第8章 二学期 第235話 元剣聖のメイドのおっさん、お団子頭の少女に惚れられる。
「――ここが、貴方様のお部屋です」
俺はそう言って、ジークハルトに二階にある奥の部屋を手で指し示した。
そんな俺に頷くと、ジークハルトは鞄を手に持ち、部屋に入ろうとする。
「そうか。案内、ご苦労だった」
「? お荷物はその小さな手提げ鞄だけなのですか?」
「あぁ。私は極力、何があっても良いように荷物は少な目にしている」
「何があっても良いように……?」
「王子という身ゆえに、暗殺という危険もある。それ故に、住処を転々とすることも多い。荷物が少ないのは、そういった理由からだ」
「王都の中央にある、お城にお住まいなのではないのですか?」
「いいや……」
ジークハルトはドアノブに手を当てたまま固まると、「キールケが公に話した以上、最早、話をしても問題は無いか」と独り言を呟いて手を降ろし、こちらに顔を向けてきた。
「お前は確か、ロザレナのメイドだったな?」
「はい。アネット・イークウェスと申します」
「もうすぐ次の聖王を決める『巡礼の儀』が始まろうとしていることは知っているか?」
「……はい。詳細は知りませんが、聖王陛下のお身体の状態が芳しくないことから、もうまもなく『巡礼の儀』が始まる可能性が高いことは、ルナティエお嬢様から窺っております」
本当はヴィンセントからその話を聞いたのだが、ただのメイドが【剣神】と繋がりがあるのもおかしいからな。ルナティエから聞いて知っているというのが、良い落としどころだろう。
「そうか。聖王の容態は国民を心配させないように、一部の人間しか知り得ない情報だったが、四大騎士公であるフランシアの令嬢であれば知っていて当然、か」
そう言って顎に手を当て考え込む素振りを見せた後、ジークハルトは俺に鋭い眼光を見せてくる。
「そういえばお前は……シュゼットとの同盟を結ぶ場にもいたな。『巡礼の儀』のことを知っていることといい、余程、ロザレナとルナティエから信頼されているようだな」
「私はお嬢様のお傍を離れないようにレティキュラータス家の当主から仰せつかっておりますので」
「……」
俺を値踏みするように静かに見つめた後、ジークハルトは静かに口を開いた。
「今の王宮は、私にとって危険極まりない状況にある。第一王子ジュリアン。第二王女フレーチェル。第三王女エステリアル。そして、第三王子である私、ジークハルト。現在、この四人が王位継承権を持つ者たちだが……この中で私は、未だに騎士を持っていない。それ故に、『巡礼の儀』が起こるまでに、暗殺される可能性がある」
「だから、王宮には住まずに、住処を転々としていると?」
「あぁ。聖王が死にかけていることから、王宮は最早、権力闘争による魔窟と化しているからな。私は自分の身は自分で守らなければならないのだ」
「もしや……騎士学校に入ったのは、そのためなのですか? バルトシュタイン家の支配下にあるこの地では、他の王族が手を出すことはできない、と? そう考えたのですね?」
俺のその言葉に、ジークハルトは口角を吊り上げる。
「意外に聡いな。そういうことだ。この聖騎士養成学校、ルドヴィクス・ガーデンにおいて、試験や決闘以外での殺人は許されていない。余計な横やりを入れれば、その王子王女はバルトシュタイン家に喧嘩を売ることになる。存外にもゴーヴェンという人間は学園長としてルールは守る男だからな。学園の沽券を穢す行いをすれば、たとえ王子であろうとも容赦はしないだろう。四大騎士公で最も権威を持つバルトシュタイン家だからこそ、できる行いだ」
そう言った後、ジークハルトは視線を逸らし、疲れたようにため息を吐く。
「だが……第一王子ジュリアンに付いたキールケが、ゴーヴェンを言い含め、私を脅かすために学園に入学を果たしてしまった。私はこの学園における戦いに王族同士のいざこざを持ち込むつもりは無かったのだが……こればかりは私の失態といえるな。鷲獅子クラスの皆を巻き込んでしまったことには、謝罪してもし足りないだろう」
「ジークハルト様は……聖王になるおつもりなのですか?」
「無論だ。第一王子ジュリアンは、保守的な考えを持ち、既得権益者どもが好き勝手している王国をこのままで良いと考えている。第ニ王女フレーチェルは、自己中心的な思想家、王には向いていない。第三王女、エステリアルは……」
ギリッと奥歯を噛むと、ジークハルトは喉の奥から絞り出すような声を上げた。
「奴は、一番、王位を継がせてはならない人物だ。あの女は、巡礼の儀が始まるまでに多くの王子王女を殺してきた。奴が王位を継げば、間違いなく聖グレクシア王国は崩壊するだろう。私はそれを止めるために、聖王を目指している。この私が強き王となり、この国に、正しい法と秩序を取り戻す。秩序を持たぬ者は、ただの獣でしかないからだ」
ヴィンセントが望むのは、偽りの王ミレーナを玉座に継がせ、後に王制と貴族制を廃止し、王と貴族を戴かない民が上に立つ国を創ること。
ジークハルトが望むのは、既得権益を許さず、国に新たな法と秩序を産み出し、正しい国を創ること。
エステルは―――。
脳内に、大森林で聞いた、ジェネディクトの言葉が蘇る。
『エステルは聖王の座に就いた後、この大陸――エリシュオンにある全ての国家と体制を壊し、ひとつの統一国家を創り上げようとしているの。王に即位するのと同時に他国全土に宣戦布告をし、世界大戦を開こうとしているわ。あの王女様が目指す道は、血と戦乱と独裁で創り上げる、地獄の道。地獄の先に、弱い者が泣くことのない、真の平和を創り上げようとしているのよ』
3人ともそれぞれのやり方で、この国を変えようとしている。
ヴィンセントのやり方は、民衆にとっては良い国になるだろうが、間違いなく貴族たちから反感を買うことになるだろう。下手したら、内乱になりかねない。
ジークハルトのやり方は、正直、今のところ理想論にしか感じられない。今の彼に、長年王国を腐らせてきた貴族たちに太刀打ちできる力があるかどうか不確かだからだ。未熟なままであれば、貴族たちの傀儡と化す可能性もある。
エステルのやり方は……まず間違いなく、多くの人間が死ぬことになるだろう。しかし統一国となれば、この大陸から戦争は無くなり、未来で人死にが減るのは確かだ。結果的に、この地に消えない傷が残るのは事実だが。
今のところ、俺としてはやはり、ヴィンセントの創る国が理想といえるか。
ジークハルトとエステルに国を託すには、少し、不安が残る。
「長話は済んだかの? だったらそろそろ妾を部屋に案内せよ、子リス」
背後からそんな声が聞こえてきたので振り返ると、そこには、何故かそわそわしているフランエッテの姿があった。
そんな彼女に、ジークハルトは不愉快そうに眉を顰める。
「フランエッテ。何度も言うが、私は、力を持っているのに使わない者が嫌いだ。お前はキールケに良いようにされている今の鷲獅子クラスの現状に、不満を抱いてはいないのか? クラスメイトたちが傷付けられている姿に、哀しみはないのか?」
「悪いが、そんなことを話している程、妾は暇ではない」
「貴様っ……!」
「あれ? アネット、お客さん? って、あ……」
その時。廊下の奥から、ジェシカが姿を見せた。
ジークハルトの姿を捉えたジェシカは、怯えた表情を浮かべる。
そんな彼女を一瞥した後、ジークハルトは「ではな」と俺に声を掛けると、そのままバタリと扉を閉めて部屋の中へと入って行った。
その光景を見つめたジェシカは、こちらに近寄り、声を掛けてくる。
「今のって……ジークハルトくん、だよね……?」
「はい。ジェシカさんには酷な話かもしれませんが……彼はロザレナお嬢様と同盟を組み、特別任務が始まるまでこの寮に入ることになりました」
「そう、なんだ……」
何処か暗い表情を見せた後。
ジェシカは明るく笑みを浮かべ、俺に手を振った。
「だ、大丈夫だよ! 私に酷いことをしてきたのは、ジークハルトくんじゃないし! 彼は私を虐める人たちとは無関係って、分かっているから!」
そう言った後、ジェシカは、再び暗い表情を浮かべる。
「ねぇ、アネット。ロザレナはさ……私のこと、助けようとしているんだよね……?」
「はい、そう聞いています」
「私、さ。ロザレナとすれ違いしているっていうかさ。私は別に、ロザレナに……」
「子リス! 早くせんか! 妾はさっきから……さっきから、おしっこがしたくてたまらないんじゃーっ!!」
フランエッテは目をグルグルとさせて、そう叫ぶ。
そんな彼女に、ジェシカは困惑した様子を見せた。
「え? な、何で、【剣王】フランエッテがここにいるの? おしっこ……?」
ジェシカの言葉にフランエッテはハッとすると、片目に手を当て、決めポーズを取る。おしっこはどうした、おしっこは。
「フフフ……妾は、おしっこなどとは言っていない。おし……圧し殺すぞ! と言ったんじゃ。うむ」
「アネット、【剣王】に殺されようとしているの!? だ、駄目だよ!! アネットは友達なんだから!! 私、戦うよ!!」
拳法の構えを取るジェシカ。
そんな彼女に、フランエッテは内股になり、プルプルと身体を震わせる。
「子クマ。安心せよ、妾はここでこの子リスを殺す気はない」
「子クマ? え、あ、私のこと? 何でクマ?」
「それは、その二つのお団子が……って、ええい! そこを退けい!! そして早く妾を部屋に案内せよ!! 子リス!! もう限界じゃ!!」
「え、ええと、フランエッテ様のお部屋は、二階の右最奥です。お部屋には備え付けのトイレがありますので、安心してください」
「分かった! 先に行くぞ!」
そう口にすると、フランエッテは勢いよく廊下を駆けて、去って行った。
フランエッテが何故実力を隠していたのか聞きたかったのだが……まぁ、それは後で、だな。
彼女の後ろ姿を見送ると、ジェシカが、困惑の声を上げる。
「何で、あの子もここにいるの!?」
「やむにやまれぬ事情があると申しますか……それよりも、ジェシカさん。私に何か相談があったのではないのですか?」
「う、うん……。でも……やっぱり、良いや……」
「え?」
「ま、またね、アネット!」
何処か焦った様子で、去って行くジェシカ。
そんな彼女と入れ違いに、オリヴィアが廊下の奥から姿を見せる。
「あら、ジェシカちゃん?」
横を通り過ぎていくジェシカに首を傾げた後、オリヴィアは俺の前までやってくると、口を開いた。
「聞きましたよ、アネットちゃん。この満月亭に、新しく二人の生徒が入寮したそうですね?」
「はい。とはいっても一人は特別任務まで、もう一人は居候という形なので、ずっとこの寮にいることはないと思いますが」
「一期生鷲獅子クラスのジークハルトくんに、同じく一期生鷲獅子クラスのフランエッテさん。確か、ジェシカちゃんと同じクラスの生徒ですよね?」
「そうですね。……あの、オリヴィア。寮にいる間、ジェシカさんのことを、よく見ていてくださいませんか?」
「ジェシカちゃんに何かあったのですか?」
キョトンとするオリヴィアに、今朝、学校であったことを話す。
するとオリヴィアは、眉間に皺を寄せ、辛そうな顔を見せた。
「キールケ……あの子が、鷲獅子クラスを掌握し、ジェシカちゃんを苦しめているんですね……」
「はい。それで、お嬢様はキールケ様を倒そうと、毒蛇王クラスの級長シュゼットと、鷲獅子クラスの元級長ジークハルトと手を組むことに決められました」
「アネットちゃん。気を付けてください。あの子は、人間の命を何とも思っていないんです」
「人間の命を何とも思っていない、ですか?」
「はい。以前、バルトシュタイン家の御屋敷に来た時に見たと思いますが、キールケは自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起します。内面はただの子供なんです。だけど、子供故に無邪気な残酷性を秘めていると言いますか……人間の弱みを見つけて、人の心を壊すのが上手く、平気で相手の大事なものを台無しにしてきます。アネットちゃんが私の婚約者としてバルトシュタイン家に来た時、キールケは、貴方を奴隷にしたいと言ってきたでしょう? あれは、私が貴方のことを何よりも大事にしているのだと、見抜いた結果の言動です」
「……つまり、人の大事なものを壊し、相手の心を掌握する術が上手い、ということなのですか?」
コクリと頷くオリヴィア。
なるほど、だから以前俺にちょっかいをかけてきた、というわけか。
とはいっても……。
「オリヴィア。どうやらキールケには、私が男装をしてオリヴィアの婚約者をやっていたことは、バレている様子でした」
「え……?」
「ですが、ご安心ください。彼女は、ヴィンセント様には私のことを言ってはおられない様子でした。その真意は……分かりませんが……」
「そう、ですか……」
不安そうな面持ちで、顎に手を当てて思案する素振りを見せた後。
オリヴィアは、俺の肩を両手で掴んでくる。
「アネットちゃん。キールケは、私のことが嫌いです。真っ先に、自分に喧嘩を売ったロザレナちゃんと私の大事な友達である貴方を狙ってくると思います。何かあったら私に言ってください。満月亭の監督生として……お二人を、必ず守りますから」
「ありがとうございます、オリヴィア」
「……貴方がオフィアーヌ家の人間であることも、絶対にキールケには言わないように。あの子は、私やお兄様と違って、貴方の出自を知ったらお父様に伝えて必ず貴方を消そうとするはずですから。良いですね?」
「勿論です。私がオフィアーヌの血を引いていることは、オリヴィアとヴィンセント、メイドのコルルシュカ以外には知りませんから。ご安心を」
「? コルルシュカ? って、誰ですか?」
しまった。ギルフォードと関係性の深いコルルシュカのことは、オリヴィアに黙っていたのだった。
俺はコホンと咳払いをすると、オリヴィアの手を掴み、廊下の奥へと進んで行く。
「さ、さぁ、今日は人数も増えた夕食を、頑張って作りますよ! オリヴィアも手伝ってください!」
「わ、分かりました!」
そうして俺は、オリヴィアを連れてそのまま階段を降りて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、豪勢な料理を作ってはみたが……ジークハルトは『食事に毒でも入っていたら困る。私は他人の作った料理は食べない主義だ』と言って部屋から出て来ず、フランエッテに至っては部屋を覗いたら荷物だけを置いて何処かへ消えていた。
歓迎を込めて料理を作ったはずだが、結局、いつものみんなで食べることとなった。
そして、皿を片して―――午後十一時過ぎ。
自分の部屋へと戻るのと同時に、久しぶりに念話の魔法が発動し、頭の中に声が響き渡った。
『――アレスか? 久しぶりだな』
「ヴィンセント様?」
『クク。貴様に見せたいものがあってな。今から、バルトシュタイン家の屋敷に来ると良い』
そう言って一方的に念話を切るヴィンセント。
まったく、今からフランエッテを探しに行こうと思ったのだが……仕方ない。
俺はクローゼットから男装の衣服を取り出し身に付ける。
そして髪の毛を後頭部にまとめて結ぶと、机の引き出しから魔道具、転移の指輪を取り出し、指に嵌めて、魔法を発動させた。
「―――【転移】」
その瞬間、視界が真っ白になり、俺は、転移でバルトシュタイン家の屋敷前へと移動した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「来たか」
「ヴィンセント様、おまたせしま……した?」
「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 何でミレーナがこんなことしなきゃならないんですかぁぁ!! おうちに帰してくださいですぅぅぅぅ!!」
使用人の案内でバルトシュタイン家の屋敷に入り、ヴィンセントの執務室へと向かうと、そこには机の上にある大量の紙の山と向き合い涙を流すミレーナと、そんな彼女の背後に立ち腕を組むヴィンセントの姿があった。
俺はその光景に、思わず顔を引きつらせてしまう。
「これは……いったい……?」
「アレス、紹介しよう。彼女の名はミレーナ・ウェンディ。彼女はただの平民だが、亡くなった第6王女と同じ、珍しい水色の髪をしている。加えて、王妃が死んだ王女に渡した証拠のペンダントも我が手にある。ククク、これだけ言えば、俺が何をしたいのか分かるだろう?」
「……彼女を死んだはずの王女として祭り上げ、以前仰っていた、ヴィンセント様の計画……力無き王を玉座に就かせ、自分が実権を握る……その要とするおつもりなのですね?」
「その通りだ。来月十月に、王宮で晩餐会が開かれる。そこで、俺はこの少女を死んだはずの王女としてお披露目する。そこには、数多くの王位継承者たちが参加するだろうが……まさか、第五の王位継承者が現れるとは思っておるまい。今から、腐った貴族どもの驚く顔が楽しみだ。ククク……」
「やっぱり悪人顔のオッサンの言葉に従うのは間違いだったですぅぅ!! ミレーナ、もう読み書きの練習なんてしたくないですぅ!! 勉強もしたくないですぅ!!」
「黙れ。貴様は王となることを自ら決めた。ならば、王女としての教養を身に付けなければ話にならん。晩餐会で平民として振る舞ってみろ? 只じゃおかんぞ」
「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!! もう嫌ですぅぅ!! おうちに帰りたいですぅぅぅぅぅ!! ……って、あれぇ?」
ミレーナは俺に目をやり、首を傾げる。
「ん? なんでこんなところにアネ―――」
俺はすぐさまミレーナに近寄ると、彼女の口を塞ぎ、笑みを浮かべた。
「ミレーナさん。私は、アレスです」
「もががぁ!? ぷはぁっ!? な、なにを言ってるですか、アネットさ―――」
「アレス、です」
再度口を塞ぎ笑みを浮かべると、ミレーナは汗をダラダラと流しながら、コクリと頷いた。
そんな彼女にふぅと大きくため息を吐いた後、俺はミレーナから手を離し、ヴィンセントに声を掛ける。
「見せたいものというのは、彼女のことなのですか?」
「その通りだ。アレス、単刀直入に問おう。貴様……来月の晩餐会に参加し、オフィアーヌ家の血族として名乗りを上げ、我らの陣営……ミレーナの騎士となる気はないか?」
「え……?」
「オフィアーヌの一族であるお前は、四大騎士公の末裔だ。したがって、王位継承者の騎士になる資格を有している。そして、王子の騎士となれば、お前は身分を隠す必要が無くなる。何故ならオフィアーヌを滅ぼした聖王は既に死にかけ。公にお前の存在を公表すれば、我が父は先代オフィアーヌ抹殺の失態を犯したことで貴族界で権威を落とし、むやみに動けなくなるだろう。名乗りを上げれば、貴様を堂々と暗殺することもしにくくなるはずだ」
「です、が、それは、逆に今のオフィアーヌ家の方々が良い顔をしないのでは……」
「あぁ。そうなると、現オフィアーヌ家が荒れるのは必至だろう。だが、俺に任せておけ。お前の腕であれば、必要ないかもしれないが……俺がお前を守ってやる」
そう言って不敵な笑みを浮かべるヴィンセント。
確かに、敢えて晩餐会で名乗りを上げることによって、ゴーヴェンを牽制することはできそうだ。一度殺し損ねた人物が生きていたとしたら、貴族たちはバルトシュタイン家に不審感を抱くのは間違いない。
だが、その策は、大事な人が多い今の俺にとって危険極まりないこと。
長年先代オフィアーヌの嫡子を育てていた、レティキュラータス家、及びロザレナをも危険に晒すかもしれない行為。
俺一人だけの命ならば良いかもしれないが、今の俺は一人じゃない。大切な仲間たちがいる。
「……申し訳ございませんが、その策は、遠慮させていただきます」
「何故だ?」
「私の周りの人たちを、危険に晒してしまうかもしれませんので」
俺のその言葉に、ヴィンセントは首を横に振った。
「確かに、お前の背景を考慮に入れてはいなかった。確かに、お前が名乗りを上げては、お前のことを育てたレティキュラータス家を危険に晒すか。ただでさえ発言力の低い鼻つまみ者の御家だ。恩を仇で売る行為になってしまうな」
「はい……私はこれでも、レティキュラータス家の使用人ですので……」
「分かった。だが、今後のためにも、来月の王宮晩餐会には参加しておけ。毎年、四大騎士公には招待状が届くはずだ。15歳になり成人した子息子女にも届く。レティキュラータス家の令嬢と共に、赴いてみると良い」
「正直、自分の正体がバレるような、公の場には行きたくはないのですが……」
「王宮晩餐会には、王位継承者や大貴族たちが集う。万が一の時の後ろ盾とコネクションを作っておいた方が良い。俺はまだ、バルトシュタイン家の家督を継いではいないからな。今後、全てのしがらみが解かれ、オフィアーヌ家の人間として生きるつもりがあるのであれば……行くべきだ」
ヴィンセントは、俺をオフィアーヌの人間として世に出したいのか?
もしかして、ミレーナを王座に就かせた暁には、俺やギルフォードをオフィアーヌ家の一族に戻したい……とか、考えてるんじゃねぇだろうな、こいつ。
ギルフォードはどう考えているか知らないが、俺は別に貴族に戻るつもりはないんだがな……。
「……分かりました。考えておきます」
「うむ。それでは、また何か進展があったら報告しよう。王宮晩餐会で会える日を楽しみにしているぞ」
俺は会釈して、部屋を出る。
すると背後から、ミレーナの、「助けてくださいぃぃぃぃ!!」という悲鳴が聞こえてきたが……自業自得なので、反応せずにスルーした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「特別任務まであと二週間。机の中にあった、オフィアーヌ家夫人のアンリエッタが俺のことを狙っていると書かれていた、謎の手紙。オフィアーヌ家の後継者争い。キールケとお嬢様。王宮晩餐会……何だか、考えることが多すぎて、頭が痛くなってくるな」
バルトシュタイン家から自室に転移した後。
俺は着替えもせずにベッドにダイブして、独り言を呟く。
とりあえず、間近に迫った、特別任務のことだけを考えるべきか。
とはいっても、俺は特別任務で目立ったことをするつもりはない。
ただ、お嬢様とキールケの戦いをお見守りするだけだ。
「……もうすぐ十二時、か。多分、ロザレナやルナティエ、グレイはいつものように裏山の修練場で剣の稽古をしているんだろうな。そろそろ、俺も師として行った方が良いか……」
その時、ドアをコンコンとノックされた。
こんな時間に誰だろうと首を傾げつつ、俺は立ち上がり、ドアへと向かう。
「ごめん、アネット? いるかな」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ジェシカの声だった。何の用だろう?
俺はドアの前に立つと、ドアノブを押して、扉を開ける。
「ごめんね、アネット。夜遅くに――って、え?」
ドアの前に居たのは、ジェシカだった。
だがジェシカは俺の姿を見てギョッとした様子を見せると、何故か俺を……鋭く睨み付けてきた。
「……誰、君」
「え?」
「ここは、アネットのお部屋だよ! 何で知らない男の人がここにいるの!」
え? い、いったい何を言っているんだ、ジェシカは? 知らない男の人……?
……って、あぁ! そ、そうか! 俺、今、男装したままだった!
俺は誤解を解こうと、ジェシカに優しく声を掛ける。
「すいません、ジェシカさん。私は今、男装を――――」
「問答無用だよ! この変質者!」
顔に向けて、鋭い蹴りが飛んでくる。
俺はすぐさま屈み、そのハイキックを回避してみせた。
するとジェシカは驚き、体勢を整えると、拳を構える。
「この! 避けないでよ!」
「ちょ、話を聞いていただけませんか、ジェシカさん⁉」
「変質者の言葉なんて、聞く耳持たない!」
そのままジェシカは俺の顔に目掛け、連続して拳を繰り出してくる。
とても綺麗で洗練されたフォームの拳打だ。武術の心得があることは明白だろう。
俺はそれを紙一重で避けつつ、後方へと下がった。
「話を聞いてください! ジェシカさん!」
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
ジェシカは飛び上がると、俺の首元に目掛け、回し蹴りを放った。
俺は両腕をクロスしてそれを防いでみせるが……思ったよりも足に闘気が纏われていたため、そのまま吹き飛ばされて窓ガラスを割り、3階の高さから落下した。
(何て、闘気の量だ。ムラがあるとはいえ、なかなかのもんだな)
「逃がさないよ!!」
窓から落下してくるジェシカ。
彼女は拳に力を溜めると、それを俺の顔面目掛け放った。
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!! お爺ちゃん直伝、必殺、ド根性パンチ!!!!」
「ネーミングがダサすぎるな、あのクソジジイ!!」
とてつもない闘気を纏った拳が放たれる。
地面に着地と同時に、後方へと飛び退けて回避してみせるが、ジェシカが叩きつけた拳は地面を抉り、土煙を巻き上げた。
「この!! 何で、避けるの!!」
地面に着地したジェシカは、腰にある青龍刀を抜き、こちらに向けて剣を突いてくる。
俺はそれらを避けながら、逃げていく。
そんな俺を、ジェシカは、凄まじい脚力で追いかけてくる。
(やはり、肉体的なポテンシャルはなかなかのものだな。純粋な身体能力だけでいえば、ロザレナやグレイよりも上なんじゃねぇのか、この子)
ただ、単純な性格故に、ルナティエのような策を講じるタイプの剣士とは相性が悪そうだが。ハインラインの奴がもっと本気で指導していたら、化けていた素質はありそうだ。もしかしたら……キールケやジークハルトなんかよりも級長として相応しい実力を持っていたかもしれない。
とはいえ……俺は、お嬢様に戦場に行ってほしくはない。だから、ハインラインの考えも分からないでもないが。
「はぁはぁ……どこまで逃げるの、変質者!!」
学園を出て、聖騎士駐屯区に懸かる橋までたどり着くと、ジェシカは息を切らして俺にそう言ってくる。
俺はそんな彼女に振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなものか? お前の実力は?」
ここで彼女を挑発する意味はない。
だけど、何となく、旧友であるハインラインの孫の本気の剣を見てみたかった。
以前、ロザレナと戦った時、彼女には迷いが見えた。
多分、彼女は、友達を斬ることはできないのだろう。
その優しさは、剣士には向いていない性格だと言える。
だが、今の俺なら……アネットだと正体が分かっていない今の俺なら、彼女も本気で剣を振れるのではないだろうか。
俺は手をクイクイと動かし、来いと挑発する。
するとジェシカは憤怒の表情を浮かべて、突撃してきた。
「ば……馬鹿にして!! もう、許さないんだから!!」
ジェシカは明らかに剛剣型だが、彼女は基礎である闘気操作ができていない。
以前のロザレナと同じように、全身に闘気を纏っている。
素人丸出しの様子。だが……。
(純粋な剛剣型、というわけでもないか?)
ジェシカは地面を二回蹴り上げると、【縮地】のような歩法を見せて、速度を上げて俺の背後に回った。
「ほう? 無意識に【縮地】のような動きができるのか。見たところ、まともに教わっていないだろうに、よくやるな」
俺は背後から振られた剣を、振り返らずに横に逸れて回避する。
「なっ!?」
「ハインラインや俺と同じ、【剛剣型】と【速剣型】の剣士だな、てめぇは」
俺は足を突き出して、彼女を転倒させる。
「こ、このーっ!!」
即座に立ち上がると、ジェシカは剣を構え、そのまま俺に跳び蹴りをしてくる。
俺は足を一歩前に踏み出し、敢えてジェシカの間合いの中に入る。
突然の俺のその行動に、驚き、目を見開くジェシカ。
俺はそのまま蹴りを手でいなし、空中に浮かぶジェシカの顎に向けて、膝蹴りを放った。
「きゃっ⁉」
「あ」
仰向けになって倒れると、軽い脳震盪を起こし、気絶するジェシカ。
その姿を見て、俺は顔を青ざめさせる。
「や、やばい。思わず少し力を込めて蹴ってしまった……だ、大丈夫か、ジェシカ?」
彼女の身体を抱き起し、顔を覗き見る。
目をグルグルと回してはいるが、息はある。一先ず、大丈夫と見て良さそうだ。
「この男装のせいで変な勘違いをさせてしまったかな。手荒な真似をしてしまった」
とりあえず、ジェシカを連れて寮に戻り、俺のベッドに寝かせておくとしよう。
あとは、誤解させないよう、事前にメイド服に着替えておくとするか。
俺はジェシカを抱きかかえると、そのまま、寮へと向かって歩き出した。
――――十分後。ジェシカは目を擦り、俺のベッドから起き上がった。
俺はベッド脇に置いた椅子に座り、ジェシカに声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「むにゃむにゃ……あれ? アネット? 私、どうして……って、あ」
気絶する以前のことを思い出したのか。ジェシカはハッとした表情を浮かべる。
俺はそんな彼女に、誤解を解くべく、口を開いた。
「ジェシカさん。実は、先ほどの彼は――――」
「ね、ねぇ! アネットのお部屋に居たあの男の子……名前なんて言うの⁉」
「……え?」
「アネットのお部屋に居たということは、か、かかか、彼氏なの⁉」
「い、いえ、違いますよ、ジェシカさん。さっきのは――――」
「良かったぁ! 彼氏じゃないんだねっ!」
「よか……った……?」
「あ、な、なんでもないよ! それよりもアネット。いくらお友達だからといっても、夜に、男の子をお部屋に入れちゃ駄目だよ。アネットはか弱い女の子なんだから!」
「……ええと、ジェシカさん? あの、何か誤解を……」
「友達……なんだよね? あの男の子」
「……」
何処か、有無を言わさない様子でジッとこちらを見つめるジェシカ。
正直、俺は彼女に実力を露見させたくはない。
故に、この流れは俺にとって悪くはないもの。
だが……だが、ここでその流れに乗ってしまうと、後々面倒になりそうな気配も感じる。いったい……どうすれば良いのだろうか……。
「お友達だよね? ね?」
「……はい。彼は、私のお友達です……」
「やっぱりそうだよね! うんうん!」
俺の答えに、満面の笑みを浮かべるジェシカ。
そして彼女は拳を握り締め、頬を紅く染めた。
「今度、あいつがまた無断でアネットのお部屋に入ったら、私が倒してあげる! だから、いつでも呼んでね!」
「……はい」
「私の必殺の蹴りを止めるなんて、初めてのことだった。だから、今度こそ、あいつを倒してみせるよ! それにしても……私の間合いに入った時のあいつ……ちょっと、かっこよかったな」
そう言って、目をキラキラとさせるジェシカ。
またロザレナから説教される案件を増やしてしまったなと思いつつ……俺は、げっそりとした表情を浮かべた。
 




