第7章 第170話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ②
《リトリシア 視点》
王都中央にある公園広場。
子供たちがボール遊びに興じる光景の中、私―――リトリシアは、噴水傍にあるベンチの上に座っていた。
私の手の中にあるのは、鞘に収まった師の形見である『青狼刀』。
その刀剣をジッと見つめた後、私は、静かに口を開いた。
「暴食の王と相対した、あの時……。瀕死の私の前に、誰かが現れた」
暴食の王に倒され、消えそうな意識の中。何者かが私を助けてくれた。
誰なのかは分からない。気を失う寸前だったため、亡き父の背中が視界に映ったようにも感じる。
だけど、そんなことはあり得ない。だって、お父さんは、確実に死んだのだから。
彼は、三十年前、私がこの手で……息の根を止めたのだから―――。
『これは、お前にやった刀だ。だからもう手放すな。ちゃんと大事に持っていろ』
「……」
意識を失う寸前に聴こえてきた、あの声。
何故か懐かしさを感じる声なのに、一度も聞いたことが無い少女の声。
……あれは、いったい……何だったのだろうか……?
あの後、いったい誰が、暴食の王を倒したのだろうか?
先日の戦闘は、未だに、多くの疑問が残っている。
世間では【剣王】アレフレッド・ロックベルトが災厄級を倒したとされているが……そんなはずがない。
あの怪物は【剣王】程度がマグレで勝てる程の、生半可なものではないのは明らかだからだ。
それこそ……世界最強の剣士であった父でなければ倒せない、強大で邪悪な相手。
あの化け物は、王国……いや、世界の国々を滅亡させる可能性を持っていた存在だったことは間違いない。
「ねーねー、これって何ー?」
声が聴こえてきた前方へと、視線を向けてみる。
するとそこには、古ぼけた銅像を囲む子供たちの姿があった。
ボールを両手に持った少女の疑問の声に、隣に立ったヤンチャそうな少年が言葉を返す。
「知らない。そんなことよりも、早く、ボール投げしようぜ!」
「この像、何でこんなに苔むして、手入れされてないんだろう? 何か可哀想じゃない?」
「剣を持っているから、多分、昔の剣聖さまなんじゃないのかな?」
「おーい、二人とも、早くこっち来いよー!」
「あ、うん!」
三人の少年少女たちは再びボール遊びをし始める。
私はその光景を見つめた後、小さくため息を溢した。
「どんな偉業を成した者でも、人々が語り継ぐのをやめれば、その存在は民の記憶の中から消えていくものなのですね……」
森妖精族という種族は本来、他種族を嫌悪し、遠ざける傾向があるとされている。
世界で《人》と区分される四種属人族、獣人族、鉱山族、森妖精族。
その中でも森妖精族は原初の種族とされており、古来、大森林に住んでいた森妖精族が外界に出て、三種族に進化し、人族、獣人族、鉱山族に分岐したと言われている。
故に、森妖精族は誇り高く、自分たちが高貴な種族だと考え、他種族を見下す傾向が強い。
まぁ……これは全部、亡くなった母の受け入りなので、本当の森妖精族たちがどのような性格をしているかは定かではないのだが。
私は物心付いたばかりの幼い頃に人族が支配するこの国にやってきたので、本当のところ、自分の種族についてまったくと言って良いほど知らないのだ。
同族の知り合いと言えば、同じ血が流れている可能性がある半・森妖精族のジェネディクトだけ。
人族の国の中で生きてきた特異な森妖精族、それが、私なのである。
「だけど、何となく……森妖精族が他種族を遠ざける理由は、分からなくもないですね」
人族の中で生きる私だからこそ分かる。
長命な森妖精族の時間の中では、人族の生というのは、あまりにも一瞬すぎるからだ。
これでは友人を作っても、すぐに別れがきてしまうだろう。
森妖族続は同種の中だけでコミュニティを築くと聞く。
それは、森妖精族にとって、理にかなった生き方なのかもしれない。
「こんなところで黄昏ておったのか、お主は」
その時。隣のベンチに、杖を突いた一人の老人が座った。
その老人は、片腕を亡くした父の兄弟子、ハインライン殿だった。
私は驚きつつも、彼に対して声を掛ける。
「ハインライン殿? もう退院されて平気なのですか?」
「当たり前じゃ。このワシを誰だと思っておる? 腕の一本無くしたところで、どうってことはないわい」
そう言ってカカカッと笑い声を溢すと、ハインライン殿はこちらにチラリと視線を向けてくる。
「リトリシア。ワシは今日をもって正式に【剣神】を引退する。そういえば、ルティカの奴もだったかな。ハッハッハッ! この夏、【剣神】の座を狙って、王国の剣士たちは荒れるに荒れると思うぞい!」
「……正直に言いますと、今の王国でハインライン殿の代わりとなれる剣士がいるのか、私には疑問です」
「ワシももう歳じゃ。先の災厄級との戦いでそれは身に染みたわい。それに……ワシがいなくても、まだ、【剣神】の座にはジャストラムの奴がおる。性格に難のある奴じゃが、実力は折り紙つきじゃ。何かあったら、奴を頼ると良い」
「ジャストラム・グリムガルド……ですか。できれば、会いたくはないものですね。私が知らない頃の父を知る女性というだけで、虫唾が奔ります」
「お前という奴は……相変わらずのファザコンぶりじゃのう……」
そう口にし、呆れたように肩を竦めるハインライン殿。
私はそんな彼に対して、真剣な表情を浮かべて開口した。
「ハインライン殿。私は、もっと強くならなければなりません。先日の暴食の王との戦いで、私は……己の未熟さを痛感しました。父から受け継いだこの刀を抜けないばかりか、犯罪者であるジェネディクトにも遅れを取るとは……【剣聖】として恥ずべき結果です」
「……」
「偉大なる父の兄弟子であったハインライン殿にお聞きします。私は、どうすれば今以上に強くなれるのでしょうか? 日々の鍛錬を怠ったわけではありません。ですが……私は何年経っても己の剣が進化したようには感じられません。これが私の限界、なのでしょうか……?」
「ワシはお前の師ではない。お前さんの師匠は、お前に対して何を言ったのかのう? それを思い出してみると良い」
「お父さんが、私に言ったこと……ですか」
「さて。今日は騎士学校に通っていた孫娘が、夏季休暇で久しぶりに道場に帰ってくるのじゃ。帰って歓迎会の準備をせねばならん。お主も暇だったら今日の夜、うちに来ると良い。それじゃあの」
ハインライン殿はそう言い残すと、席を立ち、去って行った。
私は顎に手を当て、思考を巡らせる。
そして、過去に父に言われた言葉を思い出した。
『――――――リティ。俺を追いかけるのはやめろ。お前にはお前の剣がある』
私の、剣……。
私の剣とはいったい、何なのですか? お父さん……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……」
「――――メイド長~? 門のところをずっと見つめてボーッとしていますが、どうかしたんですかぁ~?」
中庭で箒を掃くメイド……コルルシュカは、目の前に立つ老婆へとそう声を掛ける。
そんな彼女に対してメイド長のマグレットは振り返ると、コホンと咳払いをし、口を開いた。
「別に、ボーッとなどしていないよ、コルルシュカ。そんなことよりも……無駄な会話は止めて、掃除に集中なさい。見てみなさい。クラリスは貴方よりも新人なのに、既にたくさんの仕事を覚えていますよ」
そう言ってマグレットは、中庭で物干し竿から洗濯物を取り込む少女へと視線を向ける。
そして、再び背後にいるコルルシュカへと視線を向けると、呆れたように肩を竦めた。
「本当、どうして貴方は一向に仕事を覚えられないのですかね。厳しいことを言うようですが、貴方は、あまりメイドには向いていないように思います。不器用ですし……はっきり言って、メイドとしての素質は皆無に等しいです。他のお仕事を探した方が良いと思いますよ」
「……」
マグレットのその厳しい言葉に、コルルシュカは肩をピクリと震わせる。
そして……一拍置いた後、彼女は静かに開口した。
「……そんなことは、昔から分かっていますよ。私はエリーシュアとは違って、メイドとしての素養がない出来損ないですから。ですが……私は、何としてでも立派なメイドにならなければならないのです。どんな努力をしてでも……メイドで在り続ける。私は、あの御方の専属メイドなのですから」
「え?」
突如雰囲気が変わったコルルシュカのその姿に、マグレットは思わず動揺の声を溢す。
しかしコルルシュカはすぐに元の明るい口調に戻り、開口した。
「なんでもないですよぉう~。さぁて、お掃除頑張りましょぉうかぁ~。箒、掃き掃き~」
「コルルシュカ、貴方、もしかして……」
「? どうかしましたかぁ、メイド長~?」
「…………好きな人でもいるのかい?」
「……んへ?」
コルルシュカは硬直すると、マグレットへと無表情の顔を向ける。
そんな彼女に対して、マグレットはニヤリと笑みを浮かべた。
「そうなんだね、ふーん? だから、メイドで在り続けなければならない。そうなんだろう?」
「……あ、あの、メイド長ぉ……?」
「だったら貴方は、もう少し女性らしさを身に着けた方が良いかね。家事くらいまともにできねば、想い人に振り向いてもらえないからね。よし、だったらこの私がビシバシと鍛えてあげようじゃないか!」
「え、えぇ……? ちょっと、これ以上のビシバシは勘弁して欲しいですよぉう~」
「好きな人、いるんだろう? だったら、その方の妻となり、尽くす自分を思い浮かべてみなさい。そうすれば自ずと家事もできるようになり――――」
「コ、コココ、コルルが、アネット様の妻にぃぃ!?!? ぶはっ!! や、やばい、鼻血が出てきてしまいました……っっ!! な、何てことを想像させるんですか、メイド長ぉっ!!!! 流石にエッチすぎますよぉぉッッ!!!!!!」
「は? な、何故、そこでアネットが出てくるんだい? は、鼻血を拭きなさい!! はしたない!!」
マグレットはエプロンのポケットからハンカチを取り出すと、それを使ってコルルシュカの鼻血を拭う。
そんな彼女たちに、新人メイドのクラリスは声を掛けた。
「メイド長。洗濯物を取り込み終えました」
「ご苦労様」
「さっき、アネットさんの話が聴こえたんですが……その、アネット先輩、は、どういう方なのですか? 次期メイド長なんですよね、その人」
「あぁ、そうだね。クラリスはアネットが抜けた後に、人手不足で入ったメイドだからね。お前さんがアネットを知らないのも当然か」
マグレットはコルルシュカの鼻血を吹き終えると、ニコリと、クラリスへと微笑みを向ける。
クラリスはというと、二人の前に立った後、逆に顔を曇らせた。
「正直……不安があります。メイド長の御孫さんなのは分かりますが、その方、ちゃんと御屋敷のお仕事ができる方なのですか? ただでさえ私とメイド長でこの御屋敷の仕事をギリギリで回しているのに……別の誰かが入って、このサイクルが崩れるようなことがあれば、日々の業務に支障をきたす恐れがあると思うのですが」
「いや、何で素でコルルのことを省くんですかぁ、クラリスさぁん~? この御屋敷には、貴方の先輩がもう一人、いますよねぇ~?」
「無能な先輩は黙っていてください。とにかく、もうすぐお嬢様と共に帰ってくるというアネット先輩が私の上司に付くこと、不安があるんです。私、自分よりも能力が無い人を尊敬できませんので!」
そう言って目を伏せ、口をへの字にする金髪おさげ髪のメイド、クラリス。
そんな彼女の姿を見た後、マグレットとコルルシュカはお互いの顔を見合わせ、クスリと笑みを溢した。
「? 何ですか? 二人して、馬鹿にするように笑って?」
「いいや、何でもないよ。アネットが自分の上司に相応しいかは、自分の目で判断すると良いさ」
「ですねぇ~。コルル的にはぁ、『何だこの生意気なメスガキは、早くアネットお嬢……先輩の威光の前で分からせてやりたい』、というのが本音ですかねぇ~。はっきりいって、今後の展開が目に浮かぶようで楽しみですぅ~、ぷくくく~」
「言っている意味が分かりません。コルルシュカ先輩のそういう変なところ、私、本当に嫌いです」
ぷいっと顔を横に背けるクラリス。
その時―――門の向こう側で、馬の嘶き声が聴こえてきた。
その音を聴いたマグレットは、コルルシュカとクラリスに視線を向ける。
「お嬢様が到着なされたよ。コルルシュカは分かっているだろうが……クラリス。ロザレナお嬢様は少しだけ、気性が荒い御方だからね。絶対に、あの方の前でアネットを貶すようなことを言ってはいけないよ」
「? 畏まりました?」
曖昧に頷くクラリスを確認した後、マグレットは門に向けて歩みを進めて行く。
「さぁ、お出迎えにいくよ、二人とも。お嬢様が夏季休暇をご快適に過ごせるよう、心を込めて、尽くすように」
「はい!」「はぁい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「着いたわ! レティキュラータスの御屋敷! うーん、三か月ぶりなのに、すっごく久しぶりに感じるわね!」
ロザレナは馬車から降りるとうーんと腕を伸ばす。
そんな彼女の後に馬車から降りて、旅行鞄を地面に置くと、俺はふぅと短く息を吐いた。
「王都から三時間程馬車に乗っていましたが……狭い場所に長時間座っていると、肩が凝って仕方ありませんね。少々、疲れました」
グリグリと肩を回していると、隣からロザレナがいたずらっぽく笑みを向けてくる。
「さて、夏休みよ、夏休み! アネット! さっそく御屋敷に戻って、夏休みの計画を練りましょう!! 一緒に遊び倒すわよ~~!!!!」
「まったく……ついこの前まで生死の境を彷徨っていた人とは思えない発言ですね。ん……?」
背後にある馬車が去った後。すぐに、門の前に三人のメイドが姿を現した。
ん? 三人……? 一人、知らない顔がいるな?
「おかえりなさいませ、ロザレナお嬢様」
「おかえりなさいませ~」「おかえりなさいませ」
深く頭を下げるマグレットと、コルルシュカ……と、知らない顔の金髪のメイド。
三人はお辞儀をした後、顔を上げ、俺たち主従に微笑みを向けてくる。
そんなメイドたちにロザレナは口を開いた。
「マグレットさん! コルルシュカも! ん……? 貴方は誰かしら?」
ロザレナもそこに知らない人物が居ることに気が付いたのか、金髪のメイドへと視線を向ける。
すると、金髪おさげの少女は、ロザレナに対してカーテシーの礼を取った。
「初めまして、ロザレナお嬢様。四月からレティキュラータス家にメイドとしてお仕えすることになりました、クラリス・フローラムと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「え? 新しいメイド? 新しいメイドを雇えるくらいの貯蓄、うちにあったの!?」
その疑問の声に、マグレットは微笑みを浮かべて答える。
「フフッ、お嬢様が決闘でご勝利なされたおかげで、先代ご当主さまにお金が入りましたので。メイドを一人雇う余裕ができたんですよ」
「あ、そっか。ルナティエから奪ったお金か。なるほどなるほど」
「奪ったお金って……言い方、何とかしてください、お嬢様」
ロザレナのその言動に呆れたため息を吐いていると、クラリスが口を開いた。
「……ロザレナお嬢様。ひとつ、よろしいでしょうか?」
「ん? 貴方、クラリスとか言ったっけ? 何かしら?」
クラリスと名乗った少女は、突如、ロザレナの隣に立つ俺に鋭い目を向けてきた。
そして、大きく声を張り上げる。
「お嬢様、お願いがございます。もし、私がそこにいるアネット先輩よりも優秀だったら……私を貴方様の専属メイドにしてはもらえないでしょうか!!」
「え?」「……はい?」
その言葉に、俺とロザレナは同時に、呆けた声を漏らしてしまった。
第170話を読んでくださって、ありがとうございました。
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