第2話 元剣聖のメイドのおっさん、土の味を知る。
この国—————『聖グレクシア王国』には、古来から王家を支えてきた〖四大騎士公〗と呼ばれる四つの騎士の一族たちがいる。
一つ目が、血族から幾人もの『聖騎士団長』を輩出している騎士の名門、当主は代々戦事を専門とする戦務卿を担っている一族、【バルトシュタイン家】。
二つ目が、代々優れた魔法剣士を数多く輩出しており、王家からの信頼も厚く、当主は必ず王家のあらゆる物資を管理、守衛する役目を持つ財務卿を担う一族、【オフィアーヌ家】。
三つ目が、知略、軍略に長けた指揮官を過去から現在まで多く輩出している、剣よりも知恵で戦うことを得意とする者が多い異色の騎士の家、代々軍務卿を担っている一族、【フランシア家】。
そして四つ目が、過去、幾人もの『剣聖』を輩出してきた————が、今やそれも遥か昔の出来事・・・最早過去の栄光に縋るだけとなった格落ちの没落寸前の一族、【レティキュラータス家】だ。
俺は現在———そのレティキュラータス家の本邸にいる。
俺の名前は、アーノイック・ブルシュトローム。
生前は無敗を誇った歴代最強の『剣聖』と呼ばれ、一太刀で竜を屠ったことから、【覇王剣】という異名で呼ばれていた、50歳手前のナイスミドルだった。
けれど、悲しきかな。
どんなに修練を積んで無敗の強さを手に入れたところで、病気には太刀打ちすることは叶わなかった。
突如臓器が石化していく謎の奇病に罹ってしまった俺は、もう寿命がないことを悟り、48歳のある日、弟子に介錯してもらってポックリとこの世を去ることとなる。
自身が死ぬということに関しては特に恐怖もなく、別段この世界に未練もなかった。
だからアンデッドに転化するなんてこともせず、てっきりそのまま綺麗さっぱり成仏するものだとばかり思っていたのだが・・・・。
何故か死後、俺は在り得ない事象に見舞われることとなる。
「・・・・・・誰なんだよ、てめぇはよ・・・・」
目の前の姿見に映るのは、メイド服姿の幼い少女の姿。
それは、生前の筋骨隆々の髭モジャの大男の姿では断じてなく。
どう見ても、以前の自分とは全く異なる、別人のそれだった。
「はぁ・・・・・アネット・イークウェス。それが今の俺の名前、か」
イークウェス家。
彼らは四大騎士公の一角、レティキュラータス家に先祖代々仕えている歴史深い使用人の一族だ。
今の俺はそのイークウェス家の末裔、ということになっているらしい。
現在の状況を簡潔にまとめるのならば———50手前のおっさんが何故か死んだら幼女に転生・・・・・それも、由緒正しきメイドの一族に———ということなのだが、字面だけでもまったくもって意味が分からんな、これ・・・・・。
ま、まぁ、確かに? 死ぬ寸前に俺は、『来世は女っ気のある人生を』とか、神様に願ったよ??
願ったけど、さぁ。
まさか俺自身が女に生まれ変わるとか、ちょっと斜め上すぎた願いの叶い方だろ、オイ・・・・。
この世界に神がいるとするならば、意味分からんとしばき倒してやりたいところだ。
「ったく、本当この状況はいったい何なんだ? いくら考えても理解が追い付かないぜ・・・・」
一応、物心付いて生前の記憶を思い出してから今に至るまで、七年半は経過してはいるのだが・・・・。
未だこの謎の女化には理解が追い付かず、朝起きる度にこうして鏡の前で呆然としてしまうのが毎度の日常の光景だった。
「はぁ・・・・」
姿見の前で大きくため息を吐いてみる。
すると、鏡に映っている栗毛色のポニーテール姿の少女は長い睫毛の付いた瞼を悲し気に伏せ、憂鬱そうな顔を見せてきた。
「む、それにしても・・・・・」
どんな表情をしても、俺、可愛いじゃねえか。
眼はパチクリとまん丸で大きいし、加えて鼻も高いし、唇はアヒル口。
一見素朴そうな印象を受けるが、よくよく見るとものすごく、俺の目鼻立ちは整っていると言えるのではないだろうか??
おいおい、貴族お抱えの使用人っつーのは、顔の良い血統でも混じってんのかね。
思わず、まじまじと自分の顔を観察してしまったぞ。
「ふむ……やはり何度見ても俺、めちゃくちゃ可愛いな。将来絶対別嬪さんになること間違いなしだぜ」
って、は、ははは……何、自分相手に言ってんだ、俺は……。
冷静に考えるとめちゃくちゃ萎えてくるぜ、こんな、筋肉も上背もない弱っちそうなのがかつて剣の頂に立った男だと思うとよ……。
しかも、メイド服なんてこんなヒラヒラしたものを日常的に着てしまう始末だし。
くそぉ……俺、中身は40後半のオッサンなんだぞ……?
現実を直視すると今の俺の現状が恥ずかしくてたまらなくなってくるな……本当、死にたくなってくる。
まっ、一度もう死んでるんだけどね!? がっははははははははっ!!!!
「アネット!! 何してるんだい!! 身だしなみのチェックにいつまでかかってるんだ!!」
「は、はいっ!! ただいま参ります!!」
クソババ……いや、祖母のマグレットに呼ばれ、俺は慌てて鏡を見直す。
現在この広い屋敷には、自身の祖母であるメイド長の老婆、マグレット・イークウェスと俺、アネット・イークウェス以外に人はいない。
俺が産まれてからこの10年、今まで俺たちはこの巨大な屋敷で2人だけで暮らしてきたのだ。
だが、つい先日、この屋敷の主たちが十数年ぶりにここへと帰ってくることを、俺は祖母から聞き及んでいた。
何故、彼らがそんなに長い期間屋敷を開けていたのかというと、それはこの家……レティキュラータス家の息女が重い病気に罹っていたかららしい。
そのため、彼らレティキュラータスの一家は、王都の医院に通うために別宅で暮らしていたみたいなんだが……今年の初めに、娘の病気の完治を確認できたようで、ついにこの屋敷に帰ってくる顛末となったみたいだ。
だからこれから俺は、その屋敷の主人である当主と奥方、息女たちが家に着く前に、出迎えの挨拶をしなけれならない。
なんといっても、その屋敷の主人たちが帰ってくるその日は今日この日、だからだ。
まぁ、そういった理由で、現在俺はこうして自室で身だしなみの最終確認を行っていた、ということなのさ。
「……よし、バッチリ。おばあ様、今参ります!!」
ドアノブに手を掛け、自室から外へと出る。
するとそこには、白髪で顎のしゃくれた、魔女のような様相のメイド老婆が腕を組んで突っ立ていた。
老婆は俺の姿を確認すると、腕組みを解いて、ジロジロとこちらを値踏みするように観察してくる。
そして、前、背中と、一頻り俺の衣服に乱れがないか確認し終えると、ふぅっと彼女は短く息を吐いた。
「ふむ……まぁ、問題は無さそうだね。お前さんにしては上出来だ」
「あ、ありがとうございます……」
「言葉使いもそのまま丁寧にするようにね。お前さんは三つ四つのころから粗暴な言葉が出る子だったからねぇ……今も気を抜くと出てくるだろう?? 男のような粗野な口調が」
「あ、あはははは……も、もう10歳になりましたからね。そ、そんな失敗はしませんよ……」
というか内心は男だからな……女口調に慣れるほうがおかしいというものなんだが。
……なんて、そんな悪態を突こうものなら、目の前のこの老婆は俺に対して容赦なく拳を振るってくることだろう。
勿論、剣聖として名を馳せたアーノイック・ブルシュトロームなら、こんな生い先短い老人のパンチなど目を瞑っていても軽く避けられていたことは間違いがない。
だが、悲しきことに……現在の俺のこの小さな身体じゃ、生前のような反射神経と素早さは完全に消え失せており、思うように回避の行動が取れなくなってしまっているのだ。
非常に情けないことだが、結論を言うと、今の俺は非力なただの幼子にすぎない。
剣一本で身を立てていた以前の俺とは全く違う存在……誰かの庇護下にいなければ、生きてはいけないか弱い少女。
それが、今の俺———アネットという少女の現状といえる。
「ほら、アネット。旦那様が到着される前に早く玄関前に行くよ。主人を待たせること程、メイドにとって罪なことはないのだからね」
「りょ、了解致しました、おばあ様」
背筋を伸ばしてキビキビと歩く老婆の後ろに続いて、俺も長い廊下に足を踏み出し、一緒に歩いて行く。
今の俺では、無理やり屋敷の外に出て行っても、待っているのは人攫いに遭うか、魔物に殺されるかのどちらかだけだろう。
だから……かつての力を発揮できるようになるまで、剣をまともに扱える年齢に成長するまでは……この地獄のようなメイド業を、歯を食いしばって耐えていくしかないのだ。
それが、今俺ができる唯一の生き方だった。
大理石で造られただだっ広い玄関に突っ立ちながら、レティキュラータス夫妻の帰りを待つこと数十分。
馬車の音が聞こえ、外で何やら話し声が聞こえた直後。
見知らぬ使用人らしき衣服の男が大きな玄関の扉を開くと、そこから三人の親子が姿を現した。
最初に中に入ってきたのはハット帽を被った壮年の男だった。
年齢は30代半ばくらいだろうか。
朗らかな笑みを浮かべた、中肉中背、パッと見、人の良さそうな印象のする青みがかった黒髪の男だ。
そして彼の後に続いて入ってきたのが、ひとつに結すんだ紫色の髪を三つ編みにして、肩から流している女性———恐らく、この男の妻だろうか。
もの静かそうな雰囲気を纏った20代後半くらいの若い女性が、男の背後から現れる。
その二人の姿を捉えたマグレットは、俺の隣で深く、そして静かに、頭を下げ始めた。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥方様、お嬢様」
その言葉に続き、俺も同様に頭を下げる。
「お、おかえりなさいませ、旦那様、奥方様、お嬢様」
「おぉ、マグレットさん。長い間留守を任せてすまなかったね」
「そうね。ずっと家のことを任せっきりにしまってごめんなさいね、マグレットさん」
「いいえ。レティキュラータスに1500年以上仕えているイークウェスの人間として、この御屋敷を守る責務は当然のことでございます。お気になさらないでください」
「ハハハ、相変わらず真面目なんだね、マグレットさんは。それよりも……さっきから気になってるのだけれど、その子は……?」
「そうね。その可愛らしい子は、もしかして?」
「はい。私の孫娘の、アネットでございます」
レティキュラータス卿とその妻と思しき二人が、同時に俺へと視線を向けてくる。
俺はゴクンと唾を飲み込んだ後、事前に祖母から言われていた礼の作法を行う。
スカートの端を掴み、足を曲げ、頭を下げ、優雅に彼らに向けてカーテシーの礼を取った。
「お初にお目にかかります、旦那様。奥方様。アネット・イークウェスと申します。まだ若輩の身なので不躾なところもあるかと思いますが、誠心誠意精一杯働きますので、何なりとお申し付けください」
「おぉ、そうか! 君がアネットくんか! マグレットさんから話は聞いていたよ!! いや~礼儀正しくて利発そうな子だなぁ!!」
「フフフ、そうね。うちの娘と変わらないくらい幼いのに、凄くしっかりしていそうよね。流石はマグレットさんのお孫さん、といったところかしら」
「い、いえ。この子は誰に似たのか内面は蓮っ葉なじゃじゃ馬娘でして……」
「そうなのかい?? まったくそんな風には見えないけれど??」
「ええ。うちのロザレナの良い教育係になってくれそう。ほら、ロザレナ、ご挨拶なさい」
奥方らしき人物がそう言うと、彼女の背後から俺と同じような背格好をした影が姿を見せてきた。
青紫色のウェーブがかった長い髪に紅い瞳をした少女がちょこんと、母親の足に隠れるようにして現れる。
だが、彼女はジーッとこちらを見つめるだけで、その場から動こうとしない。
何というか、人見知りする子なのだろうか。
明らかに、俺に対して警戒心を露わにしている様子だった。
俺はそんな彼女に近付き、努めて穏やかな笑みを浮かべながら、口を開く。
「初めまして、お嬢様。私はアネットと申します。これから屋敷でのお嬢様の身の回りの御世話を、私が担当することに——————」
「・・・・・・あたしが勝ったら、貴方、家来になりなさい」
「・・・・・・・・・はい??」
「おらあああああああああああああああああ!!!!!!!」
「ぐふぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
何故か、顎をぶん殴られ、空中を舞う、俺。
戸惑うレティキュラータス夫妻、唖然とする祖母の顔。
今まで生きてきて、俺は、自分の師以外に誰にも負けたことは無かった。
剣を振れば誰であろうと一刀で叩き伏せられたし、不意打ち闇討ちされようとも即座に回避し、その刃が身に通ったことは一度も無かった。
自分で言うのもなんだが、俺は強すぎたんだ。
実際、己の強さに辟易して、対等に戦える者がいないこの世を嘆いたこともあった。
生物の領域から逸脱した存在、異端者、魔人、と、・・・・数多の剣士たちが俺のことをそう呼ぶことも少なくなかった。
異常な強さは俺を孤独にした。
娘のように育てていた弟子ひとりだけが、生前の俺の唯一の家族だったと言えるだろう。
あぁ・・・・そうだな、彼女はいつか俺にこう、言っていったっけ。
『師匠がいつかその【強者の孤独】の呪縛から解き放たれる時が来ると良いですね』、と。
リティ……ついに、俺も敗北を知る時が来たみたいだよ……。
何たって、無敗を誇った最強の剣聖だった俺が——————初めて会った貴族令嬢に簡単に土の味を教えられたんだからな。
「あ、あはははは~星が見える星が~」
ドサッっと、床に身体が横たわる。
白目になり、女の子がしてはいけない表情を浮かべてしまう、俺。
最強の『剣聖』アーノイック・ブルシュトロームの無敗記録は、ここにて終幕を迎えるのであった。