幕間 帰る準備とこれからのこと ①
「ふわぁ……朝、か」
チュンチュンと囀る小鳥の鳴き声に目を覚ました俺は、ソファーの上で上体を起こし、目を擦る。
壁に掛けている時計を見ると、時刻は午前七時を差していた。
毎朝五時には目を覚ます俺が……まさか寝坊をしてしまうとはな。
まぁ、昨日はあれだけアレスと戦りあったのだし、これも仕方ないと言えば仕方ないか。
未来視の攻撃を防ぐために、殆どの闘気を消費してしまっていたわけだし。
まさかあの男と再び戦うことになるとは思わなかったからな。今日ばかりは許して欲しいところだ。
「よし。シャワーでも浴びてくるかな……って、え、ぇぇ……?」
ソファーから立ち上がり、部屋に併設されている洗面所へと向かおうとした、その時。
ベッドから逆さになって頭から落ちているお嬢様の姿が、俺の目に入ってきた。
お嬢様は床に顔を擦り付けて、ベッドに下半身を乗せたまま、不可思議な態勢で眠っている。
相変わらず、ロザレナの寝相はものすごいな……。
普通、床に顔を付けたまま寝るのは難しいと思いますよ、お嬢様……。
「ZZZZ……あたしはもう昔のような泣くだけの子じゃないのよ……今度こそ倒してやるわ、サングラス男……むにゃむにゃ」
サングラス男……もしかして、ジェネディクトのことかな?
ロザレナの寝相の悪さに額に手を当てて、呆れたため息を吐いた後。
俺は、改めて部屋の中を確認してみる。
昨晩はルナティエとグレイが一緒の部屋で寝ていたはずだったが、二人の姿は既に部屋には無かった。
……ん? 昨夜グレイが寝ていたベッドの上に、紙きれが載っているな?
何だろうとベッドに近寄ると、その紙には「ベッドを奪ってしまい申し訳ございませんでした、師匠!! 罰としてマリーランドの市街を一周してきます!!」と、グレイからのメッセージが残されていた。
あれだけ決戦で疲弊していたというのに、まったく、元気な奴だな。
昨日は、眠りながら泣いていたところを目撃したから、少し心配していたのだが……ふっきれたのかな。
今のところ、この文面からだと、姉と戦ったことを悔やんでいる様子は感じられない。
俺もそうだったが……自身と近しい亡き者と戦うのは、やはり、堪えるものだからな。
奴がいつも通り通常運転している様子を確認できたのは、一先ず、師としては喜ばしいことか。
「さて、マリーランドでの決戦は終わったのだし、恐らく、俺とロザレナは近日中にはレティキュラータスの御屋敷に帰ることになるんだろうな。だけど、その前に……俺にはまだ、やるべきことが残っている」
昨日、皆と共に地下水道へフランシア伯を助けに行った時。入り口の前に、一人の少女が倒れていた。
俺はルナティエに、その少女を予め保護してもらうよう言っておいた。
恐らく彼女はその後、民兵によって拘束され、フランシアの屋敷にある地下牢獄に入れられたことだろう。
俺の願いが「保護」であるとはいえ、彼女は「敵兵」には変わりない。
牢獄に入れるのは、当主の娘であるルナティエとして、至極当然の措置といえる。
いや、領土を略奪しようとした対罪人の仲間だ。本来なら、処刑すべき罪人だろう。
ルナティエには……少し、師の立場で、無理を言ってしまったかもしれないな。
だけど、これだけは譲れなかった。
最後に奴から託されたんだ。だったら、その想いは俺が遂げなければならない。
「約束は守るぞ、アレス」
俺はそう言った後。シャワーを浴びるために、洗面所へと向かって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャワーを浴び、替えのメイド服に着替えて、身だしなみを整えた後。
俺はロザレナを寝かせたまま、そっと部屋を出て、廊下を歩いて行った。
フランシアの屋敷の中は相変わらず戦闘の名残があり、各所破損している様子だったが、昨日の内に床に落ちた瓦礫などは撤去されたのか。先日見た時と比べて幾分か内装が綺麗になっていた。
それでも屋根が所々欠損しており、一部の天井が吹き抜けになっていて、酷い有様だったが……まぁ、全盛期と呼ばれた過去の剣聖と剣神たちがこの屋敷で暴れたんだ。こればかりは仕方ないな。
むしろ、原型を留めただけ良しとするべきだろう。
修繕まで時間がかかりそうだなと屋敷内部を確認しながら歩いていると……突如、前方から声が聞こえてきた。
「…………はぁぁぁぁ!? なによそれ!! ルナティエ様が、教会に避難した民衆を守るために、敵のアンデッドを仕留めた、ですって!? それも剣神相当の相手を!? 嘘丸出しすぎて逆に笑えないんだけど!!」
その時。廊下の端で、以前ルナティエの悪口を言っていたメイド……エルシャンテと呼ばれていたメイドとその同僚が、掃除道具片手に立ち話しをしている姿が視界に入ってきた。
彼女たちは、俺の姿など気にも留めず、そのまま立ち話しを続ける。
「だって、あのルナティエ様だよ? 騎士公の娘なのに、卑怯な手を使ってでしか勝利を掴めない、無能なお嬢様だよ? そんな彼女が……剣神を倒す? リューヌ様なら分からなくもないけど、あんな口だけのお嬢様が、屋敷を襲ったあのアンデッドたちに勝ったですって? 信じられるわけないでしょ!!」
「勿論、私もそう思いましたよ、エルシャンテさん。でも、ご当主様がアンデッドとして復活した先代当主キュリエール様を、ルナティエ様は自らの手で降したと……」
「それこそあり得ない話でしょ!! あの何をやってもダメダメだったルナティエ様が、フランシア家歴代最強の剣士、キュリエール様に勝つなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない話だわ!! ご当主様のいつもの過大評価でしょ!! 実際は、アンデッドを倒したのは別の人よ!! 絶対にあり得ないわ!!」
「まぁ、確かにご当主様は、ルナティエ様を自分よりも才能がある存在だと、いつも過大評価していますが……」
「絶対にそうに決まってるわ!! 第一、元付き人である私は、あのお嬢様の実力を直に見て知っているのよ!! ルナティエ様は幼い頃から、剣も魔法も兵法も、リューヌ様には一切届いていなかった。いつも隠れて泣いていて、ルナティエ様の付き人になった時、私、直観したもの。この子じゃ当主には絶対になれない、って。早々に見切りを付けて、リューヌ様に鞍替えしたのは、我ながら正解だったと思うわね」
あのエルシャンテとかいうメイドは、元々、ルナティエの付き人だったのか。
ルナティエは以前、俺に、自分のメイドにならないかと勧誘してきたことがあった。
その時、ルナティエは「もし、貴方が幼い頃からわたくしに付き従っていたパートナーであったのなら、わたくしも……」と、意味深めいたことを呟いていたっけな。
あの言葉は……そういうことだったわけか。
本来、俺とロザレナのように、傍仕えのメイドと主人というものは、幼い頃から一緒に過ごし、強い信頼関係で結ばれているものだ。
それなのに、あのメイドが付き人では……。
あいつは……ルナティエは、子供の頃からどんなに影で努力しても、リューヌに敗ける度に、付き人であるメイドから見下されて、嘲笑されて、生きてきたのだろうか。
誰も、本当のあいつを認めて、傍で支えてやる奴はいなかったのだろうか。
それでもあいつは、めげずに、諦めることなく、今まで剣を握り続けたのか……。
「本当、ルナティエ様は子供の頃から情けないったらありゃしなかったわ。普通、リューヌ様の実力を見たら、叶うわけないって思うのが常識じゃない? それなのに、毎晩毎晩部屋を抜け出しては剣を素振りしてさ。付き合わされるこっちの身にもなって欲しいわよ」
「……」
「私、どうすればリューヌに勝てるのかな? って、半べそ搔きながら私に聞いてきたのよ? あはははは! どれだけ努力しようが無理に決まってるでしょ!! あんたはただの凡人なんだからさぁ!」
「……」
「だから私、その時言ってやったのよ!! ルナティエ様はもう少し、自分というものを理解してはどうですか、って! あははははは!!!!」
俺は肩を怒らせながら、談笑するメイドたちの元へと歩みを進めて行く。
すると、その時。俺よりも先に、廊下の向こうから、一人の人物が姿を現した。
「――――――相変わらず、使用人としての礼儀がなっていませんわね、エルシャンテ」
金の巻き毛を優雅に揺らしながら、青いドレスに身を包んだ令嬢がこちらへと向かって歩いて来る。
彼女はフランシア家の令嬢。本来なら使用人たちは彼女が姿を現した時点で、頭を下げるべきだろう。
だが……メイドの二人は、彼女に頭を下げようとはしなかった。
「ルナティエ様、おはようございます」
「…………何故、頭を下げないんですの?」
「私たちは、リューヌ様のメイドですので」
エルシャテは強気な態度でそう口にする。
ルナティエが次期当主にはなれないだろうと確信しているからこその、不敬な態度。
恐らくフランシア伯やセイアッドがいる前では、こういう態度を表に出しはしないのだろう。
ルナティエだからこそ、この二人は、強気な態度でいられるんだ。
「そういえば、変な話を聞きましたよ、ルナティエ様。貴方が……アンデッドとして復活したキュリエール様を倒したというお話です。ふふふっ、私、笑ってしまいましたよ。誰がそんな馬鹿げた話を吹聴して回っているのか、って」
「……」
「もしかして、ルナティエ様自らが吹聴して回っているんですか? だったら止めた方が良いと思いますよ? 嘘を吐くと、最終的に傷付くのはルナティエ様で―――」
その時。ルナティエは二人を鋭く睨み付けた。
そして彼女は、普段の様子とは一変。生前に見たキュリエールのような……冷たい表情を浮かべた。
「エルシャテ。それと、マイヤーズ。貴方たちは、栄光あるフランシアのメイドに相応しくはありませんわ。今すぐ辞表を出しなさい」
「は……?」「え……?」
困惑して顔を見合わせる二人。
だが彼女たちは同時に吹き出し、エルシャテはお腹を抱えて笑い出した。
「プッ! 何を言っているんですか、ルナティエ様! 私たち二人を雇っているのは、ご当主様ですよ? 貴方に私たちを解雇する権限など、ありません! 笑わせないでくださいよ!」
「フランシアの御屋敷を見捨てて逃げ出すメイドなど、誰がどう見ても必要ないと思いますが? 貴方たち……屋敷にアンデッドたちが襲撃した時、真っ先に逃げ出しましたわよね? わたくしがあの後屋敷に戻っても、貴方たちが一度も屋敷に帰って来ることはなかった。それなのに、平和を取り戻した瞬間、平然とした顔で屋敷に戻ってくるとは……本当に忠義の欠片もない使用人ですわね。そんな貴方たちを雇い続ける意味なんて、あると思っていますの?」
「あ、あの時は……そ、そうです! た、助けを求めに行ったんですよ……! 目の前で、他家のメイドが化け物みたいな大男に吹き飛ばされて殺されたんですよ!? 私はフランシア家を守るために、助けを呼びに行ったんです!! 変な言いがかりを付けるのはやめていただけませんか!?」
「誰が……吹き飛ばされて殺されたんですか?」
俺は背後から近づくと、そう、エルシャンテに声を掛ける。
エルシャンテは振り返り俺の顔を見ると、顔を青ざめさせた。
「は……? え……? あ、貴方、な、何で生きて……?」
「おはようございます、ルナティエお嬢様」
「おはようございますわ、し……コホン。アネットさん」
「先ほどのお話、すこし耳に入ってきましたが……私も、彼女が屋敷から逃げようとしている現場をたまたま目撃していました。ええと、エルシャンテさん、でしたっけ? 貴方、買い出しから帰ってきた直後に、逃げるようにして屋敷の外へと出て行きましたよね?」
「な、何で貴方、生きてるのよ!? あ、あの大男に吹き飛ばされて、死んだはずじゃ……!」
「? 見ての通り生きていますが? 何か見間違いをしたのではないでしょうか?」
そう言ってニコリと微笑む俺に、ルナティエは同調して強く頷きを返す。
「ええ……ええ、そうですわ。襲撃時、アネットさんはわたくしと共にいました。そして彼女はその後も、フランシア家、ひいてはマリーランドのために命を賭して戦ってくださった……。貴方たちとは違い、彼女はとても勇敢なメイドですわ」
そう口にして短く息を吐いた後。
ルナティエは腰の鞘からレイピアを抜き、その切っ先をエルシャテの喉元へと突き付けた。
「エルシャンテ。わたくしをもう、あまり舐めないほうがよろしいですわよ?」
「ル……ルナティエ……様……?」
「わたくしはもう、以前までのわたくしではありませんわ!! わたくしはこれから、フランシア家の当主の座を本気で取りに行く!! 弱い自分はあの晩に捨てた!! だから、もう、迷わない!! わたくしには……わたくしを認めてくださる、大事な人がいますから!!!! わたくしに矢を引く気ならば結構!! 貴方たちをリューヌごと潰しに行けば良いだけですから!!!!」
「……ッッ!!」
「貴方も知っての通り、わたくし、どんな卑怯な手を使ってでも勝利を求めるくらいには、性格が歪んでいましてよ? ここで潔くメイドを辞めて出て行くのなら結構。フランシア家にとどまり、リューヌを支持してわたくしに牙を剥くつもりならば―――それ相応の報いを受けていただきます。貴方のような忠誠心の欠片もない存在、フランシア家には必要ありませんから。当主になったら、即効で貴方たちを解雇致しますわ。絶対に!!」
ルナティエの気迫に押されたのか、マイヤーズと呼ばれたメイドが、おずおずと口を開く。
「ル、ルナティエ様。無礼なことを申して、申し訳ございませ……」
「謝罪は結構。貴方たちに残された道は二つに一つ。メイドを辞めて別の職を選ぶか、わたくしの敵となるか。どちらかですわ」
そう言ったルナティエを、エルシャンテは眉間に皺を寄せて睨み付ける。
そして二人は逃げるようにして、廊下の向こうへと去って行った。
その後ろ姿を見つめて、ルナティエは腰の鞘にレイピアを仕舞うと、ふぅとため息を溢す。
「……今まで好き放題言われていましたから……ちょっと、ムキになってしまいましたわね」
「とても素晴らしかったですよ、ルナティエ。貴族の令嬢としての威厳を感じました」
「ありがとうございますわ、アネット師匠。おや? ロザレナさんの姿が見えませんが……まだ寝ていますの? もうそろそろ朝食の時間だと思いますけど……?」
「朝食の時間になったら、起こしに行こうと思います。それよりも、ルナティエ。昨日保護してもらった、例の少女に会いに行きたいんですが……大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですわ。今から行きましょうか?」
「お願いします」
こうして俺とルナティエは、地下牢へと向かって、長い廊下を進んで行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
燭台を片手に持ったルナティエの後に続き、薄暗い地下へと続く階段を下りること数分。
鉄格子が並ぶ地下牢へと、俺たち二人は辿り着いた。
奥にある牢の前に二人で立つと、俺は、中に居る隅で三角座りをしている少女へと声を掛ける。
「初めまして。貴方が……メリアさんですか?」
「……」
少女は何も喋らない。ただ俯き、床を見つめている。
彼女の右手は、手首から先は包帯に巻かれて、無くなっていた。
切り取られた手の部分は、包帯に巻かれて彼女の傍に落ちている。
恐らく、ロザレナ斬り飛ばしたのだろう。我が弟子ながら、容赦の無いことをするものだ。
前から思っていたが……ロザレナは戦闘となると、何処か常軌を逸しているように感じられるな。
普通、あの年代の剣士だったら、人の生き死にをもっと重く考えるはずだ。
ルナティエやグレイは、そこらへんは年相応の倫理観を持っている。
だが、ロザレナは……相手を敵とみなしたら最後、止まることをしない。
相手の喉笛を噛み千切るまで、戦いを止めることをしない。
その在り方は、剣士としては正しいものだろう。
だが、彼女のそれは、あの年代の剣士が持っていい領域ではない。
お嬢様は……何かが、おかしい。
俺はお嬢様の戦いに、どこか薄っすらと、狂気を感じてしまった。
「……ルナティエ、ひとつ、聞いても良いでしょうか?」
「何ですの? 師匠」
「先日、フランシア伯が言っていたのを耳にしました。死霊術師のロシュタールは、フランシア家の神具を使って、魔力を回復させる算段を付けていたと。もしやフランシアの神具というのは、治癒の効果があるのですか?」
「え、ええ。フランシアの神具、【天馬角の破片】を指輪に付けた……【天馬の指輪】は、ありとあらゆるものを治癒させるものだと、お父様から聞きましたわ。それが、何ですの?」
「それを使ってメリアの腕を治療してあげたいんです。……可能でしょうか?」
「……はい? い、いやいやいやいやいや!! こ、この子、敵ですわよ!? それも、セレーネ教で悪しき存在とされる、魔の血を引く亜人ですわよ!? 正気なんですの、師匠!?」
俺はルナティエの言葉を無視し、牢に近付き、少女の顔を見つめる。
先ほどの会話を聞いていたのか。彼女は顔を上げ、こちらに、驚いた顔を見せていた。
そんな彼女に、俺はニコリと笑みを浮かべる。
「メリア。もう一度、剣を握りたいですか?」
「……え?」
「だったら、私の元に来なさい。私が貴方に、剣というものを教えてあげます。貴方の『師』だった、彼の代わりに」
投稿、遅れてしまって申し訳ございません……!
次こそは間に合うように頑張ります!
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