第7章 第186話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑱
「きゃっ!! あははは!! 冷たくて気持ち良いわーっ!!」
海に足を入れて楽しそうに笑い声を上げると、お嬢様はジャバジャバと波を蹴り上げ、沖へと向かってそのまま歩みを進めて行った。
俺はそんな彼女に対して微笑みを浮かべた後。波打ち際に立ち、静かに水平線を見つめる。
「海、か……」
俺にとって海は、他国から敵が押し寄せて来る戦場の認識が強かった。
フランシア領の海の向こう側には、多種多様な種族が共存している【アルビオン共和連邦国家】……通称『共和国』がある。
共和国は独自の体制を作り、王を戴かず、各四種族のトップ……『人族』、『獣人族』、『森妖精族』、『鉱山族』の首領が会議の元、国家を運営している。
彼らは来る者は拒まず、魔物と近縁だとされ忌み嫌われる種族、亜人・『龍人族』や『地下小人族』などの排他される者たちさえも、自らの国に受け入れていた。
だが、王国の聖教『セレーネ教』の教えにとって、亜人は異端そのものであり、排除しなければならない存在とされている。
故に、【聖グレクシア王国】と【アルビオン共和連邦国家】は亜人を巡って度々小競り合いを起こすことがあり、フランシア領近海では船を使って海上戦が行われていたものだが……俺が生きていた時代と違って今は、そんな争いごとも少なっているのだろう。
今では、観光客が平和そうに海水浴をしている姿が、そこには広がっていた。
「アネットさん? どうかなさいました? ボーッと海を見つめて?」
ルナティエは隣にやってくると、首を傾げ、こちらにキョトンとした様子を見せてくる。
俺はそんな彼女にクスリと笑みを溢すと、再び水平線を見つめ、口を開いた。
「フランシア領の海岸は、かつて共和国との戦地となっていた事があります。ですから……今、こうして海水浴場が観光客で賑わっている姿が、何だか感慨深いなぁと……そう思ったんです」
「それって……80年前くらい前の大昔のお話ですわよ? それを感慨深いなんて言うなんて、アネットさんって何だか、お年寄りみたいですわね?」
「お、お年寄り……ですか……」
まぁ、強ち間違ってはいないが。
俺が死んだのは今から30年前、48歳の時。
もし生きていたとするのなら、俺の今の年齢は78歳だ。(現在の精神年齢は63歳だが)
共和国との戦争時は十代前半くらいの頃。俺がまだ剣聖の名を継ぐ前の時代だ。
なので俺は共和国との戦争に直接参加などしていないし、フランシア領に足を運んだこともない。
共和国の海上戦争に参加したのは、先々代剣聖……俺の師であるアレス・グリムガルドだ。
そういえば師匠は、あまり戦争の話をしたがらなかったな。
一度だけ酒を飲んでポロリと溢したことがあったが……罪のない龍人族をたくさん殺してしまったと、そう嘆いていたっけな。
この綺麗な海で、過去、たくさんの血が流れたと考えると、何とも言えない気持ちになってくる。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
「うわぁっ!?」「ですわぁ!?」
その時。突如、俺たちに向けて巨大な水しぶきが掛けられる。
ジャバーンと波のような水を被り、頭からビショビショになった後。
口の中に入った潮水をペッペッと吐き出していると―――前方からケタケタと笑い声が聞こえてきた。
「あはははははははは!! 二人とも、髪の毛がワカメみたいになってるわよー? おっかっしー!」
「お嬢様……何やってるんですか……」
「こんのッッ……どこの悪ガキですか、貴方は!!!! 淑女としてあるまじき行為ですわぁぁぁ!! 貴族の海水浴は、もっとこう、優雅に行うもので―――」
「えいっ!!」
もう一度水を掛けてくるお嬢様。
俺は横にスライドしてすぐに避けたが……ルナティエは顔面から浴びてしまっていた。
前髪からポタポタと水滴を垂らすと、ルナティエは目元を腕で拭い、咆哮を上げる。
「フランシア家の息女たるこのわたくしに二度も水を掛けるとは……没落貴族のゴリラ女がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! この雪辱、果たしてやりますわぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
「やれるもんならやってみなさいよ!! あっかんべー」
逃げるロザレナを追って、ルナティエは海の中を走って行く。
キャッキャウフフと水を掛けあうお嬢様方を遠目に……いや、あれはキャッキャウフフって感じじゃないな。
何かもう、殴り合いのように水を掛けあっているな。
そして、ルナティエばかり水を被っているな。しかも顔面から。
オラオラぶっ殺してやりますわと水を掛けあうお嬢様方を遠目に、俺は小さく息を吐く。
「まぁ、でも……二人とも楽しそうで、本当に良かったな」
ロザレナもルナティエも、どちらかというとあまり友達がいないタイプだ。
だからこそ彼女たちが敵でもありライバルでもあり友達でもある……不思議な関係性を築けたことは、とても良かったと思える。
友好関係を築いたお嬢様方がもし、四大騎士公の当主になったら、この王国はかなり変わるのではないだろうか?
バルトシュタイン家はヴィンセントが継ぎ、フランシア家はルナティエが継ぎ、レティキュラータス家はロザレナが継ぐ。
オフィアーヌ家は……情報が少ないため、まだ、ろくな候補者が思い浮かばないが……その他の三家の次代を担う騎士公の候補者たちは、良い人材が揃っていると思える。
ヴィンセントが望む、腐った貴族階級を変える、良いチャンスになりそうだ。
「……さて。俺はちょっと出店の料理が気になるから……さっき見かけた出店を確認しつつ、散歩にでも出かけて来るかな」
未だにジャバジャバと遊ぶお嬢様方二人に向けて、俺は声を張り上げた。
「お嬢様方ー!! 私、ちょっと出店見てきますねー!!」
口の横に手を当てそう声を掛けると、沖の方からロザレナが手を振ってきた。
その後、何故か二人はクロールをして、さらに沖の方へと泳いでいくのだった。
今度は泳ぎで勝負をし始めたのだろうか……大丈夫かな、あの二人。
「ま、まぁ、お嬢様一人だと流石に心配だったが、比較的常識人のルナティエもついているし……一応、大丈夫そうではある、かな?」
溺れるなんてことは、多分、無いだろう。
ルナティエは策略家。指揮官を目指している貴族の中の貴族。周りの状況をよく見ているはずだ。
……見ている、よな?
いや、でもあの子、意外とポンなところがあるよな……抜けているところがあるというか……。
「……」
だ、大丈夫だ!! ルナティエは、ロザレナのことをちゃんと見てくれているはずだ!!
お母さん(偽)、信じていますからね、ロザレナ(妹)をルナティエ(姉)がちゃんと見守ってくれていることを……!!
俺は後ろ髪を引かれつつ、出店へと向かって歩みを進めて行った。
「なるほど……やはりフランシア領は野菜や魚介類を使ったメニューが多いみたいですね」
出店が並ぶ付近を歩いていると、食欲をそそる香ばしい良い匂いが漂ってくる。
最初、街に辿り着いてすぐにロザレナと貝の串焼きを食べたが、やはりここも魚介系が多いようだ。
肉を使った料理はあまり見当たらず、見た感じでは「焼きトウモロコシ」「魚の串焼き」「魚介たっぷりのホワイトソースパスタ」「フィッシュアンドチップス」「旬野菜のマリネ」……などの料理が散見された。
どの料理を頼み、舌で味を盗もうかと考え込んでいると……ふいに、前方から若い女性が悲鳴を上げながら走ってきた。
「きゃぁぁぁぁぁ!! 変態よーーーー!!!!」
「……変態?」
俺の横を通り過ぎていくビキニを着た二人の女性。
そんな去って行った彼女たちの背中を見つめ首を傾げた後、俺は、前方へと視線を向ける。
すると遠方に、こちらに向かって歩いて来る一人の人影があった。
その人影を避けるようにして、何故か出店付近を歩いている人たちは道を開けていく。
「? なんでしょう? アレは……?」
見たところ……十代半ばくらいの、背の低い青年のようだな。
首元には何かを巻いていて、長い前髪で片目を覆い隠している。
徐々に近付いて来るその人影に、俺は、ゴクリと唾を飲み込む。
「どこかで見たような気がするが……いや、その前に、あの青年、随分と肌色面積が多い気が……」
ザッザッザッザッ。砂浜を威風堂々と歩く青年。悲鳴を上げ、道を避ける人たち。
その人影が近付くにつれ、俺は、顔面を青白くする。
「まさ……か……」
ザッザッザッザッ。
「そんな、はず、が……」
ザッザッザッザッ。
「そんな、馬鹿なことが……」
ザッザッザッザッ。
青年が俺の前で立ち止まる。
彼は俺の姿に驚いた表情を浮かべると、目を輝かせ、両手を広げた。
「せ……」
「なん……」
「師匠ではありませんかっっ!! どうしてこんなところにおられるのですか―――――っっ!!!!!」
「何で全裸なんだお前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ!!!!!!!!」
俺は、馬鹿弟子―――グレイレウスの股間を凝視しながら、叫び声を上げる。
そんな俺を無視して、グレイは俺へと近寄ってきた。
「これは嬉しき再会ですね、師匠!! まさか偉大なる我が師が、フランシア領におられるとは……!! 神はオレをお見捨てになられなかった!!」
右手に二本の刀を持ち、両手を広げて近付いて来る変態男に、俺は一歩後退する。
だがグレイはさらに距離を詰めて来る。俺はグレイの顔ではなく、股間を見て話しかけた。
「いや、待て、お前!! 色々とツッコミたいことはあるが、その前にまずその恰好をどうにかしろ!!」
「師匠、聞いてください!! 今朝方、アレクサンドロス領に紅い鎧を着た変な連中が押し寄せてきたんですよ!! それでオレは、救援を求め、この地に―――」
「だから、話よりもまず先に、その恰好をどうにかしろって言ってんだよ!! てめぇ、なんつー変態プレイしていやがんだ!! 露出狂の弟子を持った覚えは俺にはねぇっ!!!!」
「師匠。オレは露出狂ではありません。自分の名誉のために、この格好になった経緯を軽く説明させていただきますが……救援を求めフランシア領へ赴こうとしたら、橋が壊されていたため、アレクサンドロス領からフランシア領へと続く海峡を泳いで渡ろうとしたのです。ですが、思ったよりも潮の流れが早く、服が破れて流されてしまって……なので仕方なく、刀とマフラーだけを装備することにしたんです」
「何故マフラーと刀だけは残った!? 逆にその二つがあるからこそ異常な変態みたいになっているんだが!?」
「アネット~? どこ~?」「アネットさん、わたくしたちの勝負は終わりましたわよ」
その時。海に近い浜辺の方から、お嬢様方の声が聞こえてきた。
彼女たちは俺の背中を見つけたのか、こちらへと向かって歩いてくる。
俺は頭が真っ白になり、目をグルグルとさせ、その辺に落ちていたワカメを掴み取る。
そして、それを、グレイに向けて手渡した。
「と、とりあえず、てめぇ、下半身にこのワカメを巻け!! これで大事なところは隠せるだろ!!」
「? いえ、オレは別にこのままでも構いませんが……」
「こっちが困るんだよ!!!!! うちの箱入りお嬢様にそんな汚らしいブツを見せんじゃねぇ!! ぶっ殺すぞ!!!!!」
「は、はい。分かりました……」
ワカメを下半身に巻き始めるグレイレウス。
丁度その時、ロザレナとルナティエが俺の元へとやってきた。
「あ、いた! もう、こんなところで買い食いでもしてたの? アネッ……」
「アネットさん、聞いてくださいまし。ロザレナさん、体力が尽きかけて沖で溺れかけ……」
「お、お嬢様方……」
「む? ロザレナと……クズ女か。丁度良い、今からフランシア伯にお目通しを―――」
「変態だわ!!!!」「変態ですわ!!!!」
辺りに……何とも言えない微妙な空気が、漂っていった。
第186話を読んでくださって、ありがとうございました。
水着回恒例の、ポロリもあるお話でした……笑
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また次回も読んでくださると嬉しいです……!!
更新頻度上げられるように、頑張ります!!
 




