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第8章 二学期 第262話 特別任務ー㉖ 剣聖を目指す若き三人


アネットがベルゼブブ・クイーンを倒す、一時間程前。


王都では、ハインラインが、必死の戦いを繰り広げていた。



「ゼェゼェ……くそっ……!」



 ハインラインは荒く息を吐き、腕で額の汗を拭う。


 彼の周囲には、100体近くの大量のベルゼブブの死体が転がっていた。


 しかし、ハインラインを殺そうと、次々に探索兵(シーカー)種たちがやってくる。


 物理耐性を持っている戦闘兵(ウォーリア)種が来ないことは幸いだったが、ハインラインの体力は既に、限界を迎えていた。


「このワシが、こんなところで体力切れになるとは……!」


 ハインラインは【瞬間脚】を発動させると、民家の屋根の上へと着地する。


 そんなハインラインに向かって、ベルゼブブたちは羽を広げ、上空を跳び……向かって行った。


 ハインラインは屋根の上を飛び移り、逃げながらベルゼブブを一体一体ずつ処理していくが、息が切れて、どんどん減速していってしまう。


 そんな彼の前方に、一匹のベルゼブブが姿を現した。


「グルギャァァァァァァァァァァァァァ!!」


「しまっ――――」


 家と家の間に隠れていたベルゼブブは、ハインラインへと奇襲する。


 その攻撃に、反応が一歩遅れるハインライン。


 ベルゼブブの爪が、ハインラインの顔へと向かって振り降ろされる。


 ――――――――――――その時だった。


「年寄りはもう隠居すべき。ジャストラムさんは、そう思う」


 ベルゼブブの身体が縦一文字に切り裂かれる。


 真っ二つに切り裂かれた死体の向こうに立っていたのは……藍色の髪の獣人族(ビスレル)の女性だった。


 ハインラインはそんな彼女の姿を見て、ハンと鼻を鳴らす。


「ようやく出てきおったか、この引きこもりが! 年寄りじゃと? 馬鹿にするんじゃない。ワシは生涯、現役じゃ!」


 背後から向かって来る無数のベルゼブブ。


 ハインラインは振り返ると、刀をバットのようにして持ち、振り払った。


「――――――――――【気合い斬り】!!!!」


 圧倒的な闘気による素振り。


 その剣圧に耐え切れず、ベルゼブブたちは胴体を切り裂かれ、屋根の下へと落ちて行った。

  

 その光景を見てふぅと息を吐くと、ハインラインは刀を肩に乗せ、ジャストラムに声を掛ける。


「よう、久しぶりじゃな、引きこもり女。相変わらずボケーッとした顔をしておるのう」


「ハインラインは、すっかりジジイになったね。最後に会ったのは……何十年前だっけ? ジャストラムさんの最後の記憶だと、ハインラインはまだ、ムキムキしていたはず。今は、随分と小さくなった。ただのお爺さん」


「お前なぁ。そりゃあ、30代の頃に別れたっきりなんじゃから、当然じゃろうが。お前が、自分が傍にいたらアーノイックが傷付くー、だとか、メンヘラめいたこと言っておったのも、もう遥か昔の出来事じゃわい。ワシら人族(ヒューム)の時間感覚からすればな」


「ジャストラムさんはメンヘラじゃない」


「じゃあ、何か? 良い歳こいてまで乙女心を持ち続けておる、面倒臭い女か? まったく。せめて、アーノイックの葬式にくらい顔を出してやれ。あいつの娘も……複雑そうな様子じゃったぞ」


「……リトリシアとは、もう、会った」


 その言葉に、ハインラインは「あちゃぁ」と、額に手を当て首を横に振る。


「最初に会う時はワシを挟んが方が良いと思っておったが……何という間の悪さじゃ。まぁ、良い。ジャストラム、手を貸せ。剣の腕は鈍ってないな?」


「鈍ってなんていない。ジャストラムさんは、リトリシアに会って確信した。今、この王都で一番剣聖に近い実力を持っているのは……ジャストラムさんだと」


「まぁ、お主の実力が昔と変わらんのであれば、そうじゃろうな。年老いたワシとは違い、お主は唯一、最強の剣神の世代で実力を保持し続けている猛者……そして、先代【剣聖】アレス・グリムガルドの娘なのじゃからの」


「行くよ、ハインライン。途中でへばっても、もう、助けてあげないから」


「カカッ! 馬鹿にするんじゃねぇぞ、青二才が!」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




《ロザレナ 視点》




「何だか……外はすごいことになっているわね……」


 先生たちと一緒に地下水路の外へと出ると、既に夜になっていた。


 しかし、遠くに見える王都の空は赤く染まっていた。


 どうやら南の方にある街が燃え、火の気が上がっている様子だった。


 あたしたち生徒が、その光景を見て呆然としていると……ブルーノ先生が周囲をキョロキョロと見渡し、焦燥した顔を見せる。


「アネット・イークウェスは……ここにはいないか。くそ! やはり、まだ彼女は地下水路に取り残されているということか! 僕は再び、地下水路に戻る! 他の先生たちは、ここにいる生徒たちの警護を――――」


「ゴーヴェン殿はおられますか!」


 その時。地下水路の前に、オレンジ色の髪の青年が姿を現した。


 あれは……夏休みの時に出会った、ジェシカの兄、アレフレッドだ。


「お兄ちゃん!?」


 隣に立っていたジェシカは、アレフレッドを見て、驚きの声を上げる。


 アレフレッドはジェシカを見て「無事だったか」と安堵のため息を吐くと、再び教師陣に顔を向け、声を掛けた。


「騎士学校の教師とお見受けします。俺は【剣王】アレフレッド・ロックベルトと申す者。ゴーヴェン騎士団長に、助力を乞うためにここへ馳せ参じました。どうか、街に、騎士団を派遣していただきたい。このままでは、被害が大きくなってしまう」


 アレフレッドのその言葉に、ブルーノ先生が教師陣を代表して口を開く。


「王都の方は、それほど酷い状態なのですか?」


「はい。現在、剣聖リトリシア、剣神ハインライン、剣神ジェネディクトが戦っているが、手が足りず、蠅の怪物たちは次々に民を攫っていっている始末。そちらも何かアクシデントが発生しているのは理解していますが、どうか、王都に騎士団を派遣してはくださらないでしょうか?」


 ブルーノは顎に手を当て考え込んだ後、アレフレッドに顔を向ける。


「蠅の怪物の発生源が地下水路であることは、理解していますか?」


「いえ……初耳です」


「今現在、聖騎士団は発生現の討滅、及び校外学習中であった騎士学校の生徒を救出するために、大多数が、地下水路を攻略しています。なので、動かせる騎士は、この場にいる拠点と生徒たちを護衛する数名の騎士と、我ら元騎士である教師陣しかいない状態です」


「何と……! それではやはり、王都に騎士団を派遣することは……」


「はい……難しいです……」


 ブルーノは苦悶の表情を浮かべ、逡巡した様子を見せる。


 あたしはその姿を見て、思わず、首を傾げてしまった。


(どうしてブルーノ先生は、あんなにも、アネットを助けようとしているんだろう……?)


 元々、アネットとブルーノ先生の間に交流があったことは知っている。


 それでも、あのストイックな性格の教師が、一人の生徒をあんなに心配するだろうか……?

 

 はっ! ま、まままま、まさか!! あの男、あたしのアネットのことを好きなんじゃないでしょうね!? だとしたら、ここでぶっ飛ばしておくしか――――。


「貴方の考えているようなことは、多分、ありませんわよ」


 隣を見ると、あたしに肩を貸しているルナティエが、ジト目を向けていた。


 あたしはそんなルナティエに、思わず、口をへの字に曲げムスッとする。


「何よ。あんたに、あたしの考えていることが分かるわけ?」


「これだけ付き合いが長いんですもの。もう、貴方の考えていることなんて手に取るように分かりますわよ。貴方の頭の中には、基本、アネットさん、剣の修行、食べることの三つしか入っていませんもの。単純馬鹿も良いところですわ」


「うるっさいわねぇ! この卑怯ドリル女! あんたはいちいち嫌味臭いのよ!」


 ルナティエを睨み付けていた、その時。


 近くにあった木の上から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「……随分、ボロボロ。貴方がいたら力になると思ってアレフレッドを追って来たけど……もう、戦えない?」


 頭上を見上げると、そこには――――ワインレッド色のセミロングヘアーの、頭に大きなツノを生やした……龍人族(ドラグニクル)の少女の姿があった。


 少女は爬虫類のような冷たい瞳でこちらを見下ろし、肩に巨大な戦斧を乗せながら、無表情で声を掛けてくる。


「……ロザレナ。久しぶり」


「メリア!!」


 あたしは笑みを浮かべる。ジェシカは誰なのか分かっていないのか、キョトンとした表情を浮かべていた。


「メリア! 何であんたが、ここにいるのよ! 師匠になる人を探しに、旅に出たんじゃなかったの!?」


「……師匠になる人は、見つけたよ。ロザレナたちと別れたあの後、ハインラインを頼って、ジャストラムの居場所を突き止めたの。でも、彼女は、なかなか弟子にするとは言ってくれなかった。だから、付きまとうことにした。それで、たまたま、師匠について行って王都に戻って来た……という感じ」


「そうだったの! メリア! また貴方に会えて嬉し――――」


「……ロザレナ。私と貴方は【剣聖】の座を争うライバル。別れる時に、私は言ったはず。馴れ合いはしないと。どちらが先に頂点に辿り着くことができるか……競争をすると」


 メリアは枝の上で立ち上がると、全身に闘気を纏ってみせた。


 あたしも笑みを浮かべて、全身に闘気を纏ってみせる。


 すると、あたしに肩を貸しているルナティエが、慌て始めた。


「ちょ……! 怪我人の癖して何ていう闘気を出してるんですの!? そんなに近くで闘気を出されると、わたくし、ちょっと怖いんですけど!? 聞いてます!? 脳筋ゴリラ女さん!?」


 あたしとメリアはお互いに闘気を出しながら、睨み合う。


 そして、お互いが成長していることを確認し終えると、メリアは闘気を消し、再び口を開いた。


「……まだ、戦える? 私は、王都にいる蠅たちを処理しに行くけど?」


「当然! あんたが戦うというのなら、あたしも行くわ! あんたに活躍されたら、先を越されそうですもの! 【剣聖】の座は……あたしのものよ!」


 あたしのその言葉に、ルナティエは、顔を青ざめさせる。


「ちょ……お馬鹿さん! 貴方、どれだけ自分が傷付いているか分かっていますの!? ベルゼブブを倒し、キールケも倒したのでしょう!? これ以上、動けるわけが――」


「ちょ、ちょっと待ってよ、ロザレナ! わ、私も行く!」


「ジェシカ?」


 ジェシカはあたしの顔を見つめた後、木の上にいるメリアを見上げ、口を開いた。


「よく分からないけど……あの子も、【剣聖】を目指しているんだよね? だったら……私も行く! 【剣聖】になるのは、私だよっ!」


 ジェシカのその言葉に、メリアは目を細めると、静かに口を開く。


「……君、名前、何?」


「ジェシカ・ロックベルト! 貴方は!」


「……メリア・ドラセナベル。ロックベルト……そっか。君、ハインラインが言っていた、孫娘の……」


 顎に手を当て思案した後、メリアは木の上から飛び降り、背中を見せる。


「……来るなら、来て。人手、足りてないから」


「ええ!」「わ、分かった!」


 あたしはルナティエから離れ、ジェシカと共に、前へと走って行く。


「ロ、ロザレナさん!?」


「悪いわね、ルナティエ。こうなったらあたしは……退くわけにはいかないの!」


 あたしは地面を蹴り上げ、メリア、ジェシカと共に、王都へ向かって走って行った。


 メリアとジェシカは、いずれ倒さなければならない、あたしの敵。


 だからこそ、彼女たちが功績を稼ごうとしている時に、休んでなどはいられない。


 【剣聖】になるのは――――あたしなのだから!


「……生徒たちが頑張ろうとしているのに、逡巡などしてはいられない、か」


 背後からブルーノ先生の独り言が聞こえてきたが……あたしは無視した。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 3人が去って行った後。


 ブルーノは、拠点に残った騎士たちに向けて、声を張り上げる。


「残った騎士たちと他の先生がたは、総出で王都へ向かい、民の救出を! 僕は、取り残された生徒の救出をしに、地下水路に戻ります! 全責任は、僕が背負います! 皆さん、僕の指示に――――」


 ブルーノは言葉を止め、教師の中に、ある人物がいないことに気が付く。


「ルグニャータ先生は……どちらに?」


 その言葉に、天馬クラスの担任教師フェリシアが答えた。


「ルグニャータ先生なら、アネットさん?が取り残されていることを知って、血相を変えて、地下水路の中に戻って行きましたよ~?」


「ルグニャータ先生が?」


 普段、適当でぼんやりとしているルグニャータが血相を変えたという事実に、思わず首を傾げてしまうブルーノ。


 「自分のクラスの生徒を珍しく心配したのか?」と独り言を呟くと、ブルーノは、すぐに思考を切り替える。


「そうですか。では、僕も彼女を探しに――――」


「待ちたまえ、ブルーノ教諭。君がいなくなったら、誰が騎士団を指揮するのであるか?」


 牛頭魔人クラスの担任教師ガスパールが、そう、ブルーノに声を掛ける。


 ブルーノは彼に、言葉を返した。


「ですが、僕は、生徒を救いに行かなければ……」


「今現在、ゴーヴェン団長は別の入り口から騎士団の精鋭を引き連れて、地下水路の最深部へと向かって行った。現状、ここにいる騎士と元騎士の中でも、最も階級が上なのは君だ、ブルーノ教諭。君が、この残った隊の指揮権を有している。いや……このメンツの中で、君にしかできないと、我輩は踏んでいるのである」


「私も、それに賛成です~」


「……同意」


 同僚教師である、ガスパール、フェリシア、アレイスターにそう言われたブルーノは、苦渋の表情を浮かべ……コクリと頷いた。


「……分かった。僕が、指揮権を担おう。アネットさんの救出は、ルグニャータ先生に託す。騎士団の皆! たった今より、僕が、君たちの隊の長となる! 良いだろうか!」


 ブルーノの言葉に、拠点に残されていた防衛役の騎士たちは、敬礼をする。


 その姿を見て頷くと、ブルーノは教師たちを引き連れて、前へと歩いて行く。


「ついて来い! 僕が、王都の混乱を鎮めてみせる! ……アレフレッドさん。街の状況を教えてください!」


「はっ!」


 そうして、ブルーノは騎士団と教師陣を引き連れ、火の気が上がる街へと向かって走って行くのだった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ハインラインとジャストラムは【瞬閃脚】を発動し、屋根から屋根を飛び移り――――夜の王都の町を、駆けて行った。


 その途中。二人は、ある三人を見つける。


 その三人は、それぞれ武器を構えて、一体のベルゼブブと対峙していた。


「あれは……ワシの孫娘の、ジェシカちゃん!? 何故、こんなところに!?」


「ジャストラムさんの弟子(自称)のメリアもいる。あとの一人は……」


「最後の一人の青紫色の髪の少女は、ジェシカちゃんのお友達じゃ。前に、道場に来たことがある。確か、名は……」


 青紫色の少女、ロザレナは剣を上段に構え……そして、降り降ろした。


「【覇剣】!」


 その瞬間、闘気による斬撃が放たれ、ベルゼブブは吹き飛ばされていった。


 ハインラインとジャストラムは民家の屋根の上に乗り、足を止めると、驚きの声を上げる。


「なっ……! なんじゃと!?」

「あの剣……彼に、似てる……!」


 大剣を振り降ろした後、ロザレナはヒュンと剣で空を斬り、肩に載せる。


 その姿に……二人は何故か、アーノイックの影を見てしまった。


 それだけじゃない。ジェシカは、若い日のハインライン。メリアは、若い日のジャストラムの幻影が重なって見えていた。


「【気合い斬り】!」


「【龍閃乱舞】」


 吹き飛ばされていくベルゼブブに向けて、ジェシカは青龍刀を振り、メリアは巨大な戦斧を振り回す。


 若い三人の剣士を見つめた後、ハインラインとジャストラムは懐かしい日を見るかのように、目を細めた。


「まるで、若き日の、ワシらのようじゃのう」


「そうだね。アーノイックが先陣を切って一撃を加え、追撃を私とハインラインが行う。何だ……全然、将来性のある子たちが揃っているじゃん。あの子たちは、大きくなるよ、ハインライン」


「そうじゃのう。できたら今のワシらの隣に……アーノイックも居たら良かったのにのう。三人で、この光景を見てみたかったわい」


「うん。そう、だね……」


「しかし、不思議なものじゃな。あのロザレナという少女から、アーノイックの気配を強く感じる。まるで、奴から剣と志を受け継いでるような……そんな、不思議な気配を感じるんじゃ。前見た時も思うたが、あの少女、いったい、誰に剣を教わっているのじゃ?」


 そう言って、ハインラインは、長い髭を撫でるのだった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「ヴィンセントォォォォォォォ!!!!」


「くっ! まだ……まだお前に、この命をくれてやるわけにはいかないのだ!!」


 お互いに剣を振る、ギルフォードとヴィンセント。


 ギルフォードの炎の剣はヴィンセントの鎧を砕き、肩を貫いた。


 ヴィンセントの氷の剣はギルフォードの肩を、まっすぐと貫いた。


 お互いに肩を刺しながら至近距離で睨み合う二人。


 ヴィンセントは兜の奥でギルフォードを睨みながら、口を開く。


「お前が俺たちバルトシュタイン家の人間を恨む気持ちも分かる!! 我が父の犯した罪のせいで、お前はそうなってしまったのであろう!! だが、俺は……お前のことを未だに友だと思っている!! 俺は、幼き日にお前と語った夢を、まだ、諦めているつもりはないッ!!」


 ヴィンセントはギルフォードの腹部を蹴り上げる。


 ギルフォードは「くっ」と呻き声を漏らし、ヴィンセントの肩から剣を抜くと、距離を取った。


 そしてゼェゼェと息を漏らし……仮面に手を当て、ヴィンセントへと憎悪の目を向ける。


「何が、友だ……! お前たちのせいで、私は……全てを奪われたのだ!!」


「お前の目的は何だ、仮面の剣士よ!」


「我が目的は、貴様らバルトシュタインの畜生どもを屠殺し、我ら一族が受けた屈辱と怒りをこの国に知らしめてやることだ!! 聖王家も!! バルトシュタイン家も!! 全て、皆殺しだ!! 殺して、殺して殺して殺して、殺し尽くしてやるッ!!」


「……お前は……忘れたのか。俺たちが幼き日に交わした、あの約束を」


 そう言って、ヴィンセントは、過去の記憶を脳裏に思い返した。





『汚らしんだよ、スラムのガキが! 道端で寝ているんじゃねぇ!』


 とある王都の通り。通りかかった男に、物乞いの少年は、お腹を蹴られた。


 その光景を見た、身なりの良い少年……幼き日のギルフォードは、馬車から飛び降り、急いで少年の元へと行き、彼の背中を起こした。


『大丈夫か、君! おい、お前! 何をやっているんだ!』


『あぁん? 何だ、お前は? 貴族のガキかぁ?』


『何故、彼を蹴った! 彼に謝れ!』


 睨み付けるギルフォードに対して、男は怒りの形相を浮かべる。


『正義ぶってるんじゃねぇぞ? 税金で暮らしている苦労を知らないガキが。お前らは誰のおかげでそんな良い服を着ていられると――――』


『そこまでにするんだ』


 ギルフォードの乗っていた馬車から降りて来たのは……子供とは思えない強面の顔の、黒髪の少年だった。


 その姿を見た瞬間、男は、怯えた顔をする。


『お、お前は……バルトシュタイン家の悪魔……! 子供ながらにして逆らう領地の民を惨殺したという、歴代最悪と呼ばれた、鮮血の貴公子ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン……!』


『いや、領地の民を惨殺したことなど一度も――――』


『ひぃぃぃ!! 腸を抉られて、醤油を付けられて食べられる……! 肝醤油にされるぅぅぅぅぅぅ!!』


 去って行く男の背中を見つめて、ヴィンセントはため息を吐く。


『まったく。何故、俺は、こんなにも他人に畏怖されるのだろうな。勝手な憶測もされるし……ほとほと、疲れ果てるものだ』


『ヴィンセントは、10歳にしては老け顔だからな』


『誰が老け顔だ。それよりも、ギルフォード。彼は……』


『あぁ……かなり衰弱していて、もう、残りの寿命は少なそうだ……』


 そう口にして、ギルフォードはギュッと、少年を抱きしめる。


 その悲しそうな顔を、ヴィンセントがジッと見つめていた、その時。


 バルトシュタイン家の馬車の中から、一人のメイドが降りて来た。


『ヴィンセント様。いったいどうなされて……って、ひぃ!? そ、それ、スラムの子供ですか!? 何で、奈落の掃き溜めの住人が、市街地に!? 汚らしい!! ギルフォード様、早く離れてください! 病気がうつりますよ!!』


『何を言っている! 僕は、彼を……!」


『ギルフォード。これが、当然の反応という奴だ。この国において、奈落の掃き溜めの住民は、いない(・・・)こととされている。人間扱いされていないのだ』


『……ヴィンセント。僕は……この子をきちんと看取って、埋葬してあげたい。誰にも見向きもされず、ただ一人で死んでいくなんて……あんまりじゃないか。僕は、彼の命の終わりに、向き合ってあげたい』


『…………そうだな。おい、使用人。彼も一緒に馬車に乗せるぞ。構わないな?』


『ひぃぃぃぃ!? 正気ですか、ヴィンセント坊ちゃん!? 栄えあるバルトシュタイン家の馬車に、その奈落の掃き溜めの孤児を乗せると!?』


『俺の意見に異を挟む気か?』


 ヴィンセントがジロリと睨む(睨んだつもりは無い)と、バルトシュタイン家のメイドは、怯えた顔をして、しぶしぶと頷く。


『わ、分かりましたよ……』


『良し。ギルフォード、彼は何処に埋葬する?』


『オフィアーヌ家の庭園に、埋葬するよ。きっと、父上と母上も理解してくれるはずだ』


『分かった。使用人、オフィアーヌの屋敷へと向かうよう、御者に伝えよ。良いな?』


『は、はひぃ……』





 オフィアーヌの屋敷へと辿り着くと同時に、スラムの少年は息絶えた。


 ギルフォードは彼を庭園の端にある木の下に埋めて埋葬すると、簡素な墓石を立て、その前で手を合わせて冥福を祈った。


 そして彼は立ち上がると、背後に立つヴィンセントへと声を掛ける。


『ヴィンセント。僕は……この国を変えたい。既得権益が得をし、排斥される者は野垂れ死ぬ、そんな世界を破壊したい。そもそも、貴族制というものが間違っているんだ。皆、人間に産まれた以上、血筋に関係なく、身分の差など気にせず自由に生きるべきだ。それぞれが持っている才能を活かした職業に就き、民主制において、国の法廷を決める……僕は、そんな国を作りたい』


『それが……お前の夢か、ギルフォード』


『あぁ。ヴィンセント。僕と共に……この夢を追ってはくれないか? 僕は、君と一緒なら、この国を変えられる気がするんだ。僕の親友である、君となら』


 ヴィンセントはニコリと笑みを浮かべると、ギルフォードへと手を伸ばす。


『良いだろう。大人になったら、共に、この腐った世界を変えよう、ギルフォード』


『あぁ……! ありがとう、ヴィンセント……!』


 握手を交わす二人。


 そんな二人の元に、ある少女が駆け寄って来た。


『ギルくーん! お兄様ー! オフィアーヌの御屋敷に行っていると聞いたので、私も来ましたよー!』


『オリヴィア……!』

『まったく、あの愚かな妹は……っと! 待て! オリヴィア!』


 幼いオリヴィアは、ギルフォードとヴィンセントへと手を伸ばし、抱きしめ、押し倒した。


 草原に倒れる三人。


 ギルフォードとヴィンセントは、オリヴィアの腕力に死にそうな表情を浮かべていて、オリヴィアは満面の笑みを浮かべながら二人を抱きしめる。


 いつの日かの、幼い三人の記憶。


 そんな三人を、屋敷前のベンチに座っているオフィアーヌ家第二夫人アリサは、大きくなったお腹を撫でて……優しげな瞳で見つめていた。


 いつか、この三人に加え、ギルフォードの下の兄弟も幼馴染となる。


 そんな日を、ここにいる三人は、ずっと楽しみにしていた。


 だが――――――。




 回想を終え、ヴィンセントは目を開くと、ギルフォードを睨み付ける。


 目の前にいる仮面の剣士は、幼き日に約束した、あの優しい少年の面影は一切無い。


 ただ、その目に宿るのは、怒りと憎悪だけ。


 変わり果ててしまった幼馴染の姿に、ヴィンセントは、苦悶の表情を浮かべる。


「本当に、忘れてしまったのか……! あの日の約束を! 俺だけが、あの約束を追っているというのか!! 答えろ――――ギルフォード!!!!」


「え……?」


 ヴィンセントのその声に、背後に居たオリヴィアは、動揺した声を漏らす。


 仮面の剣士はフンと鼻を鳴らすと、仮面を外し、放り投げた。


「バレているというのなら、こんなものはもう、いらないな」


 白日の元に晒された素顔。


 そこにあったのは、目元を覆った大きな火傷の痕と、憎悪の宿る青い瞳。


 その姿を見て、オリヴィアは口元に手を当て、怯えた声を上げる。


「そ……そんな……! ギルくん? ギルくん、なの……!?」


「その名はとうに捨てた。我は復讐の騎士、ノワール。バルトシュタイン家の悪鬼どもを誅し、聖王家を皆殺しにし、この国を変える男だ」


 その変わり果てた姿に……オリヴィアは地面に膝を落とし、肩を震わせるのだった。

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