴィンセントと拳をぶつけ合った後、オリヴィアと共に、転移の指輪を発動させ……バルトシュタイン家を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 歪んでいた視界が戻ると、そこは、満月亭の前だった。


 無事に転移できたことを確認して、俺はふぅと短く息を吐く。


「アネットちゃん、お疲れ様でした。そして、長い間、偽の婚約者役をやらせてしまって……ごめんなさい」


 ペコリと頭を下げてくるオリヴィアに、俺は首を横に振る。


「謝らないでください。私は貴方の婚約者になったからこそ、ヴィンセントさんと出会い、自分の過去を知ることができたのです。むしろ、一時でも貴方の偽の婚約者になることができて、感謝していますよ、オリヴィア」


「うぅ……アネットちゃん……!」


 オリヴィアは涙を袖で拭った後、俺に、真剣な眼差しを向けてきた。


「アネットちゃん。私、今、『死に化粧の根(マンドラゴラ)』の研究をしているんです」


「そうなんですか。では、ベアトリックスさんと目的が一緒ですね」


「はい。私、ギルくん……アネットちゃんのお兄ちゃんに、言ったんです。全力で、貴方の邪魔をすると。それで、彼の腕を治そうと思いまして。彼を健全な身体に戻して、復讐も辞めさせて、私がバルトシュタイン家の当主になって、ギルくんが恨んでいるものを全て代わりにやっつけてやろうって……そう、決めたんです」


 そう言った後、オリヴィアは恥ずかしそうにこちらを見つめた。


「子供っぽい夢、ですかね」


「いいえ。素晴らしい夢だと思います。私では、多分、あの兄を止めることができませんから。私は、彼のことを殆ど知りません。だから……彼を止められるのは、幼馴染であるヴィンセントさんと、オリヴィア、貴方だけです。『死に化粧の根(マンドラゴラ)』の研究も、弱き人々を救うことに繋がるでしょう。貴方のやっていることは、正しい行いです」


 俺としても、ヴィンセントとオリヴィア、どちらがバルトシュタイン家の当主になっても良いと思っている。キールケが次を継ぐよりは、百倍良い。


「応援しています、オリヴィア。私に協力できることがあったら、何でも言ってくださいね」


「アネットちゃん……ありがとう……!」


 再び瞳に涙を溜めたオリヴィアは、人差し指で涙を拭った。


 そして彼女は踵を返し、俺に小さく手を振ってくる。


「アネットちゃんに応援してもらって、やる気が出てきました。さっそくお部屋で、『死に化粧の根(マンドラゴラ)』の研究をしてきますね!」


「はい。頑張ってください」


 オリヴィアはニコニコしながら、満月亭の中へと入って行った。


 その背中を見送った後、俺は、伸びをする。


 ヴィンセントとはすんなり和解できたし、オリヴィアの覚悟も聞くことができた。


 あとは……剣王試験へと臨む弟子たちの面倒を見るだけだな。


 あいつらも、今、色々なものを抱えている。


 俺が試験まで、しっかり面倒を見てやらねぇと。


「さて……深夜の修行が始まるまで、俺はお嬢様のお部屋のお掃除でも――――」


「アレスきゅーーーーーん!!!!!」


「ぐふぉあっ!?」


 その時。俺は突如、背後から迫ってきた何者かに、背中に頭突きをかまされてしまった。


 振り返るとそこには、俺に抱き着き、目をキラキラとさせているジェシカの姿があった。


「ランニングから帰ってきたら、アレスくんがいるなんてーー!! きゃーっ!! また会えることができて、嬉しい嬉しい嬉しいよーーーっ!!!!」


「なっ……!? ジェシカさん……!? じゃなかった、ジェシカ!?」


 何でこんなハイテンションなんだ!? 前に会った時は、こんな感じじゃなかっただろ!? もっと、何か俺を警戒していた感じだっただろ!?


「私、アレスくんが相談に乗ってくれたおかげで、無事、ロザレナとも仲直りできたし、学校にも戻ることができたんだ! ありがとうありがとう!! お礼にちゅーしてあげる!! ぶちゅー!!」


「いらないいらない!! ちょ、離してくれないかな!? 俺、満月亭に――――」


「駄目だよ! 満月亭の中に入っちゃ駄目!」


 俺の腕を抱いて、こちらに鋭い目を向けるジェシカ。


 その迫力に、俺は思わず、首を傾げてしまう。


「な、なんで……?」


「満月亭には、男女関係なく、会う人みんなを惚れさせるサキュバスメイドがいるんだから!!」


 そんなメイドがいるの!? え、誰だよそいつ!?


 会う人みんなを惚れさせるって、そんな可愛い子、一回くらい会っておきたいんだが!?


 満月亭にメイドは……あれ、俺一人か。


 なーんだ、サキュバスメイドって、俺のことか、あはははは……。


「何、その不名誉なあだ名!?!?!?」

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― 新着の感想 ―
不名誉ではある(多分)けど100%事実だから的確な注意喚起ではある
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