第152話 元剣聖のメイドのおっさん、旅を終える。
「……終わったのかしら? アネット・イークウェス」
リトリシアたちが倒れていた場所へと戻ると、そこには、左腕を押さえて立つジェネディクトの姿があった。
俺は箒を肩へと乗せて、奴へと笑みを向ける。
「あぁ。思ったよりも強かったよ、あのオーク。悪くねぇ相手だった」
「……貴方は本当に底が知れないわね。剣聖や剣神クラスが四人掛りでも倒せなかった化け物を、たった一人で倒してしまうだなんて……そんな実力者が、メイドをやって世間に実力を隠しているのだから、薄気味悪いことこの上ないわ」
「ジェネディクト。悪いがあいつは、お前が倒したことにしておいてくれないか? お前も王女の実績を作りたいがために、あいつを追いかけてたんだろ? だったら、利害の一致だろ」
「断るわ」
ジェネディクトは俺をギロリと睨み付けると、眉間に皺を寄せ、口を開く。
「この私に貴方のおこぼれを頂戴しろとでも言うの? 私は【迅雷剣】ジェネディクト・バルトシュタインよ。けっして、貴方なんかの情けを受けたくはないわ。糞くらえよ」
そう口にして、大きくため息を溢すジェネディクト。そして奴は、自身の背後で倒れているアレフレッドへと視線を向ける。
「剣聖、剣神が弱らせた災厄級を、そこのガキがトドメを刺した……そういうことにしておくわ。どうせ、メイドが災厄級を倒したと言っても誰も信じないでしょうしね。これで満足かしら?」
「あぁ、問題ない。俺は自分の実力が表にさえ出なければ、どうでもいい。好きな形で収束させておけ」
俺はそうジェネディクトに声を掛けると、奴の横を通り過ぎ、歩みを進める。
そして、地面に倒れ伏すリトリシアの前に立つと……しゃがみ込み、気絶している彼女の頬にそっと、手を触れた。
……こうしてこいつの顔を近くで見るのは、いつぶりのことだろうか。
俺が亡くなった時と、姿形が一切変わっていない。どこか幼さの残る金の髪の少女。
彼女は雪山で別れたあの時の何ひとつ変わりなく、そこにいた。
「ん……お父……さん……?」
薄っすらと目を開け、俺を見つめるリトリシア。だが、その目の焦点は合っていない。
恐らくは、彼女の目には、俺の姿もぼんやりとしか映っていないのだろう。
俺は、そんな愛弟子に向けて……頬を撫でながら優しく声を掛けた。
「リティ、俺を追いかけるのは、もうやめろ」
「え……?」
「お前は速剣型の才能があるというのに、幼い頃から俺を真似て、剛剣型の基礎ばかりを学んでいた。魔法の才能があるというのに、俺のように剛剣型の立ち振る舞いを好んで学んでいった。お前には、お前の色がある。それを、自らの手で潰すんじゃない」
「……嫌、です……私は……私は、貴方のようになりたいんです。だって、お父さんは、私を、あの地獄から救いだしてくれたのですから……助けを求める私の手を、取ってくれた……のですから……」
俺へと手を伸ばすリトリシア。俺は、あの時とは違う―――小さな手で、彼女の手を握った。
「リティ。いずれ近い内に俺のもう一人の弟子が、お前の称号を奪いにやってくる。お前、このままじゃそいつに、剣聖の座、取られちまうかもしれねぇぞ?」
「絶対に嫌です。在り得ません。貴方の弟子は……私一人だけ、です……」
「だったら、もっと強くなりやがれ。俺が知るリトリシア・ブルシュトロームは、こんなところで終わるような奴じゃねぇだろ。お前は……死んだ父親の影を追って、自身の成長を止める馬鹿じゃねぇだろ……」
「お父、さん…………」
リトリシアの手が俺の手のひらの上からスルリと落ちる。そして彼女は、そのまま静かに目を閉じた。
そんな愛娘の横顔を見つめていると、ジェネディクトが背後から声を掛けてきた。
「……? よく分からないことをブツブツと言っていたようだけれど……貴方、その子と知り合いなの?」
「いいや、この身体ではほぼ初対面だよ」
「この身体では……?」
「いや、何でもない。それよりも、お前にこいつらのことを任せても良いか? 俺は一旦、王都にでも戻って聖騎士団を連れて―――いや、俺が連中を呼ぶのは良くないな。根掘り葉掘り事情を聞かれる事態はできるだけ避けたい」
俺は後頭部をボリボリと掻き、立ち上がる。そして、肩越しにジェネディクトへと視線を向けた。
「そうだな。それじゃあ、エステルたちと合流して、事後処理のために彼女に聖騎士団を呼んでもらうことにするよ。あいつら、まだ第五界域周辺をうろちょろしてるだろ? 見つけるのに、そんなに時間は掛からねぇと思うしな」
「……チッ。お前に命令されるのは癪だけれど……いいわ。貴方が王女様を呼んでくるまでの間、私がこの子たちのことを守ってあげる。片腕一本とはいえ、その辺の魔物を倒すのならば造作も無いことだからねぇ」
「あぁ、お前ならそれくらいやってのけると俺も分かっているよ。……あっ、そうだ。てめぇ、バルトシュタイン家に恨みがあるからといって、気絶しているヴィンセントに手を掛けるんじゃねぇぞ? そいつを殺したら、俺が即、その場でお前を殺してやる」
「……フフフ、確かに今、バルトシュタイン家の後継者を殺すには絶好の機会と言えるわねぇ。フン、安心しなさい。こんなつまらない場所でゴーヴェンの子倅を殺してなどやらないわ。やるとしたら、もっと凄惨に、残酷な計画を元に、派手にぶっ殺してやるもの」
「ゲス野郎が。まぁ、そんなこと、俺が絶対にさせないけどな。それじゃあ、俺は……エステルたちを見つけてくるぞ。後、頼むな」
そう言って俺は踵を返し、森の中へと足を一歩踏み出す。
【瞬閃脚】を使用しようとした、その瞬間。俺の背中に再びジェネディクトが声を掛けてきた。
「……アネット・イークウェス。私はこの先、エステルを次代の王にするために動くわ。私が求めるものは、バルトシュタイン家への報復、それだけよ。もし、私の道とお前の道が違えた、その時は……お前であろうとも、私は牙を剥く。どんなに勝てない相手だとしても、私は、エステリアルの騎士としてお前に剣を向ける」
「随分と忠義高くなったものだな。お前らしくもない」
「あの子の目指す地獄が、私の理想と一致している……それだけのことよ」
「だが、悪くない。今のお前は、昔の……聖騎士団団長の頃と同じような雰囲気を感じる。いいだろう。お前とギルフォードがもし、ヴィンセントとオリヴィアに手を掛けるようなことがあれば……一切の加減なく、てめぇらの相手をしてやるよ」
俺は【瞬閃脚】を使用し、森の中を駆け抜ける。
ジェネディクトとの関係も、この冒険の旅を通して随分と変わったものだ。
最低のゲス野郎、不俱戴天の敵と思っていた相手だったが……不思議と、信頼というものが産まれている。
あいつにも、あいつになりに、剣を振るう理由がある。
俺がロザレナを守りたいように、恐らくあいつも、エステルを守りたい心があるのだろうな。
大嫌いな奴だが、不思議と、心の底から嫌いにはなれない。本当に不思議な奴だ。
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「ん……? あれ? ここ、は……?」
リトリシアは目を覚ますと、ガバッと、勢いよく上体を起こす。
そして、自分が布の上で横たわっていることに気が付いた後、キョロキョロと辺りを見回した。
そんな彼女に対して、一人の修道女が困った様子で駆け寄って来る。
「剣聖さま! 安静になさってください! 治癒魔法で傷を塞ぎましたが、失った血は元には戻ってはいませんので!! 無理に動くと、お身体に障りますよ!!」
「聖騎士団の治癒隊……?」
辺りには、多くの聖騎士たちと、聖騎士団の治癒隊たちの姿があった。
周囲にいるハインラインやヴィンセントも、同じように布の上で寝かされ、治療を受けている姿がある。
リトリシアはその光景を静かに見つめた後、ハッとし、修道女へと大きく口を開いた。
「さ、災厄級の魔物は、どうしたのですか!? 暴食の王は!? 誰が倒したのですか!?」
「エステリアル王女殿下の従者様のお話によりますと、剣聖、剣神さまが弱らせた災厄級を、剣王のアレフレッドさまがトドメを刺した……と、そう、お聞きしていますが?」
「わ、私たちが、弱らせた……? そ、そんなはずがありません!! あの魔物は、ジェネディクトを喰らい、さらなる力を手に入れていました!! あんな化け物、私たちが弱らせることなどできるはずもありません!! 現に、剣王の少年もあの魔物にボコボコにされていたんですよ!? 馬鹿なことを言わないでください!! 本当は誰が倒したんですか!! 真実を答えてください!!」
「と、仰られましても……私は、王女さまの従者殿からそうお話を伺っただけでして……」
「……そうだ。あの場に、もう一人、誰か居たのでした。私の手を握ってくれた方が、誰かが」
リトリシアは手のひらを見つめる。そして、立ち上がると、森の中へと駆けていった。
「ちょ、剣聖さま!? お待ちください!!!!」
「そうです。あの時、確かに、声がしたんです。懐かしくて、暖かな、優しい声が―――!!!!」
森の中を、リトリシアは苦悶の表情を浮かべながら駆けていく。
顔も知らぬ、何者かを、誰かを、追い求めて――――。
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「……剣聖さん、突然走り出して行っちゃったけど……大丈夫なのかな?」
そう口にして、去って行ったリトリシアの背中を見つめた後。
エステルはこちらを振り返り、俺に微笑を浮かべてきた。
「流石はアネットさんだね。災厄級も、君の力を前にしては敵ではなかった、というわけかな?」
「いいえ。たまたまです」
「謙遜しなくても良いよ。君がどれだけ強いのかは、僕はちゃんと理解しているつもりだ。もし、君がこの場にいなければ……恐らくは、もっと被害が出ていたことだろうね。ありがとう。王家に連なる者として、被害を最小限に抑えて国民を守ってくれたこと、深く感謝するよ」
そう言ってエステルは頭を下げてくる。
俺はキョロキョロと辺りを見回した後、慌てて、彼女の肩を掴んだ。
「お、おやめください、エステルさん! 林の中に隠れているとはいえ、向こうには、たくさんの聖騎士のみなさんがいらっしゃるのですよ!? 王女さまに頭を下げているところなどを知られたら……不敬として、その場で斬られてもおかしくないです!!」
「あはははは、ごめん、君は目立つのが嫌だったんだよね。本来であれば、国を挙げて、英雄である君を凱旋パレードで迎えたいところなのだけれど……君は、そういうの、嫌なのだろう?」
「はい。絶対に嫌です」
「そっか。フフフ」
そう言って笑うと、エステルは俺の顔から視線を外し、10メートル先で治療に奔走する聖騎士団たちへと顔を向けた。
「今回の件は、緘口令が敷かれていたことから、国民には広く知れ渡ってはいない。後に、災厄級の魔物が仕留められたことは国中に報道されるだろうけれど……民衆の関心は特に得られないだろう。彼らの中では、大したことが無かったこととして処理される。悲しいものだね。人は、自分の目で見た脅威しか信じられないものなのだから。裏で人類の存続を賭けた戦いが行われていたことなど、歴史に記されることはないのだろう」
「それが分かっていて、何故、エステルさんは大森林に来たのですか? 民衆の関心が得られないのならば、ジェネディクトが災厄級を倒しても、王女様の支持率に影響はないのではないでしょうか?」
「もう既に何となく分かっていると思うけれど、僕は王族が大嫌いなんだ。だからなのかな。僕は、彼らのように上に立って人を顎で使うということはしたくないんだよ。……安全圏で奢侈を尽くすあいつらとは、自分は違う。前線に立って、弱きもの守る。そのことを証明するために、危険を冒してこの地にやってきた……ただ、それだけの話だよ」
「エステルさん……」
「まぁ、とはいっても、前に言った通り勿論、僕にも利益はあるのさ。他の王子たちは大森林に赴かなかったのに、僕だけは、災厄級の魔物を倒すために従者と共に戦場へと赴いた……この結果だけで十分、民衆の支持率には大きな影響が出る。十分な収穫だよ」
そう口にしてウィンクをするエステル。その時、遠方から声が聴こえて来た。
「エステリアル王女殿下ー! どこにいらっしゃいますかー! 王女殿下ー!」
「おっと、聖騎士が僕をお呼びのようだ。やれやれ……冒険者の管轄である大森林に無断で聖騎士団を連れて来たことを、後でこっぴどく騎士団長のゴーヴェン殿や兄上殿に叱られるのだろうな……そのことを考えると、辟易とするよ」
「申し訳ございません。エステルさんの権力を、こんなところで使ってしまって……」
「いいや、構わないさ。剣聖、剣神たちを治療するのは大事な役目だからね。――――アネットさん」
エステルが、俺の前に拳を突き出してくる。そして彼女はニコリと、微笑を浮かべた。
「今回の旅、とても楽しかったよ。僕の力が必要になったら、また、いつでも呼んでね」
「はい。今回は色々とご助力いただいて、ありがとうございました。エステルさん」
そう言って、コツンと、エステルの拳に自身の拳を当てる。
するとエステルは腕を下げ、横を通り過ぎて行った。
「ロザレナさんが元気になること、心から祈っている。それじゃあね」
そう言葉を残し、エステルは、聖騎士団の元へと歩いて行った。
俺はその背中を見送った後。大きく息を吐き、背後を振り返る。
「それじゃあ……帰りましょうか、グレイレウス先輩、ミレーナさん」
「はい! 師匠! 満月亭に帰りましょう!」
「うぅぅぅ……やっと、王都に帰ることができますぅぅぅ。地獄のような旅でしたよぉう」
深くお辞儀してくるグレイレウスと、涙目になってシクシクと泣き始めるミレーナ。
最初から一緒に旅をしていたこの二人とも、もう、パーティを解散するのか。
この旅で正式に弟子となったグレイレウスと、最後まで自己保身に長けた冒険者、ミレーナ。
何とも複雑な組み合わせだったが……また機会があれば、一緒に冒険したいものだ。
「お二人と共に旅してきたこの数日間、とても楽しかったです。改めて、ご助力、ありがとうございました」
「め、滅相もありません! 師匠、お顔をお上げください!」
「そうですぅ。アネットさんはもっと感謝してくださいですぅ。ミレーナがいなかったら、アネットさんは路頭に迷っていたこと間違いなしですからぁ! ぐふふふふ~」
「ぴぎゃあ女、貴様!! 我が師に対して最後まで何だその態度は!! たたっ斬るぞ!!」
「ぴぎゃうっ!? マ、マフラー変態男とも、これでお別れと思うとせいせいするですぅぅ!! べーって、してやるですぅぅぅ!!!!」
俺の背中に隠れ、グレイレウスにあっかんべーと舌を出すミレーナ。
そんなミレーナに刀を抜いて、鬼の形相で睨み付けるグレイレウス。
まったく……ここは託児所か何かかよ。
俺はグレイレウスとミレーナの頭にゴツンと拳を落とし、静かに息を吐いた。
「ほら、くだらないことやってないでさっさと大森林を抜けますよ、二人とも」
「うぐっ!? も、申し訳ございません、師匠! あのような愚物、無視しておくのが正解でした!! オレもまだまだ未熟ですね……」
「ぴぎゃうっ!? ちょ、や、やめてくださいよぉう、アネットさん!! 貴方、一歩間違えたらミレーナの頭蓋骨割れるパンチ出せるんですからっ!! ミレーナの国宝級の頭を壊したらどうするんですかっ!! 重大な事件になりますですよ!!」
「フン、貴様の頭が国宝級だと? 笑わせてくれるな。どうせその頭蓋骨の中には、豆ほどの脳みそしか詰まってはおるまい」
「な、何ですとぉ!? 剣とアネットさんしか頭にない、マフラー変態男にだけは言われたくないですぅっ!!!! というか、前から思っていましたけど……何なんですかぁ、その前髪ぃ。何で片目隠してるんですかぁ? オシャレのつもりですかぁ? 正直、かっこ悪いですよぉ?」
「…………………………師匠。オレの前髪ってそんなに変ですか? 変じゃないですよね? あいつの美意識が変なだけですよね?」
「いや、もう、お前ら本当にうるさい。いいから、さっさと帰るぞ」
俺は、言い争うグレイレウスとミレーナに挟まれながら、森の中を歩いて行く。
そして、空に浮かぶ初夏の夕焼けを眺めた。
夏の始まりを告げるような、真っ赤な、紅い空。
その空を見上げながら、俺は、これまでの数日間の旅を思い出し―――――小さく、笑みを浮かべるのだった。
第152話を呼んでくださって、ありがとうございました!
あと1、2話ほどで、オーク編を完全に終わらせたいと思います。
長い間読んでくださって、ありがとうございました!
新章も、すぐに開始する予定ですので、楽しみにしていただけると幸いです!!
新章の前に、寮生たちの短いコメディパートを挟むかも……?
前回多くの感想を書いていただき、ありがとうございました!
今後も執筆、頑張ります!!
第1巻、発売中ですので、ご購入、よろしくお願いいたします!