第9章 二学期 第276話 王宮晩餐会編―⑫ 正義の在処
「初めまして。こうして直接君と話すのは初めてだな、アネット・イークウェス」
バルコニーに出た俺は、ゴーヴェン、そして、血だらけになって地面に倒れ伏すアンリエッタを見つめる。
そしてゴクリと唾を呑み込んだ後、恐る恐ると、ゴーヴェンに向けて口を開いた。
「……何故、アンリエッタを殺したのですか?」
「これは奇妙なことを聞くものだ。この女は、封印殿からベルゼブブの結晶を持ちだし、それを地下水路へと放った……民たちの平穏を脅かした大罪人だ。国を守る聖騎士として、私が、正義の名のもとに粛清したまでのこと。何か問題でもお有りかな?」
「それは……私刑なのではないのでしょうか? 聖グレクシア王国において、犯罪者は法の元に裁きを告げられ、国の判断によって刑に処されます。なのに、貴方は、法の裁き無くして彼女を殺した。それは、国の法律に則った裁きではないでしょう」
「ククク……確かに、国の法には則っていないな。だが、私はバルトシュタイン家の当主であり、聖騎士団団長だ。聖王に次ぐ権力を持つこの私を、誰が裁くというのだね? 聖騎士団という武力を持つ私を、誰が敵に回すというのかね? 権力と武力。私は、この国において最大の強者だ。故に、誰も私を裁くことなどできないのだよ。聖王ですらもだ。私の力は、とうに四大騎士公などを超えている」
「傲慢な考えですね。だとしら、この国は、全て貴方の思い通りに動くということになる」
「その通りだ、と言いたいところだが……さて、それはどうかな。この私の力を以ってしても、我が目的は未だ叶えられていない。王国最大の権力と武力を手にしても、何でも思い通りとはいかないのが現状だ」
「貴方の、目的……?」
「アネット・イークウェスよ。君に問おう。正義とは、いったい、何だと思う?」
先代オフィアーヌ家を皆殺しにして、ギルフォードを復讐の悪鬼にしたお前が正義を語るだと? ふざけやがって。
「正義とは、正しき行いをする者のことでしょう。悪を討ち、弱きを助ける者」
俺はそう、アレスに教わった。前世のめちゃくちゃやっていた俺は正義とは程遠い存在だったかもしれないが、アレスだけは間違いなく、正義の味方と称されて良い剣聖だっただろう。
「それは違うな。弱き者を助ける、それは確かに正しい行為なのかもしれないが、その後はどうする? 弱き人々を一生かけて、正義を掲げる者が助けていくのか? そんなことをすれば弱き人々は助長し、助けられるのが当たり前になっていくことだろう。正義の味方は、一瞬にして、弱き人々の奴隷となる」
その言葉に、俺の脳裏に過ったのは……生前の記憶。
剣聖の名を拝命した直後、災厄級の魔物『黒炎龍』を倒した時。
首を斬り落とし、真っ二つにした巨大な龍の骸の前に立つ俺を、民たちは……石を投げ、こう言ってきた。
『――――――化け物』と。
俺がどれだけ国を救おうとも、民たちは俺を、恐怖の対象として恐れた。
「正義とは、いわば、一種の呪いだ。剣聖という存在は、民の期待を一心に背負わされ、国を守る要となっている。まさに、弱き人々の贄と呼べる存在だろう。現に愚かな民どもは、いくら我ら聖騎士が身を粉にして働こうとも役立たずだと罵ってくる始末。ベルゼブブの一件が、分かりやすい例と言える。善き行いをする者は、損をする。この世界は、そういった仕組みでできている。本当の正義とは―――贄などいらない、全ての者を救う世界を創りだす者のことだ」
「力を持つ者には、それ相応の責務が問われる……」
アレスから教わったその言葉を口にすると、ゴーヴェンは首を横に振った。
「それは、正しさの奴隷となった者の言葉だよ。奴隷は、現状に満足し、ただ与えられる餌を享受し世界の檻に閉じ込められたままを良しとする。良いかね、アネット。私が目指すのは、真に正しき世界だ。私はいつの日か、愚民も、悪も、全て滅し、正しい者だけが生きる世界を創り出そうと思っている。正しき強さを持った人間が、奴隷になることなく、安寧に住むことのできる世界を創り出す。それが、私の夢だ」
「それは、ただの差別です。貴方の主観で『正義』と判断しただけの、民族浄化です。貴方個人が正しいと思う人々が生きる世界に、価値などありますか? 貴方のその理想は、ただ、自分に都合の良い人間だけを生かす独善的な世界に他ならない」
「だとしても、悪人を総じて滅ぼせば、犯罪は減るだろう。そも、何処ぞと知れぬ凡人が定めた法というもので人を裁く仕組みが、私は前々からおかしいと思っていたのだ。例えば、悪人が道端にいた女性を殺したとする。その後、被害者家族は法でその犯人を訴えた。結果、犯人は数十年の服役を命じられた。……おかしくはないかね? 被害者が奪われたものと加害者から時間を奪うことは、果たして対等といえるのか? 目には目を、歯には歯を。加害者にも同じ痛みを与えてやらねば犯罪者への抑止力にはならんだろう」
その発言に、俺は、違和感を覚える。
「そこまで悪を憎んでいるのなら……何故、フィアレンス事変という虐殺を起こしたのですか? 何故、黒獅子隊という、元犯罪者の組織を作ったのですか? 貴方の言葉には、矛盾がある」
「我が目的のためには、そうせざるを得なかった。ただ、それだけの話だ」
それだけの話、だと……? 父や母、コルルシュカとエリーシュアの姉を殺しておいて……ギルフォードを地獄に叩き落しておいて、それだけのことだと……?
「ククク……どうやら、怒っているようだな、アネット・イークウェス」
「当たり前です……! 私から見れば貴方は、独善的な理想を掲げた、親を殺した大悪党にしか見えませんから……! 何が、正義ですか! 他人を地獄に叩き落しておいて……!」
「言っておくが、私の行動理念は全て、正義の元に行われている。黒獅子隊を設立したのも、元々は、理想成就の後に殺しておくべき犯罪者、危険因子たちを、管理しやすいように手元に置いておいただけのことだ。悪人どもも、使いようによっては、上手く働いてくれるものだからな」
そう言って彼は剣を腰の鞘に納めると、俺の元へと向かって来る。
俺は思わず、身構えたが……そんな俺を見て、ゴーヴェンは笑みを溢した。
「アンリエッタを嵌めた策略、実に見事だった。君は、現状を良しとせず、世界の檻から飛び出し、理不尽な現実へと立ち向かった。ただ、逃げるだけの弱者であったのなら、私も君を認めなかったが……君は戦い、そして勝利した。君は、私の創る世界に生きるに相応しい『強者』だ」
「私を……殺さないのですか?」
「無論、聖王に命令されれば、私も、君を殺さなければならなくなるだろう。だが、君はこれから四大騎士公の仲間入りを果たすのだろう? ならば、今の弱った聖王には、どうしようもできないだろう。私個人としても、君を殺したくはない。君は……私が殺すべき『悪』ではないからだ」
やはり……俺が姿を現した時点で、こちらの思惑は全て読まれていたか。
ゴーヴェンはそのまま歩みを進めると……俺の横を通り過ぎる時に、ポンと、肩を叩いてきた。
「聖女ではないが……ひとつ、君に予言をしておこう。君は12月に、ある決断を迫られる。そして、ひとつの答えを出すために、私の元へと訪れるだろう」
「は……?」
「愛する人を守りたいのならば、私と取引することだな。私は、必ず約束を守る。この言葉を……よく覚えておくことだ。最早、強欲の目覚めは止められない」
そう言って、ゴーヴェンは「ククク」と笑い声を溢しながら、去って行った。
その姿をジッと見つめていると、代わりに、ブルーノとシュゼットが、バルコニーに現れた。
「アネットさん!? 今さっき、ゴーヴェンがここから出てくるのが見えたけど、アンリエッタは……って、これ、は……!」
「まさか……!」
驚きの表情を浮かべ硬直するブルーノとシュゼット。
俺はそんな二人に向けて、口を開く。。
「ブルーノ先生、シュゼット様……。私がここに辿り着いた時、アンリエッタは既に、ゴーヴェンに殺されていました」
二人は俺の言葉に頷くと、こちらへと近寄って来た。
そしてブルーノは、アンリエッタの死体に視線を向けると、苦悶の表情を浮かべる。
「この女には、聞きたいことがたくさんあった。僕とアレクセイの母親の仇でもあったから、ちゃんと、法の元で裁かれて欲しかったのだが……」
「……」
シュゼットは無表情でアンリエッタの傍にしゃがみ込むと、彼女の瞼をそっと閉じ、開口した。
「貴方のことは、最後まで好きにはなれませんでしたが……我が母であることは事実。さようなら、お母様。せめてあの世では、慎ましく生きてください」
「……」
シュゼットの横顔を見て、ブルーノは目を伏せる。
「……シュゼット。これまでのことを考えれば、今までのことを全て水に流そうだなんて、虫の良い話は言えない。お前はフィアレンス事変以降、力を手にしなければ生きていけなかったし、僕はその結果、お前に弟たちを殺された。僕たちの間には、深い溝がある」
「……」
「だが……本来、先代オフィアーヌ家が生き残っていれば、僕たちがこうして相争うこともなかったはずだろう。全ては運命のいたずら、アンリエッタの暗躍のせい。だから……」
「それは、どうでしょうか。本家と分家が争うのはごく当たり前のこと。所詮、私もこの女と同じく、バルトシュタイン家の血が流れる身。どんな未来を辿ったとしても、力を求めることは避けられなかったでしょう。私は、戦うことでしか安心感を得られなかった……ただの弱き人間ですから」
「それは……環境のせいでは……」
「環境のせいなどと、甘えたことは言えませんよ。だって、そこに、私よりももっと過酷な境遇の中にいても、真っ当な心を持ち、戦い続けた方がいるのですから」
シュゼットは立ち上がると、俺にニコリと笑みを浮かべてきた。
俺はそんな彼女に向けて、首を横に振る。
「私は、自分が過酷な境遇にいたとは思っていませんよ。母が命を賭けて、私を逃がしてくれたその場所は……私にとっては、かけがえのない居場所となったのですから。私は今まで、レティキュラータス家で暮らせて、とても幸せでした」
「……以前、私が貴方に言ったことを覚えていますか、アネットさん。貴方からは私と似た匂いがすると」
「はい」
「それを、訂正させてください。貴方は私と違い、アンリエッタに真っ向から立ち向かい、窮地を逆手にとって相手を罠に嵌めてみせた。私は……あの人と戦うことができなかった。貴方が死んだのだと思って、心を折ってしまいましたから……本当に、情けないですよね。今回の騒動で改めて思い知りました。私は、弱い人間です」
そう言ってシュゼットは、俺をギュッと、抱きしめてきた。
俺は思わず、驚きの声を上げてしまう。
「シュ、シュゼット様!?」
「ですが今は、素直に、家族の無事を喜ばさせてください。良かった……良かったです……! 生きていてくれて……! 本当に良かった……!」
「シュゼット様……いえ……シュゼット、お姉、様……」
「これからは何があっても、私が貴方を守ります……! 誰にも、傷付けさせはしませんから……! だから……だから……っ! うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
わんわんと、子供のように泣きじゃくるシュゼット。
恐らくシュゼットは、本来、晩餐会の会場で見た時のような大人しく物静かな子だったのだろう。幼い頃からずっと愛情というものに飢えていたのだと思う。
だけど、彼女の周囲の環境がそうさせなかった。
フィアレンス事変、アンリエッタの暗躍、本家と分家の合併。
色々な事があって、彼女は、独りで戦い続けなければいけなくなった。誰にも敗けない強者で在り続けるしかなかった。
俺は……本当だったら姉と呼ぶべきその人を、優しく抱きしめ返した。
(姉……か)
俺にとって姉という存在は、前世で自分を拾って育ててくれた……シエル・ブルシュトロームだけだった。
義姉シエルを貴族に殺され、俺は、修羅へと堕ちた。
その後、アレスと出会い―――今の俺という人格ができあがった。
だから、今世で出会えた姉であるシュゼットに、少しだけ、シエルの面影を重ねてしまっていた。
脳裏に……シエルとの会話が過る。
『お姉ちゃんは、世界で一番アーくんのことが大好きだよ。アーくんは、お姉ちゃんの宝物』
『……でも、俺、ゴミ捨て場に捨てられてたんだろ? ゴミから産まれた子供だって、スラムのみんなそう言ってくるよ。そんな俺が、宝物のわけ……』
『ゴミなんかじゃないよ。アーくんは、キラキラ光る宝物。お姉ちゃんの生きる希望なんだよ、アーくんは』
(シエル……どうやら俺は、新しい人生でも、姉という存在に出会えたみたいだ)
義姉のように、弱者が搾取されない世界を創るために、この世に絶望して死を求めるような人間が産まれないように……俺は、剣を握った。
そして、俺は、アレスから人としての在り方を教わり、守る強さを知った。
だから……俺はゴーヴェンが語る正義を認めない。
弱者を斬り捨て、強者だけが生きる世界なんて、絶対に間違っているからだ。
例え石を投げられようとも。大事な人たちがいるこの世界を守っていきたい。
良い人もいれば、悪い人もいる。当然の話だ。
それを、自分が認める人間だけを残して後は殺すなんて、ただの独りよがりの独善的な理想は……認められない。俺が……俺があの人たちから託された世界は、そんな世界じゃない。
そうだろう? ……シエル、アレス。
そんな正義を、認めてはいけないよな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――王宮広間。晩餐会の会場に戻ると、そこには、困惑している貴族たちの姿があった。全員、俺たちが出て行った後も、会場に残り続けていたようだ。
彼らは俺たちの姿を確認すると、動揺しながらも、左右に分かれて道を開けて行く。
俺たちオフィアーヌ家一族全員――俺、シュゼット、ブルーノ、アレクセイ、コレット、コルルシュカ、エリーシュアの七人は、壇上へとまっすぐと伸びたその道を、まっすぐと歩いて行った。
「……アネット」
その時、右端の列に、エステルとギルフォードの姿を見つける。
エステルは変わらず微笑を浮かべたままだったが、ギルフォードは眉間に皺を寄せてこちらを睨み付けていた。
恐らく俺が表舞台に出てきたことに、ギルフォードは怒りを覚えているのだろう。
だが……俺はお前の命令を何でも聞く道具じゃない。悪いが俺は俺の道を行かせてもらう。
俺はギルフォードと視線を交わした後、そのまま彼の横を通り過ぎ、道を進んで行った。
「アネットちゃん!」
今度は、左側の列から、オリヴィアとミレーナが姿を現した。
オリヴィアは手を祈るようにして組むと、うるうると瞳を潤ませ、ミレーナは何故か「あわわわわ」と小刻みに震え、怯えた表情で俺を見つめる。
「よがっだぁ、アネットちゃんがいきででぇ……! ぐすっ、うぅぅ! お姉ちゃんはずっと、心配で心配でぇ……本当に死んじゃったのかと……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
オリヴィアのその言葉に、シュゼットがピクリと不愉快そうに眉を顰める。
「また、あの女は……自分を姉だと……いつかこの私が、自分を姉だと思っているあのイカれた女を分からせてやらないといけませんね。アネットの姉は、この世で、私一人です」
「シュ、シュゼットお嬢様、どうか、落ち着いて……」
「エリーシュアは黙っていなさい。フフフ……貴方だけは許しません。いつか必ず串刺しにしてやりますよ、オリヴィア・エル・バルトシュタイン……」
隣で不気味に嗤い声を上げるシュゼットに引きつつも、俺は、オリヴィアに視線を戻す。
すると、その時。俺は思わず硬直し「あ」と声を溢してしまった。
何故ならオリヴィアの隣に立っていたのは……ヴィンセントだったからだ。
(そ……そうだったぁーっ!!!! ヴィンセントがいることをすっかり忘れていたぁ!!!!)
俺がダラダラと汗を流していると、ヴィンセントはジッとこちらを真顔で見つめる。
そして、わけがわからないと言った様子で、訝し気に首を傾げた。
「何故……先代オフィアーヌの末子が……女なんだ……? アネット……? 誰だ、あいつは。確かに、顔はアレスにとてもよく似ているが……んん? いったい全体、何が起こっているのかさっぱり分からん」
「え゛」「はい?」
オリヴィアとミレーナは振り返り、こいつマジかという表情で、ヴィンセントを見つめる。
オリヴィアは顔を引きつらせながら、口を開いた。
「え、えっと……お兄様? 本当に、お気付きになられていないのですか?」
「何をだ?」
「いや、あの……はぁ。まさかお兄様がここまで察しが悪いとは思っていませんでした……。いえ、もう、隠す意味など無いと思いますから、この際ですから打ち明けますが……あの方は、今までお兄様が交流を深めてきた、アレス様本人ですよ!」
「……は?」
ヴィンセントはオリヴィアに首を傾げた後、俺に視線を向け、再び首を傾げる。
俺はダラダラと汗を流しながら、ヴィンセントの横を通った。
「……いや、アレスは男だろう。あれは、どう見ても女ではないか」
「だーかーら!!」
オリヴィアがヴィンセントに何度も説明するが、ヴィンセントは理解できていないのか、頭に?マークを浮かべていた。
俺はそんな兄妹に引き攣った笑みを浮かべながら、オリヴィアとヴィンセントの横を通り過ぎ、前へと歩いて行く。
「アネット」
次に俺に声を掛けてきたのは、レティキュラータス夫妻の隣に立っている、マグレットだった。
マグレットは目元をハンカチで拭い、俺に、優しい笑みを見せてくる。
「あんたが先代オフィアーヌ家の息女だとか、私には何が起きているのかまったく分からないけど……とにかく、生きていてくれて良かった。本当に、良かったよ……うぅ……!」
「お婆様……」
俺も同じようにして、瞳を潤ませてしまう。
心配、かけてしまったな。本当にマグレットには、申し訳なく思う。
その時。俺の肩を、シュゼットが優しく叩いた。
「マグレットお婆様には、感謝してもし足りませんね。何と言っても貴方をここまで育ててくれたのは、彼女なのですから。後で私もご挨拶しなければいけません。血は繋がってはいませんが……彼女は私のお婆様でもありますから」
「はい……シュゼットお姉様のこともきっと、お婆様は受け入れてくださるはずです」
俺はシュゼットにそう言葉を返し、歩みを進める。
そして、壇上近くへと辿り着くと、そこには、ロザレナとルナティエの姿があった。
ロザレナはわんわんと泣き、ルナティエはそんな彼女を宥めるように肩に手を置いて、こちらに潤んだ瞳を見せてきた。
「お帰りなさいですわ、アネットさん」
「はい。ルナティエ様、私が居ない間、お嬢様のことを支えてくださり、ありがとうございました」
俺はルナティエにそう礼を言った後、ロザレナへと視線を向ける。
「お嬢様」
「ぐすぅ、うぅぅ……なぁに?」
「長い間、留守にしてしまい、申し訳ございません。ですが、もう少しだけお待ちください。私には、まだ、やるべきことが残っていますので」
「うん……分かったぁ……待ってる。ずっと、待ってるからぁ」
「はい」
そして俺たちはロザレナとルナティエの横を通り過ぎ……壇上の前へと辿り着く。
そしてオフィアーヌ家一同全員で、貴族たちの前に横になって並ぶと、ブルーノが声を張り上げた。
「皆、聞いてくれ! アンリエッタは、ゴーヴェン騎士団長によって処罰された! 今頃彼女の遺体は、聖騎士たちによって回収されていることだろう!」
ブルーノの言葉に、ザワザワと騒ぐ貴族たち。
続いてシュゼットが前に出て、扇子で口元を隠しながら開口した。
「オフィアーヌ家の新当主ですが……私たちは、ここにいるアネット・イークウェスをオフィアーヌ家当主として認める所存です。よろしいですよね、お爺様?」
シュゼットの言葉に、ギャレットはコクリと頷く。
「あぁ……お主たち若い世代が反対の意見なく全会一致でそう決めたのなら、ワシもそれに従おう」
ギャレットの発言に、会場内のざわめきはさらに激しくなる。
「オフィアーヌ家の新当主が、先代の一族って……それって本当に大丈夫なのか!?」
「王家に反逆した、逆徒の娘だろう!? また王家の宝物庫を覗いて、フィアレンス事変のようなことが起こるのでは……!?」
ひとつの不安の声は広がり、会場全体を、貴族たちの疑念の声が瞬く間に埋め尽くしていく。
その光景を見て、ブルーノは動揺した様子で、口を開いた。
「落ち着け! アネットさんは、王家に反逆する意思は持ってはいない!」
ブルーノのその言葉に、第一王子ジュリアンの傍にいる……ブルーノから事前に名を教えられていた、大司教セオドアが声を張り上げる。
「だとしても、聖王陛下が皆殺しにしろと仰った一族だぞ!? そんな奴が、新たな四大騎士公になるなど! そんなことは、絶対に認められぬ! セレーネ教のナンバーツーとして、私は断固反対するぞ!」
セオドアに頷き、ウェーブがかった長髪の青年、ジュリアンも開口する。
「私も大司教殿の言葉に賛成です。従来の聖王国に生きる者の考えとして、例外は許されない。私は即刻、彼女を牢へと入れて、陛下に判断を仰ぐべきだと思います」
「そ、そうだそうだ! ジュリアン様の仰る通りだ!」
「先代オフィアーヌ家の一族は皆殺し! 先代オフィアーヌ家の一族は皆殺し!」
ジュリアンとセオドアの周囲にいた一部の貴族たちが、ワーワーと声を張り上げる。
どうやら、想定していたよりも、聖王派閥……保守派、第一王子ジュリアン派の貴族は多いようだ。
ブルーノと俺の予想では、民たちが王政批判していることから、貴族の中にも聖王に不信感を持つ者が多くなっていると思っていたが……今の王は、まだ聖王バルバロス。いくら反対派罰の方が多くても、保守派ほど声を大にして反発することはできないと見える。
どうしたものかとその光景を見つめていた、その時。
意外な人物が、俺に助け船を出してきた。
「安心したまえ。彼女は王家に反乱し、混乱を招く存在ではない。俺が保証しよう。何だったら、俺の命を賭けても構わない」
そう言って前に出て来たのは―――何と、マイスだった。
王子の登場に、聖王派閥は、萎縮した様子を見せる。
「マ、マイスウェル様は、あの少女のことを知っているのですか!?」
「あぁ、よく知っているさ。彼女は俺の大事な人なのでね」
そう言ってウィンクしてくるマイスに、俺は思わずため息を吐く。
「……マイスウェル王子。そういう、誤解を招くようなことは言わない方がよろしいかと」
「はっはっはー! まったく、メイドの姫君は相変わらず釣れないな。まぁ、そこが君の魅力でもあるのだけれどね!」
マイスに呆れた目を向けていると、もう一人、俺を擁護してくれた王女がいた。
「僕も、彼女には何も問題がないと発言させていただきます。王子二人が、アネット・イークウェスの身元を保証したんだ。他に文句を言う人は、いませんよね?」
エステルの登場に、聖王派閥は、口を閉ざすしかなかった。
ジュリアンはその光景を見て眉間に皺を寄せると、開口する。
「だからといって、このまま野放しにしておくのは、危険だと思いますが」
「それは―――」
エステルが口を開こうとした、その時。群衆の中から、また一人、ある人物が姿を現した。
その人物は―――ジークハルトだった。
「王国の法、第62条に、聖王が質疑応答できない場合、第二決定権を持つ王子たちが多数決を取り、答えを決めるという規則がある。私は、その少女を拘束するのに反対だ。これで、王子3人は反対側に付いた。フレーチェル、お前はどうだ?」
「わ、私ぃ!? 私は……ジュリアンお兄様が拘束すべきと言うのなら、賛成、かな……」
「賛成二人。最後に、ミレーナ、お前はどうだ?」
「ぴぎゃう!?」
急に名前を呼ばれたミレーナさんは、顔を青ざめ、目をグルグルと回す。
「ミ、ミレーナさん、は、そ、その……」
ミレーナは俺と目が合うと、ビクリと肩を震わせる。
……? あいつはいつも俺に対して怯えた様子で接してくるが、いつもより、何だか怖がっているような……?
「ミレーナさんも、は、反対ですぅ!! だ、駄目ですよぉう、その方を牢に入れてはぁ! えへ、えへ」
手をこすり合わせるミレーナ。なんだあいつ。いつにも増してゲスいな?
「よし。これで、反対は四。よって、彼女をこの場で拘束するのは無しだ」
ジークハルトの言葉に、ジュリアンはため息を吐くと、やれやれと肩を竦める。
セオドアはぐぬぬぬとエステル、マイス、ジークハルトを睨んでいるが……それ以上、口を開くことはなかった。
何とか……旧知の王子三人に助けられたといった感じか。
エステルは静かになった会場を見渡した後、隣に立つマイスにそっと声を掛ける。
「まさか、君がここで出て来るとは思わなかったよ。いつもは王宮晩餐会などには絶対に顔を出さないのに、いったいどういう風の吹き回しだい?」
「はっはー! 俺は可愛らしい女性がいるところなら、どこであろうとも姿を見せるのさ!」
「あの子のことが、そんなに心配だったのかな?」
「さて、ね。何のことやら」
エステルはクスリと笑った後……マイスに、鋭い目を向けた。
「僕との約束は分かっているだろう? もし、君が王位を狙い、僕の前に立ちはだかるのなら、君の弟は―――」
「分かっているさ。端から俺に、君と争う気はない。安心したまえ、エステル」
二人の会話の内容がよく分からず、俺は首を傾げてしまう。
エステルは俺に視線を戻すと、いつものいたずらっぽい笑みを浮かべ、開口した。
「さぁ……アネットさん。宣言するんだ。ここに、君を邪魔する者はもういない」
どうやら……エステルは、俺の考えを最初から理解していたみたいだ。
俺は頷くと、会場に向け、口を開いた。
「私の名は、アネット・オフィアーヌ。先代当主の娘です。皆様の中には、私の存在に疑問を抱く方もいらっしゃると思いますが……私はここで、オフィアーヌ家の当主になることを宣言致します!」
俺の言葉に、騒然となる会場。
だが、パチパチと、拍手が鳴り響いた。
最初に拍手をしたのは、エステルとマイスだった。
そして次に拍手をしたのは、ジークハルトだった。
王子三人の拍手に続き、今度はオリヴィアが拍手をする。
ヴィンセントは未だによく分かっていないのか、ずっと首を傾げていた。
だが、オリヴィアに催促され、彼も拍手を鳴らす。
次に、レティキュラータス家夫妻、マグレット、フランシア伯、セイアッド、そして―――ロザレナお嬢様とルナティエ。
みんなが拍手するのを聞いて、他の貴族たちも、拍手をし始める。
気付けば、第一王子ジュリアン、第二王女フレーチェル、大司教セオドアとその派閥に属する貴族以外が、拍手を鳴らしていた。
その光景に、俺は思わず後頭部を掻き、照れた表情を浮かべる。
「――――――新たなオフィアーヌ家当主の誕生ですね」
そう口にしたのは、左隣で拍手を鳴らす、シュゼットだった。
その声に頷き、右隣にいるブルーノも拍手をしながら口を開く。
「あぁ。ここから僕たちは、変わっていくんだ。安心すると良い、アネットさん。外交面や、その他の領地経営、雑務は僕に任せてくれ。君は、オフィアーヌ家の当主として、僕たちの顔として堂々としているだけで良い。何も心配はいらないよ」
「え? あの、いや、ブルーノ先生? 前にも言いましたが、私は……」
「戦闘面は、私に任せてください。領地でのトラブル、または、貴方の敵は私が排除してみせましょう。アネット」
「あの、シュゼットお姉様? 実は、私は……」
「よーし! 俺もやれることをやってみせるぜ! 何すれば良いのか全然、分からないけどな!」
「……っ!! ……っ!!」
「おー! コレットの奴もやる気だな! 一緒に頑張ろうぜ! オフィアーヌ領を、四大騎士公の中でも一番の領地にしてやろう!」
そう言ってアレクセイはコレットを肩車した。コレットは楽しそうに笑みを浮かべ、「がんばろう!」と書かれたスケッチブックを掲げた。
「ソフィー! アネット様のメイドとして、これからはハレンチなことは禁止ですよ! 貴方はこれから、四大騎士公の専属メイドになるのですから! 良いですね!」
「それはエリーでも止めることはできませんよ。というか、エリーに権限はありません。だって、私はオフィアーヌ家当主のメイドなのですから。えっへん。これからは、私がオフィアーヌ家で一番偉いメイドになるのです。私はメイド長として、エリーに命じます。ハレンチを禁じるべからず、と。加えてアネット様には常日頃、えっちな恰好をしていただきます。私は、偉いので。えっへん」
「な……っ! そんなこと、絶対に許しませんよ! 私が当主に相応しいメイドとして、ソフィーを再教育しますから! 覚悟してくださいっ!」
がやがやと、盛り上がりを見せるオフィアーヌ家一同。
あの……非常に、申し訳ないのだけれど……俺は……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《リトリシア 視点》
オフィアーヌ家の当主が決まり、拍手が鳴り響く中。
私は拍手をすることもなく、ただジッと、アネットのことを見つめていた。
「……やっぱり、ただのメイドではない……?」
アンリエッタを罠に嵌めて、逆に当主になってみせた知略。
到底、ただのメイドができる行いではないだろう。
やはり、王国を裏で救っていたのは―――。
「まだ……確証に足る証拠は、揃っていませんね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《ジークハルト 視点》
私は拍手を鳴らしながら、口を開く。
「以前話をした時にも思ったが、やはりあのメイド、相当に頭が切れるようだな。オフィアーヌ家の一同をまとめあげる人望もある。流石としか言いようがない」
そう口にした後、私は列の前に立つ、マイスとエステリアルに視線を向ける。
「……いったい、何の話をしているんだ?」
王位継承権を剥奪されて以降、マイスが王宮晩餐会に参加することは無かった。
それなのに、今晩、奴は姿を現した。
エステリアルとマイスという組み合わせ。
何故だか、何となく、嫌な予感を覚えてしまう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《ミレーナ 視点》
「あ、アネットさんが……オフィアーヌ家の当主……? あわわわわわ」
うちは目をグルグルと回して、アネットさんの姿を見つめる。
さっき、アネットさんを庇ったのは、過去の一件が原因だったから。
それは……大森林でアネットさんやアンナちゃんと食事を囲んでいた時に言った、うちの言葉に起因します。
『貴族様が領民の平和を守らなくて、誰が守るんですかぁ!! しっかりして欲しいですぅぅ!! 税金泥棒のクソ野郎どもですぅぅっ!!』
『ミレーナ。もし、今の言葉をオフィアーヌ家の一族に聞かれたら……あんた、牢屋に入れられるかもしれないわよ?』
『ぴぎゃう!! う、嘘ですぅ!! ミ、ミレーナが、かの栄えある四大騎士公様にそんな酷いこと言うわけないじゃないですかぁ~。ご命令ならば、く、靴だって舐めますよぉう~。えへ、えへへぇ~』
「…………」
うち、知らない間に、オフィアーヌ家の息女を目の前にして喧嘩売ってたですか?
うちは思わず、汗をダラダラと流してしまいます。
「い、いや……! うちは、王女様になったのですから! 四大騎士公など、敵じゃないのですぅ!! でも、そうなると、やっぱりうちは王女様になり続けなければいけないわけでぇ……アネットさんは元々、うちの出生を知っているわけでぇ……ぴぎゃあぁぁぁあ!! どうすれば良いのですかぁ!!」
「―――だーかーら、何度言えば良いんですか、お兄様は!」
「アレスが……女? いや、そんなはずは……」
うちが頭を抱えていると、横で、まだ混乱しているオッサンの声が聞こえてきます。
このオッサンも、変なところで馬鹿ですね。やっぱりこのチームを率いていけるのは、ミレーナさんしかいないようです。いや……このままだといつか王様に正体がバレて殺される可能性があるので、ミレーナさんは絶対に逃げてみせますが。
この国がどうなろうが、民がどうなろうが、知ったこっちゃないです。
最後にミレーナさんが生きてさえいれば、うちはそれで良いのです。
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《ロザレナ 視点》
「い、未だに混乱しているけれど……アネットくんが、先代オフィアーヌ家の息女、それも、次の当主に……? マグレットさんはこのことを、知っていましたか?」
呆然とするお父様は、マグレットさんにそう声を掛ける。
マグレットさんは首を横に振り、同じく呆然としながら、口を開いた。
「い、いえ……! 旦那様もご存知の通り、イークウェス家はレティキュラータス家に長年仕える使用人の一族! 貴族、それも四大騎士公オフィアーヌ家の血が混じったなど、一度も聞いたことがありません! 恐らくは、アネットの父が……」
そこでマグレットさんは、ハッとした表情を浮かべる。
「もしかして、アリサの夫が……先代オフィアーヌ家の当主だったとでも言うのですか? だとしたら、あの雪の晩、アリサが血だらけになってアネットを私の元に預けたのも……! フィアレンス事変から逃げて……!」
マグレットさんは何かに気付いたのか、口に手を当て、瞳を潤ませる。
あたしは、驚くお父様とお母様、そしてマグレットさんを一瞥した後、隣に立つルナティエに視線を向ける。
「あんたは、驚いた様子がないようね。もしかして、知ってたの?」
「ええ。特別任務が始まる前に、アネットさんから教えて貰いましたわ」
「……むー。なんか、ムカつく。何でアネットはあたしに教えずに、このことをルナティエにだけ教えたのかしら」
「オーホッホッホッホッホッホッ! アネットさんは、貴方よりもわたくしを信用していたというだけの話ですわ! 貴方のようなお馬鹿さんに教えるのは、不安だと思ったのでしょう! オーホッホッホッホッホッ!」
「……」
「……って、あれ? いつものように悪態をついてきませんの? 何だか調子が狂いますわね」
「ねぇ、ルナティエ。アネット……ちゃんと、あたしたちの元に帰って来るわよね?」
「ロザレナさん?」
「だって、誰よりも目立つことを避けてきたあの子が、オフィアーヌ家の当主になったのよ? それだけの覚悟をしてあの場に立ったということは……もう、あたしたちの師匠をやる時間なんて……」
「帰って来ますわよ」
「え?」
あたしは思わず驚きの声を溢し、ルナティエに視線を向ける。
ルナティエはまっすぐとアネットを見つめて、口を開いた。
「あの人が帰って来る場所は、わたくしたちの元だけですわ。あの人が……わたくしたちの指導を放り出して、何処かへ行くはずがありません。絶対に……」
そう口にするルナティエの手は、震えていた。
きっと、ルナティエも、あたしと同じで不安を覚えているのだろう。
あたしはコクリと頷き、アネットへと視線を向けた。
「ええ……そうよね。だって、まだ、あたしたちの約束は途中なのだから」
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《ギルフォード 視点》
「……」
私はジッとアネットを見つめる。
「……お前は、そちらの道を歩むというのか」
そう一言残した後、私は会場を去るべく、踵を返す。
まるで、喝采を浴びるアネットが光、私が歩む道は闇……そのような感覚に陥る。
だが、私は止まるわけにはいかない。たとえこの道が血塗られた道だとしても。
お前が光の道を歩むというのなら、私は、闇の道を突き進む。
我が父と母を殺した悪鬼どもに、誅を下すまで。




