第145話 元剣聖のメイドのおっさん、帰り支度をする。
「……ケホッケホッ!」
倒壊した大木の上で、リトリシアはオークを睨み付ける。
そして彼女は起き上がると、ゼェゼェと荒く息を吐き、折れた剣を構えた。
ヴィンセントはそんな剣聖を庇うようにして前に立ち、声を掛ける。
「大丈夫かね?」
「ええ。剣が破壊された以外に、特に問題はありません」
「フレイダイヤ鉱石の剣が、まさか、素手で破壊されるとはな……。だが、岩を紙のように切断できる最上級の業物だ。握った奴の手も、無事では済まないだろう」
「それは……どうでしょうかね。あの魔物には、即座に傷を回復させる自己治癒能力がありますので」
そう言ってリトリシアは、前方へと指を差す。
その先にあるのは、オークの手の傷が縫合されていき、元通りになっていく姿だ。
その光景を瞳で捉えると、ヴィンセントは小さく息を吐き、声を漏らす。
「……なるほど。アレを倒すには、回復させる隙を与えずに、永続的にダメージを与え続ける必要がある、というわけか」
「ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン。貴方の力で、奴の動きを封じてください」
リトリシアのその言葉にヴィンセントはピクリと肩を震わせると、背後へと視線を向ける。
「以前にも言ったが【氷絶剣】は1対1を想定した能力だ。攻撃範囲内にいれば、貴殿もただでは済まないぞ」
「構いません。私ごとやってください。私は、奴と刺し違える覚悟で――――」
「フハハハハハ!! この力!! 存分に貴様で試させてもらうとするぞッ!!!! 森妖精族!!」
オークは【瞬閃脚】を使用して一瞬にしてリトリシアへと詰め寄ると、彼女の頭を掴む。
そして、そのまま、力いっぱいに地面へと叩きつけた。
「カハッ!!」
血を吐き出し、リトリシアは倒れ伏す。
そんな彼女の頭を押さえつけ、大地へと擦り付けながら―――オークは森の中を疾走していった。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!」
強烈な土煙が舞い、木々が横倒しになりながら、リトリシアは引きずられて行く。
ヴィンセントは目を見開き、その木々が薙ぎ倒された道を急いで駆けて行った。
「剣聖殿!? クソッ! 今のはまさか【瞬閃脚】か!? この俺が反応することもできなかったとはな!!!! 速剣型なのか、あの化け物は!!」
ガシャンガシャンと鎧の音を立てて、ヴィンセントは森の中を駆けて行く。
その時。林の中からコルネリアが現れ、彼に並走するようにして走り始めた。
「ヴィンセント様。ご報告いたします。ハインライン殿とルティカ殿のものと思しき足跡を見つけました」
「何、ハインライン殿は生きていたのか!? それは僥倖だ……!!」
「当初の予定通り、お二人をお助けしに行きたいところなのですが……今のこの状況を見るに、私もこの戦いに参戦した方がよろしいのでしょうか?」
「いや、今回の戦い、お前が参戦したところで戦力にはならないだろう!! お前は当初の予定通りそのまま剣神たちの救援へと迎え!! 彼らを回復させ、再び災厄級の魔物の対処に当たらせるのだ!! 恐らくリトリシア殿は……あの化け物には勝てないと思われる。俺と二人掛りでも、厳しい戦いを強いられることは間違いないだろう……!!」
「畏まりました。では、手筈通りに」
コルネリアは頷くと、林の中へと消えていった。
ヴィンセントはそのまま足を進め、静かに口を開いた。
「……災厄級め……まさか、ここまでの怪物だったとはな……!! もし、ここで我らが敗けるようなことがあれば……人類は、終わりだ!! 王国どころか、全ての国々が奴に蹂躙されることになるだろう……!!」
ギリッと奥歯を噛みしめ、ヴィンセントは森の奥を鋭く睨み付ける。
そして、苛立った様子で開口した。
「今も、馬鹿な貴族どもはこの現状を知らずに王国でぬくぬくと暮らしているのであろうな! まったくもって腹立たしい! 聖騎士団も聖騎士団だ!! 状況を甘く見て、剣聖や剣神に対処を丸投げするとはいったいどういう了見なんだ!? 俺たちはここで国民を守るために命を懸けているのだぞ!? 大森林は冒険者の管轄だから聖騎士団は入れないだと? あの糞親父め、ふざけやがって!! そんなこと言っている場合か!! 阿呆どもが!!」
王家や騎士団からの援護は一切無く。剣聖と剣神のみに討伐を任された、今回の災厄級への任務。
確かに、大抵の魔物であれば、剣聖と剣神がいれば討伐することは可能だろう。
だが、ヴィンセントは先程のオークと相対してはっきりと理解していた。
アレは……王国最強の剣士たちが全員で戦っても、太刀打ちできない存在なのではないのかと。
【暴食の王】は、この世界を滅ぼしかねない、本物の化け物なのではないのか、と。
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「――――あった! ありましたよ、アネットさん! これだと思いますぅ!!」
ミレーナと共に丘の草原を捜索すること三十分。
崖際でしゃがみ込んでいたミレーナが、手に一束の薬草を持って、こちらに笑みを見せて来た。
俺は急いで彼女の元へと駆け寄り、手に持っていた本にある絵図と見比べて見る。
丸い葉に、まだら模様の茶色の斑点、中央に小さな白い花―――間違いない。
これが、ロザレナの夢魔病を治す薬草、『ラパナ草』だ!!
「ミレーナさん、これですよ、これ!!」
「や、やりましたね、アネットさん……!!」
瞳をウルウルと潤ませるミレーナ。何だかんだ言っても、彼女もロザレナのことを心配してくれていたのだろうか。
俺はそんな彼女と手を取り合い、ピョンピョンと一緒に跳ねる。
「はい! ついにやりました! これで……!!」
「これで……!!」
「ロザレナお嬢様の病気を治すことできます!!!!!」
「やっとおうちに帰れますぅぅぅぅぅ!!!!!」
「……ん?」「ん?」
お互いに目を合わせるミレーナと俺。
ジーッと顔を見合わせていると、ドガーンと、後方にある森の中から爆発音が鳴り響いた。
何事かと背後を振り返ると、第5界域『槍の峡谷』から、土煙が上がっている姿が目に入って来た。
その光景を見て、俺と手を合わせていたミレーナは、不思議そうに首を傾げる。
「な、何でしょう? あれ……?」
「さぁ……?」
「まさか、災厄級の魔物ですか……? って、そんなことありませんよねぇ? だって、さっきのゴブリンお爺ちゃんを、アネットさんは倒したんですから……」
「……」
ミレーナの言う通り、恐らく、さっきのゴブリンの王が災厄級に間違いないとは思う。
呆気なく倒してみせたが、今の敵は実力的にも剣神相当の力を持っていたからな。
神話級の魔法を使えば、パルテトの村一つを滅ぼすのなど、呆気ないものだろう。
「だけど……あの知能の高そうな魔物が、人間の肉を木の上に吊るすのだろうか? あのゴブリン爺さんなら、食料を保存するのに、もっと別の方法を用いそうなものなのだが……」
「アネットさん? どうかしましたですか?」
「あぁ、いえ。何でもありません。早く帰りましょう。この薬草を、ロザレナお嬢様に早く届けなければ」
鞄を開け、ブルーノから貰った本を仕舞い、布の袋に薬草を放り込む。
ショルダーバッグの蓋に付いているベルトをしっかりと締めると、俺は足を一歩、前へと踏み出す。
だが、一度背後を振り返り、古ぼけた屋敷に視線を向けた。
屋敷の外壁のレンガには蔓が絡みつき、屋根の上には、草木が生い茂って生えている。
その様相を見て、人の手入れが何年もされていないことが一目見て理解できた。
「……父さん、母さん。俺……いや、私、大きくなりましたよ」
ハーフツインがそよ風に揺れる。気持ちの良い、夏の風だ。
まるで風を通して、父と母が俺に返事をしてくれたよう……そんな感じがした。
「私、大好きなご主人様と一緒に毎日楽しい日々を過ごしております。いつか、あの御方を、お二人にもご紹介したいです。私の素敵なご主人様……ロザレナ様のことを」
そう言葉を呟くと、俺は屋敷に近付き、指輪を嵌めた右手でそっと外壁に触れる。
そして、静かに離れた。
「アネットさーん! 置いて行っちゃいますよぉー!!」
背後からミレーナがそう呼んでくる声が聴こえてくる。
俺は「はーい」と返事をし、踵を返した。
気持ちの良い晴天の青空の下。深緑を揺らす、そよ風に包まれる中。
俺は前を歩くミレーナを追いかけ、草原を歩いて行った。
「師匠!! 薬草は、取れましたか!!」
丘の麓に戻ると、グレイレウスがそう言って駆け寄って来た。
まるで主人の返りを待つ忠犬だな。背後に左右に揺れる尻尾が幻視できそうだ。
ボロボロの姿になりながら満面の笑みを浮かべるグレイレウスに呆れたため息を吐いた後、俺は、奴の肩をポンと叩いた。
「あぁ、ラパナ草は無事、採取することができた。後は帰るだけだ」
「良かったですね、師匠! これでロザレナは治るんですね! ……っと、そうだ、これをご覧ください、師匠!! オレが倒した魔物です!!」
そう口にすると、グレイレウスは背後にある巨大なゴブリンの死体を手で指し示した。
その五メートルはあろう、地面に横たわる戦士職ゴブリンの巨体には、無数に刻まれた刀の痕が見て取れる。
その巨体を前にして、俺はほうと感嘆の息を溢した。
「やるじゃねぇか。こいつを倒したってことは、お前……【縮地】を習得したのか?」
「はい! 何とか当初の予定通りに、この旅の期間中に習得することができました! 見ますか!? 今、オレの【縮地】を御覧になられますか、師匠!!!!」
「いや、見ない。今、そんな暇はない」
「そうですか……」
しゅんとなるグレイレウス。俺はそんな奴を無視して、エステルへと声を掛ける。
「エステルさん。私は、王都にこの薬草を持ち帰り、今すぐにでもロザレナお嬢様にお届けしたいと思っています。大森林の中は、魔道具が使用できませんから……一人で【瞬閃脚】を使用して先に大森林を抜けようと思うのですが、大丈夫でしょうか?」
「問題ありません! 後はオレに任せて先にお帰りください、師匠!!」
エステルに言葉を投げたのに、何故かグレイレウスが前に出てそう声を掛けて来た。
俺はグレイレウスの頭にチョップをかまし、声を放つ。
「【縮地】を習得しからといって、調子に乗るな」
「うぐぐっ……はい……」
「グレイレウス一人だと戦力的に心配だから、ジェネディクトの奴に帰りの護衛を任せたいんだが……ジェネディクトの奴、どこにもいねぇな。あいつ、どこに行きやがった?」
キョロキョロと辺りを見回すが、そこにいるのはグレイレウスとエステル、ミレーナだけだ。
あの長髪サングラス野郎の姿はどこにも見当たらない。
その光景を見て首を傾げていると、エステルが、静かに口を開いた。
「アネットさん。彼は、先ほどの衝撃音を聞いて第5界域へと戻って行ったよ。だから、この場にはいないんだ」
「あぁ、確かにさっき、ものすごい衝撃音が鳴り響いていましたね。アレはいったい何だったのでしょうか?」
「もしかしたら、災厄級の魔物なんじゃないかと思ったんだけど……君がさっき倒したゴブリンの親玉、尋常じゃない魔法を使っていたよね。遠くから見ても分かったよ。あの魔物が、噂の災厄級だってことがね。でも……」
「でも?」
「いや、何でもない。少し、違和感のようなものを感じただけだから。まぁ、そういうことで、ジェネディクトは異常がないか森の中を探索しに行ったんだよ。……ごめんね、アネットさん」
「いえ……でしたら、一人で帰るわけにはいきませんね」
「いや、アネットさん。君は一人で戻るべきだ」
そう言ってエステルは俺の傍に近寄ると、肩を掴んでくる。
そして、微笑を浮かべ、眉を八の字にさせた。
「ロザレナさんは、今こうしている間も苦しんでいる。君しか、彼女を救える人間はいないんだよ」
「ですが……謎の衝撃音もありましたし、大森林の中を、エステルさんたちだけで進むのは危険では……」
「アネットさん。心配してくれるのは嬉しいよ。だけど、今は取捨選択が重要な時だということを理解して欲しい。誰を一番に救いたいか、よく考えるんだ。君がいくら強くても、君の手のひらで救える人の数は限られているのだからね」
「……」
「ここは僕たちを信じて、ロザレナさんを助けに行ってくれないかな? 僕は君の友人でもあるけれど、勿論、ロザレナさんの友達でもある。だから、彼女を救いたいのは同じ気持ちなんだよ、アネットさん」
「……分かり、ました」
俺は大きくため息を吐いた後、エステルにニコリと笑みを浮かべる。
「では、先に行きたいと思います。御武運を」
「あぁ。帰ったら、ここにいるみんなと途中で別れたアンナさんたち、そして、病気が完治したロザレナさんも呼んで、一緒にパーティーをしよう。約束だよ」
「はい」
俺はコクリと頷き、森へと視線を向ける。
そして、箒を手に持ちながら……【瞬閃脚】を使用し、第5界域を目指して駆けて行った。
「ちょっ!? ミレーナは反対ですよぉう!? アネットさーん、戻ってきてくださーい!! うちのこと、最後まで責任持って守ってくださーいっっ!!」
そんなミレーナの声が第6界域中へと鳴り響くが……俺は聞かなかったことにして、歩みを進めて行った。
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「クククククッ、どうだ、森妖精族! これが我の力だ!! 闘気がどんどんどん身体の奥から溢れ出てくるぞ!! フハハハハハ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
オークは、リトリシアの頭から手を離すと、両手を広げ、高らかに笑い声を上げる。
リトリシアは起き上がると、咆哮を上げ、折れた剣でオークへと剣閃を放った。
「な、舐めるなぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
斬撃が飛び、周囲の木々を横一閃になぎ倒していく。
だが、オークは跳躍することでその斬撃を難なく避けてみせていた。
そして、オークは剣を上段に構えると―――リトリシアの脳天に目掛け、唐竹を放って行く。
「フハハハハハ!! 確か、あの老剣士がやっていたのは、こうだったかな!?!?」
その瞬間。ドーンと、衝撃音が鳴り響く。
リトリシアは折れた剣を横にすることで何とかその斬撃を防いでみせたが……身体中、ボロボロになってしまっていた。
周囲には隕石が落ちたかのようなクレーターができあがり、土煙が舞っている。
リトリシアはゼェゼェと荒く息を吐いた後、腰にある刀へと手を触れた。
「……お願い、お願い、お父さん……!! 力を貸して……!!」
だが、刀が鞘から抜けることは、ない。
その光景に、リトリシアは叫び声を上げる。
「何で……何で、私にはこの刀が抜けないのッッ!!!! 青狼刀!! 貴方の今の持ち主は、この剣聖である私なのですよ!!!! お父さんはもう死んだの!! 私が新しい貴方の主人なのよ!! ねぇ、どうして!! ねぇ、どうしてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!! 貴方の力なら……貴方の傷を治癒させない呪いの力なら、あのオークを倒せるでしょ!? 何で、どうしてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
「フッフッフッ。その刀が抜けないのか? ならば、我が抜いてやろうか?」
土煙の中から、オークが漆黒のマントを揺らしながら現れる。
そんなオークに対して、リトリシアは折れた剣を構えると、咆哮を上げた。
「ふざけたことを言うなぁぁッ!! この刀は、お前なんかには絶対に、死んでも触れさせないッ!! この刀は、死んだ父の形見なのですから!!!!」
リトリシアは折れた剣を下段に構え、オークに突進していく。
「私は、【剣聖】リトリシア・ブルシュトローム!! 貴方のような醜悪な化け物になんか、絶対に屈しはしない!!!!」
「さて……。そろそろお遊びは終わりとするか。お前のその力、我が奪わせてもらうとしよう」
そうオークが宣言した、その瞬間。
オークから漆黒の闘気、オーラが放たれ―――――リトリシアはその圧に、思わず足を止めてしまったのであった。
第145話を読んでくださって、ありがとうございました!
今日は、みなさまにご報告がございます!
昨日、オーバーラップ様の公式サイト、オーバーラップ広報室様の方で、特典情報を公開していただきました!! 特典SSの内容も書いていますので、ぜひ、チェックの方、よろしくお願いいたします
SSの詳細に関しましては、ここで説明すると長くなっちゃいますので、活動報告などでご説明できたらなと思っています!!
それぞれひとつで、どれを読んでも楽しめる内容になっていますので、気になったお話がありましたらお手に取っていただければ幸いです。
書籍1巻発売まで、あと4日……!!
早いところでは、もう書店に並んでいるところもあるみたいです!!
WEB版も、頑張ります!!




