第7.5章 第218話 夏季休暇編 四大騎士公のお茶会 ⑤
―――8月30日。午前10時。夏休み最終日。
ミーンミーンと蝉が鳴き叫び、空に巨大な入道雲が浮かぶ中。
俺とロザレナは現在、王都南、居住区の端にある道場の前に立っていた。
道場の玄関口に立て掛けられている板には、『【蒼焔剣】流派・ロックベルト道場』との文字が荒々しく筆で書かれている。
そして中からは、「せいやぁ!」と、男たちの気合いの入った掛け声と、剣をぶつけ合う音が鳴り響いていた。
どうして俺たちがここにいるのかというと、マリーランドに行って御屋敷を留守にしていた間、実はジェシカから何通も手紙が来ていたことをエルジオ伯爵から伝えられたからだ。
手紙には筆で大きく「あそびにきて! じぇしかより」と書かれていた。
それが、ほぼ毎日御屋敷には届いていたらしく――昨日で25通目だったそうだ。
一昨日にお茶会を終えた後、エルジオ伯爵にジェシカから送られてきた手紙をどっさりと見せられた時は、俺もロザレナも顔が白くなったものだ。
確かに……確かに、俺たちはオリヴィアだけではなく、ジェシカとも遊ぶ約束をしていた。
でも、あの時、良かったら道場に遊び来て~くらいだったから……そこまで重く考えてはなかったのだが……。
まさかジェシカがこんなにも俺たちが遊びに来ることを期待していたとは思わなかった。
俺とロザレナは、緊張した面持ちでコンコンと道場の扉をノックする。
すると、中から、どたどたと足音のような音が聞こえてきた。
その音が扉の前で止まると―――木製のドアが蹴り破られ、俺とロザレナの頭上を、ジェシカが飛んで来た。
「アネット、ロザレナ!? やっと来てくれたのー!?」
「ジェシカ!?」
「わっ! 本当にアネットとロザレナだー! 嬉しいなー! って、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ジェシカはバタバタと手を振り回すと、そのまま地面に落ち、轢かれたカエルのように大の字になって地面に倒れ伏す。
そんな彼女に、ロザレナが恐る恐ると近付くと……ジェシカはむくりと起き上がり、顔面泥だらけになりながらも、にんまりと満面の笑みを浮かべた。
「ようこそ二人とも、ロックベルト道場へ!」
「おじーちゃん、リト姉、おともだちがきたよー!」
扉を開け、道場の中に入ると、ジェシカは縁側に座る二人の人物へと声を掛ける。
そこにいたのは、ハインラインとリトリシアだった。
俺は思わずささっとロザレナの背後に隠れてしまう。
何も悪いことしていないのに、旧知であるあの二人に会うと、自然と隠れるように身体が動いてしまうのは……最早癖だな。
「ほっほっほっ、良かったのう、ジェシカちゃん。お友達というのはその女の子たちか。もし男の子だったらワシが殺しておったところじゃ。ほっほっほっ」
うわぁ……絶対本気で言っているよ、この孫溺愛ジジイ。洒落にならんから本気でやめろ。
「ジェシカのお友達ですか。可愛らしい方たちですね」
「あんたは……【剣聖】リトリシア……!!」
ロザレナはリトリシアを見つけた瞬間、闘争スイッチが入り、敵意をむき出しにし始める。
ジェシカはそんなロザレナの前に慌てて立つと、声を掛けた。
「す、すとっぷ! すとっぷだよ、ロザレナ! 今はリト姉も休憩中だからっ!」
「退きなさい、ジェシカ! あたしは【剣聖】を目指しているのよ! あの女は……あたしが倒すべき敵なのよ!」
ロザレナのその言葉に、ハインラインは「ほう」と関心したように顎髭を撫で、リトリシアは無表情のままロザレナを見つめる。
「お嬢ちゃん、【剣聖】を目指しておるのか?」
「そうよ、ジェシカのお爺ちゃん!」
「む? お爺ちゃん? お前さん、もしかしてワシのこと知らない? 【剣聖】を目指しているのに?」
「知らないわ!」
「お嬢様……ハインライン・ロックベルトは王国最強の呼び名も高い剣士で、【剣神】の一人ですよ……」
「元【剣神】、じゃけどな」
そう言ってカラカラと笑うハインライン。
そんな彼の横で湯吞を手に持つリトリシアは、ただ無表情にロザレナへと視線を向け、口を開いた。
「貴方は何故、【剣聖】を目指しているのですか?」
「超えたい人がいるからよ!」
「超えたい人? 私のことですか?」
「違うわ!」
「?? 【剣聖】を目指しているのに、私ではない人を超えたい……? 意味が分かりませんが……私は一応、王国最強の剣士なのですが? 私よりも強い人がいるということですか?」
「ええ!」
お嬢様のその言葉に、目を見開いて驚いた様子を見せるリトリシアと、ほほうと楽し気に微笑を浮かべるハインライン。
俺はお嬢様の背後から「これ以上余計なことを言うな~」と念を送る。
その念に気付いたのか、ハッとしたロザレナは、腕を組んで慌てて訂正を口にした。
「【剣聖】……よりも強い人を超えたいなって、常にそう思っているのよ! あたしのゴールは【剣聖】じゃない! 【剣聖】はただの通過点にしかすぎないもの!」
「ガッハッハッハッハッハッハッハッ! いやはや、面白いお嬢ちゃんじゃのう! 【剣聖】は通過点にすぎない、か。どう思う、リトリシア。【剣聖】の座に固執し、停滞している今のお主とは正反対の考えを持っている嬢ちゃんじゃぞ」
「……【剣聖】とは、我が父から託された、偉大な称号です。それを、通過点にすぎない? 超えたい人がいる? ふざけたことを……」
不敵な笑みを浮かべるロザレナと、不愉快そうな表情を見せるリトリシア。
そしてロザレナは背中の大剣を引き抜くと―――リトリシアにまっすぐと大剣を差し向けた。
「【剣聖】リトリシア・ブルシュトローム! あんたに決闘を挑むわ!」
「お断りします。貴方と決闘をするメリットが、私にはありませんから」
「ふぅん? へぇ? 逃げるんだ?」
「……はい?」
「まさか【剣聖】ともあろう人が、あたしなんかに怖がるわけないと思うけど……でも、もしかしたら、ねぇ?」
「……良いでしょう。その誤った考え、訂正して差し上げます」
挑発に乗ったリトリシアは、湯飲みを置いて立ち上がる。
睨み合うロザレナとリトリシア。その間に、ジェシカが割って入った。
「ちょ、ちょっと、ロザレナ、リト姉! 喧嘩はやめようよ、ね!」
「ジェシカちゃんや。とりあえず、好きにさせてあげようじゃないか。ね?」
「お爺ちゃん! リト姉にロザレナが敵うわけないでしょう!? 大怪我しちゃうって!!」
「ほっほっほっ。いやはや、分からんぞ。あの娘……停滞しているリトリシアの奴に、良い影響を運んでくれるやもしれん」
「え……?」
驚いた声を漏らすジェシカ。
本来であれば俺も無謀だとお嬢様の身を案じて止めたいところなのだが……正直、同意見だ、ハインライン。
この二人の邂逅は、ロザレナもリトリシアも、大きく成長のきっかけを与えてくれるかもしれない。
道場の中庭で向かい合う二人。
縁側に座って笑みを浮かべながら眺めるハインラインと、その隣に立ち、心配そうに見つめるジェシカ。
俺は、お嬢様の背後に待機していた。
「さぁ、得物を出しなさい、リトリシア!」
そう言って大剣を構えるロザレナ。
リトリシアはというと……腰にある剣は抜かず、キョロキョロと辺りを見渡していた。
そして一本の木の枝を手に取ると、それを拾い上げ、ロザレナに向けて構えた。
その光景を見て、ロザレナは不機嫌そうに眉をピクリと動かす。
「何の真似よ、それ」
「私の武器はこの木の枝で十分です」
「はぁ!? あんた、あたしのこと馬鹿にしてるの!?」
「貴方と私の実力差は、このくらいの差があると言っているのです」
「なによ、それ……! ふざけてんじゃないわよ! あたしだって一端の剣士よ! 舐めるのも大概にしなさいよ!!」
「はぁ。――――――良いからさっさと来なさい。時間の無駄です」
リトリシアのその言葉にロザレナはギリッと歯を噛み締めると、そのまま地面を蹴り上げ、跳躍し―――リトリシアに唐竹を放った。
だがその剣をリトリシアは軽く身体を横にスライドさせることで難なく回避してみせる。大剣は地面に直撃し、辺りに土煙を巻き上げた。
「剛剣型ですか。見たところ、闘気はそこそこありますね。ですが、当たらなければどうということはありません」
「このっ……!」
ヒュンヒュンと連続して大剣を振り回すロザレナ。
しかしリトリシアはその斬撃を、全て最小限の動きで、紙一重で避けていく。
「【剛剣型】の剣士は、その重い一撃が得意が故に、動作が緩慢となることが多い。貴方のそれは【速剣型】の対処法をまるで考えていない動きです。そんな単調な動きで、全ての型の修練を極めた私を超えようなどと、よく言えたものです」
そう言ってリトリシアは、ロザレナの足の脛へ蹴りを飛ばし、彼女を転倒させる。
「わぁっ!?」
バランスを崩し、前のめりになって倒れそうになるロザレナ。
そんな隙だらけの彼女の腹に、リトリシアは容赦なく木の棒を横薙ぎに放った。
「闘気とは、確実に相手に一撃を与えられる時のみ、纏うもの。相手に届かない剣に闘気を纏い続けることほど――無意味なことはない」
闘気を纏った木の棒がロザレナの腹に直撃する。
お嬢様は吐血すると、そのまま吹き飛ばされ……中庭にある植木に直撃した。
植木はへし折れ、倒木し、ロザレナはそのまま地面をゴロゴロと転がっていく。
その光景を見て、ハインラインは大きくため息を吐いた。
「……まったく。子供相手に些か加減がなってないのではないかのう、リトリシア。あと、ワシの庭を勝手に壊すでない」
「申し訳ございません。損害は後で私に請求していただいて結構です」
そう言ってリトリシアはもう勝負は終わったとばかりに、踵を返した。
俺はそんな彼女の背中を見つめたまま――背後で倒れ伏す主人に声を掛ける。
「まだ終わりではないですよね、お嬢様」
「……ええ! 勿論よ!」
そう言って背後にいるお嬢様は土煙の中立ち上がり、額から流れる血を腕で拭いた。
「流石は【剣聖】様ね! 今まで戦ってきた相手の中で、一番のプレッシャーを感じたわ!」
お嬢様は不敵な笑みを浮かべると、俺の横を通り過ぎ、再びリトリシアの元へと歩みを進めて行く。
そんなロザレナの姿に、リトリシアは振り返り、驚いたように目を丸くさせた。
「……驚きました。もしかして、先ほどの一撃、棒が当たる寸前に闘気で腹部をガードしていたのですか? ―――反射的闘気の攻防。とてつもない反応速度です。最近の剣士では疎かにする者も多い技能ですが……貴方に剣を教えた者は、どうやら余程基礎を大事にする方のようですね。その歳でそのスキルを習得するとは、地獄のような鍛え方をしたはず」
「散々、ルナティエと組手をしてたからね! 闘気の気配が身体の近くに迫ったら、反射的に防御する癖は身に付いたわ!」
ロザレナのその言葉に、俺は笑みを浮かべる。
俺の教えたことを、お嬢様は、着実に吸収していっている。
もし闘気で腹部をガードしていなかったら、ロザレナは間違いなく3日は昏睡するほどの怪我を負ってしまっていたことだろう。
本気を出していないにしろ、先ほどリトリシアが木の棒に纏っていた闘気は、それほどの威力が宿っていたことは間違いない。
「私としては……今の攻防で実力の差を理解し、敗北を認めて欲しいところなのですが……」
「あんたがすごい奴なのは分かってるわ。だけど、簡単には屈しない」
「……今すぐ、【剣聖】を通過点と言ったことを訂正し、謝罪しなさい。そうすればこれ以上の痛みを与えることは止めにしてさしあげます」
「嫌よ。あたしにとって、【剣聖】はゴールじゃないもの。あたしは、あんたの先にいる剣士を超えるために、剣を握ったの。訂正なんかしないわ……!」
「私は、亡き父の意志を継いで【剣聖】の座にいるのです。偉大なる我が父のためにも、【剣聖】の名を愚弄するのだけは看過できません。訂正しなさい。」
「あんたはさ……そのお父さんを超えようと思ったことは、一度もないわけ?」
「は……?」
ロザレナは地面を蹴り上げ、リトリシアに再び襲い掛かる。
だがリトリシアは最小限の動きのみで、ロザレナの斬撃を避け、先ほどと同じように木の棒を横に振り、風圧でお嬢様を吹き飛ばした。
地面に背中を摩りつけながら吹っ飛んで行くロザレナ。
しかしロザレナは即座に起き上がると、再びリトリシアに向かって駆け抜け、剣を上段に構える。
「あたしは、憧れを憧れのままにはしないわ!! 憧れの人に近付きたい……そのために剣を振り続ける!! 過去は見ない!! 前だけを見つめ続ける!!」
「私の父、アーノイック・ブルシュトロームは、世界最強の剣士でした。彼は幼い頃の私に、時折、寂しそうな横顔を見せていた。最強であるが故に、彼は孤独な生を歩んでいたのです」
ロザレナの一太刀を、リトリシアは身体を逸らして避ける。
しかしロザレナは諦めずに、続けて剣を振った。
「私も過去、彼の隣に立ちたくて剣を握ったことがあります。ですが、すぐに分かりました。私では彼に届くことはない、と。死した今尚も、アーノイック・ブルシュトロームは最強であり、孤独のまま……だけど、それで良いのだと、私は思います。最強の剣聖を超える者なんて世界のどこにもいない。彼の唯一の弟子である私が誰にも敗けなければ、父を越える【剣聖】も未来永劫現れはしないでしょう。私が【剣聖】の座から降りてしまったら、父は……アーノイック・ブルシュトロームの名は風化してしまう。だから、私は、【剣聖】で在り続けなければならない」
ロザレナの連続で振った剣を全て避けてみせた後。
リトリシアは人差し指に闘気を纏い、ロザレナの剣を指一本で止めてみせた。
その光景を見て、ロザレナは唖然とし、息を飲む。
「う、噓……でしょう……?」
「分かりましたか? 私は、何としてでも、この【剣聖】の座を守り続けなければならないのです。貴方は【剣聖】の座を通過点と言いましたが……私にとってここは頂。亡き父と唯一繋がることのできる、大切な場所なのです」
リトリシアは指で防いでいた剣を弾くと、ロザレナの顎に向けて膝蹴りを放つ。
ロザレナは蹴りを喰らい、よろめくが……何とか持ちこたえ、口の端から血を流しながらリトリシアを睨み付けた。
「過去は過ぎていくものよ!! いつまで亡くなった人のことを追っているのよ、貴方は!!」
「いいえ。過去は沈殿して心に積もっていくもの。貴方に大切な人はいませんか? その方が亡くなった、その時。貴方は今のように……前を向き続けることができますか?」
「そ、れは……」
「数十年も生きていない人族の子供である貴方に、愛する人を亡くして何十年も生きてきた森妖精族の気持ちが……理解できますか? 想いを告げることもできずに置いて行かれた……この世界に取り残された者の気持ちを、理解できますか?」
リトリシアが木の棒を振ると、その風圧に、再びロザレナは為す術もなく吹き飛ばされていく。
ロザレナは俺の横を吹き飛んでいき、「ドッシャーン」と、背後にある木製の壁に衝突する。
だが俺は振り返ることはしない。声を掛けることもしない。
これは、ロザレナが挑んだ戦いだ。俺が手を差し伸べることはしない。
だけど……最初から分かっている。
我が主人が、この程度で、折れるはずがないだろうことは。
「はぁはぁ……そうね……」
お嬢様はフラフラと立ち上がると、額から血を流しながら、リトリシアを睨み付けた。
「そうね。あたしはあんたにとって産まれたばかりの赤ん坊なんでしょうね。確かに、あんたの気持ちなんてあたしには分からないわ。だけど、あたしはこう思っている。過去を見つめ続けているだけの奴はけっして強くはならない、って」
ロザレナのその鋭い眼光を見て、リトリシアはビクリと肩を震わせる。
やはり……未来を望むロザレナと、過去を望むリトリシアは、意見が重なり合うことはない、か。
ロザレナのようにただまっすぐと前だけを見る力を、リトリシアは持っていない。
反対に、愛する者との別れをロザレナはまだ経験したことがない。
お互いに分からないからこそ、ぶつかり合う。
【剣聖】の座への向き合い方が、この二人は真っ向から違うのだ。
「貴方が何と言おうとも、私の考え方は変わりません。私は父の名が風化しないためにも、生涯何千年もかけてこの座を守り続けていく。それが、アーノイック・ブルシュトロームの弟子であり、娘である、私の役目。私にしかできないこと」
「あたしは、【剣聖】になって、その向こうにいる人と戦う! それがあたしの夢よ! あたしは、憧れの人の隣に立てる自分になりたい! 幼い頃、あたしを守ってくれたあのボロボロの背中を見て……あたしは、そう決めたのよ!! あの背中に、追いつきたいって!!」
睨み合うリトリシアとロザレナ。
お互いに、絶対に理解し合えない存在であると認識したのだろう。
二人は、完全に分かり合うことを放棄した様子だった。
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ロザレナは再び地面を駆け抜け、上段に剣を構えて、リトリシアに襲い掛かる。
その後。ロザレナは何度もリトリシアに斬り掛かるが、あっけなく吹き飛ばされていった。
最初から分かっていた光景。ロザレナ自身もそれは理解していただろう。
まだ、剣聖には、手は届かないと。
だけど、お嬢様は諦めることはなかった。
手加減されても尚、リトリシアに挑み続けた。
その光景は、空が赤くなるまで、繰り返し行われた。
「なんて諦めの悪い少女なのですか……」
リトリシアは、目の前で剣を杖替わりにして膝を付くロザレナを睨み付ける。
現在の時刻は、午後4時。
ロザレナは6時間もリトリシアに挑み続け、何度も吹き飛ばされていた。
だが、流石にもう体力の限界を迎えたのか。
ロザレナは足を震わせ、上手く立ち上がることができなくなっていた。
「ゼェゼェ……! あ……あはははっ! ま……まだ、こんなに遠いんだ……今のあたしじゃ、全然届かない……まるで相手にもなっていないわね……!」
そう言ってロザレナは足をガクガクと震わせながらも何とか立ち上がり、上段に剣を構え、笑みを浮かべる。
剣を持つ手は痙攣しており、胸は大きく動いて、呼吸もままならない。
その姿を見て、リトリシアは息ひとつ乱さず。無表情のまま、静かに口を開いた。
「貴方はもう、立っているのもやっとのはずです。何故、剣から手を離すことをしないのですか?」
「はぁはぁ……! 【剣聖】に……なりたい、から……!」
「愚問でしたか。その信念の強さだけは、賞賛しておきましょう」
そう口にした後。リトリシアは腰に木の棒を当て、抜刀の構えを取る。
「これで最後です。来なさい」
「ぜぇぜぇ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
ロザレナは地面を駆け抜けながら、上段に剣を構える。
そして、リトリシアに目掛け、全身全霊の唐竹を放った。
「あたしは……あたしは、あんたを超えるのよ!!!! あの子と、戦うために―――!!!!」
「――――――【閃光剣】」
リトリシアは【瞬閃脚】を発動させて、ロザレナの横を高速で通り過ぎる。
その瞬間。ロザレナの身体はフラリと、よろめいた。
これが剣だったなら……ロザレナの身体は右肩から腹部に掛けてばっさりと斬り裂かれていただろう。
いや―――ある程度の実力になった彼女には、既にその光景が既に見えているかもしれない。自分の身体が斬り裂かれる、「死」の光景を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《ロザレナ 視点》
「ぇ……?」
リトリシアの姿が目の前から消え、背後に現れた、その瞬間。
あたしの身体が、右肩から左腹部に掛けて、真っ二つに斬り裂かれた。
空中に舞う血しぶき。上半身が、ズルリと、下半身だけを残し地面に落ちて行く。
なに、これ? あいつ、木の棒を使っていたわよね?
何で? 何で、あたし、斬られているの?
「――――――これで分かりましたか。貴方ではけっして、私から【剣聖】の座を奪えないということを」
背後からリトリシアの声が聞こえる。
え? これでお終い?
耳鳴りが凄い。頭が痛い。呼吸が上手くできない。
だけど、分かっている。やるべきことだけは、分かっている。
(どうせここで死ぬのなら……あいつに一矢、報いてやる―――!!)
「う゛ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
これは幻覚だ。あたしの脳が斬られたと勝手に思い込んで、あたしに見せた幻だ。
足は動く。なら、あいつに剣を向けられる。
例え本当に斬られたとしても、頭が動くなら……敵の喉元を噛みつくまで、抵抗してやる!! それが、あたしの戦い方!! あたしの在り方だ!!
「!? まさか、まだ動けるのですか!?」
あたしが最後の力を振り絞ってリトリシアに剣を振った、その時。
リトリシアの持っていた木の棒が真っ二つに折れ、地面に転がっていった。
しかしリトリシアには―――一切のダメージを与えることができなかった。
彼女は回避することもなく、あたしの剣をそのまま左肩に受けていた。
だけど、そこには切り傷は一つもなく、一滴の血も零れてはいなかった。
あたしの全力の一撃でも……リトリシアの闘気の防御を、超えることができなかった……。
端から分かっていた。相手は、剣士の頂に立つ奴なんだって。
今のあたしが逆立ちしたって敵うわけがない相手なんだって。
でも……でも、これほど遠いなんて、思わなかったな。
悔しい。すっごく悔しい。
その光景を見て、あたしは地面に崩れ落ちるように膝を付く。
手のひらから大剣が落ちる。
やっぱり、遠い。まだまだ、そこに行くことは難しい。
だけど―――。
「だけど……あたしは、確実に成長している……! 着実に、前へと進めている……! だって、あたしの剣は、間違いなく【剣聖】に届いたんですもの……!」
ドサリと地面に仰向けになって倒れ伏す。
空に浮かぶのは、夕焼け空と入道雲。
何だか目の前に映る空が、とても綺麗に見えてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地面に大の字になって倒れ込むロザレナと、そんな彼女の傍に佇むリトリシア。
リトリシアは切れた木の棒を地面に放り捨てると、ロザレナへと声を掛けた。
「……質問です。貴方には、今、自分が死ぬ光景が見ていたはず。死の恐怖に直面しても尚、それでも私に挑んでくるとは……貴方は死が怖くはなかったのですか?」
「はぁはぁ……怖いわ。怖いけど……夢が叶えられない方が、もっと怖い」
「夢のためなら……命をも掛けられると?」
「ええ。夢に挑んで死ぬなら、それはそれで本望よ。だって、自分が死ぬとき、ああしておけばよかったーとか、後悔したくはないじゃない? あたしは自分が死ぬとき、満足して笑って死にたい。最後まで、悪あがきし続けたい」
「……」
ロザレナのその言葉に、今まで表情の変化を見せなかったリトリシアは、一瞬、驚いたように目を見開いた。
その後。寂し気な表情を浮かべた彼女は、再度、口を開く。
「笑って、死ぬ……あの時のお父さんも……そうだったのでしょうか……だから私に……」
「え?」
「何でもありません。先ほどの一太刀、見事でした。貴方の剣は間違いなく私に届いた。誇って良いことです」
そう言ってリトリシアは左肩に触れると、微笑を浮かべ、ロザレナを見下ろした。
「一応、名を聞いておきましょう。人族の少女」
「ロザレナ・ウェス・レティキュラータスよ」
「ロザレナ……? 何処かで聞いた覚えがあるような名前ですね……?」
リトリシアは首を傾げるが、すぐにロザレナへと視線を戻した。
「まぁ、良いです。ロザレナ、貴方の名前、一応覚えておいてあげましょう。ですが―――何度も言った通り、私は貴方を認めません。【剣聖】を通過点と言ったこと、絶対に許すことはできませんから」
そう言ってリトリシアは門へと向かって歩いて行った。
「私から【剣聖】を奪う気なら、せめて【剣神】になってから出直してきなさい。本来、私に挑む権利を掴めるのは、【剣神】だけなのですから」
「分かったわ。次は絶対、敗けないんだから……!」
ロザレナのその言葉にフッと笑みを浮かべると、リトリシアは俺の横を歩いて行く。
その途中。リトリシアは何故か足を止めると、俺の横に立ち、声を掛けてきた。
「……貴方……何処かで見た覚えが……」
「? 何でしょうか?」
五メートル程の距離で、見つめ合う俺とリトリシア。
……久しぶりにこんなに近距離で見るな、こいつの顔も。
何年経っても、昔と何も変わらない。何処か幼さの残る顔立ちの少女。
ちゃんとメシ食ってんのか? 自分でちゃんと髪を梳かしてるのか?
楽しく、生きていけてんのか?
なんてことは勿論、聞くことはできない。
今の俺は、彼女の父親ではなく、アネット・イークウェスなのだから。
「――――――大森林。あそこにいた……メイド……?」
リトリシアは何かに気付いたようにハッとする。
「あの娘は、ロザレナ・ウェス・レティキュラータスといった……レティキュラータス……四大騎士公の娘……そう、だ。ジェネディクト・バルトシュタインの事件の時にいた少女……」
「え?」
リトリシアは眉間に皺を寄せ、考え込む仕草を見せる。
「ジェネディクト・バルトシュタインを倒した者、そして、暴食の王を倒した者……必ずそこにいる、メイド……これは偶然? それとも……」
リトリシアはこちらに鋭い目を向ける。
だがすぐに視線を逸らし、短く息を吐いた。
「このとぼけた顔のどこにでもいそうなメイドが、ジェネディクトと暴食の王を? はっ、馬鹿げた話ですね」
そう口にして、彼女はその場を後にした。
第218話を読んでくださって、ありがとうございました。
大晦日ですね。今年一年、剣聖メイドを読んでくださって、本当にありがとうございました。ここまで続けてこられたのも皆様のおかげです。改めて感謝いたします。
また来年も、この作品共々、よろしくお願いいたします。
よろしければ、いいね、評価、感想、ブクマ等、お願い致します。
売り上げが厳しいようですので、作品継続のために、書籍版1~3巻のご購入よろしくお願いいたします。
 




