第7章 第177話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑨
「……怪しいです」
私―――クラリスは、木の裏に隠れながら……アルフの村へと向かっていくアネット先輩とロザレナお嬢様を見つめる。
何故、お嬢様とアネット先輩は隠れるようにして御屋敷を出て、最寄りの領村へと向かっているのか。
それも、こんな朝早くから。
何か理由でもあるのだろうか? 朝早くから二人で領村に行かなければならない、理由が……?
私は目を細め、じーっと、静かに二人を見つめる。
「…………フッ、素人丸出しのストーキングですねぇ。貴方は色々とツメが甘いんですよぉ、クラリスさぁん」
声が聴こえた隣へと方向へと視線を向ける。
するとそこには、変態が……じゃなかった。
寝そべりながら草木を模したマント―――ギリースーツを被り、望遠鏡をのぞいているコルルシュカ先輩の姿があった。
私はその、どう見ても不審者な出で立ちに、思わずドン引きしてしまう。
「いったい何をしているんですか、コルルシュカ先輩……」
「それはこっちの台詞ですねぇ。お二人を追いかけて、いったい何がしたいんですかぁ、貴方はぁ?」
コルルシュカ先輩は望遠鏡を降ろし、こちらへと視線を向けてくる。
相変わらず感情が読めない無表情顔。
だけどその瞳は……私に対して、一定の警戒心を抱いている様子だった。
「私は……ちょっと、アネット先輩が気になるんです」
「え? それってもしかして……恋愛的な意味でですかぁっ!? 新たなライバル登場の予感……?」
「違いますよ!! コルルシュカ先輩も見たでしょ!? 昨日の彼女の斧捌きを!!」
「あぁ、そっちですかぁ……」
「あれ……どう見ても、騎士学校で習った程度のものではないと思うんです。まるで、熟練された戦士が戦斧を扱う、流水のような動きでした」
「……」
「コルルシュカ先輩は不思議に思いませんでしたか? 彼女が何故、片手であんなにも綺麗に斧を振ることができたのかを」
私のその言葉にコルルシュカ先輩は顎に手を当て、考え込むような仕草を見せる。
「……騎士学校に通っているお嬢様なら、剣の技術を身に着けてもおかしくはないと思いますが……確かに、言われてみれば疑問に思わなくもないですね……。学級対抗戦で、どうやってリーゼロッテを撃退したのかも詳しく教えてもらえませんでしたし……未だに私は、お嬢様について分からないことが多いです」
「え? お嬢様……?」
「……コホン。なんでもありませぇん。そうですねぇ、アネットおじょ……先輩はぁ、基本的に何でもできるお人なのでぇ、騎士学校でも剣の技術をどんどん吸収していたんじゃないですかねぇ? 他の生徒よりも何倍も優秀だったから、クラリスさんにも教えることができたのかとぉ」
「……そう、なんですかね……」
そう言われたら、そうなのかもしれないと受け入れてしまいそうになる。
斧捌きも、たまたま上手く見えただけなのかもしれない。
だけど……何というか……違和感が拭えない。
「……私、ちょっと、アネット先輩を追いかけてみます」
村へと入って行った二人を視界に納めると、私は木の裏から出て、ずんずんと歩いて行く。
そんな私の姿に、コルルシュカ先輩は立ち上がり、慌てた様子で声を掛けてきた。
「いや、ちょ、待ってくださいよぉう、クラリスさぁん。お二人の邪魔しちゃいけませんってぇ~」
「コルルシュカ先輩は、先に御屋敷に戻っていてください」
「えぇっ!? 堅物のクラリスさんが、仕事をサボるんですかぁ!? って、ま、待ってくださいよぉう~」
コルルシュカ先輩は何処か呆れた表情を浮かべながら、私についてきた。
確かに、朝の仕事をサボッたら、メイド長に怒られそうだけれど……今日だけは見逃して欲しいところです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――――――ここは、いったい、どこ……? 私は、首狩りによって殺されたはずじゃ……?」
視界が開ける。
すると目の前には、ローブを着た、肌の色が悪い老人の姿があった。
老人の首元には、百足の刺青が見て取れる。
彼はフードの中から不気味笑みを浮かべると、杖を持ったまま両手を広げた。
「よくぞ、復活を遂げた……疾の薔薇騎士、ファレンシアよ」
「貴様は……闇を這いずる蟲の頭領……!! 百足のロシュタール!!」
私は即座に腰についている鞘から剣を抜こうとする。
だが、その時。私の身体に紫色の電流が奔り、私は無様にも地面に膝を付いてしまった。
「くっ! なんだ、これは……!!」
「クックックッ。残念だが、今の貴様はただの傀儡にすぎぬ」
「か、傀儡、だと!?」
「簡単に説明させてもらうならば、ワシはお主を禁術・死霊属性魔法によってアンデッドとして現世に復活させた。お主はいわば、ワシの命令に従う、ただの肉塊……使役者に逆らえぬ、ゴーレムと化しているのだよ」
「ふ、ふざけるな!! この私が、お前みたいな犯罪者のオモチャになどなるものか……!!」
「ワシのこの術に応えたということは、貴様は、この世に未練を残しているということだ。確か、貴様は、念願だった【剣神】の試験を受ける直前に、首狩りのキフォステンマに殺されたのだったかな? どうだ? 当たっているだろう?」
「……っ!!」
「フフフフ。何、悪いようにはしない。ワシに手を貸せば、貴様のその夢……この百足が叶えてやるとしよう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……456! 457! 458!」
オレ、グレイレウスは、領都から離れた荒野で一人、剣の素振りを行っていた。
夏休みが始まって二日目。
アネット師匠のお顔を拝見できなくなって二日目。
正直、たった二日だというのに、とても辛い。早く師匠にお会いしたい。
だが、今は我慢しなければならないだろう。
師匠にも、休暇が必要だろうからな。
日々研鑽を重ねて、夏休みが開けたその時に、オレのさらなる成長を師匠に見て貰えば、それで良い。
フッ……今度は、ロザレナにも引けを取らない成長をしてやるとするか。
あの馬鹿の玉砕覚悟の唐竹など、次は華麗に避けてみせよう。
そうだな……今思い返せばあの決闘の時、上空へと逃げていたら、ロザレナの闘気爆発ダメージは受け無かったかもしれないな。
日々、反省と修練。
亡き姉の想いを叶え、【剣神】になるためにも、地道に努力を重ねていくしかない。
「フ……フハハハハハハハハハ!! アネット師匠! 見ていてください! オレはさらに強くなってみせますよ!! 最強の剣士である貴方様の弟子として、恥じない功績を―――!!」
「……お兄ちゃん、何で、上半身裸で剣を振ってるんだ?」
いつの間にか足元に、鼻水を垂らしたムカツク顔のガキがいた。
近くの領村から来たガキだろうか?
……無視だ、無視。くだらん戯言に付き合っている暇など、オレにはないからな。
オレはガキをスルーして、剣の素振りを再開させる。
「お兄ちゃん、何で上半身裸なのに、マフラーを首に撒いてるんだ?」
「……」
「変態なのか?」
「…………おい、言葉には気を付けろ、クソガキ。オレは、この地を支配するアレクサンドロス領主の息子だぞ。分かったら二度と舐めた口を利かないことだな。まったく、まさかあのぴぎゃあ女と同じことを言われるとはな……腹立たしいことこの上ない……」
あのぴぎゃあぴぎゃあ騒いでいた馬鹿女め。
大森林ではよくもこのオレのことを変態マフラー男だの、前髪長男だの、ふざけた呼び名で呼んでくれたな……。
オレは左目を覆い隠している前髪を触り、眉間に皺を寄せる。
「……今まで剣を振ることだけしか考えていなかったから、髪など気にしたこともなかったが……少し、前髪を切ってみるか? いや、それこそあのぴぎゃあ女の言葉に従ったようで癪か。しかし……ふむ……」
「お兄ちゃん、何でそんなに前髪を触ってるんだ? 長いの、気にしてるのか?」
「うるさい黙れ。気にしてなどいない」
オレは、足元にいるクソガキに視線を向け、チッと舌打ちを放った。
すると、その時。遠くの荒野で、馬に乗った大勢の騎士の姿が見えた。
このアレクサンドロス領の、不毛な鉱山地帯で駆け馬を見るとは珍しいなと、視線を向けていると……ひとつ、オレは違和感を覚える。
「……紅い鎧甲冑? 王国の聖騎士ではないな、あれは」
聖グレクシア王国の聖騎士は、基本的に白銀の鎧を身に纏う。
反対に、漆黒の鎧は帝国軍の装束だ。
だが、ここに帝国軍、ひいては他国の兵が来ることなどまずあり得ないこと。
何故なら帝国領土と面しているバルトシュタイン領の要塞都市が突破されたなどという話は、一度も聞いていないからだ。
帝国以外の国が、今の王国を攻め入る程の力を持っているとは思えない。
だったら、あの血のように紅い騎士たちはいったい、何者なのだろうか?
オレには、皆目見当も付かない。
「……何らかの一団が、行軍している……? いったい、何のために……―――ッ!?」
行軍中の隊列から一人の騎士が離れ、馬に乗ってこちらへと向かってきた。
そのスピードはあきらかに、こちらを轢き殺そうとしている気配が窺えた。
「チッ!! おい、ボサッとするな、クソガキ!! さっさと逃げろ!!」
オレは近くに立っていた子供を突き飛ばし、地面に倒れ込む。
先ほど立っていた場所に、馬が駆け抜けていくのが見えた。
オレは即座に立ち上がると、子供を庇うようにして二本の刀を構える。
馬に乗った騎士は、オレたちの周囲を駆け回り始める。
そしてその騎士は、馬上から、こちらに声を掛けてきた。
「主君の命により、アレクサンドロス領を制圧させてもらう。おとなしく縄に付け、小僧ども」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レティキュラータス領東、アルフの村。
小規模なその農村に到着すると、井戸の水を汲んでいた幼い少女が、俺へと声を掛けてきた。
「あ! アネットお姉ちゃんだー!」
その声を皮切りに、農作業をしていた村の人たちが一斉にこちらへと視線を向けてくる。
「おや、アネットちゃんじゃないか! 久しぶりだね! お嬢様と学校に行っていたんじゃないのかい?」
「アネットちゃん! 元気にしていた!? ウチでお茶でも飲むかい!?」
俺の元へと近寄り、賑やかな声を掛けてくる村人たち。
俺はそんな彼らに微笑みを向け、口を開く。
「お久しぶりです、みなさん。でも、ごめんなさい。今日は、お嬢様と馬車に乗って、遠出する予定ですので……あまり長居できないんですよ」
「あら、そうなのかい? ん? お嬢様……?」
村人たちが、俺の横にいるロザレナへと視線を向ける。
ロザレナは人見知りモードに入ったのか、口をへの字に曲げ、仏頂面をし始めた。
「お嬢様……ってことは、もしかして、そこにいらっしゃるのは……ロ、ロザレナお嬢様かい!? も、申し訳ございません!! 伯爵家のご令嬢がいらっしゃったというのに、私たち、不躾な態度を……!!」
村人たちは全員、ロザレナに対して頭を下げ始める。
その光景を見て、ロザレナは驚いたように目を見開き、慌てふためいた。
「え、ちょ、べ、別に頭なんか下げなくて良いわよ!! 楽にしてかまわないわ!!」
ロザレナのその発言に、村人たちはゆっくりと顔を上げる。
そんな彼らの姿にロザレナは困惑した様子を見せて、おずおずと口を開いた。
「あ、あたしたちレティキュラータス家の人間は、領民からすっごく嫌われてるって、知っているから……その、無理に気を使わなくても良いのよ? 普段通りで構わないから」
「……他の村人たちはどうだか知りませんが、私たちアルフの村の人間は、レティキュラータス伯爵様が我々領民のために必死に頑張ってらっしゃっていることを知っていますから。嫌ってなどいませんよ」
「え?」
ロザレナは硬直し、ポカンと口を開ける。
そんな彼女に、村人たちはクスリと笑みを溢した。
「確かに以前までは、重い税を敷くレティキュラータス家に、みんなあまり良い感情は持っていませんでした。ですが、アネットちゃんの橋渡しのおかげで、伯爵様とお話できる機会を得たんです。そこで、伯爵様のお考えを知りましたから……私たちは、レティキュラータス家に対して嫌悪感を抱いておりません」
「は、橋渡し!? そんなこと、いつやってたのよ、アネット!?」
隣から驚いた目を向けてくるロザレナ。
俺はそんな彼女に、コクリと頷きを返す。
「お嬢様が修道院に行かれていた時、信仰系魔法を習得するために、この村のシスターさんに弟子入りしていたんです。その時に、村人のみなさんと仲良くなりまして……旦那様との会談の場を設けさせていただいたんです。その結果、アルフの村とレティキュラータス家は、良好な関係を築くに至りました」
「へ、へぇ……。あたしが知らない間に何か、色々とやっていたのね、アネットは……」
ロザレナがそう言って、ポカンと呆けた表情を浮かべた―――その時。
背後から、声が掛けられた。
「……懐かしい顔だね。夏休みでこっちに帰ってきたのかい? アネット」
振り返ると、そこには、煙草を咥えたシスター服の女性が立っていた。
そのダウナー系の美人シスターは煙草を指で掴むと、フゥーッと、空中に煙を吐き出す。
「シスター・イザベラ。お久しぶりです」
「……ん。そっちの女の子は、例のお嬢様かい?」
「はい、そうですよ」
「……ロザレナです。ね、ねぇ、アネット、この人が、信仰系魔法を学んでいたっていう、例の?」
「ええ、その通りです。この方から私は、信仰系魔法を学んでおりました」
「何か……やさぐれているというか、怖い雰囲気がする人ね?」
「ですね。けれど、村の子供たちに勉強を教えてあげたりと、見た目に反して優しいシスターさんなんですよ」
「へぇ?」
「そこのメイド。失礼なこと言わないでくれるかしら。あと、アタシ、別に好きで子供に勉強教えていたわけじゃないから。元はと言えばあんたが無理やりウチの教会に押しかけてきたから、村の子供たちも一緒についてきて、教会で勉強会する羽目になったのよ。全部、あんたのせいだから」
「面倒見が良い方なんですよ。私が信仰系魔法を教えてくれと頼み込んだ時も、二つ返事で了承してくださって―――」
「了承してないわ。断ったのに、あんたがずっと教会の門で居座ってたから仕方なく教えたのよ。まったく……本当、疫病神でしかないわね、このメイドは」
そう口にして、シスター・イザベラは頭を抱えて、村の中央にある教会へと去って行った。
俺はその背中を見つめた後、ロザレナへと笑みを向ける。
「ね? 優しいシスターさんでしょう?」
「……なんか、ものすごく貴方のことを面倒がっていたような感じだったけれど……ま、まぁ、いいわ」
そう言った後、ロザレナは村の最奥にある厩舎へと視線を向ける。
「もうすぐ、王都行きの馬車の便が来るころよね。そろそろ行きましょうか、アネット。……っと、その前に、村の井戸を借りて水筒に水を入れましょうか。ここに来るまでの道中で水、無くなっちゃったし」
「そうですね」
そう返事をした後、俺とロザレナは井戸に近寄り、水を汲み、水筒へと補充する。
その後、俺とロザレナは村人たちと別れを告げ、フランシア領へと向かうべく、厩舎へと向かって歩いて行った。
これからの道のりとしては、王都への便に乗って、そこからフランシア領行きの便に乗るルートを辿る。
フランシア領は、王国で一番大きい河川――アルクライネ川に掛かるキュリエール大橋を渡って、行くことができる。
王国で最も広い領土を持っており、農産業や漁業が盛んな土地……それが、フランシア領。
領都マリーランドは海に面した場所に作られた海上都市であり、リゾート地としても有名だ。
砂漠と荒地に居を構えるバルトシュタイン家や、深い森の中に居を構えるオフィアーヌ家とは違って、フランシア領には広大な草原と美しい海が広がっている。
王国民にとって住みたい領地ナンバーワンの場所と言っても良いところだろう。
レティキュラータス家もお金で困っていなければ……小さい領土ながらも豊かではあるため、人気なスポットとなっていた可能性はあると思う。
まぁ、レティキュラータス領は土地柄か狼が多いらしいから、畜産業をやるには壊滅的に厳しい点がマイナスかもしれないが。
(そういえば……クラリスの出身地、元騎士公のアステリオス領は、どこにあったのだろうな?)
300年前に地図から消えたであろう旧アステリオス領は、どこの領地に取り込まれたのだろうか。
少し、気にならなくもない。
「そうだ。ねぇアネット、確か、フランシア領って……グレイレウスの故郷と近かったわよね?」
「そうですね。グレイが住むアレクサンドロス領は、フランシア領の南にある、鉱山の前に位置しています。グレイとルナティエお嬢様は、古くから知り合いだったらしいですから……家が近いという理由で、元々両家とも交流があったのかもしれませんね」
「ふーん、そうなんだ。旅の途中、うっかりあの暑苦しいマフラー男に遭遇……とか、したくはないわね……」
「いや、流石にそれは無いと思いますよ。領地が近いとは言っても、フランシア領はとてつもなく広い場所ですから」
そう言って俺たちは、厩舎の前へと辿り着く。
すると丁度、街道の向こうから、馬車が走ってくるのが見えた。
「はぁ、それにしてもあっついわ……水筒に入れていたお水、すぐに無くなっちゃいそう」
「ちゃんと水分補給はしてくださいね。とはいえ、飲みすぎには注意してください」
「分かってるわよ。はぁ、あっつー」
茹だるような真夏の日差しの中。ロザレナは、自分の顔を手のひらで仰ぐのだった。




