第10章 二学期 第287話 剣王試験編ー⑤ そっち方向のラブコメを求めていたわけじゃないアネットさん
《ルナティエ 視点》
「……」
わたくしは教室に入ると、自分の席へと座ります。
そして、顎に手を当て、先ほどの出来事を思い返しました。
『ルナティエ様……どうか、私たち天馬クラスの新しい級長になってくださらないでしょうか……!!!!』
その言葉に目をパチクリと瞬かせた後、わたくしは天馬クラスの生徒たちへと声を張り上げた。
『いったい何を言っていますの、貴方がた! 何故このわたくしが頂点のクラスから、最下位のクラスに入らなければいけませんの!? 馬鹿も休み休み言いなさい!!』
『私たちが無理を言っていることは、重々に理解しています!! ですが、現状、天馬クラスの級長は貴方以外には考えられないのです!! ルナティエ様は、フランシア家の後継者!! 天馬クラスの級長は代々、フランシア家の嫡子が務めています!! ですから――――』
『わたくしに……リューヌの代わりをやれと言いたいんですの? 笑わせないでくださいます?』
わたくしが怒気を込めてそう言い放つと、天馬クラスの女子生徒は眉を八の字にさせました。
『私たちは……今までリューヌ級長がなさってきたことが正しいことだと思っていました。ですが、クラスメイトの一人がリューヌ級長の能力によって亡くなったと聞いて……目が覚めたのです』
『……』
『今、級長と副級長を失った天馬クラスは、三勢力に別れています。一つ目が、リューヌを倒して私たちの洗脳を解いてくださったルナティエ様を級長にしたいと考える、ルナティエ派。二つ目が、ベルゼブブを倒したフランエッテ様を級長にしたいと考えている、フランエッテ派。三つ目が、未だリューヌを信奉しているリューヌ派です。ルナティエ派が25人、フランエッテ派が12人、リューヌ派が7人、となっています』
『まったくもって無謀ですわね。わたくしもフランエッテも、わざわざ好き好んで最下位のクラスに行くほど馬鹿じゃありませんわよ? 引き抜く方法も、《騎士たちの夜典》を使うのでしょう? 《騎士たちの夜典》でわざと敗けて貴方たちのクラスに引き入れられても、その代償が大きすぎますわ。何たってこの学園は、敗けた者には容赦しないのですから。まぁ、わたくしは、既にロザレナさんに敗けて敗北者の烙印を付けられていますけど……それにしたって剣士が決闘でわざと敗けるというのは、大きくプライドを傷付けられる行為ですわ。自分の顔に泥を塗って最下位のクラスに行くメリットが感じられません』
『……ルナティエ様は、元々、級長になりたかったのですよね? だから、ロザレナ級長に《騎士たちの夜典》を挑んだ」
その言葉に、わたくしは思わず肩をピクリと震わせてしまう。
『勝手ながら……私は、ルナティエ様が黒狼クラスの副級長で満足なされているとは思いません。貴方様は未だに、ロザレナ級長を倒したいはず。そうですよね?』
『それは……』
『お願いします。この一か月の間だけでも良いので、天馬クラスの級長になることをご一考ください! お願いします! このクラスには、フランシア領出身者も多いのです! どうか私たちをお救いください!』
そう言って、天馬クラスの生徒三人は、わたくしに向けて深く頭を下げたのだった。
回想を終え、わたくしは現在へと戻る。
黒板の上にある掛け時計を見ると、あと五分程で一時間目の授業が始まるところだった。
時計を見つめながら、わたくしは、大きくため息を吐く。
わたくしは……元々、天馬クラスの級長になることが夢でした。
理由は簡単。お父様もお兄様も、天馬クラスの級長だったからです。
だけど、この学園に入った直後、突き付けられたのは非情な現実でした。
クラス発表の掲示板に載っていた天馬クラスの級長は、わたくしではなく、リューヌだった。
わたくしは他のクラスの級長になるどころか、黒狼クラスの一生徒にしかすぎなかった。
だから、わたくしは酷く焦った。レティキュラータス家の娘なんかに敗けていられないと、入学早々にロザレナさんへと決闘を申し入れた。
今にして思えば、あの頃の自分はとても未熟だったなと、そう思います。
相手をただの没落貴族の令嬢だと決めて舐めてかかり、友人を人質に取ることで、勝利をもぎ取ろうとした。
相手は、あのロザレナ・ウェス・レティキュラータスと、そして、アネット・イークウェスの二人なんですわよ? あの頃のわたくしの浅知恵などで太刀打ちできる相手ではありませんわ。元フレイダイヤ級冒険者のディクソンをアネットさんにぶつける? 無謀にも程があります。
今……あの二人を相手にすると考えたら……わたくしはいったいどういう手を使うのか。まぁ、師匠と戦うなんて考えたくもありませんが、というか勝てるわけありませんが……もし、敵として、再びロザレナさんがわたくしの前に立ちはだかったとしたら。
目を瞑り、イメージする。
あの爛々と光る紅い目の少女に、血に飢えた獣の如き少女に、どう立ち向かうのか。
いくら強くなったとしても、真っ向から戦えば、体力切れでわたくしの敗北は必至。いえ、その前にロザレナさんの上段の一撃で倒される可能性もある。あの子の闘気を超える一撃を放つことは、わたくしには厳しい。
【縮地】で距離を取ることは確定。彼女に速度はありません。速さはわたくしの方が有利。
そこから、知恵を使い、彼女の闘気を隙を突く方法を―――。
「……」
今までずっと味方として戦ってきた分、すっかり、ロザレナさんを倒すことが頭から抜けていた。
深呼吸した後、バチンと両頬を叩く。
いつから……わたくしは、忘れていたのか。
わたくしは――――【剣神】になることと同じく、ロザレナ・ウェス・レティキュラータスにリベンジすべく、剣を握ったのだ。
「おい、クソドリル。急に自分の頬を叩いて、どうした。頭でもイカれたか?」
「アルファルド。さっき、わたくし、天馬クラスの生徒に級長にならないかと声を掛けられましたわ」
「はぁ? 最下位のクラスが、トップクラスの副級長を勧誘するとか、馬鹿じゃねぇの? 現実が見えていない馬鹿ほど笑えるものはねぇぜ」
「わたくしは、少し……迷っていますわ」
「はぁぁぁぁぁぁ!?!?」
オーバーリアクションで驚くアルファルド。
「テメェ、馬鹿かよ。天馬クラスに行っても何のメリットもねぇだろうが。テメェの目的は騎士位を取ってフランシア伯になることだろ。ロザレナを相手にして勝てる気でいんのかよ? タコが。冷静になりやがれ」
「わたくしがロザレナさんに……何故、勝てないと思っているんですの、アルファルド」
わたくしがアルファルドを鋭く睨み付けると、アルファルドは視線を横に逸らし、後頭部を掻いた。
「ワリ、今のは失言だった。ロザレナを相手にするのは危険だって言いたかったんだよ。あの化け物の強さは、お前が一番知ってるだろ? あいつは災厄級の手下の一匹をぶっ殺してみせたんだぞ? 恐らく今の学園最強は、あの女だ」
わたくしは、最前列にいるロザレナさんへと視線を向ける。
そこには、アネットさんと仲睦まじげに話すロザレナさんの姿があった。
その光景を見た瞬間、嫉妬のような感情が胸中に産まれ……思わず、ギリッと奥歯を噛んでしまう。
「わたくしだって……アネットさんと踊りたかった……」
「あぁ?」
「……何でもありませんわ。今は剣王試験にだけ、意識を集中させます。天馬クラスの級長になるかどうかは、剣王試験が終わった後に決めますわ」
そう言って、わたくしはアルファルドとの会話を打ち切った。
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その後、俺たちは恙なく授業を終え――――迎えた、昼休み。
お嬢様「うーん」と口にして伸びをした。
「はぁ……やっと終わった。さて、お昼にしましょうか、アネット」
「そうですね、お嬢様」
俺は机の上でトントンと教材とノートをまとめて、机の下へと仕舞う。
ロザレナは席を立つと、教室後方の席にいるルナティエへと手を振った。
「おーい、ルナティエー。一緒にお昼ご飯食べましょー」
いつの間にかお嬢様の中で、ルナティエは、お昼を一緒に食べる当然の相手となっていた。
入学時の二人を考えると、本当にこのダブルお嬢様方は仲良くなったものだ。
黒狼クラスに限れば、ロザレナにとっての一番仲が良い友達は、ルナティエはなのではないだろうか。ジェシカやメリアもいるし、仲の良い友達が増えてきてメイドとして嬉しいです。
だが、ロザレナの声に、何故かルナティエは鋭く目を細めていた。
その姿に、俺は思わず首を傾げてしまう。すると俺と目が合ったルナティエは動揺した様子を見せ、席を立ち上がった。
「行きますわよ、アルファルド」
「え? あ、あぁ」
アルファルドは不思議そうにロザレナと俺を交互に見つめた後、ルナティエと共にクラスを出て行った。
「何、どうしちゃったの、あいつ?」
「……」
あいつとも付き合いも長くなったから、何となく分かる。
ルナティエは多分、今、何かに迷っている。
大方、お嬢様と仲良しこよしをするこの環境のままに居て良いのか、悩んでいるといったところだろうか。
ルナティエは元々、お嬢様を倒し級長の座を狙っていた。
だが、学級対抗戦や、マリーランドでの戦いや、特別任務を経て、ロザレナとルナティエの関係は敵ではなくライバル、そして相棒となった。
力を付けてきたことで、そろそろ、副級長である今の自分の立ち位置に疑問を抱き始めたのかもしれない。
グレイに加えてルナティエも、自分の中にある壁を認識したか。
いや、二人だけじゃない。お嬢様の中にある凶暴性も、未だに俺は心配している。
「? どうしたの、アネット?」
隣に立ってじっと見つめていると、ロザレナはキョトンとした表情を見せてきた。
ジェシカが虐められている現場を見て、ロザレナは、まるで別人のように残虐な一面を見せていた。
それが闇属性魔法の発動をきっかけにしているのは間違いないだろう。
俺は、お嬢様がどうやってベルゼブブを倒したのかは知らないが……もし、闇属性魔法を使用して倒したのだとしたら……。
(今度の剣王試験……弟子たちにとっては、波乱を呼ぶことになりそうだな……)
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時計塔―――最上階、学園長室。
ゴーヴェンは机に座り、手を組むと、目の前に立つ教師へと声を掛けた。
「それで……アネット・イークウェスに目立った様子は見られないのかね、ルグニャータ先生」
その言葉に、ルグニャータは首を傾げ、気怠そうな様子で開口する。
「はぁ……以前申し上げた通り、あの子には特に変わった様子は見られませんが……」
「何でも良いのだよ。ただの少女とは思えない能力が見られたらそれで良い。突如、剣の腕の才覚を見せていたりしないか? 子供と思えぬ知識や経験を持っていたりはしないか? そうだ。男口調で喋ったりしないか? そういった点が見られたら、教えてくれたまえ」
何処か興奮した様子でそう問いを投げるゴーヴェン。
対してルグニャータは、やる気がなさそうな様子だった。
「いやぁ~残念ながら、そういったところは見てないですねぇ~。4月に報告した時と同じく、アネットさんはただのメイドの女の子ですよ。あ、違ったか。あの子、貴族だったんでしたっけ」
ふわぁと大きく欠伸をするルグニャータ。
そんな彼女に、ゴーヴェンの背後に立っていたフォルターが声を荒げた。
「ルグニャータ。貴方、何ですか、その態度は? フィアレンス事変で子供を庇った失態で教職に左遷された身で……それでも元黒獅子隊の騎士ですか!!!! ゴーヴェン様に無礼でしょうがァッ!!!!」
「いや~フォルター隊長は相変わらずうるさいですニャ~。これならまだリズの方がマシだったニャ……」
「リーゼロッテもリーゼロッテです!! あいつめ、ゴーヴェン様に断りもなく教職を辞めやがって……!!!! ウギィィィィィィィィ!!!!!」
「フォルター。少し、口を閉じていろ」
「はっ!!」
ゴーヴェンにそう声を掛けられたフォルターは口を閉ざし、直立不動する。
ゴーヴェンは前を向きため息を吐くと、椅子の背もたれに背を預けた。
「まったく……なかなかに尻尾を出さないものだな。だが、リーゼロッテが私の前から消えた時点で、疑念は確信に変わりつつある。ククク……お前はいったいどちらだ、アネット。オフィアーヌ家の血を引いたただのメイドか、それとも、最強の剣聖か。私の儀は、失敗なく完遂することができたのだろうか? その結果が楽しみで仕方がない」
「……最強の剣聖?」
ルグニャータの疑問の声に、ゴーヴェンは「年甲斐もなくはしゃぎすぎたな」と言って、首を振った。
「ただの独り言だ。ルグニャータ先生、もう良い。下がりたまえ」
「はいですニャ」
そう言って腕を伸ばし大きな欠伸をした後、ルグニャータは踵を返す。
だがゴーヴェンに背中を見せた瞬間、ルグニャータは一瞬だけ、背後に向けて敵意のこもった鋭い目を向けた。
そして、それを気取られることなく、ルグニャータは退出して行った。
ルグニャータを見送った後。ゴーヴェンは席を立つと、窓際へと向かう。
「ククク……無事でいてくれて良かったぞ、アネット・イークウェス。自らを犠牲にしてまでレティキュラータス家に彼女を届けたアリサ・オフィアーヌには感謝しかないな」
「むむむ~~~っっ!!!!」
ゴーヴェンがちらりと床を見ると、そこには、口を結んで息を止めたフォルターが、苦しそうに横たわっていた。
顔を真っ赤にして窒息寸前の様子を見せているフォルターに、ゴーヴェンは一言、声を掛ける。
「阿呆が」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「えー! ロザレナ、ルナティエと喧嘩しちゃったの~?」
中庭。はむはむとサンドウィッチを齧っていたジェシカが、そう声を張り上げる。
そんな彼女の隣のベンチに座っていたロザレナは、首を横に振った。
「いや、別に、喧嘩したってわけじゃないわよ。ただ……お昼誘ったのに、何か、睨まれちゃったのよね。あいつ、どうしたんだろ」
「ロザレナ、先月は私とぶつかったばかりなのに、今度はルナティエなんだ。忙しいね。もぐもぐもぐ」
「いや、ジェシカとも喧嘩したつもりはないわよ」
ベーコンを挟んだパンを片手に、ロザレナはそうため息を吐く。
俺はそんなお嬢様の隣でバターロールを口に含み、もぐもぐと咀嚼する。
お嬢様は、多分、ルナティエの感情を読むことはできないだろうな。
となると、やはり俺が間に立って二人のメンタルケアをしないといけないか……グレイともぎくしゃくしているというのに、なかなかに師匠使いが荒い弟子たちだ。
俺がそう思考して、牛乳を飲んでいると、ジェシカがあることを口にした。
「あ! ねーねー、アネット! アレスくんに会いたいんだけど、また寮に呼んでくれないかな!」
「ぶーっ!!!!」
思わず牛乳を吐き出してしまい、隣に座っていたロザレナを真っ白にしてしまう。
ロザレナは髪の毛から白い水滴をポタポタを垂らしつつ、怒りの表情を浮かべた。
「アネット~~? これはいったい、何の真似なのかしら~~?」
「お、お嬢様! これは事故です! ほ、ほら、ハンカチでお拭きしますので!! ほら!! 拭き拭き拭き~~!!!!」
俺は急いでお嬢様のお顔にかかった牛乳を拭いていく。
そんな俺を無視して、ジェシカは目をキラキラとさせて、続けて口を開いた。
「私、アレスくんと宮廷舞踏会とかで一緒に踊ってみたいな~! 男ばかりに囲まれて生きていたけど、私、そういった乙女チックな夢を抱いていたりするんだ~。白馬に乗った王子様が迎えに来たりとか。えへへへ。ちょっと子供っぽいかな?」
「良いんじゃない? 女の子としてはそういうのに憧れるのは当然だもの。宮廷舞踏会……そういえば、王宮晩餐会で社交ダンスを踊ったけど、今思うとアレ、男装したアネットだったのよね?」
「え? 男装したアネット!? わーっ、見てみた―――」
「ぶーーーっ!!!!」
お嬢様のお顔を拭いて一段落していた俺は、再び牛乳を口に含んでいたのだが……ジェシカの発言でまたしても、お嬢様の顔面に向けて牛乳を噴き出してしまった。
髪の毛を真っ白にしたロザレナは、俯き、プルプルと身体を震わせ……笑みを浮かべている。
「フフフ……フフフフフフフフフ!!!!」
「お、お嬢様。落ち着いてください。これは事故です」
「二回も事故があるかぁぁぁぁ!!!!! アネット!! そこに直りなさい!!!!」
「ひぃぃぃぃぃぃ!!!!」
お怒りのお嬢様に怯えていた、その時。
校舎の渡り廊下を歩く、ベアトリックスの姿が目に入った。
昼休みだというのに、ベアトリックスは急いで何処かに向かっている様子だった。
見たところ、食堂では無さそうだ。彼女の進行方向には、昇降口しかない。
グレイのこともあるし……少し、ベアトリックスには話を聞いておきたいところか。何故兄があそこまで頑ななのか、妹なら分かることもあるかもしれない。
「アネット! 何を無視しているの!」
「……お嬢様。申し訳ございません。少し、所用ができましたので、お暇させていただきます。午後の授業までには戻ってまいります」
「はぁ!?」
俺は立ち上がると、バターロールの残りを口に放り入れ、牛乳瓶を一気に呷る。
そして、ガンと瓶をベンチの上に置くと、ベアトリックスを追いかけるため足を進めた。
「ちょっと! 待ちなさい、アネット!」
申し訳ございません、お嬢様。
けっして、お嬢様のお叱りが怖くて逃げるわけではありません。ええ。
俺は心の中で謝罪しつつ、校舎へと向かって走って行った。
ベアトリックスを追ってやってきたのは、別棟の修練棟だった。
修練棟に入ろうとしているベアトリックスに、後ろから声を掛ける。
「ベアトリックスさん」
「え? あ、お姉さま!?」
俺の姿に気付くと、ベアトリックスは頬を赤く染め、焦った様子で髪の毛や身だしなみを気にし始める。
俺はそんな彼女に近付き、口を開いた。
「お昼休みに、修練棟に何か用事があるのですか?」
「あ、えっと……」
彼女は鞄の中から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「申し訳ございません、お姉さま。歩きながらでもよろしいでしょうか?」
「はい、構いませんよ」
「では、魔法薬学研究部の部室まで、ご一緒お願い致します」
俺とベアトリックスは並び、時計塔の中へと入った。
「私、母親の治療がしたくて、お昼休みも部室に行って研究をしているんです。ほら、前に言いましたよね、私の母は、『死に化粧の根』のせいで歩くことができなくなっているって」
「そうだったのですね。お母様のその後の経過はどうですか?」
階段を上りながら、そう、問いを投げてみる。
するとベアトリックスは下唇を噛み、悔しそうな様子を見せた。
「あまり……良くはないですね。木質化の侵攻が進んでしまっています。下手をしたら、今年中に、太腿……いえ、腰まで行ってしまうかもしれません」
「そう……ですか……」
「『死に化粧の根』って、実は、一度使用したからといって木質化が始まるわけではないのですよ。ですが、多用して、身体の中の許容量が限界を超えた時、身体の一部で木質化が始まってしまうんです。そうなると、使用を止めても、時間が経つごとに侵攻が進んで行ってしまう。侵攻速度は遅いのですが、それでも最終的には全身が木質化し、『死に化粧の根』へと変化します。この植物……いえ、魔物は、生物を『死に化粧の根』に変化させることで、自分の繁殖を広げているのだと思います」
「魔物、ですか。確かに仰る通りですね。『死に化粧の根』は、単なる植物ではなく、明らかに生物に対する悪意を持っていますね」
「性質が悪いのは、『死に化粧の根』は、使用した者に幸福な幻を見せる点だと思っています。その者が欲している亡き者の姿、一番幸福だった過去を見せることで、使用者に幸福を与えます。つまり……幸せを失った者にこそ、一番、この薬物は浸透してしまうんです」
「だから、奈落の掃き溜めで、あんなに流行ってしまっているのですか……お母様はいったい、誰の幻影を見たいがために、『死に化粧の根』を使用したのでしょう?」
「それは……」
一呼吸挟んだ後、ベアトリックスは再度、口を開いた。
「それは、まだ幼かった姉さんや兄さんがいたころ……ファレンシアとグレイレウスが帝国の御屋敷に居た頃の幻影を見ているのだと思います」
「え? でも、グレイレウス……先輩は、まだご存命ですよね?」
「だとしても、子供たちが全員揃っていた頃が、母にとって一番幸せな時期だったのだと思います。たとえ亡き者でなくても、長い間会っていない誰かの幻影を見ることも、できるみたいですから」
「そう、ですか……」
グレイレウスは当初酷く両親のことを嫌っていたが、母親だけは、別にファレンシアとグレイレウスを捨てたかったわけではないみたいだな。
帝国のジャスメリー家、か。
今後帝国に行く機会があるかは分からないが、一度、グレイレウスとベアトリックスの父親には、顔面に一発、ぶち込んでやりたいところだぜ。
そうして、ベアトリックスと会話していたら、魔法薬学研究室へと辿り着いた。
部室の扉を開けて、ベアトリックスは、中へと声を掛ける。
「オリヴィア先輩、お待たせいたしました」
「あ、ベアトリックスちゃん! どうぞ~……って、あれ? アネットちゃん?」
そこには、オリヴィアの姿があった。
俺は手を挙げてニコリと微笑み、オリヴィアへと口を開く。
「オリヴィア。こんなところで会うとは、奇遇――――――」
ふと、オリヴィアの隣にいる、男へと視線が向く。
そこには―――――長身強面の鎧騎士、ヴィンセントの姿があった。
「あ、やべ」
俺は汗をダラダラと流しながら、思わずガチャリと扉を閉めてしまう。
ヴィンセントとは、俺が女性であることを明かした王宮晩餐会以降、顔を合わせてはいない。
正直、今一番、会いたくない人物だった。
「え? どうしたんですか、お姉さま!?」
扉の向こう側で、ベアトリックスの困惑の声が聴こえる。
次いで、オリヴィアの焦った声が聴こえてきた。
「お、お兄様! アネットちゃんは女の子なんですから、荒事は駄目です! 悪いのは全部、隠していた私なのですから!」
カツカツカツと、革靴の音が聴こえてくる。
俺は廊下の壁に背を付け、あわわわわと、怯えた声を漏らした。
扉を開けて出て来たのは、やはり、ヴィンセントだった。
ヴィンセントはこちらをじっと見つめた後、背後にいるオリヴィアへと声を掛ける。
「前にも言った通り、『死に化粧の根』の研究費は、自分たちでどうにかしておくのだな。俺は施設の提供くらいしかできない。それと……協力の見返りとして、『死に化粧の根』治癒の成果が出た暁には、ミレーナ様の配下であるお前たちの実績とする。それを忘れないことだ」
そう言った後、俺に近付き、こちらを威圧的に見下ろしてくるヴィンセント。
こ、こいつ、怒ってるのか? 俺が実は女だって分かって、怒ってるのか?
強面で基本無表情だから感情がまるで読めないぞ……!!
「……」
無言でこちらを見つめてくるヴィンセントに恐れていた、その時。
廊下の奥から、声が聞こえてきた。
「その子に何かするつもりならば……僕は容赦しないぞ、ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン」
声が聴こえて来た場所に視線を向けると、そこには、ブルーノが立っていた。
ブルーノの姿を見て、ヴィンセントは「ほう」と口角を吊り上げる。
「オフィアーヌの長兄か。いや、分家の長兄と言った方が正しいか。久しいな、ブルーノ」
「アネットさんから離れてくれないかな。彼女は僕にとって、誰よりも守らなければならない存在なんだ」
「ククク……貴様などに守られる必要はない。俺は誰よりも、こいつのことを知っている。失せろ、ブルーノ。俺はこいつと話がある」
「何だと……? ふざけたことを言うな、バルトシュタイン家の悪鬼が。彼女のことを誰よりも知っているのは、家族であるこの僕だ。彼女の前から消えろ」
ブルーノは歩いてくると、俺の横に立った。
俺を挟んで睨み合う、ヴィンセントとブルーノ。
ひ、ひぇぇぇ~~! オッサンメイドを取り合うイケメンたち~~!?
やめて~~!! 私、二人が取り合うような価値のある女の子じゃないのよ~~!!
というか何だこの地獄絵図。真剣にやめてください。俺は男にモテたかったわけではない。
「俺は失せろと、そう言ったのだがな、オフィアーヌ家の長兄」
「君の方こそ消えたらどうだ? 部外者は早く学園から消えた方が身のためだ」
バチバチと睨み合った後、ヴィンセントはため息を吐くと、俺に一瞥送った。
「……今夜、バルトシュタイン家の屋敷に来い」
「え?」
ヴィンセントはそのまま廊下の奥へと去って行った。
な、なんなの、あいつ……?
「夜に、屋敷に誘うだと……!? アネットさん!! 絶対に行っちゃ駄目だよ!! 良いね!!」
こっちの義理のお兄ちゃんは何か勘違いをして俺の肩を掴み、そう言ってきた。
俺はそんな彼に対して、引き攣った笑みを浮かべてしまった。