第8章 二学期 第237話 元剣聖のメイドのおっさん、王子と弟子たちの会話を聞く。
ジェシカが決意を表明したその後の夜も、弟子たち3人は修行を重ねていった。
ロザレナは、特別任務でキールケに勝利するために。
ルナティエは、特別任務で黒狼クラスを勝利させるために。
グレイレウスは、来る【剣王】の試験を突破するために。
俺は3人に学生の域を超えろと言ったが、敢えて伝えていなかったことがある。
それは……3人ともマリーランドでの決戦を経て、既に学生の域なんてとっくに超えていることだ。
ロザレナとグレイレウスが倒したメリアとファレンシアは、剣王クラスの相手。ルナティエが倒したキュリエールに至っては、魔法を封じて慢心してはいたが、歴代最強の剣神クラスの相手だった。
それらを降してみせた3人は、恐らくは周囲が驚くほどの実力を既に手に入れているだろう。現時点で【剣王】の座に、届きつつあるのは間違いない。
(とはいえ、これから先のことを考えても、さらに強くなっておいて損はないはずだ)
聖王が死んで継承権争いが始まれば、国が荒れる可能性がある。
それまでには……3人とも、もっと強くなって欲しいところだ。
「しかし、俺の弟子は3人とも、偶然全員タイプが違うなんてな。ロザレナは剛剣型、グレイレウスは速剣型、ルナティエはオールラウンダー。それぞれ異なる剣士としてお互いに頂点に上り詰めようとしているとは、なかなかに面白い光景だな」
俺は修練場の端に立ち、3人の稽古を見つめる。
ここに魔法剣型の弟子がいれば、全ての型が揃うことになるだろう。
まぁ、俺は魔法剣に関しては素人だから、教えられることなんて何もないのだが。
「13日後の特別任務……何もアクシデントが起こらなければ良いんだが……」
「―――こんなところにいたのか。ロザレナ・ウェス・レティキュラータス」
その時。修練場に、ジークハルトが姿を現した。
俺はすぐさま思考を切り替え、師アネットではなく、ロザレナの修行を見守るメイドのアネットを演じることに決める。
「ジークハルト? いったい何の用?」
ロザレナは座禅を止めて立ち上がると、突如現れたジークハルトに、警戒心剝き出しの様子を見せる。
そんな彼女に、ジークハルトは声を掛けた。
「私はお前たち黒狼クラスと同盟を組み、特別任務でキールケを級長の座から引きずり降ろすことに決めた。全面的にお前たちに協力するつもりではあるが、私がいったい何をするべきか、お前たちと話し合っていないと思っていてな」
ジークハルトのその言葉に、ルナティエは修行を止めると、ロザレナの代わりに口を開いた。
「わたくしたち黒狼クラスとしては、シュゼット率いる毒蛇王クラスが天馬クラスと牛頭魔人クラスを押さえている間、主力であるロザレナさんとわたくし、ベアトリックスさんのチームで、【支配者級】の魔物を狩りに行くつもりですわ。万が一その途中でキールケのチームと相対した時は、ロザレナさんが足止めする手筈になっています」
「なるほど。では、【支配者級】の討伐は、基本的にルナティエとベアトリックスチームに任せきりになるということか」
ジークハルトは顎に手を当て考え込んだ後、再度、開口した。
「私も討伐チームに参加しよう。特別任務当日は自分のパーティから離れ、単独で行動し、お前たちを支援する。別に、単独で行動することはルール違反ではないからな。パーティに討伐ポイントを貢献しない愚行であることから、やる人間は少ないと思うが」
「……良いんですの? そんなことをすれば、間違いなく鷲獅子クラスを裏切ることになるんですのよ? キールケを倒した後、その事が尾を引いてクラスメイトたちから反感を買った場合、級長の座に戻っても求心力が損なわれるかもしれませんわよ?」
「私は自分が級長の座に戻ることには、特に固執はしていない。ただ、クラスの調和を乱したキールケを倒すことができればそれで良いと思っている」
「……分かりましたわ。貴方が共に行動することを、認めましょう」
「あぁ、よろしく頼む。それよりも……あれはいったい何をしているんだ?」
ジークハルトの視線の先には、何度も大木に激突しては起き上がり、再び大木に向かって走り出し……激突しているグレイレウスの姿があった。
その光景に何処か引いている様子のジークハルトに、ロザレナはキョトンとした顔で口を開く。
「【瞬閃脚】の修行よ」
「ばっ、ロザレナさん!?」
「……は? し、【瞬閃脚】だとッ!?」
目を見開き驚くジークハルトと、額に手を当て疲れたように首を横に振るルナティエ。
まぁ、ロザレナは昨日、初めて【瞬閃脚】というものを知った様子だからな。速剣型の奥義がどれほどレベルの高いものなのか分かっていないのだろう。
「確かに、三期生グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロスは、学園内でも指折りの実力者だとは聞いている。だが……【瞬閃脚】は速剣型を極めし者だけが辿り着ける境地だ。単なる騎士候補生が習得できるものではない。そんな無謀な教えを説いているのはいったいどこの誰だ? はっきり言って、馬鹿げているぞ」
「ア……をばかにす……なんでもないわ」
アネットを馬鹿にするんじゃないわよと口にしようとしたロザレナは、慌てて言葉を飲み込んだ。
偉いですね、お嬢様。やはり最近のお嬢様はぐんぐんと成長していらっしゃる。
ルナティエは、ジークハルトを鋭く睨み付け、開口した。
「別に、師匠なんていませんわよ。わたくしたちは、わたしくたちの意志でここで修行をしているんですの。例え無謀だと言われようとも……わたくしたちは諦めはしませんわ。この場にいる全員、真剣に、剣の称号を目指して修行をしているのですから」
「……味方を疑いたくはないが、お前らが本気でキールケに勝てるのか、はっきり言ってそこが最大の懸念点だ。単刀直入に問おう。お前たちは今、特別任務に向けて、どんな修行をしている?」
「あたしは、【心眼】の修行をしているわ」
「わたくしは、【縮地】と情報属性魔法の修行をしていますわ」
「【心眼】……の方は聞いたことのないものだが……【縮地】の方は剣王レベルの技だな。はっきり言って、特別任務までの数日で【縮地】を会得しようなど、馬鹿げている行為だ。この学園に剣王レベルの実力を持つ剣士は、シュゼット・フィリス・オフィアーヌくらいのものだろう。お前たちがあの狂った令嬢と同等の力を持っているとは、私にはどうにも思えない」
「あたしたちは学級対抗戦でシュゼットを倒したわ。それが証拠にならないの?」
「私は正直、黒狼クラスの躍進には、以前から些か疑問を抱いている。入学当初のお前たちは、どう見ても落ちこぼれの寄せ集めだったからだ。確かに、ロザレナとルナティエの決闘を見た時は、なかなかに良い唐竹を放つ生徒だとは感じたが……それだけのこと。級長であるロザレナは唐竹以外の動きがどう見ても素人、副級長であるルナティエは剣の動きこそ様になっているが、威力も何もない、平均的な素養を持つ凡庸な存在。それが、私から見た黒狼クラスのリーダーたるお前たちの評価だった」
「勝手な評価をしてくれるものね」
「まったくですわ」
「だが……お前たちは、私の予測を超え、学級対抗戦であの毒蛇王クラスに勝利してみせた。しかも、一期生最強と名高いシュゼットを、お前たち二人は協力して倒したと聞いている。はっきり言って、意味が分からなかった。お前たちでは逆立ちしようとも、シュゼットに勝利できるはずがなかったからだ。いったいどんな魔法を使ったのか……私は考えた。そして、ひとつの仮設を立てた」
そう口にして一拍置くと、ジークハルトは再度、開口する。
「黒狼クラスには、お前たち二人を導いた、裏のリーダーがいると。そいつがお前たちに剣と知識を教えたのではないかと、私は予測した」
まるっきり、ルイーザと同じような結論に至っているな。
やはり、学級対抗戦の一件で、黒狼クラスの躍進に疑問を持つ生徒は多く出てきているようだ。
今のところ、黒狼クラスのルイーザ、天馬クラスのリューヌ、鷲獅子クラスのジークハルトが、黒狼クラスの背景に何者かが潜んでいると見ている、ということか。
いずれも、頭が良い人物たちだ。しかし、確たる証拠を出していない以上、その正体が単なるメイドであることには絶対に辿り着くことはできないだろう。
……現状、一番真相に近付いているのは、俺を怪しんでいる、ルイーザといえるが。
「貴方がどう予想していようとも、わたくしたちは、ただ己の力を極めるのみですわ。そんなこと、話していても仕方のないことじゃありませんの? わたくしたちはキールケを倒すために同盟を組んだ。それだけのはずでしょう? 裏になんて誰もいませんけど、それをずっと怪しんでいたら、同盟なんて組めませんわよ?」
「……その通りだな。確かにこれは余計な詮索だったか。現状、天馬や牛頭魔人と組むくらいならば、お前たちの方が信用に値する。私は全力を以って、黒狼クラスを支援しよう」
「ジークハルト、リューヌやルーファスは、貴方からはどう見えているんですの?」
「リューヌはお人好しの馬鹿だな。誰も彼も救おうとする者が、クラス争いで勝てるはずもない。ルーファスは人当たりは良いが、正直、手を組むとなると忌避感を覚える。奴は、誰も信用していない……そんな雰囲気を感じる」
リューヌの方は、はっきり言って外面しか見ておらず的外れも良いところだが……ルーファスの評価は少し気になるところだな。今のところ、一番情報が少ないのが、牛頭魔人クラスの級長、ルーファスだからだ。
「稽古の邪魔をしたな。私は寮に戻る。良い策が思い付いたら、お前たちに相談しよう。ではな」
そう口にして、ジークハルトは修練場から去って行った。
その背中を見送った後、ロザレナは、大きくため息を吐く。
「何かあいつ、真面目で表情も硬くて……話していると疲れるわね」
「そうですわね。だけど、こういう機会でも無ければ、彼とはずっと敵だと思いましたから……こうして対話ができるようになったのは、なかなかに面白いですわね。第一印象は冷たい人間なのだと思いましたけれど、ただ真面目で堅物なだけですわね、あれ」
「なんか、あいつ、色々なものを背負いこんでいるって感じがするわ。自分がやらなければーって、そんな、使命感?みたいなものを感じる気がする。まぁ、対話してみても、あたし的にはやっぱり苦手な人物なことに変わりないけど。学校の先生みたいで嫌だわ、あいつ」
そう会話した後、ロザレナとルナティエはそれぞれの稽古に戻る。
使命感、か。
確かに、先日会話した時、彼は、聖王の座に強い感情を抱いていた様子だったな。
国を正そうとする正義感だけではなく、もっと他に、聖王にならなければならない理由が……彼には、ありそうだ。
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「どうだったかね、彼らは。良い奴らだっただろう?」
裏山を降って寮に戻ろうとしていたジークハルトの道の先に、マイスが立っていた。
ジークハルトは心底不愉快そうな表情を浮かべると、マイスの横を通り過ぎようとする。
「何だ、せっかく同じ寮となったのに、兄と話をする気もないのかね、ジーク」
「黙れ。私は私の失態を取り返すために、黒狼クラスと同盟を組み、会議しやすいように満月亭に来ただけのこと。誰が好き好んでお前の居る寮に入るか。目障りだ、消えろ、臆病者」
「まったく。お前のその姿、口調は……まるで昔の俺のようだな。幼い頃のお前は、そんな険しい顔をするような奴ではなかっただろう? ジーク」
「ふざけるなよ! いつまでぬるま湯の中にいるつもりだ、マイスウェル! お前が遊び惚けているからこそ、私は王位継承者として、奴らと……エステリアルと戦うことに決めたんだ!」
「ジーク。俺は何度も言ってきたはずだ。争いは良くないと」
「その甘ったれた考えを抱いた結果、お前は王位継承権を放棄し、女に溺れ、この学園に身を捨てたというのか! お前ほどの頭脳と力があれば、エステリアルもジュリアンも敵じゃないはずだろう! 次期聖王との呼び声が高かったお前が、何故……!」
「……誰も傷付けたくはないからだ。俺はエステルと、ある約束をした。今のこの状況は、その約束を守っているだけにすぎない」
ジークハルトはマイスの胸倉を掴むと、咆哮を上げる。
「幼い頃の私は、お前に憧れた!! 万民を救うという理想を掲げ、それに邁進していたお前のことを、本気で兄として慕っていた!! それなのに、お前は……私を裏切った!! 神童と謳われていた王子は、今や貴族たちから嘲笑される女好きの馬鹿王子ときた!! そんなにエステリアルが怖いのか、臆病者め!!」
「ジーク……」
「お前など、最早兄とは思わない。このぬるま湯の中で一生、現実を視ずに生きていろ。私は、お前とは違う。必ず、エステリアルやジュリアンを止めてみせる」
そう口にして、ジークハルトは去って行った。
一人残ったマイスは空に浮かぶ三日月を見上げ、一言、呟く。
「ジーク。俺は……お前が幸せでいてくれたら、それで良いのだよ」
その言葉は誰にも届くことなく、夜の闇に霧散して消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――それから、日々は、瞬く間に過ぎていった。
ロザレナとルナティエ、グレイレウスは、それぞれの稽古をこなしていく。
俺は寮の家事を行いながら、深夜は、3人の弟子の稽古を付けていた。
寮に来たフランエッテに、何故実力を隠しているのか聞きたかったのだが……フランエッテは何故か俺を避けているようで、あまり寮で顔を合わせることは少なかった。
俺、何か、彼女にしてしまったのだろうか?
まったく、何も身に覚えはないのだが……。
まぁ、今は、特別任務に向けて意識を集中すべきだと考え、フランエッテのことは置いておくことにした。
そうして日々を送っていくうちに……ついに、特別任務の日がやってくるのだった。




