第7章 第188話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑳
「父上! 動いてはなりません!!」
「退け、セイアッド!! ここで行かねば、誰がフランシアの民を救うというのだ!!」
フランシアの屋敷に帰ると、玄関前で……口髭が生えた壮年の男性が何やら騒いでいた。
男の右脚はグルグルと包帯が巻かれており、額にあるガーゼからは血が滲み出ている。
左手に杖を持って屋敷を出て行こうとする彼を、白銀の鎧を着た青年が必死に止めようとしていた。
その光景を見て、ルナティエは俺たち三人の横を通り過ぎ、急いで男の下へと向かっていく。
「お、お父様!? どうしたんですの、その大怪我は!?」
(……お父様? ということはもしかして、あの男がフランシア伯なのか?)
フランシア伯と思しき口髭の男は、ルナティエの姿を確認すると、憤怒の表情から一変。
その顔に、朗らかな微笑みを浮かべた。
「おぉ、そこにいるのはルナティエではないか! 今日も我が愛しの娘は美しくて、父は嬉しいぞ!」
「お父様、そんなことよりも、その怪我は!?」
「何、件の連中に少ししてやられただけのことだ。何も心配はいらぬ」
「お兄様……これは、いったい……?」
ルナティエのその言葉に、セイアッドと呼ばれた金髪の青年は眉根をひそめ、首を横に振る。
「敵軍に、信じられない化け物がいたんだ。3メートルはあろう巨人のような大男でな……たった一人のその戦士によって、50人近く居た我が騎士団は壊滅に追いやられてしまった」
「フ……フランシア家の騎士団を、か、壊滅させた……ですって!? たった一人の男に!?」
「あぁ……信じられない話だろうが、本当のことだ。その結果、大怪我を負った父を連れて、俺は……逃げることしかできなかったんだ」
悔しそうに下唇を噛むセイアッド。
そんな彼に対して、フランシア伯はフンと鼻を鳴らした。
「最初は、私の指揮で、あと一歩のところまで善戦できていたのだ。だが……日が落ちた瞬間、敵軍からあの巨漢が現れ、戦況が一気に覆されてしまった。まさに、一騎当千ともいべき怪物だった。しかし、だからといって逃げてどうする? 私の背には守るべきフランシアの民たちがいる。我が部下の遺体を戦地に放置したまま『【転移】の指輪』で屋敷に戻ったところで、状況は何も変わるまい。そうであろう? セイアッドよ」
「ち、父上!? 何度も言いますが、フランシア家は父上あっての御家!! 貴方がやられてしまっては、この地の未来は……!!」
「黙っておれい、セイアッド。私は行くぞ」
そう口にして、口ひげの男―――フランシア伯は、痛む身体を持ち上げ、一歩、歩みを進めた。
フラフラと身体を揺らしてはいるが、その目は、まっすぐに前を見据えていた。
「我が名は、四大騎士公フランシア家当主、ルーベンス・エリオット・フランシアだ! 地に足を付けている限り、私は、フランシアの民を守らねばならぬ責務がある!!」
額からポタポタと血を流しながら、足を引きずり、満身創痍の状態で咆哮を上げるフランシア伯。
正直、今まで、俺の中のフランシア伯の印象はあまり良くなかった。
ロザレナの話で、レティキュラータス家に対して嫌味を吐く性格の悪い伯爵というイメージが強く根付いていたからだ。
だが……思ったよりも民思いの領主のようだな、この男は。
先ほど、グレイレウスから人一倍プライドが高い男だという話は聞いていたが、領民思いの領主という点は間違いではなかったということか。
そう、彼のことを分析していると、フランシア伯が俺たち三人の姿に気が付いた。
「? ルナティエ、あそこにおる三人は何者だ?」
「あ、そ、そうでしたわ。お父様、彼らはわたくしの友人でして……」
「何!? ルナティエが友達を連れて来るとは初めてのことだな!! こんな状況でなければ私自ら盛大にもてなしをしたいところだが……今はそうも言っていられまい。申し訳ないな、お客人」
そう言って歩みを再開しようとしたフランシア伯。
そんな彼に対して、グレイレウスは一歩前に出て、声を掛けた。
「お初にお目にかかります、フランシア伯爵殿」
「む? 何だ、貴様……な、何故、水着姿なのだ……? そ、それに、夏なのにマフラー……だと?」
現在、俺とロザレナ、ルナティエは、水着から私服に着替え終わっている。
だが、この馬鹿弟子は……替えの衣服もなく屋敷に来たため、上半身裸にマフラーを巻き、手に二本の刀を持つという、意味の分からない様相をしていた。
そんなグレイの姿に動揺するフランシア伯。だが、グレイは無視して話を続けた。
「オレは、南の鉱山の麓に住まうアレクサンドロス家の嫡男、グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロスです」
「ほう、アレクサンドロスの倅か。それで……何か私に話でもあるのかね? いや、それよりもまず、何故君は水着にマフラーなのだ? それは、アレクサンドロスで流行りのファッションなのかね……?」
「火急で、フランシア伯にお伝えしたいことがございます」
その後、グレイは自分の領地で起こったことをフランシア伯に詳細に伝えていった。
そして、マリーランドが襲撃される件を聞き終えると、フランシア伯は眉間に手を当て、小さく息を吐いた。
「……なるほど……そうか、彼奴らめ、アレクサンドロスにまで手を伸ばしていたのか……。うむ、よく伝えてくれた。だが、アレクサンドロスに手を回せるほど、当家には今、余力がない。お抱えの騎士団は壊滅させられ、見ての通り私もこの状況だ。悪いが私はフランシアの民を助けることを優先させてもらおう。急使、ご苦労であった」
「まさか……そのまま行かれるおつもりか?」
フランシア伯の行く道を塞ぐようにして手を伸ばし、グレイは立つ。
そんな彼を鋭く睨み付けると、フランシア伯は開口した。
「無論だ。私は、フランシアの地を統べる統治者。私が戦場に立たずして、誰が立つ?」
「悪いが……オレにはあんたが、民を救うためと言って、ただ無駄死にしに行くようにしか思えないな」
「なんだと、小僧!?」
フランシア伯はグレイの胸倉を掴む。だが、グレイは動じた様子は見せなかった。
「指揮官であるならば、勝てない相手にただ無謀に切り込むのではなく、人を使い、策略を練ってはどうだ? 部下が殺されて焦るのは分かるが……少し、落ち着いた方が良い。あんたは本来、前線で立つタイプの人間ではないのだろう?」
「…………」
子供に諭されたのが不快だったのか、フランシア伯は不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
だが、グレイの言葉が正論だと理解したのだろう。不服そうにしながらも、深くため息を溢した。
「……私が切れるカードなど、もう、殆ど残ってはおらん……やれることなどこの命を賭けるくらいしかないが……お前の言うことにも一理ある。民を想うのであれば、まだ、足掻き続けるのが正解なのであろうな」
そう言って踵を返すと、セイアッドに肩を支えられ、フランシア伯は屋敷の中へと向かって行く。
その途中。彼は背中を見せながら、ポソリと呟いた。
「来るが良い、アレクサンドロスの子倅、そして、ルナティエの友人たちよ。一先ず客人として貴殿らを迎え入れよう」
その言葉に、俺とロザレナ、グレイは互いの顔を見合わせて、頷き合う。
そして俺たち四人は……フランシア伯の後に続き、屋敷の中へと入って行くのだった。
「はぁ……何で、こんなことしてるんだろ、私……」
武器屋のカウンターで、私―――クラリスは頬杖を突き、大きくため息を溢した。
チラリと背後……店の奥に視線を向けてみると、そこには、片手に粘土を持って何かを造る鉱山族のゴンドと先輩メイドのコルルシュカの姿があった。
二人は不気味な笑い声を上げながら、何やらハイテンションな様子を見せている。
「ぐふふふふふふふ。なるほどぉ、これをこうして―――」
「良いぞ、小娘!! その調子じゃ!! 良い太腿の造形じゃて!!!!」
コルルシュカ先輩はあの鉱山族に弟子入りしてからずっと、工房で何かを作っている。
正直に言うと、私は早くレティキュラータス家の御屋敷に帰りたかった。
だけど……コルルシュカ先輩を置いて帰ったら帰ったで、メイド長に怒られそうだからそれはしない。
まったく、どっちが先輩なのか分かったものではないですね。本当に世話がかかる先輩です。
「それにしても……」
私はカウンター席に座りながら、店内の様子を伺ってみる。
鉱山族のゴンドと名乗った男が営んでいるその店には、たくさんの武器が飾られていた。
壁一面には豪奢な装飾が付いた一級品の武具が飾られており、床に置かれた籠には、お手頃価格の剣や槍などが無造作に入れられている。
足の踏み場がないほど、店の中には数多くの武器が置かれていた。
「そういえば……アネット先輩は、私が武器を持つなら斧が良いって、そう言っていましたっけ?」
私はカウンター席から立ち上がり、店内を歩いていく。
剣術とは縁遠そうな、単なるメイドである彼女の言葉に素直に従うのは……正直未だに不信感はあるけれど……だけど何となく、その言葉は正しいように思えた。
私に、剣は合っていない。
今まで素振りしてきて違和感があったからこそ、すんなりとその言葉は私の中に浸透していった。
「……たくさんの斧が置いてありますね。柄が短い手斧だったり、刃先が長い斧だったり……私には、いったい、どれが合っているんでしょうか……」
店内にある多種多様な斧を眺めていた……その時。
ふと、店の最奥にある、巨大な戦斧があるのが目に入った。
私は壁に立て掛けられたその斧の前に立ち、思わず目を見開いて硬直してしまう。
「な、何ですか、これは……!?」
それは、全高3メートルはあるだろう、巨大な槍斧―――確か、『ハルバード』という名の武器だ。
先端に槍が付いており、斧部分は、血がしみ込んだように鈍く紅く光っている。
異様な雰囲気が宿ったハルバード。
武具に精通していない私でも、何となく分かる。これは……尋常ではない業物だ。
「こ、こんな大きさの斧、いったい、誰が扱えるというのですか!? も、もしかして、見た目の割に重くないとか!?」
ゴクリと唾を飲み込んだ後、私は、恐る恐ると槍斧の持ち手に触れる。
だが当然、ビクともしない。あまりの重さに動かすことすら難しい。
「う、動かせない……!! こ、この武器はいったい……!!」
「―――すまない。武器を見たいのだが、まだ店はやっているだろうか?」
「あ、は、はい!!」
斧から手を離し、急いでカウンターへと戻る。
するとそこには、漆黒のフルプレートメイルを着た偉丈夫と、白いワンピースを着た小柄な少女が立っていた。
その不思議な組み合わせのお客さんに驚きつつも、私は接客のために彼らに近付き、声を掛ける。
「な、何をお探しでしょうか?」
「うむ。そうだな……ロングソードか斧か槍辺りが無難だと思うが……メリア、君の好きに選ぶと良い。君のセンスに任せよう」
「分かった」
「え? 鎧の人じゃなくて、この女の子の、武器……?」
ワインレッド色の髪を揺らし、少女は店内の中をキョロキョロと確認していく。
そして、手ごろにあった籠の中の剣を手に取ると、すぐに元あった籠へと戻した。
「違う」
今度は、槍が置かれているコーナーに行き、三又の刃が付いた長槍、パルチザンを握る。
「違う」
即座に槍を戻し、斧コーナーと向かう。そして手斧を握るが、またしてもすぐに戻した。
「違う」
その後、キョロキョロと周囲を見渡し……そこで、先ほどのハルバードを見つけ、少女は槍斧の前に立った。
「…………じーっ」
「……えっと、その斧は……」
どう見ても、彼女が扱える武具ではない。
あの斧が使えるのは、それこそ筋骨隆々の歴戦の戦士、といった風貌な人物だけだろう。
何と声を掛けて良いか悩んでいると……虚ろな目で斧を見つめた後、少女はこちらに視線を向けてきた。
「これ……持ってみても良い?」
「え、えぇ!? な、何を言っているんですか、貴方!? こんなの、持てるわけが―――」
少女は、私がまったくと言って良いほど動かせなかった斧を――ひょいと片手で持ち上げてみせた。
その光景を見て、私はギョッと目を見開いてしまう。
「う、嘘、でしょう……?」
そして少女は、まっすぐと持った斧を見上げると、静かに口を開く。
「……ちょっと外で、試してくる」
「え!? え!? えぇぇぇっ!?」
「よいしょっと」
斧を肩に乗せて担いだまま店の外へと出て行くワンピースの少女と、その後に続く鎧騎士の男。
私は目の前の光景に呆然としつつ、あわてて彼女たちの後を追いかけた。
外へと出ると、そこには……ブンブンと斧を振り回す、少女の姿があった。
「嘘……でしょう?」
彼女は、13~14歳ほどの、幼く小柄な少女だ。
だが少女はまるでハルバードを手足のように振り回し、演舞を見せている。
空を斬り裂き、クルクルと腕の中で回転させ、上空へと放り投げキャッチする。
自由自在に斧を扱う白いワンピースを着た少女の姿を見て……私は、驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
「あ」
その時。私の隣にある店の看板に斧が当たり―――スパンと、看板が綺麗に斬り裂かれていった。
私はその光景を見て、思わず尻もちをついてしまう。
「ごめん。当てるつもりはなかった」
「なっ……なっ、う、嘘でしょう!? な、何なの、貴方……っ!! 何で私が持てなかったその斧を、私よりも年下の貴方がっっ……!!!!」
「―――ほう。龍殺しの斧……《ドラゴン・スレイヤー》を、あそこまで器用に扱うことができるとはな……驚きの才能じゃな」
「!? ゴンドさん!?」
いつの間にか私の隣に、ゴンドとコルルシュカ先輩が立っていた。
先ほどとは一変、顎髭を撫で、真面目な様子を見せる鉱山族のゴンド。
その隣に居るのは、腕を組み、コクリと頷く、珍しく真剣な表情を見せているコルルシュカ先輩。
ま、まさか、コルルシュカ先輩……あの子の持っている斧について、何か知っているの!?
いつも適当でふざけた様子を見せる彼女に、まさか、武具に精通した知識が!?
もしかして、粘土で意味不明なフィギュア造っていたのも、そういうこと!?
本当は鍛冶の才能があって、鉱山族の腕を一瞬で見破り、彼に弟子入りをした……そういうことなの!?
「コ、コルルシュカ先輩、貴方、まさか……」
「……うーん、師匠に習って訳知り顔をしてみましたが……まったく分からないですぅ。というか誰ですか、あの子。何で店の前で斧振ってるんですかぁ? 近所迷惑じゃないですかぁ?」
…………前言撤回。やっぱりコルルシュカ先輩はただのアホでした。
「……久しぶりだな、ゴンド」
その時。鎧騎士の男がこちらに近付き、そう声を掛けた。
だがゴンドは男に対して、訝し気に首を傾げる。
「誰じゃ、お主は。ワシにお主のような知り合いはおらんが……」
「そう冷たいことを言ってくれるな。まさか、この顔を忘れたのか?」
そう言って、男は兜を取る。
こちらからだと、その素顔は見えないが……男の顔を見た鉱山族のゴンドは、目を見開いて、驚愕した様子を見せた。
「お、お主は……!! そ、そんな馬鹿な……!!」
男は兜を被り直すと、懐かしそうに口を開いた。
「君とはよく王都で酒を飲んだな……君がまだ、この時代に生きていてくれて嬉しいよ」
「ど、どういうことじゃ!? お主は確かに死んだはずだ!! な、何故、ここに……!!」
「復活したのには、色々と事情があるのさ。だけど、俺に残された時間は恐らく少ない。いきなりで申し訳ないのだが……俺が亡き後、あの少女を今代の【剣聖】に会わせてやってはくれないだろうか?」
騎士の男は背後を振り返り、斧を振る少女へと視線を向ける。
そして再びゴンドに顔を向けると、笑みを溢した。
「あの子は相当な才能を秘めている。だけど、俺がその才能を開花させるにはあまりにも時間がない。だから、最も信頼の置ける者に預けたいんだ。真っ白な花は……育て方次第で、悪にも染まる可能性があるからな」
「……残念じゃが、今の【剣聖】は、お主の知っているあやつでは……」
「分かっているさ。ファレンシアという騎士からその後の顛末は聞いた。だけど……俺は、誰よりもあいつを信じている。当然、あいつが残した次代の【剣聖】のことも信じているよ。……できれば俺も会ってみたかった。彼女に」
「……」
そう、ゴンドと訳の分からない会話する騎士は、何故か悲しそうな雰囲気を発していた。
騎士の男の様子に何かを悟ったのか。ゴンドは、頷いて応える。
「…………事情は分からぬが……良いだろう。昔のよしみだ。頼みくらい聞いてやろう」
「ありがとう、ゴンド。君からあの剣を譲り受けた時から、君には恩しかない」
「あの剣は、今代の【剣聖】が使っておるぞ」
「そうか。姉妹剣『狼の牙』は、持ち主を選ぶ。『青』は懐が広く、生前の俺を受け入れてくれていたが、どうやら『赤』はかなり気難しい性格らしい。今の俺を、持ち主とは認めてくれなかったよ」
そう言って、騎士は腰の剣を撫でると、「フッ」と自嘲気味に笑いを溢すのだった。




