第7章 第179話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑪
「……これが、鉄道……列車というものです、お嬢様!!」
目の前にあるのは、巨大な漆黒の鉄の塊。
煙突からは煙が伸びており、形は蛇のように長細く、下部には大量の滑車が備え付けられている。
それは、王国ではまだその存在があまり認知されていないもの―――列車と呼ばれるものだった。
帝国では内部に魔道路を組み込み、魔石を燃料にして、各都市を繋いで走っているらしい。
前世、アーノイック・ブルシュトロームが生きていた頃。
この王国に鉄道が造られることを知って、俺は、とてもワクワクしたものだ。
けれど完全に線路が出来上がる前に、俺は病によって亡くなってしまった。
この列車に乗りたかったことを、よく、病床時にリトリシアと話していたっけな。
だから俺にとってこの列車に乗ることは、前世からの悲願だったんだ。
こういう機会でないと、列車に乗ることも早々無さそうだからな。
これも良い機会と言えるだろう。
「貴方が乗りたがっていた乗り物って……列車のことだったの?」
隣からお嬢様が、呆れた表情を見せて来る。
俺はそんな彼女に首を傾げて、口を開いた。
「お嬢様、列車をご存知なのですか?」
「まぁ、知ってはいるわよ。貨物を運ぶ便利な乗り物でしょ?」
「確かに、王国では貨物用として使われることが多いですが……帝国では、主に、馬車の代わりに使われることが多いと聞きます。見たところ、前部車両が乗客用、後部車両が貨物用と分けられているみたいですね。さて、切符を購入して、さっそく乗車席に乗ってみるとしましょうか、お嬢さま! 目指すは、フランシア領行きです!」
俺はお嬢様の手を掴み、るんるんと、フランシア領行きの列車前に行く。
そして、搭乗待ちしている列へと並んだ。
そんなテンション高めの俺の様子にお嬢様はため息を吐きつつ、肩を竦めた。
「馬車以外の乗り物に乗るのは正直、抵抗あるんだけど……これ、途中で壊れたりしないわよね? 人生で一度も乗ったことないから何か怖いんだけど」
「走っている最中に壊れたら、多分、グチャグチャの肉片になって死にますね!! 即死です!!」
「何でそんな恐ろしいことを目をキラキラと輝かせて言うのよ!? 貴方は……!?」
お嬢様はドン引きして、俺を白い目で見つめる。
俺はそんな彼女を無視して、漆黒の鉄の塊を、楽し気に見つめた。
列車の中に入ると、中は想像していたよりも綺麗な様相をしていた。
通路には赤いシートが敷かれ、座席は二列ずつ左右に分かれて並んでいる。
元々貨物用として扱われており、乗車賃も高いことから、王国の人間は滅多に列車を利用しない。
加えてフランシア領行きしかないため、他領の人間がこれを使うことは殆どいないと言えるだろう。
「さて、どこに座りましょうか」
乗車席である前部の一両は、乗客は殆どおらず、ガラガラとなっていた。
俺はロザレナの手を引いて、一番前にある窓際の席へと座ることに決める。
―――その途中。突如、背後から声が掛けられた。
「おや……? 貴方たちは……?」
声が聴こえた方向へと振り返る。
するとそこには―――長い金髪に紫色の目をした、美しい修道女の姿があった。
彼女は中ほどにある席に座りながら、ニコリと、こちらに微笑みを見せて来る。
「まさか、こんなところで黒狼クラスの級長にお会いできるとは思いませんでしたぁ。フランシア領に旅行ですかぁ? ロザレナちゃん」
そして手袋を脱ぎ、彼女は握手を求めてきた。
ロザレナはおずおずと手を取り、その後、彼女は俺の手も取る。
その時、何処か、俺をジッと見つめるような気配がしたが……気のせいだろうか?
「? 誰よ? あんた?」
修道女は俺との握手を終えると、ニコリと、ロザレナに微笑みを向ける。
「わたくしは、リューヌ。天馬クラスで級長を務めているものですぅ」
「は? 天馬クラスの級長……ですってぇ!?」
ロザレナはリューヌと名乗った少女に敵意をむき出しにして、腰の剣に手を当てる。
そんな彼女に対して、リューヌは首を横に振った。
「ここは、学校ではないですよぉ、ロザレナちゃん。剣は納めてくださいますかぁ?」
「何で、天馬クラスの級長がこんなところにいるのよ!?」
「わたくしは、実家への帰省の途中なのです。フランシア領に、わたくしの御家があるものでしてぇ」
そう口にして、リューヌは笑みを浮かべる。
……何だろう、この少女は。見ていて違和感というか、気持ち悪さを感じてしまう。
顔面に微笑を張り着かせている割には、目が、笑っていない。
常に半目で、相手をつぶさに観察しているというか……いや、相手を人として見ていない……?
無機質な昆虫のような目。例えるならば、蟷螂が蝶を喰らう時の目に似ていると言えるか。
俺がジッと見つめていることに気付いたリューヌは、ロザレナからこちらへと目を向ける。
「ご安心ください、メイドちゃん。わたくしは何も致しません」
こちらが警戒していることに瞬時に気付いた。
やはり級長に選ばれるだけあって、優れた洞察力を持っているな。
リューヌは胸の辺りに手を当てると、悲しそうに目を伏せる。
「正直に申し上げますと、わたくしは、騎士学校のシステム……クラス同士の闘争に関しては、常々疑問を感じているのです」
「疑問、ですか……?」
「ええ。何故、騎士候補生同士が、相争わなければならないのか。争いは何も生みません。女神アルテミス様は血を嫌います。それは、経典にも書かれていることです」
「何それ。じゃあ、どうやって騎士を決めるのよ? 実際、戦って勝った奴が上にいくのが当然のことでしょ? 弱い奴が騎士になったら、戦場で足を引っ張って死んじゃうかもしれないんだし」
「あの学校は、より優れたクラスがそのまま騎士団に編制されるという仕組みになっています。ですが、わたくしは、群ではなく個こそが、騎士に選ばれるべきだと考えています。各クラスの強者を集めて、それをひとつのクラスに集約させる……そうすれば、勝って当たり前のクラスの完成です。単純に個人の成績で騎士を決めることにも繋がります。誰も不幸になどなりませんよねぇ?」
「各クラスの強者を集めてって……そんなこと、できるわけないじゃない?」
「いえ、可能ですよぉ。ロザレナちゃんが入学してすぐにやられた『騎士たちの夜典』……あの学校で行われる決闘は、ありとあらゆるものを賭けることが可能ですからねぇ。例えば、他の生徒を自分のクラスに引き入れることも、ね」
「そ、そんなことできるわけが……いちいち、優秀な他クラスの候補生に決闘を申し込む、っていうの? それも、必ず勝利を納めないといけないのよ? あんた、正気?」
「勝利というのは、何も、力だけで納めるものではありませんよぉう。決闘の前に、相手にこちらのクラスへと入るメリットを伝えれば良いのです。絶対に勝利できるクラスと知れば、相手も断る理由などありませんからねぇ。決闘は八百長でもして、勝利を納める。ほら、誰も血は流さずに、平和な結果に終わるでしょう?」
……面白い考え方をする奴だ。
あの学校で、リスクを伴う決闘を利用して引き抜きを行うなど……現時点で誰も考えてはいないだろう。
堅実にクラスで勝利を納め、勝ち星を集めるのが、皆、最も効率が良いと考えているからだ。
平和主義を方針に戦って行こうとするクラスなど、他のどこにもいない。
修道士が多い、特殊な天馬クラスだけといえる。
「わたくしは、非力な修道女です。ですが、こと、頭を使うことだけは得意としています。皆が血を流さずに平和な世を送る世界……わたくしは、そのような世界を目指しておりますぅ」
「ふーん? 頭脳派、か。なんか、ルナティエみたいな奴ね」
ロザレナのその発言に、何故かリューヌは一瞬肩をピクリと震わせる。
だが、表情は変わらず。昆虫のような目でロザレナを見つめたまま、微笑を崩さなかった。
「ルナティエ・アルトリウス・フランシア、ですか。フフフ……わたくしは、あのシュゼットちゃんに勝ったロザレナちゃんのことはかなり評価をしています。ですがぁ、副級長に無能を据えたのは、よく分かりませんねぇ。まだ、ベアトリックスちゃんか、ヒルデガルトちゃんの方がマシだったのではないですかぁ?」
「? ルナティエが無能? 何言ってるの? あたしは、あいつほど副級長に適任な奴はいないと思ってるけど」
「…………その采配、あとで後悔なさいませんように」
そう告げると、話は終わりとばかりにリューヌは目を伏せた。
それと同時に、列車の警笛が鳴る。もうまもなく、列車は動き出すのだろう。
「お嬢様、早く席に座りましょう」
「そ、そうね」
ロザレナはリューネに何か言いたげだったが、気を取り直し、俺と共に一番前にある席へと向かって行った。
「ほら、見てください! お嬢様! 広大な草原と山々! 景色が一気に流れていきますよ!!」
俺は窓を開けて、外の風景を眺めながら全身に風を浴びる。
走行中の列車から見える景色は、とても美しいものだった。
青い空に、入道雲。広大な王国の大地。空を飛ぶ鷲。
綺麗な夏景色。転生してからずっと御屋敷暮らしの自分にとっては、それは、とても高揚する風景だった。
「ちょ、ちょっと、アネット、危ないわよ! そんなに身を乗り出したりして!!」
隣の席から、俺の腕を抱きながら、怯えた様子でロザレナがそう声を発する。
俺はそんな彼女を無視して、窓際に両手を置いて、太陽の日差しに目を細めた。
「……リトリシアも、この景色、見たのかな」
前世。リトリシアに介錯を受けて亡くなる、前日の夜。
ベッドに横たわる俺の胸に顔を乗せて、リトリシアは一晩中俺の手を握り、会話をしていた。
彼女は俺に、ある疑問を投げてきた。
―――自分はこれからどう生きていけば良いのか、と。
俺はそんな愛弟子にこう答えたのを、未だに覚えている。
『俺が見れなかった景色を、お前が代わりに見て来い』……と。
『俺は死んでも、お前を忘れることは無い。お前のことをずっと見守っている』……と。
……いつか、リトリシアとも、ちゃんと話をしたいと思っている。
ただ、あいつはロザレナと違って、未だ俺からの依存を脱却できていない。
あいつの傍に俺がいたら、リトリシアの成長の妨げになってしまう。
リトリシアはまだ成長の余地がある。あいつの本来の実力は、あの程度のものではない。
俺としては、成長したリトリシアとロザレナに、いつか、剣聖の座を争って戦って欲しいと考えている。
その結果がどうなるのかは分からないが……俺は彼女たちにはいつか全力で覇を競って欲しい。
彼女たちこそが、俺の後継に相応しいと考えているからだ。
「……あ、あの遠くに見えるのって……ねぇ、アネット。あれ、橋よね?」
ロザレナが恐る恐ると、指を指し示す。
その先にあるのは、巨大な大河……アルクライネ川と、そこに掛かるキュリエール大橋。
あの大橋の向こうは、フランシア領となる。
目的地である領都マリーランドまで、もう少しだ。
「ルナティエに何があったかは分からないけれど……楽しいバカンスになるといいわね、アネット!」
列車の音にかき消されないように、ロザレナがそう、大きな声を発する。
隣に座った彼女は、揺れる青紫色の髪を耳に掛けると、目を細めて微笑みを浮かべた。
俺はそんな彼女の無邪気な表情にドキッとしながらも、コクリと頷きを返す。
「そうですね! せっかくですし楽しみましょう! お嬢様!」
―――陽夏の節。8月4日。
楽しく、切なく、予期せぬ再会が待ち受けるバカンスが、今、始まろうとしていた。
第179話を読んでくださって、ありがとうございました。
列車は、世界観に遭わないかなと思ったのですが……書きたくなって書いてしまいました。
もし、あまりよろしくないようでしたら、書籍版か、後でこっそりと修正したいと思います!(物語に影響ないくらいの感じで修正します!)
次回からついに、物語がマリーランドへと移ります……! 長かった……笑
この章は~.5巻みたいな感じで、外伝的にあっさり終わらせるつもりだったのですが、想像したよりもここまで書くのに長かったです……笑
後半戦は、なるべく短く努力したいと思います!
お付き合いいただければ幸いです!
4月1日午前0時に、エイプリルフールネタを投稿します!
キャラ崩壊注意ですので、暖かい目でお読みいただけると嬉しいです笑




