第8章 二学期 第246話 特別任務ー⑨ 放たれし災厄
「オフィアーヌ家次期当主、アンリエッタ・レルス・オフィアーヌ様の命……それは、アネット・イークウェスをこの特別任務で暗殺すること。その邪魔をするのなら、無関係の生徒だろうが容赦はしない。ここでお前を……消す、エリニュス・ベル」
背中に矢筒を付けた大柄な人物は、そう口にすると、弓を構える。
今まで黙っていた、もう一人の人物―――フードの隙間から赤い髪を流している人物も、口を開いた。
「……申し訳ございません。こちらも引けないのです」
剣を構え、赤い髪の人物も戦闘態勢を取る。
剣を構えた赤い髪の女性と、弓を構える大柄な男。
その二人の姿を見て、エリニュスは瞳孔を開き、歯を向きだしにして笑った。
「いいね! 来なよ! 私はこれでも毒蛇王クラスの副級長だ! あんたらごときにやられるほど、弱くはない!!」
エリニュスは地面を蹴り上げると、猛スピードで、手前にいる赤髪の女性へと突進して行く。
女性は剣を振り上げると、エリニュスの鎌を防いでみせた。
キィィンと音が鳴り、剣と鎌が交差する。
エリニュスは剣を弾くと、瞬時に姿を掻き消す。
そして背後に回ると、赤髪の女性の背中を、蹴り飛ばした。
「かはっ!? こ、この……っ!!」
「……援護する!」
フードを被った大柄な人物は、エリニュスに向けて、弓矢を放つ。
エリニュスはその矢を、鎖鎌を引いて、鎖で弾くことで防衛してみせた。
「速剣型の私に、こんな鈍い攻撃が当たるとでも思っているの!? 笑わせるね!!」
地面を蹴り上げると、エリニュスはまたしても姿を掻き消した。
そして剣を構えた赤髪の女性の背後に回ると、背中に向けて、鎖鎌を振り降ろした。
「ッ!!」
赤髪の女性は振り返り、間一髪でその鎌を剣で防ぐが、いつの間にか足に鎖が巻き付いてしまっていた。
エリニュスが鎖を引っ張ると、赤髪の女性はバランスを崩し、転倒する。
「うわぁ!?」
「ははっ! 間抜けめ!!」
地面に叩きつけられる赤髪の女性。
その光景を確認した大柄なフードの男は、弓を連射して、エリニュスへと放つ。
エリニュスは飛んでくる無数の矢を確認すると、女性の足に巻き付けた鎖を解除し、後方へと飛び退いて、簡単に避けてみせた。
「大丈夫か!?」
「……はい。この程度の怪我でしたら、自分で治せます!」
仲間にそう言葉を返し、赤髪の女性は魔法の詠唱を唱え、足にできた内出血跡に手を当てた。
「聖なる神の加護よ、我が傷を治癒したまえ―――【ミドルヒーリング】」
治癒魔法の効果で、みるみるうちに怪我を治していく赤髪の女性。
その光景を見て、エリニュスは目を細める。
「信仰系魔法……どうにも剣の動きがずさんだと思ったら、お前、修道士か」
「……」
「多少剣を扱えることから、魔法剣型……のようだが、まだまだ未熟だな。どんな手を使ってくるかと思って用心していたが、先ほどの攻防で、お前たちの実力は大体分かった。お前たちは私の敵じゃない。さっさと片を付けさせてもらうよ」
エリニュスはブンブンと鎖鎌を振り回すと、それを、赤髪の女性へとまっすぐに投擲した。
その鎌を、赤髪の女性は剣を振り、弾き飛ばしてみせる。
だが――――目の前に、鎌を投擲した、エリニュスの姿は無かった。
「……え?」
次の瞬間。
赤髪の女性は、突如下方から現れたエリニュスに、腹部に膝蹴りを叩きこまれた。
「かはっ!?」
血を吐き出し、後方へと吹き飛ばされる赤髪の女性。
そしてエリニュスは地面に倒れ伏した女性の上に馬乗りになると、彼女の首元へと、ナイフをあてがった。
「はい、終わり。随分と弱い暗殺者ね。舐めてんの?」
「くっ……! ガゼルさん! 私はいいから、この人を……!」
「……分かった」
弓の照準をエリニュスへと定めるフードの男。
そんな彼に、エリニュスは笑みを浮かべる。
「良いの? その矢を放てば、こいつの命はないよ?」
首元にナイフを強く押し付けると、そこから、血が滴り落ちる。
その様子に、大柄なフードの男は歯を食いしばり、動きを止める。
「ガゼルさん! ここで命令を遂行しなければ、どのみち私たちは……!」
「だ、だが……! それでは……!」
膠着する三人。
その光景を見て、俺は短く息を吐く。
(現状、相手はエリニュスでも楽々倒せるほどの、大したことが無い連中だ。俺がわざわざ実力を出して撃退する程のレベルではないだろう。ならば……既に学園内で開示している能力だけで対処しても問題はなさそうだな)
俺は腕を伸ばし、弓を構える男の手元へと狙いを定める。
そして、魔法を発動させた。
「鋭利なる氷塊よ、我が敵を穿て――――【アイシクル・ランス】」
「何っ!?」
手のひらから氷柱がまっすぐと飛んで行き、男の手元から、弓矢を叩き落とした。
男は手首をおさえながら、こちらに、鋭い目を向けてくる。
「アネット・イークウェス……!」
「申し訳ございません。詳しい事情は知りませんが、独断で、エリニュスさんに加勢させていただくことにしました。貴方たち二人は、私の敵……で、間違いありませんね?」
俺の登場に、驚き戸惑うフードの二人。
エリニュスは口笛を吹くと、面白そうに微笑を浮かべた。
「へぇ? 多少は魔法を使えるって聞いてたけど、よく怖がりもせずに戦いに参加してきたね。ロザレナを呼んでもないみたいだし。ただのメイドの癖に、根性あるじゃん」
「エリニュスさん。先ほど、あの二人は、私を狙っている暗殺者だと言っていましたよね。そして貴方は、襲撃を予め知っていたご様子でした。もしや……貴方ですか? 私の机に、あの警告の手紙を投函したのは?」
「は? 警告? 手紙? 何のこと?」
ポカンとした表情をするエリニュス。その様子から察するに、どうやらあれを出したのは彼女ではなさそうだ。
「……いえ、何でもありません、忘れてください。それよりも、エリニュスさん。私はこの状況が、いまいちよく分かっていないのですが……一から説明していただけますか?」
「悪いけど、私もよくは知らないよ。私はただシュゼットに、特別任務中、あんたを暗殺者から護衛しろって言われていただけだからね」
「シュゼット様に……?」
「あ、やば。これ言っちゃいけなかったんだっけ。まぁ、いいや。何であんたを狙ったのかは……こいつらから直接聞けば良いでしょ」
エリニュスはそう言って、馬乗りになっていた人物のフードを外した。
「……っ!」
「え? アストレア、さん……!?」
そこにあった顔は、黒狼クラスの、アストレア・シュセル・アテナータだった。
エリニュスはフンと鼻を鳴らすと、男の方へと視線を向ける。
「そっちのお前も、フード、脱いだら? じゃないとこの女の首を――――」
「待て、分かった」
エリニュスの言葉に頷き、男の方も、フードを脱ぐ。
そこに居たのは、黒狼クラスのリーダー枠、ガゼル・ヴァン・オルビフォリアだった。
俺の命を狙ったのは、何と、黒狼クラスの生徒たちだった。
その状況に理解が追い付かず、俺は、二人に声を掛ける。
「な、何でアストレアさんとガゼルさんがこんなことを……!?」
「……ご、ごめんなさい、アネットさん。でも、私たちは、こうするしかなかったんです……私は……私は……っ!」
涙目になるアストレア。
ガゼルはそんなアストレアを見てため息を吐くと、俺に視線を向けてきた。
「……俺から話そう。こんな状況では信じられないと思うが……俺たちも君を狙うことは本意ではなかった。だが、家を存続させるためには、オフィアーヌ家に逆らうわけにはいかなかったのだ。俺たちはオフィアーヌ領出身、オフィアーヌ傘下の小領貴族の出だからだ。家を守るためには……手を汚すしかなかった……」
「オフィアーヌの傘下の家……質問です。先ほど、アンリエッタ・レルス・オフィアーヌの命で、と言っていましたよね? 何故、オフィアーヌの夫人が、私を狙っているのですか?」
「それは……」
何故か言いよどむガゼル。
そんな彼の代わりに、今度はアストレアが、口を開く。
「それは……貴方が、先代オフィアーヌ家の息女だからですよ、アネットさん」
アストレアのその言葉に、俺は、思わず目を大きく見開いてしまう。
その秘密は……俺とコルルシュカ、ルナティエ、ギルフォード、エステル以外は知らない情報のはずだったからだ。
(何だと……!? オフィアーヌ夫人に、俺の正体が、バレているだと……!?」
そこから導き出される答え。すなわちそれは、俺の周囲に……危険が迫っているということ。
俺が唖然と立ち尽くしていると、エリニュスが驚きの声を上げる。
「は? それ、マジな話? このメイドが……四大騎士公の血を引いているっていうの!? 嘘でしょ!? どう見てもそこら辺にいるただのメイドでしょ、この女は!! ……ってことは、待って。もしかして……こいつ、シュゼットの妹ぉ!?」
エリニュスは口をパクパクと開けて俺を見つめる。
こんなに間抜けな顔をしているエリニュスは初めて見たな。って、今はそれよりも……!
「アストレアさん! 私の正体を知っているのは、オフィアーヌ家のアンリエッタだけですか!? バルトシュタイン家もこのことを知っているのですか!?」
俺はアストレアに、そう声を掛ける。
その大きな声にビクッと肩を震わせたアストレアは、驚きつつも、首を横に振った。
「し、知りません……私たちはたまたま黒狼クラスに在籍していた傘下の家出身というだけで、アンリエッタ様に目を付けられた、ただの学生ですから……で、でも、アンリエッタ様は、バルトシュタイン家とは対立する意志を見せていました。恐らく、この情報を知っているのは、アンリエッタ様だけかと……」
「……」
もし、バルトシュタイン家に俺の正体がバレていたら……大変なことになる。
俺のせいで、お嬢様に危険が及ぶ可能性だってある。
「こうなった以上、特別任務なんて、やっている場合じゃ……」
今すぐにでもアンリエッタを始末しに――――。
いや、待て、落ち着け。冷静になれ。
奴を始末しても、この二人が俺の出生の秘密を知っていた時点で、他の人間にもその情報が回っている可能性がある。最早、アンリエッタを始末して、はい終わりの事案ではない。
俺は額に手を当て、考え込む。これから先、どうするべきかを。
「……よし。こんなものか」
エリニュスは二人の腕を縄で縛り終えると、ふぅと大きくため息を吐く。
そして、考え込む俺に視線を向けると、エリニュスは口を開いた。
「で? どうする? こいつら、ここで殺しとく?」
「え? 殺す……?」
「それが一番理に適っているでしょ。放置すれば、またあんたの命を狙ってくるかもしれないし。それに特別任務中に亡くなれば、魔物に襲われて死亡した事故として処理される可能性が高いと思う。どうせこいつらも、そのつもりであんたを殺そうとしてたんだろうし……因果応報って奴? 殺しておくのが手っ取り早いと思うけど?」
エリニュスのその言葉に、アストレアとガゼルは顔を青ざめさせる。
俺は数秒程考え込んだ後、二人へと視線を向けた。
「……アストレアさん。ガゼルさん。貴方たち二人は、先ほど、この暗殺は不本意な行為だと、そう言っていましたよね?」
「……あぁ。さっきアストレアが言っていた通り、俺たちはたまたまお前と同じ黒狼クラスに在籍していたというだけで、アンリエッタに目を付けられただけだ。お前が他のクラスに在籍していたら、そこでは別のオフィアーヌ家傘下の家の子息が暗殺の仕事を任されたことだろう。四大騎士公の中でも、オフィアーヌ家……いや、アンリエッタの下に付いている家は多いからな。一クラスに何名かはいるはずだ」
「なるほど、分かりました。では、単刀直入にお聞きします。お二人とも、今から、アンリエッタではなく……私に鞍替えする気はありませんか?」
「え?」「何?」
「私は、これでも一応、オフィアーヌ家の息女です。オフィアーヌ領に住む傘下の小領貴族であるのならば、私に付き従う権利があるはず。……今、ここで決めてください。私に付くか、アンリエッタに付くか。どちらかを」
二人は、顔を見合わせる。
そして俺へと視線を向けると、口を開いた。
「え、えっと、それって……アネットさんは……」
「まさか、君はオフィアーヌ家当主になる意志がある、ということか?」
正直、オフィアーヌ家の当主の座になんて、俺は興味はない。
だけど、アンリエッタに知られてしまった以上、最早、なりふりなど鎌ってはいられないだろう。
現状、アンリエッタが俺を秘密裏に処理しようとしてきた証拠は、この二人の存在が証明になるはず。逆にアンリエッタの策略を逆手にとって……奴の罪を白日の元に晒し、あの女を公式の場で排除することもできるはず。
だが、それをすれば、俺の出自が明るみになり、結果、俺は、表舞台に立つことになる。
そうなった時……今度はバルトシュタイン家が俺を排除しようと動いてくることだろう。
しかし、逆に表舞台に立ち、オフィアーヌ家当主の地位を掴んだらどうなるだろうか?
四大騎士公となれば、聖王家もバルトシュタイン家も、直接的に手を出すことはできなくなるのではないか? フィアレンス事変も、先代当主が宝物庫に入って、やっと騎士団が動いたくらいだ。四大騎士公当主を殺すには、武力行使をする大義名分が無いと、民を納得させられないのだろう。権力=自分を守る盾でもある。
とはいえ……これはまだ危うい綱渡りの段階、机上の空論だ。俺の後ろ盾になってくれるオフィアーヌ家の人間がいない以上、俺が当主になれる望みは薄い。
「当主になるという意志は、今のところはありません。ですが……お二人が不幸な結果にならないことだけはお約束致します。暗殺に失敗した以上、貴方たちは後が無いはず。どうですか? 私に、付く気はありませんか?」
「……」「……」
驚いた顔でこちらを見つめる二人。
そんな二人と見つめ合っていると、ガゼルが肩をピクリと震わせた。
「……すまない。今、アンリエッタから【念話】を受信した。出ても構わないか?」
「はい。こちらのことは内密にお願いいたします。」
俺の言葉に頷くと、ガゼルは、【念話】を繋げる。
その会話の内容は分からないが……恐らくは、暗殺計画が順調かどうか聞くために、アンリエッタはガゼルに【念話】を飛ばしたのであろう。
「はい。何でしょうか、アンリエッタ様」
緊張した面持ちで【念話】を受け取るガゼル。
「……」
「はい、はい。申し訳ございません。暗殺は……失敗に終わりました」
「……」
「はい。お怒りはもっともです。ですが、私たちは一点、貴方様にお伝えしたいことがございます」
そう言って一呼吸吐いた後、ガゼルは笑みを浮かべて、口を開いた。
「俺は――――次のオフィアーヌ家の当主は、アネット・イークウェス様が相応しいと思います。なので、アンリエッタ様のご命令にはもう従いません。……そうだろう? アストレア」
「はい! 私もそう思います! 殺されてもおかしくない状況だったのに、この方は、私たちを救おうとしてくださった!! この人以外にオフィアーヌ家当主はあり得ませんっ!! もう……家族を人質に取られて動かされるのは、まっぴらごめんですっ!」
大声でそう宣言するアストレア。
そんな彼女に頷くと、ガゼルは、再び開口する。
「というわけで、俺たちはもう貴方には従いません。失礼しま――――え? どうなっても、知らないだと……? それはどういう意味…………切れたか」
そう言ってため息を吐くガゼル。
俺はそんな彼に、疑問を投げる。
「どうかしたのですか?」
「いえ……アンリエッタが最後に、その選択を取るということは、どうなっても知らない、地下水路にアレを放つことに決めた、と。……いったい何のことを言っているのか、自分には分かりません……」
首を傾げるガゼル。
そんな二人の様子を見て、エリニュスはやれやれと肩を竦める。
「殺しておくのがベストだと思ったんだけど、まさか仲間にしちゃうとは思わなかったわ。まぁでも、そのやり方、嫌いじゃないよ。私、オフィアーヌ家の人間だったらシュゼットよりも、あんたの方が好きかな。人を惹き付ける何かがあるっていうか……オフィアーヌ家当主、本当に向いているんじゃない?」
そう言ってニコリと、笑みを浮かべるエリニュス。
俺はそんな彼女に、微笑を浮かべる。
「エリニュスさん……」
「もし、私がこの学校を卒業して無事に聖騎士になれたら、あんたのとこのお抱えの騎士になっても良いわよ? まっ、乗りかかった船だし。この特別任務の間だけは護衛を続けてあげるわ」
何だかんだ言って、この子、面倒見が良いというか……優しい子な気がするな。
エリニュスの面倒見の良さに微笑を浮かべていると、ガゼルとアストレアが膝を付き、俺に頭を下げてきた。
「……アネット様。これより俺たちは、貴方様にお仕えします。狩人、ガゼル、貴方様をお守りする射手となりましょう」
「私もです!! 何なりとお命じください!! うぉぉぉぉぉ!! やる気出てきました!!」
「ア、アストレアさん、声がでかいです……」
「あ、うるさかったですか!? ごめんなさい、ごめんなさい!! ……って、おわぁっ!?」
アストレアは膝を付いているだけなのに、何故か、前のめりに転倒した。
相変わらずのドジっ子っぷりに、俺は思わず引き攣った笑みを浮かべる。
「えっと……コホン。今から縄を解いた後、まずはお二人に、私の今後の計画をお話したいと思います」
「いたたたた……今後の計画、ですか!?」
「はい。それは――――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……はぁ!? 次期当主はアネットが相応しい!? ふざけたことをっ……!! オフィアーヌ家の傘下でしか生きることのできない、小領貴族の分際がぁ!!!! この私に歯向かいやがってぇ!!!! たかがメイドすら始末できないなんて、役立たずがぁ!!」
アンリエッタはスタンドライトを手に取ると、それを部屋の壁へと叩きつける。
そしてフゥーフゥーと荒く息を吐くと、ピアスをしている耳に手を当て、【念話】の魔道具を発動させた。
しかし……【念話】が目的の相手に繋がることは無かった。
「はぁ!? 首狩りはどうしているの!? 何故、連絡してこないの!! あぁーっ、どいつもこいつもッ!! 犯罪者に頼った私が間違いだったわ!! このままじゃ、あいつら、お爺様にこのことを話す可能性があるわ!! それだけは絶対に阻止しないといけない!! あの女の娘が……アリサの娘が当主になるなど、絶対に、あってはならないことなのだからっ!!」
アンリエッタはテーブルの上にある酒の瓶を手に取ると、それを一気に口に含む。
そして中身を全部飲み終えると、ぷはぁーと大きく息を吐き、扉に向けて声を張り上げた。
「レギウス!!」
「は、はい、奥様!!」
扉の前で待機していた、アンリエッタの使用人レギウスが、部屋の中へと入ってくる。
そんな彼に、アンリエッタは、命令を出した。
「今すぐ、アレを地下水路に放ちなさい!! こうなったら……生徒ごと全員、地下水路で死んでもらうわ!! 何が何でも、アストレア、ガゼル、アネットは、絶対に、処理しなければならない!! 私の汚点になりかねない、首狩りもよ!! 全員、ぶっ殺してやるわ!!!!」
「で、ですが、奥様……ほ、本当に、よろしいのですか……!? あ、あれを放てば、間違いなく、王都にも甚大な被害が出ると思うのですが……災厄級の魔物というのは、下手をすれば、【剣聖】以上の能力を持っているとのお話ですし……」
「大丈夫よ。大森林の一件だって、【剣聖】と【剣神】たちは普通に災厄級を倒していたじゃない。災厄級なんて、言われている程大したことないわよ。【剣聖】【剣神】のお膝元である王都だったら、すぐに騒動は治まるわ」
「お、御言葉ですが、大森林の一件で、王国最強の呼び声も高い【剣神】ハインライン様は腕を無くしていて……」
「たかが【剣神】が、でしょう? 【剣聖】リトリシア・ブルシュトロームは五体満足だったわ」
「で、ですが……」
「レギウス。貴方……もしかして、私に歯向かう気なの?」
アンリエッタのその言葉に、レギウスはビクリと肩を震わせる。
そして、怯えた様子で、開口した。
「か、畏まりました……アレを、地下水路に放ってきます……」
「ええ。お願いね、レギウス。私は今後の憂いなく、オフィアーヌ家の次期当主になってみせる。ようやくよ……ようやく、全てが、私の物になるの。フフフ……見ているかしら、ジェスター。これが、アリサを選んだ貴方への復讐よ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
深夜。コレットは一人、街の中を疾走していた。
そして彼女は、飲み屋街で歩いている、冒険者へと盛大にぶつかる。
「おっ、とっと……大丈夫かい? 嬢ちゃん?」
大柄な男はぶつかってきたコレットに、そう声を掛ける。
コレットは涙目になりながら、何かを伝えようとするが……言葉が出なかった。
そんな彼女の様子に首を傾げる冒険者一団。
コレットは鞄からスケッチブックを取り出し、冒険者たちに、そこに書かれている文字を見せる。
「えっと……早く逃げてください? 災厄級の魔物が、王都にやってくる?」
冒険者たちは顔を見合わせる。
そして、その後、ガッハッハッハと、全員大笑いし始めた。
「お嬢ちゃん、災厄級の魔物なんて、王都に出るはずないよ!」
「そうだぞ。何たって、王都は、聖女様と剣聖様が守っていらっしゃるのだからな! この地は大陸の中でも一番安全な場所だ!」
「それよりも、早く帰った方が良い。ここは、子供がいる場所じゃないぞ?」
笑い声を上げる冒険者たちに、コレットは、顔を俯かせる。
そんな彼女を……後方で物陰に隠れて見つめる、一人の青年の姿があった。
「コレット……あいつ、何やってんだ……?」
それは、アレクセイだった。
アレクセイは、ジッと、コレットを見つめる。
泣きそうになりながらも必死に涙を堪え、次の人にスケッチブックを見せに行こうとするコレット。
だが、何人に見せても、誰も、コレットの言葉を信じる者はいなかった。
皆、笑うか、訝しげな表情を浮かべるか、無視するか。どれかだった。
その途中、コレットは小石に躓き、盛大に転倒して……泥だらけとなる。
その光景を見て、アレクセイは思わず手を伸ばした。
だが……脳裏によぎった兄ブルーノの言葉で、アレクセイは、足をとどめた。
『良いか、アレクセイ。コレットはアンリエッタの娘だ。その腹の中では、何を考えているかは分からない。同情などするな。奴は、僕たち兄弟の敵だ』
「……兄上。俺にはどうしても、あいつが、悪い奴には見えねぇよ……」
そうアレクセイが独り言を呟いた、その時。
コレットの目の前に……仮面を付けた、謎の人物が姿を現した。
コレットは起き上がると、すかさず、スケッチブックを彼に見せる。
男はそのスケッチブックを無視して、口を開いた。
「……コレット・ヴェール・オフィアーヌ、か。紛い物のオフィアーヌの血族。貴様はあの家に産まれただけでも、十分に、罪深い」
仮面の人物が、コレットへと手を伸ばす。
その手に嫌なものを感じたアレクセイは、コレットの前へと行き、彼女を庇った。
突如現れたアレクセイに、仮面の男は手を止める。
「……」
仮面の男は数秒程二人を見つめた後、苦悶の表情を浮かべて、突如、頭を押さえ始める。
彼の脳裏によぎったのは……幼い自分を庇う父の姿、過去の情景だった。
「ぐっ……! まさか、この二人に、私は、過去の自分と父を重ねているのか……? 私の最後の良心が、今の私自身を、ゴーヴェンと変わりないと止めようとしているのか……? フ、フハハハハハ! ふざけるなよ……!」
ゼェゼェと荒く息を吐いた後。
仮面の男は二人をギロリと睨むと、そのまま二人の横を通り過ぎ、道を進んで行く。
「今は……今はまだ、オフィアーヌに手を出す時ではない。まずは、バルトシュタイン家だ。ゴーヴェンを殺さなければならない……! もうすぐだ。もうすぐ、時が満ちる……」
そう言い残し、仮面の男は去って行った。
アレクセイとコレットは、そんな仮面の男を、訝し気に見つめるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――翌日。
ルーファスとアグニス、牛頭魔人クラスの生徒3人は、眠らずに進み続け――――第四階層へと到達していた。
そこでルーファスは、天井が砕け、光が差し込んでいるフロアへと辿り着く。
空から差し込む光の下には……水晶の破片が転がっていた。
「なんだ、これは……?」
ルーファスは座り込み、破片を拾う。
そんな彼に、背後に立っていたアグニスが声を掛けた。
「どうした、ルーファス。何か見つけたのか?」
「いや……この水晶、見たところ、上から放り投げられたみたいだ。それも、断面を見る限り、砕けて真新しいものと見える。いったい誰が、何のために、地下水路にこれを投げ入れたんだろうな。不可思議だ」
「ふむ。単に、地上からゴミを投げ入れただけではないのか?」
「……だと、いいが……何か、こいつを見てから、妙な胸騒ぎがするんだよなぁ。まぁ、考え過ぎか。さっさと先に…………って、待て! あれは何だッ!?」
ルーファスは突如立ち上がると、目の前にある、ある物へと指を差した。
ルーファスの指の先にある物体に、アグニス含めた牛頭魔人クラスの生徒たちは、思わず息を吞む。
ルーファスは引き攣った笑みを浮かべたまま、口を開く。
「お、おいおいおい……何だよ、こいつは? ガイドにはこんな形の虫の魔物がいるとは聞いてなかったぞ? もしや、こいつが支配者級の魔物……なのか? 情報が間違っていたとか、か?」
彼らの目の前にあるもの。それは……巨大な蠅の……抜け殻だった。




