第9章 二学期 第275話 王宮晩餐会編―⑪ オフィアーヌ家の新当主
《アンリエッタ 視点》
『アンリエッタ! 何をしているの!』
―――オフィアーヌ家の屋敷、中庭。
シュゼットに対して手を振り上げようとした、その時。
お腹を大きくしたアリサが屋敷から飛び出し、背後から、私の腕を掴んで来た。
私は背後に立つアリサを睨み付け、怒鳴り声を上げる。
『引っ込んでいなさい! これは、親子の問題よ! 第二夫人である貴方の出る幕ではないわ!!』
『何も、打つ必要はないでしょう!? シュゼットも怖がっているじゃない!!』
『この子は、私の課した座学のテストで約束の点数を下回った!! だから、罰を与えなければいけないの!! これは教育よ!!』
このままじゃ、ギルフォード、そしてシュゼットちゃんよりも多くの魔法因子を持っているとされる、アリサのお腹にいる子に敗ける……第二夫人の子などに、当主を継がせるわけにはいかない! オフィアーヌ家を手に入れるのは、私の子でなくてはいけないのだから!!
『貴方は、間違っているわ! 自分の夢をその子に押し付けるのは、親のエゴよ! 子供を尊重してあげなさい!! シュゼットは、貴方の道具なんかじゃないのよ!!』
私は、アリサが掴んでいる手を弾き、シュゼットに声を掛ける。
『行くわよ、シュゼット! これから、失態を取り返すまで勉強漬けよ! 私を失望させないで!』
そう言って、シュゼットに手を伸ばそうとした、その時。
シュゼットは私の手から逃れ―――あろうことか、アリサの背後へと隠れたのだった。
怯えた表情でこちらを見つめるシュゼットと、彼女を守ろうとするように前に立ち、私を睨み付けるアリサ。
私はその光景を見て、思わずギリッと、奥歯を噛んでしまった。
『アリサ……お前は……夫だけでなく、私の子供まで奪うのかッ!!』
『アンリエッタ、冷静になって。私は、ただ―――』
『全て全て全て全てッッ!!!! お前が現れてから、私は、全てがうまくいかなくなったッ!!!! オフィアーヌ家に嫁ぎ、子供を当主にしようと……良き妻となろうと、努力してきた!! だけど、それが、このザマよ!! ジェスターは政略結婚で妻となった私には見向きもせず、ただの平民である貴方なんかを大事にした!! 挙句の果てに、貴方のそのお腹にいる子は、シュゼットちゃんよりも魔法因子があるときた!! 私のプライドは、もう、ボロボロよッ!! 全部、貴方のせいよ、アリサッ!!!!』
『……アンリエッタ。貴方は、誤解しているわ。ジェスターは、貴方のことも愛しているの。ただ彼は貴族の制度に疑問を抱いているだけ。ジェスターは、政略結婚などではなく、アンリエッタ、貴方にちゃんと愛する人と結ばれて欲しかっただけで―――』
『黙れ黙れ黙れ黙れ!!!! 愛する人? 愛など、この世には存在しない!! バルトシュタイン家の人間にとって重要なのは、勝つか敗けるか、どちらかだけ!! 敗者に、語る弁などはないのよッ!!』
『……悲しい人ね』
『…………は?』
『全てを、勝ち負けでしか見られないの? そんなの、間違っているわ。私は、ギルフォードにも、このお腹の子にも、けっして誰かに勝てとは言わないわ。何を成さなくても良い。人として、幸せに暮らして欲しい。それが親の願い。親として、私はただこの子たちに幸せに、健やかに、永く生きて欲しいだけなのよ。それが、親の愛というものよ、アンリエッタ』
愛おしそうに自身のお腹を撫でた後、アリサはこちらに憐憫の眼差しを向けてくる。
『貴方はそのままでは、けっして、幸せになんてなれないわ。アンリエッタ。何か欲するのではなく、今あるものを見つめなさい。でないと……貴方は必ず破滅することになる』
この時、私の心に、殺意が芽生えた。
(私を……私を、可哀想なものを見るような目で、見るなッ!! 憐れむな!! 平民風情が、馬鹿にして……絶対に、殺してやるわ、アリサァッ!!!!!)
回想を終え、現在。
私は、壇上に立つ、黄金のドレスを着た少女の姿を見て唖然とする。
その姿は、あの時、中庭で私の前に立っていたアリサと瓜二つだった。
だが、彼女のその青い瞳は、アリサとは異なっているもの。
黄金のドレスの少女は、私をただまっすぐと見つめてくる。
その底の知れない青い瞳を見ていると、まるで深海に呑み込まれそうな感覚に陥ってしまう。
アリサによく似ているが、アリサではない。
この少女の目には、アリサにはない、力強い雰囲気が宿っていた。
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《アネット 視点》
「初めまして、アンリエッタ様。私の名前は、アネット・イークウェス。先代オフィアーヌ家夫人、アリサ・オフィアーヌの娘でございます」
俺はそう言ってスカートの裾を掴み、カーテシーの礼をした後、壇上から、アンリエッタを見下ろした。
そんな俺の姿を見て、アンリエッタはまるで信じられないものでも見るかのような表情を浮かべ、目を見開き、ポカンと呆けたように口を開けた。
「なっ……は……? な、何で、貴方が、ここに……?」
ガクガクと肩を震わし、怯えた様子でこちらを見つめるアンリエッタ。
俺はそんな彼女を一瞥した後、観衆に視線を向け、声を張り上げた。
「私は、こうして生きています! 今、皆様に真実をお話しましょう! 私は……騎士学校の特別任務に参加中、そこにいるアンリエッタ・レルス・オフィアーヌに、暗殺者を仕向けられました! 彼女は、当主代理であるギャレット様が探していた先代一族である私を、殺そうとしたのです! 全ては、己がオフィアーヌ家の当主になるために!」
「でたらめを言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
アンリエッタは咆哮を上げると、血走った目でこちらを睨み付け、指を差した。
「わ、私が、貴方を暗殺しようとした証拠が、どこにあるの!? 私はただ……そう、勘違いしただけです!! その遺骨は別人だったと、今、気付いたわ!! そう!! 良かったわ、アネット!! 無事でいてくれて……!!」
引き攣った笑みを浮かべ、アンリエッタはそう口にする。
そしてアンリエッタは振り返ると、観衆に向けて、開口した。
「どうやら、全ては、私の勘違いだったようです! 先代オフィアーヌの嫡子、アネットは生きていた! 彼女は混乱していて、何か勘違いしているようですが、私が彼女を手にかけた証拠など、何処にも―――」
「証拠ならありますよ。来てください、ガゼルさん、アストレアさん」
俺はそう言って、舞台袖に声を掛ける。
すると、そこから、黒狼クラスの同級生……ガゼル・ヴァン・オルビフォリアと、アストレア・シュセル・アテナータが姿を見せた。
その姿を見て、観衆の中にいたアンリエッタのメイド、セラが、声を上げる。
「ガゼル、お兄様……!? 生きて、いたの……!?」
驚きの声を上げるセラ。
そんな彼女に視線を向けた後、ガゼルは、観衆に向け口を開いた。
「俺とアストレアは、元々、オフィアーヌ領辺境にある小領貴族の出。俺の実家、オルビフォリア家は、貴族とは名ばかりで、基本的に森の中に住み狩猟を生業としてきた一族だ。アストレアの実家のアテナータ家も、元は、小さな領地で修道院を営む家係だ。オルビフォリアもアテナータも、お金がない、小さな領地。故に、オフィアーヌ家に頼らねば、生きていけないのが実情だった」
ガゼルの言葉に続き、アストレアも緊張した面持ちを浮かべながら前に出て、口を開く。
「彼の言う通りです。私たちは、代々、オフィアーヌ家に仕える小領貴族。ですが……先代当主ジェスター様が亡くなられ、当主代理であるギャレット様が高齢で弱られた今、アンリエッタ様が、オフィアーヌ家の実権を握ることになりました。アンリエッタ様は、私たちにこう言いました。同じクラスにいるアネット・イークウェスを、特別任務中に暗殺しろ。言うことを聞かなければ、貴方たちの家への援助は断る、と」
アストレアの言葉に、会場にいる貴族たちが、ザワザワとざわめき立つ。
アンリエッタは下唇を噛むと、口の端から血を流しながら、唸るような声を上げた。
「ガゼル、アストレアぁ……!! まさか、アネットと同様に死を騙っていたなんてぇ……!!」
「ひぃっ!?」
アストレアは顔を青ざめさせると、急いでガゼルの後ろへと隠れた。
ガゼルはアンリエッタを睨み付けると、口を開く。
「それだけじゃない。アンリエッタは、さらに大きな罪を犯した。それは――――」
「オフィアーヌ家の騎士よ!! あの三人を捕らえなさい!! あの者たちは、虚偽を騙っているわ!! 即座に口を封じ、拘束しなさい!!」
アンリエッタがそう命令すると、会場で待機していた、毒蛇王の家紋のマントを身に付けた鎧騎士が前に出てきた。
伏兵か……! だが、それも勿論、予想できていたこと……!
ガチャガチャと音を鳴らして、左右にある階段から、俺たちの立つ壇上へと向かって来る騎士たち。
だが、彼らが階段に足を掛けた瞬間―――左右の舞台袖から現れたある二人によって、騎士たちは吹き飛ばされた。
「まだ、話している途中だろう。残念だが、無粋なお客人にはお引き取り願おうか」
「そうだぜ! ここから先は、絶対に、俺たちが通さねぇ!!」
左右の階段の前に現れたのは、ブルーノとアレクセイだった。
彼らは階段の上で剣を構え、騎士たちに向けて笑みを浮かべる。
その二人を見て、オフィアーヌ家の騎士たちは、動揺した様子を見せた。
「ブ、ブルーノ様、アレクセイ様……!」
驚き硬直する騎士たちに対して、アンリエッタは髪の毛を掻きむしり、二人の兄弟に対して憎悪の声を上げる。
「ブルーノぉ……!! アレクセイぃ……!! 分家の負け犬が、私の邪魔をするというのですか……!!」
「アンリエッタ。お前の暗躍もここまでだ」
「兄上の言う通りだ!! ええと……か、寒冷しやがれ!!」
「アレクセイ。それを言うのなら、観念しやがれ、だ。寒くなってどうする」
「そ、そうだ!! 観念しやがれ!!」
「何を止まっているのですか、オフィアーヌの騎士よ!! あの二人は、私に敵意を示しました!! 叩き斬りなさい!!」
「で、ですが、奥様……彼ら兄弟はオフィアーヌの血を引いている人間で……!」
「言うことを聞けぇぇぇぇぇッッ!! 私は、アンリエッタ・レルス・オフィアーヌだぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
叫び声を上げるアンリエッタ。
俺はそんな彼女を見つめたまま、前に出て、ガゼルが言おうとしていたことを口にする。
「アンリエッタ様。貴方は、暗殺者が私を殺すことに失敗した時に、ある凶行に走りました。それは――――セレーネ教本拠地、聖アルテミス聖堂の封印殿にあった、傲慢の悪魔ベルゼブブが封印されている結晶を持ちだし、それを、王都の地下に広がる水路に放ったことです」
場が、静寂に包まれる。
皆、言っていることが、理解できていない様子だった。
アンリエッタは顔を青ざめさせると、振り返り、周囲の貴族たちに向けて口を開く。
「ち、違う! 私は、そんなことを、しては―――」
だが、周囲の貴族たちは皆、もう、アンリエッタの言うことを信じてはいない様子だった。
無理もないだろう。彼女が死んだと言っていたはずの人間が生きて姿を現したんだ。
しかも、その本人が、アンリエッタの息がかかった小領貴族の嫡子に暗殺されそうになったと話した。
俺たちが言っていることに、矛盾はない。
そしてアンリエッタは、俺たちの言っていることを嘘だと、証明することができていなかった。そして、弁解するよりもまず、口を塞ごうと騎士を嗾けた。
その行動から見ても、この場にいる誰もが、どちらが真実を語っているのか……一目見て分かることだろう。
アンリエッタは自分に向けられる疑惑の目に、一歩、後ろへと後退する。
「な……何なのよ、その目は……! あ、あんな、貴族でも何でもない、よく分からない女の言うことを信じるとでも言うの!? ま、まず、あれがアネットなのかどうかも分からないじゃない! に、偽物かもしれないわよ!? そ、そうよ! これは、私を陥れようとしている奴らの、罠よ! ブルーノとアレクセイ! あの二人は、前からオフィアーヌの当主になるために私と敵対していた! あいつらが怪しいわ! あいつらが偽物のアネットを担いで、私を罠に嵌めたのよ!」
アンリエッタのその言葉に、ブルーノは首を横に振る。
「残念ながら……僕たちはもう、当主を目指していない。分かったんだ。家族同士で争い合っても意味がないことを。それを教えてくれたのが、ここにいるアネットさんと、そして―――」
観衆の中で、不安そうな面持ちでスケッチブックを胸に抱く少女に、ブルーノは笑みを浮かべる。
「コレット。君のおかげだ。……僕はもう、お互いを蹴落とし合うような関係はうんざりだ。ここで宣言させてもらおう。僕とアレクセイは、ここにいるアネットさんを次期オフィアーヌ家の当主として推薦する。先代とか分家とか、そんなものはもう関係ない。家族をまとめあげた彼女こそが、四大騎士公に相応しい器だ!」
ブルーノの言葉に、コレットは瞳に涙を溜め、パチパチと拍手を鳴らした。
そして、ギャレットも、それに続いて手を鳴らした。
そんな二人の姿を見て、アンリエッタは唖然とする。
そして彼女は、引き攣った笑みを浮かべ、俯くと、身体を小刻みに震わせた。
「アリサの子が……次期当主? それも、魔法因子を一番多く持っていた、末の子が……? ……ははっ、はははははははははははははははははははははは!!!! ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
アンリエッタは発狂すると、前に立っていた騎士の鞘から剣を抜いて奪い取り、そのまま剣を持って……壇上にいる俺へと向かって来た。
「アリサめぇ!! あの女はどこまで行っても、私の邪魔をしてくる!! アネット! 何故、フィアレンス事変で死ななかった!! 何故、暗殺されなかった!! 何故、ベルゼブブに喰い殺されなかった!! 何故―――アリサと同じ顔をして、今、私の前に立ちはだかった!! 答えろぉぉぉぉぉ!!!!」
壇上に手を掛け、よじ登ってくるアンリエッタ。
そして彼女は俺の前に立つと、上段に剣を構え、不気味に笑みを浮かべた。
「今度こそ、殺してやるわ!! 憎きアリサの子めぇ!!!!」
「「アネットさん!」」
ブルーノとアレクセイが騎士から離れ、急いでこちらに向かって駆けて来る。
ガゼルは背後で武器がないことに慌て、アストレアはおろおろとしていた。
そんな中、 アンリエッタは不気味な笑みを浮かべ、剣を振り降ろしてくる。
その動きは、どう見ても素人の剣。避けること自体は、容易い。
俺はまっすぐとアンリエッタの目を見つめ、口を開いた。
「私が今生きているのは、全て、母の愛によるものです。フィアレンス事変で私は、母から命を託された。愛というものを軽視している貴方には、私は殺せない」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
鼻先寸前まで剣が迫り、俺が、さりげなくその剣を避けようとした……その時。
俺の目の前に―――石の壁が出現した。
「【ストーン・ウォール】!!!!」
アンリエッタの剣は石の壁に阻まれ、中ほどからボキリと折れる。
手に持っている折れた剣を掲げ、呆けた顔で見つめた後。アンリエッタは背後を振り返り、叫び声を上げた。
「シュゼットォォォォォッ!! 何をやっているのですかァァァァッ!!!!」
石壁の魔法が解除されると、壇上の前に立っていたのは……扇子をまっすぐと伸ばした、シュゼットだった。
シュゼットは眉間に皺を寄せ、母親であるアンリエッタを睨み付ける。
「お母様。私は、貴方に、家族を奪われました。そして、最後の一人も貴方に奪われたと、そう思っていました。ですが……違った。今後、アネット・イークウェスに指一本でも触れてみなさい!!!! 彼女の姉である私が、相手になってあげましょう!!!! アンリエッタ・レルス・オフィアーヌ!! 私はもう、貴方には縛られない!! 私は私の意思で、妹を守り抜く!!!! この力は……守るための力です!!」
「シュゼットォォォォォォォォォォォ!!!!!」
アンリエッタは地団太を踏むと、「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」と叫び声を上げて、髪の毛を掻きむしる。
「どうして……どうしてなの!! もうすぐだったのに!! もうすぐ、全てが手に入ったのに……!! 四大騎士公の座が、すぐそこにあったのに!!」
壇上に上がり、俺の傍まで寄ってくる、オフィアーヌ家の一族と、その配下たち。
ブルーノ、アレクセイ、シュゼット、コレット、コルルシュカ、エリーシュア、ガゼル、アストレア。
皆、俺を守るようにして、隣に立った。
中央に立つ俺は、アンリエッタへと向けて、声を掛ける。
「もう……終わりです。オフィアーヌ家は今日これより、変わるでしょう。これからこの御家を支えていくのは、私たち新しい世代。貴方にはもう、そこに座る席はない」
「何で……何で、何で何で何で何で……ッッ!!」
地面に膝を突くと、四つん這いになり、ガンガンと床を殴り始めるアンリエッタ。
そんな彼女を一瞥した後、ブルーノは、壁際に立つ、困惑した様子の衛兵たちに声を掛ける。
「衛兵たちよ! アンリエッタをひっ捕らえよ! この者は、ベルゼブブの封印を解き、王都に混乱を招いた大罪人だ!」
「ブルーノ様……! はっ!」
ベルゼブブが王都を襲った時、ブルーノが聖騎士を率いて、民を救ったのだと、俺はアレクセイから聞いていた。恐らくその時の影響で、ブルーノは、聖騎士たちから絶大な信頼を得ていたのだろう。
王宮の衛兵である聖騎士たちは、ブルーノの命令を素直に聞いたのだった。
聖騎士たちは壇上に上がると、アンリエッタの両腕を背後から掴み、取り押さえる。
「っ!! 何をしているのですか!! 私は、オフィアーヌの次期当主ですよ!! 離しなさい!!」
「アンリエッタ様。申し訳ございませんが、ご同行をお願い致します」
「ふざけたことを言うな!! お前たちは、私よりも、あの女の言うことを信じるというのか!!」
アンリエッタは聖騎士の手を振り払うと、壇上から飛び降り、入り口へと向かって走って行った。
「逃げたぞ! 追え!」
会場から出て行ったアンリエッタを、聖騎士たちは追いかけて行く。
俺はその光景を見つめた後、会場を見回した。
(さっきから気になっていたが……ゴーヴェンが、いない……?)
王宮晩餐会だというのに、王広間にはどこにも、バルトシュタイン家当主の姿が見当たらなかった。
先ほど会場を下見した時には、姿を見たと、ブルーノから報告があったはずだが……?
「アネットさん、追おう!」
「……はい!」
俺はブルーノに頷き、オフィアーヌ家のみんなと共に、アンリエッタを追うべく壇上から飛び降りた。
そして、困惑する貴族たちを合間を駆け抜け、入り口へと向かって走って行く。
「――――――――――――アネット!」
その時だった。俺の視界の先に、ロザレナの姿が映った。
ロザレナは胸に手を当て、涙を流しながら、俺のことを見つめていた。
「お嬢様……」
「よく分からないけれど……後で……後で、ちゃんと、説明してくれるのよね? 後で、ちゃんと、あたしのところに帰ってくるのよね?」
俺はお嬢様に向けて微笑を浮かべ、コクリと頷く。
「勿論です。私の帰るべき場所。それは、貴方の元しかありませんから」
俺はそう言い残して、ロザレナの横を通り過ぎ、みんなと共に王広間を出て行った。
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「……ゼェゼェ」
王宮のバルコニー。
そこでアンリエッタは息を切らしながら手すりに手を当て、夜空を見つめていた。
「どうして……どうして、私が、こんな目に……!」
アンリエッタは酷く困惑していた。
自分の計画は、全て順調だったはずだと。
災厄級の魔物、ベルゼブブを相手に、ただのメイドであるアネットが生きているはずがないと。
それなのに……アネット・イークウェスは生きていた。
目の前で起こったあり得ない事象に、彼女は、ただただ混乱していた。
そんなアンリエッタの背後から……ある人物が現れ、口を開いた。
「ククク。随分と惨めな様子だな、アンリエッタよ」
アンリエッタはビクリと肩を震わせ、振り返る。
するとそこに立っていたのは――――――――黒いマントを靡かせた、バルトシュタイン家当主ゴーヴェンだった。
「ゴーヴェン……」
目を丸くするアンリエッタに、ゴーヴェンは歩みを進め、開口する。
「お前は他の兄弟たちとは異なり、見どころがあった。お前の持つ果てなき野心を、私は少なからず評価していた。だから私は、兄弟たちを全員皆殺しにするところを、お前だけ生かした。利用価値があると思ったからだ。だが……その顛末がこのようなものになるとはな。まさか、オフィアーヌ家すら乗っ取ることができんとは。父上もあの世で嘆いておられることだろう」
「……っ!! ゴーヴェン!! 私は、私なりにやるべきことをやってきたわ!! 貴方の言う通りにオフィアーヌ家に嫁ぎ、権力を身に付けた!! 私には、貴方やジェネディクトのような力は無かったけれど、それでも、四大騎士公を目指して努力し続けてきたのよ!! 産まれた時代が悪かっただけで、私には、間違いなく人の上に立つ才能があったわ!!」
アンリエッタのその言葉に、ゴーヴェンは目を細める。
「アンリエッタ。私はな……実を言うと、お前のことをずっと憎んでいたのだよ」
「は? いったい、何を言っているの?」
「お前は、私にジェスターを殺すよう仕向けた。我が正義のためとはいえ、友をあのような形で失うことになるとは、流石の私も想像していなかった。だが……目的のためならば、私は、聖王に従順で残酷な聖騎士のままでいなくてはならなかった」
「? いったい、何を……そもそも、最初にあれのことを言ったのは、お兄様でしょう? 私にはよく分からなかったけど、王家の宝物庫にあるアレを使って、あの赤子に―――――」
その瞬間。ゴーヴェンは、アンリエッタの胸に剣を突き刺した。
「かはっ……!?」
「お前は知りすぎた、アンリエッタ。……さらばだ、飽くなき野心を抱える者よ」
そう言ってゴーヴェンはアンリエッタから剣を引き抜いた。
アンリエッタは血を吐き出すと、よろめき……そのまま仰向けになって、地面に倒れ伏す。
「なっ……!?」
ちょうどその時、バルコニーに、アネットがやってきた。
アネットは、ゴーヴェンとアンリエッタの死体を見て絶句し、声を失ってしまう。
ゴーヴェンは剣をヒュンと振り、血を払うと……背後に立つアネットに、笑みを浮かべた。
「初めまして。こうして直接君と話すのは初めてだな、アネット・イークウェス」
作品継続のため、書籍1~4巻のご購入、よろしくお願いいたします。




