第7章 第213話 夏季休暇編 水上都市マリーランド エピローグ 夏の終わり
「単刀直入に申し上げますわ。アネット師匠は、もしかして……三十年前に亡くなった……最強の剣聖、【覇王剣】アーノイック・ブルシュトローム本人、なのではないでしょうか?」
その言葉に、俺は……ポカンと、呆けたように口を開けてしまった。
え……? いったいルナティエは、何を言っているんだ?
何故、俺がアーノイック・ブルシュトローム本人だと分かった? 何を根拠に言っている?
もしかして、アレスと俺の会話を聞いていたのか?
いや、あの戦闘の最中では、流石に声は拾えてないと思うが……。
どう答えようかと頭を悩ませていると、ルナティエは続けて口を開いた。
「まず最初に不思議に思ったのは、伝説級の【剣神】二人を相手取れるアネット師匠の異様な実力と、ゴルドヴァークとキュリエールがアネット師匠の剣を見て、アーノイック・ブルシュトロームの血縁者だと断定するかのように言っていたことですわ。【覇王剣】アーノイック・ブルシュトロームは既に死んでいる。それ故に、普通に考えれば、アネット師匠がアーノイック・ブルシュトロームの孫娘だと考えるのが当然でしょう。ですが……」
「で、ですが……?」
「入学して早々、ロザレナさんに『騎士たちの夜典』を仕掛けた際、わたくし、ロザレナさんの弱点であるアネット師匠のことを色々と調べさせていただきましたの。わたくしが記憶する限り、イークウェス家とアーノイック・ブルシュトロームが関わった記録は一つもない。流石に【剣聖】とメイドの一族を結び付けるのは不自然だと思いますわ。なのに……貴方は【覇王剣】と呼ばれる剣技を使ってみせた。そしてその剣技を見て、【覇王剣】を知るかつての【剣神】二人は、貴方をアーノイック・ブルシュトロームの血縁者だと断定した。これらのことから、師匠の剣は間違いなく先代【剣聖】が使っていた【覇王剣】だということが理解できます。そこでわたくしはひとつの仮設を立てました。貴方が、かの剣聖本人、なのではないのかと」
……よく頭の回る子だ。
ロザレナやグレイならば、適当なごまかしもできそうだが……ルナティエには難しいだろうな。
いや、ルナティエだからこそ、この不可思議な着地点に到達できた、とも言うべきだろうか。
普通の思考の持ち主だったら、メイドである俺の正体がアーノイック・ブルシュトロームだという、めちゃくちゃな答えに辿りつけはしないだろう。
だが、まだ、情報が足りていないな。それだけでは、俺の素性を暴くことはできない。
「フフッ。私がアーノイック・ブルシュトローム本人、ですか。それは何とも可笑しなお話ですね」
俺はルナティエの膝の上から頭を上げると、彼女の隣に座る。
嘲笑うかのような態度を見せた俺に、ルナティエはそれでも真剣な眼差しを向けた。
「わたくしは当初、師匠の強さは【剣王】級だと考えていましたわ。ただのメイドが【剣王】級に強いというのも可笑しな話ではありますが……それでも、隠れて修行をしていた天才児、など、現実的に考えればあり得そうな妥協ラインでしたから。ですが、ロザレナさんとグレイレウスの、貴方への剣の信頼は度を越しておかしかった。最初はただ妄信しているだけかとも思いました。ですが……アネット師匠の戦いを間近で見て、はっきりと確信しました。これは、明らかに、異質なものであるということを。ただのメイドが持って良い力ではない、と」
「……」
「先ほど言った通り、【剣神】二人との戦いを見て疑惑が膨れ上がり……そしてこの仮説に確信を抱いた最後の決め手となったのは……アーノイック・ブルシュトロームと思われた【剣聖】のアンデッドのと師匠の戦いですわ。戦いが凄まじすぎて、全ての会話を聞くことはできませんでしたが、一部、お二人の会話を聞くことができました」
それは……ちょっとまずいかも。
「師匠はアンデッドの【剣聖】を『師匠』と、そう呼んでいましたわよね? 仮にあのアンデッドを【覇王剣】と認めるのならば、歴史から鑑みても、アーノイック・ブルシュトロームの弟子は現【剣聖】のリトリシア・ブルシュトロームだけのはず。……ここまで考えれば簡単ですわ。あのアンデッドは抜刀剣術を使っていた。抜刀剣術で名を馳せた【剣聖】は、歴代でも先々代【剣聖】アレス・グリムガルドのみ。そして【覇王剣】を使用できる貴方は、あのアンデッドを師匠と呼んだ。……アネット師匠。わたくしは貴方が、アーノイック・ブルシュトローム本人なのではないかと、確信を持っています」
「……随分と、過去の剣聖についてお詳しいのですね、ルナティエは」
「幼少の頃から剣聖の伝記は頭に叩き込んでありますから。記憶力は良い方だと、自負しておりますわ」
「そうですか」
俺はふぅと大きく息を吐く。
聖女が敵だと分かった以上、なるべく俺の正体は、弟子には隠しておきたかったところなんだがな……。
弟子たちは王国の暗部など知らず、ただまっすぐに剣の道を進んで欲しい。
果たして、どうするべきか。
俺の正体を無理矢理ごまかすか。素直にルナティエに教えるか。
(いや……これから先のことを考えれば、俺の全てを知る存在が近くにいることはプラスに働くこともある、か)
これがロザレナとグレイなら不安が大きかったが、ルナティエは二人よりも格段に頭が良い。
これから学園内で俺が有利に動くためにも、こちらの事情に精通してくれている存在は重要か。
いざとなった時に、俺の代わりに動いてくれるかもしれないからな。
頭の良い彼女なら適任かもしれない。
俺は肩を竦めると、ルナティエにニコリと笑みを浮かべた。
「……正解だ。よく、俺の正体に気付いたな、ルナティエ」
「……!! やっぱり……時折出るその男らしいアネット師匠が、貴方の本当の姿なんですのね!!」
「いや、まぁ、どっちも素ではあるんだけどな。ただ、こっちの方が楽ってだけでだな……」
「そ、そうでしたわ! こ、これだけは、最初に確認しておかなければなりませんわね。……コホン。あの、アネット師匠の内面は……性自認は、その、男性……で、よろしんですわよね?」
「ん? あぁ、まぁ、そうなるかな。俺、見た目はこんなだけど、中身は先代剣聖のただのオッサンだからな。少なくとも自分を女だと思ったことは一度もねぇよ」
「でしたら……わたくしは女性、アネット師匠は男性。うん、そこに何も問題はありませんわね。わたくしは……別におかしくなってなんかいなかったのですわ! よ、よかった……」
「……はい?」
「あっ……な、なんでもありませんわ!! なんでも!!!!」
頬を赤く染めると、プイッと顔を背けるルナティエ。
そして、その後。彼女は何かに気付いたようにハッとすると、今度は顔を真っ青にし始めた。
「あ……れ? わたくし……以前、満月亭の女子全員でお風呂に……アネット師匠と、お風呂を……?」
あ、やばい。なまじ記憶力が良いから、気付かなくても良いことに気付きそうになっている、この子。
「ル、ルナティエ? そんなことよりも、今から地下水道にフランシア伯を助けに―――」
「わたくし……知らない間に殿方とお風呂に入っていたんですのぉ!? わ、わわわわ、わたくしの裸、見たんですのね、アネット師匠!? いえ、アーノイックさん!? ハレンチですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぐふっ!?」
バチンと思いっきり頬を叩かれる俺。
いや……ルナティエちゃん? 俺、さっきまで全力で戦っていたの知っているよね?
何で叩くの? 師匠にトドメを刺す気なの? ちょっと非道いですわよ?
「いや、待て待て待て!! 見てないからな!? お前、記憶力良いなら覚えているだろ!? あの時、俺、なるべく下だけを見ていたから!! 身体だけ洗って、すぐに大浴場から逃げたから!!」
「わたくし、あの時、身体には自信があるとかいって、堂々とアネット師匠の前で裸体を見せつけてしまっていましたわ…………う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! 乙女の純情を踏みにじられましたわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
可愛らしくポカポカと殴られる俺。
お、俺だって、あの時は良くないことだって分かっていたさ……でも、オリヴィアが無理やり……。
ぐすっ、俺、最後まで入りたくないって反対してたもん!!
いやだって駄々こねてたもん!!
俺も泣きたいところですわぁぁぁぁぁ!! 何でこんなことになるんですのぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「ぶぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
ルナティエにポカポカと殴られながら泣いていると、背後から声が聞こえてきた。
「アネットー!! ルナティエー!!」
「師匠ー!!」
こちらに向かって歩いて来るのは、ロザレナとグレイだった。
グレイは、ロザレナに肩を貸している。
二人とも全身傷だらけで、衣服はボロボロだった。
見たところ二人とも辛勝した感じか。格上相手によく頑張ったな。
「師匠ーーーー!!!!」
「ちょ、グレイレウス!! 急に手放すんじゃないわよ!! って、うわぁ!?」
突如、グレイはロザレナに肩を貸すのを止め、満面の笑みを浮かべて俺の元へと走って来る。
ロザレナはその場で倒れ、バタリと、ドミノ倒しのように地面に顔面を殴打した。
……いや、グレイ、お前最後までお嬢様に肩かしてやれよ……お前は飼い主を見つけて走って来る犬か……。
「師匠! 二番弟子グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロス、【剣王】ファレンシアを降し、今ここに御身の前へと戻って参りました! 我が姉の呪縛を解き放つことができたのは、全て師匠のおかげです!! 本当に、何とお礼を言って良いのか……!!」
そう言って俺の前で膝を付いて、頭を下げるグレイ。
俺はそんな彼に、困ったように笑みを浮かべる。
「よ、よくやったな、グレイ。それよりも、後ろのお嬢様を……」
「師匠! オレは……貴方様に出会ってから、大きな借りを作ってばかりです!! このふがいない弟子をどうかお許しください!!」
「う、うん。いや、グレイ、そんなことよりも後ろ……」
「オレはファレンシアを討ち、生まれ変わりました!! これからは、貴方様のためなら何だってやる所存です!! いかなる命令でも答えてみせます!! 我が至高なる師よ!!!!」
「……グレイレウス!! あんた、ぶっ殺してやるわ!!」
鞘に入った大剣が、グレイの脳天に直撃する。
たんこぶができたグレイは、頭を抑えながら……背後に立つロザレナに声を張り上げた。
「ぬぐぅあっ!? おい! 何をする! 脳筋女!!」
「それはこっちの台詞よ!! 珍しく肩を貸そうとか言ってきたから、良いところもあるんじゃないって思ったら……結局こうなるのね!! あたしの顔に傷が付いたらどうしてくれんのよ!! あんたと違ってあたしは女の子なんだからね!!!! 丁重に扱いなさいよ!!!!」
「フン。何処に大剣を振り回して地下水道の入り口を破壊する女がいる。オレの中でお前は、女性の区分には入っていない」
「は? はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
流石にノンデリすぎる……ノンデリすぎるぞ、この男……。
本当、このマフラーノンデリ男、何で俺以外の人に対していつも口が悪いの?
ベアトリックスもそうだったが、こいつら兄妹、基本的に他人に対して言葉が鋭いんだよな……。
もしかして、姉のファレンシアもそうだったのだろうか?
根は悪い奴ではないのだが、そこのところ直して欲しいです。父親目線で。
「まぁ、確かにロザレナさんは女性らしくはありませんが……」
「あんたもぶっ殺すわよ、ルナティエ!!」
「じゃあ、わたくしはどうなんですの? わたくしはあの女程ガサツではなくってよ! オーホッホッホッホッホッホッホッ!!」
「お前はクズだ」
「……人ですらない、と。少々苛立ちますが、今は置いておきますわ。では、アネット師匠は?」
「? アネット師匠は女性だが?」
「何であたしよりも街を破壊しているアネットが女性なのよ!!!! どう見てもアネットの方が化け物でしょうがっ!!!!」
「お嬢様……私を化け物呼ばわりするのはやめてください……あと、街を破壊したのは私じゃないです……街を破壊したのは、久々に弟子に出会ってハイテンションになってしまった何処かのアホ剣聖です……私じゃないです……」
どうか街の請求は俺ではなく、あの砂になって消えたアホ男にしてください。
今更だけど、何で街の中でバカスカ【絶空剣】撃ってんだよ、あの男は……。
元から、民衆が教会に避難していたのを知っていたのだろうが……にしてもやりすぎだ……。
俺はこの市街の中では【覇王剣】を極力使わないようにしていたってのに、本当、頭にくるぜ、あの野郎……。
ここにはもういない剣聖にため息を吐いた後。
俺は立ち上がり、三人に視線を向けた。
「さて、アンデッドは倒しましたが、まだ首魁の死霊術師が残っています。元凶を倒さなければ、マリーランドは再びアンデッドに襲われてしまうでしょう。連戦になりますが、今から地下水道に―――」
「その必要はないわ」
その時。背後からジェネディクトが姿を現した。
ジェネディクトは抱えていた老人の死体を俺たちの前にドサリと落とすと、何処か不機嫌そうな様子で開口した。
「そいつがこのマリーランドを襲った首魁の死霊術師、百足のロシュタールよ。この男を含めて、地下水道にいるそいつの部下は全員、死んでいたわ」
「死んでいた? どういうことだ? お前が殺したわけではないのか?」
「ええ、私ではないわ。私、ゴルドヴァークを追って地下水道に入ったのよ。そうしたら、そこで闇組織『百足』の団員が全員殺されて転がっていたの。まぁ、自分を召喚した者には報いを受けさせるって言っていたから、十中八九、ゴルドヴァークの奴が連中を皆殺しにしたのは間違いないと思うけれど……まっ、これでマリーランドを襲った敵はいなくなったわ。私の【剣神】としての初仕事もここまでかしら」
そう言って肩を竦め、ため息を吐くジェネディクト。
俺はそんなジェネディクトに、疑問を投げる。
「その口ぶりから察するに、お前、もしかしてゴルドヴァークに敗けたのか?」
「言葉には気を付けなさい、アネット・イークウェス。私は刺し違えてでもあの男を殺すつもりでいたわ。だけど……日が昇ったのと同時にあの男は去って行った。恐らくは今頃日の光を浴びて死んでいるとは思うけど、どうかしらね。私としては、何処かで隠れて生きていて欲しいわ。私の恨みを晴らすためにも、ね」
なるほどな。奴は、何処かに去っていたというわけか。
けっして、ジェネディクトとゴルドヴァークの実力に差があるとは、俺は思わない。
速さのみを追求したジェネディクトにとって、腕力のみを極めたゴルドヴァークが相性の悪い相手だということは、最初から理解していた。
俺の予想では、四肢の一部などを欠損するほどの大ダメージを負いつつも、ジェネディクトが勝つと踏んでいたのだが……その予想はどうやら外れてしまったようだ。
俺がジェネディクトの顔を静かに見つめていると、突如ロザレナが首を傾げ、開口した。
「ん? 何、この人? 何処かで見た覚えが……って、あー!! あ、あんた!! 昔、あたしとアネットを攫った奴隷商人じゃない!! また性懲りもなくあたしとアネットを攫いに来たの!? 上等よ!! あたしはもう、あの頃みたく泣いてるだけの子供じゃないんだからっ!!」
突然ジェネディクトに斬りかかろうとするロザレナを、俺は慌てて背後から羽交い絞めにする。
「お、お嬢様!! 今の彼は敵ではありませんよ!! むしろ協力者です!!」
「協力者ぁ!? だって、こいつ……!!」
「そうですね。この男は私たちを奴隷にして売ろうとした悪人であり、ロシュタールと同じく、元闇組織の首魁です。でも今は【剣神】となって、アンデッド討伐に協力してくれたんですよ!! ですから、斬りかからないでください!!」
というか、いくらロザレナがあの頃から強くなったとしても、現時点では絶対にジェネディクトには勝てないだろうからな。
この男は、流石にロザレナが降してきたシュゼットやメリアとは、格が違いすぎる。
はっきり言ってしまえば、ロザレナが目指している【剣聖】リトリシアよりも、ジェネディクトの方が何倍も強い。
「はぁ……やかましいガキね。いちいち攫った奴隷なんて覚えていないけど、確かに、アネット・イークウェスの傍でギャーギャーと騒いでいたうるさいガキがいたような気がするわね。って、あぁ……思い出したわ。格落ちの四大騎士公、レティキュラータス家の息女か。ダースウェリンの変態男爵に売ろうとしていたんだったわね。懐かしいわ」
「誰が格落ちよ!! あたしはいずれ【剣聖】になる女、ロザレナ・ウェス・レティキュラータスよ!!」
そう言って、ガルルルルと、ジェネディクトを睨み付けるロザレナ。
ジェネディクトはそんなロザレナに対して、興味のなさげな様子で視線を向けた。
「大言壮語など誰でもできるわ。貴方のように大きな夢を語って消えていった剣士を、私は数多く見てきた。実力が伴わない言葉に重みなどはない。貴方など、ただ吠えるだけの雑魚よ」
「なんですってぇぇぇぇ!!!!」
「お、お嬢様!!」
敵意をむき出しにするロザレナを一瞥すると、ジェネディクトは踵を返す。
そして、ポソリと、言葉を残した。
「私も貴方と一緒で、剣の頂き……【剣聖】を目指す一人よ。クスクス……貴方が志半ばで死ななければ、何処かで戦うこともあるかもしれないわねぇ。一応、その名前を覚えておくわ。ロザレナ・ウェス・レティキュラータス。運悪く、私と殺し合うような未来が無いといいわねぇ」
そう言って、ジェネディクトはその場から去って行った。
……マリーランドは平和を取り戻した。
もうアンデッドに襲われることは、ない。
いったいロシュタールを殺した者は誰なのか。ゴルドヴァークは何処へ消えたのか。
その二点だけは不安が残る結果となったが、今は、目の前に訪れたこの平和を甘受すべきだろう。
この長い戦いも、ようやく、終わりを迎えることができた―――――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――――――お父様!」
セイアッドに支えられ、地下水道から出てきたフランシア伯に、ルナティエは駆け寄り、抱き着いた。
そんな娘の姿に、フランシア伯は穏やかな表情で見つめ……その頭をポンと優しく撫でる。
「すまない。心配をかけてしまったな、ルナティエ」
「お父様……! ご無事で良かったですわ……!」
抱き合う二人に、俺は優しく笑みを浮かべる。
フランシア伯はやせ細り衰弱していたが、命に別状はなさそうだ。
とりあえず、誰も死ぬこと無く戦いを終えることができて、良かった。
「お兄様も、戻ってきてくださっていたのですわね! ご無事で良かったですわ!」
そう言ってセイアッドにも、嬉しそうに声を掛けるルナティエ。
セイアッドはコクリと頷き、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「重責を背負わせてしまってすまなかったな、ルナティエ。ギリギリとなったが、無事、救援を連れてくることに成功した。私の呼びかけに答え、マリーランドを救うためにここまでやってきた剣士は、かの【剣神】殿しかいなかったのだ。彼にお会いしたらぜひ感謝を告げてあげて欲しい」
「【剣神】? 彼……とは、誰ですの?」
「今頃、街の方で騎士たちを使って、民の誘導、改修工事を手伝っているはずだ。良かったら、屋敷に帰る途中、彼の様子も見てきてもらえるとありがたい。私はどうやら、今まで彼のことを誤解していたようだ」
「はい。分かりましたわ……?」
曖昧に頷くルナティエ。
こうして、俺とロザレナ、グレイ、ルナティエは、屋敷に戻る途中で、街の方を見てくることに決めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
街に戻ると、大きな悲鳴が聞こえてきた。
何事かと声が聞こえてきた方向へと歩みを進めてみると……ある家屋の前に、黒い鎧を着た一人の男の姿があった。
その騎士に対して、家屋の家主であろう親子は、怯えた様子で悲鳴を上げている。
……ん? あの男、何処かで見たことあるような……って、も、もしかして……アレって……?
「……おい。俺は何処を手伝えば良い?」
「ひぃぃぃぃ!! す、すいませんすいません!! ヴィンセント様は何もしなくてよろしいです!!」
「いや、そんなわけにはいかないだろう。街の修繕をするためにも、俺はこの場に残って―――」
「な、何もしないでください!! お願いします!! お金はあげますから、家族には手を出さないでください!!」
「家族? いや、俺は何処を手伝えば良いのかと……」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
貨幣の入った袋を掌に載せ、騎士に土下座をする父親と、その妻と娘の三人。
そんな彼らの姿を見てため息を吐くと、騎士は他の家屋の前に行き、修繕の手伝いを家主に申し入れる。
「おい、手伝うぞ。何処を直せば―――」
「ひ、ひぃぃぃぃ!! バルトシュタイン家の悪魔!! こ、殺さないでくれ~~!!」
またしても手伝いを断られる強面の大男。
バルトシュタイン家の屋敷以外で初めてあいつを見たが……やっぱり外でも他人から悪人だと勘違いされてるんだな、あのシスコンお兄様は……。
バルトシュタイン家の今までの非道な行いと、あの強面のせいで、マリーランドでも周囲から悪人だと勘違いされているのか……何だかちょっと可哀想になってくるぜ。
その後、何件も家を回るが、誰からも手伝いを断られ、呆然と広場に立ち尽くすこととなったヴィンセント。
そんな彼の姿を見て、ロザレナ、グレイ、ルナティエは、それぞれ違った反応を見せる。
「何、あれ。あの大男、何であんなにみんなから怖がられているの?」
「アレは……もしかして【剣神】『氷絶剣』ヴィンセント・フォン・バルトシュタインか? 初めて見るな」
「な、何を冷静に見ているんですの、二人とも!! あの男は、バルトシュタイン家の悪魔と呼ばれる、悪逆非道な騎士ですわよ!? 子供を殺して、その内臓を喰らうのが趣味だとか!!!! な、何故あんな男がこのマリーランドに!? も……もしかして、セイアッドお兄様が連れてきた助っ人というのは、彼のことなんですの!?」
「子供を殺して内臓を喰らう!? あいつ、すっごく酷い奴なのね!!」
「まぁ、そうだな。オレもあの【剣神】に関しては、良い噂はまったく聞かないな。悪徳貴族バルトシュタイン家の次期当主に相応しい、人の命を何とも思わない、狂った剣士だと聞いている」
う、うーん。ヴィンセントは顔が強面なだけで、普通に良い奴なんだけどなー……。
あの男が周囲から恐れられるのには、こういった根も葉もない噂が大きな要因となっていそうだな。
その姿は何処か、前世の怪物と呼ばれ恐れられた俺に、似ているような気がしないでもない。
(とはいっても、男装していないこの姿でヴィンセントに会うわけにはいかないし……今ここでは、彼に話しかけるのは止めておくとするか)
俺はそう考え、三人の弟子を連れてフランシアの屋敷へと戻ることを決める。
「皆さん。戦闘で体力も消耗していますし、ここは一旦御屋敷に帰って休みましょう」
「何を言っているんですの、師匠! あんな悪魔がマリーランドの市街にいては、二次被害が起こってもおかしくないですわ!! フ、フランシア家の令嬢として、わたくしが、あの男を街から追い出してみせますわ!!」
「いや、あの、ルナティエ? 彼は別にそこまで酷い人では……むしろ善人で……」
「そんなわけありませんわ!! 行ってきます!!」
ルナティエは怯えながらも、ヴィンセントの元へと歩いて行った。
そして、広場に佇むヴィンセントの前に立つと、彼に指を突きつけ、大きく口を開いた。
「そこのバルトシュタイン家の悪魔!! いったい何を企んでいますの!? マリーランドに手は出させませんわよ!!」
「……? いや、俺は街の修繕に参加したいだけなのだが……」
「う、嘘仰い!! 笑み一つ見せずに怖い顔で街を見つめて!! 何かよからぬことを考えているのは、目に見えて分かりますわ!! この天才的な頭脳を持つわたくしには何でもお見通しですわよ!!」
「笑み、か。なるほど、それか!」
ヴィンセントは納得したように掌を拳で叩くと、ルナティエに……不気味な笑みを見せた。
「ククク」
「な、なんですの!? そ、その恐ろしい顔は!?」
「クククククク」
「そ、そんな顔で脅されようとも、わ、わたくしは……わたくしは……っ!!」
「クククククククククククク」
「し……師匠ぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
大粒の涙を流しながら、ルナティエがこちらに走って来た。
そして彼女は盛大に俺の胸へとダイブしてくる。
ヴィンセントの視界に入ってしまったのではと焦ったが……彼はこちらに顔は向けず、ただ悲しそうに街を見つめていた。
そして彼は、ポソリと、口を開いた。
「……兜を被ってくるべきだったか」
いや、うちの弟子が本当に申し訳ないです、シスコンお兄様。
貴方が本当は善人であることが皆に知れ渡る日が来ることを、影ながらお祈りしております。
「うわぁぁぁぁん!! 師匠ぉぉぉ!! あの人怖いですわぁぁぁぁぁ!!」
「はいはい、帰りますよ、ルナティエ」
「ぶぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!!」
こうして俺は三人の弟子を連れて、フランシアの屋敷へと帰った。
帰り際。弟子たちにヴィンセントは実は良い奴だとさり気なく話してみるが……三人とも、その言葉を信じることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
屋敷に帰った後。
俺たち四人は、客室で、それぞれに起こった戦いを皆で報告しあった。
ロザレナはメリアと闘気の削り合いをして、何とか勝利を納めたこと。
グレイはファレンシアの立っている屋根を破壊して、何とか辛勝したこと。
ルナティエはアルファルドと協力して、奇策を用いてキュリエールを倒したこと。
この夜の戦いで、弟子三人とも、大きく成長を遂げたことだろう。
師としても、三人が格上相手に勝利したこの結果には、喜ばしいことこの上ない。
仲良く談笑する三人を見つめた後。俺は、トイレに行った。
そして、数分して部屋に戻ると――――ロザレナ、グレイ、ルナティエの三人は、疲れたのか、眠りに就いていた。
ロザレナのベッドではロザレナが大の字になって熟睡しており、その隣でルナティエはロザレナに頬を殴られながら苦しそうな顔で眠っている。
グレイはというと……何故か隣にある俺のベッドで、布団を被り、すやすやと規則正しく寝息を立てて眠っていた。
いや、お前……何で俺のベッドで寝ていやがるんだ?
というか、ルナティエは良いけど、お前、男なんだからお嬢様方と同じ場所で寝てんじゃねぇぞ?
起こして外につまみ出すか……とも思ったが、グレイは「姉さん」と呟き、涙を流しながら眠っていた。
その姿を見て、俺は腰に手を当てて大きくため息を吐く。
「……仕方ない。今日くらいは許してやるか」
俺はぐかーぐかーと寝相悪く眠っているロザレナとそんな彼女に殴られているルナティエに、そっと、毛布を掛ける。
そして、部屋の窓を開け、暗くなり始めた空を眺めた。
ここに来た当初よりも、日が暮れるのが早くなってきたように感じられる。
もう、夏も終わり、か。
あと数日で、陽夏の節、八月の終わりを迎える。
……何故だかわからないが、焦燥感が募る。
これから先、俺に、大きな試練が待ち受けているような……そんな漠然とした予感を覚える。
聖女という、明確な俺の敵、この国の支配者の姿を知ってしまったからだろうか。
アレスとの会話で、俺は、自分がこのまま影に徹することが難しくなるのではないかと、そんな予感を覚えてしまった。
まもなく、次期聖王を決める『巡礼の儀』が始まろうとしている今の状況。
ギルフォードが言っていた、12月までに王国から何としてでも俺を外国に連れ出すという言葉。
これから嵐が起こるような……そんな、予兆を感じざるを得ない。
(果たして、俺は……ロザレナお嬢様のお傍に、いつまでいることができるのだろうか……?)
そんな不安を残しながら、俺は、空に浮かぶ月を静かに見つめるのだった。
第213話を読んでくださって、ありがとうございました。
これでマリーランド編は完全に終了となります!
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました!
次は幕間を挟んで、二三話分の四大騎士公の令嬢たちのお茶会を書いて……第8章に入ります。
いいね、評価、感想、いつもありがとうございます!
最近、ご感想、お返しできずに申し訳ございません!
全て見ておりますので、後日時間ができたら、お返事をさせていただいたこうと思います!
また次回も読んでくださると嬉しいです! それでは、また!
【宣伝】剣聖メイド12月25日発売予定です!




