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第9.5章 二学期 第277話 晩餐会後日談―① 王位継承戦の始まり

第270話が抜けているというご指摘がありましたので、追加しました。

また抜けがありましたら教えていただけると嬉しいです。



「……スースー」


 深夜午前零時。王の私室に、静かな寝息が響いていく。


 窓から月明かりが差し込むその部屋に、白銀のドレスを身に纏う、エステルが姿を現した。


 エステルはベッドの前に立つと、ニコリと、妖しい微笑みを浮かべる。


「聖王バルバロス・エル・ペラド・グレクシア。僕は、お前がずっと憎かった。お前は僕と母さんを離宮へと閉じ込め、結果、母さんは死んだ。お前のせいで、僕は、この地獄に誕生してしまったんだ……」


 エステルは、右手に持っていたナイフを持ち上げ、そこに映った自分の顔を見つめた。


「長かったよ。僕は、この時が来るのをずっと、待ち望んでいたんだ」


「……」


「僕がこの世に誕生して十八年。最初は、あの幽閉されていた塔の中が、僕の世界の全てだと思っていた。だけど、違った。世界は、もっと広いものだったんだ。僕は、自由を求め、外へと逃げた。だけど、そこにも、真の自由は何処にも無かった。王宮に連れ戻された後、母は……あの狭い塔の中でやせ細り、見るも無残な姿で亡くなってしまった。母の亡骸を前にして、僕は、決めたんだ。何年掛かろうとも、お前を殺してやると」


「……」


「お前は病に罹って、今の状態になったのだと思っているのだろうが……それは違う。僕は、時間を掛けて王宮勤めの使用人をこちら側に付けて、お前の食事に―――何年も、微量に毒を混ぜていたんだ。じわじわと身体の内側から嬲り、そして、最後に……僕自らの手で、お前を殺してやるために」


「……分かっていた。分かっていて余は、お前の毒を喰らい続けた」


「!?」


 眠っていたはずの聖王が口を開き、エステルは驚きの表情を浮かべる。


 聖王は瞼を開けると、そのまま、声を発した。


「エステリアル。お前は、余を殺せば、全てが変わるのだと思っているようだが……それは違う。この国は王が代ろうと、何も変化することはない。そもそも、聖王というのは、傀儡でしかない。目的の未来へと運命を運ぶための、舞台装置でしかないのだ」


「傀儡、だと? いったい誰のだ?」


「聖女だ。余の行動は全て、聖女の未来視に準じて行われている」


 その発言に、エステリアルは、下唇を噛む。


「ふざけたことを……! だったら、ただの使用人である母に手を出し、僕を産んだのも、聖女の命令だと言うのか……!?」


「そうだ」


「僕と母さんを離宮に閉じ込めたこともか!?」


「そうだ」


「僕がこうしてお前を殺そうとしていることも、聖女が求める未来通りだと言うのか!?」


「そうだ」


「何なんだ……いったい、何なんだ、この国は……! 聖王というものは……! 聖女というものは……!」


「聖王に即位すれば、お前にも分かることだ。王家とセレーネ教の秘密、そして、宝物庫にある真実を、代々の聖王とバルトシュタイン家当主は受け継いでいる……それらの真実を知った時、お前も、余の考えが分かることであろう……この世界は、檻の中だということを……ゲホッ、ゴホッ」


 咳き込んだ後、聖王は天井を見つめ、疲れた表情を浮かべる。


「さぁ、殺すが良い。余は、もう、疲れた。聖王で在り続けること……そして、未来を紡ぐための奴隷になることに、な……」


「……ッ!!」


 エステルは、ナイフを構える。


 そんな彼女を見て、聖王は、静かに開口する。


「エステリアルよ。聖王となるのなら、心するが良い。これより始まるお前の道

は、魔王へと至る道。他の王子たちを殺し、反発する民を殺し、血塗られた王冠を被り、弱き民たちを先導していく魔王。その傍らにあるのは、闇の剣聖。それが、お前だ。お前は……この国の最後の王となるだろう」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」


 エステルはナイフを、聖王の胸へと突き刺した。


 その瞬間、聖王はカハッと血を吐き出し、クマの深い、白く濁った眼を徐々に閉じていく。


「ようやく……この地獄から解放……されるのか…………聖女よ……後は、頼んだ……ぞ……我らの宿願を、必ず……」


 そう言い残し、聖王は死に絶えた。


 エステルはゼェゼェと荒く息を吐いた後、ナイフから手を離し、額の汗を拭う。


 そして聖王を一瞥し、踵を返した。


「僕は、お前のようにはならない。聖女の傀儡になどなってやるものか。僕は武力を以ってこの大陸にある国々を統一し、争いのない、真の平和を取り戻す。何処に行っても、閉じ込められることのない、自由な世界を創り出す。あの日、僕を助けてくれた、あの子のように……僕は、自由を手に入れるんだ!」


 エステルは瞼を閉じる。そこに映るのは、奴隷商団のアジトを箒で吹き飛ばした、アネットの姿。


 その光景を思い返した後、彼女は部屋の入り口へと向かい、扉を開けて外へと出た。


 外に立っていたのは、仮面の騎士ギルフォードだった。


 彼の前には、斬り殺され横たわる衛兵二人の姿があった。


 ギルフォードは血が滴る剣を腰の鞘へと仕舞うと、エステルに声を掛ける。


「終わったのか」


「あぁ。計画通り、王を殺すことに成功した。……ジュリアンが持っていたナイフで、ね」


「上々の結果だ。ならば、速やかにこの場を去るぞ」


 エステルは、廊下を真っすぐと歩いて行く。その後ろを、ギルフォードがついて行く。


 その途中、十字路から現れたある人物が、その列に加わった。


「フフフ。ついに始まるわねぇ、エステル。貴方の戦いが」


 そう言って列に加わったのは、ジェネディクトだった。


 そして、またしても、別の道から現れた人物が、エステルの列に加わる。


「こちらも手筈通りに、動けていますよぉう? 当分、王の私室付近に人は来ないかと。安心してくださいねぇ、王女サマ」


 そう声を掛けたのは、修道服を着た金髪の少女、リューヌ。


 最後に合流したフードを被り、眼帯をした金髪の少女が、リューヌへと声を掛ける。


「キャハハハハハ! 何だっけ、【支配の加護】だっけぇ? 本当、便利だねぇ、その力! 雑魚の癖に焼くに立つじゃん、修道女!」


「……雑魚、ですか。クスクス……新参者の貴方にそう言われたくはないんですけどねぇ……」


「あぁ!? アタシは、強い奴と戦わせてくれるって言うから、そこの銀髪女の誘いに乗ったんだよ。別に、お前らの目的なんて知ったこっちゃない。アタシは強くなりたいから、雇われた。ただそれだけの話だよ。……てか、新参者も何も、お前とアタシは入った時期同じだろ。舐めた口を利くのなら、その首、斬り落としちゃうけど? キャハハハハハ!」


 ギルフォード、ジェネディクト、リューヌ、キフォステンマ。


 配下四人の姿を肩越しに見つめて、エステルは微笑を浮かべる。


「オフィアーヌ、バルトシュタイン、フランシアの血族は僕の配下となった。あとは、レティキュラータスの血を引く者だけ……」


 そう呟いて、エステルは、闇の中を配下と共に歩いて行った。


「もうすぐ―――始まる。巡礼の儀、次の聖王を決める戦いが」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 翌日。午前八時。


「そんな……陛下が……っ!」


 天蓋付きのベッドで胸をナイフに突き刺され死に絶える聖王。


 王の私室に集まった国の重鎮と王子の八名―――王子ジュリアン、王女フレーチェル、王子ジークハルト、王子マイスウェル、王女ミレーナ、大司教セオドア、宮廷魔術師グェンドラ、王の弟である宰相ディートリッヒたちは、聖王の遺体を見て、驚いた表情を浮かべる。只一人、ゴーヴェンだけは、無表情のままだった。


 その中の一人、大司教セオドアは、苦悶の表情を浮かべ、皆に向けて口を開いた。


「今朝、メイドが様子を見に来た時には……既に、この状態だったという話です。王宮勤めの修道士や医師がすぐに診ましたが、助かる見込みは無く……早朝午前七時の時点で、亡くなられておりました」


 その言葉に、王子と王女である、ジュリアン、フレーチェルは、悲しそうな様子を見せる。ジークハルトは目を伏せ祈りを捧げ、マイスは呆れたため息を吐き、壁際に背を付けて、腕を組んでいた。


 そんなマイスウェルに、王女フレーチェルは、怒りの声を上げる。


「ちょっと、マイスウェル! お父様が亡くなったというのに、何なの、その態度は!」


「申し訳ないが、俺は父上とそこまで交流がなくてね。君たちのように感慨に耽ることもできないのだよ」


「ふざけたことを言って! もしかして、お父様を殺したのは、貴方なのではないの、マイスウェル!! 貴方は王位継承権を剥奪され、お父様から勘当された馬鹿王子ですものね! 陛下に恨みに思っていたのではなくって!?」

 

 フレーチェルの言葉に、その場にいる全員が、マイスに視線を向ける。


 マイスはその視線にため息を溢し、誰にも聞こえない声量で口を開いた。


「……まったく。どいつもこいつも、王が死んだというのに、跡目争いのことばかり。相変わらずこの場所は息が詰まる。人の死を悼むことを知らぬ愚か者ばかりだ。俺の居場所はやはり、満月亭にしかない、な」


「? 何か仰いまして?」

 

 フレーチェルの言葉に、マイスは髪を靡き、いつものようにキランと白い歯を輝かせて、アルカイックスマイルを見せる。


「いいや、何でもない。はっはー! まったく、フレーチェルよ、よく考えてみたまえ。王位継承権を剝奪されたこの俺が、聖王を殺して何の意味があるというのかね?

 聖王を殺したところで、俺にはメリットなど一つもない。俺が求めるものは、ただひとつ。可愛い女の子と毎日ベッドの中で踊ることだけさ。暗殺など、そんな暇があるのなら、俺専用の後宮を建てる夢に費やしたいところだね。はっはー!」


「……確かに、この馬鹿に、お父様を殺す意味はないですわね。お父様を殺してメリットがあるのは、次期聖王候補くらいのもの……」


 フレーチェルがそう口にした瞬間、王の私室の扉が開かれ、そこから、白銀のドレスを身に纏った―――エステルが姿を現した。


 エステルは皆の元へと歩みを進めると、ベッドの上で横たわる聖王を見て、悲しそうな表情を浮かべる。


「陛下が崩御なされたと聞いて、急いで駆けつけましたが……まさか、こんな……! このようなことになるとは思いもしませんでした……!」


 エステルはハンカチを取り出し、目元を拭う。


 そんなエステルを見て、フレーチェルは鋭く目を細めた。


「マイスじゃないのなら……貴方なんじゃないの、ネズミ。貴方はお父様に長年塔に幽閉されていたことを良く思っていなかったでしょ。この……妾の子がっ!」


「フレーチェル様。私は、そのようなことを思っていません。本気でお父様が亡くなられたことを、悲しんでいます」


 そう言って目元を拭った後、エステルは、王の腹部に刺さっている短剣に視線を向ける。


「おや……この短剣、何処かで見た覚えのあるものですね」


 全員の視線が、短剣に注がれる。


 そして、その短剣を見て、セオドアが驚きの声を上げた。


「なっ……! こ、これは、王家の短剣……! 陛下がジュリアン様にお与えになったもの……!」


 セオドアがそう声を上げるのと同時に、ジュリアンは振り返り、エステルを鋭く睨み付ける。


「エステル、まさか、貴様……っ!!」


 エステルはハンカチを手に持ったまま―――ニヤリと、ジュリアンに不敵な笑みを浮かべた。



「さて、いったい、誰が聖王バルバロスを殺害したのでしょう、お兄様」


 

 睨み合うエステルとジュリアン。


 そんな中、マイスはため息を吐き、王の私室を出て行く。


 入り口の傍に立っていたゴーヴェンは、そんな彼を見送った後、睨み合うエステルとジュリアンを見つめ、「ククク」と小さく笑みを溢した。


「ついに、始まったか」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



《アネット 視点》


 

 ―――チュンチュンと、小鳥の囀りが聞こえる。


 俺はぼんやりと目を開け、上体を起こした。


 ベッド脇にある窓からは、穏やかな陽光が差し込んでいる。


 窓から視線を外して、部屋の中を見てみると、そこは、豪奢な造りをしている一室だった。


 王宮晩餐会の日から―――翌日。


 俺は、現在、オフィアーヌ家の御屋敷で朝を迎えていた。


「まさか……俺が、貴族の仲間入り……しかも、四大騎士公の一人になるなんてな」


 目を擦り、大きく欠伸をする。


 王宮晩餐会の後、俺はオフィアーヌ家のみんなに有無を言わさずに屋敷へと連行され……こうして、一夜を迎えていた。

 

 その時、一言も、お嬢様と会話することはできなかった。


 不安そうな面持ちのお嬢様を置いて、オフィアーヌ家のみんなと一緒に晩餐会の会場を後にするのは……正直、気が引けた。


 だけど、アンリエッタが亡くなった後の事後処理やら何やらで、俺たちオフィアーヌ家一同は、すぐに動く必要があった。


 そうこうして、一夜かけてアンリエッタの死亡と、俺の四大騎士公襲名の報せをオフィアーヌの同盟貴族に知らせて……今日に至る。


「……やれることは、やったな」


 アンリエッタの死亡という予期しないことは起きたが、当初の予定通り、四大騎士公の当主になることができた。


 後は俺が当主になったことを周囲に喧伝することができれば、俺の計画は終了する。


 俺は伸びをした後、ベッドから降り、立ち上がる。


 すると、近くにある姿見に、自分の姿が映った。


 コルルシュカに寝間着として着慣れないワンピースタイプのネグリジェを渡されたのだが……何かスースーして変な感じがするな、これ。


 髪もずっとロングのままだし、自分が自分じゃないみたいだ。


「お嬢様……じゃなかった、お館様。 おはようございます」


 コンコンとノックをして、コルルシュカが部屋へと入ってきた。


「お館様、急ぎ、お知らせしたいことが……って、ぶふぁ!?」


 突如コルルシュカが鼻血を噴き出し、俺にキラキラとした目を向けてくる。


「す、素晴らしいです、アネット様! そのネグリジェ、とてもよくお似合いです!  か、可愛らしい……! あぁ、駄目だ、私、我慢できません! 今すぐ抱かせてください、お嬢様! さぁ、さぁ、さぁ!!」


「……お前は何でいつも、オッサンみたいな反応をするの? 何なの? お前の正体は美少女の皮を被ったオッサンなの?」


「美少女……っ! アネット様、私のことを、今、美少女と……っ! 抱いてくださいっ!」


「抱くのか抱かれたいのか、どっちなんだよ……」


「どちらでもっ!」


「まったく、アホか、お前は……」

 

 俺は両手を広げるコルルシュカの元へと近付き、彼女の頭をポカンと軽くチョップをする。


 するとコルルシュカは、不満そうに唇を尖らせた。


「いつもみたいにもっと強く叩いてください。これじゃあ、全然、気持ちよくありません」


「俺のツッコミにいちいち快楽を見出すな! ドM変態メイド! ……はぁ。それで? 俺に知らせたいことって、何なんだよ?」


「はっ! そうでした。お嬢様、心して聞いてください。聖王陛下が―――昨晩、崩御されました」


「……は? 聖王が、死んだ……?」


 俺は、思わず、素っ頓狂な声を発してしまう。


 何故なら、聖王は昨日、普通に晩餐会に参加していたからだ。


 元々病に伏していたから、容体が悪化した……のか?


 それにしては、急すぎる話だな。


「病で亡くなったわけではありませんよ、お嬢様。聖王陛下は、暗殺されたのです。それで、今、王宮内では緊急で会議が行われています。というのも、聖王陛下の暗殺に使われた短剣が、第一王子ジュリアン様のものだったそうで……」


「殺された? しかも、ジュリアンの短剣で……?」


 俺は、顎に手を当て考え込む。


 状況証拠的には、どう見てもジュリアンの仕業だと考えられるが……果たして暗殺者が、自分の短剣を聖王に突き刺したまま去るだろうか?


「お嬢様……じゃなかった。お館様のお考えの通りです。短剣を放置していくなど、どう見てもあからさますぎます。それで、今、王宮内では王国の重鎮を交え、会議が行われているのです。ジュリアン様が犯人なのか、どうかを」


「……」


 考えられる線としては、ジュリアンと敵対している王位継承者だと思うが……。


 俺は一瞬、脳内に、白銀の髪の少女を思い浮かべてしまう。


 俺が知るエステルは、誰かの命など奪うような存在ではなく、俺やロザレナの話を無邪気な笑顔で聞いている明るい少女だった。


 だけど、ヴィンセントは彼女を、謀略の鬼と言っていた。


 自分に敵対する貴族を次々と暗殺していくエステルを、王国の貴族たちは恐れているとも。


 まさか、聖王を殺したのは……エステル、なのか……?


 脳裏に、いつの日か彼女と交わした言葉が、蘇る。


 あれは、エステルと久しぶりに再会し、お嬢様と一緒にお茶をした時のこと。


『僕は、産まれた当初、この世からいないものとされていたんだ。僕の母親は平民出身の使用人でね。遊び半分で父に手を付けられてしまった結果、王家の妾として迎えられたんだ。とても……不運な人だったよ』


『じゃあ……エステルは妾の子、ってこと?』


『そうなるね。だから僕は、誕生した瞬間に本妻である王妃から忌子として煙たがられてしまっていたんだ。赤子の頃から離宮に閉じ込められ、勝手に外を出ることを禁じられ、13歳となるまでこの世界にいないものとして扱われてきた。勿論、僕の母親ともども、ね』


 エステルには、聖王を憎む理由がある。


 次は、大森林で、雨の夜に……彼女と抱き合った時の記憶が蘇る。


『僕は、ただ、そういう風に演出して見せているだけさ。僕が集める名声というのは、全て、計算尽くで行っているものなんだ。僕の配下にいるジェネディクトも……君のお兄さんであるギルフォードも、僕のことを真に信用してはいない。彼らとは目的が同じだから、行動を共にしているだけにすぎないんだ。だから、いつだって背後から裏切られる可能性がある。……僕はね、常に孤独なんだよ。王女なんて肩書を背負ってはいるが、僕には、味方なんて一人もいないんだ、アネットさん』


『―――――ねぇ、アネットさん。もし、僕と一緒にこの国から逃げだして欲しいって言ったら……君は、この手を取ってくれるのかな』


 目を開ける。


 今思うと、エステルは、迷っていたのかもしれない。


 自分の目的のために聖王の座を目指すか、その場所から逃げるのか。


 きっと、聖王を殺したのだとすれば、彼女は前者を選んだのだろう。


 戦うことを、決めたのだろう。


「アネット様?」


 コルルシュカが首を傾げて、そう声を掛けてくる。


 俺はそんな彼女に、首を横に振った。


「何でもない。少し、考え事をしていただけだ」


「そうですか……。今、皆さんが大広間に集まり、聖王陛下暗殺の件について話合っておられます。皆さん、アネット様のご意見を賜りたいようです」


「そっか。分かった。着替えてすぐに行くよ」


「お着替え、お手伝い致します、アネット様」


「いや、一人で着替えられるから大丈夫……って、鼻血出しながら、何で手をワキワキとさせているのかな、コルルシュカさん?」


「アネット様は、オフィアーヌ家の当主となられたのですから、お着替えを一人でなさってはいけません。アネット様がお洋服に着られる介助をするのも、メイドの務め……なので……さぁ! そのネグリジェを脱いで! 一糸まとわぬ姿を私に見せてください、アネットお嬢様ッッ!! 私に全てを曝け出してくださいませッッ!!」


「絶っっっ対に嫌だ!! エリーシュアならまだしも、何かお前に介助されるのは、嫌悪感を感じる!! 断固として拒否する!!」


「何故ですか、お嬢様!! 私は、貴方様の専属メイドで―――」


「俺は元メイドだ!! 服くらい一人で着ることができるわ、アホが!!」


 俺はコルルシュカの腕を引っ張ると、外へと追い出し、扉を閉じた。


 すると、扉の向こうから「強引なお嬢様も素敵です♡」と声が聞こえてきた。


 無敵か、あいつは。


 「はぁ」と深くため息を吐いた後、巨大なクローゼットを開ける。


 するとそこには、色とりどりのドレスが連なってハンガーフックに吊り下がっていた。


 シュゼットが、俺にと、この部屋に持ってきたものらしいが……アネット・イークウェスに転生して今までメイド服とパジャマにしか袖を通して来なかった身としては、かなり、圧倒される光景だな。


 もう、ドレスなんて金輪際着たくはないのだが……当主である間はそうも言ってはいられない、か……。


 あと、よくよく考えると、確かにドレスって、一人で着ることが結構難しい衣装だよな?


 仕方ない……あの煩悩メイドに……いや、それは避けるか。


「――――コルルシュカ。エリーシュアかセラを呼んでくれるか?」


 扉に向けて、そう声を掛けると、外で待機していたコルルシュカが口を開く。


「? 何故でしょう、お館様?」


「着替えの手伝いを頼みたい」


「何故私以外にッッ!?」


「貞操の危機を感じるから」


「何故ッッ!?!?」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 黄色いドレスを身に纏った後、俺は、コルルシュカと共に廊下を進み、大広間へと歩いて行く。


 結局あの後、コルルシュカの圧に負け、彼女に介助……もといセクハラを受けながらも、俺は、何とかドレスを着用することができた。


 コルルシュカは俺のドレス姿を見て、何故か感慨深そうな表情を浮かべていたが、あれはいったい何だったんだろう?


 そんなことを考えながら、俺は、大広間へと続く扉の前へと辿り着く。


 するとコルルシュカが前に出て、俺の代わりに、扉を開けてきた。


「自分で扉くらい、開けられるって……」


「いえ。これは、メイドである私の仕事ですので」


 張り切るコルルシュカに苦笑いを浮かべた後、俺は、コルルシュカが開けてくれた扉を潜り、オフィアーヌ家の広間の中へと足を踏み入れる。


「おっ、アネットさん―――じゃなかった、ご当主様の登場だぜ!」


 そう言って手を挙げて声を掛けてきたのは、アレクセイだった。


 アレクセイの足元にいたコレットは、俺の姿を確認すると、パァッと明るい笑みを浮かべて……俺の元へと走って来る。


 そして、俺の足元に抱き着いてきた。


「コレットさん、おはようございます」


「!! ッッ!!」


 コレットは手に持っていたスケッチブックに「お姉ちゃん、おはよう」と書き、俺へと掲げてくる。


 こ、この可愛らしい子が、アンリエッタの娘だというのか……信じられないな……!


 ルイスを思い出すような可愛さだ。俺、やっぱり小さい子には目がないのかもしれない。


「はぁい、お姉ちゃんでちゅよー! コレットちゃんは、今日も可愛いでちゅねー!」


 俺はコレットの脇に手を挟み、彼女を高い高いしながら、そう声を掛ける。


 するとコレットは頬に汗を垂らし、何処か困惑した笑みを浮かべ、俺のことを見つめていた。


 他の一同(シュゼット以外)も、俺のことを、何処か引いた目で見つめていた。


 ……うん。駄目だな。俺の母性本能(オッサン)を解放しては、場が凍り付いてしまう。無意識に氷絶剣を解放してしまうことになる。


 俺はコホンと咳払いをし、コレットを床に降ろす。 


 すると、シュゼットが、口を開いた。


「貴方の方が可愛いわ、アネット」


 真顔でそう言い放つシュゼットに、ブルーノがツッコミを入れる。


「いや……そこで張り合うのはどうかと思うぞ、シュゼット。仮にもコレットはお前の実の妹だろう。コレットのことも可愛がってやってはどうだ」


「…………………………そうね」


 シュゼットは一拍置いた後、コレットに向けて手を広げ、口を開く。


「来なさい、コレット」


「……ッ!!」


 コレットはビクリと肩を震わせると、俺の背後へと隠れる。彼女はどうやら、シュゼットに怯えている様子だ。


「ほらね。あの子は、私に恐怖を覚えているの」


「何故だ? お前たちは仲が悪いのか?」


「悪いも何も、まともに会話したことがないから。まぁ、大方、コレットが私を怖がる理由に見当はついていますが。彼女は、外見がアンリエッタに似ている私を苦手としているのでしょう」


「……なるほど」


「だから、私たちの間には、見えない壁があるのですよ」


 そう言った後、シュゼットは真顔のまま、俺に向けて、手を広げる。


「来なさい、アネット。お姉ちゃんですよ」


「……え」


 俺は、思わず、硬直してしまう。あのシュゼットが、俺に対してこんな行動を取って来るとは思わなかったからだ。


 両手を広げたまま固まるシュゼットに、背後に立つエリーシュアが小声を声を掛ける。


「お嬢様。先ほどアネット様が言っていた、赤ちゃん言葉で喋ってみるのが良いのでは?」


「なるほど、一理あります。では……コホン。おいでー、アネットちゃん、お姉ちゃんでちゅよー」


 さっき俺がコレットに赤ちゃん言葉を使った時よりも、場が凍り付いた。


 コレットは先程よりもガタガタと震え、ブルーノとアレクセイはこの世の終わりだと言わんばかりに顔を青ざめていた。


 こ、これは……行かないといけないのか……? だ、だが、しかし……何か……ちょっと怖い……! 真顔で両手を広げるシュゼットが怖い……!


「……エリーシュア。来ないのですが」


「では、お嬢様、次はもっと甘ったるい優しいお姉さんという感じでいきましょう。ソフィーの持っていたおねショタという本を参考に……んんっ! 何でもありません」


 何か、一名、ドM変態メイドに毒されている人がいるんですけど!?


 というか、早く行かないと、どんどんエスカレートしそうだな……!?


 こ、ここは、男らしく、潔く行った方が良いのか……!


 俺は足を前に踏み出し、勇気を出してシュゼットに抱き着いた。


 するとシュゼットはビクリと身体を震わせて……恐る恐ると言った様子で、俺の身体を抱きしめ返して来た。


「……とても、暖かいでちゅ」


「い、いや、あの、シュゼットお姉様? 赤ちゃん言葉はもういいですから……」


「フフフ……フフフフフフフフフ。フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」


 何か、今度は笑い出したんだけど!? こ、怖い、この姉、怖い!?


 俺が怯えていると、シュゼットは静かに、口を開いた。


「……アネットの身体、とても暖かいです。私は幼い頃から、こうして、妹である貴方を抱きしめたかったのかもしれません……やっと、私はあの雪山から、開放されそうです。私にも、春が来た……」


 過去を思い返しているのか、シュゼットはそう口にする。


 そしてシュゼットは俺から手を離すと、ニコリと、微笑を浮かべた。


「貴方の部屋に用意したドレスは、全て、アリサ様の遺品なんです。特にその黄色いドレスは、アリサ様がよく御屋敷で身に付けられていたもの……流石は親子ですね。とてもよく似合っていますよ、アネット」


「え? これ、お母さまのドレス、なのですか?」


「はい。アンリエッタに処分されそうになっているところを、私が、ずっと隠し持っていたのです。古いものなので、少々、布にダメージがあるかもしれませんが……それでも、貴方に着て欲しかった。幼い頃からアリサ様のお洋服を守ってきて、良かったです……」


 ボロボロと涙を流すシュゼットを、俺は、優しく抱きしめ返した。


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