第155話 元剣聖のメイドのおっさん、日常に戻る。
――――翌日。早朝午前七時。
俺は姿見の前でブラシ掛けを終えると、テーブルの上にあるリボンを手に取った。
そして慣れた手つきで髪をひとつに結び、ポニーテールの形へと変える。
赤いリボンでギュッと結び終えると、姿見に映るのはメイド服を着たいつもの自分の姿。
先日の大森林での冒険が嘘のように、そこには、どこにでもいる平凡なメイドの少女の姿があった。
「よし」
パチンと頬を叩いて、部屋の外へと出る。
するとそこには、左目を長い前髪で隠したマフラー男……グレイレウスの姿があった。
グレイレウスは俺の姿を確認するや否や、頭を深く下げ、お辞儀をしてくる。
「おはようございます、師匠!」
そう言って顔を上げると、目をキラキラと輝かせてこちらを見つめてくるマフラー野郎。
俺はそんな奴に対して、思わず大きなため息を溢してしまった。
「グレイ……いい加減、その朝の挨拶やめてくれないか? というか、この前まで一階の階段下で待機して挨拶してきたのに、何で今日は部屋の前まで来ていやがるんだ……この階、一応、男子禁制の女子寮なんだけどな……」
「師匠。このグレイレウス、日頃より貴方様を尊敬しておりますが、先日の旅で、ますます師への尊敬値が高まりまして……。やはり、弟子としては、偉大なる師への毎朝のご挨拶は必要不可欠ではないかと、そう思った次第なのです!! ですから今日は二時間程前からお部屋の前で待機しておりました!!」
「……いや、あの、そういうの良いから……それよりもここ、女子りょ―――」
「師匠! こちらの新聞をご覧ください!!」
俺の言葉を遮り、グレイレウスが俺へと一枚の新聞を差し出してくる。
呆れた笑みを浮かべながらそれを受け取ると、そこには、先日起こった災厄級の一件が書かれていた。
見出しには大きく剣王アレフレッドの名前と写真がでかでかと載っており、大森林で起こった剣聖、剣神の戦いについての記事が、事細かに記載されている。
……ふむ。見たところ、俺の名前はどこにも載っていないな。
エステルたちがちゃんと、事後処理をしてくれたようで何よりだ。
「フッフッフッ。師匠、オレには全て分かっていますよ。災厄級の魔物を倒したのは、アレフレッドなどではない……本当の英雄は、貴方様―――【箒剣】アネット・イークウェス様、なのですよね!!!!」
グレイレウスは両手の拳を握りしめると、鼻息荒く、興奮した様子でそう俺に声を掛けてくる。
俺は奴に新聞を返した後、引き攣った笑みを浮かべながら口を開いた。
「いや……前から思っていたんだけど、お前のその【箒剣】って何なの……?」
「アネット師匠ほどの御方が、剣の二つ名が無いのもおかしいかと思いまして!! 勝手ながら、自分が命名させていただきました!! 【箒剣】流派、門下生、二番弟子のグレイレウス……フハハハハハ!! 素晴らしい響きです!!」
「もう、俺にはお前のその暴走が止められないよ……グレイ」
本日二度目の大きなため息を溢す。そして俺はグレイレウスへと、ジト目を向けた。
「お前、分かってるとは思うが、災厄級の魔物を倒したのが俺だとか言いふらすんじゃねぇぞ? せっかくエステルやジェネディクトの奴が事後処理してくれたのが、全部水の泡に帰るからな。あと、学校では師匠と呼ぶな。俺は、今後もクラス間の戦いなどに参加する気は一切ないからな。目立ちたくないんだ。分かったな?」
「前者は了解しました。ですが……後者の、名称の件は承諾しかねます。オレは、大恩ある師匠を、敬称なしで呼び捨てなどできません。流石に不敬すぎて、オレの中のオレが、オレを許容できずに怒り心頭になりますので」
「オレの中のオレって何だよ……意味が分からん……。まぁ、良いや。とにかく、外で必要以上に俺を持ち上げるな。俺は以前の通り、単なるメイドとして振る舞って行く。お前もそのつもりでいろ」
「承知いたしました! 師匠!」
再び深く頭を下げてくるグレイレウス。俺はそんな奴の横を無視して通り過ぎ、ロザレナの部屋の前に立った。
そしてコンコンとノックをして、扉の前から声を掛ける。
「お嬢様、朝ですよ。お目覚めでしょうか?」
そう声を発してみるが、無反応。
俺は背後を振り返り、グレイレウスにシッシッと手を振る。
「おい、お嬢様の部屋に入るから、てめぇはどっか行ってろ」
「はっ!! では、一階で待機しております!! 失礼致します!!」
グレイレウスはそのまま廊下の奥へと進んで行き、階段を降りて行った。
俺はそんな奴の姿を見送った後、扉を開け、部屋へと足を踏み入れる。
「お嬢様? 失礼しますよ~……って、はぁ……またこれか……」
部屋に入ると、ベッドの上で下着姿になり、大の字状態で眠るお嬢様の姿が目に入って来た。
毛布や衣服などは全て床へと落ちており、テーブルの上には、昨日ヒルデガルトから貰った食べ掛けのクッキーが乗った皿がある。
なんとも、まぁ……ついこの前まで病気で死にかけた人間とは思えない様相だな。
昔からお嬢様の寝相は悪く、部屋を散らかしがちな性格なのは理解していたが、まさか病み上がりでもこの惨状を造り出すとはな……豪胆と言って良いのか、何というか。
貴族の令嬢として、はしたないことこの上ないのが、本音だ。
「お嬢様は今度、時間があったらルナティエお嬢様から淑女としての振る舞いを学ばれた方がよろしいかもしれませんね。裸族じゃないんですから……せめて寝る時くらいは服着てくださいよ……。病気、ぶり返しちゃいますよ……」
俺はそう愚痴を溢した後、お嬢様の肩を掴み、ゆすった。
するとロザレナはうぅぅと呻き声を上げて、ぼんやりと目を開けるのだった。
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時計塔、三階。迎館ホール。
壇上に上がった学園長総帥ゴーヴェン・ウォルツ・バルトシュタインは、全校生徒を見渡すと、微笑を浮かべ口を開いた。
『――――これより、終業式を始める』
その言葉に、総勢400名程の1~4期生の生徒たちは、一斉に礼をする。
そして、皆一様に、真剣な面持ちでゴーヴェンを見つめ始めた。
そんな彼らの姿にコクリと頷くと、ゴーヴェンは声量を上げるマイク型の魔道具を手に取り、続けて開口する。
『諸君、一学期はどうだったかね? 恐らくこの中では既に退学してしまった者、対抗戦で敗北を喫してしまたものなど、敗者が産まれてしまっていることだろう。だが、喜びたまえ。それが弱肉強食であるこの世の摂理、勝者と敗者の選別である。勝者は笑い、敗者は惨めな生を送る。この世界は、実にシンプルに作られているものなのだ』
そう言ってクククと笑い声を上げた後、ゴーヴェンは目を伏せ、鷹揚に手を振った。
『今年は例年に比べ、面白いことが起きた。それは、毎年成績最下位を取る黒狼クラスが、優秀な実力者が集まる毒蛇王クラスに勝利したことである。……一期生、黒狼の諸君、貴君らの功績はとても素晴らしいものだ。この場にいないロザレナ・ウェス・レティキュラータス級長に、惜しみない賞賛の拍手を送ろう。全校生徒諸君、君たちも、彼女に拍手を送りたまえ』
そう口にしてパチパチと拍手を送るゴーヴェン。
彼に続いて、生徒たちも恐る恐るといった様子で、拍手を鳴らし始める。
拍手を終えると、ゴーヴェンは目を開け、演台に両手を付き、ニヤリと笑みを浮かべた。
『さて。これから一か月間、諸君らは夏季休暇へと入る。各々、好きに時間を使うと良い。実家に帰省するも良し、学校の学生寮を利用している者は寮に残り、学校の施設を活用して過ごすも良し。休むも修練に励むのも諸君らの自由だ。私は何も制限はしない。だが―――』
「……ゴーヴェン学園長ぉぉぉぉぉっっ!!!!!」
その時。迎館ホールで整列している学生たちの中から、一人の生徒が飛び出てきた。
その男子生徒は壇上へと上がると、腰の鞘から剣を抜き、ゴーヴェンへとまっすぐと構える。
その光景に右端に並んでいた一期生の集団は悲鳴を上げるが―――他の上級生たちは特に、驚いた様子は見せなかった。
彼らの顔には何故か「あぁ、またか」といったような、慣れた雰囲気が漂っていたのだった。
「ゴーヴェン学園長!! お前……お前の作ったこの学校のルールのせいで、僕の……僕の恋人は……っ!」
「クククク……貴様は、出席番号0457。四期生黒狼クラスの、パーシル・ナヴェッセ、だったかな?」
「!? い、意外だな!! お前のような血も涙もない人間が、僕のような底辺の生徒の名前を憶えているだなんて……!!」
「私は、基本的には全校生徒のデータを頭に叩き入れている。貴様のような取るに足らない存在も勿論、そのステータス値、闘気の数値、魔法因子の数まで、完璧に把握している。まぁ……お前のような弱者を記憶したところで、無駄なことかもしれないがね」
「貴様……!!」
「さっさと用件を言いたまえ。私も暇ではないのだよ、パーシル君」
「……ゴーヴェン学園長!! 先月退学した黒狼クラスのミネルヴァ・レイシーを、今すぐ復学させろ!! もうすぐ……もうすぐ、僕たちは一緒に卒業するはずだったんだ!! それなのに、たった一度の決闘で敗けただけで、彼女は全校生徒から虐められてしまって……心を病んで、学校を辞めてしまった……っ!! 弱肉強食、このふざけた校則のせいで、彼女は退学してしまったんだ!! 今すぐこの校則の危険性を理解し、修正して、ミネルヴァを復学させろ!! これが、僕の願いだ!!!!」
瞳の端に涙を溜め、そう訴えるパーシルという名の青年。
そんな彼に対して、ゴーヴェンは……不気味な笑みを浮かべた。
「クククク……クハハハハハハハハハハハハハハ!!!! なるほど。貴様は、恋人を奪われた腹いせに、この私に剣を向けてきた、と。そういうことか」
「何が可笑しい!? 聖騎士は、弱き人々を守るための存在だ!! そんな聖騎士が、弱者を淘汰するだなんて、おかしいことだろっ!! 僕は、この学校のシステムに異議を唱える!!!!」
「くだらないな。実に、くだらない。この世界は……強者がいるからこそ成り立っている。弱き人々を守るのが、聖騎士の在り方だと? 弱者に弱者は救えぬ。魔物や犯罪者どもと命のやり取りもしたことがない愚物が、一丁前に正義を語るんじゃない」
「何だと――――!?」
「失せろ。目障りだ、吠えるだけの能力も何もない、ゴミ虫めが」
ゴーヴェンは、自身の手の平をバージルという青年へと向ける。
そして、魔法を唱えた。
「獄炎よ、舞い上がれ――――【フレイム】」
その瞬間。パーシルの身体が炎に包まれ、燃え始めた。
彼は「ギャアアアアアアアアアアア」という叫び声を上げると、焼け焦げ、壇上の上でバタリと倒れ伏す。
そしてゴーヴェンはそんな彼をつまらなそうに一瞥した後、全校生徒へと視線を向けた。
『さて。諸君らも知っての通り、これが、強者を頼ることしかできなかった弱者の末路だ。私は、聖騎士団団長として、ある正義を掲げている。それは―――何を捨てでも、自身の信念を貫き通す、ということだ。私には亡き友との約束がある。その約束を遂げるためにも、私は弱さを捨てた。両親、兄弟、恋人……そのようなものに左右されるようでは、強者足り得ない。良いか、諸君。弱さを捨てろ。情を捨てろ。勝利を掴むためであるならば、昨晩同じ釜の飯を食った仲間であろうとも、斬り殺せ。それが、私の求める騎士の姿だ』
ゴーヴェンはそう口にすると、一礼する。そして、最後に一言、言葉を発した。
『では……学生生活の大切な夏季休暇、存分に楽しみたまえ。一学期の各クラスの勝星の成績は、中庭の掲示板に貼っておく。各自、確認しておくように』
そう言うと、ゴーヴェンは壇上から優雅に降りて行くのであった。
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「今話題の黒狼クラスの級長、ロザレナさんは、来ていませんかぁ……ちょっぴり残念ですねぇ」
迎館ホールの二階で、去って行くゴーヴェンの姿を見つめながら、薄金髪の少女はそうため息を溢した。
そんな彼女の元に、小柄な男と背の高い女性を引き連れた青年が静かに近付いて行く。
そして彼は金髪の少女の前に立つと、不敵な笑みを浮かべた。
「おや、天馬クラスの級長さんがこんなところで自ら偵察をしているとは……意外ですね。君は、些事は全権部下に任せているものだと思っていたんですけどね」
「……あらあらぁ~。これはこれはぁ、優秀な鷲獅子クラスの副級長さまではないですかぁ~。ご機嫌麗しゅうございますぅ~」
「君も、例のロザレナ級長を探しに来たのでしょう? ですが、残念ですね。今日も彼女は欠席のようですよ」
「そのようですねぇ。二学期から、強敵となる可能性のある狼の主を見てみたかったのですけどぉ~。残念ながらお休みのようですねぇ~。例年弱小クラスで有名な黒狼クラスでどうやって、あのシュゼットちゃん率いる毒蛇王クラスを倒してみせたのか、聞いてみたかったですが……当てが外れましたねぇ~」
「そうですね。僕も、彼女の話を聞いてみたかったです。ですが……我らが級長殿が予想するに、恐らく、黒狼の躍進の裏には、ロザレナ級長を裏で支える優秀な策略家……もしくは優秀な指導者がいて、クラスを裏から支配していたのではないか、と、予想しているようですよ? 黒狼クラスには、鷲獅子の級長が認める優秀な生徒が紛れ込んでいる……と」
「……? それは、どういう……?」
「おっと、話すぎてしまいましたね。敵クラスにこれ以上情報を渡すのは駄目ですね。これで失礼します、天馬の主よ」
そう言って、青年は取り巻きを引き連れ、颯爽と去って行ってしまった。
金の髪の少女は、そんな彼の背中を、訝しげに見つめるのであった――――。
第155話を読んでくださって、ありがとうございました!!
もうすぐ、この章が終わります!!
第二部の後は、大きく物語を動かす予定です……!!
楽しみにしていただけると幸いです!!
書籍1巻、発売中です! 続巻のためにご購入、よろしくお願いいたします!!




