幕間 帰る準備とこれからのこと ③
「あたしの名前は、アリスじゃない!! あたしの本当の名前はロザレナ・ウェス・レティキュラータスよ!! つまり、あんたの大嫌いなエルジオ伯爵の娘ってわけ!!!! もう、こういうまどろっこしいのは苦手だからはっきり言うわ!! あんた……お父様と仲直りしたいなら、はっきりそう言えば良いだけでしょうが!!!! うじうじしていてみっともないわね!!!! 言いたいことあるなら、正面からぶつかりなさいよ!!!! 文句あるんだったら、今言った言葉を、お父様に全部ぶつければいいだけでしょうが!!!! 何年過去を引きずってんのよ、この髭親父!!!!」
「お嬢さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
何やってくれてやがるんですか、この脳筋お嬢様はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
俺とルナティエがせっかくお嬢様のことをリテュエル家のアリスだとフランシア伯に勘違いさせていたのに!! 何故、自らバラしてんだこのお馬鹿さんはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
テーブルの上で仁王立ちしているロザレナに対して、フランシア伯とセイアッドは目を点にし、今までに一度も見たことが無い呆けた顔を見せている。
ルナティエはというと、大きく口を開けて、呆然としている。
しかし、グレイだけは何故か平常運転だった。ロザレナを無視して、彼は食事の手を動かし続けている。
「はむ、もぐもぐ。ん、このチキン、美味いな。師匠! このチキンを食べてみてください! 王都ではなかなか味わえない、海鮮系をベースにしたソースですよ! このソースの味を盗んだら、また師匠の料理のレパートリーが増えますね! フフ……師匠の料理の腕がさらに向上すると考えたら、ワクワクが止まらなくなってくるな!! 師匠はいったいどこまでの高みにいくというのか……フ、フハハハハハハ!!」
お前は何なの? この状況で何でそんないつも通りでいられるの? 馬鹿なの?
俺が呆れた目をグレイに向けていると、硬直が解けたのか、ルナティエが動いた。
ルナティエは慌てて席から立ち上がると、テーブルの上で仁王立ちしているロザレナに向けて、大きく声を張り上げる。
「な……何をやってるんですの、この猿女はぁぁぁ!!!! お、お父様!! こ、この子の言っていることは全部嘘ですわ!! ちょっと頭がおかしい狂人なんですの、この子!! 真に受けないでくださいまし!! ほ、ほら、さっさとテーブルの上から降りなさい、猿女!!」
「誰が頭のおかしい狂人よ!! あたしは嘘なんて一切、ついていないわ!! あたしの名前はロザレナ・ウェス・レティキュラータス!! いずれ剣聖になる女よ!! 覚えておきなさい!!」
「こんの、お馬鹿さんは――――――ッッ!!!!」
今までは一人でお嬢様の行動に胃を痛めるだけだったけど、今は気持ちを共有できるルナティエちゃんが居てくれて、おじさん、とても嬉しいです。
一緒にこの胃の痛さを共有して一緒に地獄に堕ちましょうね、ルナティエちゃん。
フランシア伯はようやく状況を把握したのか、目の前に立つロザレナをジッと見つめる。
そして彼は、真顔でロザレナに声を掛けた。
「貴様は、リテュエル家のアリスではなく、レティキュラータスの……エルジオの娘の、ロザレナなのだな?」
「そうよ、ルナティエのお父さん」
「先ほど、剣聖になるなどと言っていたが、正気か?」
「ええ。あたしは絶対に剣聖になる。誰が何と言おうとも、この身が動けなくなるまで、走り続ける」
フランシア伯はその言葉に眉間に皺を寄せ目を細めると、ロザレナをまっすぐと睨み付ける。
その視線に臆することなく、ロザレナは正面からフランシア伯を見下ろした。
俺はいつフランシア伯が激怒するのかとおろおろとしていたが……意外にも、フランシア伯は笑みを浮かべ、笑い出した。
「プッ、はっはっはっはっはっはっはっはっはっ!! 言いたいことあるなら正面からぶつかれ、か。確かにお前の言う通りだな、ロザレナ。冷や水を頭から掛けられたような気分だ。何とも豪胆な性格の娘だ!! 逆に清々しいわい!! はっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
「お、お父様……?」
フランシア伯は「うむ」と言って口髭を撫でると、続けて開口した。
「私はきっとお前のように、エルジオから真正面に怒りをぶつけられたかったのだと思う。多分、子供のような喧嘩を奴としたかったのだろう。だから私はレティキュラータス家を憎み、奴と顔を合わせる度に嫌味を吐いていた。だが、エルジオは私の怒りは尤もだと考え、私の嫌味にいつも困ったように笑うだけだった。私はそれが、とても悲しかったのだと思う」
「貴方は、お父様のことが本当は大好きだったのね?」
「私が生涯でライバルと認めた男は、エルジオ、奴一人だけだ。だから、私は一方的に夢を抱いていたのだ。奴と共に戦場を駆ける、騎士としての夢を。その夢を、奴も抱いてくれていると信じていた。だから……勝手に裏切られたと考え、奴を憎み、嫌悪していた」
フランシア伯、か。
このマリーランドに来てから一番印象が変わった人物は誰かと聞かれたら、間違いなく彼だろう。
ロザレナの話では、四大騎士公の中で最もレティキュラータス家を嫌っている伯爵であり、嫌味臭く性格の悪い男という印象が強かったが……彼は、ただ親友に振り向いてもらいたいだけの、善人だった。
ある意味、彼とルナティエはよく似ているな。
初対面の時は取っつきにくい印象が大きかったが、深く関わってみると、大きく印象が変わった。
共に戦場を駆ける、か。
もしかしたらフランシア伯のその夢は、ロザレナとルナティエが叶えてくれるかもしれない。
二人の代で、レティキュラータスとフランシアの関係は、より良いものに変わっていくかもしれない。
「それにしても、お主がロザレナ、か。幼い頃に医院に入院していた時に、私と君は何回か顔を合わせていたのだが……覚えているかね?」
ロザレナはテーブルからピョンと降りると、フランシア伯に不機嫌そうな顔を向け、口を開く。
「ええ。貴方がお見舞いに来ているお父様に嫌味を吐いている姿を、私はベッドの上からずっと見ていたもの。その度に、動けない身体を憎んだものだわ。貴方を殴り飛ばしたくて仕方なかったから」
「はっはっはっ! そうだったのか! しかし、無事に病が完治して何よりだ。あの医院は私がバルトシュタイン家から買い取ったものでな。我が妹も昔、あの医院に入院していた」
「そういえばさっき、騎士候補生時代にゴーヴェン……学園長に妹を人質に取られたって、言っていたわよね? それでお父様が試験を棄権して、騎士位を逃したとか? 妹さんは無事だったの?」
「エルジオのおかげでゴーヴェンの手からは免れた。だが……その後、結局妹は病で亡くなってしまった。そして何十年か経った後、エルジオの娘があの医院に入院すると私は耳にした」
「え……?」
「ゴーヴェンがエルジオの娘の入院に渋っていたと聞いた私は、多額の金を出し、奴から医院を買い取った。エルジオに妹を救ってもらった借りを返すために、な。その時に医院に異常がないか、お主の容態はいかがなものか、ちょくちょく医院に通ったものだ」
「そ、それって、もしかして……ルナティエのお父さん、入院しているあたしをバルトシュタイン家からずっと守ってくれていたの……?」
「いや、今のは話すべき話題ではなかったな。過去を思い出してしまったから、つい。私はただ奴に借りを返したかっただけだ。忘れてくれ」
そう言ってコホンと咳払いをすると、フランシア伯は穏やかな笑みをロザレナに向けた。
「さぁ、席に着いて食事を再開せよ、ロザレナ。今宵はマリーランドが平和を取り戻したことを祝う日。栄光あるフランシア家が貴殿らを歓待しておるのだ。料理の一つでも残したのなら、許さぬぞ?」
その言葉に、ロザレナはニコリと笑みを浮かべる。
「ええ、勿論。食事中にテーブルの上に乗って悪かったわね」
そう口にして、ロザレナは俺の元に戻り、席に着いた。
な、何とか平穏無事に終わって良かった~!! レティキュラータスとフランシアの戦争が起こったらどうしようかと、内心、ひやひやしていたぜ~!!
俺は大きくため息を吐いた後、背後から、席に座るお嬢様に小声で話しかける。
「お嬢様~? 何とか平和的に終わったから良かったですが、今度から何かする時はまず私かルナティエに相談してからにしてくださいね~?」
「びくっ。だ、だって、あの人、本当は仲直りしたいくせにうじうじしていて……何かイライラしたんだもん! 仕方ないでしょう!」
「まったく。そのすぐに頭に血が上るところを直さないと、剣聖にはなれませんよ、お嬢様」
「……はい。ごめんなさい」
反省するお嬢様の背中を見つめて、俺はやれやれと肩を竦めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
テーブルに並んだ料理を平らげ、朝食の会も終わりを告げる頃合いとなった、その時。
大広間に、背後にエルシャンテとマイヤーズを引き連れた、リューヌが姿を現した。
リューヌは大広間で席に座っている全員の顔を順に見つめると、ニコリと微笑みを浮かべた。
「皆さん、ここにいらしたんですねぇ。どうやらマリーランドを襲った脅威は去った様子。皆さんがご無事で良かったですぅ」
「リューヌ! 貴方、今までどこに行っていたんですの!? アンデッドとの決戦の時、丘の上の教会を守るどころか、何処かに姿を隠していましたわよね!?」
ルナティエは勢いよく立ち上がると、そう怒鳴り声をあげ、入り口に立つリューヌを睨み付ける。
リューヌは変わらぬ笑顔のまま、首を傾げた。
「ルナちゃん。わたくしは、敵が身を隠す本拠地を探していたんですよぉう」
「嘘仰い! 貴方のことだから、何か企んでいたのでしょう!」
ルナティエはリューヌを睨み付け、リューヌは微笑を浮かべながらルナティエを見つめる。
そんな険悪な二人を見て、フランシア伯は仲裁すべく、口を開いた。
「ルナティエ、リューヌ。客人の前だ。喧嘩をするでな―――」
「聞いてください、ルーベンス様。ルナちゃんが、わたくしの可愛いメイドであるエルシャンテちゃんとマイヤーズちゃんに剣を向け、メイドの仕事を辞職しろと、迫ったそうです。彼女たちはわたくしの使用人だというのに……酷くないでしょうかぁ?」
「む、ルナティエ、本当にそのようなことをしたのか?」
「……ええ。エルシャンテとマイヤーズは、わたくしのことを長年、侮辱し続けました。わたくしは、次期フランシア家の当主を目指している。わたくしが目指すフランシア家には、彼女たちのような忠義の欠片もない者は、必要ありませんわ」
「侮辱なんてしていません! 一方的にルナティエ様が首元に剣を突き付けてきたんです! そうですよね、マイヤーズさん!」
「え、えっと、はい、そうです!」
そう言ってエルシャンテは泣く真似をし始める。
リューヌはそんな彼女を肩越しに一瞥すると、再び前を向き、ルナティエに声を掛けた。
「わたくしは自分のメイドである彼女たちを信じています。ですから……ルナちゃん、昔のようにわたくしと決闘の真似事のようなものをしませんか?」
「は? 決闘?」
「ええ。先に相手から一本を取った方の勝利とします。ルナちゃんが敗けたら、エルシャンテとマイヤーズに誠心誠意、謝罪してもらいます。ルナちゃんが勝利したら、二人を辞めさせます。これでどうでしょう? 久しぶりにわたくしと決闘、致しませんかぁ? 勿論、この賭けに乗らなくてもわたくしは貴方を責めはしませんが。ねぇ? フランシア家の次期当主さん?」
ルナティエはその提案に、ビクリと肩を震わせ、俯いてしまう。
そんな彼女の姿を見て、エルシャンテとマイヤーズはフランシア伯に見えないようリューヌの背中に隠れ、クスクスと嫌な笑い声を溢していた。
ルナティエにとってリューヌは、長年、敗け続けてきた相手だ。
卑怯な手を使うことになった元凶、トラウマの張本人ともいえる。
だけど、お前は俺と特訓し、この決戦で変わることができたはずだ。
ルナティエ、お前は以前までのお前じゃない。
お前は、キュリエールを乗り越え、才能という壁を乗り越えたはずだ。
「…………」
ルナティエは顔を上げると、俺に不安気な視線を向けてきた。
彼女の瞳は揺れていた。戦うか退くか、どうしようか迷っているのが窺える。
俺はそんな彼女の目をまっすぐと見つめて―――俺の瞳の中にある勇気を彼女に分け与えた。
(いけ、ルナティエ。お前ならいける。俺が保証する。お前は俺の三番目の弟子だ。トラウマを乗り越えるための力は、既にお前の中にある)
その心の声が伝わったのか。ルナティエの表情が変わった。
彼女はリューヌに顔を向けると、強い眼をして、口を開いた。
「良いですわ。その決闘、受け入れましょう、リューヌ」
その決断に、リューヌは一瞬驚いたような表情を浮かべる。
だがすぐに笑みを顔に貼り付けると、クスリと、笑い声を溢した。
「噂では、アンデッドとして復活したお婆様を倒したとか? まさか、奇跡的な偶然に調子付いているの? ルナちゃん?」
「奇跡かどうかは、その目で確かめてみれば良いですわ」
こうして二人は、決闘をすることになったのだった。
フランシア家の中庭。
そこで、ルナティエとリューヌは対峙する。
お互いに手に持つのはレイピアだ。同じ血族のためか、剣の構え方も良く似ている。
雰囲気と顔立ちこそは全く異なるが、こうして見ると彼女たちはよく似ているように思える。
金の髪に薄紫色の瞳。出身こそ不明だが、リューヌは間違いなくフランシアの血を引いていることが察せられる。
「コホン。では、審判は私、セイアッドが務めよう。ルナティエ、リューヌ、真剣は許したが、御互いに傷つけあうのは無しだ。どちらかの剣が手を離れるか、地面に膝を付くか、明らかに勝敗が喫したと見たら、私が勝者を決定する。それで良いか?」
審判役を務めたセイアッドに、ルナティエとリューヌがコクリと頷いた。
「分かりましたわ、お兄様」「ええ、分かりました、セイアッド様」
「では――――決闘を始めよ!」
決闘が始まると、ルナティエとリューヌはお互いに剣を構え、微動だにせずに睨み合う。
そんな彼女たちの決闘を、俺とロザレナ、グレイは中庭の端に立ち、見つめていた。
「あたし、リューヌって奴がどれほどの実力を持っているのか分からないけど……いったい、どっちが勝つと思う?」
「フン。リューヌという女は腐っても天馬クラスの級長だ。あの構え方を見るに、剣の心得があることが察せられる。恐らくは、それなりの実力を持っていることは明白だろう。それに相手は長年敗北し続けてきた相手。ルナティエにとって厳しい戦いとなるに違いあるまい」
「そうかしら? あたしは例え格上であっても、あの子がただで敗けるとは思えないわ」
「お前は随分とあの女のことを認めているようだな」
「あたしのライバルだもの。認めるに決まっているわ」
「それが奴にとっての足枷にならなければ良いがな。お前の期待にあいつが応え続けられるとは限らない」
「あんた、同じ門下の兄弟弟子なんだから、もっとルナティエのことを応援してやりなさいよ! 本当、相変わらず性格が悪いわね、グレイレウスは!! ねぇ、アネット、貴方もそう思うでしょう!?」
「お嬢様。グレイはただ、ルナティエを心配しているだけですよ」
「こいつがぁ? まぁ、グレイレウスの考えなんてどうでもいいけど。ねぇ、アネット、貴方はこの戦いどうなると思う? ルナティエが勝つと思う? でも悔しいけど、グレイレウスの言う通り、相手は級長なのよね。リューヌがシュゼットクラスだと考えると、やっぱりルナティエ一人じゃ厳しいんじゃ……」
「いいえ、お嬢様。ルナティエはお嬢様とグレイが想像するよりも……強くなられていますよ」
俺がそう口にした瞬間。ルナティエは地面を蹴り上げ、リューヌに突進した。
そんな彼女を見つめて、リューヌは変わらず微笑を顔に張り付かせている。
「クスクスクス……懐かしいですねぇ、ルナちゃん。幼い頃、貴方はわたくしに何回も挑んできましたよねぇ。でも、その度に、貴方の剣がわたくしに届くことはなかった。どうやらそれは今回も変わらないようです。やはり貴方は凡人でしかない」
ルナティエのレイピアによる連続の突きを、リューヌは紙一重で避けていく。
「わたくしは剣士ではなく、修道士です。剣術や槍術や斧術、魔術や馬術など、様々な分野においての才能を持っておりますが、どの分野においても限界があり、所詮は才人止まり。わたくしの本領を発揮するのは武芸ではなく頭脳においてのもの。ですが……貴方程度であれば、剣術でも圧倒することができる」
そう言ってリューヌはルナティエの剣を弾くと、一歩、前へと足を踏み出した。
「やはり、何かの間違いでしたね。この程度の剣術で貴方があのお婆様を倒せるはずが、無い」
リューヌは、隙だらけのルナティエに向けて、刺突の構えを取る。
だが――――――剣を突こうと近付いてきたリューヌの顎に向けて、ルナティエは、膝蹴りを放った。
まさか蹴りが飛んでくるとは思わなかったのか、リューヌは回避することもできず、顎に蹴りをお見舞いされる。
顎を蹴られたリューヌは顔を上へと向けながら、後方へと押しやられ、フラフラとよろめくが……何とか態勢を整えると、グリンと正面に顔を向け、鼻血を流しながら微笑を浮かべる。
「……はい?」
意味が分からないといった様子で、首を傾げるリューヌ。
そんな彼女に向けて、ルナティエは速座にレイピアを横に振り、青白い斬撃を飛ばした。
「【裂波斬】!」
リューヌは迫りくる斬撃に、目を見開いて、驚愕した表情を浮かべる。
「なん、ですか、それ……? 【裂波斬】……? 【剣王】クラスが使用する剣技ですよねぇ、それぇ」
リューヌは即座に、横に飛び退く。
斬撃は先程までリューヌの背後にあった岩に当たり、土煙を巻き起こした。
リューヌは口元に袖を当てながら、土煙で不鮮明になった視界の中、キョロキョロと辺りを見回す。
「クスクス……随分と新技を披露していただきましたが……先ほどの剣捌きを見るに、純粋な速さはわたくしの方が上の様子。体術だけでわたくしにダメージを与えることは難しいですよぉう? 貴方の蹴りはもう見切りましたからぁ」
リューヌがそう口にした、その瞬間。彼女の背後の上空に、影が走った。
リューヌは即座に背後を振り向き剣を構え、臨戦態勢を取る。
だが――――ルナティエは、リューヌが向いた方向とは逆方向に姿を現した。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
土煙の中から現れたルナティエは、徒手空拳だった。
ルナティエの登場に遅れて反応したリューヌは、背後を振り返り、急いで剣を突く。
だがルナティエはそれを読んでいたのか、両手に闘気を纏い、素手で剣を弾いてみせた。
「なっ、と、闘気操作まで―――――!? そ、そん、な……馬鹿なことが……ッッ!!!!!!! ルナちゃん、貴方は速剣型のはず……!?!? 何故闘気を身に纏っているのですかぁ!?!? あり得ない……あり得るはずが、ない……!!」
「リューヌ。初めて、貴方の驚いた顔を見ましたわ。長年のトラウマに……ここで終止符を打たせていただきますわ!!」
リューヌは素早い動きで、ルナティエに向けて剣を突いていく。
ルナティエはそれを、闘気を纏った素手で弾き、ガードしていく。
本人の言った通り、スピードや剣の技術は、リューヌの方が確実に上だろう。
だが、ルナティエはリューヌの剣の軌道を読み、先手を打って、手で弾いている。
長年勝つために研究してきたリューヌだからこそ、速剣型である彼女だからこそ、剛剣型の闘気操作能力で何とか防衛できている。
……やはり、ルナティエは面白い戦い方をする奴だな。
総合的な能力値が上の者であろうとも、その者にあった戦い方を常に考え、独特な戦闘スタイルを取る。
恐らく、キュリエールとの戦い方で、自分の進むべき道をはっきりと理解したのだろう。
彼女の戦い方には、以前見えたような迷いの気配が消えていた。
「くっ!?」
リューヌが一歩後退した、その時。
ルナティエは右脚を前に踏み出し、跳躍した。
リューヌはそれに即座に反応し、剣を構える。
「勝負を決めようと焦るあまり、大きく跳躍してしまいましたか。間抜けですねぇ。空中では恰好の的ですよぉ?」
そう口にしてリューヌは笑みを浮かべると、ルナティエの首元に目掛けレイピアを突いた。
レイピアが突かれる間際。ルナティエは頭上に手を掲げ、不敵な笑みを浮かべる。
「読み通り、ですわ!」
その時。ルナティエの頭上から、彼女のレイピアが降ってくる。
なるほど。さっきリューヌの頭上に見えた影は、空へと放り投げたレイピアだったのか。
ルナティエは自身のレイピアを手に取ると、着地と同時に、リューヌの首元に向け剣を突いた。
同時にお互いの首へとレイピアを差し向け、硬直するルナティエとリューヌ。
ルナティエはゼェゼェと荒く息を吐きながら、リューヌを静かに見つめる。
「こ、これは、引き分け―――――」
セイアッドが勝敗を決めようと口を開きかけた、その時。
リューヌのレイピアが中ほどから折れ、折れた切っ先が地面に突き刺さった。
恐らく、先ほどのルナティエの闘気を纏った素手での防衛に、耐え切れなかったのだろう。
これがミスリルやアダマンチウムなどの上位の鉱石から作られていた剣だったら、ルナティエ程度の闘気ではけっして折れなかっただろうが……見たところリューヌのレイピアは銀製。結果はルナティエの作戦勝ちと見える。
「……そこまでだ! 勝者は、ルナティエ!」
セイアッドがそう口にすると、隣で固唾を飲んで見守っていたロザレナとグレイが、嬉しそうな様子で口を開いた。
「すごいじゃない、ルナティエ!! 一緒に特訓した結果、いろいろな戦法を取ることができるようになったのね!! 流石はあたしのライバルだわ!!」
「……フン。一先ずは褒めてやるとしよう」
そんな嬉しそうな弟子二人の様子を見て、笑みを浮かべた後。
俺は、再度、前を振り向いた。
その時―――――――――――――――俺は、リューヌがこちらを見ている姿に、気が付いた。
「なっ……!」
その顔を見て、俺は思わず硬直する。背筋に悪寒が走る。
(なん、だ……アレは……?)
それは、今まで一度も見たことが無い、リューヌの顔だった。
目を全開まで見開いて、無表情。まるで獲物を狩る前の昆虫のような表情をしている。
あれは恐らく、俺という存在を値踏みしている表情だろう。
ルナティエの成長に関わっているのはお前なのかと、そう問いかけているような、視線。
……初めての経験だな。戦っても確実に勝てるだろう存在に、恐怖を覚えてしまうというのは。
それほどまでに、リューヌがこちらに見せたその表情は、恐ろしいものだった。
暴食の王やアレスとは異なる、別種の異常さ。
災厄級の魔物が放つ悍ましい気配と同等の何かを、彼女は持っていた。
リューヌは俺から視線を外すと、いつものように微笑を顔に張り付かせ、ルナティエに視線を向ける。
「わたくしの負けです。強くなりましたねぇ、ルナちゃん」
「はぁはぁ……わたくしはこれからフランシア家の当主を目指して、全力で戦っていく。騎士学校でも、貴方に敗ける気は一切ありませんわ。黒狼クラスの障害となるのなら、例え天馬クラスであろうとも叩き伏せてみせます」
「それはとても楽しみですねぇ。今後は武芸で覇を競うのではなく、わたくしとルナちゃん、どちらが指揮の能力があるのか……戦っていくことになるでしょう。クラス同士で戦える日を楽しみにしていますよ、ルナちゃん」
ルナティエが剣を引くと、リューヌも剣を引き、ニコリと微笑みを浮かべる。
「エルシャンテとマイヤーズの処分はわたくしがしておきます。では、これで」
そう言ってリューヌは去り、エルシャンテとマイヤーズはルナティエに絶望した表情を見せると、そのままリューヌの後をついていった。
その後、ルナティエはドサリと地面に膝を付き、ふぅと大きくため息を吐いた。
そんな彼女の元に、ロザレナ、グレイ、セイアッドが、近付いて行った。
ルナティエを労う皆の様子に笑みを浮かべつつ、俺は、リューヌが去って行った方向を見つめた。
ルナティエは体力を消耗していたが、リューヌは一切、疲れた様子を見せていなかった。
同じ級長であるシュゼットは膨大な魔力を見せていたが……先ほどの攻防が、リューヌの全力なのだろうか?
級長として見ると、彼女の実力には些か肩透かしを食らってしまうが……。
何か、他にも能力を隠していそうだな。先ほど見せた異常な気配は、絶対に、只者ではなかった。
恐らく本人の言った通り、彼女の強さは武とは別のところにあるのだろう。
シュゼットのような純粋な力比べをするタイプの級長ではないとみえるな。
今後、学園で争うことがあったら、警戒しておいた方が良いのかもしれない。
俺の正体にも……勘付かれる可能性が高そうだ。用心に越したことはないだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……以前、鷲獅子クラスの副級長が黒狼クラスには裏で生徒の能力を引き上げをする存在がいると言っていましたが……強ち間違いでもなさそうですねぇ。どなたかは分かりませんが、ルナちゃんを異常なレベルまでに鍛えた存在がいる……これはもう間違いようのない事実です」
そう口にして、リューヌは悠然と廊下を歩いて行く。
そんな彼女の背後を、エルシャンテとマイヤーズは恐る恐るとついていった。
「剣聖アレス・グリムガルドを倒した存在が誰なのか分からない以上、やはり状況的に一番怪しいのはあのメイドちゃんでしょうか。しかし……確たる証拠はありませんしねぇ。彼女が実は強者だったという情報を持っている存在がいれば良いのですが、まだ、確信に至るまでのピースが足りません。やはり二学期からは黒狼クラスをターゲットにしましょうかぁ……いや、優秀な駒を引き抜くことを考えれば鷲獅子クラスの方が良いでしょうかねぇ……悩みますねぇ」
「あ、あの、リューヌ様!」
背後から声を掛けてきたエルシャンテ。
リューヌは振り返ると、彼女にニコリと笑みを浮かべる。
「あぁ、そうでした。不要になった駒を処分しなければならないのでしたぁ。貴方たちは何年経ってもルナちゃんの精神を壊せず、わたくしに必要な情報も持ってこない役立たずでしたから……どっちみち処分の対象だったので、痛くも痒くもありません。支配の加護で使役できる存在の枠は限られていますから、貴方たちはもう必要ありません。さようならぁ~」
「ま、待ってください、リューヌ様! あのメイドのことだったら、私、情報を持っています! あの子は、死んだはずだったのに生――――――」
リューヌは手袋を脱ぐと、ナイフを取り出し、自身の左手の小指と薬指の腹をシュッと同時に斬り裂いた。
すると、その瞬間。
エルシャンテとマイヤーズは、ビクビクビクと、糸が切れた人形のように身体を震わせる。
そして二人は瞬きを繰り返し……ハッとした表情を浮かべた。
「あ、あれ? 私、どうして……? って、え? 私、何でリューヌ様のメイドに? な、何で、ルナティエ様にあのようなことを……!? 私、いったいどうしてしまったというの!? ルナティエ様の付き人になったことをあんなに喜んでいたというのに……ど、どうして付き人になってから、あんな行動を……!?」
戸惑うエルシャンテとマイヤーズ。
そんな二人に、リューヌは微笑を浮かべたまま、声を掛ける。
「貴方たち二人は、クビで~す。もうフランシアの御屋敷には来ないでください~」
「ま……待ってください、リューヌ様! せ、せめてルナティエ様に謝罪を……!! 私、ルナティエ様に酷いことを言ったんです!! 彼女のことをあんなに大事に想っていたのに、どうして……!!」
「言い訳は無用です。貴方たちはフランシア家の令嬢を侮辱した。それだけのことです」
「リュ……リューヌ様ぁぁぁ!!」
エルシャンテとマイヤーズを置き去りにして、リューヌは廊下を進んで行った。
そして彼女は、大きくため息を吐いた。
「難儀なものですねぇ。自身よりも闘気と魔力の数値が低い者、尚且つ相手に恩を売り信用を勝ち取らないと【支配の加護】が使用できないとは。それも支配下に置けるのは両手の指と同じ数だけ。一見最強に見えて非常に扱い辛い加護ですね、これは」
そう口にして、彼女は窓ガラスに映る自分の姿を見つめる。
そこに映る無表情の自分を見て、リューヌは口の端に両手の指を置き、無理やり笑みを作ってみせた。
「あぁ、いけませんねぇ。わたくしとしたことが、笑顔を忘れてしまうなんて。フフフフ。どんな状況であろうとも笑顔笑顔です。……わたくしはこの【支配の加護】と頭脳を使って、全てを手に入れてみせる。クスクスクス……二学期が楽しみですねぇ、ルナちゃん」
幕間を読んでくださって、ありがとうございました。
描写不足だったかもしれませんが、ルナティエが最初にリューヌに放った膝蹴りに闘気を纏っていなかったのは、闘気を纏って攻撃すれば彼女を殺してしまうと考え、躊躇したためです。(ここら辺はブレーキの壊れたロザレナと比べて、ルナティエは例え積年の恨みがあるリューヌ相手でも命の奪い合いには忌避感を覚える感じです)
幕間は次話で多分終了予定です。
もしよろしかったら、いいね、評価、感想等、よろしくお願いいたします。
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