第8章 二学期 第258話 特別任務ー㉒ ベルゼブブ・クイーン
俺の言葉に、パクパクと口を開けるフランエッテ。
その後、彼女は表情を引き締めると、俺に向けて声を張り上げる。
「お主、話を聞いておったのか!? そこの死神女の言う通り、ベルゼブブ・クイーンは単純な戦闘能力で踏破できる敵ではないのじゃ! 奴には、心臓を奪い取り、それを潰して相手を即死させるという反則級の闇属性魔法……【掌握する心臓】という力がある! それだけではない! あやつには複数人でなければ倒せない特殊な加護の力もあるのじゃ! 子リス、断言しよう! 絶対にお主じゃ奴を倒せない!! お主では、ただ、無駄死にするだけじゃ!!」
ゼェゼェと声を荒げるフランエッテ。
そして彼女は額の汗を拭うと、俺にビシッと指を差してくる。
「良いか! 年上として忠告させてもらうが、己の実力を過信するでない! 世の中には、あり得ないほどの能力を持っている存在もおるのじゃ! ベルゼブブ・クイーンの力は、繁殖し、耐性を持つ兵を産み出すだけではない! 本体もまた、破格の強さを持っておる! むしろ、今までの兵たちは副産物でしかないのじゃ! 災厄級の魔物とは、世界を滅ぼす力を持った魔物……災厄級を見たことがないからお主は舐めているのかもしれないが、奴らの力をけっして侮るでないぞ!」
災厄級を舐めている、か。
残念だが俺は、ここにいる誰よりも、災厄級の恐ろしさを知っているつもりだ。
「良いな! 妾はもう行く! お主らはさっさと逃げるが良い!」
そう叫び、フランエッテはガクガクと震える膝を殴り付けると、クイーンの部屋を守る二匹のベルゼブブの元へと走って行った。
その光景を見て、テンマさんは肩を竦める。
「あーあ、ありゃどう見ても死ぬね。念願のクイーンの元にも行けず、番兵にやられて即死亡、はい終わり。馬鹿丸出しすぎて逆に笑えね~。己の力を過信するよりも前に、自分に力が無いことが分かっていて突っ込むなよ。馬鹿でしょ。アホらし」
「……」
「で、どうすんの、メイド。あんたも流石にあれだけ言われたら、止まる? まっ、アタシはそっちの方が良いけど。あんたを殺すのはアタシの役目だし。キャハハハハ!」
俺は、ただ、走って行くフランエッテの背中をまっすぐと見つめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《フランエッテ 視点》
―――身体が、ガクガクと震える。
怖い。怖くて仕方がない。
当たり前だ。私は、六十年前のあの頃と、何も変わっていないのだから。
【剣王】の称号を戴いても私の中身はただの旅芸人。強者を演じるだけのペテン師。
あの時から―――私の中の時は未だに止まっている。
長い年月を生きてはきたが、私の精神は心臓を抜き取られた15歳のまま。
多分、エルルゥも同じ。あの子も、封印されたあの日から、時が止まったままなんだと思う。
エルルゥが私の心臓を奪い生かし続けているのは、きっと、私を待っているから。
私に、フランエッテに、怪物となった自分を止めて欲しいから。
そして……恐らく、私に先に死んで欲しくなかった思いもあったんじゃないかな。
森妖精族は長命の種族。当然、人族の方が先に逝く。
怪物となった時、エルルゥは自我が残っている間に、自分の願望を叶えたのではないだろうか。
だって……だって。あの日、彼女は、手を振り払った私を、簡単に殺せたはずなのだから。
ただでは殺さない、のではなく、あの子はきっと私を、殺すことができなかったんだ。
エルルゥの心は、まだ何処かにあるはず。封印されて解放されてすぐの今なら、まだ、怪物に心を完全に奪われていないはず。
「グルルルル……」
門番をしていた二匹のベルゼブブが向かって来る私に気付き、武器を構える。
その手には、巨大な斧が握られていた。
ガクガクと膝が震えるが、私は必死に自分を震い立たせ、傘から剣を抜き、駆け抜ける。
「妾は……妾は! フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 最強の吸血鬼にして、冥界の邪姫である!! 番兵どもよ!! お主らの女王に伝えよ!! 奪われた心臓を取り戻すために、このフランエッテが戻って来たと!!」
「アグルァァァァァァァァ!!!!」
番兵の一匹が前に出て、私に目掛け、斧を振るう。
その光景を見た瞬間、思わず「ヒィッ」とか細い悲鳴を漏らしてしまう。
私は、あの二人とは違う。戦闘能力など皆無に等しいただの少女。
小リスのように多種多様な剣技で敵を叩き伏せることはできず、死神女のように猛スピードで敵の動きを翻弄することもできない。
だけど……だけど!! ここは、退くわけにはいかない!! 退いてはいけない!!
この光景を見て、無謀だって笑う者もいるだろう!!
だけど、私は約束したんだ!! あの子に、エルルゥに、フランエッテ・フォン・ブラックアリアとして、この理不尽な世界を照らし続けると!!
脳裏に、エルルゥとの過去の一幕が蘇る。
『私、その……フランエッテ様に憧れているんです! フランエッテ様は強くて美しくて、いつも自信たっぷりで……私も、貴方様のようなカッコイイ魔法剣士になりたいです!! どうやったら、そんなにかっこいい女の子になれるんでしょうっ!!』
『私、一度で良いから、外の世界に出てみたかったんです。座敷牢に閉じ込められる前に、長老に相談して、期限付きで外に出ることを許可してもらいました。そんな時に……サーカスを見に行って、師匠と出会いました。師匠はすごかったです。キラキラと輝く舞台の上に立っていて、みんなの顔を笑顔にさせて。私も……貴方のような誰かを笑顔にできる人になりたかった。冥界の邪姫のように、常に傲慢で大胆不敵な少女になりたかった……』
『師匠。私がいなくなっても、ずっと、みんなに幸福をもたらす冥界の邪姫様でいてね。お願い……それだけで私は、暗い底にいても、笑顔でいることができるから……』
「フ……ハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
……笑え。笑え!
あの子が憧れた冥界の邪姫は、フランエッテは、どんな状況でも、どんな強者相手でも、常に傲慢で大胆不敵な少女だったはず!
こんな連中など、私の……いや、妾の相手ではない!!
妾の放つ古代魔法と剣を融合させた最強の魔法剣は、こんな連中など、一撃で吹き飛ばすことができるのじゃ……!
アーノイック・ブルシュトロームの【覇王剣】と同等の威力を放つことができるはずなんじゃ!! それが、妾の目指す、真のフランエッテの姿なのじゃから!!
「――――我が絶技に頭を垂れよ、ひれ伏せ、愚物ども!! 【次元斬】!!」
剣を真横に一閃に放つ。
しかし……当然、何も起こらない。
斧は、ゆっくりと、私の頭蓋を叩き潰そうと落ちてくる。
(エルルゥにも会えず、こんなところで終わるのか……)
後頭部にあとわずか数センチで斧が届くといったところで……何故か、ベルゼブブの動きが止まる。
私はその様子に、チラリと、ベルゼブブに視線を向けてみる。
ベルゼブブは何故か、身体をプルプルと震わせ、動きを止めていた。
「え……?」
「――――――――――――【覇王剣・零】!!」
その瞬間、ベルゼブブの上半身が消し飛び、私の頬にピシャリと、緑色の血液が付着する。
下半身だけとなったベルゼブブは、そのまま、バタリと倒れていった。
その光景に目を見開いて動揺していると……背後から、声を掛けられる。
「……フランエッテさん。災厄級を侮るなという貴方の言葉は、正しいと思います。ですが……私がいつ、貴方に実力の全てをお見せしましたか? 私の真の実力も知らないで、勝手にこちらの力を判断しないで欲しいものです」
「……え? 子、子リス……?」
振り返る。するとそこには、案の定、箒を持ったメイドの姿があった。
だが、そのメイドの姿は、今まで見てきたものとは何処か異なっているように感じられた。
小柄なメイドだというのに、その背中には……肩に剣を当てて不敵に笑みを浮かべる、偉丈夫の大男の影があるように感じられた。
「フランエッテ・フォン・ブラックアリア。貴方の覚悟、見させていただきました。今まで貴方を単なるお調子者の少女だと思っていましたが……訂正します。貴方の精神は、まごうことなき一端の剣士。自分の命を投げうってまで友を止めたいと思うその気持ちに、敬意を表します。剣士として、その覚悟を褒め称えましょう」
何故か、ブワッと、瞳から涙があふれ出る。
今まで私は、一人でこの想いを背負い、生きてきた。
私が本当に力を持っている冥界の邪姫フランエッテだったのなら、あの時、エルルゥを聖騎士団の手から助け出せたはずだ。
だけど私に力が無いせいで、エルルゥは攫われ、拷問に遭い、結果、彼女は闇の意思に飲み込まれてしまった。
エルルゥは、絶望したんだ。この世界に、誰も、自分を救ってくれる存在がいないことに。
私もこの六十年で、彼女の気持ちを理解することができた。
誰にも、この痛みを、共有し、預けることができなかった。
ボロボロと涙を流す私に、アネットは肩に箒を当てると、不敵な笑みを浮かべる。
あぁ――――私は、こういう剣士に、憧れを抱いていたんだ。
どんな絶望的な状況でも、不敵に笑みを浮かべて、弱者を救い上げる。
本物の、英雄に……。
「――――もう強がる必要なんてない。お前の願いを言え、フランエッテ。この俺が、お前の願いを叶えてやる。いや、俺だからこそ、お前の願いを叶えてやれる。お前の言葉で、願いを口にするんだ。二度はない。ここでお前が再び俺を突っぱねるのなら、俺はそれに従おう。決めるのは……お前自身だ」
「決めるのは……私……」
私の願い。そんなことは、最初から、決まっている。
「助けて……エルルゥを助けて!! お願い!!」
「あぁ、分かった。俺に任せろ」
そう言って、アネットは、私の前を歩いて行った。
「グルギャァァァァァァァァァァァァァ!!」
残った一匹の番兵が、アネットに向かって襲い掛かる。
アネットは冷徹な表情で、一言、言葉を掛けた。
「……虫ケラが。俺の道は何人たりとも、塞ぐことはできない」
箒が真横に振られる。その瞬間、まるで埃を払うかのように――――ベルゼブブの身体が消し飛んで行った。
その技は、私が脳内で描いていた、圧倒的な強さを持つフランエッテの能力そのもの。
彼女の本当の実力に唖然としていた私は、すぐにハッとすると、涙を拭い、立ち上がる。
そして、覚悟を決めた表情を浮かべ、そのままアネットの後をついていった。
「お……おいおいおい! マジかよ!? 本気なのか、メイド!?」
後ろから、死神女……キフォステンマの声が聞こえてくる。
「アタシは行かねーぞ!! アタシは元々、正義の英雄様でも何でもない!! アタシはただ殺しが好きなだけの殺人鬼だ!! お前たちの剣士としての覚悟だの魂だの、知ったこっちゃない!! お前たちの自殺に、付き合ってやる義理はない!!」
キフォステンマのその言葉を無視して、アネットは進んで行く。
そんな彼女の背中に、キフォステンマは続けて声を張り上げる。
「ば、馬鹿じゃないのか!? どうかしているぞ!! 相手は、今の剣聖よりも強いとされる歴代最強と言われた剣神4人が戦っても尚、倒せなかった相手だ!! 確かにお前は強いが、それでも……ベルゼブブだけは、絶対に無理だ!!」
「……けっして、この世に無理なんてことはないですよ、テンマさん」
「はぁ!?」
「私は、本当の剣士とは、勝てない相手だと分かっても尚挑み続ける者のことだと思っています。人はそれを無謀と呼ぶのかもしれませんが……相手を見誤り敵に挑むのと、覚悟を持って敵に挑むのとは、全然違います。私とフランエッテさんは、覚悟を持ってここにいる。これは、命などではない。自身の矜持を賭けた戦いです」
「きょ、矜持だと……!? そんなもののために、命を張るっていうのか!?」
「はい。矜持とは、時に命よりも重いもの。けっして避けることのできない戦いが、剣士にはあるのです」
そう口にした後、アネットはそのまま、クイーンの部屋の中へと消えて行った。
私も続いて、暗闇が続く穴を睨み、部屋の中へと入る。
すると、その間際。死神女の叫び声が聞こえてきた。
「アタシは絶対に行かないぞ!! 勝手に死んじまえ、馬鹿どもが!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《アネット 視点》
暗闇が続く穴の中を走って行くと……あるフロアに辿り着く。
フロアの端には、紫色の炎が揺らめく蝋燭が等間隔に置かれており、中央にある巨大な石の玉座には……頬杖を突き、こちらを嘲笑うように見下ろしている、10メートルはありそうな巨大なベルゼブブの姿があった。
他のベルゼブブと異なるのは大きさだけではなく、クイーンには二本の腕はあるが、足となる部位が無かった。代わりに巨大な芋虫のような尾があり、それが玉座の上から垂れている。
昆虫らしい無機質な瞳でこちらを見つめる、ベルゼブブ・クイーン。
その瞳からは、こちらをまるで下等な動物でも見るかのような、見下している感情が透けて見えていた。
傲慢の悪魔、ベルゼブブ。名の通り、この怪物が他者を見下す、傲慢な性格をしていることが窺える。
「エルルゥ!! 妾は、再びお主の前に戻って来たぞ!!」
胸に手を当て、フランエッテはそう訴える。
そんな彼女に、ベルゼブブ・クイーンは何も答えない。ただ、小虫が何やら騒いでいると、つまらなそうに見下ろしている。
フランエッテはその姿にゴクリと唾を呑み込むと、剣を構える。
「妾は、冥界の邪姫、フランエッテ・フォン・ブラックアリア!! 今こそ!! 妾は、お主から奪われた心臓を取り戻し、止まっていた時を返してもらう!! 妾はもう……逃げない!! お主をここで倒すぞ!!」
フランエッテはそう叫ぶと、ベルゼブブ・クイーンの元へと向かって走って行く。
俺はそんな彼女に手を伸ばし、声を掛ける。
「フランエッテさん、待っ――――」
「ぐぬぅわ!?」
ベルゼブブが尾を振り、フランエッテは吹き飛ばされ……壁へと叩きつけられる。
壁に叩きつけられたフランエッテは、カハッと血を吐き出し、地面に横たわった。
見たところ、大きなダメージは負っていなさそうだ。
フランエッテは起き上がると、ボロボロの身体を無理矢理持ち上げ……再び、ベルゼブブ・クイーンに向けて、剣を構える。
「エルルゥ! 目を覚ませ! 妾じゃ!!」
ベルゼブブ・クイーンは何も答えず、再び、フランエッテに向けて尻尾を振る。
どうやら、あの怪物は、フランエッテを敢えて殺さずに遊んでいるようだ。
その嘲り笑うような表情から、そう、察することができた。
俺は箒丸を手に持ち、地面を駆け抜けると……フランエッテの前へと立つ。
そしてその尾による攻撃を、箒で止めてみせる。
「子リス!?」
「逸らないでください。見たところ、ベルゼブブ・クイーンは、フランエッテさんのことが分からない様子。今のアレは……人間を餌としか見ていない、ただの魔物です。アレとは私が戦います。その間、フランエッテさんは、ベルゼブブ・クイーンに呼びかけ続けてください。ただ、相手は災厄級の魔物。万が一の時は……分かっていますね?」
俺のその言葉に、フランエッテは一瞬逡巡した様子を見せた後、覚悟を決めた表情をして頷き、開口した。
「……あぁ! 分かっておる! 相手は超常の魔物! 本気で戦ってくれて構わぬ! 妾も……あの姿を見て、もう、理解しておるのじゃ。エルルゥの心は、殆ど無くなっているということに。じゃから……あやつを解放してやってくれ、子リス! いや……アネット・イークウェス!」
俺はその言葉に頷くと、箒丸に闘気を纏い……ベルゼブブ・クイーンの尾を弾き飛ばした。
その瞬間、ベルゼブブ・クイーンの嘲笑の笑みが消え、俺に、驚いた表情を見せてくる。
俺はそんなベルゼブブ・クイーンの前に立つと、箒丸を肩に載せ、クイクイと挑発するように手を招いた。
「――――よう。女王様。悪いが……俺はお前が今まで戦ってきた連中とは少し違うぜ? 出し惜しみはするな。俺を殺せるかどうか、存分に試してみろ、虫ケラ」
ベルゼブブ・クイーンが、咆哮を上げる。
そしてベルゼブブ・クイーンは尾を足代わりにして立ち上がると……両手を広げ、俺に憎悪の目を向けてきた。
やはり、暴食の王と同じく、こちらの言葉は伝わるようだな。
今まで出会ってきたベルゼブブたちは魔物らしく、人間とは意思疎通が取れない様子だったが……元人間である災厄級は、人の言葉を理解できるようだ。
ベルゼブブ・クイーンは、四つの手のひらに、魔法を発動させる。
それは――――紅い炎だった。
その炎は、身体に纏った闇属性魔法と同化すると、漆黒の炎へと変わっていく。
その光景を見て、フランエッテは、驚きの声を上げた。
「あ、れは……もしかして……?」
「――――【ダークフレイムインフェルノ】」
そう、ベルゼブブ・クイーンが、見た目とは裏腹の幼い声で詠唱を唱えた瞬間。
ベルゼブブ・クイーンは四つの手を中央に集め、四つの漆黒の炎を融合させた。
ゴウゴウと音を立てて、四つの手のひらの上に、巨大な炎が舞う。
見ただけでも分かる。あれは、やばい。とてつもない魔力が宿っている。
そして……ベルゼブブ・クイーンは、その巨大な漆黒の獄炎を、俺に向かって飛ばしてきた。
(闇属性魔法と合体させた、炎熱属性魔法。暴食の王も、ジェネディクトから奪った雷属性魔法で同じようなことをやってみせていたが……この威力は……!)
俺は生前を併せて今まで、ここまでの力を持った魔法を見たことが無かった。
恐らくあの魔法は、特一級以上……いや、失われた古代魔法と言われる超常の力と同レベルのものだろう。特一級魔法も古代魔法を見たことがないから、定かではないが。
とにかく。見た感じ、あの魔法の威力は、山などを一瞬で破壊できる力があるのではないかと察せられる。
しかも、闇属性の効果もあり、触れればその瞬間、対象の闘気と魔力は奪われていくときた。
逃げないと……まずい。
俺は咄嗟にフランエッテの元へと向かうと、彼女を脇に抱え、【瞬間脚】を発動させ……姿を掻き消し、その場を退避した。
すると、次の瞬間。先ほどまで俺とフランエッテが立っていた場所に、ゴォォォォォと爆音が鳴り響き――――――――巨大な炎の柱が産まれ、天井に穴を穿った。
俺は玉座の裏に着地すると、その光景を見て、眉間に皺を寄せる。
「なるほど……ベルゼブブ・クイーンは、魔法を得意とするタイプですか。それも、私が今まで見て来た魔術師の中で、一番、強大な魔法を使用しているようです。どちらかというと戦士タイプだった暴食の王とは異なった力を持っているみたいですね」
「あれは……あの魔法は……!」
ガクガクと腕の中で震いているフランエッテ。
俺はそんな彼女に、首を傾げ、声を掛ける。
「どうしたんですか、フランエッテさん?」
「今の【ダークフレイムインフェルノ】という魔法は、妾が昔、書物で知った古代魔法の名を、手品を披露する時に呼んでいた……エセ魔法の名じゃ。語呂がかっこいいからと使っておったのじゃが、まさか、エルルゥがアレを本当に使えるようになっておるとは……!」
【ダークフレイムインフェルノ】。確かに、何処かで聞いたような気がするなと思っていたが……確か、フランエッテが何か中二病的な発言をする時に、度々口にしていたような気がする。
つまり、ベルゼブブ・クイーン、いや、エルルゥは、生前の記憶を頼りに、あの魔法を発現させた……ということなのだろうか?
「通常、炎熱属性特一級魔法【インフェルノ】を両手に発動させ、それを合わせて融合させることで、古代魔法【フレイムインフェルノ】となる。それに、闇属性魔法を融合させることで、【ダークフレイムインフェルノ】となるようじゃ。じゃが、人間の手のひらは二つ。エルルゥはそれを四つの手によって融合させ、発動してみせた。最早……今のアレは、古代魔法以上の威力を持っている代物といえるじゃろう」
俺は魔法を詳しく知らないので、解説してくれるのはありがたいな。
確かに、彼女の言う通りだ。
今の魔法……もし直撃していたら、流石の俺でも、大きなダメージは免れなかっただろう。
見たところ、戦闘兵種並の闘気も持っている。
恐らく、耐性を得た全てのベルゼブブの力を持っていると見て良さそうだ。
物理無効がある相手。俺の剣技は、【覇王剣】以外通用しないと見て良い。
「……まぁ、全力の【覇王剣】を相手に叩き込むことができれば、全て消し飛ばすことは可能だと思いますが……」
俺はチラリと、脇に抱えているフランエッテに視線を向ける。
果たして、フランエッテと対話をさせずに、このままエルルゥを消し去っても良いものか。
いや、相手は災厄級。そんなことで悩んでいる暇は――――。
「アネット! 来るぞ!」
フランエッテのその言葉に、俺は、ベルゼブブ・クイーンに顔を向ける。
するとベルゼブブ・クイーンは右手のひらのひとつを、空中へと浮かせていた。
「――――【掌握する心臓】」
その瞬間。俺の心臓が大きくドクンと、妖しく脈を打った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁはぁ……キリがないのぅ。年寄りにはちと疲れるわい。もう少し若ければ、ワシもこんなに体力が少なくはなかったんじゃがのう」
ハインラインは額を片腕で拭い、民家の屋根の上で、空中を飛ぶベルゼブブたちを睨み付ける。
そんな彼に、民家の下にいるアレフレッドが、声を掛けた。
「お爺様! 民たちの避難を終わらせました! それと、剣聖様と剣神様を呼びに行きましたが、ヴィンセント様だけは、どこにもおらず……! 見つけることができませんでした……!」
「ヴィンセントか。奴の能力であれば、この大勢いるベルゼブブを一掃できると思ったのじゃがのぅ……まぁ、良い。リトリシアとジェネディクトには、助力を乞うたのじゃな?」
「はい! リトリシア様は中央広場を! ジェネディクト様は商店街通りの方へと行きました! それと、偶然、ルティカ様をお見掛けしましたが……災厄級という名を聞いた瞬間、何処かへ行ってしまわれました……!」
「あの馬鹿娘、まだ、暴食の王の時のことをひきずっているのか! 流石に、人手が足りなさすぎるわい! ワシら3人で、この大量にいる化け物をどうやって対処すべきか……!」
その時だった。ハインラインの背後に、一体のベルゼブブが迫って来た。
その光景を見て、アレフレッドは声を張り上げる。
「お爺様!」
「分かっておる! くそっ、まさかこのワシが、疲労で不意打ちにすら気付かんとはな! 仕方ない! 技を解放する――――【閃光剣】!」
片手で抜刀の構えを取って、剣閃を飛ばすハインライン。
だが……【閃光剣】を受けたベルゼブブは、無傷だった。
その姿に、ハインラインは、驚きの表情を浮かべる。
「なんじゃと!? ワシの記憶上、奴らは【閃光剣】の耐性を持っていなかったはずじゃが……!? リトリシアの技から耐性を得たのか!? いや、それにしては耐性持ちが産まれるのが早すぎる! 他の誰かが、【閃光剣】を使ったのか!? あの技は、アレス師匠の門下生しか会得していないはずじゃが!?」
「キシャァァァァァァァァァッッ!!」
ベルゼブブは爪を振るう。ハインラインは剣を横にしてそれを防いでみせた。
そして彼は、バク転をして屋根の下へと降り、アレフレッドの隣へと着地する。
「チッ……! どうなっておるんじゃ、これは……!」
ハインラインは眉間に皺を寄せると、再度、開口する。
「こうなっては……リトリシアが……やばいのう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《リトリシア 視点》
「何なのですか……この魔物たちは……!」
私、リトリシアは、目の前にいる大量の蠅の魔物を睨み付け、ギリッと歯を噛み締める。
剣王アレフレッドに呼ばれて王都に出てみれば、街の中が地獄絵図となっていた。
人々は魔物に捕まり、上空へと連れ去られ、その光景を見た民は逃げ惑い、阿鼻叫喚の悲鳴を上げる。
まるで、悪魔の王が王都に襲撃したような光景。
いや、違う。この感じ……私は、覚えがある。
この、常識の埒外にある状況は……暴食の王の時と同じもの。
きっと、災厄級の魔物が、この街に出現したんだ。
「お父さん……いえ、師匠が若い頃に討伐したとされる災厄級の魔物、黒炎龍は、フランシアから王都に向かって飛んで来たと聞いています。災厄級の魔物は、何故か、王都を目指して進軍すると言われている。もしかして、彼らは、別の場所で発生してこの場所に来たのですか……? それにしては、聖女殿の予言が間に合わなかったようですが……」
私が何かを考えていると、視界の奥で、蠅の魔物によって民が連れて行かれようとしていた。
私は意識を切り替えて、剣の柄に手を当てる。
「いえ、そんなことよりも、今は、民を助けなければ……!」
「グルギャァァァァァァァァァァァァァ!!」
手前にいた蠅が、襲い掛かってくる。
私は剣を腰の鞘に納め、抜刀の構えを取った。
「―――――――――――【閃光剣】!」
神速の抜刀剣。黄色い剣閃は飛んでいき、怪物の身体を横一文字に切り裂いた。
だが……。
「アグルァァァァァァァァ!!」
ベルゼブブは、無傷だった。
その光景を見て、私は思わず「は?」と動揺の声を溢してしまう。
そして、次の瞬間、蠅の魔物の振った手が頬に当たり、私は吹き飛ばされ……民家の壁に叩きつけられた。
壁を突き破り、民家の中へと入った私は、ケホケホと咳をする。
闘気を纏ってガードしたため、大したダメージは入っていないが……それよりもまず、私の頭の中は、先ほどの事象にひどく混乱していた。
「何で……何で、私の【閃光剣】が効いていないの……!? いったい相手は、どんな能力を持っているというの……!?」
「ギギャギャギャ!!!!」
こちらに追撃を加えようと、突進してくる蠅の魔物。
――――敗けるわけにはいかない。私は、剣聖。この王国の要。
お父さんの意思を継いだのだから、必ず、人々を救わなければ……!!
私は立ち上がると、腰の鞘に剣を納め、蠅の魔物に向かって走って行く。
「【閃光剣】!」
再び抜刀剣を放ってみるが、首に剣が当たっているというのに、蠅の魔物は無傷。
私はそのまま蠅の魔物に、腹を殴られてしまう。
「くっ……!」
私はお腹を押さえてひろめくと、後方へと下がる。
すると、大量の蠅たちが、トドメを刺そうとこちらに押し寄せてきた。
「何で……何で、私の剣は、こいつらに効かないの……!?」
理解のできない現象。まさか、この蠅たちは一体一体、暴食の王並の力を持っているのか……!? いや、それにしては、闘気の量が少なすぎる。
見たところ、せいぜい、剣神には及ばないレベルのもの。
だったら、何故――――。
「―――――肩の力、入れすぎ。技が効かないからといって、全ての攻撃が通用しないわけじゃない」
その時だった。
目の前に迫っていた3匹のベルゼブブが、サイコロステーキのように切り裂かれていった。
ボトボトと地面に落ちていく肉片に唖然としていると、その肉片の向こう側に、長い青色の髪の……一人の獣人族の女性が立っていた。
彼女は狼のような耳をピクリと動かすと、こちらに振り返り、声を掛けてくる。
「金髪の、森妖精族……もしかして君が……アーノイックの娘? リトリシア・ブルシュトローム、だっけ?」
「そう、ですが……貴方は? はっ! もしかして、貴方は、【剣神】ジャストラム・グリムガルド……!?」
「当たった。初めまして、リトリシア。私は……アーノイックの幼馴染」
知っている。彼女は、私が唯一、恐れていた人物だったから。
私は、この世の誰よりも、父のことを知っている人間でいたい。
それなのに、私よりも彼のことを知っている人間がいた。
許せない存在が一人いた。
それが、アーノイック・ブルシュトロームの幼馴染である、彼女。
幼い頃からお父さんと一緒に過ごし、姉弟弟子として育ち、お互いを高め合っていたという人物。
ハインライン殿の話では、昔からお父さんのことを好いていたという人物。
私が最も会いたくなかった人……それが、ジャストラム・グリムガルドだった。
ジャストラムは私の顔をジーッと見つめた後、何故か、両腕を広げる。
そして、抑揚のない口調で、言葉を放った。
「このジャストラムさんは、貴方のお母さんなるかもしれなかった人。おいでー、リトリシアちゃん。お母さんですよー」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?!?!?」
私は思わず、頭に怒りマークを浮かべ……今まで生きていてこれ以上ないくらい、ブチギレてしまった。
書籍4巻、本日発売です!
作品継続のために、どうか、ご購入の程、よろしくお願いいたします……!
売り上げ的に結構厳しい状態なので、一冊でも購入していただけると、延命になるかもしれません!
書籍の売り上げ次第で、5巻(暴食の王編)も出せますので……!
どうかよろしくお願い致します……!
 




