第7章 第181話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑬
「情けないわね、ルナティエ。あんた、それでもあたしのライバルなわけ?」
「ロ、ロザレナさん!?」
突如現れたロザレナに、ルナティエは驚き、目を見開く。
ロザレナはそんな彼女に笑みを浮かべた後。
前を振り向き、倒れ伏す男とその取り巻きたちへと剣を構えた。
「さぁ、次はそこの二人が相手かしら? 誰でもいいわ、かかってきなさい!!」
「ふ、不意打ちとはいえ、ブラッシュの兄貴を一刀で叩き伏せやがった、だと!?」
「こ、この女、何者だ!? とんでもない剛剣型の剣士だぞ!?」
動揺した様子を見せ始める取り巻きたち。
ロザレナに斬られた男――ブラッシュと呼ばれた男は上体を起こすと、そんな彼らを押しのけ、立ち上がる。
やはり、プレートメイルのおかげで致命傷は免れていたみたいだな。
あの大男の傷は、そこまで深くはなそうだ。
「いてて……お嬢ちゃん、やるじゃねぇの。まさかこの俺を、一刀で叩き伏せてくれるとはねぇ」
「あら? あんた、まだ立てるの? だったら、早く第二ラウンドを始めるとしましょう! 何だったら、その手下たちも一緒でも構わないわよ? あんたたちを倒してあたしはさらに強くなるんだから!」
ロザレナは不敵な笑みを浮かべ、剣を上段に構える。
その姿に、手下たちは大きく声を荒げた。
「て、てめぇ、調子乗ってるんじゃねぇぞ!? 俺たちは傭兵だぞ!! ドレスを着たお嬢ちゃんに剣で敗けたとなっちゃ、メンツが―――」
「黙ってろ、グレゴリー」
そう言って、大男はギロリと手下を睨み付ける。
そのドスの利いた声に、手下の一人は急いで口に手を当て、黙り込んだ。
そんな彼の姿を確認した後。
ブラッシュは再び前を振り向き、ジッと、お嬢様の顔を見下ろした。
強面大男の鋭い視線を向けられても、ロザレナの表情は変わらない。
我が主人は、今から始まるであろう剣戟に、ワクワクとした様子を見せていた。
「……まるで狂犬だな。こういう手合いは、相手をすると面倒臭くて敵わねぇ」
そう口にすると、彼は手の中にある折れた剣を見つめる。
「とんでもねぇ馬鹿力だな。こりゃ、直に当たっていたらひとたまりもなかったと見るべきか」
「どうしたの? さっさとかかってきなさいよ!」
「……なぁ、お嬢ちゃん。普通の人間は、剣を習っても、ある一線を超えることが難しいモンだ。剣は人を殺すために造られた道具だからな。振る時に必ず躊躇ってモンが産まれる」
フッと笑みを浮かべると、男は折れた剣を鞘にしまう。
そして、上着の懐に手をつっこみ、何かを取り出した。
それは、銅色に輝くエンブレムだった。中央には一本の剣とオーガの頭蓋骨の紋様が描かれている。
それを指で弾き、男はロザレナへと投擲する。
ロザレナはそれを空中でキャッチすると、訝し気に首を傾げた。
「なにこれ?」
「お嬢ちゃん。あんたはさっき、本気で俺を殺そうとしていた。俺は、金もかかってないのに命を賭けた戦いはやりたくなくてね。手下の一人を殺されても叶わんし、早々に降参させてもらうとするよ。詫びとして、あんたにはその【剣鬼】の称号をくれてやる。元から、それが狙いだったんだろ?」
「……【剣鬼】の称号?」
「ありゃ? てっきり、称号欲しさに斬りかかってきた若手の剣士かと思ったんだが……違ったのか?」
「あたしは、友達を助けに来ただけよ」
「……なるほど。まぁ、どっちにしてもいいや。あんたは俺に勝った。だから、これからあんたは王国で50名いる【剣鬼】のうちの一人だ。……これ以上恥を掻いたら傭兵業に支障をきたすかもしれないのでな。ここは潔く退散させてもらうとするぜ。じゃあな、新たな【剣鬼】さん」
ブラッシュと呼ばれた男は手下を引き連れ、そのまま街路の奥へと去って行った。
ロザレナはそんな彼らを追いかけようと足を一歩前に踏み出し、大きく声を張り上げる。
「ちょっと!! 最後まで戦いなさいよ!! こんなの不完全燃焼すぎるんだけど―――って、痛ぁっ!?」
「待ちなさい、ロザレナさん!!」
突如後ろ髪を引っ張られたロザレナは、振り返り、涙目でルナティエを睨み付ける。
「ちょっと、何すんのよ、ルナティエ!! 痛いじゃない!! せっかく助けてあげたのに、恩を仇で返す気!?」
「うるさいですわよ!! 勝手なことをして!! 誰が助けてなんて頼んだんですの!? わたくしは一人でも何とかできましたわよ!!」
「はぁっ!? 何それぇ!? 泣きそうになっていたくせに!!」
「……オーホッホッホッホッホッホッ!! わたくしが涙を流すなんてこと、あり得るわけがありませんわぁ!! 貴方、頭だけではなくついに目もおかしくなられたんですわねぇ!!」
「はぁーーーーっっっ!?!?」
「それに大体、さっき、友達を助けに来たって言ってましたけれど……わたくし、貴方と友達になったつもりなど毛頭ありませんわよ? それなのに、わざわざ施しを与えるように無理やり恩を押し売りして……ほんっとぉーに、貴方は、傲慢で腹の立つゴリラ女ですわねぇ!!」
「こんっっの……ぶっ飛ばすわよ、ドリル女!! こんな奴を心配してここまで来たあたしが馬鹿だったわ!!」
「ええ、貴方はお馬鹿さんですわ。そんなこと、出会った当初から知っていましてよ」
「なんですって、このドリル髪女!!」
「なんですわよ、この脳筋ゴリラ女!!」
お互いの胸倉を掴み、睨み合うロザレナとルナティエ。
俺は呆れたため息を溢した後、二人の間に立ち、彼女たちの頭を同時に小突いた。
「痛っ! 何すんのよ、アネット!」
「いったいですわッ!? って、……あ、アネットさん!?」
「……そこまでです、お嬢様方。周りを見てください」
「周り?」「え?」
二人はキョロキョロと辺りを見回し始める。
いつの間にか俺たちの周囲には、人だかりができていた。
皆、ロザレナとルナティエの喧嘩を何事かと、遠巻きに不安そうに見つめている。
「……マ、マリーランドのみなさま!! これは、何でも、何でもありませんわ!! 解散して結構です!! ……ほら、行きますわよ、ロザレナさん」
「え? あ、ちょ!?」
ロザレナの手首を掴み、ルナティエは人だかりを離れ、道の先を歩いて行く。
俺もそんな彼女たちの後についていき、周囲の人間に会釈しつつ、その場を離れていった。
「ここまで来れば大丈夫ですわね。……それで、どうしてお二人がマリーランドにいらっしゃるんですの?」
路地裏に入ると、ルナティエはロザレナの手を離し、巻き髪をいじりながら俺たち二人にそう声を掛けてくる。
お嬢様は腕を組むと、そんな彼女に対して不機嫌そうに口を開いた。
「あんたのお父さんが、うちのお父様に救援要請したって話を聞いたのよ。それで、フランシア領に何かあったのかなと思って、あたしたちはここまで来たの。観光も兼ねてね」
「お父様が……レティキュラータス伯に……?」
ロザレナのその言葉に、ルナティエは何処か驚いたように目を見開く。
そんな彼女の様子に、お嬢様は訝し気に首を傾げた。
「どうしたのよ?」
「いえ……ちょっと、意外だったんですわ。わたくしのお父様は、レティキュラータス家を酷く嫌っていましたから。フランシア家とレティキュラータス家が犬猿の仲というのは、貴族界隈ではとても有名な話。ですから……お父様がエルジオ伯爵に救援要請していたという話には、かなり、驚いてしまったんですの」
「あぁ……確かに、あたしたちの御家は古くから仲が悪いって、うちのお父様も似たような話をしていたわね。まぁ、あんたんとこのお父さんは、あたしもあんまり好きじゃないけど。子供のころ、目の前でうちのお父さんに悪口言っていたの、直に見てたし」
「それは、貴方のお父様がボンクラだったからでしょう? わたくしのお父様は、才能に満ち溢れている御方ですから! オーホッホッホッホッホッ!!」
「なんですってぇ!? うちのお父様を悪く言うのなら、許さないわよ!!」
またしても喧嘩が始まりそうだったので、俺はロザレナの前に出て、本題を切り出すことに決める。
「ルナティエお嬢様、単刀直入にお聞きします。今、フランシア領に何か重大な事件が起こっているのでしょうか? フランシア伯爵様が、犬猿の仲であるレティキュラータス家に救援を求めるということは……それほどのことがあったのだと推察致しますが……?」
「……それ、は……」
「それに先ほど駅で、王領からフランシア領に続く橋が破壊されたとも、耳にしました。それは、本当のことなのですか?」
「え、それ本当なの、アネット!? それって……何かやばいんじゃない!?」
「……」
ルナティエは目を逸らし、下唇を噛む。
だがすぐに表情を変え、ルナティエは俺に微笑みを見せてきた。
「……橋の件に関しては、わたくしの兄が、騎士を引き連れて対処に行きましたわ。お兄様はとても優秀な方。ですから、何の心配もいりませんわ。フランシア領は、今日も何事もなく平和です」
「……ルナティエ様……」
「……アネットさんが……心配してくださる必要はありませんわ。これは、当家の問題……ですから……」
先ほどまで終始強気な態度でいたルナティエが、俺の質問に対しては弱々しい様子を見せてきた。
何かあるのは間違いなさそうだが……彼女の性格上、素直に人に頼ることは難しい、か……。
「――――そんなことよりも。お二人とも、せっかくマリーランドに来たのですから、特別にこのわたくし自らが、この街を案内してさしあげますわ!! 愛と芸術の都、それが、マリーランド……!! わたくしの産まれ故郷であるこの地は、王国で一番美しい街であり、王国で一番の観光街ですの!! この街を愛する身としては、ぜひ、楽しんでいってもらえると嬉しいですわ!!」
腰に手を当て、ルナティエは鼻高々と笑みを浮かべる。
普段の大人びている様子とは打って変わって、今のルナティエは、年相応の無邪気な少女の顔をしていた。
その珍しい姿に、俺とロザレナは思わず圧倒されてしまう。
「ささっ、行きますわよ、ロザレナさん、アネットさん! まずは、わたくしの行きつけのカフェにご案内いたしますわ!!」
「ちょ、ルナティエ!? 遊んでいて本当に平気なの!?」
「心配ご無用ですわ!! …………わたくしが何かしても、きっと、無意味でしょうから」
「え?」
「何でもありませんわ!! 行きますわよ、二人とも!!」
俺とロザレナの手首を掴み、ルナティエは路地裏から出て、颯爽と歩いて行く。
何というか……彼女との付き合いも長くなってきたので、少しだけ、分かってきたことがあるな。
先程ロザレナにツンツンな態度を見せていたが、彼女の本音は、俺たちがここに来たことが嬉しかったのだろう。
友達に……自分の故郷を見せて回りたかったのだろう。
今のルナティエは、今まで見てきた中で、一番嬉しそうな様子を見せていた。
勘違いされやすい性格をしているが……ルナティエという少女は、根は本当に愛らしい子なんだよな。
最初は俺もロザレナも敵対する仲だったが、まさかこれほどまで仲良くなれるとは思わなかった。
ただ……相変わらずプライドが邪魔をして、誰かに助けを求めることができないようだが。
ルナティエの最大の弱点。それは、俺が初めて彼女に声を掛けた時と、何も変わらない。
プライドが高すぎるあまり、全てを一人で抱え込もうとする、その一点にある。
軍を統括する指揮官を目指す彼女にとって、それは、致命的な弱点ともいえるだろう。
カフェの中に入ると、カウンターでコップを拭く店主がにこやかに声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。……おや、ルナティエ様ではないですか。ご機嫌麗しゅうございます」
「マスター、テラスの席を頂きますわ。それと、冷たいお紅茶を三つ、いただけます?」
「畏まりました。……ん? そちらのお二人は?」
「彼女たちは……その……き、騎士学校のクラスメイトですわ! このわたくしに会いたくて、遠路はるばるレティキュラータスというド田舎からやって来ましたのよ。本当、困った子たちですわ! オホホホホ」
「だーれが、あんたに会いたくて、よ。あと、人の住んでるところを田舎呼ばわりしないでくれるかしら。あんたんとこもこの街以外は、草原と山ばかりの田舎でしょーが」
その言葉に、ルナティエは背後にいるロザレナへとジト目を向ける。
そんな二人のやり取りを見て、初老のマスターは優しい笑みを浮かべた。
「ルナティエ様がまさか、お友達を連れてこられるとは。騎士学校に通られる前、うちの紅茶を飲みにいらしたお嬢様は、いつも遠巻きに友人連れのお客様を見つめ、寂しそうな横顔を見せていましたから……その姿を知っている私としましては、何だか感慨深いものです」
「ちょ……!! よ、余計なことは言わないでくださいまし!! フランシア家の力を使って、今すぐこの店を潰しても良いんですわよ!!」
「……良い笑顔になられましたね、お嬢様。念願のお友達ができて何よりです」
「あー、もう!! さっさと紅茶を用意してきなさい!! 次、余計なことを言ったら本気でこの店を潰しますわよ!!!!」
「はっ、ただいま」
マスターは深く頭を下げると、カウンター奥にある厨房へと消えていった。
その姿を見送り、フンと鼻を鳴らすと、ルナティエは店の外にあるテラス席へと向かう。
俺とロザレナも、そんな彼女の後をついていった。
「あんた、学校に来る前は友達一人もいなかったのね。まぁ……なんとなくそんな感じはしてたけど」
「うっるさいですわねぇ。友達など、わたくしには元から不要な存在ですわ。わたくしのような天才についてこられる者は何処にもおりませんもの。低能とは会話するだけ時間の無駄ですから」
「あんたさぁ……ちょっと、拗らせすぎなんじゃないの?」
「そういうロザレナさんは、お友達、いたんですの?」
「え? そりゃあいたわよ。アネッ――」
「アネットさん以外で」
テラスに到着し、俺たちはパラソルが刺さった丸い木製のテーブル席に腰かける。
このカフェは、階段状になっている港町の上部にあるからか、海を一望できる位置にあった。
白い街並みと青い空、広大な海の景色に俺が感動していると……ロザレナはルナティエの質問に答えた。
「御屋敷に居た時はアネットしかいなかったけど……修道院に行った時には一人、友達がいたわよ。大司教を目指していたジナって修道士見習いの子なんだけど、同じ部屋で、それなりに仲良かったわ。元気かしら、あの子」
「……へ、へぇ~。お友達、いたんですの。ふーん? ま、まぁ、一人だけですものね、ええ。わたくしとそう大して差はありませんわね、うん」
「まぁ、あたしも子供の頃はすっごく人見知りで人付き合い苦手だったのよね。今も、クラスメイトで仲が良い人ってあんまりいないし。黒狼クラスで一番話すのは、アネットを除けば、あんたくらいのものよ」
「…………だから、わたくしと貴方は、友達なんかじゃありませんわよ」
そう、何処かまんざらでもなさそうに視線を横にずらして呟くルナティエ。
それと時を同じくして、マスターがトレイに茶器とフィナンシェを乗せてやってきた。
テーブルの上に並べられる紅茶とフィナンシェを見て、ルナティエはマスターに疑問を投げる。
「? わたくし、フィナンシェなんて頼んでいませんわよ?」
「これは、私からのおまけです、お嬢様」
そう言って、三人分のカップに紅茶を注ぐと、マスターはウィンクして店の中へと戻っていった。
そんな彼の姿に、ルナティエはため息を吐く。
「まったく……あの店主は、相変わらずいけ好かないですわね……って、ちょ、ロザレナさん!?」
「ん? 何?」
「貴方、何で、そんな……コップを持つみたいにティーカップを持ってますの!?」
当然の如く、ロザレナはお茶の作法など守らず。
右手にがっしりとティーカップを持ち、もう片方の左手でフィナンシェを掴んでいた。
我が暴君お嬢様はルナティエの指摘に首を傾げると、フィナンシェを齧り、そのままジュースのように紅茶を口の中へと入れる。
「ごくごく……ん、何か、アネットが淹れてくれる紅茶と違って苦いわね。あたしの好みじゃないかも」
「お嬢様……砂糖を入れてください……」
「あ、そっか。ありがとう、アネット……って、何よ、二人とも? 何であたしをそんな、珍獣でも見るかのような顔して見てるの?」
「……ロザレナさん……貴方と貴族同士のお茶会をするには、まだ、早かったようですわね……。寮の夕食の時から何となく察してはいましたが……アネットさん、この子、何でこんなにも礼儀作法ができていないんですの?」
「ルナティエお嬢様……これが、私の悩みの種のひとつなのです。以前、エステリアル王女殿下とお茶会をする機会があったのですが……その時もお嬢様は、このような有様で菓子を貪り喰っていました……」
「……は? はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? どういう経緯でロザレナさんが王女とお茶会をしたのかも謎ですが、何よりも先に、王女とのお茶会でもこのような醜態をさらしたのですか、この馬鹿女は!? ど、どうなっているんですの、レティキュラータス伯の教育は……!!」
「……旦那様と奥様は自由奔放にお嬢様を育てていらっしゃって……彼女に礼儀作法を教える方が何処にもいらっしゃらなかったんですよ。私も、学校に入学してから、お嬢様に礼節を教えようとしてはいたんですが……いつも逃げられるばかりで……」
俺は、初めてこの悩みを打ち明けられる相手ができて、思わずルナティエに助けを乞うような目を向けてしまった。
ルナティエはそんな俺に憐憫の目を向けると、ハァと、大きくため息を吐いた。
「わかりましたわ……。わたくしが機を見計らって、この野生児に貴族の礼儀を叩き込んでやりますわ」
「お願い致します、ルナティエお嬢様……」
「な、なによ。二人してあたしを馬鹿にして……別に良いじゃない。ここは公の場、ってわけでもないんだし。あの時はエステルも許してくれてたんだし。友達の前くらい、好きにさせなさいよ……」
そう言ってお嬢様は、不機嫌そうにフィナンシェをパクッと、頬張るのだった。




