第7章 第192話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ㉔
その後、俺は壁際に立ち、ロザレナとルナティエの修行を静かに眺めていた。
両の拳を握りしめ、力むロザレナ。
その姿を、隣で、呆れた目で見つめているルナティエ。
ロザレナの闘気コントロールの修行は……御覧の通り、相も変わらず上手く行っていない様子だった。
「……ぐぬぬぬぬ!!」
「……」
「……ふんががが……!!」
「……」
「ぬがぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!! おりぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
「さっきから見ていれば……唸るだけで、闘気の量を少なくできるはずがないでしょう!? このお馬鹿さん!!」
ロザレナの闘気を制限する修行を見ていて、我慢できていなかったのか。
ルナティエは額に青筋を立て、そう声を張り上げる。
そんな彼女に対して、ロザレナは頬を膨らませ、ジト目を向けた。
「そんなこと言ったって、どうやって闘気を少なくすれば良いのか分からないのよ!! 邪魔すんじゃないわよ、ドリル女!!」
「これだから脳筋猿女は……!! 良いですか、ロザレナさん。先ほどの闘気を出す修行と、利き手に闘気を集める修行。アレは、アネットさんが貴方に闘気のオンオフを教えるために課したものですわ。利き手に集めた時、貴方は闘気を一部分に収束することができたはず。ならば、身体の中に納めることだって、不可能ではないということですわ!!」
「……そっか。さっきの二つの修行って意味があるものだったんだ。やるわね、ルナティエ! 少しだけ見直したわ!! というか、あんた、闘気のコントロール……最初からできていたわよね? それって元々できていたの?」
「まさか。わたくしは貴方と同じで、さっき、闘気のコントロールを初めて学びましたわ。わたくしは元々『速剣型』の剣士です。なので、闘気の操作など、最初から必要ないのですわ」
「…………え? 初めてだったのに、最初から闘気をコントロールできていたの? ってことは、もしかしてあんた……既に闘気のオンオフ、できるようになっているの!?」
「ええ。わたくしは今、闘気を殆ど身に纏っていませんわ。完全に無くすことはできませんでしたが……貴方が延々と無駄に唸っていた数分で、何となく、操作のコツは覚えました」
「あんた……ひょっとしてあたしよりも、剛剣型の才能があるんじゃないの!? 習得早すぎじゃない!?」
「オーホッホッホッホッホッホッ!! 当然ですわぁ!! わたくしは天才でしってよぉ!! ……と、高らかに宣言したいところですが……そんなこと、あり得ませんわ。わたくしの闘気は貴方に比べれば微々たるもの。コントロールが上手くできたところで、多くの闘気を持っていなければ意味がありません。ただ器用貧乏なだけです」
……意味がない、か。
それは確かにその通りだろう。
ロザレナが闘気操作を覚えれば、ルナティエの微弱な闘気など相手にすらならない。
もしルナティエが、闘気操作を覚えた完全武装のロザレナと戦った、その時。
勝利するには、速さでロザレナを翻弄するか、魔法で遠距離から攻撃するしか方法はない。
剛剣型ではない者が、真っ向から剛剣型と殴り合っても、敗北する道しかないのは必然だからだ。
「……師匠。ルナティエを弟子にして、本当に良かったのですか?」
二人の修行を眺めていると、いつの間にか隣に立っていたグレイが、そう俺に声を掛けてくる。
俺はグレイを一瞥した後、再び前へと視線を向けた。
「その質問は、どういう意味だ?」
「酷な話ですが、あの女は剣士の器ではありません。どんなに修行しても、オレやロザレナのように、ひとつのことを極めて成長することはできない……だから、姑息な手を使い、奴は今まで無理やり勝利をもぎ取ってきた。あの……下手に希望は持たせない方が良いんじゃないでしょうか? あいつのためにも」
「グレイ。お前、俺が同情してルナティエに手を差し伸べたと、そう思っているのか?」
「め……滅相もございません!! 師匠の慧眼は信じています!! ですが……例えルナティエが今より強くなったとしても、オレやロザレナの剣には、到底届かないと思うんです。あいつは努力を重ねても一流になることができない……そんなあいつが、先に進んでいくオレやロザレナを見て、どう思うのか。それは少し、残酷なのではないかと……そう思いました」
「ルナティエの今後を想って俺に忠告してきたのか。やはりお前は優しい奴だな」
俺はフッと笑みを溢した後、ロザレナにアドバイスをしているルナティエの横顔を見つめる。
「だが……地獄だと知って進むことを選んだのは、ルナティエ自身だ。あいつがその手から剣を捨てない限り、俺は、あいつに剣を教えるつもりでいる」
「その先に待っているのが……破滅だと知っていても、ですか?」
「グレイ、お前はひとつ勘違いをしている」
「? 勘違いですか?」
「あぁ。ルナティエは……下手したら、想像以上に化ける可能性があるってことだ」
「あの、卑怯な手でしか勝てない女が……化ける……?」
俺のその言葉に首を傾げるグレイ。
俺はそんな奴に対して、笑みを浮かべた。
「よし、ロザレナが闘気コントロールに成功するまで、次はお前の修行をみてやるよ、グレイ。剣を抜け」
「……!! はい、師匠!!!! よろしくお願いいたしますっ!!!!」
そうして、その後。俺たち四人は、剣の修行に明け暮れていった。
ロザレナ、グレイ、ルナティエ。
この三人を、来るべき戦いに向けて、俺は、一端の剣士に育て上げなければならない。
まだまだ未熟な部分が多い三人ではあるが、確実に、この三人には光るものがある。
……何となく、この三人を見ていると、過去の光景が脳裏に過ってしまうな。
アレス師匠の元で剣を習っていた……若き日のアーノイック、ハインライン、ジャストラムの三人の姿が。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――マリーランド中央広場。
そこで、ルーベンス伯爵は、集まった民衆を前に深く頭を下げた。
「―――民たちよ……フランシアの現状は、先ほど話した通りだ。急に広場に集め、このようなことを皆に頼むのは、身が裂かれるほど心苦しいが……どうか、この通りだ!! 私と共にマリーランドを守るために、民兵として戦ってくれぬか!! 本当に……すまない……っっ!!!!」
頭を下げたまま、苦しそうな表情で、ルーベンス伯爵は大きな声でそう謝罪をする。
その姿に、隣に立っていたセイアッドは驚きの声を上げた。
「ち、父上!? な、何をやっておられるのですか……!! 貴族がむやみやたらに頭を下げるものでは……!!」
「守るべき民たちに戦場に立てと言っておるのだぞ!! 我々は今、貴族として最も恥ずべき行いをしている……!! 頭くらい、下げねばどうするというのだ!!!!」
「父上……」
目の前に集結した数百人近くのマリーランドの民に対して、深く頭を下げ続けるルーベンス。
そんな彼に、民たちは優しく口を開いた。
「伯爵様。頭をお上げください。貴方が誰よりもフランシアの民のために動いてくれていたこと、我々は知っていますから」
「そうですよ。伯爵様は民を見下す傾向があると、他領の者によく勘違いされていますが……貴方が誰よりも民衆を想っている貴族だということを、私たちは知っている……」
「伯爵様、何なりとお命じくだせぇ!! 我々は常に貴方と共にありますぜ!!」
「マリーランドを守るぞ、みんなー!!」
「おーっっ!!」「女子供以外は、武器を持てーっ!!!!」
「…………フ、フランシアの民たちよ……っっ!!」
顔を上げ、瞳をウルウルとさせるルーベンス。
彼は袖で目元を拭うと、民衆に大きく声を張り上げた。
「すまない、皆の者!! 必ずや……!! 必ずや、この地を、私は守ってみせるぞ!! フランシア家当主の名に賭けて、必ずやもう一度この地に平和を―――」
「………ほう、ならば、その身をもって力を示し、民を守ってみせろ、フランシア伯よ」
「!? 何者だ!?」
ルーベンスは背後を振り返り、広場を囲んでいる民家の屋根へと視線を向ける。
すると、そこには……胡坐をかく、巨大な大男の姿があった。
男は立ち上がると、広場に立つルーベンスを見下ろし、ガッハッハッハッと大きな笑い声を上げる。
「さて、この前の戦場では、貴様を逃がしてしまったからな。現代の四大騎士公の実力、計らせてもらおうか……!!」
「き、貴様は……!! 先日の丘陵での戦で見た、一騎当千の戦士……!!」
「――――さぁ、殺戮の始まりだ!!!!!」
そう声を張り上げると、大男は屋根を駆け下り――――ルーベンスへと襲い掛かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「結局、闘気をオフにすることができずに、常に闘気を垂れ流しにして、四時間も気絶するなんて……ほんとーっに、貴方はお馬鹿さんですわね、ロザレナさん!!」
日も暮れた、午後十八時過ぎ。
訓練所から出たルナティエは、そう言って前を歩くロザレナに怒鳴り声を上げた。
そんな彼女に、我が主人は目を伏せ、喧しそうに手で耳を塞ぐ。
「うるさいわねー。上手くいかなかったんだから、仕方ないでしょ」
「そんなだから貴方は戦う度に自滅しているのでしょう!? わたくしと戦った時だって、シュゼットと戦った時だって、最後は絶対に気絶しているじゃないですか!! 普通の剣士は、最後まで余力を持って戦うものです!! なのに何故、戦うと決めたら栓が壊れた蛇口のように、全快で闘気を垂れ流しにするんですの!? 貴方は猪突猛進な獣か何かですか!?」
「猪突猛進ですいませんでしたー」
「すいませんでした、じゃないですわよぉ!! 貴方が闘気のコントロールに成功しなきゃ、わたくしが次の修行に移行できないんですわよ!! むきぃぃぃぃぃぃ!!!!」
地団太を踏むルナティエ。
俺は背後から、そんな彼女に優しく声を掛ける。
「ルナティエ様。焦る気持ちも分かりますが……今は落ち着いて、ロザレナお嬢様の修行のお手伝いをしてください。ロザレナお嬢様に闘気コントロールを教えることで、貴方様も必ず成長のきっかけを得るはずです。敵がいつ攻めてくるか分からないこの状況で逸るのは分かりますが、今は落ち着いてください」
「……はいですわ、師匠。というか、師匠、またルナティエ「様」になっていますわよ?」
「今日の修行は終わりましたので、教える時以外はルナティエ様と呼ばせていただきます。私は、剣の師である前に、他家のメイドですので」
「わかっていますわ。アネットさんは、素性を隠さなければなりませんからね。からかっただけですわ」
そう言って笑うと、ルナティエは日が沈み、紅くなった空を見上げる。
「アネットさん。わたくしは、貴方がどれだけ強いのかが、未だによく分かっていません。メイドである貴方が何故、剣の覚えがあるのか。その理由も知りません。正直、今でもわたくしの胸中には、貴方を疑っている気持ちがあります。半信半疑、という思いが」
「貴様……!! 今更、我が師の実力を疑っているというのか!! 不敬だぞ!!」
「落ち着け、グレイ。……そうですね。ルナティエ様の目線では、それは当然のことだと思います。ただのメイドが剣に覚えがあること自体、おかしなことでしょうから」
そう言って隣を歩くグレイを手で制すと、俺は少し先を歩くルナティエを見つめる。
ルナティエは空を見つめた後、肩越しにこちらへと微笑を向けてきた。
「でも……男装した貴方がグレイレウスを倒し、ロザレナさんとわたくしを軽くあしらっていたことは、まごうことなき事実です。以前の従者であるディクソンは、従者を辞める際、わたくしにこう言っていましたわ。―――――『本物の化け物を見てしまった。だからもう剣を握る自信がない。あの剣を見てしまった以上、今までの自分の剣がお遊戯にしか見えなくなった』、と」
「……」
「わたくしは、アネットさんを師と決めた以上、貴方に従いますわ。ですから、奴らが攻めてくるまでに、貴方の元でかならず強くなってみせます。力を手に入れることができるのなら、たとえ、藁に縋ってでも……は、貴方に失礼ですわね。手を差し伸べてくださった貴方様を信じて、剣を振っていきますわ」
「それで、よろしいと思います。今は私を疑いつつも、剣を磨いてください。もし、私の指導に不安があるのなら……ご自身で他の師を選んでも良いと思いますし。貴方の為す道を思うがまま行ってください」
「ええ、そうさせていただきますわ。貴方の真贋は、わたくしがこの目を持ってして計――――」
――――その時。
突如、屋敷の入り口の方から「ドシャァァァァァァン」という、大きな音が聞こえてきた。
俺たち四人はその音に驚き硬直した後、急いで正門前へと向かう。
「な、なんですの、今の音は!?」
「分かりません。ですが、十分に注意してください。ロザレナお嬢様、グレイ、ルナティエ様、ちゃんと腰に剣は装備してありますね?」
「ええ! 何があっても良いように、常にアイアンソードを装備しているわ、アネット!」
「オレもです、師匠。ミスリル製の小太刀は、ここに」
「わたくしも抜かりなく、レイピアを帯刀していますわ!!」
「なら、良かったです。ですが、私は……」
俺は今、箒丸を手に持っていなかった。
箒丸があるのは屋敷の二階にある、客室。
なので、俺の手元には今、武器はない。
訓練所にあった剣を取りに戻っても良いだろうが……その場合、ロザレナとルナティエは、俺の制止も聞かず、そのまま行ってしまうことだろう。
何が起こったか分からない以上、弟子たちを一人にはしておけない。
特にロザレナは無鉄砲に敵へと突撃していく癖があるからな。一番目を離すわけにはいかない。
「もうすぐ、屋敷の正門に着きますわ!! いったい、何が―――」
「ぐふぁっ!?」
屋敷の前に辿り着くと同時に、目の前を、フランシア伯が飛んでいく。
そして彼は屋敷の扉に叩きつけられ、瓦礫ごと、屋敷の中―――フロントロビーへとふっ飛ばされていった。
「お父様!?」
その光景を見て、父を追いかけ、慌てて屋敷の中へと入っていくルナティエ。
俺は、眉間に皺を寄せ、正門前の土煙の中―――そこに立っている大男を見つめる。
尋常ではない存在が、あそこには居る。
生前の経験からして、それだけは理解できた。
「…………くだらん。まさか、現フランシア伯がこの程度だとはな。これでは、キュリエールの奴が嘆くのも分からんでもないな」
土煙の中から、筋骨隆々な無頼漢が現れる。
頭にフルフェイスの拘束兜を付けられ、腰に皮布を巻いた、上半身裸の大男。
身長は目算二、三メートル程。
分厚い胸板には古傷が無数に付けられており、その顔は、兜が被せられているために完全には見えない。
ただ、その身から発せられる異常な気配のおかげで、この男が相当な手練れであることだけは察せられた。
「な、何なの、あいつ……!!」
ロザレナのその声に、大男はこちらに視線を向ける。
――――――その瞬間。グレイが、咆哮を上げた。
「ロザレナ!! 逃げろ!!」
「え?」
前触れもなく、猛スピードでこちらに駆けてくる大男。
ロザレナは咄嗟に腰の剣に手を当てる。だが……男の方が何十倍も素早い。
「フハハハハハハハハハハ!!!! 剣を持っているのならば、小娘、貴様も剣士ということだな!! どれ、その実力、この俺が計ってやろう!!」
「ぐっ……!!」
グレイは【縮地】を使用し、男の拳から回避させようと、目の前に立つロザレナへと手を伸ばす。
だが、それも間に合いそうにない。
男の大岩のような拳は、ロザレナの鼻先寸前にまで既に到達していた。
「まっ―――――」
グレイが絶望した様子でそう声を発した、その時。
俺は地面を蹴り上げ、瞬時に、ロザレナの背中の服を引っ張り、後ろに倒す。
そして、目の前まで来ていた拳を、闘気を宿した蹴りで相殺してみせた。
「―――ぬっ!?」
「……チッ!」
ガンと、鉄がぶつかるような音が鳴り、周囲に衝撃波が舞う。
その後、男は俺を睨み付けると、後方へと飛び退く。
俺は、倒れるロザレナと彼女の背を支えるグレイを庇い、前に立つ。
「お嬢様、グレイ、怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫よ、アネット!!」「オレもです!!」
「安心しました。では、二人とも……下がってください。そして、できれば、二階の客室にある箒丸を私の元に持ってきてください。徒手空拳でアレと戦うのは……かなり、相性が悪そうですので」
「わ、分かったわ!! 行くわよ、グレイレウス!!」
「御武運を、師匠……!!」
そう言って屋敷の中へと去って行く二人。
その後、俺は、ジンジンと痛む右脚に視線を向ける。
咄嗟に闘気でガードしてみせたが……あの野郎、女子供相手になんつー拳を向けてきやがるんだ。
おかげで俺の足の骨に、少しヒビが入ったようだ。
……アネットという少女に転生して、弱体化してしまった弊害、か。
以前の俺だったら、ここまで肉体は脆くなかったんだけどな。
まぁ、咄嗟すぎて、闘気を完全に纏えなかったという点もあるか。
ただのメイドを演じるために、常時闘気を消しているせいか……瞬時に出力するのに、少し時間が掛かってしまうようだ。
先制攻撃に弱い。それは、今の俺の最大の弱点と言っても良い部分だろう。
「不可思議だ。ただのメイドの蹴りで、この最強の肉体を持つ俺の拳に、傷が付いただと?」
大男は拳を握っては閉じ、不思議そうに首を傾げる。
その拳からは、紫色の血が滴っていた。
「…………てめぇ、何者だ?」
俺のその問いに、大男はこちらに視線を向けてくる。
拘束兜のバイザー、その隙間からは、漆黒の目の光が見えた。
「可笑しな娘だ。どう見ても強者のオーラを感じない、ただの使用人としか思えぬというのに……どのような手品を使って、この俺の拳を止めてみせた?」
「……」
「ふん、まぁ良い。名を聞かれたのなら、騎士の礼儀として答えねばならんだろう。―――我が名はゴルドヴァーク・フォン・バルトシュタイン。先代バルトシュタイン家当主にして、【剣神】の座に就いた最強の戦士だ!! 小娘!! 貴様、よくぞ俺の拳を耐えてみせたな!! 誉めてやろう!!」
「なっ……!? ゴルドヴァークだと!?」
俺は思わず目を見開いて、驚いてしまう。
何故なら、ゴルドヴァークというのは、先代【剣神】の座に就いていた男の名だからだ。
歴代最強と謳われた、先代の五聖神――黄金期。
【剣聖】『覇王剣』アーノイック・ブルシュトローム。
【剣神】『滅殺』ゴルドヴァーク・フォン・バルトシュタイン。
【剣神】『黄金剣』キュリエール・アルトリウス・フランシア。
【剣神】『蒼焔剣』ハインライン・ロックベルト。
【剣神】『死神剣』ジャストラム・グリムガルド。
【剣神】の強さが、例年の【剣聖】レベルと言われていた、伝説の世代。
奴は、その内の一人だった。
「……」
脳裏に、過去の……二十代の俺の姿が映し出される。
マントを翻した俺の背後から颯爽とついてくるのは、四人の【剣神】たち。
【剣神】たちは俺の後をついてきながら、戦場に向けて歩みを進め、それぞれ会話を交わす。
『おい、覇王剣!! この戦が終わったら、再び俺と勝負をしろ!! 貴様の【折れぬ剣の祈り】と俺の【怪力の加護】。どちらが上か、もう一度決着を付けるぞ!! フハハハハハハハハハハ!!』
『はぁ……バルトシュタイン伯。アーノイック殿と顔を合わせる度に決闘を申し込むその癖、そろそろ止めにしたらどうですか? 彼は間違いなく最強の【剣聖】です。既に彼が紛い物ではないことは周知の事実。何度も剣を交えても、無意味だと思うのですが』
『……キュリエールの言う通り。ジャストラムさんは早く帰って、昼寝をしたい』
『おい、ジャストラム! 林檎を齧りながら歩くな!! 食べカスがボロボロと服に零れているぞ!!』
『……うるさいハインライン。ちょっと、勝手にハンカチで拭かないで。あんたは私のお母さんか』
過去の、戦場を共にした、仲間たち。
その光景を思い出した後。俺はゆっくりと目を開け、目の前の男を見据える。
あの分厚い胸板に付いた斬り傷は、過去、戦で付いたもの。
間違いなくアレは、先代バルトシュタイン伯だ。
「いったいどうやって、再びこの世に蘇った? お前は確かに戦場で死んだはずだ、ゴルドヴァーク」
「? 俺を知ったような口ぶりだが……まぁ、良い。この身は、死霊術で蘇ったのだ」
「死霊術、だと……?」
その時。屋敷の中から、大きな爆発音が聞こえてきた。
背後にある屋敷に視線を向けると、遠くにある二階の屋根から煙が上がっているのが見える。
「ふん、どうやら残りの連中も来たようだな。蟲ケラの命令に従い、フランシアの英傑の神具を取りに行くとは……ご苦労なことだ」
「まだ敵がいたのか!? くそっ! 屋敷の中には、お嬢様たちが……!!」
「おっと、よそ見をするなよ、メイド」
前を振り向くと、ゴルドヴァークが目の前まで駆けてきていた。
奴は俺の顔に向かって、全力で拳を振って来る。
俺は身体を逸らし、その拳を寸前で回避してみせた。
そんなこちらの様子を見て、ゴルドヴァークは楽し気に笑い声を上げる。
「ほう!! どうやら先ほどのはマグレじゃなかったようだな!! フハハハハハハハハハハ……!! 良いぞ、小娘!! メイドの分際で、我が攻撃をよくぞ回避してみせた!!」
「……クソ!」
一撃でも貰えば、小柄な俺の身体では、大ダメージを受けるのは必死。
なるほど。俺がさっきダメージを受けたのは、奴の加護のせいだった、というわけか。
ゴルドヴァークの身に宿っている加護……【怪力の加護】。
それは、オリヴィアが持つものと同じではあるが、その性能は全く異なるものだ。
この男は、加護の力を完璧に使いこなしている。
熟練された【怪力の加護】による一撃は、闘気のガードを貫き、直接肉を破壊する。
バルトシュタイン家だけに宿る【怪力の加護】は、この世の全てを破壊する力と言われている。
唯一、破壊できないものがあるとするのならば、俺が持つ剣――【折れぬ剣の祈り】だけだろう。
だが今、俺の手の中には……剣がない。
生前のような筋骨隆々な身体を持っていない以上、回避するしか、今できる術はない。
「避けてばかりか、小娘!!」
思考していると、強烈な蹴りが飛んでくる。
俺はそれを屈んで避けてみせた。
すると、背後に立っていた巨大な樹木が、音を立てて倒れていった。
その光景を見て、俺は眉間に皺を寄せる。
「蹴りだけであの大木を倒すか……相変わらずの化け物ぶりだな」
「まだまだぁ!!」
今度は雨のような拳の連打が繰り出される。
俺は身体逸らし、その攻撃を全て回避していく。
シュッと、顔の横を拳が通過していくが、切り傷ができた程度。問題はない。
(剣を持っていない状態では……この身体だと、【剣神】レベルの剛剣型相手は厳しい、か)
攻撃を避けること自体は容易い。速剣型を極めたジェネディクトに比べれば、かなり遅い方だ。
だが、剣が無い以上、奴に決定的なダメージを与えることは難しいだろう。
速剣型や魔法剣型であれば、格闘術だけで対処できたかもしれないが、相手は剛剣型の極致。
筋力がないこの身では、武器が無ければ、どうしようもない。
お嬢様たちが箒丸を持ってきてくれるまでは……このまま避け続けるしか、できることはなさそうだ。
第192話を読んでくださって、ありがとうございました。
前回、コメント欄で多くのご意見をいただきました。
③の続けてみて今後どうするか考える、を推してくださる方が多かったので、とりあえずこの章を最後まで書ききってみようかと思います。
この章は粗が目立つという御言葉もいただいて、本当に仰る通りの不出来な章だとは思うのですが……何とか目を瞑っていただければ嬉しいです……!!
お優しいコメントの数々、本当にありがとうございました……!!
今ものすごく忙しくて、全てにお返事するのは難しいのですが、全部拝見させていただいております。
泣きそうなくらいに、本当に嬉しかったですm(__)m
この作品は皆様のおかげでここまでこれたのだと、改めて実感致しました。
6月25日発売の書籍版2巻、予約受付中です。
よろしければ作品継続のために、ご購入いただけたら幸いです……!
また読んでいただけたら、嬉しいです!