第158話 元剣聖のメイドのおっさん、お嬢様をエスコートすることになる。
《ロザレナ視点》
「うぇぇ……にっがーい……あたしやっぱりこの薬、苦手~……うーん、アネットが見ていないうちに、どこかに捨てちゃおうかしら? よし。もう一回だけ挑戦してみて、駄目だったら、三階の窓から―――」
「お嬢様!! ドレスを着ましょう!! ドレスを!!」
「ブフォッ!?」
「? お嬢様……?」
勢いよく扉を開けて部屋に入ると、何故かそこには顔面緑色の液体まみれのロザレナの姿があった。
そんな彼女の姿に首を傾げていると、ロザレナがこちらにジト目を向けてくる。
「アネット……部屋に入る時はノックをしてちょうだい、ノックを」
「あ、はい。失礼しました……それで、その御姿は、どのような経緯で……?」
「あ、貴方が急に入ってくるからびっくりしてお薬吹き出しちゃったの!! こうなったのは、全部、貴方のせいなんだから!! は、反省しなさい!!」
「……ふむ。窓が開いていますね。もしかして、どこかにお薬を捨てようとなさ―――」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! そ、そんなことより、ドレスって何!? 何の話なわけ!?」
手をバタバタと動かし、慌て始めるロザレナ。
俺は分かりやすすぎる主人の姿に呆れたため息を溢した後、クローゼットからバスタオルを取り出し、ベッドへと近付いて行った。
そしてロザレナの顔に付いた薬をゴシゴシと拭い取りながら、口を開く。
「先ほど、ルナティエお嬢様とオリヴィアが、ドレスを着ていらしゃったのを確認したのです。ですから……病み上がりのお嬢様には大変申し訳ないのですが、御家の権威を示すためにも、パーティー会場には正装して臨んだ方がよろしいかと、そう思いまして」
「えー? そういうの別にどうでもよくないー? あたし、ドレスとか着慣れてないから何かやだー」
「良いですか、お嬢様。いずれお嬢様はレティキュラータス家のご息女として、社交界デビューなされるのです。後継ぎはルイス様でしょうが、ルイス様はまだ幼い身。当面はお父様とお嬢さまが、私たちの御家のお顔になられるのですよ?」
「……むー」
「ですから私は今日のような日を利用して、お嬢様には貴族の礼節を学んでもらいたいのです。どうかご理解ください」
「なーんか、アネットってば、そういうところマグレットさんに似てきたわね~。ね、よく考えてみてよ、アネット。このあたしが社交界デビューなんてできると思う? あたし、未だにナイフとフォークの正しい使い方も分かっていないのよ? お肉をそのままかぶりついて食べる女のあたしが、そんなお堅い場所なんて出れるとは思わないわ」
「……お嬢様。いつまでもそのような状態ではいられませんよ。貴方様は貴族、なのですから」
「むむ、今日はやけに頑なねぇ……貴方、どうしてそこまであたしにドレスを着せたいわけ? ……って、あっ! そ、そういうことね、な、なるほどなるほど……アネットは、あ、あたしのドレス姿を見たいわけね。ふ、ふーん」
伸びてきた後ろ髪を触り、ロザレナは頬を真っ赤に染める。
……正直に言うと、確かに、ロザレナのドレス姿を見てみたい気持ちがある。
お嬢様は入学早々、ルナティエとの決闘の時に髪をバッサリと切られたが……今は、セミロングと言っても良いくらい、髪の毛が伸びてきている。
ショートも似合っていたが、今のお嬢様も相当に可愛らしい御姿だ。
普段は服などまるで気にせず、ガサツで蓮っ葉なお嬢様だが……この人は、素材自体は素晴らしいものだ。
せっかくの若い時代、それも女性なのだから、勿体ない。
お嬢様にはぜひご自分がいかにお美しいのかを理解して、綺麗に着飾って欲しい。
というか……彼女のメイドとしては、主人が磨けばどれだけ光るのかを衆目に知らしめてやりたさがあるのが、俺の本音だな。
いや、普段も可愛いのだけれど、お嬢様は化粧とかしないし……ベッドの上でお菓子を食べるし、裸同然の姿で眠るし、部屋に脱ぎっぱなしの衣服を置いたままにするし……で……普段の言動からしてね、うん、大分マイナスになっていると思うのだ。
オッサンメイドにこれだけボロクソ言われているお嬢様が、少し、可哀想になってきます。まる。
「……アネット? 何か、あたしに対して失礼なこと考えてない?」
「いいえ。お嬢様は着飾ればもっとお美しくなられるのに、何でいつも裸族なのだろうと、そう、不思議に思っていただけですよ」
「裸族じゃないわよ!! ちゃんと下着、履いてるから!! というか部屋の中以外では服脱いでないでしょっ!! 人を変態みたいに呼ばないでよ、もうっ!!」
ロザレナはそう怒鳴った後、はぁと大きくため息を溢す。
そして、そっぽを向き、唇を尖らせながら開口した。
「……分かったわ。アネットがどーしてもあたしのドレスを見たいと言うのなら……着てあげる。その代わり、条件があるわ」
「条件……ですか?」
「あ、あたしを……エスコートしなさい、アネット!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……うぅぅ……お姉さま……いったい何処へ行かれたのですかぁ……シクシク……」
食堂のソファーに座り、俯くベアトリックス。
そんな彼女に、ヒルデガルトは子供をあやすような口調で開口した。
「まーまー、ベアトリッちゃん、落ち着いて、ね? アネットっちもきっと何か用事があって―――」
「!! そうですよね、ヒルデガルトさん!! アネットお姉さまが私を無視されるはずがない!! お姉さまは、妹分である私を誰よりも可愛いと思ってくれていますから!!!! 私のこと、大好きなはずですから!!!!」
「うぉ、復活早いな……そして、思い込みが激しいな、ベアトリッちゃん……」
「ベアトリックス隊長はクール系美少女かと思っていましたが……実はかなりの重い女、なのでありますね、ヒルダお嬢様。ボリボリ……」
「ミホッち、エッジの利いた言葉やめてあげて。というかあんた何食ってんの? それ」
「スライスしたジャガイモの、ポテトであります。お腹ペコペコなので、つまみ食いしたであります」
「いや、パーティー始まる前にやめなよ……みっともないから……」
自分のメイド、ミフォーリアのその行動に、大きくため息を吐くヒルデガルト。
そんな彼女の元に、オリヴィアは近付き、声を掛けた。
「あの……ダースウェリン家の、ヒルデガルトさん……ですよね?」
「え? あっ……オリヴィアお嬢様!」
ヒルデガルトは急いで佇まいを正し、ヒルデガルトへと深く頭を下げる。
そんな彼女に、オリヴィアは慌てた様子で再び開口した。
「や、やめてください、ヒルデガルトさん! 頭を上げてください!」
「滅相もないッス!! あーしたちダースウェリン家は、バルトシュタイン家の分家す―――むごぉっ!?」
オリヴィアはヒルデガルトの口を押さえ、ゼェゼェと荒く息を吐くと、小声で声を発した。
「あの! そのことは、この場では話さないで欲しいんです!! 私、自分の家のこと、隠しているので……!!」
「りょ、了解ッス!! てか、ち、力、す、凄いッスね……首がギギギッって、なったッス……」
「あ、あぁぁ、ご、ごめんなさい!!」
オリヴィアはヒルデガルトから手を離すと、あわあわと、慌てふためき出す。
そんな彼女を見て、ヒルデガルトはクスリと、笑みを溢した。
「バルトシュタイン家って、もっと怖い人ばかりのイメージあったんスっけど、オリヴィアお嬢さ……オリヴィア先輩は、そんなことないんスね。ちょっと意外でしたッス」
「あの……ダースウェリン家は、先月の兄が起こした騒動で随分と荒れていたみたいですが……ヒルデガルトさんの方は、その、大丈夫でしたか?」
「平気ッス。むしろ、あーしの父上様は喜んでいましたよ。兄のボッサスの代が終わって、今度は弟である自分が新しいダースウェリン家の当主に選ばれることになった、って。まぁ……従兄弟のアルファルドは、学校も辞めさせられて、散々な目に遭っているんでしょうがね。あーしたち分家の分家は、そこまでダメージは負ってないッス」
「従兄弟さんとは……仲良かったんですか?」
「ぜーんぜん。むしろ、あーしの大事な友達を傷付けたあいつは、絶対に許せなかったッスから。せいせいしたッス」
そう口にして、ヒルデガルトはチラリと、背後のソファーで座るベアトリックスへと視線を向ける。
ベアトリックスは仏頂面のままフンと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
彼女の耳が紅くなっているのを確認すると、ヒルデガルトは笑みを浮かべ、前へと振り返る。
「まぁ、今日は御家の事情は抜きで楽しみましょうよ、オリヴィア先輩」
「はい! 楽しみましょう、ヒルデガルトさん!」
お互いに笑みを交わし、雑談を始める二人。
ベアトリックスは仲睦まじい様子の二人を見つめると、静かに席を立つ。
そんな彼女に、ミフォーリアは首を傾げ、声を掛けた。
「どこ行くでありますか? ベアトリックス隊長」
「トイレです。パーティーが始まる前に、行っておこうかと思いまして」
「そうでありますか。行ってらっしゃいでありますー! 某は、もう少しつまみ食いをしてき――――」
「ほう、この暖炉は素晴らしい造形をしているな!! 王国中期時代のデザインか? む、このテーブルも、実に良い造りをしている!! マホガニー材を使用して作られているのか……ふむふむ」
「シュ、シュタイナーくん、何か目立ってます!! 恥ずかしいのでやめてください!!」
食堂の家財を物色して感嘆の息を溢すシュタイナーと、それを止めようとしているルーク。
その二人の姿を確認すると、ミフォーリアは苦無を手に走っていった。
「こらー! 男子ども!! 大人しくパーティー開始まで待つこともできないでありますかー!!! ……もぐもぐもぐ」
「ミフォーリア女史!? 君もつまみ食いしているではないか!? 人のことが言えるのかね!?」
「問答無用、であります!! とりゃああああっ!!!!」
騒がしい魔法兵部隊の隊員たち。そんな彼らの姿に優しい微笑を浮かべると、ベアトリックスは食堂の外へと向かって歩き出した。
ドアを開け、外へと出ようとした……その瞬間。
ベアトリックスは、入り口で、ある人物と鉢合わせする。
「え?」「……む?」
赤褐色のマフラーを巻いた、左目を前髪で隠した少年。
そこにいたのは、ベアトリックスによく似た鋭い目つきに、長い睫毛、群青色の瞳の上級生だった。
その予期せぬ出会いに、ベアトリックスは思わず、唇を震わせてしまった。
「グ、グレイレウス、にいさ―――」
「貴様は……誰だ? 何故、オレの名前を知っている?」
その言葉に、ベアトリックスはゴクリと唾を飲み込む。
そして、小さく息を吐いた後。ベアトリックスは平静を取り戻し、静かに口を開いた。
「私は、ベアトリックス・レフシア・ジャスメリーと申します。アネットさんやロザレナさん、ルナティエさんと同じ一期生黒狼クラスに属しています。以後、お見知りおきを」
「……ジャスメリー、だと?」
ベアトリックスの名前を聞いた途端に、グレイレウスは不快気に眉間に皺を寄せる。
そんな彼の姿に、ベアトリックスは「へぇ」と言葉を漏らした。
「その反応を見るに……知っていたのですか? ご自分の出生を」
「当然だ。オレがジャスメリー家の嫡子であることは、亡き姉から聞かされていたからな。無論、オレたちを捨てた母と、父に選ばれて家に残った、生き別れの妹の存在も把握している」
「亡き、姉……オレたちを捨てた、母……ですか」
「ひとつ、質問させてもらおう。ベアトリックス、何故、貴様がここにいる? お前は帝国にいるものだと思っていたのだが?」
「私と母も……捨てられたのです。ジャスメリー家当主である、父の手によって」
「フン。滑稽なものだな。オレたち姉弟を捨てたあのろくでなしの母も、まさか、同じような目に遭っていたとはな」
「……ッ!! そんな言い方、しないでください!! お母さまは、本当は、ファレンシア姉さまもグレイレウス兄さまのことも、捨てたくはなかったんですよっ……!! いつも、お母さまは言っていました!! また二人に会いたい、って……!! 二人のことを心から想っていらっしゃったのですよ!! あの御方は!!」
「……」
「お母さまは今、王国にいます!! ですから、会いに行ってあげてください、お兄様!! お母さまは、死に化粧の根を服用して、寝た切りの状態になっているので――――――」
「俺と姉さんを、兄や姉と呼ぶな!! ジャスメリー家の娘!!!!」
グレイレウスのその叫び声に、ベアトリックスの肩がビクリと震える。
食堂の和やかな空気が一瞬にして凍り付き、皆、一斉にグレイレウスとベアトリックスへと視線を向けるのだった。
「わ、私とお母さまは、お兄さまの敵ではありません!! 私たちはもう、ジャスメリー家とは関係はないのですよ!!!!」
「それ以上、その口から戯言を発する気なら……斬るぞ」
剣の柄に手を当て、グレイレウスは腰を低くし、戦闘態勢を取る。
その姿を見て、オリヴィアとヒルデガルトは慌てて二人の元に近寄ろうとした。
「ちょ、ちょっと、グレイくん、何やってるんですか!?」
「ベアトリッちゃん、ど、どうしたの、いったい!? そこのイケメンくんと何かトラブッた!?」
「お、お兄さま!! 私は……!!」
「……」
張り詰めた、剣呑な空気が辺りに立ち込める。
―――――その時。グレイレウスの背後から、ある人物の声が聴こえて来た。
オリヴィアは、アネットが来たのだと思い、顔に安堵の表情を浮かべた。
だが……。
「ふぅ~~。お風呂、勝手に使わせてもらいましたが、気持ちよかったですぅ~~。ん? あれ、そこにいるのは……変態マフラー男じゃないですか~。ちょっと、ドアの前で邪魔ですよぉう。退いてくださいですぅ!」
ミレーナはグレイレウスの背中をグイグイと押し退けると、隙間を潜り、食堂へと入っていく。
彼女は張り詰めた食堂の空気など我関せず。ミレーナはそのままアンナたちの元へと歩いて行くのだった。
「アンナちゃん、ここのお風呂、おっきくてとっても気持ちよかったですよぉう~。うちも王都の安アパートから引っ越して、満月亭の寮に住もうかな~。あっ、でも、貴族じゃないと入寮できないんでしたっけ~?」
「……ミレーナ、あんた……本当に空気が読めないわね……」
「へ? 何のことですぅ?」
キョトンとするミレーナに、引き攣った笑みを浮かべるアンナ。
そんな二人を他所に、グレイレウスとベアトリックスの睨み合いは続く。
「まったく……面倒くさい二人ですわね……」
その空気にやれやれと肩を竦め、一人の人物が声を上げた。
その人物は……ルナティエであった。
ルナティエはパタンと本を閉じ、ソファーから立ち上がると、ツカツカと足音を鳴らしてベアトリックスたちの元へと歩いて行く。
そして、おろおろとするオリヴィアの肩をポンと叩くと、優雅な所作で口を開いた。
「ここはお任せなさい、オリヴィア。貴族の中の貴族であるわたくしが、華麗に仲裁してみせますわぁ」
「ル、ルナティエちゃん? 何を……?」
ルナティエはオリヴィアの横を通り過ぎ、グレイレウスとベアトリックスの前に立つ。
そして、胸に手を当て、大きく高笑いを上げた。
「オーホッホッホッホッホッホッ!! 泣き虫グレイレウス、ベアトリックスさん!! 今宵は宴の夜でしってよ!! 無粋な争いはマナー違反ですわぁ!!!! このわたくしの威光にひれ伏し、剣から手を離しなさぁい!! オーホッホッホッホッホッ!!!!」
「黙れクズ女!」「黙ってください、ルナティエさん!」
同時に言葉を投げられ、ルナティエは眉間に青筋を立てる。
そして、二人へと手のひらを伸ばし、叫び声を上げた。
「だ、黙れですってぇ!? ムカツキますわね!! で、でしたら、わたくしも参戦してやりますわぁ!! 貴方たちの頭に大量の水をぶっかけてやりますわぁ!!!! むきぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!」
「ちょっ、食堂で魔法を使用するのはやめてください、ルナティエちゃん!!」
オリヴィアに両肩を押さえられ、後方へと引き戻されるルナティエ。
その光景を見て、誰もが、グレイレウスとベアトリックスの諍いを止めることはできないと、そう確信した―――――その時。
グレイレウスの背後にある廊下から、ある人物たちの声が聴こえて来た。
「……お嬢様、そんなにくっつかないでください。歩きにくいです」
「う、うるっさいわねぇ!! あたしだってこんなお洋服、着慣れてないから足元が覚束ないのよ!! スカート、踏みそうになっちゃうし!!」
「だからといって、私の腕を抱きすぎなんじゃ……そ、その、胸が……い、いえ、何でもありません」
その声が耳に入ってきた途端、グレイレウスとベアトリックスは肩をピクリと動かす。
そして、先ほどまでの緊張した面持ちが嘘のように満面の笑みへと変わり――――二人は同時に廊下の奥へと視線を向け、声を発した。
「師匠!? いらっしゃったのですね!!」「お姉さま!? どこですか!?」
鋭い目つきのまま笑みを浮かべる二人のその姿は――――よく似た顔付きをしているのであった。
第158話を読んでくださって、ありがとうございました。
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