第8章 二学期 幕間 回想・フランエッテ・フォン・ブラックアリア ①
《フランエッテ 視点》
『冥界の邪姫、フランエッテのショーでした! オフィアーヌ領の皆様、今宵も御覧いただき、ありがとうございました!』
旅一座の座長である父の言葉と共に、私はその場を立ち去る。
今日のサーカスも、盛況の内で幕を終えた。
歓声と共に鳴り止まない拍手を背に受けながら、私は不敵な笑みを浮かべて、舞台裏に戻る。
そして、誰も見ていないテント裏へと赴くと、そこでしゃがみ込み、はぁと大きくため息を吐いた。
『今日も、緊張したぁ……』
本来の私は、大胆不敵で傲慢で高飛車な、吸血鬼の姫君などではない。
本当の私は、何処にでもいる、臆病で気弱な一般人。
ただ手品が得意なだけの旅芸人、道化師志望の少女だ。
『観客のみんなは、私を本気で吸血鬼の末裔だと思い込み、失われた古代魔法を使えると思っている。魔法因子がゼロのこの私を、ね。あはははは……もっと手品の種類を増やさないと、駄目かな……みんなに夢を与える存在にならないと。どれだけ冥界の邪姫フランエッテになりきれるかが、私のこれからの勝負ね……頑張れ、私!』
『――――あ、あの! 冥界の邪姫、フランエッテ様、ですよねっ!』
その時。背後から、声を掛けられる。
ビクリと肩を震わせて振り返ると、そこには、褐色肌の森妖精族の少女の姿があった。
私は即座に意識を切り替え、フランエッテの仮面を被り、不敵に笑みを浮かべる。
『なんじゃ、お主は。ここは関係者以外立ち入り禁止のはず。何処から入ってきた、小娘』
『わ、私、その……フランエッテ様に憧れているんです! フランエッテ様は強くて美しくて、いつも自信たっぷりで……私も、貴方様のようなカッコイイ魔法剣士になりたいです!! どうやったら、そんなにかっこいい女の子になれるんでしょうっ!!』
それは、私がそう見せているだけで、ただの演出なのだけど……でも、悪い気はしない。
『下等な種族である人間が、妾のようになりたいじゃと? くだらぬ妄言を吐くな、小娘』
『そう、ですか……やっぱり私じゃ、難しいのかな……』
しゅんとなる少女。その姿を見て、私は思わず慌ててしまう。
『そ、そんなに落ち込むな、小娘。まぁ、貴様でも、努力すれば妾のようになれぬこともない。精進せよ』
『はい! あ、私、エルルゥって言います! フランエッテ様! 突然で申し訳ございませんが……私を貴方様の弟子にしては貰えないでしょうか!』
『な……で、弟子……?』
『そうです! 私は、森妖精族の里出身なのですが……恥ずかしながら、魔法が一切使用することができないのです。加えて、闇森妖精族のため、里でははみ出し者扱いされていまして……』
『ま、待て。森妖精族の里じゃと? お主……共和国の森妖精族ではないのか!? 大森林から、ここまでやって来たというのか!?』
『はい。えへへ……里のみんなには、あまり人里には下りるなと言われていたんですけど、私、人族の世界に興味がありまして。そんな時、たまたま、フランエッテ様の公演を目にしたのです。はっきり言って、感激でした! いったいどういう原理であんな超常の魔法を起こすことができたのか……! 失われし古代魔法は、 森妖精族の長老にしか扱えない魔法……それを、あんないとも簡単に!! 本当にすごいです!!』
目をキラキラとさせて詰め寄ってくるエルルゥ。
私は動揺しながらも、コホンと咳払いをし、不敵な笑みを浮かべる。
『そうじゃろう、そうじゃろう! 何と言っても、妾は最強の吸血姫なのじゃからな! ハッハッハッハッハッハッ!』
『はい! その御力の一端を、私にも授けてはいただけないでしょうか! フランエッテ様!』
『あ……いや、その……それは……』
『どうかお願いします! フランエッテ様!!!!』
その有無を言わせないエルルゥの様子に、私は、頷くしかなかった。
その日以降、私は公演を終えると、露店で購入した魔導書を片手に、テント裏でエルルゥに見様見真似で魔法を教えていった。
『え、ええと……良いか、エルルゥ。魔法とは、魔力を意識することで初めて行使することが叶うものじゃ。『魔力感知』→『発現』→『詠唱』という段階を踏むことで、お主が知っている魔法を発動させることができる。理解したかの?』
『はい、師匠!」
『う、うむ。したがって、次の項目は、じゃな……ええと……』
その後、魔導書を読むだけの指導を、彼女に行っていった。
はっきり言って、適当だ。私は魔法なんて扱えないのだから。
きっと、そのうち私の教えでは魔法を覚えることはできないと悟って、彼女は私の前から姿を消すだろうと、そう思っていた。
だが、私の思いとは裏腹に……何と、エルルゥは、五日で魔法の才能を開花させたのだった。
『見てください、師匠! 私、火の魔法が使用できるようになりました!!』
手のひらに浮かぶ炎を見つめ、はしゃぐエルルゥ。
その才能を見て、少し、嫉妬を覚えた。
だって、魔法因子の無い私は、どう足掻いても魔法を覚えることができないのだから。
『師匠?』
『いや、何でもない。フッ、その内、我が古代魔法の秘法、【ダークフレイムインフェルノ】も使用できるかもしれぬな』
『はい! 師匠の古代魔法が使えるようになるまで、精進を続けます!』
そうして……日々は瞬く間に過ぎていった。
いつの間にか私は、彼女と過ごす毎日が、とても楽しくなっていった。
一か月程が経った、ある日のこと。
私は、エルルゥに、ある質問を投げてみた。
『……以前から気になっておったのじゃが……何故、エルルゥは、そんなに必死になって魔法を習得したいのじゃ? 何か、目指したいものでもあるのか?』
『それは……』
エルルゥは一拍置いた後、ニコリと笑みを浮かべ、口を開いた。
『私も師匠のように、誰かを笑顔にさせられる、最強の魔法剣士になりたいからですっ! そして、私のような人間が居ても良い世界を、創り上げたいのです!』
『私のような人間? それは、どういう意味じゃ?』
『あ、それは、えっと……』
何処か気まずそうな表情を浮かべるエルルゥ。
そんな彼女に思わず首を傾げた、その時。
背後から、父が、声を掛けてきた。
『なぁ、少し、買い出しを頼みたいのだが……おや?』
父の登場に、びくりと肩を震わせ、私の背後に隠れるエルルゥ。
そんな彼女の姿を見て微笑を浮かべると、父は、私に声を掛けてきた。
『友達かい?』
『あ、うん……じゃなかった。違う。こやつは妾の下僕じゃ』
『そうか。良かったな。お前は旅芸人故に、ひとつの地に留まれない。そのことで友達ができないって、いつも嘆いていたもんな』
『う、うるさい! それで、買い出しとはなんじゃ! この妾を動かすのじゃ。それ相応の理由なのじゃろうな!』
『あぁ。これを頼みたいんだ』
私は父から紙片を受け取る。そこには、サーカス団員の食事の材料が書かれていた。
『仕方ない。行ってやろう。行くぞ、エルルゥ』
『え、私も、ですか?』
『当然じゃろう。お主は妾の下僕なのじゃからな』
『いや、待て、フラン。その子は……』
父は何かを言うのを止めた後、「何でもない」と言ってテントの中に入って行った。
その様子に首を傾げながらも、私は、エルルゥと共にオフィアーヌの村へと向かった。
――――父が止めた理由が、その後、すぐに分かった。
『闇森妖精族だと!? こっちに来るんじゃねぇ!!』
食材を買いに行った店の店主は、エルルゥを見た途端、嫌悪の表情を浮かべた。
『きゃーっ! 近付かないでーっ!』
道を歩いているだけで、通行人の女性は悲鳴を上げた。
『あっち行けー! ばけものー!』
しまいには、少年たちに石を投げられる始末。
小石が額に当たったエルルゥは、額を押え、しゃがみ込んでしまう。
その姿を見て我慢の限界が来た私は、エルルゥの前に立ち、両手を広げた。
『ふざけるな、小童ども! こやつが何をしたと言うのじゃ! これ以上、この者に対する狼藉を重ねるつもりならば、妾が容赦せんぞ!!』
『げっ! サーカスの吸血鬼だ! 逃げろー!』
去って行く少年たちにフンと鼻を鳴らした、直後。
背後から、聞いたことのない、エルルゥの声が聞こえてきた。
『――――下等種族どもが』
『え?』
振り返る。すると、そこには……身体に薄い膜のように闇のオーラが漂う、エルルゥの姿があった。
その光景に動揺していると、エルルゥの身体から闇のオーラが消え去り、彼女はいつものように笑みを浮かべ、立ち上がる。
『ごめんなさい、師匠。迷惑をかけてしまいましたね』
『エルルゥ……?』
『少し、場所を移動しましょう。どうやら師匠は、闇森妖精族という存在を知らないようですから』
そう言って、彼女は、人気の無い道を進んで行った。
そうして、数分程して辿り着いた人気の無い丘に辿り着くと、エルルゥは私に向けて口を開いた。
『闇森妖精族というのは、森妖精族の中で稀に産まれる、特殊な存在なんです。この国……聖グレクシア王国の国教、セレーネ教では、闇森妖精族の誕生は災厄が降りかかる前触れ、不吉な予兆として忌み嫌われています。だから、市井の人々は私を怖がるのです』
『……くだらぬ迷信じゃ。妾は、セレーネ教の教えを深くは知らぬ。何故そのようなものを人々が信じるのか、理解に苦しむ』
『優しいですね、師匠は。でも……あながち間違いでもないのですよ。私たち森妖精族の里に伝わる古い教えでは、人間と定められる八種族の中から、災厄級の魔物が誕生すると言われていますから』
『八種族……? この世にいるのは、人族、獣人族、森妖精族、鉱山族の四種族ではないのか……?』
『セレーネ教では、四種族とされています。ですが、本当の教えでは、八種族です。王国で魔物に近い種とされる亜人も、実は、元は人間と呼ばれていた種族なのですよ。【強欲】を司る人族、【怠惰】を司る獣人族、【傲慢】を司る森妖精族、【虚飾】を司る鉱山族、そして……【憤怒】を司る龍人族、【嫉妬】を司る小鬼族、【色欲】を司る夢魔族、【暴食】を司る大猪族。これが、八種族です』
『は? ドラグニクルもインプもサキュバスもオークも、魔物じゃろ?』
『……そう、王国では言われています。ですが、実際、会ってみるとその認識は異なるかもしれません。ドラグニクルやインプは、普通に人の言語を喋ることができますから。とはいっても……完全に魔物のようになっている種族がいることも事実です。オークは人里で住めなくなった結果、大森林へと帰り、言語を忘れてしまった種族とされています。彼らはもう、人とは呼べない生き物になっているのかもしれません……』
『……初耳の情報ばかりで、頭が混乱しそうじゃ……』
『その中でも、災厄級の魔物が発生する予兆として分かりやすいのが……森妖精族です。森妖精族の中から稀に産まれてくる闇森妖精族が災厄級の魔物に転化したという話は、過去の文献で記録されていることですから。だから、セレーネ教の教えも、間違いだらけではないということです』
『と、ということは、お主も……』
『安心してください。闇森妖精族が産まれたからと言って、必ずしも災厄級の魔物になるわけではないですから。ただ……闇森妖精族として産まれた者は、その一生を、何も学ぶこともなく、誰とも交友を持つことなく終えるといいます。余計な刺激を与えて転化しないように……暗い座敷牢のような場所に、閉じ込めるんです。生涯ずっと』
そう言って悲しそうな表情を浮かべた後、エルルゥは、こちらを振り向いた。
『だから、私、一度で良いから、外の世界に出てみたかったんです。座敷牢に閉じ込められる前に、長老に相談して、期限付きで外に出ることを許可してもらいました。そんな時に……サーカスを見に行って、師匠と出会いました。師匠はすごかったです。キラキラと輝く舞台の上に立っていて、みんなの顔を笑顔にさせて。私も……貴方のような誰かを笑顔にできる人になりたかった。冥界の邪姫のように、常に傲慢で大胆不敵な少女になりたかった……』
その言葉を聞いて、妾は、エルルゥの肩を掴む。
『エルルゥ! 妾と逃げよう! サーカスで一緒に旅をするのじゃ! 閉じ込められる必要などない! 共に世界を見て回ろう!』
『駄目ですよ、師匠。私は存在するだけで人々に不幸をもたらす存在。幸福をもたらす師匠の傍にいては、駄目なんです。私は誰の目にも触れないように、閉じ込められる。それが、みんなにとっての幸福なの』
『だったら、お主は……!』
『師匠。私がいなくなっても、ずっと、みんなに幸福をもたらす冥界の邪姫様でいてね。お願い……それだけで私は、暗い底にいても、笑顔でいることができるから……』
『お主……もしかして、妾の実力を……?』
『うん。だって、師匠、本を読んでるだけなんだもん。分かっちゃうよ』
そう言ってニコリと微笑んだ後、エルルゥは再度、開口する。
『ねぇ、師匠。私との約束、守ってくれますか? 冥界の邪姫、フランエッテとして……この世界を照らし続けてくれますか?』
『妾は……妾は……っ!!』
その時だった。
背後から、ガチャリガチャリと鎧の音を奏でて……聖騎士たちが姿を現した。
集団の先頭に立っていた男は、私とエルルゥの姿を確認すると、腰の鞘から剣を抜いた。
『エルルゥ・アークライトだな? 我が名は、聖騎士団副団長、ハルクエル・クラッシュベル。聖女様の予言で、お前が災厄級の魔物に転化することが分かった。よって、お前の処刑が正式に決まった。これは聖王陛下、ならびに聖女様、聖騎士団長ゴルドヴァーク様の命令である。大人しく我らについてこい』
『は……?』
その言葉に理解が追い付かず、私は思わず目を白黒させてしまう。
だが、エルルゥは冷静そのもので……そのまま彼女は、騎士たちの元へと向かって行った。
『エルルゥ!?』
『……分かりました。人々のためにこの命、捧げます』
そう言って、エルルゥは歩みを進めるが……私はその手を掴んだ。
『そんなの、妾は許さんぞ!! 逃げるぞ、エルルゥ!!』
そう叫んだ瞬間、聖騎士によって、私は腹に膝蹴りを叩きこまれた。
カハッと息を吐き出し、その場に倒れ込む私。
薄れる意識の中、最後に映ったのは、聖騎士によって連れて行かれる……エルルゥの姿だけだった。
『――――あれ? 私は……?』
『目が覚めたか!』
意識が戻ると、そこは見慣れた、サーカスの団員テントの中だった。
ベッドの傍にいた父はホッと安堵の息を吐くと、首を横に振る。
『倒れたお前をここに運んできてから、今日でまる二日だ。まったく、心配かけやがって』
『まる、二日……? エルルゥは!?』
ベッドから勢いよく起き上がり、父にそう言葉を投げる。
すると父は、複雑そうな面持ちを浮かべ、口を開いた。
『……闇森妖精族の、あの子のことだよな? あの子のことは……聞かない方が良い』
『良いから教えて、お父さん!』
『ここに派遣されてきたのは残虐非道で有名なバルトシュタイン家直属の聖騎士団だという話だ。噂だと、聖騎士団に捕まってから、酷い拷問をされていたらしい。そして……今日、彼女はオフィアーヌの領都、アリューゼスの広場で、観衆の元、処刑されるのだという』
『……そんな……!』
私はベッドから降りると、急いでサーカスのテントを出た。
すると背後から、お父さんの声が聞こえてくる。
『馬鹿、行くな! 俺たちじゃどうしようもない!!』
『私は……私は……! あの子のヒーローの、冥界の邪姫、フランエッテだから……! そうで在り続けるって、約束したから……!』
そう叫んで、私は、オフィアーヌの領都へと向かって走って行った。
アリューゼスの広場に到着すると、そこには……大勢の人々に石を投げられる、十字架に張りつけにされているエルルゥの姿があった。
彼女の身体はボロボロの状態だった。腕や足には切り傷があり、目の上には大きなたんこぶができている。既に死にかけているせいか、彼女の周囲には無数の蠅が飛び交っていた。
野次が飛ぶ中、私は観衆を押しのけ前へと進み、必死に声を張り上げる。
『そこを退け、馬鹿どもぉ!! エルルゥ!! 妾じゃ!! エルルゥ……!!』
その時。エルルゥの横に立っている男、以前副団長と名乗ったハルクエルが、剣を抜き、エルルゥの首元へとあてがった。
そして彼はニヤリと、笑みを浮かべる。
『何か言い残すことはあるか? 闇森妖精族?』
『……私は……何も悪いことはしていない。なのに、どうしてこんなにひどい目に遭うの? 何で……処刑だけで済ませなかったの? 私を寄ってたかって拷問して、虐めて……楽しいの?』
『我らはゴルドヴァーク様の思想に魅入り、聖騎士団に入った者。強者こそが全て、弱者に語るものなどない。良いか、闇森妖精族。お前は産まれてきてはいけない存在だったのだ。それを認識させ、後悔させて処刑するのが、我らの仕事だ』
『……嘘。楽しかったんでしょ? 弱者を甚振るのが。顔を見たら分かるよ』
その言葉に、ハルクエルは邪悪な笑みを浮かべた。
『そうだ! 俺たちは人を甚振るのが好きで、ゴルドヴァーク様の下についた! お前みたいな抵抗できない弱者、それも殺して同然のガキ、甚振って殺さねばもったいないだろう!! 見ろ!! 世間はお前の死を望んでいる!! いくら痛みを与えようとも、ここに誰もお前の味方は一人もいない!! ハッハッハッハッハッハッ!!!! これは正当な拷問という奴だ!!!!』
『味方ならここにおる!! エルルゥ!! 妾の声を聞け!!!!』
そう叫ぶが、『早く殺せ』『死ね』『化け物』などの野次で、私の声はかき消される。
その光景を見て……エルルゥは、笑みを溢した。
『―――あぁ、分かったよ。どれだけお前たちが下等種族であるかということがな』
その瞬間、エルルゥの身体から闇のオーラが発せられる。
そして……エルルゥの闇のオーラに触れた周囲を跳んでいた蠅が、隣に立っていたハルクエルの眉間を突き破り、体内の中へと入って行った。
『は? あがっ……? あががががががががっ……!!』
ハルクエルは白目になると……身体が膨れ上がり、その背中を突き破って、まるで蝶が羽化するかのように、巨大な蠅の怪物が姿を現した。
その光景を見て、野次を止めて、唖然とする観衆たち。
エルルゥは、そんな人々を見て大きな笑い声を上げる。
『あははははははははは!! あははははははははははははははははははは!!!!』
エルルゥの闇のオーラに触れた蠅たちが、次々と観衆たちに襲い掛かる。
皮膚を突き破り、人々の体内へと入る蠅たち。
そして、人々の背中から、巨大な蠅が羽化して姿を現した。
『な……なんじゃ……? これ、は……?』
思わず地面に膝を付いてしまう。
羽化した蠅たちは人々を襲い始めて、人間の頭を喰いちぎり、腹を腕で貫き、殺戮を行い始めた。目の前に広がる地獄絵図。
災厄級が……誕生した瞬間だった。
『あぁ……楽しい……楽しいね、フランエッテ』
エルルゥは握力のみで拘束を解くと、地面に降り立つ。
そして私の前に立ち、邪悪な笑みを浮かべた。
『最初からこうすれば良かったんだ。私を嫌う人は、全員、こうしちゃえば良かったんだ』
『エルルゥ……?』
『フランエッテ。これで私は自由の身。私と一緒に世界を見て回ろう? ね?』
そう言って、手を伸ばしてくるエルルゥ。
私はその手を……恐怖のあまり、思わず振り払ってしまった。
『フランエッテ?』
『あ……!』
手を振り払った直後、エルルゥは一瞬、悲しそうな表情を浮かべた後、その顔は憤怒に歪む。
『……そう。貴方も私を拒むのね。あははははっ! じゃあ、こうすれば、私たちは永遠に一緒ね!』
そう言って、エルルゥは右手に闇のオーラを纏う。
そしてその手をまっすぐと、私の胸へと差し向けた。
「【掌握する心臓】」
すると、その瞬間。
丸い結界の中で浮遊する私の心臓が、胸の中から出てきた。
そのトクントクンと脈打つ心臓を手の中で浮かべると、エルルゥは、邪悪な笑みを浮かべる。
『貴方の心臓が私の手の中にある限り、貴方は一生、歳を取ることは無い。これで貴方は私を殺すまで、死ぬことのできない身体となる。フフフ……これで本物の吸血鬼になることができたんじゃない? ね? フランエッテ?』
『貴方は……エルルゥじゃない……! 誰なの……?』
『私はエルルゥよ。さぁ、私に服従するか、それとも私に挑み心臓を取り戻すか。時間はたっぷりある。決めなさい、フランエッテ』
そう言って背中を見せると、大勢の巨大な蠅を引き連れ、エルルゥは去って行った。
何時間、その場に蹲っていたか分からない。
気付けば夜になっており、私の背後に、ある四人の人物が姿を現した。
『まったく。結局、先にアリューゼスに向かったお前の部下は失敗したようだな、ゴルドヴァーク。お前の隊に任せた聖王陛下も、このことにはご立腹だろう』
『ガハハハハハハハ! そう文句を言うな、ハインライン! むしろ僥倖だろう! 災厄級の魔物と戦うことができるのだ! 俺は楽しみで仕方ないぞ!!』
『はぁ……貴方、それを狙ってわざと、部下に闇森妖精族を痛めつけるように命令を出していたのではないのですか? 早々に闇森妖精族を処理していれば、こんなことにはならなかったというのに』
『キュリエールの言う通り。ジャストラムさんにとって、ゴルドヴァークが一番、処罰される対象。戦闘狂の脳みそ馬鹿。つける薬がない』
背後に現れたのは……最強の【剣神】たちだった。
そんな彼らの先頭に立っていた筋骨隆々の大男は、「ほう」と感心の声を上げ、座り込む私に声を掛けてくる。
『まさか、生き残りがいたとはな。小娘、災厄級の魔物が何処に行ったか分かるか?』
その言葉に、私は首を横に振る。
そんな私の様子に「そうか」と一言だけ残し、ゴルドヴァークは去って行く。
残り3人も、遅れて彼について行った。
私は数秒程逡巡した後、彼らに声を掛ける。
「待ってください! 私も連れて行ってください!」
そんな私の言葉を無視して進んで行くゴルドヴァークとキュリエール、ジャストラム。
私の言葉に立ち止まってくれたのは……ハインラインと呼ばれる青年だけだった。
『悪いが……ここは危険だ。俺たち【剣神】4人は、他国に行っている【剣聖】アーノイック・ブルシュトロームに代わり、災厄級の魔物、傲慢の悪魔『ベルゼブブ』を討伐するように聖王陛下に命じられている。一般人である君は何処か他の場所へ逃げた方が良い』
『お願いします……! 災厄級の魔物になったのは……私の友達なんです!』
ハインラインは私の目をジッと見つめた後、フゥとため息を吐いた。
『何か、事情があるようだな。分かった。ついてくるのは良いが、俺の傍から離れるなよ』
ハインラインのその言葉に、ジャストラムは足を止め、彼に声を掛ける。
『ハインラインはお人好しすぎる。その子は足手纏いになるだけ。絶対に居ない方が良い。ジャストラムさんはそう思う』
『ジャストラム。アーノイックだったら、この子を置いていかない。そうだろう?』
『……ムッツリスケベはあいつに感化されすぎ。分かった。好きにしたら良い』
そう言って、ジャストラムは前を振り向き、先に行った二人を追いかけて行った。
『行くぞ。お前、名前は?』
『名前……フランエッテ、です』
『そうか。気を付けて進め』
そうして、私は最強の【剣神】たちと共に、荒廃した街を進んで行った。
町を進むこと数分。
市街地の中央に、巨大な穴のようなものを見つける。
その穴から、夜空に向かって、何匹もの巨大な蠅の怪物が飛んで行く姿が目に見えた。
『あそこが、魔物の巣、か』
ハインラインは物陰に隠れ、そう呟く。
そんな彼に、キュリエールは静かに声を掛けた。
『どうしますか? 相手の実力も分からないまま、このまま正面突破をするのは流石に愚策だと思います。まずは、外に出ている蠅を一体ずつ処理して……』
『そのようなまどろっこしい真似、できるか! 俺は行くぞ!』
ゴルドヴァークは地面を蹴り上げ、「ガッハハハハハ!」と笑い声を上げると、穴の中へと入って行った。
その光景を見て、キュリエールは眉間に手を当て、呆れたようにため息を吐く。
『まったく、救いようのない馬鹿ですね……こうなったら、彼について行くしかなさそうです。行きますよ、皆さん』
こうして――――私と【剣神】4人は、ベルゼブブを倒すべく、巣穴の中へと向かって行った。




