第8章 二学期 第259話 特別任務ー㉓ 掌握する心臓
「このジャストラムさんは、貴方のお母さんなるかもしれなかった人。おいでー、リトリシアちゃん。お母さんですよー」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?!?!?」
私は思わず、頭に怒りマークを浮かべ……今まで生きていてこれ以上ないくらい、ブチギレてしまった。
そして私は憤怒の表情のまま、ジャストラムに、指を突き付ける。
「何が、お母さんですか!! 貴方は、お父さんのお葬式に一度も顔を出さなかった癖に!! 貴方は……お父さんの昔からのお友達だったのでしょう!? それなのに、何故、お父さんに長年ずっと顔を見せなかったのですか!! 何十年も人里に降りてこなかったと聞いていたのに、今更、何で……私の前に姿を現したのですかっ!! 答えなさい!! 【剣神】ジャストラム・グリムガルド!!」
私の怒りの言葉に、ジャストラムは両手を下げると、目を逸らし、口を開く。
「……私の顔を見ると、アーノイックは、辛そうな表情を浮かべていたから」
「え?」
「アーノイックは、私の父アレスを……死なせてしまったことをずっと悔やんでいた。私は、父の選んだ道なのだから、アーノイックが気を病む必要はないと言った。でも……私が傍にいても、彼の胸の奥にある罪悪感は増すばかりだった。だから、ジャストラムさんは姿を消した。ジャストラムさんは、アーノイックの苦しむ顔を見たくなかったから」
「……」
「でも、ハインラインが、貴方と出会ってアーノイックが変わったと言っていた。前よりも笑うようになったと。私は、彼が幸せならそれで良かった。リトリシア、私は、貴方にずっと会いたかった。これは本当。ありがとう。アーノイックを……看取ってくれて」
確かお父さんは、『奈落の掃き溜め』で私と出会う前、あそこで自殺しようとしていたと言っていた。
自殺を思いとどまったのは、私に出会ったおかげだと……そうも言っていた。
アレス・グリムガルド。お父さんとハインライン殿の師であり、先々代剣聖だった人。
きっとお父さんにとって、彼の死は、自殺を考える程に辛い出来事だったのだろう。
「……申し訳ありませんが、私は、どんな事情があろうとも貴方を許すことはできません。貴方がどんなにお父さんのことを想っていたとしても、お父さんは最後にもう一度、旧友であった貴方に会いたかったはず。最強の剣聖としてこの国のために働いてきた人の火葬に集まったのが、私とハインライン殿だけだったんですよ? その時……私がどんな気持ちだったか、貴方に分かりますか!?」
「……ごめん。報せを受けたのが、大分後になったから……」
「はっきり言いましょう! 私は貴方が大嫌いです、ジャストラム・グリムガルド! 貴方が私の父のことを語るのすら、私は許せない」
分かっている。これは、単なる八つ当たりだ。
剣聖として職務を全うするのなら、ジャストラムに当たることなどせずに、早く民を救いに別の場所へと赴くべきだ。
『……すぐに感情を露わにするところが、お前の悪いところだぜ、リティ』
生前のお父さんの言葉が、胸の中に響く。
冷静になれ。冷静になれ。今、この人に怒りをぶつけている場合じゃない。
私が胸に手を当て深呼吸していると、ジャストラムの背後から、大きな斧を持った亜人の少女……龍人族が姿を現した。
「……師匠。こっちで攫われそうになってた人は、助けました」
「君、ベルゼブブを倒せるんだ。すごいね」
「……倒せてはいません。かなり外皮が固く、腕を一本切断するだけで精一杯でした。師匠」
「そっか。あと、ジャストラムさんはまだ君を弟子にするとは決めてない。勝手に師匠って呼ばないで欲しい。ジャストラムさんは、非情に困っている」
「……ハインラインさんが、ジャストラムさんは押しに弱いと言っていましたので……」
「まったく、あのムッツリスケベ。どうして君がそこまでグリムガルドの名にこだわっているのかは知らないけど、ジャストラムさんは今まで一度も弟子を取ったことがない。その理由は、ジャストラムさんは自分が師には向かないって理解しているから。メリア、君には才能がある。ジャストラムさんみたいな変な奴よりも、他の師を探した方が絶対に良い。ハインラインとかおすすめ。君と同じ剛剣型だし」
「……嫌です。私は貴方に剣を教わりたいんです。グリムガルドの名を持つ、貴方に」
「ぐぬぬ。剛剣型は変に頑固な人が多いから、困る。リトリシア、君にこの子、あげる。この子、一応、【剣聖】を目指しているみたい。だから、弟子に――――」
「先に行きます! 私は【剣聖】として、民を守らなければならないので!」
私はそう言って、街の中を走って行った。
そんな私の背中に向けて、ジャストラムが小さく呟く。
「……うーん。【剣聖】として、か。アーノイックやアレスとはちょっと……構えた方が違うね。というか……あんまり【剣聖】っぽくないかな、あの子」
その言葉は……アーノイック・ブルシュトロームを目指し続けていた私にとって、チクリと、胸の奥に刺さった。
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《ロザレナ 視点》
「ロザレナさん!」
地上を目指して地下水路を進んでいた……その時だった。
前方から、複数名の教師と聖騎士団が、姿を現した。
ルグニャータ先生はこちらに駆け寄ると、あたしとルナティエの肩をポンと叩いてくる。
「無事で良かったよ~! 他の生徒たちはもうみんな避難しているよ! さっき、エリニュスさんとプリシラさんを保護したから、後は君たち級長だけニャ!」
「ルグニャータ先生……!」
先生たちに会うことができ、あたしたちは、思わずホッと安堵の息を吐く。
「騎士団の皆さんは、奥へと先行してください。生徒たちは、僕たちが保護をします」
そう言ってブルーノ先生は聖騎士たちに命じると、こちらに近寄って来る。
そして、キョロキョロと辺りを見渡し……口を開いた。
「ロザレナさん。君のメイドのアネットさんは何処にいる?」
「え? あ、えっと、アネットは……」
あたしが言いよどむ素振りを見せると、ルナティエがコホンと咳払いをして、代わりに口を開いた。
「アネットさんは、今日の朝、わたくしたちと別れて、地上へと向かいましたわ。彼女は戦闘能力を持たない一般のメイド。傍にいたところでこれからの戦闘の邪魔になるのは必至。ですから食料だけを渡して、先に安全なルートで離脱させたんですの」
「救助に出る前に地上に戻った生徒たちを点呼して確認したが、彼女の姿はなかった。彼女はまだ、この地下水路にいるはずだ」
「あら、そうなんですの? でも、彼女、影が薄いですから、単に気付かれていなかっただけの可能性もあると思いますわ。ねぇ、ロザレナさん?」
「う、うん。そう、そうね。アネットは、影が薄いものね」
あたしのその言葉に、ブルーノ先生は訝し気に目を細める。
そしてルナティエへと視線を向けると、再び、開口した。
「……ルナティエ・アルトリウス・フランシア。僕は、アネットさんを助け出さなければならない理由がある。君を信じても良いのかな?」
「? 助け出さなければならない理由? それはいったい、どういう……?」
ルナティエが疑問の言葉を返すと、ブルーノ先生は何も答えず。
そのまま彼は踵を返し、ジークハルトの傍に近寄り、彼が背負っているシュゼットを見つめた。
「情けないな。まさかお前が魔力を失って気絶するとはな、シュゼット」
そう言って眉間に皺を寄せた後、ブルーノ先生は大きくため息を吐き、顔を横に振る。
「ジークハルト王子。彼女は僕が背負って地上へと連れて行きます。一応、僕は、その女の……身内ですから」
「はぁ、分かりました。それと、ブルーノ先生、私に敬語は不要です。私はこの学園の中では王子ではなく、単なる生徒にすぎません。規律に則り、特別視はしないでいただけると助かります」
「……分かった。今後はそのように対応しよう」
そう言ってジークハルトからシュゼットを受け取ったブルーノ先生は、彼女を背負うと、先導するように前を歩いて行く。
「ついて来い。僕が、君たち生徒を護衛し、地上へと案内する」
「……離しなさい……ブルーノ……!」
その時だった。ちょうどシュゼットが目を覚まし、ブルーノを睨み付けた。
ブルーノは歩みを進めながら、そんな彼女に声を掛ける。
「黙っていろ。僕もお前など助けたくはない。だが、お前の妹のコレットには恩がある。僕は、彼女の意思に背くことはしたくない」
「分家の血が混じるアレは、私の妹などではない……! 私の妹は、たった一人だけ……! 分家の愚物が、私に触れるなッッ!」
シュゼットはブルーノの背から飛び降りると、地面を這う。
「私が、あの子を助けに行かねば……! あの子を失ったら、私は、今度こそ一人に……!」
地面を這うシュゼットを見て、ブルーノは無表情のまま、声を掛ける。
「シュゼット。地下水路の奥には、既に聖騎士団が向かって行った。もし万が一、アネット・イークウェスが取り残されていたとしても、彼らが救出してくれるはずだ」
「その名を軽々しく呼ぶな! 私はお前たち分家の人間を許す気などない! 必ず、屋敷から追い出してやる! あの屋敷に住んで良いのは……先代オフィアーヌの血を引いている者だけ!!」
その言葉にふぅとため息を吐くと、ブルーノはシュゼットの腕を掴み、無理やり彼女を背負った。
シュゼットはもう殆ど力が残っていないのか、成すがままだった。
「離せ! 私に触れるな、ブルーノ!」
「……お前をそんな風にしてしまったのは、確かに、僕たち分家の責任なのだろう。だが、シュゼット。もう、そろそろ僕たちも変わる時だ。でないと……アンリエッタに良いように利用されるだけだ」
「私がお前たちと手を組むことなど、絶対に、ない!!!!」
シュゼットは怒鳴り声を上げているが、ブルーノは気にせず、道の奥へと進んで行く。
あたしはそんな二人の姿を見て、思わず、首を傾げた。
「何で、あの二人は、アネットのことを気にしていたの?」
わけが分からず困惑していると、隣に立っていたルナティエが、神妙な様子で呟いた。
「まさか……師匠の出生が、既にあの二人に……!? だとしたら……!」
「? ルナティエ?」
「い、いえ……何でもありませんわ。さっさと行きますわよ、ロザレナさん」
そうして私たち各クラスの級長と副級長+ジークハルトとジェシカは、教師たちに先導され、道の奥へと進んで行った。
ずっとルナティエが思案げな表情を浮かべていたけど……どうしたんだろ?
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《アネット 視点》
ベルゼブブ・クイーンは右手のひらのひとつを、空中へと浮かせる。
その手には、紫色の靄が、漂っていた。
「――――【掌握する心臓】」
その瞬間。俺の心臓が大きくドクンと、妖しく脈を打つ。
背筋に悪寒が走る。これはやばいと、直観する。
まるで、胸の上を、細長い女性の手が這うような感触を覚える。
スルリスルリと這う手。
その手は、俺の心臓の位置を捉えると、鋭利な爪を立て、肉を抉ってくる。
血が噴き出す。心臓を握るために、手は、肉を抉り続ける。
そんな幻覚を、見てしまう。
ふと視線を前に向けると、ベルゼブブ・クイーンの手のひらの中に……何かが形成されつつあった。
俺はその光景を見た瞬間、箒丸を横薙ぎに放った。
「――――【覇王剣・零】!」
俺の剣は、全てを消滅させる剣技。
ならば……即死魔法の効果をも、打ち消せるはず……!
見えない斬撃は飛んでいき、ベルゼブブ・クイーンの片腕を消し飛ばした。
その瞬間、ベルゼブブ・クイーンは、甲高い悲鳴を上げる。
「キィャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!」
女性の金切り声が、辺りに響き渡る。
腕を切り飛ばしたのと同時に、悪寒は消え去った。
今のは……恐らくフランエッテが言っていた、即死魔法だったのだろう。
俺は叫び声を上げるベルゼブブ・クイーンを視界に捉えた後、腕で額の汗を拭った。
「ふぅ。危なかったですね。危うく死ぬところでした」
「アネット、お主……今、何をしたのじゃ!?」
脇に抱えていたフランエッテが、驚きの声を上げる。
続けて彼女は、口を開いた。
「門番を倒した時もそうじゃったが、その剣技はいったい、何なんじゃ……? 箒を振った瞬間、即死魔法を発動しようとしていたベルゼブブ・クイーンの腕が消し飛んだのじゃが……いや、そもそも何で箒なんじゃ!? 意味が分からんぞ!?」
「恐らく即死魔法というのは、相手の因果を操る力なのでしょう。まぁ、私も詳しくは分かりませんが……私の知り合いのジャス……いえ、獣人族の少女が使用する能力に、似たようなものがありまして。過去、私の【覇王剣】が彼女の能力を無効化したことから、もしかしたらと思って発動してみましたが、どうやら賭けは当たったようですね。まぁ、失敗していたら死んでいたので、笑えませんが」
「【覇王剣】、じゃと……? 先代の剣聖の技を、お主は、使えるというのか……!?」
「アーノイック・ブルシュトロームの使用する【覇王剣】と比べて、威力は大分落ちていますけどね。ですが……即死魔法の効果も消滅させることが把握できました。これで、あの魔法は怖くありません」
自分で使っていて今更だが……この【覇王剣】という剣技は、いったい、何なのだろうか?
今まで俺は、この剣を、圧倒的な闘気を爆発させることで全てのものを吹き飛ばし、あらゆるものを消滅させる能力だと思っていた。
だが……今、俺は、即死魔法の効果すらも消し飛ばすことができた。
一見、ベルゼブブ・クイーンの腕を切断したから、即死魔法の発動が止まったのかと思ったが……違う。
その身に直接受けたから分かる。あれは、高位の呪い。先ほど喰らった即死魔法、【掌握する心臓】は、発動したら最後、心臓を抜き取られ、即死する魔法だったことが直感で分かった。
つまり、腕を切り飛ばしただけでは、即死は免れないということ。
過去、ベルゼブブ・クイーンと戦った剣神たちは一人も死んでいなかったが……恐らく、キュリエールの信仰系魔法で、即死を防いだのだと考えられる。
残念ながら、俺が使用できる信仰系魔法は、辺りを明るく照らすだけの生活雑貨魔法、【ホーリーライト】のみ。
現状、俺には【覇王剣】以外に、【掌握する心臓】を阻止する術がないということだ。
(これは……なかなかに厄介な敵だな。もし、【覇王剣】を放つタイミングをミスすれば、俺は、即死魔法で心臓を握りつぶされて即座に死ぬだろう。フランエッテと対話させるための時間稼ぎなんて、悠長なことはしてられないな。流石に俺も敵を舐めすぎていたか)
俺が思考を巡らせていると、ベルゼブブ・クイーンは一瞬で皮を脱いで脱皮し、腕を元通りに復活させた。
しかも、それだけじゃない。ベルゼブブ・クイーンは脱皮することによって、腕を六つに増やしていたのだった。
そして、咆哮を上げると、ベルゼブブ・クイーンはこちらに憎悪の目を向けてくる。
その光景を見て、俺は箒丸を肩に載せ、不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ? 今まではどうにも舐めた態度ばかりを取っていやがったが……どうやら、ようやくお前も本気になったみてぇだな、ベルゼブブ・クイーン」
俺がそう言って笑みを浮かべると、脇に抱えているフランエッテが、口を開く。
「ベルゼブブ・クイーンの能力の根本にあるのは、守り、耐性の獲得じゃ。今、あやつは脱皮することによって、お主の【覇王剣】への対策を講じた。腕を増やしたのは……腕を切断されても、問題ないようにしたのじゃろう」
「俺の【覇王剣】を超えるつもりで、進化したということか。悪くねぇ」
暴食の王の能力が最強の矛とすれば、ベルゼブブ・クイーンは最強の盾と言ったところか。
ベルゼブブ・クイーンは六本の手のひらの上に、即死魔法を発動させる。
俺はその光景を見て、箒丸を上段に構えた。




