第7章 第172話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ④
自室が邪教の祭壇に変えられていた『コルルシュカ騒動』の件から一時間後。
午後十三時、昼下がり。
俺は大広間で、ある人物たちと挨拶を交わしていた。
「――――本日より再びレティキュラータス家のメイドに復帰することになった、アネット・イークウェスと申します。みなさま、どうぞよろしくお願い致します」
そう口にして、俺は、目の前に立つ三人のメイドに頭を下げる。
その三人のメイドはそれぞれ不揃いな拍手の音を立てて、三者三様、俺を歓迎してくれた。
一人目はメイド長であり祖母のマグレット。彼女は拍手しながら、優し気な表情を浮かべていた。
二人目はコルルシュカ。この馬鹿メイドは先程の一件の事などもう忘れたのか、無表情で、目にもとまらぬ速さで拍手の音を鳴らしている。
そして、三人目は……何故か終始俺を鋭い目で見つめ、不機嫌そうに小さく拍手の音を鳴らしている、金髪おさげの新人メイド――クラリスだった。
門での騒動から疑問に思っていたが……どうしてこの子はこんなにも、俺に対して敵意剥き出しな様子なのだろうか?
俺、彼女に対して何か気に障ることでもしたのか……?
クラリスのその様子に首を傾げていると、マグレットが俺に声を掛けてくる。
「アネット。メイドの仕事を手伝ってくれるのは嬉しいけど、今は夏季休暇だろう? 無理せず、御屋敷でゆっくりと過ごしていても良いんだよ」
「え? メイド長?」
「お前さんはお嬢様の付き人なんだ。人手も増えたことだし、御屋敷のことは一先ず私たち三人に任せてもらっても構わないさ。せっかくの夏休みなんだ、ロザレナお嬢様と自由に過ごして貰っても大丈夫だよ」
そう言ってマグレットは俺に優しく微笑みを向けてくる。
俺はそんな彼女に向けて、困ったように笑みを返した。
「ですが、メイド長、私だけ業務をしないというのも……」
「コルルも賛成ですぅ。せっかくですし、アネットおじょ……せんぱいには、ゆっくり過ごして欲しいですからねぇ~」
「コルルシュカまで……」
マグレットとコルルシュカは、どうやら俺には休んでいて欲しいみたいだ。
けれど、「休め」と言われても、歳を取った祖母と不器用メイドをそのままにして俺だけ休暇をいただく、というのもなぁ。
そもそも俺はメイド業が身体に染みついてしまったのか、常に動いていないと違和感を覚えるようになってしまった。
前世は、暇があれば酒と煙草を持って、賭博場に出入りしていたこの俺が……まさかこんなにもメイドの仕事に生活を支配されるなんて。
以前の自分を知るハインラインやジャストラムが今の俺を見たら、笑い転げること間違いないだろうな。
「私は反対です!! メイド長!!」
過去の友人たちを思い浮かべていた、その時。
突如、新人メイドクラリスが大きく声を張り上げ、俺を睨み付けてきた。
彼女は俺に剣呑な視線を向けた後、再びマグレットへと顔を向ける。
「今後のお仕事のためにも、アネットさんには今から私たちが築いた仕事のサイクルを見て、学んで欲しいと思います! 急なシフトに入って現場を荒らされると迷惑甚だしいので!!」
「はぁ……あのぉ、クラリスさぁん?」
クラリスのその発言に、コルルシュカは何処か呆れたように声を掛ける。
そんな彼女に対して、クラリスは眉間に皺を寄せながら言葉を返した。
「何でしょうか、コルルシュカ先輩」
「コルル、さっきから思っていたんですけどぉ……クラリスさん、さっきからアネット先輩のこと過小評価しすぎじゃないですかねぇ? アネット先輩は、幼少の頃からこの御屋敷でメイドをしているんですよぉう? ちょっと、舐めすぎじゃないですかぁ?」
「それって、仕事がまったくできていないコルルシュカ先輩から見た彼女の評価ですよね? 正直私は、コルルシュカ先輩が言うような実力がこの方に本当にあるのか、疑問です」
「……私のことを下に見るのは構いませんがぁ、アネット先輩のことを下に見るの、やめてくれませぇんかぁ? 不愉快極まりないのでぇ」
お、おぉ……何かコルルシュカさんが無表情でブチギレてらっしゃる……。
な、何気にこいつが本気で怒っているところ、初めて見たな。
こいつ、結構迫力ある怒り方するんだな……ちょっと驚きだ。
静かに激怒しているコルルと、こちらにあからさまな敵意を向けてくるクラリスに、どうしたものかと固まっていると……マグレットが大きくため息を溢した。
「クラリス、またお前さんは……どうしてそんなにアネットに噛みつくんだい? 実の孫という立場を抜きにしても、私もコルルシュカと同様、この子の実力を高く評価しているのだけれどね」
「私は、この方よりも優秀でなくてはならないんです!! ロザレナお嬢様の付き人になるためにも!!」
「付き人? どうして、そこで付き人の話が出てくるんだい?」
「……何でもありません。とにかく、アネット先輩! 貴方のメイドとしての実力を、私に見せてください!」
「え? じ、実力、ですか?」
「はい!! それで、貴方が私よりもメイドとして相応しくなかった、その時は……ロザレナ様の専属メイドを、私と交代していただきます!! 宜しいですね!!」
こうして俺は理由も分からないまま、新人メイド、クラリスに、実力を精査されることになったのだった。
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《ロザレナ 視点》
御屋敷二階の書斎。
あたしはお父様に帰宅の挨拶した後、学園に入学してから今まで起こった全ての事を伝えた。
学生寮では賑やかで楽しい先輩たちに出会い、ジェシカという友達ができたこと。
入学早々ルナティエに決闘を挑まれ、騎士たちの夜典に勝利したこと。
級長として認められて、クラス一丸となって学級対抗戦を乗り越えたこと。
その全てを、お父様に語ってみせた。
するとお父様は朗らかな笑みを浮かべ、机の上で手を組み、コクリと頷いた。
「……なるほど。ロザレナがこの家を出て四か月。学校で、色々なことがあったんだね」
「はい。様々な困難がありましたが……アネットと協力して、全部、乗り越えてみせました! あと、友達もいっぱいできました! 学生寮の先輩方に、ジェシカにルナティエ……いつかお父様にも会って欲しいです!」
「ルナティエ? それは、もしかして……フランシア家の?」
「はい!」
「そうか……それはまた奇妙な縁だね」
「奇妙な縁?」
「フランシア家とレティキュラータス家は、古くから犬猿の仲だったんだよ。だから……君たちの代でこの状況が変わってくれると僕も嬉しいな」
そういえば……幼い頃、病気に罹って、入院生活を余儀なくされていた時。
病院に多額の出資をしていたフランシア家の当主が、わざわざあたしの病室に来て、お見舞いにきていたお父様に対してよく嫌味を言いにきていたっけ。
今にして思えばあの嫌味ったらしい男が、ルナティエのお父さん、だったのかしら?
確かに、親同士が仲悪いのに、子供同士が友達になっているというのは不思議かもしれないわね。
まぁ、あたしとルナティエも、単なる仲良しこよしの間柄ではないことは確かだけれど。
「それにしても、黒狼クラスで学級対抗戦に勝利した、か……。これは本当にすごいことだよ、ロザレナ」
「ありがとうございます」
「僕も学生時代は黒狼クラスに配属されて、級長をやったのだけれど……結果はボロボロでね。騎士位は取れずに、そのまま卒業してしまった。歴代の黒狼クラスは、落ちこぼれの寄せ集めと言われている。だから……ロザレナのその戦績は、学園始まって以来の快挙と言っても良いかもしれないね」
「え? お父様も、聖騎士養成学校に通われていたんですか!?」
「うん。そうだよ」
「騎士学校に入ったのは、うちでは、お婆様だけかと思っていましたが……?」
「ハハッ、実を言うとお父さん、恥ずかしくて今までロザレナにはそのことを内緒にしていたんだ。僕は、騎士位を取ることができなかったからさ。情けない父親だと思われるのが嫌だったんだ」
そう口にすると、お父様は肩を竦めた。
そして、今度は眉を八の字にして、心配そうな様子で私を見つめてきた。
「ロザレナ。アネットくんから先日、手紙がきてたよ。未知の病に罹っていたんだって?」
「あ……はい。ご連絡が遅れて申し訳ございませんでした、お父様」
「王都に降った大雨の影響で、御屋敷に一報が遅れたと聞いているから……連絡が遅れたことに関しては怒っていないよ。ただ、僕はとても心配だった」
「ご心配おかけしました。でも、アネットのおかげで、見ての通り! 元気になりました!」
あたしは力こぶを作り、お父様に満面の笑みを浮かべる。
お父様はそんなあたしの姿を見て、楽し気に笑い声を上げた。
「やはり、アネットくんのおかげか。そうだろうと思ったよ」
「え? 手紙に書いてなかったんですか? アネットが、薬の材料を見つけてきてくれたんですよ!」
「そうだったのか……。手紙には、完治までに至った詳細はあまり書かれていなかったんだ。なるほど……アネットくんが頑張って奔走してくれたんだね。本当に、彼女には感謝してもしきれないな。現時点でロザレナの従者は彼女一人。一人で薬を探すのは、さぞ、心細かっただろうに……」
「……はい。あたしも、アネットには感謝しています。学校に入学してからずっとあの子には支えて貰いっぱなしで……本当に、頭が上がりません」
あたしとお父様はそう会話を交わして、フフッと笑みを浮かべた。
その後、お父様は席から立ち上がると、私の前に立ち、ポンと肩を叩いてくる。
「ロザレナ。君は本当に立派になった。そろそろ、レティキュラータス家の地下にある『宝物庫』のことを君に教えても良いかもしれないな」
「え? うちの地下に宝物庫なんてあるんですか?」
「四大騎士公というのは、古来からあるものを『遺産』として受け継いでいるんだ。とはいっても、うちは他家に比べて少しだけ特殊な状況下にあって――――」
……その時。部屋の外から「とりゃぁぁぁぁぁぁ!!」という、誰かの叫び声が聞こえてきた。
あたしは背後を振り返り、驚きの声をあげる。
「何、今の声!?」
すぐに書斎から外に出る。
そして扉を開けて廊下に出ると、キョロキョロと辺りを見回してみる。
すると、目の前を、猛スピードで雑巾がけするメイドが通り抜けていった。
「え゛」
そんなメイドの姿に硬直していると、遅れて、ゆっくりと雑巾がけするメイドが目の前に現れる。
そのメイド……アネットは、あたしに視線を向けて、ニコリと微笑みを浮かべた。
「あ、お嬢様。旦那様への挨拶は終わったのですか?」
「アネット? ちょ、ちょっと待って。今目の前を通っていったのって、いったい何!?」
「それが……その……」
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
また猛スピードで、往復して目の前を通り過ぎていく金髪おさげ髪のメイド。
その光景に目を丸くしていると、アネットが引き攣った笑みを浮かべ、再び口を開く。
「クラリスさんが、その、何故か私に対抗意識を燃やしているらしく……仕事をする度に、こういう感じで、勝負を仕掛けてきまして……」
「えぇ……何よ、それ……?」
「私にもよく分かりません」
何処か疲れた様子でそう答えるアネット。
あたしは、ゆっくりと雑巾がけするアネットと、猪のように突進して雑巾がけするクラリスの姿に、訳も分からずただただ呆然と立ち尽くしてしまった。
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――――その後、クラリスは俺が仕事をする現場に現れては、勝負を仕掛けてきた。
「メイド長!! 廊下の雑巾がけ、終わりました!! 左側が私が綺麗にした箇所で、右側がアネットさんが担当している箇所です!! ご覧の通り、アネットさんはまだ雑巾がけが終わっておりません!! ですが私は最速で終わらせました!! これは間違いなく、私の方が優秀ということですよね!!」
クラリスはマグレットを呼び寄せると、そう言って自分の仕事のチェックを頼む。
マグレットはそんな彼女の様子に呆れたため息を吐くと、その場にしゃがみ込み、指で床に触れた。
そして、床に触れた人差し指を掲げ、それをクラリスへと見せる。
「クラリス。お前さんは、確かに仕事ができる方だとは思う。だけど、毎回言っているはずだ。お前さんはまだ、完璧には程遠い、と」
「え……?」
「微かにまだ埃が残っている。アネットに対抗意識を燃やすあまりに、仕事が雑になったね、クラリス」
「そ、そんな……!! だ、だったら、アネットさんはどうなんですか!? ちょっとゆっくりやりすぎなんじゃないですか!? 二階廊下の雑巾掛けのシフトは、一時間と決まっているんですよ!! 仕事の内容よりも、まずは時間厳守が何よりも大事なのでは――――」
「ふぅ」
俺は立ち上がり、バケツに雑巾を入れる。
そしてバケツを手に持って、マグレットの元へと向かった。
「次の担当フロアをやってきます」
「あぁ、頼んだよ、アネット。……見てみなさい、クラリス。アネットが仕事した箇所を」
「え……?」
「一目瞭然だろう? 仕事の差がね」
「か、輝いている……? フローリングの廊下が、大理石みたいに……? う、嘘、でしょ……!?」
驚きの声を上げ硬直するクラリス。俺はそんな彼女の横を通り過ぎ、次の仕事へと向かった。
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次の仕事は、ルイスの部屋の掃除だった。
俺は、すぐに二階にあるルイスの部屋の前へと向かう。
すると部屋の前に、クラリスの姿があった。
クラリスは俺の姿を視界に捉えると、こちらに指を差してくる。
「今度は、ルイスお坊ちゃまのお部屋掃除で勝負です!! アネットせんぱ――」
……その時。
廊下をとてとてと歩いて、こちらに向かって来る、可愛らしい少年が目の前に現れた。
「アネットー!! お部屋のお掃除してくれるのー??」
ルイスは廊下を走って来ると、勢いよく俺の胸の中に飛び込んでくる。
俺はそんな彼を抱きかかえた後、優しく声を掛けた。
「はい。今からお部屋をお掃除します。ですので、お坊ちゃまはお母様かお爺様、お婆様のお部屋に行ってくださると―――」
「ぼくも、アネットと一緒にお掃除する!」
「本当ですか? では、ご一緒にお掃除を……」
「お、お坊ちゃまに掃除させるなんてどういう神経しているんですか、アネット先輩!! お坊ちゃまがお怪我なされたら、どう責任を取るおつもりですか!!」
クラリスがそう怒鳴り声を上げる。俺はそんな彼女に対して、困ったように笑みを浮かべた。
「ルイス様は、一度決めたことは曲げない方ですので。断ると、グズッてしまわれます。ですから……なるべく彼の提案は受け入れてあげた方が良いのですよ。それと、子供の前ですので、あまり大きな声は上げないで貰えると……」
「クラリス、怖い! どっかいって!! じゃま!!!!」
「なっ――――――!!!!」
ルイスにべーっと舌を出されてあっかんべーされるクラリス。
お坊ちゃまに拒否されてしまった彼女は、その場で硬直してしまうのだった。
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ロザレナの部屋の前で、俺とクラリスは二人で立っていた。
目の前にあるのは、不機嫌そうに腕を組んで仁王立ちするロザレナの姿。
そんな彼女の姿にゴクリと唾を飲むと、クラリスは意を決して口を開いた。
「ロザレナお嬢様。お荷物整理のお手伝いを……」
「アネットに頼むから良いわ。貴方は他の仕事をしなさい」
ロザレナにそう一蹴されるクラリス。
だが彼女はめげずに、お嬢様へと果敢に挑んでいった。
「お嬢様! ぜひ貴方様に、私の仕事を見て欲しいので―――」
「二度言わせないでくれるかしら。アネットがいるから、いらない。あたし、知らない人に自分の荷物触られるの嫌なのよね」
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「こ、今度は、料理の腕で勝負です、アネット先輩!! 私は、マグレットメイド長に弟子入りしていて、それなりに料理ができる自信があります!! 今晩の夕飯で、決着を付けましょう!!」
厨房に入ると、そこにはエプロン姿のクラリスが居た。
彼女は腰に手を当て、こちらに不敵な笑みを浮かべている。
そんな彼女に引き攣った笑みを浮かべていると、厨房の奥にあるテーブル席に座って、まかないメシを食べているコルルシュカが静かに口を開いた。
「……もぐもぐ。流石にそれは無謀にも程がありますよぉ、クラリスさん」
「無能な先輩は黙っていてください!! 私は、何としてでも彼女に勝たなければならないんです!!」
「あ、あの、クラリスさん? 前から気になっていたんですが……どうしてそんなに、私に突っかかってくるのでしょうか? どうして、ロザレナお嬢様の付き人になりたいのですか?」
「そ、それは……」
何処か言いよどむ様子を見せた後、クラリスはこちらにキッと視線を向け、指を突き付ける。
「わ、私に料理の腕で勝てたら、教えてさしあげましょう!!」
第172話を読んでくださって、ありがとうございました。
また次回も楽しみにしていただけると幸いです!




