第7章 第175話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ⑦
「唐竹はもう少し、腰を引いて剣を振った方が良いですよ。それと、貴方は見たところ剛剣型の……特殊なタイプだと思われます。そのままでは、実力は上がりませんね」
「……え?」
剣を止め、驚いた顔で俺を見つめるクラリス。
俺はクラリスの顔を見つめ、再度口を開いた。
「少々、騎士学校で剣を習っていまして。少しだけ、分かるんですよ」
「け、剣を……? アネット先輩が……?」
「はい。それと貴方は、今後は剣ではなく、斧を使った方がよろしいかと思います。……コルルシュカ、確か物置に、木を切る用の斧がありましたよね? あれを持ってきていただけますか?」
「かしこまりました」
コルルシュカはそう返事をすると、お辞儀をして、颯爽とその場から立ち去っていく。
その後ろ姿を見つめていると、クラリスは静かに声を掛けてきた。
「どうして……どうして、ただのメイドである貴方が、剣を知っているんですか? まさか、今日の私への腹いせに、適当なことを言っているだけじゃないですよね!?」
「そう思うのなら、それで構いません。私が嘘を吐いていると貴方がそう判断したのなら、私はここで去るとしましょう」
「……」
クラリスはジッと俺の目を見つめると、眉間に皺を寄せながら、ポツリと開口した。
「…………正直、半信半疑です」
「そうですか。まぁ、騎士学校で少し剣を齧った程度のメイドのおせっかい、とでも思ってください」
「アネットおじょ……せんぱぁい。持ってきましたぁ」
コルルシュカが持ってきた斧を受け取り、俺は、クラリスの前に立つ。
そして、緊張した面持ちの彼女の前で片手で斧を上段に構え、虚空へと向けて一振り、斧を振ってみた。
腰を引き、足を一歩前に出し、弧を描くように斧を振りかぶる。
―――――――――ヒュン。
斧は剣閃を描きながら、地面へと突き刺さった。
まぁ……ただの斧だと、こんなもんだろう。
俺は片手で斧を引き抜くと、そのままクラリスへと手渡した。
「こんな感じです。斧を振る時は、腰の柔軟さと、足の向きが重要となります」
「……す、すごく、綺麗でした……」
目をパチパチと瞬かせるクラリス。
彼女は呆けた顔のまま、斧を受け取ろうと手を伸ばしたが―――。
「お、重っ……!?!?」
斧を受け取った瞬間、彼女は斧の重さに耐え切れず、地面へと落としてしまった。
俺はそんな彼女にクスリと笑みを溢し、声を掛ける。
「もう少し、筋力を付けた方が良いですね。毎朝腕立て伏せするのがよろしいかと」
「こ、こんな重い斧を、アネット先輩は、片手で振り回してみせたのですか……っ!?」
目を見開き、驚きの声を上げるクラリス。
俺はそんな彼女の姿にハッとし、コホンと、咳払いをした。
「……き、騎士学校の生徒は皆、これくらい当たり前にできるものです。別段、私だけが特別だというわけでもありません」
そう言った後、俺は踵を返し、クラリスへと肩越しに口を開いた。
「それでは、私たちはここでお暇させていただきます。クラリスさんも、夜更かししないように気を付けてくださいね」
「は……は、い……」
未だに放心状態のクラリスを置いて、俺はコルルシュカと共にその場を後にした。
不格好に斧を素振りするクラリスから離れ、俺は、コルルシュカと共に中庭から屋敷の中へと戻って行く。
屋敷の玄関前に辿り着くと、コルルシュカが背後から声を掛けてきた。
「……それにしても、驚きでしたね、お嬢様。まさか彼女が、騎士公の血を引く者だったとは……」
「そうだな。しかも、クラリスは見たところ、剛剣型の中でも特殊なタイプの……重戦士型だと思われる」
「重戦士型、ですか?」
「あぁ。重戦士型は、重い鎧甲冑や大盾を身に纏った、防衛に特化した戦士だ。武器も、戦斧や大槌などを得意とする傾向がある。だから、彼女がロングソードを持って素振りしているのは……そもそも間違った修練方法なんだが……あれじゃあ、いくら鍛えても伸びないだろうな。そもそも彼女の持つべき武器は剣ではないからだ」
「……ひ、一目で彼女の素養を見抜いたのですか……? 以前から思っていましたが、お嬢様は、剣の知識が豊富なんですね……?」
驚いた顔で俺を見つめるコルルシュカ。俺はそんな彼女に、ニヤリと笑みを浮かべる。
「お前にも剣の素養があると思うぜ。お前はどうみても、速剣型の特殊タイプ、暗殺者型だ」
「……え? 私に……剣の素養が……あるんですか!?」
パチパチと目を瞬かせるコルルシュカ。俺のその言葉に、心の底から驚いている様子だ。
「コルルシュカ、覚えているか? お前に出会った当初、俺は、お前のことを暗殺者だと間違えた。それは、お前の気配が常にとても希薄だったからだ。お前からは、暗殺者の匂いがプンプンと漂っていた」
「……それは……影が薄い、ということですか……? 何か、悲しいです……がーん……」
「真面目に話を聞け。さっきも、俺は背後から現れたお前に気付かず反応が一歩遅れた。前々から思っていたが、お前には暗殺の素養がある。暗殺者は、ナイフなどの暗器を使い、【暗歩】という歩法を使用して気配なく標的に忍び寄る剣士……俺が最も苦手とするタイプの敵だ。だから、俺はお前のことを当初、かなり警戒していたんだ」
「……私に……暗殺者の素養……。何の才能も無いと思っていた、出来損ないの私に……?」
自身の掌を見つめ、何処か感動したように身体を震わせるコルルシュカ。
俺はそんな彼女に微笑みを浮かべた後、振り返り、中庭で素振りをするクラリスへと視線を向ける。
「……エルジオ伯爵は、この家に騎士がいないことを嘆いていた。だから、屋敷の防衛のためにも、クラリスとコルルシュカを少し鍛え上げてやろうかとも思ったのだが……まぁ、今のこの状況下では、やめておくとするか。彼女にいつか、優秀な師が付くことを祈るばかりだな」
俺はそう口にして、踵を返し、屋敷の中へと入る。
そんな俺のあとを、コルルシュカは静かについてくるのだった。
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―――薄暗い何処かの地下。
そこには四つの棺が置かれ、棺の下に、魔法陣のようなものが敷かれていた。
その棺の前に立つのは、首元に百足の入れ墨を入れた―――漆黒のローブを纏った老人。
周囲には同じようにローブを纏った者たちがおり、その中に、首狩りのキフォステンマの姿があった。
キフォステンマは腰に手を当てると、つまらなそうな様子で、老人へと声を掛ける。
「あのさぁ、ムカデのジジイ。アタシも暇じゃないんだけどー? アタシ、早くブチ殺したい奴がいるんだよねー。国家転覆なんて、正直どうでもいいんだけどー」
キフォステンマのその声に、杖を持った老人はギロリと、彼女を睨み付ける。
「先の任務で失態を犯した貴様に、発言権などはない。ゲラルトから聞いたぞ。貴様、ろくにオークのサポートもできずに、気絶して眠っていたらしいな?」
「はぁ。だから、その件については言ったでしょ? 突然現れた、よく分からないメイドの女にやられたってさぁ。あの女、無名の剣士だけど、恐らくは【剣神】相当の実力は持っていた猛者と見るべきかな。このアタシを不意打ちで気絶させるなんて……次会ったら、絶対に容赦しないし。極限の痛みを与えた後に、首を斬って、ぶっ殺してやるんだから!! キャハハハハハハ!!!!」
「メイド、か。まったく……ごまかすのならもう少しまともな嘘を吐くのだな。貴様は腐っても元剣神だろう? メイド如きにやられるなど、あり得るはずがない」
「……あ? てめぇ、このアタシの言葉を信じないっていうのか? ふざけてんじゃねぇぞクソハゲジジイコラ」
睨み合う、首元に【蜘蛛】の入れ墨を入れた少女と、首元に【百足】の入れ墨を入れた老人。
数十秒程睨み合いを続けた後、老人は視線を逸らし、大きくため息を溢す。
「【暴食の王】が撃破されたとなれば、我らにできる策は最早これしかない。禁忌、【死霊属性魔法】を使用して、過去に名を馳せた英傑たちを傀儡として復活させる。そのためにも、貴様には協力してもらうぞ、【死霊剣】」
「……はぁ。過去の【剣聖】【剣神】を蘇らせる意味なんてあるのか、アタシには疑問でしかないんだけどー? 例の国と協力して、フランシア領と他領地を繋ぐ『キュリエール大橋』は既に破壊済みなんでしょ? だったら、これ以上戦力を費やす意味があるとは思えないんだけど。バルトシュタイン家ならともかく、フランシア家の抱える軍なんて、正直造作も無いでしょ」
「念には念のためだ。ここで最強の【剣聖】アーノイック・ブルシュトロームをアンデッドとして復活させ、我らの作戦を完璧な布陣とする。圧倒的な戦力を得た我らは、王国民の食糧庫であるフランシア領を掌握、そのまま疲弊した王都を奪取する」
「……あんたにとっては、そんなに大事なわけ? 王国の地……フランシア領が?」
「当然だ。我ら『暗闇を這いずる蟲』は、元は、数千年前に王家によって不当に領地を奪われた、亜人の民によって結成されたもの。我が祖国を取り戻すためにも、彼奴等には地獄を見てもらわねばならん」
「アタシは人族だから、正直、その感覚は分からないわ。アタシが求めるものは、殺戮と混沌だけ。元サソリの長、ジェネディクトの奴とは馬が合ったから、何となくこの組織に属していたけど……ムカデのジジイとは本当に趣味が合わないわー。まぁ、殺しができれば何でもいっか。了解了解~」
そう口にして、キフォステンマは手をヒラヒラと振って、その場を去って行った。
そんな彼女の姿に、老人は不快気に眉間に皺を寄せ、フンと鼻を鳴らす。
「……イカれた殺人鬼めが」
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―――翌日。午前6時。
チュンチュンと小鳥の囀りが聴こえる朝焼けの中。
俺とロザレナは旅行鞄を手に、屋敷の門の前に立っていた。
ロザレナは御屋敷を静かに見つめると、ポソリと口を開く。
「お父様に、アネットと遊びに行くってことだけを書いた、書置きを残してきちゃったけれど……大丈夫かしら?」
何処か不安げな様子のロザレナ。俺はそんな彼女の横顔に声を掛ける。
「今、フランシア領に行くことを旦那様に伝えれば、旦那様は間違いなく反対すると思います。ですから……こういう形で旅立つのも、仕方ないかと。これが、今考えられる限りの最善策だと思います」
「まぁ……そうね。お父様のことだから、アネットと一緒だったら、そこまで心配はしないだろうし。じゃあ、さっそく……行くとしましょうか」
「はい。……ルナティエ様の付き人に、クラリスさんを推薦すれば、彼女が騎士学校に通える道筋があったのかもしれませんが……今、クラリスさんを連れていくのは、少し難しいですね。私と彼女は、そこまで繋がりが深いとは言えませんし」
「? アネット? 何か言った?」
「いいえ、何でも。では、行きましょうか、お嬢様」
「ええ!」
ロザレナと並んで、御屋敷を出て、畦道を歩いて行く。
フランシア領にいったい何が待ち受けているのか―――叶うのなら、ただバカンスをして帰って来たいところだな。
第175話を読んでくださって、ありがとうございました。
私自身、今回のお話はすごく迷いまして……。
最初は、お屋敷に騎士がいないことを危惧したアネットが、戦力増強のために、クラリスとコルルシュカに軽く剣を教える展開〜というイメージでした。
影の弟子?的な感じです。
ですが、読者様のご指摘通り、アネットの現在の状況的に新参者に剣を教えるという展開はあんまり相応しくないと考え、今回のお話を書き直しました。
読者様に混乱を招いてしまったこと、深くお詫び致します! 申し訳ございませんでした!
少し、プロットを見直し、今後の展開を煮詰めてきます! それまでお待ちいただければ、幸いです!




