第10章 二学期 第284話 剣王試験編ー② 冥界の邪姫さまは今日もご機嫌です
深夜。午前零時過ぎ。
俺は久しぶりに、満月亭の裏にある稽古場で、弟子たちの剣を見ていた。
基礎訓練。闘気の制御・反射的攻防を、ロザレナとルナティエは剣を振り、行っている。
お互いに剣を振って、攻守を適宜交代しながら剣をぶつけ合う。
ロザレナの闘気がルナティエに合わせて制御されているところを見るに、二人はマリーランドで教えた技術をちゃんと、今も自主トレーニングに組み込んでいるのだろう。偉い。
特別任務前までは毎晩見ていた、日常の風景。
だが、そこには、いつもとは異なる存在がいた。
「フッ……師匠よ。ついに、約束通り、妾に稽古を付ける日が来たようじゃな」
奥で組手をするロザレナとルナティエから視線を外し、目の前へと視線を戻す。
するとそこにいたのは、ゴスロリ衣装に身を包み、夜なのに日傘を差しているイカれた女。
俺はそんな彼女にため息を吐き、声を掛ける。
「あの……前にも言いましたが、私は、魔法剣に関しては素人に毛が生えた技術力です。なので、自分も同時に学びながら教えることになりますが……それでもよろしいですね?」
「うむ。師匠と共に成長を果たすというのも悪くないものだろう。さぁ……師匠よ! 妾と共に、闇の深淵へと参ろうぞ!! 妾という漆黒の魔剣をお主が扱えるのか、見定めさせてもらおう!! 共に血塗られた地獄の宴を開幕するのじゃ!」
そう言って右手を伸ばし、左手で片目を押さえる決めポーズをする冥界の邪姫様。
だから……何なんだ、そのポーズは。何故目を押さえる必要がある目を。
「というか、フランエッテ、髪の毛染めました? あと、衣装も変わりましたか?」
「おぉ! 気付いておったのか! 師匠! そうじゃ。これこそが心機一転した、妾の第二形態なのじゃ!」
テンションが上がった様子で、フランエッテは意外とそこそこある胸に手を当て、ドヤ顔をする。
俺は何処か引きながら、口を開く。
「え、ええ。ハーフツインにした白髪の髪の毛の先に、薄紫色のメッシュ?が入っていますし、黒と赤を基調としたゴスロリ衣装も、いつものロングスカートではなく、動きやすいよう丈の短いスカートになっていますね。化粧は、死人のように真っ白で、目の下に深いクマがある様相は、いつもと変わりませんが……あと……突っ込んで良いのか分かりませんが、左目の眼帯……」
フランエッテの左目には、病院で貰うような、布製の眼帯が付けられていた。
俺が指摘すると、フランエッテは傘を差して、ヒラリと一回転する。
何だその動きはやる必要があったのか。
「前にも話したが、この眼帯には、災厄級の魔物が封じられておるのじゃ。嘘じゃ。災厄級は流石にエルルゥのことがあるから不謹慎じゃったのじゃ。そう……闇の……闇の……中で、封印されている……漆黒の悪魔じゃ! うむ。衣装は、妾なりに、動きやすいバトルフォームにしてみたのじゃ! 名を付けるのなら、漆黒の呪衣といったところか。眼帯はけっして、テンマやオリヴィアに影響されたわけではないぞ。うむ。そこを勘違いするでないぞ。うむ。名付けるのなら……漆黒の眼帯……!」
「漆黒って単語好きすぎじゃないですかね……もう全部の名前に漆黒が入っているじゃないですか……意外にボキャブラリー少ないんですね、冥界の邪姫様……」
「な、なんじゃとぉう!? わ、妾を捕まえておいて、語彙力がないじゃとぉう!? 貴様、不敬であるぞ!! 我が師匠といえども、それは許し難い大罪じゃぞ!!」
ぐぬぬぬぬとこちらを睨み付けるフランエッテ。
そんな彼女の様子を見て、フランエッテの背後で組手を行っていたロザレナとルナティエが近付いて来る。
「いや、あんた……剣の修行にいちいちオシャレしてきてんじゃないわよ……」
「その通りですわ。わたくしたちは、汗を流してトレーニングするのですから。この中で誰よりも美しく可愛いわたくしでさえ、動きやすいように野暮ったい制服やジャージを着用しているのですわよ? そんなヒラヒラしたドレスでこの場に来られると、ムカつきますわ。剣の修行を舐めてるんですの、この新人」
「うぎょぉう!! お局コンビが来たのじゃ……!! 新人いびりなのじゃ……!! へるぷみーじゃ、師匠ぁ!!」
「誰がお局よ!! 」
「誰がお局ですの!!」
ダブルお嬢様に詰め寄られ、俺の背後に隠れ、ガクガクと震えるフランエッテ。
今、気付いたが……この女、災厄級に単身で挑もうとする常人離れした度胸がある癖に、対人には滅法弱いみたいだ。というか、特定の人物以外と会話するのに慣れていないようだ。
一応、俺の弟子になったことだし、これからはみんなとも仲良くなって欲しいところなのだが……如何せん、このゴスロリ女は俺以外には怯えた様子を見せる。長年、周囲に偽りの自分を演じてきた分、素の自分を他者に曝け出すのを苦手としているのかもしれない。
「まぁ……こいつのコミュニケーション能力については、おいおい考えるとして……」
俺は、ショルダーバッグの中からひとつの水晶玉を取り出す。
すると、それを見たルナティエとロザレナが、不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 師匠、それ……魔法因子を調べる、魔道具ですの?
「ん? 学級対抗戦の時に、クラスの能力検査で使った奴?」
「はい。まずは、フランエッテの魔法因子を調べてみようと思いまして。フランエッテ、この水晶に手をかざしてみてください。貴方の身体に宿る魔法因子を、調べてみますので」
「む……前にも言ったが、師匠よ、残念ながら妾には魔法因子は宿っていないぞ? 妾は貴族でも帝国の人間でもないからな。妾の出身は、ただの旅一座の団長の娘……あ、違った。妾は、真祖の吸血鬼の姫じゃった。むはははははは!!」
設定を思い出して、取り繕うために盛大に笑い声を上げる冥界の邪姫さま。
俺はそんな奴の頭にチョップを叩き込み、水晶玉を突き付ける。
「良いから、早くやってください。というかフランエッテ、魔法因子を調べた時は、心臓を奪われる前だったんじゃないんですか?」
「あいたっ! う、うむ。そうじゃ。妾が不老になる前じゃ」
「だったら……今は違うかもしれないじゃないですか」
「? うーむ? 妾は妾のままじゃから、変わらんと思うがの?」
フランエッテは俺の背中から出てくると、水晶玉に手をかざす。
すると、その瞬間――――――俺の手のひらの上にあった水晶玉がパリンと割れ、砕け散った。
その光景を見て、俺とルナティエは、驚きの声を上げる。
「なっ……!?」
「割れた、ですって……!?」
この魔法因子を調べる魔道具……『属性看破の水晶』は、手をかざした者に宿る魔法因子に応じて、水晶の中の色を変える産物だ。
それが、何も手を触れていない状態で……手をかざしただけで、割れてしまった。
いったいこれは、どういうことなんだ?
俺は、この中で一番魔法に精通しているであろう、ルナティエに視線を向ける。
するとルナティエは首を横に振り、口を開いた。
「わ、わたくしにも分かりませんわよ、師匠! 通常、『属性看破の水晶』が割れるようなことは、あり得ませんわ。だって、これ、使用者の魔法因子に応じて色を変えるだけの産物ですわよ? いったいどういうことですの、これ……」
状況が読めていないのか、目の前でパチパチと目を瞬かせるフランエッテ。
俺は顎に手を当て、考え込む。
「ブルーノ先生は、重力の魔法を、現代では滅んだ古代魔法の可能性が高いと言っていた。もしかしたら、こいつの魔法因子は、現代の魔道具では計れないということか? ……フランエッテ、一応聞いておきますが、不老になる前に魔法因子を調べた時は、水晶は割れなかったんですよね?」
「え? うむ。割れなかったし、何の色にも変化しなかったぞ?」
ということは、やはり、俺の予想通り……。
フランエッテの中にある魔法因子は、不老になったことで、変化したということなのだろうか……?
魔法因子は通常親から遺伝するものだから、途中で変化するなど聞いたこともない話だが、こいつの人生は他と比べて異常だからな。普通、災厄級に心臓を抜き取られて何十年も生きている人間など他にいないだろう。
いや……下手をしたら、人間という括りから外れていてもおかしくはない。
帝国のような魔法が発達した国や機関に見つかったら、こいつ、素晴らしい実験材料とみなされて拉致されかねないかもしれないな。魔法が発達していない王国に産まれて良かったなこのゴスロリ。
「よく分からぬが……妾には、新たな力が宿っていると見て良いのだな、師匠!」
両の拳を握り、キラキラとした目でこちらを見つめるフランエッテ。
まぁ、現状、何も分かっていないことに変わりはないのだが。
俺はコホンと咳払いをした後、鞄からオフィアーヌ家で借りて来た魔導書を取り出し、フランエッテに声を掛ける。
「では、次は、魔力の感知、発現、詠唱の修行に移ります。貴方がどれだけ魔法を扱えるのか、見させてもらいます」
「おぉー! 修行といった感じじゃ! ついに、妾の魔法剣の稽古が始まるのじゃな! 妾の伝説がここから始まるのじゃ……! 闇の戦姫の凱旋……!」
喜びながら、俺から離れ、距離を取るフランエッテ。
逆にロザレナとルナティエは、俺の隣に並んできた。
「お嬢様、ルナティエ、トレーニングをしなくて良いのですか?」
「とりあえず、あの女の実力がどんなものか、見ておきたいと思って」
「同感ですわ。師匠の話では、強者を演じていたと聞いていますけれど……腐っても【剣神】に上り詰めた女。私は、それなりに実力があるとまだ疑っていますわ。聖騎士団宿舎で見たあの強者然としたオーラは……すごかったですもの」
俺の話を聞いても尚、まだ二人は、フランエッテに実力があると見ているようだ。
さてと……あの時、災厄級……しかも耐性を獲得するベルゼブブ・クイーンに対して、二度も重力魔法(?)を放つことができた異端な魔法剣士の実力を、再び見てみることにするか。
フランエッテは俺たちと三メートル程の距離を取ると、遠くにある大木に視線を向ける。
そして、傘から仕込み剣を抜くと、ヒュンヒュンと振り、何かかっこいい動作を見せてくる。さっさとやれ。
「あの大木を、妾の前にひれ伏せてやろう……! ――――妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!! 今こそ、我が絶技、ここで披露してやろう!! 我が絶技に頭を垂れよ、ひれ伏せ!! 【次元斬】!!!!!!」
フランエッテは……横ぶりに、華麗に剣を振る。
だが――――――何も起こらない。
辺りはシーンと、静まり返っていた。
「……」「……」
その光景を見て、真顔で黙り込むロザレナとルナティエ。
フランエッテは、コホンと咳払いをすると、何事もなかったかのようにまた剣を構える。鋼のメンタル冥界の邪姫さま。
「――――妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!! 今こそ、我が絶技、ここで披露してやろう!! 我が絶技に頭を垂れよ、ひれ伏せ!! 【次元斬】!!!!!!」
「……」「……」
しかし、何も起こらなかった。
やはり……あいつはまだ、魔力の感知すらできていないようだな。
ロザレナは剣を振ったまま固まるフランエッテを指を差し、俺に声を掛けてくる。
「アネット……あれが【剣神】って……本当なの?」
「…………はい。本当です」
「アネットが実力を隠すために、あの女を隠れ蓑にしたい理由は、分かるけれど……ちょっと無茶なんじゃない?」
あの子、度胸と精神力、演技力に関しては、ものすごい能力を持っていると思うんですよ、お嬢様。あと、未知数の能力も、開花したらすごくなると思うんです。あのベルゼブブ・クイーンを足止めしてみせたくらいですから。
「――――妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!! 今こそ、我が絶技、ここで披露してやろう!! 我が絶技に頭を垂れよ、ひれ伏せ!! 【次元斬】!!!!!!」
三回目。しかし、何も起こらない。
ロザレナと二人はもう真顔を通り越して、あり得ないと言った様子で、口をあんぐりと開けている。お嬢様がた、レディなのですから、口を開けたままにはしていけませんよ。
ゼェゼェと荒く息を吐いた後、フランエッテは「少し、趣向を変えるのじゃ」と言って、地面に魔法陣を書き始める。今度は何をする気だ。
適当な魔法陣を書き終えた後、フランエッテは、剣を魔法陣にかざし、詠唱を唱えた。
「――――妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!!」
その名乗りは果たして毎回必要なのか。
「我が血肉を持って、妾はここに我が眷属、不死鳥フェニックスを召喚をする! 来たれ、紅き翼の主よ! 天空の守護者よ! ここに紅き盟約を結ぶ!!!! 【召喚】」
そう詠唱を唱えた瞬間、辺りに、バチバチと電気のようなものが舞う。
その光景を見て、ルナティエが声を張り上げた。
「な、なんですの、あれは!? 召喚魔法!? 魔道具のバックアップなしで、特三級情報属性魔法を使用できるというのですか、あのゴスロリ女は!」
――――召喚魔法。
【転移】に近い情報属性魔法で、何処からか魔物や妖精、神獣を呼び出し、契約を結ぶことで、その召喚獣を使役し、能力を使用することのできる特級魔法。扱える者は、滅多にいない。
その特異な魔法を、フランエッテは今、行使しようとしていた―――――!!
果たして彼女はいったい何を召喚したのか……!!
「――――――――くるっぽー」
「は?」
「ほーほー、ほーほー」
「ほーぉう、ほーぉう」
「くるっぽーくるっぽー」
「くるるるっぽぉぉぉぉうッッ!!!!」
魔法陣から出てきたのは、鳴き声を上げて空へと飛び立つ、鳩の群れ。
その光景を、俺とロザレナ、ルナティエは、口をあんぐりと開けて見つめる。
「ぬ、ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!? 適当に書いた魔法陣から、本当に何か出たのじゃぁぁぁぁ!? なんじゃこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」
魔法陣から次々に出て来ては、延々と空へと飛び立って行く、鳩の群れ。
え、何、あの子。鳩を……召喚したの……?
「マ、師匠! 鳩が止まらんのじゃが!? どうやったらこれ止まるのじゃ!? 妾、どうすれば、こやつらを出すの止められるの!?」
「……」
「はっ! 師匠が呆けた顔をしておる……! ぐぬぬぬ! や、やはり、これでは駄目なようじゃ! み、見ておれ、師匠! 妾の力はこんなものではないぞ!」
そう言ってフランエッテは、左手に持っていた剣に、右手をかざした。今度は何をするつもりだ。
「――――妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!!」
だから、その名乗りは果たして毎回必要なのか。
「我が剣に、魔法を宿す! 来たれ、漆黒の炎よ! 我が剣に呪いの力を宿したまえ――――――【ダークフレイムインフェルノソード】!」
そう詠唱を唱えた瞬間、ボフンと煙が出てきて、フランエッテの剣が……薔薇の花へと変化を遂げた。
左手に持っている薔薇の花を、目をパチクリとさせて、フランエッテは真顔で見つめる。
「え、なんじゃこれは。妾の大事にしていた剣、フランベルジュはどこに行ったのじゃ!? 妾と名前が似ている剣じゃったから、お気に入りじゃったのにぃ~~!!」
「……」「……」「……」
「はっ! ま、待て、お主ら、そんな目で見る出ない! わ、分かった、次は、この持ち手を失った地面に落ちている傘を、ドラゴンに変えてやろう! 妾は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 冥界の邪姫にして、真祖の吸血鬼である!! 我が傘よ、龍へと姿を変えるのじゃ!」
ボフンと煙が舞う。そして、傘は……無数のカエルへと変化を遂げた。
その光景を見て、フランエッテは発狂し、逃げ惑う。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!! カエルは苦手なのじゃぁぁぁぁぁ!!」
「くるっぽーくるっぽー」
「妾の頭の上に乗る出ない、フェニックス! って、うぎょわぁー!? ドラゴン……じゃなかった、カエルが何故か妾の元を追いかけて来ているのじゃぁ!? た、助けてなのじゃ~~!!」
一輪の薔薇の花を持ち、頭に鳩を載せ、無数のカエルにピョコピョコ追われるフランエッテを見て……ロザレナとルナティエが、同時に口を開く。
「ねぇ、アネット。あれを本当に……」
「【剣神】に相応しい剣士にするつもりですの?」
俺はフランエッテに視線を向けたまま、二人の言葉に引き攣った笑みを浮かべる。
「はははは……無謀、ですかね……」
「芸人だったら、トップを獲れると思うわよ」
「そうですわね……あれでは魔法ではなく、宴会芸ですわ」
その通り、なのだが……約束してしまったからな。
それに、あいつは、才能が無いというわけではないと思う。
謎の重力の剣技に、今日は、召喚魔法、無機物を生物に変えたと来た。
普通の魔法剣士に、できる行いではない。あいつには確実に、少なくない魔力と何等かの魔法因子があるはず。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! あっちに行け、なのじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
あいつにも確かな才能があるはず……だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、フランエッテには魔力を感知する基礎訓練を課し、俺はロザレナとルナティエの剣を見ていた。
ロザレナは俺がいなかった期間、稽古をさぼっていたのか、動きが少し硬くなっていた。ルナティエに関しては、縮地を完全にマスターしており、闘気のコントロールにも乱れがなかった。
今一番、弟子の中では、ルナティエが伸びているのかもしれない。
だが……俺は弟子の中で一番、今、自分の限界を越えようとしている奴を知っている。
――――――――――――ドゴォォォォォォォンッッ!!!!
修練場であるここよりも、さらに上にある山の上で、爆発音が鳴り響く。
ふと上を見上げると、木が何本も薙ぎ倒されている姿が見て取れた。
その光景に、汗だくで剣の素振りをしていたロザレナと、汗だくで縮地のトレーニングをしていたルナティエが足を止め、顔を上げた。
「また、グレイレウスの奴、木に当たったのね」
「本当、いつかは山の木全て薙ぎ倒してしまうんじゃありませんの? あの馬鹿は」
グレイレウスは、特別任務後もずっと山にこもり、一人で修行を重ねていたという。
全ては、俺があいつに課した課題――――――【瞬閃脚】を会得するため。
俺は剣王試験が始まるまで、あいつに【瞬閃脚】を会得しろと、課題を与えた。
【瞬閃脚】を会得しなければ、剣王試験に参加させないとも、そう言った。
もしかしたらあいつは今、相当切羽詰まっているのかもしれない。
あいつ自身が気付いているかは分からないが、あの歳で【瞬閃脚】を会得するのは、無理難題だ。
どんな天才的な速剣型の剣士でも、速剣型の奥義である【瞬閃脚】を習得するには、十数年の鍛錬が必要となってくる。
それをたった数ヶ月でこなせというのは、無理にも程がある課題だろう。
俺はため息を吐いた後、がしがしと後頭部を掻く。
(本当だったら俺は、生き急ぐあいつにまだ【瞬閃脚】は早いことを理解させた後に、じっくり速剣型の技術を教えるつもりでいた。あいつは、急激なロザレナやルナティエの成長に、恐れを成していた。本来、あいつの能力は、ロザレナとルナティエと比べても、遜色がない。なのに、ルナティエが縮地を会得したことに、自分に自信が持てなくなったのだろう。どう見ても、同じ縮地でも、純粋な速剣型であるグレイの方が持続力があり、速いというのにな)
あいつをここまで追いつめてしまったのは、ルナティエに縮地を教えてしまったせいだろう。速剣型の剣技である【烈波斬】、それも、上位の【烈風裂波斬】をマリーランドで会得したルナティエ、そして、特別任務前に【縮地】を会得したルナティエ。
加えて、急成長し始めたロザレナの闘気。本来剛剣型が苦手とする速剣型のグレイが、ロザレナと組手をした時、圧倒的な闘気で剣を折られてしまった。
間違いなく、グレイは焦っている。
そして今朝の一件……母親の容態が尾を引き、さらに、奴は追い込まれた。
剣王試験を受けるために、何としてでも【瞬閃脚】を会得しないといけなくなった。
たらればの話だが、俺としたことが、方針を間違えてしまったな。
奴とはもう少し、対話をしておいた方が良かったか。
そう思案していると、ルナティエがトレーニングを辞めて、こちらに近付いて来た。
「そういえば……師匠。わたくし、今月末に行われる剣王試験に出るつもりなんですけど、構いませんか? 許可をいただいても?」
「ん? あぁ、ルナティエも剣王試験に出るつもりだったんですか」
「ルナティエだけじゃなくて、あたしもよ」
そう言って、ロザレナも剣の素振りをやめて、近付いて来る。
「そうですか。お嬢様も……分かりました。試験に出ること、許可致します」
喜び合うロザレナとルナティエ。
「わ、妾は……?」
大量に鳩を召喚したせいで魔力が枯渇したのか、ゼェゼェと疲れた様子で地面に座り、基礎訓練『魔力感知』を行うフランエッテ。
そんな彼女に、ロザレナとルナティエは唇を尖らせる。
「あんたは、既に【剣神】でしょうが!! このへっぽこ手品師!!」
「そうですわ!! 既にゴールに行っている奴は一昨日きやがれですわ!!」
「ひぃ!? 何故か妾に対してのヘイトが高いのじゃぁ!!」
まぁ……必死こいて修行をしている二人からみれば、フランエッテが面白くないのは確かだろう。とはいえ、それは俺が奴に押し付けたことなので、そんなに虐めないであげて欲しいです。はい。
「ま、まぁまぁ。フランエッテが【剣神】の座に就いているのは、私のせいなので、そこはどうか大目に瞑っていただけたらと」
「まぁ、そうなんだけど。それで、アネット。はっきりと言って欲しいんだけど、あたしたちって、もう【剣王】の座を獲れるくらいには、強くなっているのかしら?」
ロザレナは腰に手を当て、ルナティエは腕を組み、緊張した面持ちで俺を見つめてくる。
まだ、自分たちがどれくらいの実力を付けているのか、分かっていないのだろう。
特別任務で他者と戦い、既に級長クラスは敵ではないと理解しているだろうが……まだ、明確に称号持ちと戦ったわけではないからな。本人たちが自分の実力がどれくらいのものか、理解していないというのは当然の話か。
俺はニヤリと笑みを浮かべ、二人に声を掛ける。
「私が剣王試験を受けて良いと言ったのですから……既に、お二人は【剣王】を狙える位置に立っていますよ」
俺の言葉に、破顔するダブルお嬢様がた。
下手をしたら、既に、狙える位置どころじゃない実力かもしれないがな。
俺はそんな二人に笑みを浮かべた後、歩みを進め、二人の横を通って行った。
「? アネット? どこに行くの?」「師匠、どちらに?」
「ちょっと、グレイの様子を見てきます。三人は続けて、稽古をなさっていてください」
そう言って俺は、弟子三人を置いて、山へと登って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁはぁ……!」
深夜午前一時。クレーターのように木々が薙ぎ倒されているその場所に、上半身裸のグレイが立っていた。
グレイは全身から汗を流し、苦しそうに、虚空を睨んでいる。
俺はそんな彼の背中に、声を掛けた。
「おい、グレイ。無理すんな。そこまでだ」
「……師匠?」
グレイは額の汗を拭い、こちらを振り返る。
俺はそんな彼の元へと歩みを進め、口を開いた。
「随分と木々を薙ぎ倒して……相変わらず突進を続けているのか、お前は」
「……はい。お見苦しい場面を見せてしまい、申し訳ございません」
「いや、良い。【瞬閃脚】は、速剣型の奥義だ。苦戦するなという方が無茶な話だ」
俺はそう言って後、がしがしと後頭部を搔き、「あー」と声を上げて、再度開口する。
「悪いな。俺はお前に、意地悪をしてしまった。お前は、まだ、【瞬閃脚】を会得できる段階じゃねぇ。それを己で気付き、自分の今の立ち位置を気付いて欲しかったんだ。……生き急ぐな、グレイ。確かに、ロザレナお嬢様とルナティエの成長速度は著しい。だからといって、お前が前に進んでいないわけではない。速度型の才能でいえば、お前は、学園の中でもトップレベルで―――」
「師匠。慰めなど不要です。言いたい事を仰ってください」
「……良い加減、気付け。段階を踏んで、強くならなければいけないということに。剣の世界は、いきなり出てきた新参者に、実力を追い抜かされることだって勿論ある。努力がイコール、その強さに繋がるとは限らないんだ。お前がロザレナお嬢様とルナティエを脅威とみなしたように、この世界には、化け物みたいな才能を持った剣士がごまんといる。お前よりガキで、剣神の座に到達した奴だっている」
リトリシア・ブルシュトロームという天才少女がいたようにな。
「だから……無鉄砲に俺の言ったことを信じて修行を重ねるな。自分で気付け。前に言った、剣王試験までに【瞬閃脚】を習得できなければ試験に参加させないといった制限は、解除する。だから、焦るな。俺と共に地道に努力を重ねて、剣王試験を受けろ。そうすれば、お前の今の実力なら―――――――」
「お断りします」
「……何だと?」
俺の殺気を放った言葉に一瞬たじろぐが、グレイは果敢にこちらに鋭い眼光を向けてくる。
「オレは、【瞬閃脚】を会得しない限り、剣王試験には参加しません」
「馬鹿かお前は。母親助けるんだろうが。変な意地張ってんじゃねぇよ」
「……母親も助けます。【瞬閃脚】も会得して、師匠の課題をクリアしてみせます」
俺はグレイに近付くと、奴の胸倉を掴んだ。
「テメェ……今朝言ったことはどうした? お前、ガキである自分を反省していたよな? 何つまらねぇ意地張ってんだ。【瞬閃脚】を会得しなくても、【剣王】にはなれる。むしろ、【剣王】の座に就いている奴で【瞬閃脚】を使用できる奴はいないはずだ。段階踏めって言ったよな、ゴラ。諦めろ。今、やるべきことに集中しろ」
「お断りします」
俺は、闘気をこめず、グレイの頬をぶん殴った。
するとグレイは口の端から血を流し、こちらを睨み付けた。
「……師匠に言われたからじゃない。オレは自分の意思で、【瞬閃脚】を会得しようと思っています!! オレはここで【瞬閃脚】を会得しなければ、剣士として終わってしまうような気がするんです!! ですからどうか、師匠!! オレの我儘を許してください!! オレは……剣王試験までに、【瞬閃脚】を会得してみせます!!!!」
俺はグレイの腹を蹴り上げる。
するとグレイは背後にある大木へと当たり、ケホケホと咳き込んだ。
「男のプライドって奴か。好きにしろ。ただし……母親を助ける資金を集められなかった時、俺はお前を破門する。それを肝に銘じておけ」
「はい」
そうして、俺は、山を下山して行った。
馬鹿野郎が……俺は家族を大事にしない奴が一番嫌いなんだよ……お前は本当に、母親を助ける気があるのか、馬鹿野郎……。