第7章 第199話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ㉜
――――8月18日。決戦前夜。
深夜11時過ぎ。俺は、薄暗いフランシア家の客室で目を覚ます。
「……ぐかー、すぴー」
隣のベッドに視線を向けると、そこには、お腹を出して眠るロザレナお嬢様の姿があった。
もうすぐ決戦が始まるというのに我が主人には緊張の欠片もない。
いつもどおりの寝相の悪さで、ぐっすりと眠りに就いていた。
「そのままでは、風邪を引かれてしまいますよ? お嬢様」
俺はクスリと笑みを溢し、床に落ちている毛布を拾い上げ、ロザレナの身体にそっと被せる。
「むにゃむにゃ……【剣聖】になるのは、あたしよ、ツノ女……絶対にぶっ飛ばしてやるんだから……」
寝言を呟くお嬢様に優しく笑みを浮かべた後。
俺は、窓の外へと視線を向ける。
「……明らかに、呼んでいるな」
そう独り言を呟き、俺はお嬢様を起こさないよう、そっと部屋の外へと出た。
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「夜分遅くにすまない。……おや? 見たところ、ここに来てくれたのは君だけかな? メイド君」
月が明るく海を照らしている、浜辺。
そこには、ボロボロのマントを風に靡かせている、一人の騎士が立っていた。
彼は海を眺めながら、背後にいる俺に再度、声を掛ける。
「屋敷に向けて、闘気を放ってみたのだが……どうやら闘気感知に優れた剣士は、この土地では君だけのようだ。この結果には、正直、落胆しか覚えない。【剣聖】【剣神】が未だマリーランドに召喚されていないということに他ならないからな。猶予を与えてやったというのに、非常に残念だ」
「……」
「メイド君。フランシアのご令嬢から話を聞いているとは思うが……明日、この地を盗りに、我らアンデッドは襲撃を掛ける。そのことについてはちゃんと理解しているかな?」
「……」
「? どうしたんだ? だんまりを決め込んで。あぁ……警戒しているのか? 安心しろ。今の俺に戦う意志はない。だから――――」
「――――――誰ですか? 貴方」
俺の言葉に、騎士はこちらを振り返る。
そして、「フッ」と鼻を鳴らした。
「フランシアのご令嬢から聞いていないのかな? 俺は、歴代最強の【剣聖】アーノイック・ブルシュトロームだ。師から【覇王剣】の異名を授かり、武の境地に至った男。全てを斬り裂き、覇者となり、病によって生涯を終えた者……それがこの俺だ」
「いいえ、違います。貴方はアーノイック・ブルシュトロームではない。それだけは、断言できる」
「おかしな娘さんだ。まるで俺を知っているような口ぶりで喋る。その根拠はいったい何なのかな?」
「彼は、そんなキザッたらしい口調で喋ったりはしない。それに、自分のことを、武の境地に至った男など口にしない。彼にとって剣とは、誇るべきものではないからです。そして、師から貰ったその言葉を、軽々しく口にはしない」
「……」
騎士は、無言で俺をを見つめる。
そして彼は夜空を見上げ、静かに口を開いた。
「本当に不思議な娘さんだ。この時代では、俺は、アーノイック・ブルシュトロームは、30年前に亡くなったと聞いていたが……君はよく、理解している。察するに、ファン、という奴なのかな?」
フフフフと笑い声を溢した後。騎士は、再びこちらに視線を向ける。
「君、名前は何と言ったかな?」
「アネット・イークウェス」
「そうか、アネットか。……アネット、君に忠告をしよう。今日は、そのためにここに来たんだ」
「忠告……?」
「そうだ。明日、太陽が完全に沈んだ19時過ぎ頃。我ら四人のアンデッドは、マリーランドの各所に襲撃を掛ける。丘の上の大聖堂には、『キュリエール・アルトリウス・フランシア』が。中央広場には、『ファレンシア・ローゼス・アレクサンドロス』が。破壊されたキュリエール大橋の前には『ゴルドヴァーク・フォン・バルトシュタイン』が。あとは、そうだな……俺の弟子、メリアが、地下水道の入り口で門番をしている。地下水道は我らの本拠地だ。我らを支配する、死霊術師ロシュタールもそこにいる」
「貴方はどこにいるのですか?」
「俺は……フランシアの時計台の上から、この街の終焉を眺めるとするさ。【剣聖】リトリシアがいない以上、俺が出張る意味もないからな」
そう言って小さくため息を吐くと、騎士は再度、口を開いた。
「死にたくなければ明日、日が出ている内にこの街から逃げるが良い。だが、一人の師としての本音を言えば……君には、我が弟子メリアと戦って欲しい。メリアは君のことを気にかけていた。我が弟子は強い。君にもきっと良い経験になることだろう」
「私はただのメイドです」
「申し訳ないが、二週間前のゴルドヴァークとの戦いを見させてもらった。君がただのメイドではないことは、既に理解している」
「……そうですか。だったら、隠す必要もないですね」
俺はやれやれと肩を竦めると、手に持っていた箒丸をまっすぐと、騎士へと突き付けた。
「…………私が……いや、俺が倒すのはテメェだ、アーノイック・ブルシュトローム」
突如言葉遣いが変わった俺に一瞬驚いた様子を見せたが、騎士は訝し気に開口する。
「正気か? 悪いがゴルドヴァークとの戦いを見る限り、君が俺に勝てる道理は見当たらない。幾分か力を隠している様子だったが……それでも、だ。自分で言うのもなんだが、俺は【剣神】とはレベルが違う。間違いなく死ぬぞ」
「いいや、お前を倒すのは俺だ。そして、テメェの弟子とやらを倒すのは、俺の愛弟子だ」
「もしや、その弟子というのは……青紫色の髪のお嬢さんかな? 確か、ロザレナとか言ったか」
「そうだ」
「はぁ…………。もう少し賢い少女と思っていたのだが……まさか、彼我の戦力差も分からないとはな。あのお嬢さんは一度、手も足も出ずに、メリアに敗れている。二週間でどうにかなるとは思えない実力差だ。彼女では、メリアを倒すことはできない。不可能だ」
「はっ。やっぱりテメェはアーノイックじゃねぇよ。奴だったら、勝てないと分かっていても何度も向かってくる奴がいたら、嬉々とした様子で『面白ぇじゃねぇか』と言うはずだ。博打好きのあの男が、不可能だなんて言葉、使うはずがねぇ」
「…………」
「テメェの弟子がどんなもんかは知ったことじゃねぇぜ。だが、うちの弟子たちを舐めている様じゃ……痛い目見るぞ? 勝つのは俺だ。俺たちだ」
箒丸を肩に乗せ、不敵な笑みを浮かべ、騎士を睨み付ける。
すると騎士は兜の中で笑みを溢した。
「フッ……ハハハハハハ! 確かに、そうだな。アーノイックだったら、不可能なんて言葉、絶対に使わないな! ハハハハハハハハハハハハハ! どうやら君の方が、俺をよく知っているようだ!」
「……?」
楽しそうに笑い声を溢す騎士。
今までとは違ったその様子に、俺は、違和感を覚える。
(この笑い方、既視感が……俺は……こいつを、知っている……?)
一頻り笑うと、騎士はコホンと咳払いをし、マントを翻した。
「ひとつ、教えてやろう。我らはマリーランドの各所で、あるものを破壊するつもりだ。そのあるものとは、この街を守護する結界を張っている、魔法陣だ」
「魔法陣?」
「あぁ。ロシュタール曰く、この魔法陣が発動していると奴の悲願が達成されないらしい。……まぁ、理由はよく分からないが、あの死霊術師はこのマリーランドに強く執着している様子だった。そして、明日、奴はマリーランドの全てを手に入れようとしている。君たちの勝利条件は、我らアンデッドを退け、ロシュタールを仕留めること。逆に我らは、魔法陣を破壊し、この街を手中に収めること。どうだ? 分かりやすいだろう?」
「何でお前は、敵である俺にそんな情報をくれるんだ? お前はいったい何がしたいんだ?」
「俺はこれでも元【剣聖】なのでね。無辜の民が傷付けられる姿は、見たくないんだよ」
「……いいや、違うな。最初、お前はリトリシアが未だマリーランドに来ていないことに酷く落胆している様子だった。察するに、リトリシアと会うことが、お前の目的のように感じられた」
「…………聡いお嬢さんだ。そうだな……確かに俺は、リトリシア・ブルシュトロームに会ってみたかった。彼女から、直接、あいつの最後を聞きたかった……」
そう言葉を残すと、漆黒の騎士、アーノイック・ブルシュトロームは『転移の魔道具』を使用し、【転移】を唱えた
その瞬間、騎士の身体は半透明になり、消えていく。
「アネット・イークウェス」
消滅する間際。騎士は肩越しに、こちらへと視線を向けた。
「俺の答えは変わらない。君では、絶対に俺には勝てない。うら若き娘さんを斬るのは趣味ではないんでね。できれば今からでも【剣聖】リトリシアを連れてくることを願っている」
そう言って、騎士の姿は搔き消えていった。
後に残るのは、海のさざめきと、静かな風の音。
そして、空に浮かんだ満月になりかけの月……十三夜が、明るく砂浜を照らしていた。
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8月19日――――――――決戦当日。
午前6時。入江。
そこには、向かい合う、ロザレナとルナティエの姿があった。
彼女たちは手足に闘気を纏い、高速で殴り合う。
「とりゃあ!」
「効きませんわ!」
ロザレナの放った拳を、ルナティエは手のひらに纏った闘気で弾き、軌道を逸らした。
次にルナティエは足に闘気を纏い、ロザレナの顔面へ向けて強烈な蹴りを放った。
しかしロザレナは右腕でその蹴りを受け止め、防御することに成功。
二人はお互いに笑みを浮かべて、高速で攻防を繰り返していく。
「とりゃぁぁぁぁっ!!」
「ですわぁぁぁぁっ!!」
組手とは思えない、隙あらば互いに目の前の敵を踏破しようとするような、苛烈な攻防戦。
その姿は、俺の想定とは異なったが……そもそもこの二人が仲良しこよしをするはずもない、か。
けれど、ロザレナの闘気は、ルナティエに合わせてちゃんと制御できている。
お互いに怪我がひとつもないことから、この『闘気の量を同等に調整する組手稽古』は成功したと言えるだろう。
「……朝から精が出ますね、二人とも」
そう声を掛けると、ロザレナとルナティエは組手を止めて、こちらに顔を向けた。
「はぁはぁ……おはよう、アネット!! どうだったかしら、あたしたちの組手!!」
「ええ、とても素晴らしい組み手でした。ロザレナお嬢様はちゃんとルナティエに闘気を合わせることができていましたし、ルナティエは【心月無刀流】を応用して、お嬢様の拳を最小限の動きで受け流していた……文句の付け所がない、素晴らしい攻防でした」
「ふふん! あたしなら、これくらいできて当然よ! このロザレナ様に不可能はないもの!」
「何を言ってるんですの、この猿女は……。貴方、わたくしに闘気を合わせることができたの、二日前でしたわよね? それまでわたくし、貴方にどれ程、怪我を負わされてきたと思っていますのよ……」
「う、うるっさいわねぇ!! さっ、アネット。さっそく最後の試験をやるわよ! この試験を突破できなければ、あたしはあのツノ女と戦うことができないもの!」
「ええ、分かりました。では二人とも、岩の前に並んでください」
「分かったわ!」「分かりましたわ」
元気よく返事をして、二人は大岩の前に立つ。
俺は二人の背後に立ち、声を掛けた。
「それでは、これより試験を始めます。最初は……ルナティエ」
「はい、ですわ」
ルナティエは何処か緊張した様子で前に出て、岩の前に立ち、腰の鞘からレイピアを抜く。
ルナティエが斬る岩の大きさは1.5メートル、150センチ程。
大きさは、人とそう変わらない。ルナティエの背丈より少し低い程度のもの。
力任せで剣を振っても、この岩を斬ることはできないだろう。
単なる一振りでは、間違いなく剣は岩に弾かれ、刀身が折れてしまうことは必至。
課題が四つあるルナティエにとってこれは、最初の関門。
さて……どうなることか。
「ふぅ……」
ルナティエは大きく深呼吸をすると、剣を構えて、岩を見つめる。
そして彼女は、身体に闘気を纏った。
「はぁ……っ!」
白い湯気のような闘気が、膜のように、全身を覆いつくす。
そしてその全身の闘気を、ルナティエは一点に集中……レイピアに纏ってみせた。
【剛剣型】ではないルナティエの保有する闘気は微々たるもの。
だが、一か所に集めることができれば、それなりの量となっていた。
揺らめく白い炎が纏ったレイピア。
ルナティエはそのレイピアを構え、突きの態勢を取る。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
そして、咆哮を上げると同時に、レイピアを岩に突き刺すルナティエ。
その瞬間。レイピアを突き刺した中央から、放射状に、ヒビ割れが発生する。
そして岩は粉々に砕け散り、ガラガラと音を立てて、ルナティエの足元へと落ちて行った。
額に浮かんだ汗を拭うと、ルナティエは膝に手を当て、ゼェゼェと息を吐く。
やはり【剛剣型】ではない彼女にとって、闘気操作はかなりの体力と集中力を要するのだろう。
とはいえ、素晴らしい結果だ。並の剣士では、こうはいかない。
「お見事です」
俺はポケットからハンカチを取り出し、ルナティエの額を拭う。
ルナティエは顔を真っ赤にして、「じ、自分でできますわ、師匠!」と言って、ハンカチを受け取った。
「実に見事な太刀でした、ルナティエ。【剛剣型】でもない剣士で、この課題をクリアできる剣士は、王国にはそうはいないでしょう。貴方は間違いなく、良き成長を遂げている」
「あ、ありがとうございますわ」
照れるルナティエに微笑みを向けた後。俺は、ロザレナへと視線を向けた。
「さぁ、次はお嬢様の番です」
「分かったわ」
ルナティエと交代し、今度はロザレナが前に出る。
ロザレナの前にあるのは、5メートルの大岩。
生半可な剣では、この大きさの岩を斬ることは難しい。
――――実を言うと、ロザレナのこの試験、俺はかなりの無茶ぶりをロザレナに強いていた。
通常【剛剣型】の剣士が、闘気コントロールを覚えて『岩斬り』に挑戦する時、その岩の大きさは先程のルナティエと同程度の大きさのものだ。
多少大きくても、2,3メートル程のもの。
5メートルの大岩の『岩斬り』は、【剛剣型】の素人剣士が最初からできるものではない。
だから、これは非常に難易度の高い試験。
お嬢様に危険な目に遭って欲しくはないというメイドである俺のいじわると、お嬢様ならこれくらいできるのではないか?という、剣士としての俺の感情がごちゃまぜになった結果の試験。
さて、この無理難題な試験、ロザレナお嬢様はどうやって向き合うのか。
俺でも結果は予想できない。少し、楽しみだな。
「……………すぅー、はぁ………」
両腕を広げ、深呼吸するロザレナ。
そして彼女は屈伸し、腕を伸ばし、足腰のストレッチを始めた。
十分にストレッチをし終えた後。
お嬢様は手に持っているアイアンソードを上段に構えると……ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
「………はぁっ!!」
炎のように、全身に闘気を纏うロザレナ。
その瞬間、足元の砂浜は弾き飛び、風が巻き起こる。
俺はその光景を見て、思わず目を見開いてしまった。
(以前見た時よりも、闘気の量が増えている……?)
いや……これが限界点ではない、か……?
闘気の操作を覚えて、内に宿る闘気を引き出すことを覚えたのか。
いずれにしても、闘気が2週間前よりも多くなっていることは事実。
お嬢様の【剛剣型】の才は、底が知れないということを、俺は改めて理解した。
「いくわっ!!」
闘気を剣に一点集中で纏う。
あますことなく全身の闘気を剣に纏ったロザレナのその剣は、とてつもない量の闘気が宿っていた。
ゴゴゴゴと地響きのような音が鳴り、バチバチと稲妻のようなものが奔り、突風が巻き起こる。
「な……なんなんですの、あの女はっ……!!」
隣で見ていたルナティエが、悔しそうな様子で、ロザレナを睨み付ける。
正直、俺も驚いている。まさかこの二週間で、ここまでの進化を遂げるとは思いもしなかった。
お嬢様はいったい――――どこまで強くなるのだろうか。
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!」
上段に構えた剣を振り降ろす。
その瞬間、剣が折れた。
それは、以前と同じ結果。だが、剣が折れた理由が、以前とは些か異なっていた。
剣は、耐えきれなかったのだ。
ロザレナの保有している、闘気の圧に。
――――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!!!!!!
5メートルの大岩は真っ二つに割られ、背後にあった海も、その剣の威力で二つに割れていた。
その光景に、俺とルナティエは思わず呆気に取られてしまう。
「はぁはぁ……!! どう、かしら!! これが今のあたしの全力よ!!!!」
前に、ロザレナはグレイと決闘のようなことをしていたが、あの時のお嬢様は闘気のコントロールができずに自滅していた。
だが、今のお嬢様は……完璧に闘気のコントロールを行えている。
全力の一撃を放った後だと体力の消耗が激しいようだが、そこは後の課題だろうな。
これは……とても素晴らしい成果だ。
「あぐっ、ちょ、ちょっと力みすぎちゃったわね。眩暈がするわ……」
「こんのお馬鹿さん! 海まで斬ってどうするんですのよ!! 決戦前に体力を全部使い果たしているんじゃありませんわ!!」
ルナティエはロザレナの元に駆け寄ると、彼女の肩を支える。
ライバルであり、友でもある。このマリーランドに来てから、二人は実に良い関係になった。
「ロザレナお嬢様、ルナティエ。二人とも合格です」
俺のその言葉に、お嬢様二人は顔を見合わせ、嬉しそうに微笑み合うのだった。




