第7章 第193話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ㉕
《ロザレナ視点》
「お父様!? お父様!? しっかりしてくださいまし!!」
屋敷の中へと入ると、ルナティエが、倒れている父親の元で座り込んでいた。
一言声を掛けたかったけれど……今は、そんな余裕はない。
あたしとグレイレウスはそんな彼女の横を通り過ぎて、急いで階段を登り、二階の廊下を走っていく。
「ルナティエのお父さんも心配だけど……今は早く、アネットに箒を持って行かないと……!!」
「同感だ。先ほどのあの男、尋常ではない力を宿していた。師匠が敗北することなど万が一にもあり得ないだろうが……いつ衆目の目に晒されるか分からない状況で、さらに武器が無ければ、きっと苦戦を強いられてしまうだろう。訓練後故に消耗した体力をさらに減らしたくはなかったが、仕方あるまい。【縮地】を使用して先に行くぞ。箒丸を取ってくる」
「うん、分かったわ。頼んだわよ、グレイレウス!」
「あぁ、任せ……止まれ、ロザレナ」
「え?」
突如、前を歩いていたグレイレウスが足を止める。
彼は腰の剣に手を当て、険しい顔で廊下の奥を見つめていた。
そこには……一人の騎士が立っていた。
「何、あれ? 新しい敵!?」
廊下の奥に立っていたのは、全身藍色の鎧甲冑に身を包んだ、兜を装着した女騎士。
鎧の各所に茨を模したトゲが付いており、腰には、二本の剣を装備している。
女騎士はこちらにまっすぐと視線を向けると、静かに口を開いた。
「……お前たちは、フランシア家の者か? 丁度良い。英傑の神具はどこにある? なるべく手荒な真似はしたくはないのでな。素直に教えてくれるとありがたい」
「フン、知っていたとして賊などに教えると思うか? ……ロザレナ、悪いがあいつはお前に任せるぞ。オレは【縮地】を使用して、箒丸を取りに行く」
「うん、分かったわ、グレイレウス。じゃあ、ここは―――」
「――――――え……? グレイ……レウス……?」
突如、女騎士は硬直し、グレイレウスに顔を向ける。
兜で顔を隠しているのに、何故か……彼女がとても驚いている様子が分かった。
「そ、そのマフラーは……ほ、本当に……本当にグレイ、なの……? 間違いじゃ……ないわよね……?」
「……? 何だ、お前は? いったい何を言っている……?」
「わ、私が分からないの、グレイ!?」
「フン。悪いが、貴様のような不気味な出で立ちの知り合いはオレにはいない。時間がないのでな、無駄話になど付き合っていられるか。じゃあな」
「そのマフラーは、私のものでしょ? グレイ……忘れたの?」
「……ッッッ!?!?!?」
グレイレウスは突如目を見開くと、身体を小刻みに震わせる。
「貴様……オレの過去を知っている者か? ふざけるなよ」
「ふざけてなんかいないわ!! 私はファレンシアよ、グレイ!!」
「……」
数秒程思案した、その後。
グレイレウスは腰から二本の剣を引き抜くと、背後に居るあたしへと震えた声を放った。
「……すまない、ロザレナ。箒丸を任せても良いか? ここはオレが受け持つ」
「え? 急にどうしたの?」
「……頼む。確かめたいことができたんだ」
「わ、分かったわ」
あたしはグレイレウスのその様子に首を傾げながらも、二人の横を通り過ぎ、廊下を走って行った。
あいつ……どうしたんだろ? あの男があんなに動揺した様子を見せるの、初めてな気がするわ。
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《ルナティエ視点》
「お父様、お父様!! しっかりしてください!!」
身体を揺らしてみるが、お父様の反応はない。
見たところ、お父様は重体。胸と腹部からは血が滲み出ていて、口の端からも血が出ている。
その光景にゴクリと唾を飲み込んだ後。
わたくしは気絶するお父様に手をかざし、即座に治癒魔法を唱える。
「主よ、汝の奇跡で彼の者の傷を癒したまえ――【ライト・ヒーリング】」
呪文を唱えた瞬間、淡い光がお父様の身体を包み込む。
しかし、光が消え、治癒魔法を使用し終わってみても……お父様は目を覚まさなかった。
それどころか、腹部から流れる血はとめどなく、ドクドクと床に滴り続けている。
「そんな……!! ど、どうすれば……!! どうすれば良いんですの!?」
低級治癒魔法ではこの傷は治せない。だとしたら、中級か上級の信仰系魔法が必要となってくる。
だけど……わたくしには、そんな高度な治癒魔法を扱えるスキルはない。
わたくしは色々なことを学んできたから、魔法の知識はある程度持っていると自負している。
でも、知識があるだけで、際立った技術は何も持っていなかった。
肝心な時に何もできないなんて……!! 何で、わたくしはこんなにも無力なのか……!!
自分自身に腹が立ちますわ!! なんでわたくしには才能がありませんの!!
「何でいつもこうなるんですの!? わたくしは何故、こんなにも……!! こんなにも……っ!!」
「―――――ルーベンスのその傷、見たところ、あばらが何本か折れていますね。臓器もいくつか損傷している。恐らく、上級治癒魔法の【ハイ・ヒーリング】でなければ完全には治らない怪我でしょう」
「……え?」
背後を振り返る。するとこそこには……白銀の鎧甲冑を着た、一人の聖騎士が立っていた。
フルフェイスの兜のため、顔は見えない。
だが、兜の隙間から長い巻き毛の金髪が伸びており、曲線のある身体をしていたため女性であることは伺えた。
「だ、誰……ですの? 貴方?」
「まるで何の成長も感じられない……やはり私の目は間違っていなかった。血が薄まると、こうもフランシアの才が無くなるものなのですね。やはり、ルーベンスが庶民と結婚して雑種の血が混じったことが、主な原因なのでしょうか。このような紛い物がフランシアの名を語っているだけでも、元フランシア伯として、腹立たしくて仕方がない」
「そ、その声は……もしかして、お、お婆、さま……ですの?」
「貴方では誰も救えない、貴方では何も為すことはできない。相変わらず、貴方は無力のままなのですね、ルナティエ。期待を込めて私のミドルネームを貴方に与えたのは失敗でした。貴方では、フランシアの初代当主の名、アルトリウスを背負うに相応しくない」
何故か、目の前に……亡くなったはずのお婆様が立っていた。
いったいこれは……これは、どういうことなんですの……?
何故、お婆様が、ここに……? これは、夢、なんですの……?
「ルナティエ。フランシアの元当主として、貴方を粛清します。剣を抜きなさい」
そう言って彼女は、腰の鞘から黄金のレイピアを抜くのだった。
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《ロザレナ視点》
「はぁはぁ……もうすぐ、客室に付くわ!! 早くアネットに箒を届けなきゃ!!」
あたしは床を蹴り上げ、急いで廊下を駆け抜けて行く。
先ほど玄関で見たあの大男。今まで見た誰よりも、凄まじい暴力の気配を感じた。
アネットが敗けるなんて天地がひっくり返っても絶対に無いことだろうけど、彼女はあたしとグレイレウスに箒を持って来いと、そう命令してきた。
ということは……あの大男は、アネットでも武器が無いと厳しい相手なんだと思う。
……奴隷商団のボス、ジェネディクト以来かもしれないわね。
あのアネットが、あんなにも緊張した様子を見せたのは。
「いったい、今、この御屋敷で何が起こっているのかしら。グレイレウスの方も、何か、さっきの女騎士に対して驚いている様子だったし……あたしも、改めて気を引き締めなきゃいけないわね」
そう、呟いた―――その時だった。
突如前方の客室の壁が壊され、そこから、巨大な斧を持った少女が姿を現した。
少女は肩に斧を乗せたまま、ぽそりと小さな声を溢す。
「……ここにもなかった。英傑の神具って、どこにあるんだろ」
「な、何、あんた!?」
足を止めて、土煙の中から現れた少女と対峙する。
彼女は頭から湾曲した角が生えており、ワインレッド色のセミロングヘアーをしていた。
白いワンピース服のその少女は、こちらに虚ろな目を向け、紅い目を鈍く光らせる。
「……君、フランシアの子……? なんだっけ、ルナ……なんとか?」
「あたしはルナティエじゃないわ。あんた……もしかしてフランシアを襲いにきたっていう、敵? 噂に聞く、紅い兵団の一味なのかしら?」
「……どうだろ。私は別にロシュタールの味方なんてしていないつもり。亜人の国なんてどうでもいいし。だけど……暇だから、お手伝いはしているよ」
「何を言っているのかまったく分からないわ。悪いけど、そこ、退いてくれる? あたし、急いでいるの」
「いいよ。私も、君には興味ないから。あのメイドの子の方が―――」
「――――――メリア」
背後から、カシャンカシャンと、鎧甲冑の音が聴こえてくる。
後ろを振り返ると、そこには……漆黒の鎧を着た騎士の姿があった。
前後を挟まれた状態になる。あたしは腰の鞘から剣を抜き、臨戦態勢を取った。
「何なのよ、あんたたち!! 敵なの!? だったら両方まとめてぶっ飛ばしてやるわ!! かかってきなさい!!」
「フフフ。随分と威勢の良いお嬢さんだ」
「……アーノイック。ここには、神具は無かったよ」
「いや、メリアよ……そこはどう見ても客室だろう。神具があるとすれば、地下の宝物庫だと思うが?」
「……そっか。それもそうだね」
「アーノイック?」
あたしは、その聞き覚えのある名前に首を傾げる。
アーノイックというのは、先代【剣聖】の名のはずだが……同じ名前の剣士、ということかしら?
「メリア、良い機会だ。そこのお嬢さんと戦ってみるが良い」
「……え? 何で?」
「君はまだ実戦経験がない。技術はあっても実戦経験が無ければ意味がないというもの。それに、そこのお嬢さんは見たところ、君と同じ剛剣型だと思われる。同年代の剛剣型と戦える良い機会だ、戦ってみろ」
一目で、あたしが剛剣型だと見抜いた……? 何なの、この黒い騎士……?
あたしが背後の騎士に驚いた目を向けていると、少女はボリボリと頬を掻き、ため息を吐く。
「……この子と戦ってもあんまり面白くなさそう。多分、私の相手にすらならないよ」
「…………なんですって?」
あたしは剣を中段でまっすぐと構えたまま、目の前の少女を睨み付ける。
見たところ、13、14歳くらいの子だ。あたしよりも確実に年下だと思う。
それなのに……相手にすらならない、ですって? 実戦経験もない奴が?
あたしは、ルナティエやシュゼット、グレイレウスといった強者と今まで戦ってきている。
アネットという、最強の剣士の弟子でもある。
そんなあたしが、相手にすらならない? 素人の癖に何を言っているの、この子?
「…………戦うのなら、あのメイドの子が良かったな。絶対につまらないよ、この子と戦っても」
「っざっけんじゃないわよ!! あんたなんかがアネットの相手になるわけないでしょ!!!! いいわ、そんなに馬鹿にするのなら、あたしが叩きのめしてあげる!! アネットの一番弟子である、あたしがね!!!!」
身体に全開の闘気を纏う。
対して彼女からは、殆ど闘気の気配を感じなかった。
ただ左手に巨大な斧を持って、ボーッと、こちらを見つめている。
「……構えもしないなんて……舐めんじゃないわよ!! ツノ女!!」
あたしは地面を蹴り上げ、少女へと向かって駆けて行った。
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《アネット視点》
「……フハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!! ハハハハハハハハハハハッッッ!!」
笑い声を上げながら、ゴルドヴァークは猛追してくる。
まっすぐと飛んできた正拳突き。俺は顔を逸らし、その拳を寸前で避ける。
するとゴルドヴァークの拳は、庭にあった天馬の像を貫いた。
石像に嵌ったままの腕。俺はその隙を狙い、懐に入って、奴の顎に向けて掌底を放った。
全力で放った掌底。通常であれば意識を失わせるのに十分な威力だったが……びくともしない。
奴は笑みを浮かべ、俺を見下ろしていた。
「残念だが、貴様のような矮小な力では、俺を破壊することはできぬ」
腹部に向けて、膝蹴りが飛んでくる。
俺は即座に身体を逸らし、回避する。そして横へと飛び、ゴルドヴァークの顔面へと蹴りを放った。
その後、バク転しながら後方へと飛んで、奴との距離を開ける。
ゴルドヴァークは石像から手を引き抜くと、コキコキと手首を鳴らし、こちらをつまらなさそうに見ていた。
「だいだい貴様の力量は分かった。小娘、貴様は避けるだけが取り柄の、ただの凡庸な速剣型の兵士だ。攻撃能力はほぼない。できたところで、かすり傷を付ける程度。俺を破壊できる器ではない」
速剣型の兵士、ね。そう判断してくれるのは、こちらとしては好都合だ。
俺は出来る限り闘気をセーブして、今まで奴の攻撃を回避してきた。
剣を持っていない以上、今の俺に、有効な決定打はない。
ならば、今ここでこちらの手札を見せるのは、大きなデメリットとなる。
ただの凡庸な兵士と侮ってくれるのは、俺にとって願ってもないこと。
武器が戻ったら、その油断を突いて、一掃してやる。
(とはいえ……ゴルドヴァークの方も、俺と同様、全力を出しているとは思えない様子だな)
奴の腰のベルトへと視線を向ける。
そこに括りつけてあるのは、爪のような刃が五本付いた武器……『アイアンクロー』。
それを見て、俺は、目を細めた。
(かつて剛剣型最強だった男……少し、厄介な相手かもしれねぇな)




